2006年10月12日

祝! 中日ドラゴンズ優勝

 あの「チ○、○ブ、○○」(最後の部分は、江畑さんが民放にでない理由を知ってから、いっさい口にださないことにいたしました。数年前、さる方からこころないメールを頂いたときに、心が痛みました。空耳でしょうか、「こんな風に、この問題を考えているとどんどん性格が悪くなりますね」との御託宣が聞こえたような気がいたしまするが、核開発のせいではないんじゃないかなと。これは本物の「寝言」)の三拍子が揃った人物に振り回されるのも、面倒になってきたので、芸能スポーツ欄をネットで見ていたら、10日に中日が優勝したとのこと。さらに、ウィキペディアで球団の説明を読んでいたら、優勝した試合が対巨人戦で視聴率が取れないために優勝決定試合が地上波で放送されないという前代未聞の事態。

 どうせ、あのおっさんのせいでしょう。ますます、腹が立ちます。浜松に遊びに行ったときに、旧友のおかげで元ファンの血が騒ぎましたが、野球中継を見るほどこらえしょうがなく、下柳に完封された試合を後半だけ見たのが唯一なので、えらそうなことは言えないのですが。薄情なかんべえ師匠は、間違っても「祝! 中日ドラゴンズ優勝!!」などと書かれないでしょうから、勝手ながら私めが、ドラゴンズ優勝をお祝いいたします。

 といっても、このような鄙びたブログをかの高名な上海馬券王先生が御覧になるはずもなく、空しい気はいたしますが。私は競馬はさっぱりわからないのですが、昨年の菊花賞における大作(PDFファイルですので、クリックする際には御注意を)を競馬のわかる若い衆に見せたら、「これは限りなく神の領域ですよ」と感嘆していました。なおかつ、2005年10月30日の「三連単神社の祟り」を見せたら、即座に神認定。最近、『溜池通信』に降臨されないのが寂しい限りでございますが、現役ドラゴンズファンの偉大な上海馬券王先生に捧げる「祝! 中日ドラゴンズ優勝」の散文詩と参りましょう。

 強引ですが、「兇悪」シリーズ第5作です。つーか、あのドラマと何の関係があるんだろう(遠い目)。

【兇悪の野球帽】

(@母上の実家の玄関(名古屋市内某所))

私:おじいちゃん、こんにちは。
祖父:…。

(祖父が私の頭部を見ながら徐々に怒っているのを察する)

私:お、おじいちゃん。な、なにか?
祖父:け、けしからん!
私:(事態が飲み込めず)…。
母上:…。
祖父:けしからん!!この子は碌な大人にならんぞ。
私:へ?
母上:(茫然)…。
祖父:○子、お前がそうしたのか?
母上:い、いきなり、な、なんですか?
祖父:この子に人としてやってはならないことをお前はした。
私:…。
母上:…。
祖父:なんだ、その帽子は。
私・母上:(まさに目が点になって)はぁ!?
祖父:巨人の帽子などかぶっていては、碌でもない人間にしかならんぞ!!
私・母上:…。…。…。
祖父:いいか、お前たち。すぐに準備をしなさい。

@松○屋)

祖父:うーむ、この子は思ったより、頭周りが大きいなあ。
私:これ、きついよお。
祖父:これでどうだ?
私:ああ、これなら、ぴったり。
祖父:そうか、そうか。よい子じゃ。
父上・母上:(呆れている)…。
祖父:ほら、鏡を御覧。
私:はい。
祖父:よく似合う。男前だ。
私:(「男前」の意味がわからないまま)はい。
祖父:この帽子を被って、立派な男に育つんだぞ。
父上・母上:…。
私:はい。
祖父:(目を細めて)いい子じゃ、いい子じゃ。いいか、お前は、ドラゴンズファンとして名古屋の男に育つのだ。二度と、あのような帽子をかぶってはだめだぞ。
私:はい。
祖父:本当にいい子じゃ。ほら、お前たちも声をかけないか。
父上・母上:そ、そうですね。よ、よかったわね。
祖父:これで、用件は終わりじゃ。さあ、帰って応援じゃ。

 まずは、言い訳ですが、私の周囲で巨人ファンはよい方ばかりです。名古屋という「偉大な田舎」の話ですので、マジレスはお許しを。阪神ファンは…。いやあ、これまた素晴らしい方ばかりです(な、なによ、その間は。すんません、「食べるか、○なことをするか、どっちかにしなさい!!」と叫びたくなる方が思い浮かんだので…)。

 祖母の話ばかりしていると祖父が寂しがりそうなので、祖父の思い出です。祖父が他界したのは、私が8歳の頃。祖母の死の2年後に後を追うように亡くなりました。祖母の死後は、気が抜けたように別人になってしまい、子供心にも辛い姿しか記憶がありません。祖父は堅物そのもので、母上によると、お世辞を言ってもまったく受け付けず(むしろ、相手を信用しなくなってしまう)、心情を吐露するようなことはまずなく、カネにも細かい典型的な名古屋人だったそうです(父方の実家はあまりに遠方で行ったことすらなく、母方ばかりの話になりますが)。唯一、祖父が感情をあらわにした懐かしい思い出です。

 この話は、記憶に曖昧な部分があるので、脚色が入っていると思いますが、確か、幼稚園に通っていた時期だったはずで4歳前後のときだったと思います。弟が生後6ヶ月ぐらいのはずなのですが、どうしていたのかは記憶がありません。子供時代を思い起こすと、最初の記憶が2歳になるかならないかぐらいに建築中の団地(3歳のときに名古屋市内から引っ越しました)がモノクロで残っている程度なので、記憶力が元々、悪い方なのだろうと思います。妙なものでシンメトリックなものが子供の頃から好きで、三菱のマークがとても好きでした(車の中で窓ガラスが曇っているとすぐに三菱のマークを書いて母上が苦笑していたことを思い出します)。3歳ぐらいのときは、三菱のマークとか、星型とか、線対称かつ点対称な図形ばかりを書いていて、幼稚園の先生から変な子あつかいされていた記憶があります。

 本題に戻りますと、祖父が変な人物だと思われそうですが、大正生まれで戦前の商業高校を卒業後、電力会社に勤務。経理畑一本で定年まで勤め上げたそうです。昔の中流(やや下でしょうか)の家庭そのままです。普段は、寡黙そのもので、祖母とは対照的に躾にとても厳しかったので、私も祖父の前ではおとなしくしておりました。祖父が亡くなる半年ぐらい前でしょうか、弟と一緒に祖父からカステラを頂いて食べていたのですが、私はまったくこぼさずに食べていて怒られず、弟はボロボロこぼして怒られてばかり。弟は、当時、4歳なのでやむをえないのですが、何度、怒られても菓子を祖父の前でボロボロこぼしてしまうので一緒にいて将来、大変かもと思いました。

 父上は、玄関先で私が怒鳴られているのを聞いたのを耳にして、いつの間にか外へ逃げ出していました。10月7日で64歳になりましたが、やばいときの逃げ足の速さは相変わらずです。『らんま1/2』を読むと、早乙女玄馬とついイメージがだぶるのですが、年をとっても、白髪が多いだけで髪はふさふさ。母上もそうなのですが、父上の髪の量は異常でありまして、今でも分け目すら見えないぐらいです。子孫を残すことはもはや無理でしょうが、せめてこの一線だけは、血を分けてもらったものとして守ろうと固い決意をしております。

 それにしても、これがドラゴンズ・ファンとなる始まりとは…。中京地区でも、地上波での放送は巨人戦が多く、当時の私は王さんの大ファンでした。以来、ドラゴンズファンとして生まれ変わった筈なのですが(祖父には内緒で王選手だけは応援しておりました)、最近はプロ野球そのものに興味がなく、ドラゴンズが嫌いになったわけではありませんが、応援が騒がしく、あれを3時間前後も見るのはつらいものがあります。てな訳で、軟弱な元ファンではありますが、遅まきながら、ドラゴンズの優勝を心よりお祝い申し上げまする。

 実を申しますと、北朝鮮ネタを書くと、アクセス数が気持悪いぐらい増えるので、もう勘弁というのが本音ではありますが。ページビューで2,000を超えると、「時の『最果て』」の名が泣きまする。

 …。いま、嘘をつきました。正直に申し上げますると、あのおっさんのことを考えるのに飽きました。休む間もない、政府・与党、関係省庁の方々には心より激励させていただきます。まだ、書きたい人はどうぞ、というのが正直なところ。

 今年は、お墓参りをさぼってしまいました。私事で恐縮ですが、この場で「宿題」を果たします。

 おじいちゃんが愛したドラゴンズがまた優勝したよ。阪神も強くなったんだ。おじいちゃんの頃には想像できなかったかもしれないけれど。阪神が頑張ったおかげでドラゴンズはさらに強くなって優勝できたんだ。巨人が弱くなっちゃったのは寂しかったけど。おじいちゃんから、天知監督や杉下茂、権藤博のことを聞きたかったなあ。いますぐは無理だけど、いつかそんな話を聞かせてね。お母さんもお墓に毎年来ているから、寂しくないかもしれないけれど、今年は本当にごめんなさい。来年は必ずお盆にゆくから、ドラゴンズの活躍を教えてあげるね。

 今、変な国がおかしなことばかりやってるんだ。でも、心配しないで。お墓は絶対に守るから。国を守るというのは、市井にいると、実感が沸かないけれど、お墓を守ることは絶対に譲らない。それが国を守ると言うことに繋がるのかもしれないけれど。おじいちゃんが、子供の頃に話していた空襲の話を今でも覚えているよ。あんなことは、絶対にさせない。おばあちゃんが、期待してくれていたほど、立派な大人ににはなれなかった。ごめんね。大したことはできないけれど、おじいちゃんとおばあちゃんが安心して眠れるように、やるべきことはやるから。頼りないかもしれないけれど、見守っていてね。
posted by Hache at 01:55| Comment(9) | TrackBack(5) | ふまじめな寝言