2006年11月30日

ご、極悪!!

 『溜池通信』500万アクセスの翌日の「不規則発言」がかんべえ節全開でなかなかいいなあと思っていたら、2006年11月29日の「不規則発言」で例によって「国家機密」を漏らしてしまう。まるで安倍総理がとっても悪い人みたいじゃありませんか。雪斎先生さくらさん副会長さんがとってもいい人に思えてしまいます(実を申しますと、かんべえ師匠のおかげで、いい人までがひょっとすると底意地の悪い人ではないかと疑ってしまうようになってしまいましたが)。「時の最果て」という鄙びたところにも意地があります。「寝言」全開で「かんべえ 極悪」キャンペーンとまいりましょう。もっとも、「不規則発言」で「自白」されているわけですから、キャンペーンをする必要はないのですが。しかし、誤解をされている方はけっして皆無ではないでしょう。あの記事を読んで、安倍総理がとっても底意地の悪い人と誤解した方に、それは書き手の問題であることを示さずにいられません。

 長島昭久さんの『翔ぶが如く』からの無断引用です(支障がございましたら、削除いたしますので御連絡を頂ければ幸いです)。お詫びに、ある場でかんべえ師匠とS先生が長島先生の「ネガキャン」を私に吹き込んでいたことをそっと「通報」しておきます。まあ、同窓会の途中で帰っちゃう人の悪口をいうレベルなので、あまりお気になさらないよう(って、こんな過疎ブログを読んでいらっしゃるわけがないので、無意味なんですが)。個人的には、民主党が外交・安全保障で自民党とコンセンサスを築くなら、この方しかいないと勝手ではありますが、思い込んでおります。 

 「とくに、イラク戦争の終わり方に米国民は大きな関心を寄せている。吉崎さんのたとえ話が面白い。これまでのブッシュ政権のイラク政策は、午前0時を回ってハコテン3回も食らってるのに、『朝までやって取り返すぞ!』と息巻いてるに等しい。これに対して、民主党左派の即時撤退論は、『俺は負けたから帰る!』と終電も過ぎたのに雀荘を飛び出して行くに似る。来月発表される予定のベーカー委員会(イラク研究グループ、ISG)の報告書は、まさしく中庸の現実路線で、『そこそこで終わらせるので、あと半チャン2回我慢してね』というものだそうだ」(長島昭久『翔ぶが如く』2006年11月22日)。

 イラクの民主化のために米兵やイラクの人たちが大勢、犠牲になっているにもかかわらず、この喩えですよ。善良な市民ならば、イラクの民主化という大義に共感を示しつつも、その代償の大きさを嘆かずにはいられないわけです。しかるに、「ハコテン3回」などという不届きな喩えがでてくる。ああ、師と仰いだ方の極悪ぶり(もはや「」は不要でしょう)にやんぬるかなと嘆かずにはいられません。

【ワンポイント解説】
 最近の若い人は麻雀のルールを知らない人もいるので、念のため、簡単に解説をすると、4人(3人もあり)で持ち点2万5千点(これは1000点単位で異なることもあります)からゲームを始めます。4人のうち1人が「親」となり、残りの3人が「子」となります。「親」は最初から14枚の牌をとってきて、最初に牌を捨てる権利をもち、また、点数計算も「子」と異なってきます。「ハコテン」とは当初の持ち点をすべて失ってしまう状態を指します。
 「子」があがると「親」が反時計回りに移動して4人が親を一巡すると、一つの「場」が終了します。最初の場を「東場」とよび、「南場」、「西場」、「北場」と四つの場をすべて行うのが「一荘戦」、「東場」と「南場」のみを行うのが「半荘戦」です。「半荘戦」(半チャン)を何回か行うことが多いです。なお、一つの場で誰か一人でもハコテンになったときに場が終了することもありますし、そのまま場を続行することもあります。詳しいルールは、適当に調べてくらはい(解説終了)。

 実は、この喩えの原型を作ったのは、岡崎大使でありまして、2004年ぐらいまではイラク占領統治というのは「金持ち」が「貧乏人」を相手に勝つまで返さないよというギャンブルをやっているようなものだという喩えをされていました。これは、私も納得する喩えでした。しかるに、「貧乏人」には失うものがないということを迂闊にも私は読み落としておりました。イラク占領統治は非常に厳しい状態にあります。悩ましいのは、完全に失敗だったら、話が早い。「終電」がでていても、「タクシー」で帰ればよいわけで、形作りの問題になります。戦争に勝利してフセイン体制を打倒したという意味では、戦争そのものは半ば成功してしまっている。イラクに親米的な民主国家を作り、パレスチナへ入るという意味では、占領統治は現状では目標を達成していない。このあたりが微妙な問題で、ブッシュ政権を擁護するという意味ではなく、冷たい表現をすると、この中途半端さがイラク占領統治でアメリカ国内の過度に党派性を高めて無駄な時間を費やしてしまった一因ではないかと思います。中間選挙で民主党の「穏健派」の発言力が高まったので、だんだん、落としどころが見えてくると希望も込めて見ておりますが。

 …。かんべえ師匠が極悪であるキャンペーンを行うはずだったのですが…。いったい、この展開は…。やっぱり、かんべえ師匠が極悪だから、私の論旨までが乱れてしまうという強引なオチに。「3つのP」は省略すると、…てなわけでありまして、このあたりの、にくいまでの細心さ。まあ、悔し紛れに、ある場で「藤原紀香」と「黒木瞳」の魅力を力説しておられて、「女の魅力は30を過ぎてからわかる」としつこいまでに「お説教」していただいたことを暴露しておきましょう。視線はオタクっぽいのに、女性の好みはあまりに普通なので、ちょっとつまらなかったな(あの二人なら、小泉政権並の安定した「支持率」を誇っているに決まってますがな)。まあ、杉田かおるとかだとどんびきですけどね。あれって、暗に『まーすさいと』を運営している方の自慢だったのかも。
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2006年11月29日

20代の安倍政権不支持 私の支持

 昨日は、公務員採用が決まった若い2人たちと楽しく夕食。公務員試験も景色が変わって「人物重視」となっているようです。「採用されちゃったってことは、もう民間じゃ無理だってことだね」などとからかうと、彼らも苦笑するしかなく、楽しいひとときでした。年金一元化の話をして君たちの老後も厳しいなあなどと言いたい放題。

 ちょっと驚いたのが、私が小泉ファンであることを知りながら、小泉不支持を二人とも明言したことでした。彼らの目には安倍総理も小泉路線の継承者と映っていて、これまた不支持。20代では「稀少な」意見なので、ちと聴き手に周ると、「『改革』、『改革』とうるさかったけれど、本当によくなったことなんてあるように思えないです」。さすがにこれには反論しようと思いましたが、あまり周囲では耳にしない意見なので好き放題しゃべってもらいました。話にいろいろ濃淡があって微妙なのですが、郵政選挙はくだらないという点では2人の意見が一致して(要は衆議院で可決して参議院で否決して衆議院を解散するのは変)、投票行動は異なっていたようです(不謹慎ではありますが、「小泉さんの鶴の一声で、『先生』と呼ばれる人たちの首が一斉に480近くとぶんだぞ。しかも、一部ではあるが自業自得だ。こんな痛快な『解雇劇」はないぞ』と煽ると、生真面目な2人もさすがに笑っていましたが)。一人は民主党、もう一人は仕方なく自民党。拉致問題などではさすがに小泉前総理を評価しているのですが、それでも、厳しい評価をするので意外な体験でした。もちろん、ちょっとだけ意地悪な私は、「これで君たちも『抵抗勢力』のお仲間というわけだ」とちょっと古いネタでからかってしまいますが。

 冷静に見ると、小泉政権の5年間は突発的な大事件が起きて、それへの対応への評価でかなり意見が割れたように思います。9.11に始まって電撃的な訪朝、イラク戦争。小ぶりな話では、年金未納問題や郵政関連法案での造反など。そして、自民党の「基礎体力」は、小泉政権下でも回復しなかったように思います。2005年の総選挙では自民党の比例代表での得票数が約2,588万票であるのに対し、民主党が2,103万票を獲得していました。2003年の総選挙では自民党が約2,066万票、民主党が約2,209万票でした。2003年の総選挙では野党共闘が功を奏して民主党が小選挙区でも議席を増やした選挙でした。さらに、社民・共産も700万票近くの得票をえています。

 表層的な分析ですが、来夏の参院選は復党問題の有無に関わらず、長期的なトレンドからすれば、自公で参院での優位を確保できるのか、疑問に思います。小沢民主党は、最近の補選や首長選挙で連戦連敗の印象がありますが、相乗りを止めたり、野党共闘に動いたりと着々と来夏に向けて布石を打っているように見えます。

 この記事の目的は、選挙予想をすることではなく、今後10年間で政権が交代する可能性が無視できない状況では、安倍政権は外交・安全保障で確固とした国内的コンセンサスを形成することに力を入れないと、この国の将来が危うい可能性があることを指摘することです。MDでの日米協力ですら寒い状態で政権が不安定になったり、最悪の場合、交代となると、日米同盟が再び、「漂流」の時期を迎える可能性があると思います。2009年1月にはアメリカの政権も交代する。左よりの民主党政権の下で台湾海峡で問題が発生し、それまでの主張を撤回して集団的自衛権の行使に関する見解をまともにすれば、自民党もついてこざるをえないといううがった見方も可能でしょう。

 しかしながら、当たり前すぎて書くのが憚られますが、同盟の主たる目的は抑止であって、実力の行使は抑止が破られた場合のやむをえざる選択です。意図と能力を明確にして(ただし、「仮想敵国」を明示する同盟など例外ですから、あえて想定される事態に政府が言及する必要はありませんが)、自国の安全とアジアの安定のために日米同盟をより双務的な同盟に高める努力を安倍政権に期待しております。好ましくない事態は来るかもしれないし、来ないのかもしれない。しかし、起きてからでは話が遅すぎる。「時の最果て」などという鄙びたところにいると、「造反組復帰」など下らないバカ騒ぎのように見えます。
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2006年11月28日

陰謀論と戦略的行動

 やじゅんさんが、またおもしろい記事を更新してしまうので、考え込んでしまいました。やじゅんさんの記事の主題である「核武装論」に関しては、私自身は結果オーライというすちゃらかな評価です。中川政調会長や麻生外相の発言が、この国の安保環境を悪くしたという状況ではないので、ことさらに問題とするほどではないと考えております。それよりも、「日本陰謀論」というのは恥ずかしながら、初耳でした。「時の最果て」だから書けるのですが、日本人ほど戦略的行動に向かない民族は珍しいのではと思います。「日中安全保障対話」では中国側が日本の「戦略的行動」を過大評価しているように私には映りましたが(岡崎研究所の方々と対話すると、そう見えるのかもしれませんが)、民主主帰国のコンセンサスという多様な意見が透明に表明される社会での常識の積み重ねの意義がわかっていないように思えました。

 話を変えて、経済や経営の話を考えて見ましょう。カルテルへの課徴金制度へリニエンシー制度を導入するときの経済団体の反応を見ていると、「悪人の自白」のように見えてしまいました。もちろん、ざっくりとしか議論をおっていないので、もっと深い分析があるのかもしれませんが、まるでカルテルをやってますととられても仕方がない反応をしてしまう。日本人は、少なくとも過去は、集団行動が得意だという経済評論では多いのですが、戦略的行動は下手くそだと思います。

 最近は、広告のことばかり考えていたのですが、経済学と経営学でアプローチの違いが面白いです。乱暴に言ってしまうと、経営学では、「広告」は企業と消費者のコミュニケーション・ツールの一つということになるようです。当然ながら、マスメディアを通した広告だけでは不十分で他のコミュニケーション・ツールとミックスさせなければ、双方向的なコミュニケーションは成立しないということになります。あまり「土地勘」のない話なので的外れな理解をしている可能性はありますが。

 他方で、経済学では広告を消費者の立場から捉える傾向が鮮明で、「説得的な広告」と「情報提供的な広告」という、ちょっと苦しい区別をしています。「説得的な広告」というのは、露骨に言えば、消費者を「騙す」資源の浪費であり、「情報提供的な広告」というのは、製品の品質や価格、入手経路など消費者に有益な情報を提供する積極的な活動ということになります。笑ってはいけないのですが、このような区別をして分析して結局、実際の広告が両者が混在しているという話になってしまう。そんなの当たり前ですがな(もっとも、この分野ではいろんな文献を見ていると、経済学と経営学で議論している中身はあまり異ならない印象がありますが。アプローチと関心の相違が必要以上に強調されていて、もったいない気がします)。

 ただ、広告の戦略的効果となると、意外と面白いです。ある企業が広告支出を増加させるとしましょう。このとき、広告によって同一の価格であっても、広告支出によって需要量が増えると(需要曲線の右シフト)、需要量が価格の上昇と反対の動きをする状態であれば(供給量は逆に価格が上昇すると増加する状態だという前提が必要ですが)、自社ブランドの価格は上昇します。こちらが広告の直接効果。

 逆にライバル企業からすると、ライバルの広告支出の増加によって需要を奪われてしまいます(需要曲線の左シフト)。結果として、ライバル企業の製品価格は低下してしまいます。こちらは広告の間接効果になります。話を単純化するために、一方の企業のみが広告支出を増加させるケースを考えていますが、実際の問題は、競合する2社が広告支出を同時に増加させた場合、どうなるのかという問題になります。これは一例ですが、双方が直接効果のみを考慮して行動すると、双方の価格は上昇し、利潤が増大するという結果になります。ただし、この場合、消費者の状態が改善するのかは自明ではなく、かなり複雑な分析が必要になります。

 「戦略的行動」という場合、ゲーム理論の文脈では他のプレイヤーの選択に「最適な」反応を行うということが前提になります。プレイヤーの「戦略」の選択に確率の要素が入ってくると話が複雑になりますし、最適化を図るのに十分な情報がなければ、さらに複雑になります。

 もう一つ大切なことは、各プレイヤーの行動が合理的であるということが、すべてのプレイヤーの共有知識となっているという前提です。実は、これらの前提が成り立たない場合でも、分析は可能ですが、相当、難しい話になります。この場合、コミュニケーションは、プレイヤーどうしが互いに合理的であるという「信念」を共有するという役割を果たすことになります(この辺はかなり雑な表現をしております)。ざっくり話を分析する場合には、この部分をオミットするわけですが、現実にはコミュニケーションの部分が大切でありまして、経済学のように金銭が主として問題になる場合でも難しいのですが、安全保障のように命が問題になる場合には互いの「合理性」を確認しあう地道な作業が不可欠になります。また、広告のように、直接効果と間接効果を数理的に明示することは難しい部分があるのでしょうが、プレイヤーの重視する変数によって結果が異なってくるでしょう。台湾問題では、中国の「戦略」は明確ですが、中共の「合理性」に関しては疑わしい点もあるので、「核論議」のように中国の利害計算を複雑にすることも無視できないでしょうが、それ以上に、よりコミュニケーションを図る必要があるのでしょう。

 ありゃま、やじゅんさんの記事から遠く離れてしまいました。日本外交が「戦略的」ではないとするならば、対内的な説得のためにあまりに選択肢が制限されていて、対外的な反応と信念を共有するためのコミュニケーション手段が限定されていることが大きいと思います。余計ですが、私自身は、国内的制約を無視すれば、「非核三原則」のうち、「持ち込ませず」は削ってしまった方がよいと思います。にもかかわらず、安部総理の「非核三原則」堅持を支持するのは、国内的説得がまだまだ難しいという実感があるため、現状では堅持せざるをえないだろうと考えております。対外政策に国内的制約をもちだすのは民主主義国では程度の差こそあれ、やむをえない部分もありますが、この国の場合、小泉政権下でだいぶよくなりましたが、まだまだ異常な水準にあると思います。「普通の国」への過渡期ではあると思いますが、細かい作業が山積みのようにも見えます。

 『報道2001』の2006年11月26日放送分の世論調査の結果をみて、唖然としました。「あなたは、北朝鮮がアメリカに向けてミサイルを発射した場合、日本が迎撃することができるようにするべきだと思いますか」という問いに、@Yes(48.0%)、ANO(43.6%)、Bその他・わからない(8.4%)という結果になっていました。日米同盟が大切だというコンセンサスは強固だと思いますが、日米同盟の双務性を高めるという具体的な問題になると、なかなか厳しいという実感をもたざるをえません。

 私自身は、「日米同盟は、日本民族の安全と繁栄の根幹である」という岡崎久彦大使の見解に深く共感いたしますが、これを政治家が国民に説得してゆくのには時間がかかると感じずにはいられません。岡崎先生のおかげで戦略論というのはシンプルな話なのだと、少しずつ理解できるようになりましたが、これをまず国民の「共有知識」とするにはまだまだ時間がかかる。中国ナショナリズムの高揚や北朝鮮の反作用だけでは持続的に戦略を国内レベルで共有するには不十分で、やはり地道な努力が不可欠なのでしょう。「寝言@時の最果て」がそのような努力のお手伝いをするには力不足ですが、少しでも、この問題に持続的な関心をもっていただける「同好の士」が増えることを願ってやみません。

「続き」は、かんべえ師匠への私信ですので(メール書くのが面倒くさい)、かんべえ師匠以外の方がアクセスできないよう、アクセス制限をしております。

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posted by Hache at 02:11| Comment(3) | TrackBack(0) | まじめな?寝言

2006年11月27日

種崎浜の悲劇

 ドラマの評価は、こちらをどうぞ。あまりな展開に私も突っ込みのいれようがなくなってまいりました。土佐「平定」のプロセスに詳しくないので、「種崎浜の悲劇」で土佐が治まったのなら、『信長の野望』シリーズでの山内一豊のパラメータは低すぎるのかも。評判の悪いことは、さっさと済ませてしまうに限ります。評判の悪いことをやる覚悟のない為政者ほど迷惑な存在はないでしょう。

 原作では湘南和尚と千代の会話で司馬遼太郎氏は、陰影をつけていますが、種崎事件、あるいは種崎の虐殺は、千代の視点から描かれているので、細かい描写が施されています。司馬氏は、晩年になるほど、この種の愚行に耐えられなくなった印象があります。非難しているわけではなく、統治が「きれいごと」だけでできるのであれば、学者か評論家にでもやらせておけばよい。ただし、評判の悪いことばかりやっていれば、当然ではありますが、統治は長続きしない。このあたりの匙加減を教えてくれないあたりに政治に関する学に少しだけ不満があります。もっとも、このあたりは一般化が難しいことも理解はしております。

 まあ、イラク戦争直前にアメリカによる日本の占領統治、とりわけ言論統制に批判的な方で、イラクの占領統治を危ぶんでおられた方に面と向かってひどいことを言ってしまう、いかれた「外道」なので的外れな話でしょうが。「確かに日本の場合、そこまでする必要はなかったでしょうが、イラクの場合はフセインという重石がとれたら、無茶苦茶になる可能性があるから、言論統制も手段の一つではないでしょうか」。われながら、無神経ぶり、あるいは「外道」さに呆れますが、「アブグレイヴの屈辱」をやっている暇があったら、もっと評判の悪いことをさっさとやっていればよいのにと思ったりします。

 統治を評価するとしたら、うまいか下手か、その中間でどの程度なのかということにつきると思います。 評判の悪いことをやらざるをえない羽目になったら、さっさと済ませて忘れてもらうのも一つのスタイルだろうと。望ましいのは、評判そのものを左右する技量に恵まれた為政者なのでしょうが。まあ、こんな人物はめったにでてこないので、それができないのなら、さっさとやってみんながブーブー言っている間に他のもっと大切なことをやっていれば、みんな飽きてくるでしょう。

 付け足しですが、マニュアル作りがボツになる可能性がでてきて、もはや私の手を離れてしまいました。なんだか気が塞ぐので、「寝言」もサボり気味になると思います。「継続審議」になる可能性もあるので仕上げるしかないのですが、今ひとつ、士気があがらなくなります。別のところに企画を持ち込むという手もありそうなのですが、今週末になってトラブルが発生して、私の手には負えなくなり、上の調整待ちの状態です。私みたいな雑兵にはどうにもならないので、とりあえず仕事を「済ませる」しかしょうがないのですが。

 まあ、そんなこんなで「寝言」も、お湿りがち。時の最果てでの賢者様の「邂逅」も届きましたが、ボツ。それにしても、デフォしちゃった方が楽なんですが、信用に関わるので、これはいくら「外道」でもさすがに。先に書いたことと矛盾するじゃないかと怒られそうですが、普通に市井で暮らしている者がやってはならない話ですので、ご理解のほどを。
posted by Hache at 00:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言

2006年11月24日

新卒者採用

 今日も、軽い「寝言」。いつも「あんたみたいな暇人としゃべっている余裕はないんだけど」と前置きをしてから、マシンガンのようにしゃべり倒す営業畑の友人が「新卒者を育てるのが大変」とぼやく。これだけだと面白くもないので、どこが、どうだめなのかを誘導尋問をしながら、考えさせるというあくどいことをやってしまいました。

 新卒者がパッとしないというのは、どこでも聞く話ですし、私もそう思うのですが、父上の愚痴とあまり変わらない。「大学以前のしつけが問題だなあ」。彼の方が利巧なので、もう一押しほしい。彼いわくは「なんつーか、入ってすぐリーマン化するんだよなあ」。もう一息。「結局、競争がぬるいんですよ」。

 統計データからは、以前ほどではないとはいえ、新卒者が採用されるまでの道のりは厳しいものがあります。よって競争がぬるいというのは、暴論かもしれませんが、なんとなく同じ実感を抱いている方が少なくない。要は、幹部候補として採用する日本人の質が落ちてきている。昨日書いた「開国」の話をすると、「それはいいですねえ」となりました。

 高等教育機関をまず外国人にとって魅力的な場にする。アメリカの次、といっても、EUという場もあるのでなかなかシビアではありますが、東アジアや東南アジアから能力主義でガンガン優秀な人材がきたがるような場にする。これだけではダメでありまして、出口、要は食えないと話にならない。他国から流入してきた人材が日本に定着するのかどうか難しい部分がありますが、どのみち放っておいても、日本という場の魅力が低下すれば、中国やインドに流れるでしょうから、同じことでしょう。一昔前は「ウィンブルドン化」などといってイギリスをバカにする人たちが多かったのですが、プレイヤーのいないテニスコートほど役に立たないものはないことを忘れてしまっていると思います。

 「団塊の世代」と一括りにされた人たちが、韓国、そして中国に流出している現状があります。日本では技術やさまざまなノウハウを貪欲に吸収しようという若者が減少する一方ではやむをえないのでしょう。ならば、教える対象を日本につれてくるという手を打つのがよい。今回はメモ程度ですが、暇ができたら、再論してみたい話です。気になるのは、既に機を逸しつつあるように思えることです。
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2006年11月23日

対中不信

 「日中安全保障対話」そのものについては、当事者である佐藤空将かんべえ師匠が書かれているので、あまり書くべきことが見当たらないです。と言い訳をした上で、視聴者としての感想をランダムに書いてみます。

 まず、日本側は、失礼ながら参加した方が好き放題言っていて、あの面々では、自己顕示欲が強いと自ら告白されるかんべえ師匠ですら、いくら底意地の悪い質問をされようと、「貞女」のように見えてしまいます。他方で、日米同盟を重視するというコンセンサスは、表現は様々ですが、一貫しているので、中国側には日本人は戦略的であるかのような印象を与えてしまう可能性もあるかなと思いました。ただ、同盟を弱体化させる主張は、ほとんど説得力を失っている印象があります。周囲で親中的な方でも、日米同盟が主で日中関係の比重は小さいことを認めざるをえない。中国側の主張ほど日本人は戦略的ではないけれども、冷戦期に行われたイデオロギー色のギラギラした議論から卒業しつつあるのだと思います。問題となるのは、同盟の双務性の程度であると思います。これが中国側に伝わっているのかどうかが、ちょっとわかりませんでした。

 反中感情が強い方にはこのようなセカンド・トラック外交に批判的な意見もあるようですが、政府レベルでここまで言いたい放題言えないでしょうから、いろいろな意義があると思います。中国側のメリットを考えると、「王様の耳はロバの耳」の状態に陥るリスクを避けることが可能になるでしょう。ファースト・トラックで「率直な議論」をといっても、お題目に終わる可能性が高いでしょう。通常の外交でも、煩雑なプロトコルによって意思疎通が(プロトコル自体は本来、コミュニケーションを円滑にする機能があるにしても)不十分になる危険があります。また、儀礼にも多くの労力を傾けざるをえないでしょう。対中外交となると、さらに面倒な印象があります。安倍総理の「靖国に行ったか行かなかったか」を明言しないというのは、中国政府の立場を熟慮した戦術だと思いますが、普通の人にはわかりにくいこともやらざるをえない。余談ですが、このような会議を公開していただくと、いかに日本の「クオリティ・ペーパー」である『毎日』や『朝日』が中国に判断を誤らせかねない情報を流しているのかを気がつかされます。日本側にとっても同じでありまして、このような会議が公開されると、台湾は「核心的利益」と言われれば、なるほど、これはやばいわねということがしみじみ実感できます。

 中国側の発言を聞いていて、ちょっと不安になったのは、日中間の体制の相違に鈍感なのではないのかということでした。様々な団体と交流されているようなので、わかった上での確信犯的な発言なのかもしれませんが、どこか民主主義国の世論や個人の気分に鈍感なのではないのかと。反日デモがどのぐらい日本人の中国への心象を悪化させたのかはわかっているとは思うのですが、やはり実感できないのかもしれません。周囲では安倍総理の訪中を肯定的に評価する人が多数なのですが、「中国は本気で関係改善をしようとしているのか?」と尋ねられて、私自身が困ることが少なくありません。冷静に見て、首脳会談をより欲していたのは中国側だと考えておりますが、これを説明すると結構、面倒ではあります。結果的に見て、安倍総理の「曖昧戦術」でも譲歩とみなせる程度に、中国側は首脳会談を欲していた。中国側としては小泉前総理を「極悪人」と決め付けて政府レベルの関係悪化に底を打ちたいというのが本音であろうと。まあ、この程度の説明で済ませるしかないのですが。

 それにしても、美しい笑顔で中国が北の核施設を攻撃して日本がODAでサポートし、アメリカがお墨付きをつけるという発言を爽やかにされる鈴木邦子先生をネットで拝見しながら、この国も大変な時代に入ったなあと思いました。「ジェンダーフリー」なんてややこしいことをしなくても、性差という「参入障壁」はどんどん消滅しているのを実感しました。そこでふと思ったのが、中国人の頭脳を日本に定着させるということです。アメリカには到底、及ばないでしょうが、「アファーマティブ・アクション」のような古色蒼然とした人為的な手段に頼らずに、彼らが才能を発揮する場が広がってくれば、知識に関する市場はさらに活性化するだろうと。別に中国人にこだわる必要はなく、世界各国からアメリカではちょっときついけれども、日本でならという環境を整備できないものかなあと思います。

 うーん、思ったより作業が進まず、週末も仕事ばかりで頭が痛い日々が続きそうです。参ったなあ。
posted by Hache at 22:03| Comment(2) | TrackBack(1) | まじめな?寝言

2006年11月22日

24時間戦えますか。

 久々にブログなるものの記事などを書いてみます。まず、日曜日に書き忘れましたが、『溜池通信』以上に迷惑なのは、『チャンネル桜』。日中安全保障対話などというけしからん番組を3回も見てしまう。これだけで9時間以上は潰れている筈です。怖くて続きが見れませぬ。ようやく、仕事全開モードに入ったところですので。

 高校時代は、「あいつは毎日8時間以上勉強しているに違いない」という私のポリシーからすれば、屈辱的な噂を流されました。だいたい、陸上の練習をして家に帰ると、9時を回っていましたから、まともに8時間も勉強すれば、朝の5時になってしまう。学校の勉強など片手間にやるものであって、時間がかかるなどというのは恥ずべきことです。試験前に徹夜したなんて自慢話を聞きながら、感心したふりをしながら、内心でせせら笑ってしまう。ふだん勉強していれば、試験勉強などいらぬ。間違っても口にだしませんが。

 しかるに今の私は…。締め切り寸前にようやく仕事全開モード(Lv1)に達するというダメダメ人間に堕落してしまいました。それにしても、「つまらん、つまらん」と言いながらやっていたのが、本気になってみると、面白い。素人さん向けのマニュアルなので、辛いのは辛いのですが、自分が本気でやっている仕事の意味が基礎から確認できて、意外な発見です。

 ふと、学生時代に学部の、正規ではない私的なゼミの後で昼食をおごっていただきながら、教官と次のような会話をしたことを思い出します。

A:大蔵省って、給料いいんですか?
教官:安いんだなあ。これが。
:…(よくそんな恥ずかしい質問ができるなあ)。
教官:でも、カネが貯まって貯まってしょうがないんだよ。これが。
A:はあ?
:…(まさか、「悪代官」?)。
教官:使う暇がないからねえ。毎月、貯金ばかりしてるもんだな。安月給でも遣わなきゃ、貯まるんだよ。あははは!
A・私:…(戦闘不能リアクション不能)。
教官:(私に向かって)君、徹夜をしたことはある?
:ありません(きっぱり)。
教官:それじゃあ、役所は無理だなあ。
:はあ。
教官:僕は72時間連続稼動が最高だけど、もっと凄いのがゴロゴロしているからなあ。もめる案件だと、寝ちゃう奴から脱落してくんだなあ。最後は体力勝負だからねえ。
:…。
教官:フフフ。まあ、役所なんてつまらないから、好きな仕事をやることだ。

 実名は書きませんが、この方が私にとって最大の「恩師」かもしれません。今では音信不通ですが。72時間連続「稼動」なんて…。くわばら、くわばら。今の仕事でよかったとつくづく思います。ま、軽く試験の段階で落ちていたでしょうけどね。誰が見てもエリートとしか見えない方が、泥酔して「役人なんてマ○じゃなきゃやってられるか!!」と叫ぶシーンを見てしまうと、つくづくノーマルもとい凡庸な人生に恥じ入るばかりであります。

 しかるに、昨年の私はこの記録を破ってしまったのでした。忘れもしない4月の第3週。金曜日から土曜日まで36時間寝たあとに、日曜から水曜まで連続96時間「稼動」。とどめが、8月の84時間稼動。その後、堕落しきってしまって、9月、10月は食っちゃ寝、食っちゃ寝の連続でぶくぶく太りましたねえ。左足の静脈はでっかい血栓が詰まっていてむくみぱなしでしたし。慌てて11月にジムに駆け込んで、3ヶ月で10sの減量と、血栓融解を実現してしまいました。最近は、ピラティスとか軟弱なことばかりですが。

 それにしても、仕事全開モード(Lv1)に入ったのは、10年ぶりぐらいでしょうか。96時間徹夜しようが、今の生産性にはかなわない。健康の秘訣は、まず寝る。『溜池通信』とか『雪斎の随想録』とかついつい何かを言いたくなるサイトを見ない。見ないのが無理だったら、感想を考えない。『寝言@時の最果て』は、まったく安全。人畜無害。自分で自分の書いたものを読むと、眠くなりまする。こんなブログでも、200を超える訪問者の方々がいらっしゃるわけで、知能指数の低下を招かないことを祈っております。

 それにしても、この歳になって人情を感じます。仕事が遅い私に苛立ちながらも、刺激的な話題を提供して鼓舞し続けてくれるD先生には感謝の念に堪えません。とりあえず、当面の仕事が済んだら、30年ぐらいして今の私ぐらいの年齢の人を育てて御恩返しができるかどうか怪しいですが、少しは本物の「借財」を少しは返せるのでしょう。

 ふわあ。眠くなってきました。仕事全開モード(Lv2)になったら、「寝言」も復活というところでしょうか。さすがに老化を感じますので、20年前のようにLv30は無理でしょうね。このレベルだと、6時間も寝れば、体全体に精気がみなぎっていたのですが。うっかり「レベル5デス」なんて食らっても、おっかないですし。

 …お約束のようにとりとめがなくなりました。こんな下らない記事に最後までお付き合い頂いて恐縮です。私は、遺憾ながら、明日も休みじゃないんでそろそろ寝ます。

おやすみなさい。

あっ、一番ヤバイブログを忘れていました。『やじゅんのページ』。ワードのA4仕様で軽く2頁分ぐらいコメントを書いていましたねえ。あの頃は若かった(遠い目)。
posted by Hache at 23:51| Comment(9) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言

2006年11月19日

とりあえず生きてます

 もう、時の最果てから何が送られてきても、記事にする余裕がありません。誰も心配しているとは思えないのですが、とりあえず、生きています。10月ぐらいから土日が事実上、休みではないのですが。更新がこの一週間ぐらいないかもしれませんが、死んでいるわけでもなく、ブログをやめるわけでもなく、手が回らないと御理解ください。

 要は「債権者」にリスケを重ねて要求してきて向こうも限界になって「債務者」代表がさっさと「債務」を返さないと、「業界で食えないようにしてやるぞ」(もちろん、露骨な表現はされない上品な方ですが)という状態なのであります。メキシコみたいな路線もあるのですが、あそこまで開き直れるほど、気が大きくないので、もう「デフォルトするぞ!」という脅しは効かなくなりました。ったく、『溜池通信』なんかを3回(今週号)も読む時間があったら(意志が弱いんですよ。アンチウィルスソフトで「有害サイト」指定でもして見ることができない状態にでもしないとついつい読んでしまう。悔しい限りですが)、さっさと「返済」しろってな訳でありまして、ネットもしばらくは見ないようにしないと…。
posted by Hache at 15:12| 気分しだいの寝言

2006年11月18日

「寝言」あるいは下手くそなカデンツァ

 どんな仕事でも、意識して行う部分と、既に慣れてしまって事実上、「無意識」にやっている部分があるものだろうと。この「無意識」の部分を意識的に説明しようとすると、うまく形式が整わず、非常にしんどいものがあります。私の場合、本来、形式を叩き込むのが仕事なのですが、これをマニュアルどおりにやると、実にくだらない。叩き込まれる側にはわからないように、「寝言」(カデンツァという表現は上品すぎるので私には「寝言」の方がしっくりきます)を連発しながら、形式に導いてゆくのが、私の「お作法」であります。そんな私でも、さすがに仕事では言えないことがあるので、「時の最果て」なるところで「寝言」(「不規則発言」というおいしい表現は先着されてしまいました)を連発するわけであります。もちろん、仕事に直結することは書かないのがポリシーなのですが。

 「無意識」にやっている作業を意識的にやろうとすると、どうしてもぎこちなくなります。ピラティスをやりながら感じたのですが、初心者は意識的に体に叩き込まなくてはいけないゆえ、動作に優雅さがまるでありません。自分でやっていても、ああ、骨盤が動いたと感じるときもあれば、「ダメだこりゃ」となることもあります。こういう場合は、体が覚えてくれるまで意識するしかないのでしょう。意識している間は、いつまでも初心者のままなのでしょうが。

 夏に浜松に帰って中学校の教諭をやっている同級生と会って驚いたのが、「なぜ勉強をするのか」ということから生徒に考えさせているという話でした。少々のことでは驚かない私も、これには絶句。ちょっと耳障りでしょうが、中学時代は平均すると、試験の点数が95%を超えていたので(小学校のときは99.5%前後だったようです)、「なんであんなに点数がとれたんだ」と尋ねられて困ってしまう。考えたこともない。正確に表現すれば、考えること自体が好きだったので、学校の勉強はおまけでやっていて「なぜ勉強するのか」などということは考えたこともありませんでした。デリケートな部分ですが、公立の中学校は保護者の方が多様で、生徒も多様。よって、「なんでべんきょうさせられなきゃいけないんだ?」という問いが生徒からでてしまう。振り返ってみれば、そういう悩みを感じている人の方が多数派なわけでありまして、粗暴な私が中学校の先生だと、そんな「寝言」を考えている暇があったら、まず、勉強してから言えと言いそうで、「指導力不足」の烙印を押されそうです。

 どんどんとりとめがなくなってきましたが、どうも世の中、だんだんと意識化されてマニュアル通りの動作を要求するあまり、カデンツァを許さない方向に動いているように感じます。「時の最果て」の住人は、いきなり善悪是非を考えるのではなくて、泣く子は放置して泣いている様子をじっと見てしまいます。どうも、人間社会で分業が発達すると、お互いを共約する「言語」が意識化されないと、具合が悪いことが増えるらしい。よって、即興的な発想は極力、排除される。他方で、他者との意識的な共同作業が増えるほど、マニュアルでは対応できない部分が増えてしまう。「臨機応変」と「原理原則」は互いにとって代わるものではないのでしょうが、現代の文明をもってしても、両者はいまだに排他的なレベルが多いように見えます。

 根拠のない楽観論ですが、これはあくまで過渡的な時期であり、現代文明の「原理原則」が普遍化するほど、より高いレベルで多様なカデンツァが響く時代がやってくるのかもしれません。他方で、このような「理想主義」がいつの時代でも挫折したことを忘れることはできません。率直なところ、100年後に現在の生活水準を維持できるのか、疑わしい部分があります。「時の最果て」にしてはスケールの小さい「寝言」ですが、50年後ぐらいに現代文明は頂点を迎え、衰退してゆくのではないだろうかとふと思いました。
posted by Hache at 09:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言

2006年11月17日

寒い!! 暑い!!

 秋という感覚がもてる日が少なくなりました。大御所もお風邪をめされてしまったご様子。周りでも、咳をしている人が増えております。お大事になさってください。

 電車に乗ると、暑いぐらいなのですが、外にでると寒い。なんだか、冷暖房が効きすぎていて、かえって体調がおかしくなるような気がします。帰りにデブ専のウォーキングシューズを買いに行きましたが、やはり中に入ると暑く感じます。人によって体感温度は異なるのでしょうが、暖房が利きすぎている気がします。お目当てのシリーズが生産終了とのことで、最後の一品を手に入れてホッとしました。ついでにジムで着るシャツを買ってしまいました。思わぬ出費。以前は、綿のシャツを使っていたのですが、どうも冬場は乾燥しにくいので、ポリが多めに入ったものを買いたかったのですが、男性用が本当に少ない。女性用のものは、デザインは別として、よさそうなものが多いのですが、男性用が女性用の半分もないぐらい、品揃えが貧弱でがっかりします。一週間前にも、ミズノの半そでのシャツを買ったのですが、既に冬物ばかり。ウィンドブレーカーなどはたくさんあるのですが、ジムで着るのに最適なシャツが本当に少ない。やはり、私はマイノリティなのかと「被害妄想」(妄想ではなく、実際、そうなのでしょう)にかられてしまいます。

 この手のシャツを着てジムに行くと、お腹がでているのがスタジオの鏡にくっきり映るので、もっと頑張ろうという気になります。これが重要でありまして、私のお腹など、誰も気にしちゃいない。嫁がいるわけでもなく、彼女がいるわけでもなく、30代後半で独身が続くと、どんどん自堕落な生活になってしまいます。

 昨日も帰ってから、書き物をしていて、気がつくと、午後10時手前になっていました。慌てて、ピザハットに注文をしてついつい全部食べてしまう。こんな生活をしていると、リバウンドはしないけれども、なかなか痩せない。よって、少しでもジムへ行って、痩せようというインセンティブを保たないとまずいこと極まりないです。

 ダイエット自体が目標ではないとはいえ、ハーフで走りきるためにはウェートを確実に落として、筋力を確実に保ち、腰などへのダメージを最小にするために柔軟性を保つなど、やることだらけなのですが、まずは、ウェートを落とすのが最優先。冬場は、私にとって痩せるのに最適な季節なので、ぽつぽつと準備をしております。

 はあ。それにしても、今の仕事から早く解放されたくてしょうがないです。昼は遊び半分のふりをしながら、計算ずくで「タクトを振り」、夜は素人向けの「楽譜」を作るという生活の連続。所得など半分でよいので、答えが出るかどうかわからないギャンブルをしたくてしょうがありません。カジノや競馬ではすぐにすってしまう自信がありますが、人生をかけてやるギャンブルのスリルには勝てない。こちらも、人生そのものをすってしまう自信がありますが、ギャンブルしない人生には到底、耐えられそうにありません。

 などと「寝言」を書き終わって体脂肪計に乗ると…。体重は増えていないのですが、体脂肪率が赤信号。「時の最果て」などという鄙びたところで、「人生はギャンブルだ!」と啖呵を切っている暇があったら、もっと歩いて、もっと体をいじめないと…。お寒い現実に思わず底冷えしてしまった夜でした。昨日よりも今日に、今日よりも明日にいいことがあると言い聞かせつつ、眠りにつくのでありました。

 それにしても、管理画面を見たら、木曜日になってもやじゅんさんのところからのアクセスが増えていて、ちと怖いぐらいです。記事のできが悪いせいもあるのですが、怖くてTBを送る勇気が出ないです。こんな変なサイトにリンクしていただいて、やじゅんさんの評判が悪くならなければよいのですが。やじゅんさんは、こんな変な者でもちゃんとコメントしていただける心の広い方だと理解していただければ、幸いです。
posted by Hache at 02:07| Comment(3) | TrackBack(1) | 不幸せな寝言