2006年06月30日

南洋群島の占領 『第一次世界大戦と日本海軍』メモ6

 今回は、南洋群島の占領の問題です。第一章の終わりでは、南陽群島の占領によって日米両国が互いに仮想的国として見る一歩となったことが述べられています。第二章冒頭で日本による南洋諸島の占領がどのような戦略的意義をもつのかが、簡潔に示されています。



「第一次世界大戦時の日本のドイツ領南洋諸島の占領は、イギリス自治領オーストラリアやニュージーランドにとっては仮想敵国視する日本の脅威が南下接近することを意味し、アメリカにとっては本土とグアム・フィリピン間の海上交通を遮断されるため、国際政治上極めてデリケートな問題であった」(平間[1998]、58頁)。イギリス海軍は、米豪への配慮から日本海軍の行動に制約を加えようとしました。結果からいえば、イギリス海軍は、太平洋とインド洋、そして自治領オーストラリア・ニュージーランドへの海上交通路の安全を日本海軍に依存せざるをえず、日本海軍による南洋諸島の占領を許してしまいました。



 ここで脱線しますが、当時は「帝国の時代」、すなわち、列強によるパワー・ポリティクスの時代です。ビスマルク亡き後のドイツは、海外へ植民地を求めてアフリカ、太平洋の島嶼などへと「力の空白」に勢いで進出してゆきました。このこと自体を善悪で論じることは、無意味とはいいませんが、歴史を理解する上で重要な点であるとは思えません。ドイツにとって重大であったのは、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン戦争、普墺戦争、普仏戦争などドイツ統一のプロセスでヨーロッパ大陸で最強の陸軍国となったことに加え、海外進出にともない、海軍力も飛躍的に増強したことでした。1916年のユトランド沖海戦ではイギリス海軍はドイツ海軍に対して戦略的には勝利を収めました(ただし、この開戦でイギリス海軍は、量的にはドイツ海軍よりも大きな損害を被りました)。以後、ドイツ海軍は、イギリスの制海権に正面から挑戦することをやめますが、1917年初め頃から無制限潜水艦作戦を開始して、アメリカの参戦を招いてしまいます。ドイツ帝国の無定見な海外拡張政策は、英米の覇権への挑戦となり、滅亡を招いたのでした。



 他方で、イギリス海軍は「七つの海を支配する者」という立場にありましたが、北太平洋には拠点をもっていませんでした。第一次世界大戦を全体から俯瞰すれば、太平洋を巡る英独の対立の比重はさしたるものではありませんが、日本海軍の助力なしには、アジアにおける権益や自治領オーストラリア・ニュージーランドなどへの海上アクセスの確保ができない状態におかれていました。ドイツの脅威の下では日英は基本的には補完的な関係にあったと考えますが、それが脅威ではなくなったとき、日本の政策しだいでは太平洋において日本がドイツと同様の立場におかれる可能性があったことをどれほど日本政府、海軍が理解していたのかは疑問です。



 もちろん、南洋群島の占領が直ちに日米、日英の戦争を必然にしたわけではないでしょう。しかし、パワー・ポリティクスというのは、本質的に強力な敵とお互いに手出しができないという意味で均衡をつくりだすか(バランス・オブ・パワーと区別が難しいところですが)、より強力な敵に破れるまで拡張をやめることのない、本来的には自己破滅的な側面を含んでいます。戦前の政治的軍事的指導者を過小評価するものではありませんが、パワー・ポリティクスの危険性を理解していたのは、世界の覇権を数世紀にわたって握ってきたイギリスとドイツ統一後、ショックを和らげようとしたビスマルク、冷戦期のアメリカぐらいなのかもしれません。



 少々、脱線が長くなりましたが、平間先生の叙述による南洋群島の占領に話を戻します。南洋群島への進出の主導者は、海軍でした。海軍は、「帝国国防方針」(1907年)でアメリカを仮想敵国とし、八八艦隊の建設を推進しました。この際、南進論を正当化するために、ジャーナリストや学者の関心を高め、世論へのはたらきかけを強めてゆきます。このような軍事的な側面からの南進論に呼応して農商務省を中心とした経済的な南洋諸島への進出熱も高まってゆきます。「…一九一三年には南洋興業合資会社が設立され、開戦時には小規模ながら五社がサイパン、ポナペ、トラック、ヤップ、パラオ、グアムなどに支店を開設し、西カロリン諸島およびパラオ諸島に五六名、マリアナ諸島に五一名が在住するなど、民間レベルの進出も徐々に活発化しつつあった」(平間[1998]、58頁)。



 当然ではありますが、日本の参戦によってアメリカやオーストラリア、ニュージーランドはドイツ領南洋群島への日本海軍の進出を警戒しました。イギリスは、大戦でこれらの国々の協力が不可欠であり、戦域制限交渉などを通して日本海軍の行動を制約しようとしました。他方で、イギリス海軍は、カナダ方面への警備依頼、シンガポールへの艦隊派遣依頼などによって事実上、日本側に戦域制限を撤回したと考えさせるシグナルを送ってしまいます。これによって、日本海軍は、南洋群島への進出を始めました。ただし、シンガポールに派遣された伊吹艦長加藤寛治大佐が終戦の際に事実上、南洋諸島を押さえておく具申をげると、「…政府の意向は『対外関係ヲ考慮シ島嶼ノ占領ヲ不可トシタルヲ以テ』、海軍としては『単ニ一巡ノ索敵行動ト敵ノ軍事的設備ノ破壊トヲ目的トシ群島中ニ根拠ヲ作成スルコトヲ避ケ、揚陸しても、作業を終了したならば、速ニ撤退スルよう部隊にも指示していた」(平間[1998]、60頁)とあるように南洋群島の占領に慎重な傾向も存在しました。



 それにもかかわらず、参戦直後の1914年内に海軍は南洋群島の占領を果たします。平間[1998]の62頁にある表を掲げておりきます。

   占領日時   占領島嶼    占領部隊     艦名



   10月 3日   ヤルート    第一南遣支隊    鞍馬
        5日   クサエ          同上       浅間
        7日   ポナペ          同上       筑波
               ヤップ       第ニ南遣支隊     薩摩
            8日   パラオ         同上        矢矧         
        9日   アンガウル      同上        同上
       12日    トラック      第一南遣支隊   鞍馬
       14日    サイパン     通信中継艦    香取

 平間[1998]では南洋諸島の占領に踏み切った国際的な背景に関して詳細な分析が加えられていますが、この点に関しては次回に論じます。南洋群島の占領の最も積極的な主体は、海軍でした。南洋合資会社社長横井太郎からの南洋諸島占領の意見具申に対して八代海軍大臣はサインし南洋群島の占領を正当化する主張に傍線を引き、秋山軍務局長は捺印をし、百武三郎大佐の意見具申に賛成する欄外注記があるなどの史料によって平間先生は、間接的にではありますが、あらためて海軍の南洋群島の領有意欲が強かったことを示しています(平間[1998]、66頁)。海軍の南洋諸島への領有の動機は、第1に、対米国防圏の拡大であり、純粋に軍事的なものでした。第2に、海軍力の増強を補完する商船隊の充実、貿易振興など何進政策の推進でした。また、「シーメンス事件で失墜した海軍の威信を南進によって回復し、陸軍に対する優位を確保し、陸軍の『大陸発展論(北進論)』から海軍の『海洋発展論(南進論)』へと国民の目を転じさせたいとの願望が強く働いていたのであった」(平間[1998]、67頁)との指摘もあります。



 最後に、指摘おかなくてはならないのは、海軍の南洋群島への進出に消極的であった、加藤外相も、既成事実に引っ張られる形でこれを追認し、結局は積極論へと転じていったことです。加藤外相は、10月12日に南洋諸島の占領に関して在米大使に占領が一時的であるのか恒久的なものであるのかコミットしないよう訓電を送りますが、わずか3日後には米国世論の反応を探るよう、訓電を送り、姿勢を転換してしまいました。さらに、11月27日には英駐日大使グリーンに「相応ノ分ケ前」を求める申し出をし、1915年8月の単独不講和宣言への加入に際してグレー英外相に南洋群島の占領を認めることを明確に求めています。大隈総理にいたっては、『実業之日本』1913年11月号に「南洋諸島への雄飛」との記事を書いていました。もっとも、大隈総理はもともと主張に一貫性の欠いた人物だったようですので、南進論者として扱うべきではないかもしれませんが。いずれにせよ、総理が南進を制限する姿勢を見せなかったことは事実でしょう。



 上記の事態の推移は、対米戦争にいたるプロセスと直接に対比することはできません。しかし、南洋群島を占領することが軍事的見地からのみならず、国家レベルの戦略的な観点から検討された形跡は、ほとんどないようです。ここで注意していただきたいのは、私自身は南洋群島の占領の是非について論じているのではありません。問題は、政治的指導者が南洋群島の占領という行為の戦略的価値――対米戦争を必然的にするレベルではないが、可能性を高める――を理解した上で軍略に対して政治的影響力を行使していなかったということです。以前、齋藤健『転落の歴史に何を見るか(ちくま新書、2002年)で明治の指導者と昭和の指導者の「断絶」という歴史の捉え方に批判的な検討を行いましたが、日露戦争以後、政治と軍事を双方、理解した上で戦略的な判断ができる政治的指導者は、既にこの時期にも見出すことが困難です。それでは、あの記事を書いた頃と私の考えが変わったのかといえば、変化はありません。双方を理解するリーダーが恒常的に生まれる為には、失敗を重ねながら、生き延びてゆくという試行錯誤のプロセスが不可欠です。結果的に帝国は対米戦争における敗戦によって滅んでしまいますが、結果からプロセスを断罪する歴史観から自由でありたいという立場には変化がないことを、最後に述べさせていただきます。



(追記) 下線部を修正いたしました(2006年7月1日)。 

2006年06月29日

伊吹の武士道と矢矧砲撃事件 『第一次世界大戦と日本海軍』メモ5

 ずいぶん間が開いてしまいましたが、今回は、平間洋一『第一次世界大戦と日本海軍』(慶應義塾大学出版会、1998年)の第ニ章「日英連合作戦と日英豪関係」に関するメモです。第二章は、次のような構成になっています。



  第一節 南洋群島の占領
  第二節 南陽群島の占領と英豪の錯誤
  第三節 オーストラリア警備作戦と日豪関係



本章では、いわゆる「南進論」とそれを具体化した南洋群島の占領、さらに南洋群島の占領をめぐる英米豪の思惑と対応に紙幅の多くが割かれています。



 まず本章の概要を述べますと、イギリスと自治領オーストラリア、ニュージーランドは、日本の南進に警戒を示しますが、主としてチャーチル海相の指揮下におけるイギリス海軍の作戦上の錯誤、オーストラリア国防大臣ピアスの重大な錯誤によって日本側の言い分が通ってしまいます。日本海軍による南洋群島の占領によってオーストラリア・ニュージーランドは日本を脅威と感じる傾向を強めました。南洋群島の占領は、結果的に一面では米豪接近、他面ではイギリス海軍の対日警戒感からくる英自治領諸国(カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど)の結束を強める結果を招きます。この問題が、第二章の主要なテーマではありますが、次回に検討いたします。



 今回は、オーストラリア警備作戦における、対照的なエピソードを取り上げます。第三節では日本海軍によるオーストラリア警備作戦を前期(対ドイツ東洋艦隊・エムデン作戦:1914年??1915年)と後期(対通商破壊船作戦1916年??1918年)にわけて日本海軍の貢献について述べられています。巡洋戦艦伊吹の武士道的行為は前期に、巡洋艦矢矧の砲撃事件は後期に生じていいます。南洋群島の占領という戦略的な問題に取り組む前に、それぞれのエピソードをとりあげて日本海軍の「苦労」をあらためて理解したいと思います。なお、伊吹と矢矧のエピソードに関しては平間洋一『日英同盟 同盟の選択と国家の盛衰』(PHP新書 2000年)がリアリティに富んでおります。引用に際して平間[1998]と表記している場合には『第一次世界大戦と日本海軍』、平間[2000]と表記している場合には『日英同盟』を指すことをお断りしておきます。



 まず、伊吹の武士道的行為からです。1914年9月頃からドイツ東洋艦隊が活発に活動するようになりました。ドイツ東洋艦隊の主要な戦力は、装甲巡洋艦シャルンホルスト(11,400トン)、グナイゼナウ(11,400トン)でした。これらの主要戦力は、ファンニング島の無線通信所を破壊、タヒチを襲撃するなど、太平洋で海上交通破壊を行います。一方、巡洋艦エムデンは、ベンガル湾に出現して9月21日にはマドラスを砲撃してイギリス海軍の威信を大きく低下させました。「イギリス海軍は伊吹をニュージーランドからケープタウンまでANZAC(Australian and New Zealand Army Corps オーストラリア・ニュージーランド連合軍:引用者)船団の護衛に使用したいと申し出た」(平間[1998]、82頁)。伊吹は、イギリスの巡洋艦ミノトーアとともにNZ陸軍部隊を載せた輸送船をアデンまで護衛する任務を行いました。なお、途中でオーストラリアの巡洋艦シドニー、メルボルンも護衛に参加していますが、最終的に全行程を護衛したのは伊吹のみでした。



 このANZAC船団の護衛中にエムデンがココス島を砲撃してシドニーは隊列を離れました。「しかし、伊吹は通信員が英語がわからなかったために出遅れてしまい終始船団を護衛し、エムデン撃沈の栄誉をシドニーに譲る結果となり、オーストラリア海軍に最初の武勲を飾らせた。そしてこの伊吹の行為が以後、『伊吹の武士道的行為』として礼賛され、日豪和解ムードが生まれると、常に日本海軍のオーストラリア警備作戦の成果・友好のシンボルとして利用されたのである」(平間[2000]、92??93頁)。意図せざる功名ではありますが、各国の軍隊の共同作戦ではこのような「幸運」も、やはり大切なのでしょう。



 オーストラリアのフリーマントル港に入港中の巡洋艦矢矧に砲撃がオーストラリア側から加えられたのは、オーストラリア警備作戦の後期、1917年11月20日でした。簡潔にこの時期のオーストラリア警備作戦における日本海軍の行動について説明いたします。



 まず、ドイツ東洋艦隊が撃滅された後、ドイツは通商破壊船(商船に武装を施した仮装攻撃艦)ウォルフなどをインド洋に進出させてきます。この事態にイギリス海軍は、日本海軍に対して(1)インド洋の警備、(2)オーストラリア??コロンボ間の船舶護衛、(3)オーストラリア東岸・ニュージーランドの警備、(4)モーリシャス方面への進出を依頼します。「これらの依頼に日本海軍は、第一特務艦隊に利根・出雲および駆逐艦四隻を増派し、対馬・新高をモーリシャス方面に進出させ、四月十四日には第三特務艦隊(司令官山路一善少将、巡洋艦筑摩・平戸)を新編し、オーストラリア東岸やニュージーランドの警備に当て、さらに巡洋艦春日・日進を増派し、日進をフリーマントル、春日をコロンボに配備し、インド洋の警備に当てるとともに、四月下旬から六月上旬の間、フリーマントル??コロンボ間の船舶(十六隻)の直接護衛を実施した」(平間[1998]、84頁)。



 このようにイギリスとオーストラリア、ニュージーランドの海上交通の安全に日本海軍は貢献していましたが、現実には日本とオーストラリア、ニュージーランドの間には対立が絶えませんでした。それを象徴する出来事が、矢矧に対する砲撃事件です。



「…日本海軍に大きな衝撃を与えたのが、一九一七年十一月二十日に発生した矢矧砲撃事件である。発射弾数は一発であったが、陸上砲台から発射された砲弾は、フリーマントル入港中の矢矧の煙突をかすめて右舷約三〇〇メートルに落下した。翌二十一日に西オーストラリア地区のクレア大佐から、実弾を発射したのは「規定ノ信号ヲ掲揚セスシテ入港セントスル水先人ニ対シ、単ニ注意ヲ喚起スル為ニ採リタル手段ニ過キス」との弁明があった。
 しかし、前日に電報で入港を通知し、パイロットを乗艦させていたにもかかわらず、実弾が発射された事態を日本海軍は重視した。そのため山路司令官宛に、事件の説明を求める文書を送付する。
 これに対し二十五日にはフリーマントルを訪問中のファーガソン総督が個人的に陳謝し、十八日には海軍委員会議長から『豪州政府ノ為ニ深ク遺憾トス」との、また海軍司令官からは「本件ノ発生ヲ深ク遺憾トシ、此種事件ヲ再発セシメサルヘキ」旨の謝罪電報やパイロットの資格剥奪などもあり、事件は一応収拾された」(平間[2000]、97??98頁)。



 当時は、日本海軍の南洋諸島への進出、日米と自治領オーストラリアの露骨な拡張主義、「白豪主義」に代表される人種差別などの背景もありますが、この事件自体は偶発的なものであったようです。これを現代にあてはめるのは、時代背景があまりにも異なるため、無理がありますが、他国の軍隊の共同作戦は、常に偶発的なよい出来事もあれば悪い出来事もあるという平凡な事実を確認しておきます。ここから教訓を導くことは危険ですが、同盟国やそれに準ずる国との共同作戦は常日頃から行っておくことが、不幸な事故の生じる確率を大幅に下げることは忘れてはならないと思います。第一次世界大戦では、攻守同盟にまで発展した日英同盟ですら、ふだんの共同演習を欠いた状態では混乱に満ちていることをよく示していると思います。



 他方で、伊吹の武士道的行為は、意図せざる結果とはいえ、究極の事態における「評判」の大切さを実感させます。今回、とり上げた二つのエピソードは、けっして日英同盟や英米豪との関係には決定的な役割を果たしたとはいえないでしょう。ただし、私たちがこのような先人の努力を知っておくことは、戦前のこの国を知るうえでも、将来の日米同盟を考える上でも何がしかの補助線になると考えます。



 やや先走りますが、日本が、ヨーロッパ戦線に陸軍を派兵しても、ヨーロッパ戦局を決定づけるような力はなかったでしょう。また、イギリスや他の協商国もそこまでの貢献を期待していたとは思えません。しかし、戦後とは比べものにならないほど、国際政治に影響力を有していた戦前の日本が、口実は同盟の「情誼」でもよいからアングロ諸国との協調という立場から、英米とともに戦うという姿勢を口だけでなく、行動で示したならばと惜しまれます。仮に行動の動機が打算であっても、結果として感情がついてくることは少なくありません。道のりは遠いのですが、後にヨーロッパ派兵をめぐる国内世論の混乱を鑑みると、戦後民主主義がこの問題を解決していないし、解決するにはまだ時間がかかるのかもしれないという感覚をもちます。



(追記) 下線部を原著にしたがって訂正いたしました(2006年6月29日)

2006年06月27日

情けは人のためならず

 私が頭を悩ませる言葉に「情けは人のためならず」という表現があります。非情になれという意味ではなく、情けをかけることがけっきょくめぐりめぐって自分のためになるのだから、他人に情けをかけなさいという意味なのですが、これが実に難しい。現代風に言えば、「開明的な自己利益」ということでしょうが、これは容易ではありません。



 たとえば、台湾海峡の問題を論じるときに、台湾の独立が日本の安全にとって致命的(最悪の事態に至った場合でも、それに対応すべきでしょうが)だから、台湾の独立を支持するというのが私の立場です。しかし、本人が打算に基づいて行動していても、結果としてそれが利己心からだけでは説明がつかないように見える事態は国際関係においても少なくなく、利己心にのみもとづく説明にはいつも疑問が表明されます。



 ぐっちーさんが、「おおやけ」の「論理」で福井総裁の辞任を主張するときも、複雑な感覚を覚えます。利己心を離れたところに、あるいは利己を超越したところに「公」なるものが存在するのか。異なる利己の総体とは別に「公」が存在するのか。私自身が、明確には理解できない部分があります。



 もっと抽象化してしまうと、利己的な行動は利他的な感情を生むのかもしれません。お世辞にも倫理的な人間ではない私には、倫理というのは感情の体系であり、それが仮に独自のロジックで存在するかのように見えても、結局、利己心から生じた行動の体系であると見えてしまいます。他方で、人間は打算の機械であると同時に、感情の動物でもあるというのが真相なのかもしれません。



 書き始めてから、私の手に負えない問題であることに気がついたので、中途半端なところで考えを打ち切りますが、「情け」というのは利己心からのみ説明ができるのか、それとは独立しているのか。日常から安全保障までふと自分の頭に穴が開いていることを実感したしだいです。



(追記)



 われながら、できの悪い記事です。わざわざ文章を追加している時点で、アウトなのですが、2006年6月21日の「タシクさんとの出会い」を読み返すと、胸が疼いてしまいます。外交に関してこれだけ論じていながら、行動となると全く現実主義的ではない自分がいることに気がつきます。彼が、一心に私の名刺に"John Tkacik"と記入している姿、小泉総理への感謝を私が日本人であるという自覚をもつように促すように述べる姿、私の拙い英語を聞き取りながら真剣に言葉を選んでいる姿、すべてが脳裏に焼きついてしまいました。「日米共同で」と言うときに、私自身は、日本人としての打算が当然入っています。しかし、気がつくと、感情移入をしている自分に気がついてしまう。冷徹などという姿勢からほど遠い凡夫であることをあらためて自覚いたします。私の小賢しい理屈など、ちょっとした体験で脆くも崩れてしまうものです。



 くどいようですが、私は親米派を名乗るつもりは毛頭ありません。玉虫色でありたいのではなく、真剣にアメリカとの同盟を考え、行動している方々に御迷惑をかけることだけは避けたい。私自身は、思考においては打算と感情をわけているつもりでした。行動においては、そのようなことがなんの意味もなさないことをあらためて痛感したしだいです。日米同盟について語るときには「寝言」スタンスそのものには変化がないかもしれませんが、行動するときにそのようなスタンスはまったく意味がない。せいぜい、多少、感情の起伏を抑えるのに少しは役立つぐらいでしょう。考えているとき、私は死んでいる。行動するときには、生きている。生きているときに打算と感情のバランスを適切にとれるのだろうか。



 私が今日、くたばろうが日米関係にはなんの影響もありません。無視できるという程度ではなく、ゼロです。しかしながら、鄙びたブログとはいえども、読んでいただいてる方には私は自分が理解した真実を語りたいという意欲があります。あらためて自分の精神の背後にあるものを堅牢にしてゆかなければならない。些か、自意識過剰かとは思いますが、そのように感じております。もっとも、それ以前に英語力の貧困さに愕然とします。いかにも、小人のやることですが、あらためて英語の勉強をやり直すところから始めているのが現状でありまして、恥ずかしい限りです(2006年6月28日)。

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2006年06月26日

最後は体力勝負

 陸上、それも長距離をやっていた人間からすると、何事も最後は体力勝負です。長距離などという普通の人が嫌がることをやっていると、「マ○」疑惑(「○」に何を入れるかでお読み頂いている方の人生経験を自己診断していただければ幸いです)をかけられることもありますが、本人は楽しんでやっています。当然、競技ですから、タイムもさることながら、勝ちたい。できれば、テープを最初に切りたい。もちろん、実力的にはベストコンディションで300人ぐらいの参加者で20番以内にぎりぎり滑り込むのが限界でしたが。



 個人競技と団体競技、競技ごとの特性でスポーツも一概に議論できませんが、最後は個々の体力勝負です。ジャファリー様のコメントへのリプライで申し上げましたが、神様ジーコと「逆神」である私の考えが一致するというのは、あってはならないし、偶然だと思いますが、オーストラリア戦、クロアチア戦を見ていると、明らかに体力不足です。気力と体力のどちらが大事かという議論は、鶏が先か卵が先かという問題に似ている部分もあります。私の経験では、レベルが上がるほど、体力が先です。ジーコ監督の退任会見を見て腹を立てた方も少なくないかと存じますが、ここまで率直に弱点を指摘してくれることは本当にありがたいと思います。



 ただし、体力が不足しているという指摘は、プロの選手相手には大変、失礼な話ではあります。なぜなら、プロ以前の問題だからです。才能だけでゆけるのはアマチュアのレベルです。プロともなれば、普段から体力を養うことに些かも油断なく配慮するのが当たり前です。実を申しますと、昨日の記事は、おそるおそるアップしました。日本代表には申し訳ないのですが、プロとして当たり前のことができていないと言っているのに等しいからです。他方で、彼らは文句なく、日本のアスリートの中でも、体力的にも運動能力的にも上位1%以内に入る人がほとんどでしょう。そこに問題の深刻さがあります。底辺で私みたいなデブが増えていることも、別の意味で深刻な問題ですが。



 才能だけでゆけるのはアマチュアと書くと、意外だと思われるかもしれませんが、嫌なことでも、辛いときでも、競技しなければならないのがプロです。アマチュアだったら、逃げられます。プロであれば、なにがしかの才能があるのが当たり前で問題は、楽しんでやれる範囲を越えて自分を鍛えてゆかなくてはならない。私みたいなダメ人間でも、今では見る影もなく太ってしまってもうだめですが、鍛えれば踏み台昇降でほとんど脈があがらない(高校当時で確か40拍/分レベルでした)状態までもってゆくことができます。プロの気力が要求されるのは、試合での集中力は当然で、それ以前の日常でプロ意識を忘れずにすごせているかどうかという一点に集中します。代表メンバーの私生活を問題にしたいわけではありません。気力が要求されるとしたら、試合以前の普段の備えにあるということが言いたいわけです。私が言っても説得力がまるでありませんが、ジーコ監督の言葉は、監督としては率直すぎる率直でびっくりしました。監督の言葉は厳しい指摘だと思いますが、ここからスタートしないと、次回はアジア予選突破も苦しいかもしれません。なんだかきついことばかり書いておりますが、とりあえず、ジーコ監督、日本代表メンバーの皆様、お疲れ様でした。次回は、ケネディが小さく見えるよう期待しております。体格はさすがにどうにもならないので、体力強化で相手を畳んでしまうことを期待いたしております。



 それにしても、サッカーからいろんな教訓を引き出したり、逆に他の競技(将棋まで引用される方もいらっしゃいますが)から教訓を導いたりする方が多くて閉口いたします。表現は悪いかもしれませんが、サッカーはあくまで競技です。やる方は真剣、見る方は楽しんだらいいんじゃないのと。ベッカムに萌える若い女性の方が、観戦する側としては水準が高いんじゃないのと軽く煽ってみるテスト。



 余計ですが、賃金が上昇、物価も同じ割合で増えれば、中国の国内市場が生産物市場、投入要素市場で完全競争市場で近似でき、なおかつ他の費用を無視すれば、産出量・投入量に変化がない場合、利潤も賃金水準(物価水準)と同じ割合で増えます。マクロ的にそのような状況が純粋に成立するのかどうかは疑問ですが、こんなこと、経済学を知らんでもわかるだろうと煽ってみる、再びテスト。



 それにしても、サッカーといい、中国経済の「脅威」と「脆弱性」といい、日本人というのは神経質な人が多いですな。私みたいに神経が一本どころか、何本も抜けていると、気楽なものです。度が過ぎて、土下座することもありますけどね。



え゛っ、お前が鈍感すぎる



 まあ、寝る子は育つといいますから、寝言は賢者様に任せて、私は寝ます。おやすみなさい。

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2006年06月25日

神々の黄昏 逆神編

(@時の最果て)



ハッシュ:zzz
ボッシュ:昔からよく寝ていたが、最近はひどいなあ。
ハッシュ:ふわあ。なんじゃ、また、おぬしか。
ボッシュ:…。これはこれは、たいそうなお出迎えで。
ハッシュ:そういえば、おぬし、ワシが寝ている間にココにこなんだか?
ボッシュ:あのデブへの伝言じゃ。あれほど言いつけたのに、あのデブが見るもんじゃから、ジパングは決勝トーナメントに進出できなんだ。
ハッシュ:あのデブにそんな力があるのか?
ボッシュ:「逆神」といってな、予想がことごとく外れる人たちがいるんじゃ。政治のM田、軍事のT岡、ぐっちーさんとやらのところでは経済ではS.ローチという人がまさに「神」の名にふさわしい。
ハッシュ:ほお?で、あのデブは?
ボッシュ:あのデブが応援したスポーツのチーム、選挙の候補者はことごとく負けているんじゃ。上の人たちとは意味が違うが、自分の意図と反した結果になるという点では「逆神」じゃな。
ハッシュ:だが、「逆神」が予測したところで現実には影響はあるまい?
ボッシュ:そこじゃ。「逆神」のすごいところは。普通の人は将来を予測して当たったり、外れたりするものじゃ。問題設定にもよるが、将来の6割もカバーできればよいほうじゃな。しかるに、「逆神」と呼ばれる人たちは、1割を切るんじゃ。他人のやることなど、わからないと考えた方が精神衛生にもよろしい。しかし、ここまで外すのは難しいものじゃ。
ハッシュ:逆に考えれば、「逆神」の予測を反対に読めば、9割程度は予測できるというわけか?
ボッシュ:その通りじゃ。これはすごいぞ。シェフによると、競馬とかいう賭け事で凄い人がいるらしい。馬を競走させて一番、速い馬や2番手、3番手を予想するんじゃが、全く当たらない人がいるそうじゃ。しかも、予想すること自体を商売にしているんじゃな。シェフによると、当たる予想以上に、エンターテイメントとして価値が高いとのことじゃ。
ハッシュ:…。
ボッシュ:あのデブが応援すると、ほとんどのチームは負ける。選挙でも負ける。これは、まさに「逆神」というにふさわしい。
ハッシュ:そうすると、あのデブが見なければ、ジパングのチームは勝っていたのかな?
ボッシュ:…。まともに考えてもらうと困るんじゃが、普通は関係ないだろうなあ。
ハッシュ:あのデブに聞いたんじゃが、自然相手には法則というものがあり、理論がきっちり確立しているそうじゃ。ミクロレベルなら、99%を超える。人間が相手となると、そうはゆかぬ。理論らしいものはあるそうだが、突っ込んでゆくと、対立する複数の見解が存在して検証しても、どちらが正しいとも言い切れないことが多い。検証の手続きに限界があったり、検証に必要なデータがなかったりする。自然相手でも、明日の天気にしても、10年後の地震にしても、ワシらの頃から1万年以上たっても、予測が難しい。もっと言ってしまうと、今起きていること、過去、起きたことについてすら、正確に理解しているのかどうか、怪しいものじゃ。
ボッシュ:…。そうすると、考えること自体が無駄ということか?
ハッシュ:よい質問じゃ。つまり、頭で理解できることには限界がある。考えても思い通りには行かないことの方が多いことが普通じゃ。そこで考えることをやめて御覧。事が起きるたびに右往左往するばかりじゃ。考えていていも、右往左往するだろうが、少しはマシになる。考えてまったくわからないのなら、考えること自体に意味がない。が、そうではないことが、むしろ問題を複雑にするんじゃ。中途半端にわかる。だから、みんな迷ってしまう。わからないことが問題ではない。むしろ、ある程度わかるから混乱するんじゃ。おぬしやあのデブの時代でも将来を完全に予想することなどできぬ。したがって、不完全ななかでベストをつくすしかない。ただし、考えるだけではダメじゃ。実際に行動をして自分の考えがおよぶ範囲を知ることが肝心じゃ。
ボッシュ:難しい話の途中で申し訳ないんじゃが、「逆神」はどう説明するんじゃ?
ハッシュ:よっぽど勘が悪い人たちじゃろ。普通はそこまで鈍くないから、ある意味、貴重かも知れぬ。
ボッシュ:…。あのデブは?
ハッシュ:あのデブに八つ当たりしておぬしの気分がすっきりするんなら、いいんじゃないか?
ボッシュ:…。話が難しい割に結論が当たり前の気がするんじゃが…。
ハッシュ:そんなもんじゃよ。当たり前のことを当たり前のこととして理解するだけでも意外と難しいんじゃ。
ボッシュ:いつも話をはぐらされている気がするんじゃが。まあ、よい。それにしても、店長はジパング以外の試合に夢中になっていて店のことがお留守になっているから、そろそろねじを巻こうかのお。
ハッシュ:ワシにはようわからんが、たまには羽をのばすことじゃ。勝負所で気を抜かぬように。
ボッシュ:…。おぬしにしては珍しい現実的な話じゃ。昔から、ボーっとしているようにしか見えなかったが…。まあ、よい。店のこともあるから、そろそろ戻るとするか。
ハッシュ:また、おいで。



 うーむ、もっとひどい目にあうかと思いましたが、意外な展開。時の賢者様は、まだ何かをいいたそうな気がしますが…。「現在は将来の影」という話とどう絡むのかが聞いてみたかった気もします。



 それにしても、『溜池通信』の上海馬券王先生の文章を拝読してちょっとびっくりですね。先週は、ゆっくり新聞を読む暇がなかったのですが、こんな社説が多いとは…。余計なお世話だと思いますが、サッカーというのは、陸上をやっていた人間からすると、本当にきついスポーツです。相手の出方しだいで急にダッシュしたり、突然止まったり、方向転換したりと下半身に相当の負担がかかる筈です。もちろん、ボールコントロールとか決定力も大切ですが、気力・精神力だけではダメです。集中力を維持するためには、基礎体力が決定的です。メディアもネットでもサッカー評論をよく見ますが、基礎体力と基礎運動能力が集中力や決定力を決めるのであって戦術論はまだしも、精神論を説いてもねえ…。まあ、これも「寝言」ではありますが。

2006年06月24日

「時の最果て」からの御礼

 ブログなるものを始めて気がついたら、4ヶ月と1週間が経過しました。累積アクセス数が4万2千弱で、零細ブログではありますが、思ったより多くの方にアクセスしていただき、心より感謝いたします。本音を申し上げますると、始めてから1ヶ月ぐらいは桁が一つ小さい状態を想定していたのですが。「5.25同時二発テロ」のおかげで瞬間最大風速を経験して心臓に悪かったのですが、最近は、平日で500、土日は300前後と安定しておりまして、ホッとしております。ちょっと恥ずかしいのですが、寝言道とは、他人事じゃないことを他人事のように語ることであると見つけたり。…いきなり外してしまいました。



 ブログを始めたきっかけは、直接にはやじゅんさんのお勧めです。もともと、戦後のこの国のことに関して「ある敗戦国の幸福な衰退史」という変なテーマで文章を書いてみたいと漠然とではありますが、考えておりました。基本的な問題設定や結論は、もう数年前に考えていて、いまでも変わっておりません。私が望んでいるのは、自分の文章を完成させることそのものよりも、現実の政治が先に進んで、こんなテーマで書くモチベーションを失ってしまうことです。もっとも、その場合にも、「歴史は繰り返す」ということをいろいろな角度から考えるという動機を失うことはないでしょうが。



 ブログで記事を書き始めて生活で最も大きな変化があったとすれば、かんべえ師匠にメールを送る回数が激減したことでしょうか。以前は、「不規則発言」を読んでは毎日、感想を送り、『溜池通信』を読んでは毎週のように感想を書いて送信させて頂いておりました。恋愛というのは、最初が楽しく、あとはその遺産をどう活用してゆくかで生き残るかどうかが決まるのではないかとひそかに(←ここ突っ込むところです)考えておりますが、最初の1年は毎日のようにご返信を頂いたのが、だんだんと返信を頂く回数が減り、まじめなことを書くと無視され、どうでもいいことを書くと、1ヶ月に2回程度、反応があるという状態でした。悲しいものです。別れ話を書こうとしているのではなく(←ここは突っ込むところではありませんよ)、人間関係というのも、恋愛になぞらえるといろいろとおかしさと苦味があることに気がついたしだいです。もちろん、今でも毎日、拝読しております(記事を御覧頂くと、微妙に痕跡があると思います)。



 もう一つの変化は、雪斎先生やじゅんさんさくらさんぐっちーさんのところで(いわゆる「闇の組織」)コメントを書く回数以上に、コメントの長さが短くなったことでしょうか。かんべえ師匠へのメールと同じことでありまして、私の少ない32MBというメモリーでゆくと、自分のブログの記事を書くのが精一杯になって長いコメントをするゆとりがなくなります。このブログを始めた最大の副産物の一つに、やじゅんさんは私と「ご同病」ではないかという疑惑がどうやら事実だと確認できたことがあります。「5.25同時二発テロ」時のコメントの分量を超える方は、おそらく現れることはないだろうと確信しております。やじゅんさんのコメントを引き出そうとしているのではなく(←ここは突っ込むべきところか悩ましいです)、からかっているわけでもなく(←ここは突っ込んでもなにもでません)、やはり病気というのは一人だけですと孤独感に襲われるものですが、もっとつらい思いをしている方がいらっしゃると思えば、自分の病気が苦しいなどと言ってはいられないことを実感いたします。



 また、トラックバックを送って頂いたカワセミさん珈琲さん門司港の魚住さんには心より感謝いたします。とりわけ、珈琲さんの「眠気が覚める鋭く長い寝言」(強調は引用者による)というご紹介には、われながら苦笑を禁じえません。コンパクトな記事を目指したいものですが…。この点に関しては「病気」ということでお許し頂けますと、幸いです。本当は子守唄のようなブログを目指したいのですが。音楽関係ではmitsuさんのブログは、守備範囲が非常に広くて、最近はバッハかそれ以前の音楽ばかり聴いている私には非常に刺激的です。IP電話に関するコメントは記事の内容の質を超えるもので、この点でも脱帽いたしました。皆様のところに、落ち着いたところでお邪魔させていただきます。



 ブログを書き始めてから気がついたのですが、ブログの「価値」というのは、記事もさることながら、コメントの質によるところが大きいと思います。開設当初からすると、多くの方から貴重なコメントを賜り、感謝いたします。コメントを頂いている方々の中でも、老眼様のコメントは、いつもポイントを突かれておられて、運営者が見えていない事実、あるいは読み筋をご指摘頂き、このブログの価値を高めていただいております。心より感謝させていただくとともに、今後も御指導を賜りますよう、お願い申し上げます。



 最後に、このブログの記事の大半は、岡崎大使の知見、著作、岡崎研究所HPに多くを負っております(余談ですが、『溜池通信』も岡崎研究所HPを通して知りました)。しかし、遺憾ながら、私自身の力量があまりに貧弱であるため、自分の分析によって新しい価値を付け加えるにはほど遠い状態です。実を申せば、私は「お国のため」とあからさまに口にだす方に拭いがたい不信感があります。戦前の帝国の崩壊も大きいと思いますが、私自身の美意識として、かりに「お国のため」と思っても、それは口にださずに実行することが大切だという感覚があるからです。ですが、やはり国家の大事のことを考えるときに、「お国のため」ということを臆面もなく主張できる方が不可欠であることを実感いたしました。私個人、そして、このブログにはほとんど影響力はありませんが、同世代でそのような知識・見識・胆識をもった方が育つことを心より願ってやみません。



 私みたいな人間と外交・安全保障というのは自分でも食い合わせのような気がいたしますが、この問題に関心をもつ理由は簡単に説明できます。第1に、国の安全は私の生活の基礎です。生活のことも国の安全も脅かされる前にそうならないようにするのが当たり前だと市井の人間は考えます。第2に、大きな問題ほど考える対象としておもしろいものはないという私の性癖です。第3に、考えることは対象から切り離すことはできませんが、岡崎大使が披露されている戦略論は、私の本業でも共通する部分が多いからです。考えるということは、行動するための補助に過ぎませんが、そのおまけの部分の方が楽しくなってしまうと病気です。私の最大の趣味は「考えること」なのですが、要は病気自慢であります。



 それにしても、「坂の上の雲」ということを実感できただけでも、私は幸運な人間なのかもしれません。翻ってみれば、一生かかっても返済できない借財をしてしまった気もいたしますが。私自身は、「ある敗戦国の幸福な衰退史」というお気楽なテーマで楽しみながら、利息の一部だけでも返済できればと思います。根っからの個人主義者である私が間違えるとしたら、うかつに義理人情に流されて利他的な動機で行動するときであるということを、三十数年の人生で学習しております。迂遠な道のりですし、自分勝手なことではありますが、生涯をかけて少しでも借財を返済することができればと存じます。



 ありゃま、軽い気持ちで書き始めたら、ずいぶんな分量になってしまいました。この病気は何とかしないと…。きっと日曜日には「罰ゲーム」もあるでしょうし。いつも長くてつまらないのですが、今回は、御礼を述べているうちに止まらなくなってしまいました。ふわあ、「寝言@時の最果て」は平和そのもので、運営者も記事を書きながら眠くなってまいりました。この記事をお読みいただくのは、けっして苦痛ではないと思いますが、少なくないお時間を費やされたことと存じます。要は、これが書きたかったのですが。こんな鄙びたブログを御覧頂いている方にお約束を捧げます。



ここは「時の最果て」、すべては「寝言」。



おやすみなさい。

posted by Hache at 22:47| Comment(10) | TrackBack(0) | ごあいさつ

2006年06月23日

台湾海峡情勢概論 クロー覚書の教訓

 わき道にそれましたが、台湾海峡全体の情勢を理解するには、岡崎先生が過去の著作でも幾度か言及されている、「クロー覚書」がもっともよいと思います。2006年8月13日の記事ではは、ニコルソンの『外交』から引用しましたが、今回は、長くなりますが、キッシンジャー『外交』(岡崎久彦監訳、日本経済新聞社、1996年、264−267頁)から引用いたします。

【引用開始】

 歴史学者の中には、三国協商は植民地に関する二つの取り決めが形を変えたもので、イギリスの真意は帝国の擁護にあり、ドイツを包囲することになかったと主張する者がいる。しかし、いわゆるクロー覚書と呼ばれる古典的な価値のある文書が存在しており、それは、イギリスが三国協商に参加した目的はドイツが世界の覇権に走る恐れを阻むことにあったことを、疑問をはさむ余地なく示している。一九〇七年一月一日に、イギリス外務省の優秀な分析家であったエーア・クロー卿は、なぜドイツとの妥協が不可能であり、またフランスとの協商が唯一の選択肢であったかについての彼の見解を示している。ビスマルクなき後のドイツに関する文書の中で、分析の水準の高さでは、このクロー覚書の右に出るものはない。対立は、戦略を持つ国と軍事力をむきだしにする国との間のものとなった。双方の実力の差に、はなはだしいへだたりがない限り――事実そういうへだたりはなかったが――戦略を持つ国のほうが有利であるとされた。それは、戦略を持つ国は行動計画を立てられるのに対し、むきだしの軍事力に頼る敵方はその都度その都度、決断を迫られるからであった。イギリスと、フランスとロシアそれぞれとの間に、種々の大きな相違があることは認めつつも、クローは、この両国とは妥協の余地があると論じた。なぜなら、両国の目的は明確に定義出来るものであり、したがって限定的であった。それに対して、ドイツの外交があれほどの脅威と感じられていたのは、遠く南アフリカやモロッコ、近東に至るまでの広大な地域に及ぶドイツのやむことのない挑戦の裏に、理論的な根拠を見いだしえなかったからである。これに加えて、ドイツの海軍国への躍進は、「大英帝国と両立しない」ものであった。

 クローによれば、ドイツの自制のない行動がほどなく対決をもたらすことは間違いのないことであった。「最強の軍事力と最強の海軍力が一つの国家の中に結合すれば、この悪夢からのがれようとして、世界が結束することを余儀なくせしめるであろう」。

 リアルポリティークの信条に忠実なクローは、安定を決定づけるのは、動機ではなく構造であるとした。ドイツについて言えば、その意向は無関係であり、その能力が問題であった。そこで彼は、次の二つの仮説を立てた。

 一つは、ドイツが明らかに全般的な政治上の覇権と海軍力の優勢を目的としており、これにより近隣諸国の独立と、ひいてはイギリスの存立を脅かしている、というのものである。もう一つは、ドイツにはこのような明確な野心はなく、国際社会での指導的勢力の一つとして、自己の正統的立場と影響力を示したいと考えて、外国との貿易を促進し、ドイツ文化の恩恵を世界に広めるとともに、国民の活動の範囲を広げ、平和的な方法で達成が可能な場合には、世界のいたるところで、いつでも,またいかなるところでも、ドイツの利益を新しく創造することを求めているだけだと見るものであった。
 しかし、クローはこのように区別をつけたところで、最終的には、ドイツが膨張しつつある自らの力に内在する誘惑に負けてしまうであろうから、区別は無意味であるとした。
 第二の図式(政府による支援を全く欠いているとまではいかないものの、半ば自立的な進展)はどの段階でも、いずれは第一の図式、すなわち十分に意識的な計画に吸収されうることは明らかである。さらに言えば、第二の進展の図式が実現をみた場合でも、これにより利を得たドイツの立場は、世界の諸国に対して、同じ立場を意図的≠ノ勝ち取った場合の脅威に匹敵する恐るべき脅威を与えるであろうことは、間違いない。

 クローの覚書が、現実には、ドイツに理解を示すことに反対する域を出なかったにしても、その意味するところは明白であった。もしもドイツが海洋での優位を獲得するという抱負を放棄せず、またその全世界的政策を控え目にしないならば、イギリスがそれに対抗するため、ロシアおよびフランスと結びつくことは確実であった。そしてその場合は、イギリスは前世紀(原文では"previous centuries"である:引用者)においてフランスおよびスペインの野望を打ち砕いたときと同じように不屈の精神をもって実行に移るであろう(引用に際して注はすべて省いた。また、太字による強調は引用者による)。

【引用終わり】

 ドイツを中国と置き換えれば、アジア諸国が直面している事態と多くの点で共通することが多いことにあらためて驚かされます。岡崎先生は、過去の複数の著作で冷戦後のアジア情勢を分析する際に19世紀のドイツ統一以後のヨーロッパ情勢を参考になるという見解を示されています。あらためて、キッシンジャーの分析を読むと、私たちが直面している事態はクロー覚書で分析されているドイツによるイギリスの覇権への挑戦と似ている側面が多いことに気がつかされます。

 第1に、ドイツの勃興は、1871年の統一から内在的な要因によって生じているという点です。もちろん、ビスマルクが去った後、ヴィルヘルム2世によって植民地獲得なども行っていますが、ドイツ興隆の最大の背景は、ドイツ国内のいわゆる「産業革命」あるいは経済成長でしょう。一国の経済成長は、経済の分野に限れば、互恵的な側面を持っているからです。問題は、クロー覚書で分析の対象となっているように、経済的発展そのものではなくてその果実をどのように配分するのかという点です。大切な点は、ドイツの意図がいかなるものであれ、軍備の拡張をともなう限り、イギリスの覇権、とりわけ海上覇権への挑戦となるということです。

 これは、現在、アジア諸国が直面している問題と酷似しています。中国の経済成長自体は、価値判断や批判の対象とはなりません。問題は、経済からえた力をどのように用いるのかという点にあります。現在の中国は、明らかに軍備を増強し、台湾海峡においては意図すら隠そうとしていないのが現状です。クロー卿のような仮定をおかずとも、19世紀末から20世紀にかけてのドイツとほぼ同一の存在であると考えて間違いがないでしょう。「台湾の戦略的価値」で強調されていた、中国による台湾併合はアメリカの覇権、そして台湾や東南アジア諸国の独立という意味での「バランス・オブ・パワー」に対する明白な挑戦です。

 第2に、スペイン、フランスなどの挑戦を退けたイギリスも、ドイツの挑戦には最終的な調停者とはなれなかったということです。第一次世界大戦の勝敗を決定づけたのは、アメリカの参戦でした。この点で、現在の日本は、当時の英国よりも明確な戦略をもつことができます。日米同盟が存在するからです。問題は、日本人が敗戦という犠牲の後にえた大きな「資産」を本気で活用するかどうかです。同じことばかり書いていて申し訳ありませんが、集団的自衛権の行使の問題は避けることができません。

 第3に、経済的相互依存は、かならずしも軍事的オプションを断念させる要因にはならないということです。ノーマン・エンジェルは、通商の利益が拡大している時代に軍事による勢力圏の拡大はもはや繁栄の基礎とはならないことを論じました(2006年2月28日の記事をご参照ください)。経済の視点に限れば、これは正当な主張かもしれません。しかし、国家、そして国際関係を分析する際にこれはあまりに互恵的な関係に重きを置きすぎた分析であるといわざるをえません。現に、エンジェルの主張に反してヨーロッパ諸国は二度の大戦を経験しました。中国も、現在の領土で満足すれば、今後、少なくとも、半世紀は繁栄するでしょう。しかし、そのような指摘は、おそらく台湾への野心を思い留まらせるのには的外れでしょう。中国の指導者が冷徹そのものであれば、そのような主張を表面的にはともかく、内心では冷笑することでしょう。

 中長期の問題を考える際に中国の脅威は増大する傾向にあるという現実が最も肝心です。当たり前のことかもしれませんが、そのような認識をもった上で、台湾海峡をはじめ、対中政策を考えることが肝心である。そのように考えたしだいです。

2006年06月22日

中台統一のための一策

 軽めの話題から入りましたが、台湾情勢は、非常に厳しい。このような会議に参加したことが初めてだからかもしれませんが、台湾の人たちの主張、とくに経済に関する主張は心情的には心に響くものがありますが、論理的には受け入れがたい部分があります。



 中国の「経済的脅威」とは具体的になんであるのかがわかりにくいですし、さらに中国の輸入のうち、中国の対外直接投資によって中国国内に入ってきている製品の分だけ過大評価しているというのは、そっくり輸出にもあてはまってしまいます。中国の対日輸出のうち、日系企業が中国に進出して本国に輸出している部分が相当あるでしょう。これを分離して統計をつくったとしてもあまり意味がないでしょう。



 もちろん、中国市場に過剰な幻想を抱き、参入するのは危険でしょう。中国特有のカントリー・リスクは台湾だけの問題ではないでしょう。また、本来なら日米台で最も重要な外交・安全保障での協力がPSIなど例外はありながらも、台湾が国際機関への加盟の道を閉ざされ、正式な国交が結べない現状では経済分野での協力に過度の期待が集中してしまうのも心情的にはそうだろうなあと思います。日米台FTAなどは壮大な構想だと思います。しかし、それが実現するまでに台湾は独立を保つことができるのだろうかなどと不謹慎なことを考えてしまいます。



 また、台湾情勢をめぐる議論を聞いていると、安全保障の論理と経済の論理は、こうも違うのかとあらためて思います。政治と経済が複合した問題として、中国に進出した台湾系の企業に対するハラスメントがあります。私自身はまるで望んでおりませんが、私が中国の指導者だったらという設定でこの問題を考えてみます。あくまで、芸のない「仮想戦記」ですので、この問題で「思いつめている」方の精神衛生にはよろしくありませんので、お読みにならない方がよろしいかと。



 まず、このようなハラスメントあるいはそれに類似する行為を厳禁します。逆に台湾系の企業を誘致して強引なぐらい台湾企業を優遇する特区をつくります。ただし、「独立」などという「不届き千万な」主張をしている民進党に協力的な企業は完全に排除します。できれば、合弁事業を奨励して台湾製の物品をブランド扱いして特別に販売する大型の小売店などをつくって党幹部に動員をかけて、「韓流ブーム」ならぬ「台流ブーム」を演出するのもよいかもしれません。別に実質的には台湾企業の製品でなくてもよくて、他の外資系を巻き込んで合弁で、できれば中国本土、無理なら台湾で生産して台湾企業のブランドで売ればよいわけです。メディアやブログも操作すると、けっこう楽しそうです。ちゃっかり目立たぬよう、「立派な」提言をしてくださった日本の経済同友会の会員企業を優遇して「小賢しい」関西経済同友会の会員企業にはやんわりとハラスメントをしておきましょう。



 次に台湾のメディアに工作員を送り込んで中国での台流ブームを「初めちょろちょろ、中ぱっぱ、赤子泣くまで蓋とるな」の伝で台湾のメディアで流してゆきます。ついでに日本企業の東南アジアや韓国での買春、「現地妻」残酷物語など突込みが難しいテーマでドラマをつくって「反日」ではなく、「嫌日」ぐらいのムードをつくるとなかなかよいお湯加減。さらに、尖閣諸島には中台の漁民を共同するようさらに奨励しましょう。この段階で「統一」、「一国二制度」という言葉は、海峡の両岸で完全に禁句にします。あくまで中国と台湾が対等であり、中国は日米などとは比較にならない親台湾国であることを印象付けるのがポイントです。ただし、国際機関への参加は、できるだけ表立たないよう、用心深く邪魔をします。



 2008年に国民党政権ができたら、次のステージです。まず、中台FTAを提案して最初は、台湾が飲めないような要求をしながら、ちょっとずつ譲歩するかのような姿勢をとって日米がぎゃあぎゃあ言い出す直前に一気に譲歩して妥結を目指しましょう。ここで大切なことは、実際は中国が主導権を握っていながら、台湾人が言い出したかのように思わせることです。もう一つのポイントは、FTAの前に中国本土に台湾系企業を取り込んでおいて、対台湾貿易で台湾側に大幅に輸出超過になるように操作しておくことです。たいていの人は、貿易黒字が生じるとその国との貿易で「利益」をえたかのように錯覚しますから、実際に得をするのが中国の消費者であっても、ガンガン台湾から輸入すればいいわけです。本土でうるさい連中は当然、「鎮圧」、「粛清」ですね。



 中台貿易で台湾が「利益」をえていると実感する頃には、経済成長率も高まって世論の大半が親中に流れているでしょうから、次に民進党にもおすそ分けをしてあげましょう。露骨に言えば、政権が交代しても、親中派が主流であればよいわけです。さらに本音を言えば、民進党が落ちれば、日米の「やっかいな連中」も韓国のように追い落とすことができます。国民党政権の間に民進党が弱るでしょうから、そのときこそがチャンスです。



  台湾海峡にあるミサイルもできるだけ尖閣諸島を標的とするものに代替してゆきましょう。可能であれば、尖閣諸島を標的に中台軍事演習まで踏み込みたいところですが、このあたりのタイミングは、台湾の世論の「熟度」によりますね。「反日」まで煽ることができていれば(ただし韓国未満で十分)、可でしょう。間違っても、沖縄は標的にしません。あくまで尖閣諸島の「不法占拠」が標的です。言いがかりは、どうとでもつくれば済む話。本気で武力行使することが目的ではなくて、日本の「脅威」から台湾を中国が守るかのような雰囲気ができればよいのですから。日本の戦闘機に対地攻撃能力がないなんてことは、日本人自身が知らないことですから、放っておけばよい。もったら、プロパガンダの最良の材料です。澎湖列島の台湾による支配は正統なものと認めてしまいましょう。どうせ、台湾が落ちればこちらのものですから。



 時間は、われわれを有利にする。大陸が島を飲み込んでしまうのではなくて、島が大陸につながりたくなるのを待てばよい。



 ここから中台統一にもってゆくには「一国二制度」という言葉を使わずに実質的に同じ話にもってゆけばよいのでしょうけど、ちょっと疲れました。台湾が独立を掲げると、手詰まりなのはよくわかります。ただ、現実の中国側の対応も、お世辞にも巧妙とはいえない部分が多いようにも思います。まあ、お遊びですが、将棋盤をぐるりと反対に回して考えてみましたけど、あんまり目新しいことはでてきませんでしたね。



 経済的相互依存の深化と政治的一体性は別のものだと思いますが、台湾海峡のように特殊な問題の場合、統一に対する心理的な抵抗を和らげる効果ぐらいはあるように思います。安全保障と経済のどちらが大切かという議論もおもしろいのですが、中国から中台FTAの提案があったらどうするのかなどというのは、ちょっとぶっとびすぎでしょうか。中国共産党、台湾経済について無知だからでしょうが、中国の排他的な行動以上に、一見、宥和的な政策を提示されたときの方が怖いように考えたしだいです。あくまで「思考実験」以上のものではありませんので、悪しからず。

2006年06月21日

タシクさんとの出会い

 かんべえ師匠に「どうせまた長い記事を書くんだろう?楽しみにしているから」と言われました。むかついたので、今日は短めに(レセプションでひたすらウーロン茶を飲んでいるかんべえ師匠を拝見しながら、なんと健気な方なんだろうと珍しく感心しました)。岡崎所長の基調講演について書き始めると長くなりますので、申し訳ありませんが、次回にいたします(爆撃がなくてホッとしました。冗談抜きで大量報復戦略には変更はありませんよ。フフン)。



 三極対話のオープン・セッションのすべてに参加してまいりました。「中国の経済発展とアジア・太平洋地域の安定のための協力」でジョン・タシク(ヘリテージ財団アジア研究所主任)さんが参加されていて、とにかく話が面白い。すっかりタシクファンになってしまいました。吉崎??阿久津論争も面白いのですが、こちらも、申し訳ありませんが、カットさせて頂きます。



 私は、自分でも不潔かつ有害であり、遅くとも40歳になる前にはやめたい習慣があるのですが、タシクさんも「ご同病」でありました。昼間なので、ホタルではありませんが、屋外で不潔な習慣を済ませるべく、会場からでてビルの外に出ると、タシクさんとばったり出会いました。情けないことに英会話も苦手な私は完全にドギマギしてしまいます。慌てて名刺をとりだして、自己紹介。驚いたことに、「なにか紙はありませんか?」と尋ねられてもう一枚、名刺を渡すと、連絡先を自筆で丁寧に書かれて恐縮してしまいました。



 挨拶が終わると、「中国、アジア経済で最も重要な問題はなんだろう?」とこられて、「中国の排他的な行動が、問題です」と答えました(われながら下手くそにもほどがありますが)。以下、私のリプライは英語では表現しきれなかったところも含まれいることをお断りいたします。



タシク:それを正すには、日本に何ができる?
:日本の立場は弱い。なぜなら、輸出が輸入を上回っている。アメリカは逆。貿易では買い手が強い。
タシク:でも、アメリカは貿易で弱っているよね。われわれの立場は、微妙なんだ。
:日米共同で行動するのがベストです。経済の面で日米共同がブレないためには、安全保障で同盟がちゃんと機能しないとダメ。イラクからの撤退は望ましくない。
タシク:あなたの言うことはよくわかる。でも、小泉総理のリーダーシップには本当に感謝している。
:そう言って頂けるのは本当にうれしい。でも、日本がイラクでもイランでも北朝鮮でもアメリカを本気で支えないと、話にならない。
タシク:あなたの言うことはわかるが、どうだろう?
:戦略とは単純。日本とアメリカは軍事でも経済でも補完関係にある。両国が共同で当たることが一番大切です。そのためには日本が直接、経済以外でやらなければならないことが山ほどある。
タシク:(下手くそな英語を理解するためか、やや間があって)あなたの考えがよくわかった。残念ながら次のセッションが始まっている。あとは、戻りながらお話しましょう。



 うまく表現できないのですが、たいていのアメリカ人はイギリス人と比べると、はるかに率直ですが、とりわけタシクさんは誠実な方だという印象を強くもちました。タシクさんは、私の名前を覚えてくれているかなあ…。それにしても「極悪」かんべえ師匠は、こんなよい方にこんなひどいこと(2005年12月2日)をなさるとは…。



 私は、親米派とか知米派を自称するつもりはありません。なぜなら、私のレベルがあまりに低いから。かんべえ師匠の話ではヘリテージですら、アジア関連では中国研究がほとんどのこと。そんな状況の中で日本を本当に大切だと考えてくれている人たちを男にしてあげなくてはと思いました。彼らの地位や役得とかそんな話ではなく、日本関係の仕事をやっていて心からよかったと思ってほしいのです。同盟の基礎は、国家間の利害関係の一致です。でも、それをサポートするのは、煎じ詰めれば、ヒトとヒトとの関係であることを実感しました。



 私にできることはあまりありませんが、せめて英語を必死に勉強して、もうちょっと(いや、格段に)マシにしないとダメですね。水準が低い志で恐縮ですが、痛感しました。シュライバーさんがタシクさんの悪癖を暴露し、タシクさんが私の悪癖を暴露するという「ドミノ現象」には参りましたが。こちらも、直さないと。でも、悪癖も意外な出会いを生むんだなあと感心しました。



えっ、言い訳するなって?



し、失礼しました。悪癖はやめます(弱気)。



(追記) 下線部を修正いたしました(2006年6月23日)。

2006年06月20日

高度な常識論としての戦略的思考

 岡崎久彦「台湾の戦略的価値」は、訳すのが楽しい論文です。内容は、物騒極まりないのですが。「戦略」という言葉が入った書物が書店にも多く並んでいますが、私にはこの論文のほうが魅力的です。ここで注意が必要なのは、第2節以降は、米国との戦争なしに台湾を併合するという、著者自身が極端だと考えているケースだということです。ただし、最近の情勢は、極端なケースが極端とは思えなくなりつつあるという意味で悩ましいです。



 遺憾ながら、私は戦略論には詳しくありません。ただ、戦略論には単純化が必要であり、場合によっては強い仮定をもちこまざるをえません。経営・経済分析で用いられているゲーム理論などは典型でしょう。まず、最も単純なケースとして、(1)ゲームの参加者すべてが合理的であることが参加者の共有知識になっている、(2)あるプレイヤーの戦略に対する他のプレイヤーの最適な反応が完全に予測できる、という強い前提をおいて分析することがあります。いわゆるナッシュ均衡は、きわめて強い前提に依存しており、これを用いて分析している人も、それが現実そのものであるとは考えていないでしょう。ただし、単純化を図っても、想定しうる事態が一つであるとは限らない。さらに、分析が進んでゆくでしょうが、複数の事態が生じ、どちらが蓋然性の高い事態であるのかが判断できないとなると、分析の手段としての魅力は薄れてしまいます。



 岡崎先生のアプローチは、非礼かもしれませんが、私たちが日常でも意識的に、あるいは無意識にやっている話を高度に意識化したものであるように思えます。ことの深刻さにもよりますが、私たちも日常生活で最悪の事態を想定してそうならないように手を打つ、あるいはそうなった場合に備える工夫をしているものです。この論稿のアプローチは、それをより高い次元で行っているにすぎないともいえましょう。



 端的にいえば、ここで想定されているのは中国の言い分が100%通った場合の話であり、台湾の併合と東南アジア諸国のフィンランド化が実現すれば、中国はアメリカの覇権への挑戦者の立場に立つということです。「米中衝突」や「米中冷戦」を議論する向きも多いのですが、本格的にかつてのソ連の立場に中国が立つには越えなければならないハードルは、非常に高い。現在の情勢では、ハードルが低くなる傾向にあります。「現状維持」では、もはや現状すら維持できない。軍事バランスも、中国が経済成長の果実を軍備に注ぎ込むことで中国に有利になりつつある。それでも、中国が越えなければならないハードルは、依然として高いでしょう。



 大切なことは、現在起きている種々な事柄にも配慮しつつ、長期的な展望を明確に認識することなのでしょう。これは、当たり前のことです。しかし、その当たり前のことがこの国では軽視される傾向にあります。訳がよくありませんが、「お勧めできるアプローチの一つは、極端なケースをまず想定して次により現実的な状況を想定することだ。直近のことがらから始めてしまうと、長期的な展望をもつことが困難になる」というのは、非常に大切な視点だと感じました。



 また、今日の台湾海峡の問題をつくったのはキッシンジャーの責任が大です。これには種々の批判がありますが、この論文を読むと、彼の失敗は、アジア情勢の入り組んだ利害関係を十分、分析することなしに対中戦略を立案し、政策として実行したことにつきると思います。ありきたりな話で恐縮ですが、遠大な戦略論も、的確な情勢判断、地域分析の裏づけがなければ、空理空論でしかありません。この点は、経営や経済でも同様であると考えておりますが、外交・安全保障を分析する際にあらためて、この高度なバランス感覚が不可欠であることを実感したしだいです。



(追記) 下線部を訂正いたしました(2006年6月21日)。