2006年10月22日

究極の隠居

(@時の最果て)

ハッシュ:zzz
ボッシュ:この光景を何度見たことか…。
ハッシュ:ふわあ、おぬしか。今日は何の用じゃ。
ボッシュ:…。究極の隠居じゃな。
ハッシュ:おぬしも、ジパングで幸せそうじゃないか。
ボッシュ:しかし、ここまで平和ではないぞ。例のアフロの将軍様とやらが油断ならぬし、客人も来る。おぬしと違ってうまいものを食わせなくてはならない。
ハッシュ:そういえば、最近は光の柱が増えたな。
ボッシュ:ほお…。言われてみれば、そんな気がするなあ。
ハッシュ:あまりよいことではないが。
ボッシュ:おぬしでも憂いがあるのかあ…。単なる御隠居にしか見えぬが。
ハッシュ:前にも言ったが、記憶がとんでいるものが来ると、ワシもお手上げなんじゃ。
ボッシュ:うーむ。おぬしがお手上げとはのお。
ハッシュ:まあ、考えても埒があかぬ。ところで、おぬしとあのデブは全く同じ時期のジパングにいるのじゃが、こうも違うのかと驚くな。
ボッシュ:あのデブは、どうせ暇じゃろ?ワシより気楽なんじゃないかな?
ハッシュ:そうでもないぞ。まあ、あのデブを見ていても、おぬしほど楽しくはないんじゃが。
ボッシュ:まあ、そうだろうな。
ハッシュ:ふだんは、ディスプレイとかいうものを見てしきりに文章を作っておる。頭が悪いゆえ、ぶつぶつ言いながら2時間かかって、本1頁程度だな。今日は、朝からネクタイとかいうもので首をくくってでかけっていったわい。
ボッシュ:…。まるで自殺したように聞こえるじゃないか。まあ、あのデブなりに忙しいというわけか。
ハッシュ:そういえば、あれはなんじゃ。トイレとかいうところで「覚悟して猛虎落地勢を使うとき」とかぶつぶつ言いながら、別の部屋に入って、まずは、膝を床につけて上体を何度も倒して「申し訳ありません」とか叫んでおった。
ボッシュ:…。それは察するに土下座じゃな。「猛虎落地勢」などと大袈裟な名前をつけおって。情けない姿じゃ。
ハッシュ:不思議なもんでのお。最初は、頭から湯気が昇りそうになっていた相手が、気が抜けたようにほうけた表情になってしまうんじゃ。あのデブの日常で一番、不思議な光景じゃな。あるいは、あのデブの唯一の芸じゃな。
ボッシュ:土下座が得意技とはのお。まあ、どうせ散々、他人様に迷惑ばかりをかけておるんじゃろ。それにしても、ここでおぬしと話をしていると、不思議と安心するのお。うっとおしい国がミサイルだの、核だの騒ぐし、店長もシェフもてんてこ舞いで、最近は昔のようにゆっくり話もできぬ。まあ、喜ばなくてはいかんのじゃが、ちと寂しいのお。
ハッシュ:しかし、おぬしは世界中を旅したり、訪ねてくる者も多いではないか。退屈ではないだろう?
ボッシュ:まあ、そうなんじゃが。ココへふらりとやってくると、不思議な安心感があってのお。なんじゃか、落ち着くんじゃ。
ハッシュ:まあ、ワシは仕事をしてカネをえる必要もないし、自分の好きなことだけを考えておればよいからなあ。おまけに、それを誰かに聞いてほしいという欲もないゆえ、騒ぎに巻き込まれることもない。ワシのことなど知っているものは、それほどおらぬが、それも平気だからなあ。
ボッシュ:だから、究極の隠居じゃ。ときどき、おぬしに憧れるときもある。言いにくいが、ワシには無理だとは思うんじゃがな。なんというのか、孤独感に耐えられそうにない。
ハッシュ:まあ、慣れなんじゃないかな。時の最果てに飛ばされたときは、ワシもしばらく茫然としていたものじゃ。今では、時の迷子の世話ぐらいで、あとは時についてばかり考えておる。
ボッシュ:…。ふと思ったんじゃが、おぬしとワシとどちらが幸せなんじゃろ?
ハッシュ:…。好みの問題といえばそうだし、他方でなるようにしかならぬからなあ…。ワシも、好きでココに来たわけではないからのお。
ボッシュ:ジールの頃が懐かしく思えたり、いろいろ思い出してしまう。ワシも、ジパングで余生を送るとは思いもしなかった。
ハッシュ:幼いとき、若いとき、仕事盛りのとき、老いたとき、それぞれ楽しみがあるものじゃ。人は、胎内から生まれ、土に帰る。そのわずかな期間になにをえたのかなど、儚いものじゃ。たいていは、生きていることに価値を見出せる者など数少ない。凡庸であろうと、そうでなかろうと、淡々と真剣に今を生きることが肝心じゃな。生きることが価値なのではない。価値は、生きてからついてくる。
ボッシュ:あのデブは、「猛虎落地勢」とやらを必死にやる時期というわけか。あんなつまらない者でも、やっていることは下らないが、それなりに必死に生きておるのお。あのデブが、なにかとてつもないことをやらかすようには見えないが、まあ、大した人物ではないことぐらいはわかっておるようじゃから、努力をすれば、報いもあるんじゃろう。
ハッシュ:ワシもおぬしも、似たようなものじゃ。「時の賢者ハッシュ」とか「命の賢者ボッシュ」とか呼ばれても、たいしたことはできなかった。あのデブとたいして変わらんよ。
ボッシュ:あのデブよりは、マシだとは思うが…。なんだか話し込んでしまったなあ。そろそろ、お暇しようかのお。
ハッシュ:また、おいで。

 …。時の賢者様には参りますね。猛虎落地勢を見切られていたとは…。「ワーキング・プア」ではありませんが、私どもの業界でも、業績は悪化する一方なのに仕事は増えるばかり。体調のせいもあるのですが、なんとなく徒労感を抱くことがあります。今日も、還暦を迎えた方に教えを御指導を賜りましたが、このような方まで私のような一兵卒がやるような仕事に召集される異常な事態です。修行時代が一番、楽しくて、現職となると、修行時代に蓄えたものをどれだけ具体化する時間をつくるかが勝負ですよと言われたこともありますが、今になって、身に沁みます。

 「究極の隠居」に私も憧れます。日常の瑣末なことに煩わせられることなく、老後は煩わされずに、古今東西の「考え」に触れながら、誰の目にも留まらなくもいいから、「寝言」を綴ってゆきたいと思うことがあります。こればっかりはどうなりますことやら。

2006年10月21日

運営者からの報告と御礼

 ブログなるものを始めて約8ヶ月、「さくらのブログ」に移転してから約2ヶ月が経過しました。データに連続性がないので信用はできませんが、アクセス数累計が14万、訪問者(のべ)が5万を超える状態になりました。実は、そんなことより嬉しいのは記事の数(242件)よりもコメント数(271件)が上回る状態になったことです。匿名性が高いがゆえに、ブログでも面倒なことが少なくないようですが、幸い、様々な方から、真摯なコメントを賜り、私自身が勉強させていただいております。

 もっとも、『寝言@時の最果て』という、いかにもちゃらんぽらんな臭いのする、タイトルのブログです。気楽に、「ここはおかしい」とか「他にもこうも考えられる」という指摘を賜れれば、幸いです。

 最近は、最初のポリシーに反して「なまもの」に関する記事ばかり増えてしまいました。複数の事情が重なってゆっくりと考えをまとめるゆとりがあまりなく、自分で読み返しても、@niftyの時よりも、記事の質が落ちているように思います。まあ、@nifty時の記事の質が特に高いわけではないのですが。気がつくと、安保環境を変動させかねない事件が起きて、それに引き摺られるように時事ネタが増えてしまいました。メディアを読んでもわからないと嘆いておりましたが、現状での政府の対応を副会長さんがきれいにまとめられています。12月ぐらいには落ち着く可能性が出てまいりましたので、「時の最果て」らしく過去・現在・未来の時間軸に囚われずに、自由に記事を書いてゆきたいと考えております。

 10月13日に物持ちのよさを含羞をこめて自慢いたしましたが、唯一の例外があります。それは、本でありまして、私の手元にある本のうち、本業で使うものを除くと、約1割程度はボロボロです。一番、ひどい目にあっているのが岡崎久彦『陸奥宗光』(PHP研究所(文庫版) 1990年)です。私事で恐縮ですが、25歳のときに人生で一番、つらい別れを経験して、それから3年ぐらい、おそらく人生の中でも手当たり次第になんでも読んでいた時期に出会った著作でした。クラシックを聴いて思わず涙がこぼれることは多々ありますが、この著作は本を読んで初めて泣く経験を味わいました。岡崎先生が筆をとられた本来の動機とは反するとは思いますが、頭だけでなく血で書かれた歴史書を読むうちに、「死処」を見失ってさまよっている自分がいることに気がつきました。あと、何年生きられるのかはわかりませんが、「ある敗戦国の衰退史」という「寝言」をなんとか書き終えることが、私の「死処」かなと思ったりします。世に出すつもりもなく、単なる自己満足ですが、この国の戦後がハッピーエンドで終わり、新しい希望の時代へ入ってゆくことを心から願ってやみません。

 末尾になりましたが、 『文語の苑』というちょっと私みたいな無教養なものには敷居が高いサイトを紹介させていただきます。以前、こちらのサイトを通して谷田貝常夫先生の御厚意で小冊子を二冊ほど送っていただきました。殺伐とした時代ではありますが、文語体の文章を味わうと、不思議なもので平静な気分になります。谷田貝先生には申し訳ないことではありますが、一冊目は予定より遅くなりましたが、ボロボロになってしまいました。それでも、自分で文語体の文章を書ける水準ではありませんが、私の下らない記事よりも、こちらのサイトを御覧頂ければ、幸いです。
posted by Hache at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ごあいさつ

2006年10月20日

甘く危険な誘惑との戦い

 体調がまたまた今ひとつなので、「有害図書」ならぬ「誘惑図書(含むDVD)」(木星人様、これ以上の誘惑はお許しを)はすべて封印して、あまり嬉しくない「お持ち帰り」のお仕事にとりかかったのですが、『朝日』のサイトを見ていたら、思わぬ落とし穴に。御丁寧に麻生外相の発言がどの委員会のどの質問者に対する発言かを記載してあるので、ネットの国会中継ライブラリーを見てしまいました。失礼ながら、共産党の質疑時間は民主党よりもはるかに短いので、最初から見てしまう。2006年10月18日外務委員会における笠井議員の質疑の7分ちょっとぐらいでしょうか。麻生外相の答弁で金正日に正確な情報が入っているのかどうか北朝鮮の軍部と外交部がどうも連絡がとれていないんじゃないか、などという観測の後に「日本の役所のほうがよっぽど横の連絡がとれてるんじゃないかと思うぐらい」という趣旨の発言をされていて、思わずキーボードがお茶まみれになりそうなところを辛うじてこらえることができました。しかるに、畳み掛けるように「これ、ホント、嫌味なんですけれども」と来て、「周辺事態」へ発展。ティッシュで緊急避難をして洗う羽目に。大御所のサイトへのリンクをクリックする以上に危険であることを忘れていました。学習能力の低さに恥じ入るばかりです。

 ただ、この嫌味、北に向けてのものでしょうが、性格が悪いせいか、霞ヶ関に向かって「北よりはずーっとマシだけど。わかってる?」とも聞こえてしまい、笑った後、怖いのおと思いました。まあ、他人事なのでちょっと意地の悪い笑いになっちゃうのですが。『朝日』が問題発言としてとり上げている部分は、あまり面白くない。アメリカが中国と交渉する際に日本の核武装という事態は嫌でしょという口実を与えるぐらいの意味はあるのかもしれませんが、核武装や核戦略論は、日本でも冷戦期にはあったわけで、日本で全く議論されていないというのはちょっといいすぎかなと思いました。冷戦で自由陣営が勝利し、アメリカの核が圧倒する中で、1990年代半ばぐらいから、下火になった印象があります。雪斎先生のところでM.N.生さんと雪斎先生が整理されていますが、こちらにも議論があるので、私自身がこの問題に関して付加価値を生む余地はありません。

 「正論」(『産経』)の坂元先生の主張は、概ね理解できるのですが、北の脅威に日本人が鈍感なのかといえば、それはちょっと違うという印象があります。最初のテポドン発射のときには、ちとヒステリー気味だった世論が、「瀬戸際」慣れしてきた部分も大きいのだろうと。メディアが、核武装の議論の是非とかあちらの世界にいっちゃっているので、議論の材料が少ない印象もあります。安保理決議もでているので、日本政府が具体的に何を行うかには関心がありますが、メディアが現実的な政策に関する問題と抽象的かつ長期的に生じうる問題をごちゃごちゃにして提示するので、この話題を考えようにも、頭が混乱するだけになってしまいます。国会での議論をすべて聞くのは、「業界人」でも苦痛でしょうから、せめて交通整理ぐらいして、自社、あるいは記者の意見を論理的に説得的に付け加えればよいと思うのですが、そういうメディアが見当たらないというのが現状だと思います。

 日本の世論が「瀬戸際」慣れしてきたというのは私の「寝言」ですが、最初のテポドン実験、あるいは最初の核開発危機よりも世論が冷静になるというのは、金正日にとっては辛いだろうと。逆にいえば、政府が淡々と国連に持ち込んで北を締め上げるには絶好の環境ともいえるわけでして、楽観的すぎると怒る方もいらっしゃるかもしれませんが、『朝日』の論調を見ていると、日米同盟の双務性を高める議論には反論が難しくなって、「核武装」をとり上げるぐらいしか、商売道具がなくなっている印象があります。世論といっても、人の数だけ意見がありますし、口にださない人が意見がないとはいえないわけで、私だって「世論はこうだ」などと決め付けることはできません。ただ、今回の事態に際して、北の核を除去するという目的に、どれだけ日米共同で当たれるのか、法の改正や運用・解釈の変更がどの程度、目的の実現に貢献するのかをきちんと説明すれば、圧倒的多数とまではゆかなくても、ことがことだけに、アレルギーを起こす方は少ないと思います。

 昨日、"Dr. Strangelove"を見ていて、字幕に暗号が17,000通りとあって気になったのですが、26^3=17,576通りじゃないのかなあ…。あの時代にこんな映画の撮影に協力する米軍も凄いなあと思います。それにしても、冒頭のB52が空中給油をしているシーンとBGMが妙にマッチしてついうっとりします。空中給油機がもっとほしいなあ…。

 …。「封印」が解けかねないですし、「寝言」も度がすぎてまいりましたので、仕事します。
posted by Hache at 15:56| Comment(4) | TrackBack(0) | ふまじめな寝言

2006年10月19日

Doomsday Machine

 木星人様御紹介の『鹿洲公案』はおもしろいですね。最初の15頁を読んだだけで、これはまずいとばかりに「封印」しましたが、ついつい読んでしまいます。誘惑に弱いなあ。おまけに、かなり前に上海馬券王先生の『永田町WINS』を再読しながら、プロローグのサブタイトルにつられてアマゾンで"Dr. Strangelove"を注文したら、届いてしまい、誘惑に負けて気がついたら、全部、見てしまいました。アレクセサイ駐米ソ連大使の"doomsday gap"に思わず、笑いが止まらない。現実には笑えない「格差」ですが、なんだか滑稽な感じがします。「格差論」もこれぐらい笑える話にしたら、もう少し、真面目に考えようかという気になるのですが。核抑止というのは、まじめにやる悪い冗談というのは「寝言」の範囲を超えてしまいますが。

notice

 It is the stated position of the end of time that its silly talk or "negoto" would prevent the occurence of such events as are depicted in this article. Futher more, it should be noted that none of the characters portrayed in this article are meant to represent any real persons living or dead.

 外相までですか…。今は行政府どうしの関係でもっているからよいのですが、欧米メディアで報じられて各国の世論にどんな影響をおよぼすのでしょう。今はブッシュ政権だからよいのですが、後のことはなにも考えていらっしゃらないようで。ひそかに"Doomsday Machine"を完成していたというオチなら、離れ業ではありますが。総理ともどもライスさんとデートの機会を増やすというオチなら、これは日本人離れした発想。それにしても、紛れをつくらないほうが、いいんじゃないですかね。過疎ブログなので大丈夫だと思うのですが、たかが北の核。バカにしているわけではありませんが、ここまでやるかねという気がします。もっとも、麻生外相の存在そのものが"Doomsday Machine"というのは「寝言」を超越してますか。

 なんだか、アナーキーな話になってまいりました。記事は不真面目ですが、仕事はいたって生真面目なので、そろそろ寝ます。寝る前に「寝言」を言うなと怒られそうですが、おやすみなさい。

【追記】

 とかなんとか言いながら、つい気になって国会中継を再生したら、なんだ、麻生外相、お得意の技ですか。雑ですが、「核武装論議をやりたい方は御自由にどうぞ。政府はやりませんけどね」ってな感じですね。意地の悪いおじさんだなあ…(小沢さんの相手が麻生さんじゃなくてよかったわね。党首討論中に発作起こしたら、しゃれにならんよ。安倍総理もそのうち染まってきたら…)。わざとじゃないでしょうが、安倍−塩崎−久間「ライン」がきっちり議論を抑えて、麻生外相が変化球を投げて野党が釣られているだけかあ…。それにしても、相変わらず、どこかの新聞は「言論封殺」という妄想にかられるのがお好きなようで。「言論封殺」が本当にされていたら、こんな新聞、「発禁」ですがな。小泉訪朝前にも散々、妨害しようという意図がミエミエの記事ばかり載せていましたね。自分の意見を批判されると、「言論封殺」だの「弾圧」だのとのたまうのは、「右」も「左」も同じだなあと思いますね。ぐだぐだ書いておりますが、悔しい。

 ちっ、また麻生外相に釣られちまったぜ。

(2006年10月20日にタイトルを訂正し、お知らせ(notice)と追記を追加しました)。
posted by Hache at 23:58| Comment(2) | TrackBack(0) | ふまじめな寝言

2006年10月18日

「時の最果て」の彼方からの「寝言」

 中川発言に便乗してか、核武装してアメリカにもの申すべきかのごとき、コラムをこの事態の下で平気で掲載している新聞がある。読むだけで不快になる。核武装してアメリカにもの申すならば、アメリカの核は中露だけでなく、日本にも向かう可能性があることをどう考えるのか。人間ならば、誰でも同じような失敗を繰り返す。国も失敗する。しかし、このレベルの失敗を二度、繰り返せば、日本という国は歴史上、存在したということになることを忘れていただきたくない。現に今、目の前でアメリカに楯突いて、収拾が付かなくなりつつある国を見ているのにもかかわらず、このような言論が堂々と新聞の一面に出ること自体が、言論が「封殺」されているどころか、言論の自由が最大限、保障されているがために、たるんでいるようにしか見えない。

 「核の傘」の信頼性をまさに政府レベルで確認しあったところに、このような議論が生じること自体が「平和ボケ」の象徴としか言いようがない。日米同盟の双務性を高めることが、この国の安全と繁栄を確実にする。「右」が攻撃する「左」は、極論すれば、自国を裸の状態にすることが安全であるかのような主張をしてきた。このような議論は、顧みるに値しない。しかるに、その「左」を攻撃する「右」の議論も、チンピラ並みの議論でしかない。「平和ボケ」をしているのは「左」だけでなく、「右」の方がひどいのかもしれない。「警官」に唾を吐きかける程度の「勇気」が男らしいというのは笑止千万である。今、騒ぎの元になっている国と大して変わらない。人並み程度に愛国心はあるが、チンピラレベルの「勇気」がもてはやされる国になれば、この国を去るまで。二度と人が住めない島が点々となったところでなんの感傷も抱かないだろう。

 日米同盟は成功しすぎた。この国の安全が同盟、露骨にいえば、米軍の抑止力に依存していることを忘れさせてしまうぐらいに。歴代の政権(小泉政権も含めて)は、不作為を重ねきた。他方で、肝心の同盟を脅かすような行為も、不作為の結果としては問題があったかもしれないが、積極的に起こしたことはない。安倍総理には期待しているが、すべては期待していない。現行の事態の下で最大限、動かせる変数を政権は動かそうと必死に努力しているように見える。最悪の事態を想定して、個別・集団の区別なく自衛権を最大限、行使できる環境を整えることが望ましい。しかし、政治に限らず、人の世では6割も話が実現すれば十分で、実際には思い通りにならないことが多い。論は易く、行うは難し。最近は、安倍総理に左右の「幻想」を打ち砕いていただきたいと思う。それでも、「右」は「変節」、「左」は「相変わらずタカ」と攻撃をやめないだろうが。

 どこからか、「寝言」が聞こえてまいりました。なんなんでしょう。気温が上昇すると、体調を崩すようで、どうも調子がよろしくないようです。なんだか、疲れがたまっているようですね。ちょっと早いですが、おやすみなさい。

2006年10月17日

「政治化」の時代

 やじゅんさんがお腹回りを気にされているということを拝見して、衝撃を覚えました(お仲間がまた一人などという不謹慎なことは考えませんでしたが)。私はピラティスで、無駄かつ最後の抵抗をしておりますが。最近、サボっていたので、インストラクターに嫌味を言われてしまいました(たまには優しくしてほしいなあ)。人間というのは最悪の状況でも慣れてしまい、生きてゆけてしまうものです。お腹がでているのを見ても、なんとも思わなくなってしまいつつある自分は、やはり凡夫であると痛感しました。

 昨日は仕事が思うように進まないし、ネットもあまり面白くないので、テレビをつけたら、「TVタックル」とかいう番組がやっていました。あ〜あ、役所の中の人、大変だわねと思いつつ、見ているうちに眠くなってうたた寝をしてしまいました。目が覚めてテレビを消して、ふと、思ったのですが、現代の社会ではありとあらゆるところに広い意味での政治(立法・行政・司法全体)が浸透していて、一面においてなんと息苦しい社会なんだろうと思いました。この記事を書きながら、コーヒーを飲んでおりますが、コーヒーを入れる水一つでも、行政がなくては手に入りません。背後には水源の確保、浄水、事業所や家庭までの配水など行政が存在しなくては、蛇口をひねって水を出すことさえできません。きな臭い話ですが、水道事業を民営化しても、水質に関する規制や水源の割り当てなどで行政の関与が不可欠でしょう。

 お昼を外にでて食べてきましたが、店主さんがぼやいていました。最近、路上駐車の取締りが厳しくなったため、お客さんが減っているとのこと。「路駐自体が悪いのはわかるんですが、ほんと参りますよ」とのこと。お店の人には失礼千万ですが、どうでもいい話ではあるのですが、こんなところにも、行政が影響を与えています。

 気がつくと、経済、あるいはもっと漠然と日常生活自体が、直接的には行政、もっと意識しないレベルでは行政機関が執行する際の根拠となる法を制定する立法、私人間の争いや法の違反を調整する司法なしでは成立しない状態です。テレビでは格差がどうたらこうたらとやっていたような記憶がありますが、こんなことにまで政治はなにをしているんだとなる時代です。おまけに、うざったい人が騒ぎを起こして、支持率が上がる安部総理(減俸30%)はともかく、麻生外相や久間防衛庁長官(減俸10%)以下、関係省庁は仕事が増え、お情け程度に残業手当はでるんでしょうが、たまらんでしょうなあ。お役所の擁護をすることが目的ではなくて、「小さな政府」というスローガンと反して、内政では法の支配と民主主義が徹底するほど仕事が増え、外政でも、政府の対応にいちゃもんをつける人が絶えず、政府の仕事は増えるばかり。一体、どうなっているんだろうと思います。

 トクヴィルは、『旧体制と大革命』で革命の前後でも官僚制が連続して残り、むしろ官僚機構が肥大化したと指摘していたと記憶しております(手元に本が見当たらないので、記憶違いかもしれません)。トクヴィルの関心は、封建特権が廃止されたことが、その理想にもかかわらず、むしろ社会の安定性を損なう側面があることにあったと記憶しております。トクヴィルの関心と私の関心は、異なるかもしれませんが、法の支配や民主制は、「政治」によるふだんの意識的な調整が他の政体以上に要求される政治システムだという「寝言」がふと頭に浮かびます。「政治化」というのは、その善悪是非をおいて、不可避的な現象なのかもしれないという「寝言」も。

 ああ、それにしても、やじゅんさんのところでコメントのタイトルを「ディープインパクト」と書こうとして恥ずかしくてやめた自分の小心さが情けないです。この数年で、競馬を知らない人にも名前を知られた馬があるのでしょうか。美しい歌を拝見しつつ、ギャンブルという娯楽ですら、政治がかかわらざるをえない「政治化」を実感します。
posted by Hache at 21:13| Comment(6) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言

2006年10月16日

「政治と経済の間」への寄り道

 「時の最果て」らしく、ずれた話をしたいところですが、ちょっとだけ北朝鮮がらみの話。北朝鮮相手の抑止力としては、日米同盟が実質的に双務的な同盟になることが前提ですが、通常戦力による抑止で十分であって、核抑止は過剰防衛であると素人的には見えます。まあ、議論だけだそうですので、政府の要職にある方の発言でなければ、大した問題ではないのですが。議論だから、核武装をしないほうが費用対効果からしないという結論になるといえばそうかもしれないのですが。党三役がこのような発言をすることは、現状で最低限、やるべきことに関する議論を紛れさせかねないという意味で批判的です。

 さて、本題ですが、「政治と経済の間」。「政治と経済の関係、あるいは無関係」が本題とはなれた記事ばかりになってきたので、本筋に戻します。今回は、基本的なことを確認するにとどめます。経済学者というのは、いかれた「外道」の目から見ても、変わった方たちであります。「市場経済では経済主体間の関係は、基本的に互恵的である」ということを示すのに、ああも面倒な議論をするというのは、なんと粘着質であることか。例外も少なくないわけでありまして、こちらは「市場の失敗」。しかしながら、長期ではやはり互恵的な関係が支配的です。

 他方で、市場経済が成立するためには、強制力をもった主体が財産権を適切に設定することが不可欠になります。知的財産権などという、法学畑の方も頭が痛くなる(まともな方ほど歯切れが悪い印象があります。スパッとこうだと言い切る方も必要なのでしょうが、複雑な問題ではそうはゆかないのはまともだと思います)話を考えなくても、泥棒を取り締まる国家権力がなければ、市場は崩壊します。市場が機能しない外部性の場合にも、政府が規制を行う、あるいは市場を適切なルールによって整備することで、問題を解決するまでに行かないにしても、問題を緩和することはできます。排出権取引の問題は、まだまだ未解決の問題が多いと思いますが、国家間の協調で市場をつくりだすことによって、問題を解決しようとする野心的な試みでしょう。

 さらに、小難しい前提が必要ですが、市場では誰かが意識的に調節しなくても、モノやサービス、カネ、そして情報までもが参加者がそれなりに満足する状態を実現してしまいます。古典的には「見えざる手」ということになりますが、平たくいえば、全体のことなど考慮しない「個人の利益」の追求が「社会全体の利益」につながるというわけで、ちょっときれいすぎる印象もありますが、言われてみれば、そんなものかもしれないとも思います。証明はアホみたいに面倒ですが、実験で検証が進んでいるので、自然科学でいう法則ほど厳密ではないかもしれませんが、人間相手の話としてはかなりよい精度で確からしいようです。

 このような発想で政治が議論できるのかといえば、さすがに強気にはなれません。以前、別の記事で書いたかもしれませんが、いかれた「外道」には民主主義というのは、「独裁者」を決定する、既存、あるいは過去に存在したものも含めて、よりマシな政治制度だと映ります。いわゆる「絶対王政」ですら、トクヴィルが洞察したように、民衆の存在を無視するわけにはゆかず、一見、集権的に見える政治体制も分権的な要素をもたざるをえない。アホみたいですが、統治する以上、被統治者がいるわけでして、統治される側の方が数が多い以上、当たり前といえば、当たり前。素人の「寝言」ですが、政治体制における分権的な要素と集権的な要素を切り離すことは不可能であり、より分権的な政治体制、より集権的な政治体制という以上の強い結論が導くことができるのかどうか、疑問に思います。

 これも素人的な見方ですが、現代の政治学では、個々の政策に関しては批判をしても、より分権的な社会、あるいは民主主義体制を肯定する方が支配的であるように見えます。私もこれには共感します。他方で、分権と集権のバランスの問題は難しく、私自身が勉強不足なだけかもしれませんが、この問題にこれという解がみられない気もいたします。あくまで民主主義を前提とした話ですが。はっきりと解がないという証明、あるいは説明も、見当たらないですし、緩やかな形で証明することすら難しいように思います。経済の世界も多次元ではありますが、最後は、えいやと金銭単位で一次元の問題に還元してしまうことができます。政治の世界で、そこまで乱暴なことができるのかどうか。さすがに、いかれた「外道」でも、これはどっちなんでしょうねえというのが正直なところであります。

 ただ、分権的な社会もゆきすぎれば、失敗します。古代のアテネでトゥキュディデスは、失敗に悩むことを止めて、プロセスを記述することに徹したのではないかと感じることがあります。分権的な社会は、ひとつ間違えると、なにも意思決定ができないというあやうさを秘めています。戦前のこの国の「失敗」は民主主義の失敗の一類型に過ぎないという「仮説」(あるいは「寝言」)が、このブログ、あるいは騒ぎの元です。この問題をゆっくり考える時間がとれない日々が続きそうなのですが、どこかで、いつもこの問題が頭の片隅にあります。

 そうそう、「歴史解釈」の見直しとか、喧しい、野心的なことをする気はまるでありませんよ。「民主主義の失敗」として戦前を見たら、どんな風景になるんだろうという素人、もとい「外道」の寝言です。

2006年10月15日

不毛な北朝鮮問答

(@時の最果て)

ハッシュ:zzz
ボッシュ:先週、あんなおっかないことを言っていた御仁は居眠りかあ…。
ハッシュ:ふわあ。なんじゃ、おぬしか。
ボッシュ:…。拍子が抜けるわい。
ハッシュ:ほお?
ボッシュ:おぬし、時の賢者ではないか?北朝鮮の動向ぐらい、予測できんのか?
ハッシュ:き・た・ちょうせん?
ボッシュ:…。ワシとしたことが、とんだミスだったのお。こんなところでボーっとしている御仁に尋ねるのが、無粋じゃった。すまぬ。
ハッシュ:その北朝鮮とやらがどうかしたのかね?
ボッシュ:…。おぬし、とぼけているのか?
ハッシュ:ワシは、いつも真剣に生きておるぞ。
ボッシュ:…。そういう意味じゃなくって…。はあ。北朝鮮の核実験のことじゃ。どうやら、ほぼ不発だったらしいが、国連安保理決議が採択されて北朝鮮はこれから締め上げられるようじゃ。ただ、制裁を受けた北朝鮮が暴発するかもしれないと恐れる人もいるし、逆に制裁などしても効果がないと恐れている人もいる。ジパングの人からすれば、拉致被害者を全員、戻すこと、核開発やミサイルを放棄すること、その他の挑発行為をやめることなどが理想じゃ。しかるに、すべてを実現しようとすると、最悪の場合、戦争をするしかない。まあ、現実には、こちらから手の出しようがないんじゃが。ジパングの言い分を通そうと思うと、北朝鮮の体制が崩壊するぐらいの変化が必要なんじゃが、制裁だけで実現できるかどうか、見極めが難しい。というわけで制裁でどこまでジパングの言い分が通りそうかでいろいろ議論があるんじゃが、悲観的な見方が多いというわけじゃ。
ハッシュ:ワシの手に負えそうにない問題じゃが。まず、一つ尋ねたい。ジパングにとって北朝鮮がどうなるかは、ジパングが生き残るのに決定的な問題なのか?
ボッシュ:…。あまり考えていなかったなあ。核爆弾というのは、うっかりトーキョーのど真ん中に落ちると、何百万人と死ぬかも知れぬ兵器をじゃ。現在はとてもじゃないが使える状態ではないな。しかし、使えるようになったら、しゃれにならんな。さらに、他の危ない連中に売りかねぬ。人攫いの問題も解決しておらぬ。
ハッシュ:命の賢者よ。おぬしにそのようなことを尋ねたのではない。ジパングの言い分が通らなかったら、ジパングは滅ぶのかね?
ボッシュ:…。
ハッシュ:それでは、もう少し問題を簡単にしよう。ほれ、なんじゃ、あのアポロの頭じゃったかな。
ボッシュ:アポロじゃなくてアフロ。
ハッシュ:おお、それじゃ。あの男がさらった人を返すから、核をもたせろといってきたら、どうするんじゃ?
ボッシュ:これだから、時の最果てなんぞにいる御仁はボケるんじゃ。そんなことは現実にはあるまい。
ハッシュ:おぬし、なにも見えていないのお。そんなことがありえないことは、ワシも承知じゃ。ジパングの言い分が全部通るのかね。もし、どれかしか通らないとしたら、どうするんじゃ?
ボッシュ:うーむ、状況次第じゃな。
ハッシュ:それでは答えにならぬ。どれを優先するんじゃ?
ボッシュ:…。正直に言おう。ワシにはわからぬ。
ハッシュ:おぬしを責めようとしたわけではない。あのデブも、この問題に関してはとぼけておるんじゃ。まあ、問わなければ、それが答えだからのお。ただな、ジパングの言い分が通らなかったら、ジパングが滅ぶのか。おぬしは、よそ者ゆえ、そこまで突き詰める必要はないが、あのデブはジパングの者だから、この程度のことは考えなくてはのお。まあ、答えられないなら、黙っておるのが、芸はないが、利巧じゃな。
ボッシュ:ふう。遊びにきたのに、なんだかワシがいじめられた気分になったわい。おや、『功名が辻』を見れなかったぞ。今日は仲間ちゃんに会えなかったじゃないか。ああ、腹が立つ。もう帰るね。
ハッシュ:…。訳のわからないことを言って逃げてしまった。まあ、ちと、やりすぎたかのお。また、おいで。

ピ・ピ・ピ…

ふしゅう〜〜

コメント不能。


 ということで終わらせたいのですが、さすがにこれは。時の賢者様も時々暴走されますね。命の賢者様もかわいそう(余計ですが、私は『功名が辻』を見ておりましたが)。私も、さすがに、この問題に答えるほど、「思いつめる」状態ではないのですが。まあ、月末まで仕事のことで頭がいっぱいなので問題先送りというところでしょうか。利巧な方が議論して答えをお出しになるんでしょう。中川政調会長は、どうなんでしょう。安倍総理は、「優等生」かもしれませんが、総理としては当然、非核三原則の堅持、核武装の意図の否定は、これぐらい明言する方がよいと思います。集団的自衛権どころか個別的自衛権すら事実上、封印されている状態で核武装ですか…。原則論としては理解できますが、メディアに致されるタイプじゃないかと不安になりますね(公明党の新代表も危なっかしいなあ)。麻生外相は、さすがとしか言いようがありませんが。不謹慎ですが、金正日に頑張って頂くと、麻生外相が見れるのでありがたいのですが、外相の出演が少ないほど、平和なわけで悩ましいところ。

 それにしても、今は北朝鮮の問題に政治的に集中すること自体は当然なのですが、台湾海峡は手薄になりそうですねえ。金正日と胡錦濤とどちらが怖いのでしょう。素人には北の核より中国の核の方がはるかに脅威で、日本が騒げば騒ぐほど、中国が得をするゲームになっているような気もします。メディアが報じているように中国が苦しい立場になったというのがまともな見方なんでしょうが、いかれた「外道」には、事態を長引かせて台湾海峡の問題が小さくなれば、胡錦濤は、後継者の問題はありますが、仕事が楽になるんじゃないかな。ま、これは素人の浅知恵、もとい「寝言」。

業務連絡(2006年10月15日)

トラックバックを送っていただいている方々には、心より感謝いたします。申し上げにくいのですが、ブログ名、もしくはサイト名がURLですと、さくらのブログが用意しているテンプレートの仕様が悪いのか、スタイルが崩れてしまいます。これまでにも、何度か同じ現象が生じておりますので、やむをえず、削除、もしくはトラックバック自体を受け付けない状態にしております。ご不快に思われた方がいらっしゃるかもしれませんが、上記の理由のため、やむをない措置と御理解ください。

 それにしても、過疎地なのに、迷惑トラックバックが一日に何件も来るのはなんでだろう。ぶつぶつ。この1ヶ月ぐらい、多いときは「迷惑」トラバ10件近くくるので、ちと面倒になっております。操作ミスをしているかもしれませんので、その際には、御一報ください。

 「迷惑」かどうかの判断は、かなり恣意的ではありますが、基本的な基準としては、(1)送信元IPのデータが特定できること、(2)「公序良俗」(主として露骨な性的表現)に反しないこと、(3)記事の内容に関連していること、(4)明らかに営利目的と思われるサイトではないことなどです。さくらのブログに移ってから、(4)のところで私の目から見てどうもなあというトラックバックが増えました。営利目的でサイトを雲煙されること自体は私の関知するところではありませんが、基本的に個人的趣味でやっているので、あまりその種のサイトとはかかわりたくないというのが理由です。記事と関係なく、無差別にトラックバックを発信しているように見えるトラックバックは、こちらも遠慮なく削除させていただいております。

 なお、トラックバック規制をすりぬけて直ちに反映してしまう場合もあります。自宅でのみ、管理画面にアクセスしておりますので、削除が遅れることがあります。慣れている方が多いと思いますので、大丈夫かと存じますが、なかには悪質なサイトからのトラックバックが含まれていることがあります。どうでもいい「寝言」を読みにきてくださる方は貴重でありまして、私もできうる限り、数少ない読者の方に御迷惑をおかけしないよう、努力いたしますが、トラックバック先をクリックする際には、一応、御用心ください。

 失礼な話ではありますが、大御所の場合、別の御用心を。コーヒーや紅茶を片手にされているときにはキーボードにカバーを被せてから、クリックされることをお勧めいたします。
posted by Hache at 00:14| Comment(2) | TrackBack(0) | ごあいさつ

2006年10月14日

竜虎激突 笑うのは戦士?

 ふわあ。ルーターを取り替えて、ついで電話も替えてコンタクトも交換。コンタクトは致命的でありまして、裸眼で0.1を切る私には、メガネでの矯正が辛い。昨日は船酔い状態でしたが、今日は気分爽快であります。おかげで、アフロの将軍様とか40代後半の中年男性の、聞かされるほうが恥ずかしい「痴話喧嘩」など、どうでもいいけど気が重くなる話はすべて忘れることができ、ホッと致します。

 北海道日本ハムファイターズの優勝おめでとうございます。ふだん、プロ野球自体、見ない私が申し上げるのもなんですが、北海道に本拠を移して3年目(間違っているかもしれません)で結果がでるというのは、縁なき衆生でも、気分がよくなります。あと、ホークスファンには怒られそうですが、シーズンを通して成果をだしたチームが日本シリーズにでるというのは、ホッとします。プレーオフで盛り上がるのかもしれませんが、シーズン成績はなんだったのという気分になることも多く、パリーグのことには不案内ですが、どんでん返しばかりというのも、かえって興を殺ぐと思っておりました。

 念押しですが、上海馬券王先生とかんべえ師匠の一件については、なにも知らず、周囲に言われてそういえば、最近、更新がないなあと思ってドラゴンズ優勝に絡めて書いただけです。まあ、想像するに、上海馬券王先生が秋の第一作で気合を入れて書きつつ、嫌味を書いたら、忙しいかんべえ師匠がカチンと来て、リジェクト。おそらく、最初は競馬のことを考える余裕がないことが多いのでしょう。これでつい、上海馬券王先生が熱くなってしまって毒舌がきつくなり、かんべえ師匠が野球のことで段々、腹が立ってくる。段々と双方の譲歩する余地がなくなり、売り言葉に買い言葉になる。昔ながらのことでしょう。まあ、どう処理するかは私の知ったことではないので、お気に召すまま、といったところでしょうか。

 「安全保障の世界は『概念』で議論する。経済の世界は『実態』で判断する」。このような表現は、書き手が思い上がっていることを端的に示しています。人間のやることを概念で把握しようとしても、どうしても、そこからはみ出る部分がでてしまう。実際には、自然が相手であっても、やはりはみ出てしまう。ただし、はみ出る部分が自然科学では、分野によって濃淡はありますが、非常に小さいので、その成果がわかりやすい。経済の「実態」といっても、統計データは基本的には平均的な傾向を、「現場」の声は個別的で、なにをもって「実態」と呼ぶのかは簡単なことではありません。前者だけでは、例外が多すぎるし、後者だけでは一般性がない。両者を兼ねれば、「実態」といえるのかというと、ことはそれほど甘くない。アマチュアリズム自体は大切なことですが、思い上がりは人間を愚鈍にします。

 私はお世辞にも謙虚な人間ではありませんが、頭の中が空っぽに近いという自覚はあります。真剣にものを考えるときには私を空しくするしかない。もっといえば、私に死んでもらう。実際には、私を少しだけ抑えるのがやっとです。そうしないと、新しいものなど生まれこない。知った上で忘れる。日本での対北朝鮮政策がつまらないのは自明ではありませんか。拉致問題という、日本人の心の琴線に触れる問題があるために、プロ筋がものを言いにくい。私抜きの現実など、死なない限り、どこにもないという、ふだん、当たり前すぎて意識しない、しかし、無意識のままでは、何も見えなくなるということを意識しながら、事柄に当たることを忘れると、周囲がバカに見えるかもしれませんが、失礼ながら、御当人はご自身が考えているほど、ものが見えていないものです。

 いろいろ勉強になった一週間でした。日本シリーズを見る時間をとれそうにないのが、遺憾ではありますが。竜虎が激突し、笑うのは戦士でしょうか?
posted by Hache at 23:57| Comment(0) | TrackBack(1) | 不幸せな寝言