2012年05月17日

ルピーの急落とインドの緊縮財政

 風邪の症状からの回復が異常に遅いです。おまけに、引越しの準備では見積りの甘さが露呈して非常に苦しい状態です。環境が落ち着くまで「時の最果て」もお休みさせてもらってよいなかと。

 ただ、気になる話が次から次へと入ってくるので、なかなか休めないです。Washington Postが2012年5月16日付で配信したSimon Denyerの"India promises “some austerity” as rupee collapses"という記事は、ルピーの急落によって、緊縮財政へと舵を切るよう、インド政府に市場から圧力がかかっている一方、短期的には困難な状況を描写しています。他方、長期ではインド経済の自由化が進むだろうという見通しが基本になっており、新興国の光景は苦しいとはいえ明るさがあるのが救いです。

 それにしても、長期的な経済成長のプロセスで自国通貨の減価に苦しまなかった国というのは、日本と現在までの中国ぐらいで珍しいのかもしれません。この点を掘り下げるには力量不足ですね。嫌なことに、世界的な大不況の兆候が強まっていて、仮に起こりうる事態に対応する手段があまりに不足していることに慄然とします。

2012年05月15日

不況本番(?)と政治システムの不安定化

 ざっくり世の中を見るのには、ロイターが配信した"Wall Street to slide, S&P 500 faces key test"という記事で十分でしょう。ギリシャが揉めて欧州が大変です。次に、中国も景気後退の懸念が強まっていますと。あとは、真打のアメリカが重なれば、おまけ程度でしかありませんが日本も加えて、"quadruple"が完成しますねえ。これは付加価値ベースで世界全体の6割を超えるので、ほぼ「完全致死連鎖」と見なしてもよいのでしょう。2008年の金融危機以降、ユーロ圏を除いて、拡張的財政政策に極端な金融緩和が続いているので、日米にはほとんど選択肢がなく、ユーロ圏は緊縮財政を続ければ、スペインで80もの都市で万単位でデモが起きる状況です。日本語で眺めていると、既に発火済みのギリシャばかりを取り上げているのですが、問題はギリシャがユーロから離脱するかどうかではなく、スペインやイタリアがいつ発火するかどうかでしょう。

 乱暴に言えば、国際的に投資家が強気に傾いているのか、弱気になっているのかを見るには、米国債の金利と石油のドル建て価格を見れば十分だろうと。見ると、本当に弱気ですね。金がドルに対して大幅に下落しているのを見ると、中国やインドもさすがに金を買うのが怖いのか無意味だと感じたのかまではわかりませんが、新興国のカネの流れも明らかに変調気味でしょう。というよりも、彼らは先進国以上に金の使い方を知らない。

 現状は、ユーロ圏が景気後退といってよいのでしょう。Wall Street Journalが2012年5月14日付で配信したIlona Billingtonの"Euro-Zone Industrial Output Stokes Recession Fears"
という記事で描写されているように、3月の工業生産の低下は3月で0.3%、年率換算で2.2%の減少で、2008年以降ではそれほどでもないように見えますが、2月はプラス成長のものの、下方修正されています。工業生産は国内総生産の成長率に与える影響が大きく、1-3月期は0.2%の成長率低下というのが向こうのエコノミストの平均的な予想のようです。

 オバマ米大統領が就任した2009年には財政による景気刺激策が試みられましたが、目覚しい効果はなかったと思います。金融危機を凌ぐにあたっては、FRBの金融緩和の方がよほど効果があったのだろうと。財政政策に関しては、積極的に増やしても民間部門の代替はできず、現在のユーロ圏のように引き締めれば確実に景気を悪化させるという状態のようです。財政支出を増加させた場合と減少させた場合で効果の現れ方が異なるのは、やや違和感があって、この整理自体が間違っているのかもしれません。

 20世紀半ば前には、大不況は独裁者が権力を握る素地の一つとなったのでしょう。他方、今日では独裁が復活したくても担い手がいないのが現状でしょう。また、民間部門になりかわって、政府がヒト・モノ・カネなどを移動させるのは民間部門が自発的に行った場合ほどのパフォーマンスを挙げないことも、ほぼ自明といってよい。そもそも、ユーロ圏以外でも政府債務が膨張している現代では必要なことだけやるという、言うのは簡単ですが、平凡な指導者ではまずできないことが要求されている。時代のニーズに応えられない政治的指導者は疎まれ、代わりがろくでもない状態が続くと、政治システムそのものへの不信が強まる。

 それでも現代の民主主義国はよく無政府状態に陥らずに機能しているなと。変な表現になりますが、少しだけ不思議だったりします。


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2012年05月13日

考えるだけでうんざりしそうな今年の夏

 先週の月曜日にマスクを外して生活したら、のどが乾燥しました。不甲斐ないことに、金曜日には風邪をひき、鼻とのどの炎症がひどくなり、今年の1月を起点とすると、黄緑色で血が混ざった痰が初めて出ました。芸がないのですが、耳鼻科で症状の悪化を訴えて薬を飲んで土日はとにかく貪るように寝ました。睡眠不足もたたっているので、休養にはなりました。他方で、新しい部屋の引き渡しが今月25日で、今月内に退去するという約束をしたので、かなり過酷な日程です。最悪の場合、机の上と引出ごとに段ボールに詰めてしまえば、引越し自体はなんとかなるでしょうが、問題は床に敷くカーペットです。マスクをした上で業者立会いの下、再度、寸法を取り直して、図面を見ていると、長方形で部屋全体をカーペットで敷き詰めようとすると、柱が出っ張っているため、角の一つを取り除かなく必要が生じます。一つの部屋は、横を狭くとってあえてフローリングを覆う必要もなかろうと。本棚のスペースが240cmほどなので、耐震用に別の手を打てばよかろうと。もう一つの部屋がどうやっても難しいので、可能であれば加工してもらうことにしました。段々、面倒になってきてDKはコルクのマットでも使おうかと。今、使っているカーペットは、大学進学時に買ったものやそこまで遡らなくても20年近いものがありますので、家具とともに替えた方がよいだろうと。

 しかし、段ボール箱を30個分、準備したのですが、とっくに足りなくなっているので、唖然とします。自分では極限まで捨てているつもりですが、後で見ると、甘かったりしますね。しかも、最後に集中力が要求される段階での風邪はかなり痛いです。不幸中の幸いは、電力が不足しそうにない状態での転居になりそうなことぐらいでしょうか。ヤバい地域に住んでいるので、本当にヤバい状態になったら、親元へ「疎開」する話もありましたが、室内気温が32度を超えないと、エアコンを入れないという話を聞いて諦めました。熱中症で意識が朦朧としてお陀仏という姿が見えそうで、これはこれで私みたいな、いかれた「外道」にはお似合いだったりします。

 『産経』が今頃になって関西の自治体の首長を対象として危機感が足りないと説教をしているのを見ると、滑稽と申しますか。この手の話は、昨年の9月の段階で来年の布石を打っていないと間に合わないわけでして、そうでなくても冬場の電力も逼迫の可能性が高かったわけですから、現日本政府の実務能力の低さを象徴している話だと思います。「東日本大震災復興特別会計(仮称)」という苦し紛れの予算枠を作ったものの、歳入で44兆円もの公債金を見込んでいるなど、財政再建に本気ならこんな予算にならんだろうという状態で、すべては、消費税率の引上げという他のことをやってから、取り組むべき課題を他のことに優先させた豚の凡ミスでしょう。失政というほどのこともない。バカに権力をとらせれば、こうなるというたけでして、近畿地方におかれましては、いかれた首長を選ばれているわけですし、「苛政は虎よりも猛なり」を他地域に示す絶好の機会ではないかと。

 ただ、ツイッターのまとめかなにかで系統連系で大規模停電の可能性みたいな話になっていて、ちょっとついていけない感じです。周波数が同じでも、電力の融通が容易ではないというのは中部電力と北陸電力の融通が交流では難しいことでも明らかです。今回も、酔っぱらった父上がソースなのでかなり怖いのですが、60Hz地帯をある電力管内と同じようにみなすのは無理があって、関西電力管内で大規模停電が起きたとしても、融通している中部電力にはほとんど影響しないだろうと。ただ、関西電力と中部電力、関西電力と北陸電力はかなり相性がいいらしいので、普通なら無理な融通もできてしまうそうですが、それでも、こちらも需要家に頭を下げて節電をお願いしているので、融通にも限度があり、系統連系で大規模停電が波及する可能性はまずないとはっきり言っていました。

 さすがに首都圏で大規模停電となると全国的に影響が大きいのですが、近畿地方なら、『産経』様もおっしゃる通り、首長もアレですから、大規模停電の怖さを実感するにはちょうどよいのではと。何事も経験ですよ、経験(本当か?)。


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posted by Hache at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ふまじめな寝言

2012年05月05日

成長と財政再建の両立 ECBの場合

 「寝言」を書いていたら、そのまま寝落ちしそうになりましたので、PCの電源を落とそうとして、書きかけの「寝言」を保存したら、うっかり非公開にするのを忘れておりました。こちらは消しますね。理由は簡単で、記事を読み返していたら、なんか変だなと。最初にとりあげようとしていたのは、New York Timesが2012年5月3日付で配信したRaphael Minder and Jack Ewingの"European Central Bank Opposes Higher Taxes"という記事ですが、どうも文脈が読み取りづらいので、土曜日にECBのサイトで理事会後のドラギECB総裁の会見を書き起こしたものを読むと、かなり印象が変わります(参考)。5番目の質問へのドラギの回答が興味深いです。その後の質疑応答も合わると、おおむね、次のような注文を各国の財政政策につける形になっています。

(1)経済成長と財政再建は両立する。

(2)経済成長には構造改革が不可欠である。財市場では起業と競争が必要であり、労働市場では、とりわけ若年層の失業へ対応するため、柔軟性と移動のしやすさ、公平さが確保されることが大切である。

(3)財政再建においては増税は好ましくない。なぜなら、ユーロ圏の各国の税率は既に十分に高いからだ。したがって、歳出削減が主たる手段になる。危機においては、より容易な増税と投資支出の削減の組み合わせが選択されるが、経常支出を削減することが要であり、投資支出を削減したり増税は好ましくない。

 ECBのサイトにYouTubeにアップロードされた記者会見の動画があるのですが、ドラギさんが時々、噛んだり、スペイン語がわからなかったりと、なかなかドタバタもあって楽しいのですが、連休のせいか、途中で何度も寝てしまいました。まあ、本業の金融政策はと言えば、金利は変えません、出口戦略を口にするのは時期尚早でございますでテンプレ化しているので、聞いていてもやや退屈なのは否定できないです。時折、英語圏の記者が質問すると、一気に要求されるリスニング能力が上がるので、迷惑だったりします。



 経済成長と財政健全化の両立を目指すというのは、普通だろうと。それ以前のECB関連で質疑応答に目を通しているわけではないので、フランス大統領選挙やオランダの政治的混迷がどの程度、影響しているのかはわかりませんが、こいつ将来、貧乏しそうだなあという相手に高利ですら金を貸すのはリスクが高いので、経済成長を財政健全化と両輪にすること自体は、まともでしょう。

 他方、偶然なのかはわかりませんが、イタリアはしばらくファイヤーウォールが機能しそうですが、火がつきそうなスペインで理事会を行ったということは、現実には有事の対応が要求されていて、ドラギはうまくそのあたりの弾を隠した印象もあります。他方、中国のみならず、アジア全域の経済で不良債権問題が水面下で生じつつあるという観測もあり、米国の長期金利が1.9%を切る状態では、投資家の心理は相当、弱気になっていると見る方がよいのでしょう。小難しく言えば、リスク許容度はかなり低いと見た方が無難なのでしょう。

 ちなみに、「時の最果て」では財政危機という用語はできるだけ避け、債務危機としております。それなりの理由がありまして、もちろん、国債の償還が問題ではあるのですが、欧州の銀行の不良債権問題も同時に火がつくので、アバウトに債務危機としております。端的に言えば、スペインの経済成長率が低迷すると、スペインの長期金利が上昇するだけではなく、資産価格の低下を契機に住宅ローンをはじめ、スペイン国内の民間部門の債務も問題視されるということです。その点でも、仮にドラギが主張する経済成長と財政再建の両立に関するユーロ圏諸国の政治的合意が成立したとしても、リスク許容度が低下していることは、スペインを苦境に立たせる確率を上昇させるでしょう。『日経』かどこかが、スペインの国債発行残高がギリシャの約2倍とか無意味な数字を出しておりましたが、単なる財政危機として見ていると、「処理」に必要な資金を見誤ることになるでしょう。国債が信用されないということは民間の債務はもっと危険ということになりますから。

 「平日ボケ」で、4月下旬から主要な経済指標をあまり見ていなかったのですが、米国債が1.8%台、JGBが0.8%台というのはかなり危険なシグナルでしょう。抹消する方の「寝言」にも書きましたが、経済成長を加速するためには、ある程度の「バブル」を容認しないと、無理だろうと。他方、これだけ金融緩和を行っても、資産市場で国債を好む傾向が強いというのは、民間部門の資産価格を意図的に上昇させることがほとんど不可能であることを示しているのでしょう。ドラギの「処方箋」は、もう少しマイルドな環境であれば、十分な気がするのですが、債務問題が生じそうな国や安全とされている国の現状を見ると、財政規律を相当、犠牲にする覚悟がないと、スペインが発火し、イタリアまで延焼するリスクを無視することは非常に難しいと思います。


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2012年05月03日

チェンバロとピアノの歴史(2)

 目利きの方が貸してくれたのが『アート・オブ・コンダクティング』というDVDでした。これについても書きだすとキリがないのですが、シュヴァルツコップのインタビューでフルトヴェングラーとベームを評価する一方、対照的な指揮者としてカラヤンを挙げていたのが印象的でした。まあ、このなんとも言えない、少し鼻につく、敷居の高さがクラシック音楽の特徴でしょうか。実は、私自身、相手から振られない限り、クラシック音楽について話すことはありません。シュヴァルツコップの評価は世代を考えれば理解できますが、日本人で50を超えているかどうかという人がカラヤンは俗受けするタイプとバカにするのを見ると、クラシックが好きと素直に言えない自分がいますね。LPを買っていた頃はほとんどがカラヤン指揮のベルリンフィルでしたから。悪く言うのは簡単ですが、あれほどクラシック音楽のファンを増やすのに貢献した人は数がやはり少ないのではと思うのですが。

 「続き」にある動画を貼りましたが、再生数が5000ぐらいで、なんだかなあというコメントが目立つのはクラシック音楽ぐらいではと。評論が好きというのは決して悪いとは思わないのですが、既にクラシック音楽というジャンル自体が左前の時代に、さらに人を遠ざけるタイプがほかのジャンルより多いとなると大変だなと。正直なところ、時々、クラシック音楽を趣味として挙げるのはなんとなくためらいを覚えることもあります。

 他方、高齢化が進むと、クラシック音楽というのは案外、無視できないマーケットとして存続し続けるかもしれないという、あまり根拠のない楽観もあります。実を言えば、40歳になる前にくたばる予定だったので、こうして生きているのは困ったものだなあと。とりあえず、仕事をする一方で、最近は昔ほどの熱意が薄れてきていることも実感しますので、ボケないようにクラシックでもという感じです。海外事情は、英語圏に出かけた際に困らない程度に単語を覚えておこうかという感じですし。カネがなかったら、60歳あたりで文字通りの人生の「定年」でいいんじゃねというところでしょうか。

 それはさておき、ピアノの話の続きです。ピアノがチェンバロの改造だったというのはそれほど意外ではないのですが、イタリアだったというのは意外でした。クリストフォリの没後、フォルテ・ピアノを経て現代のピアノにいたるのですが、顕著な改良の代表は、まずウィーンで生じたようです。例によって浜松市立楽器博物館の資料の写真です。

piano_Vienna

 外観だけを見ても、どこが変化したのかはわかりづらいです。「ウィーン式」と命名されているアクションの説明と展示を見てみましょう。

action_of_Vienna

アクション(1) ウィーン式アクション

 このアクションは、別名「はね上げ式」とも呼ばれ1770年代中頃に完成されたといわれています。ウィーン式アクションのピアノは、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンなどに愛されました。タッチが軽やかで繊細な音色です。しかし、より力強い音が出せるイギリス系のアクションの広まりとともに次第に使われなくなりました。(浜松市立楽器博物館)


 次の写真はウィーン式アクションの模型ですが、実際に鍵盤部分を強弱をつけて叩くと、音量を調整できることがわかります。前回、省略してしまいましたが、チェンバロの模型で鍵盤を叩く強弱を変えても、音量がほとんど変わらないことも試すことができます。

action_of_Vienna2

 下の写真は、アクションをさらに模式化した図です。意外と仕組みは単純ですが、チェンバロと比較すると、既に複雑になっていることがわかります。

action_of_Vienna3

 ピアノの歴史に詳しいわけではないのですが、私みたいなど素人からすると、19世紀以前ではやはり西洋音楽の中心はイタリア(フランスは消費地として無視はできないのですが)であり、そこで発明されたピアノがウィーンというパリほどではないにしても、当時としては巨大な音楽の消費地で改良がされたというのは、中心から周辺に音楽の重心が移っていくプロセスの一つだったのかなあと。ただ、モーツァルトのピアノ協奏曲とベートヴェンのピアノソナタでは異なる楽器で演奏されることを想定していたのではないかと思っていただけに意外な解説でした。

 次は、かなり驚きましたが、目立った改良は次にイギリスで生じたようです。下の写真が陳列されていたイギリス製のピアノです。

piano_of_Britain

 「イギリス式アクション」とされている鍵盤を叩いて弦を叩く動作は、かなり複雑になっていきます。簡潔に要点を記しているのが下の写真の説明です。自分の影がかなり邪魔なのが遺憾ですが。

action_of_Britain

アクション(2) イギリス式アクション

 「突き上げ式」とも呼ばれるこのアクションは、1770年頃にイギリスで作られました。イギリス式アクションのピアノは、晩年のハイドン、ベートーヴェン、ショパンなどが演奏し、イギリスのみならずヨーロッパ各地の製作者が採用しました。タッチも響きも重厚で、後のフランス式アクション(現代のピアノアクション)へと繋がっていきます。(浜松市立楽器博物館)


 博物館の説明ではウィーン式アクションとほぼ同時期にイギリス式アクションが製作されたことになります。ピアノ製造技術の革新がどの程度のスピードで広がったのかは記述がないので、想像するか、考えないようにするかしかありません。モーツァルトの死がバスチーユ監獄襲撃から2年後、私自身が好きなピアノ協奏曲第21番が1785年、有名な第23番が1786年とすると、モーツァルトがピアノ協奏曲のお披露目に使おうと考えていたピアノを想像すると、かなり混乱します。機械的には、(1)クリストフォリ没後、原型に多少手を加えた程度のピアノ、(2)ウィーン式アクションを採用したピアノ、(3)イギリス式アクションを採用したピアノに、それぞれを組み合わせた可能性もあります。他方、ウィーン式アクションとイギリス式アクションの説明の双方に名前が出るのはベートーヴェンだけです。模型で叩いてみただけですので、わからないのですが、モーツァルトのピアノ協奏曲は20番と24番以外は長調で、軽やかで華やかさが中心ですので、モーツァルトの頃にはイギリス式アクションのピアノはウィーンでは知られていなかったか、モーツァルト自身が楽器の変化に鈍感だったか、どちらかなのかもしれません。

 妄想はさておき、イギリス式アクションの模型です。パッと見ただけで、ウィーン式よりも複雑になっています。

action_of_Britain2

 例によって、さらに模式化した図の写真ですが、模型をパッと見ただけではわからない程度にまで複雑になっています。ウィーン式よりもハンマーが全体の支点から遠ざかり、より強く弦をはじく仕組みになっているように見えます。

action_of_Britain3

 古楽とは異なる視点から楽器を見ていますが、古楽関連の書籍を読んだ方がよいのかなあとも。私の場合、演奏に使われていたであろう楽器を作曲家の視点からとらえたいなあと考えておりましたが、古楽と変わらんですね。ベートーヴェンあたりですと、ウィーン式アクションのピアノとイギリス式アクションのピアノが混在していた時期になりそうです。他方、それ以後のピアノとの接点は、あったとしても少ないのでしょう。

 次は、フランス式アクションです。実は、フランス式アクションのピアノかどうか、ペダル部分の写真しか撮っていないので、いきなり説明からです。

action_of_France

アクション(3) フランス式アクション

 フランス式アクションは、イギリス式(突き上げ式)を基に、連打機能(鍵を完全に戻さなくても再度打弦できる装置)を追加したものです。このアクションは、現代のピアノと基本的な機能は同じで、1821年にフランス・エラール社によって考案されました。このアクションを用いてリストなどの作曲家は、超絶技巧を用いた楽曲の演奏ができるようになります。(浜松市立楽器博物館)


 フランス式アクションとなると、時代がはっきり異なって、イタリアのように個人ではなく、はっきりと会社になるのが興味深いです。ちにみに、模型で鍵を叩くと、連打が可能であることが素人でもわかります。

action_of_France2

 説明ではリストの名前が挙げられていますが、例えばラヴェルの「夜のガスパール」あたりも、このような楽器が存在しないと、演奏は無理なのではと思います。例はキリがなさそうなのでやめますが、クリストフォリの発明で音の強弱がつけられるようになった改造されたチェンバロは、19世紀になると連打が可能になるところまできました。ピアノと言えばやはりショパンでしょうが、突き上げ式がなければ、作曲自体が変わっていたのかもしれません。

 自分で演奏できる楽器が皆無ということも大きいのですが、単に音楽をボーっと鑑賞していたのが、段々と、聴いているうちに、楽器が気になるようになりました。今回は、ピアノ関係で最も国内で集積が進んでいるであろう博物館を訪れたおかげで、基本原理が理解できるようになりました。実は、浜松に住んでいた頃に、ピアノを習いたいと言ったら、母上に、ピアニストにでもなるのと嘲笑とともに幼い、穢れのない心を汚された記憶があります。ピアノの歴史をたどるのがやっとですが、なかなか楽しいです。

 ちなみに、クラシックに関しては敷居の高さを感じさせない目利きの方は、「オーディオ唯物論者」です。コンサートを除いたら、その人の耳は、使っているオーディオセットの音のよさで決まるという説で、これに反駁するのは極めて難しいです。アンプは真空管、スピーカーはどでかいのでびっくりしましたが、これでクライバー指揮、ウィーンフィル演奏のブラームスの4番を聴いていたら、いきそうになりました。聴いている途中で「あれここのコントラバスの響きがバイエルンと異なりますね」と思わず呟いたら、「しょぼい環境で耳が意外と超えてるのお」と言われて、いろいろ教えて頂いております。私の場合は、その時代の代表的な楽器が作曲家を規定してしまうという「楽器唯物論者」といったところでしょうか。古楽との違いは、発想が単純すぎるということでおしまい。







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posted by Hache at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな?寝言