2006年10月17日

「政治化」の時代

 やじゅんさんがお腹回りを気にされているということを拝見して、衝撃を覚えました(お仲間がまた一人などという不謹慎なことは考えませんでしたが)。私はピラティスで、無駄かつ最後の抵抗をしておりますが。最近、サボっていたので、インストラクターに嫌味を言われてしまいました(たまには優しくしてほしいなあ)。人間というのは最悪の状況でも慣れてしまい、生きてゆけてしまうものです。お腹がでているのを見ても、なんとも思わなくなってしまいつつある自分は、やはり凡夫であると痛感しました。

 昨日は仕事が思うように進まないし、ネットもあまり面白くないので、テレビをつけたら、「TVタックル」とかいう番組がやっていました。あ〜あ、役所の中の人、大変だわねと思いつつ、見ているうちに眠くなってうたた寝をしてしまいました。目が覚めてテレビを消して、ふと、思ったのですが、現代の社会ではありとあらゆるところに広い意味での政治(立法・行政・司法全体)が浸透していて、一面においてなんと息苦しい社会なんだろうと思いました。この記事を書きながら、コーヒーを飲んでおりますが、コーヒーを入れる水一つでも、行政がなくては手に入りません。背後には水源の確保、浄水、事業所や家庭までの配水など行政が存在しなくては、蛇口をひねって水を出すことさえできません。きな臭い話ですが、水道事業を民営化しても、水質に関する規制や水源の割り当てなどで行政の関与が不可欠でしょう。

 お昼を外にでて食べてきましたが、店主さんがぼやいていました。最近、路上駐車の取締りが厳しくなったため、お客さんが減っているとのこと。「路駐自体が悪いのはわかるんですが、ほんと参りますよ」とのこと。お店の人には失礼千万ですが、どうでもいい話ではあるのですが、こんなところにも、行政が影響を与えています。

 気がつくと、経済、あるいはもっと漠然と日常生活自体が、直接的には行政、もっと意識しないレベルでは行政機関が執行する際の根拠となる法を制定する立法、私人間の争いや法の違反を調整する司法なしでは成立しない状態です。テレビでは格差がどうたらこうたらとやっていたような記憶がありますが、こんなことにまで政治はなにをしているんだとなる時代です。おまけに、うざったい人が騒ぎを起こして、支持率が上がる安部総理(減俸30%)はともかく、麻生外相や久間防衛庁長官(減俸10%)以下、関係省庁は仕事が増え、お情け程度に残業手当はでるんでしょうが、たまらんでしょうなあ。お役所の擁護をすることが目的ではなくて、「小さな政府」というスローガンと反して、内政では法の支配と民主主義が徹底するほど仕事が増え、外政でも、政府の対応にいちゃもんをつける人が絶えず、政府の仕事は増えるばかり。一体、どうなっているんだろうと思います。

 トクヴィルは、『旧体制と大革命』で革命の前後でも官僚制が連続して残り、むしろ官僚機構が肥大化したと指摘していたと記憶しております(手元に本が見当たらないので、記憶違いかもしれません)。トクヴィルの関心は、封建特権が廃止されたことが、その理想にもかかわらず、むしろ社会の安定性を損なう側面があることにあったと記憶しております。トクヴィルの関心と私の関心は、異なるかもしれませんが、法の支配や民主制は、「政治」によるふだんの意識的な調整が他の政体以上に要求される政治システムだという「寝言」がふと頭に浮かびます。「政治化」というのは、その善悪是非をおいて、不可避的な現象なのかもしれないという「寝言」も。

 ああ、それにしても、やじゅんさんのところでコメントのタイトルを「ディープインパクト」と書こうとして恥ずかしくてやめた自分の小心さが情けないです。この数年で、競馬を知らない人にも名前を知られた馬があるのでしょうか。美しい歌を拝見しつつ、ギャンブルという娯楽ですら、政治がかかわらざるをえない「政治化」を実感します。
posted by Hache at 21:13| Comment(6) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言