2006年11月16日

「国家不信」の周辺

 月曜日ほどではないのですが、火・水曜日も60件以上、やじゅんさんのところからお越し頂いていて、お目当てはやじゅんさんのコメントだとわかりきっているのですが、自意識過剰なせいか、無言の圧力を感じております。やじゅんさんのコメントを拝読して、リプライに困っております。正直なところ、あまり異論がないです。mitsuさんが例示されているテロのようなケースを考えますと、ある特定の「私権」を抑制しないと、国民の生命や財産が守れない可能性が生じるわけですから、頭の悪い私には程度問題ではないのかと思ってしまいます。

 やじゅんさんのコメントは、素人にもわかりやすく、法学的な発想を書かれていて、なるほどと思いました。率直に言えば、私は「リーガル・マインド」というのが今ひとつわからないところがあり、やじゅんさんのコメントを本当に理解しているのかどうか、自分でも怪しいところがあります。私の頭に法学的な発想がぬけてしまっています。もっと下世話な話をすると、あまり生活で法律を意識することがない、平凡な生活をしているので、法律的な発想が弱いです。あとは、法学畑の方とお話していると、ものすごく緻密な議論になるので、彼我「兵力」の差を感じることも多いです。

 「国家不信」や「政府不信」に関する話で、私が気がかりなのは、法学的な議論から外れてしまうのでしょうが、政治的な「党派性」の問題です。かなり前のことですが、防衛政務次官をされていた方が、ある週刊誌にインタビューが掲載されていて、喫茶店で外食をしている最中に読んだ覚えがあります。当時は、「核武装」発言が問題となっていましたが、私がもっとまずいと思ったのは、自衛隊を「敵視」してきた現在の社民党や共産党(インタビューでは主として現社民党所属の議員を名指しで挙げられていたと記憶しております)の幹部や関連する人たちを有事の際に守るつもりはないとも読める発言でした。これはさすがにひきました。

 核武装でいくら勇ましいことを言っても、実現可能性はほとんどゼロだと思っておりましたので、こちらは「どうぞご勝手に」と思いましたが、自衛隊が特定の党派の人だけは守らないかのようにとられてもしかたがない発言は、論外だと思いました。もちろん、インタビューを読んだ限りは、安全保障に「幻想」の世界で考え、発言する社民党や共産党を批判するうちについ軽口を叩いたという程度だと思いましたが、意地の悪い読み方をする人もいるということを忘れている方ではないのかと思いました。幸い、名指しされた議員が、核武装のことばかり問題にしていたので、ホッとした覚えがあります。

 露悪的にいえば、私を守ってくれて、私と異なる意見をもつ人たちを守らない実力部隊というのは、私自身にとってはありがたいです。しかし、それは私軍です。自衛隊が、現行憲法の下で「ままこ」扱いされてきたのは異常なことであり、現在、そのような風潮が衰退して影響力が弱まっていることは、まともだと思います。例外も少なくないでしょうが、私の周囲では自衛隊への信頼が高い人の方がはるかに多いです。素朴すぎるかもしれませんが、お国のためにいざというときに命をすてるという方に敬意を払うことは、私自身は当然のことであると考えます。だからこそ、私には先のように安全保障に関して過度に党派性を煽りかねない発言をする政治家は信頼しません。

 本来の話題に戻りますが、国家不信というのは、どこかに不信ではなくて「否定」の考えが入っているのだろうと。それは、政党政治の下では、他の政治体制以上に、権力を担う人たちが程度の差こそあれ、「党派的」であることが被統治者には赤裸々に伝わり、異なる党派性の持ち主からすれば、「公」を代表するように映らないのだろうと。他方で、民主主義の本質は多数の専制とはいえ、少数者を守る様々な配慮が法的にも、実際の政策にも行われていることが多いことは、やじゅんさんの御指摘の通りだと思います。

 やじゅんさんのまともな議論に乱暴な議論で申し訳ないのですが、自民党が政権の座にある限り、民主党の支持層やシンパシーを抱く人たちは、常に不満をもつでしょう。かなり雑に書きますが、政権政党の役割は、立法や政策の遂行にあたって、自分たちが疎外されていると感じている人たちの不満をあるレベル以下に抑えこみ、野党の役割は政権を奪うことを最大の目標として政権政党の批判をし、ときに賛成して支持を広げてゆくことでしょう。議会制民主主義の下での政党政治では、特定の政党が「公」を代表するのではなく、このようなプロセスそのものが「公」なのだと理解しております。

 国民が「代表者」として権利を行使できるのは、基本的には選挙での投票であり、迂遠な過程をへて、「民意」なるものが形成される。実際には、自分が投票した政党が政権についたとしても、不満をもつ人も少なくないでしょう。したがって、特定の政党が国家権力を担うといっても、法律は当然ですが、様々な制約があり、党派的な言動を抑制すると同時に常に説得が要求されます。論理が飛躍しますが、「国家不信」や「政府不信」は自分の支持する党派が政権につけない不満というレベルであれば大した問題ではないのでしょうが、政党政治における「面倒なこと」を否定する傾向となれば、政党政治の下での「公」のあり方を否定しかねない虞があると考えております。現代での「政府不信」はちょっと次元が異なるのでしょうが、戦前の政党政治の否定は、民主主義の「自殺」だったという私の「寝言」と関連がありそうななさそうな感覚があります。この辺は、今の私には手に負いかねるので、考えを止めます。

 ちと、「マジやばい」状態ですので、とりあえず、「時の最果て」におけるやじゅんさんのコメントへのリプライ(「寝言」)は、以上です。読み直してやじゅんさんの考えいている論点をかえってぼかしてしまうような下手くそな文章になってしまい、申し訳ないです。ふう。この問題は、もうちょっと考えてみたいので、余裕ができたら、再論してみようと思います。
posted by Hache at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな?寝言

2006年11月15日

20代の人たちとのおしゃべり

 私が見ているサイトの多くは、30代後半から40代と思しき方が運営されているところが多く、20代前半の考えていることがつかめないです。今日は、20前後の人たちとしゃべる機会があったので、雑駁ですが、いくつかの点描をしてみます。同じ年に生まれたというだけで、「人生いろいろ」(この発言を入院中に聞きましたが、「問題発言」とは聞こえませんでした)なので、あくまで私が接した印象でしかありません。

 まず、驚いたのがアメリカへの依存心の強さです。イラクを攻めたのに、なぜ北朝鮮はやられないのかという物騒な発言がでてきます。朝鮮半島で米軍が抑止されている現状を説明すると、納得はするのですが、不満そうですね。核の議論にしても、アメリカと相談した上でやっているのですかと素朴ではあるのですが、デリケートな質問をぽんぽんされてしまうので、こちらも思った以上に疲れます。

 北朝鮮の問題にせよ、中国との「友好」にせよ、アメリカとの同盟関係が大切ですよということを説明すると、こちらが「あれ?」と思うぐらい、素直に同意されてしまってこちらが反論を期待しているところを見事に裏切られてしまいました。さすがに集団的自衛権については、「しゅうだんてきじえいけん?」となるのですが、要は、アメリカは日本の安全を守るために米兵の命を捨てるリスクを負っているのに対し、日本が自衛隊の方々にアメリカとともに戦っていただくための環境をつくって、露骨に言えば、自衛官の方々にお国のために命を危険にさらすリスクを負うかもしれないという選択肢をもった上で、実際には外交も絡めて戦争に至らないようにするために議論しているんですよと説明すると、これも、納得されてしまって困ってしまいました。淡々と日米が一体となって「やられたら、やり返しますよ」と立場をはっきりさせたら、北はおろか、中国だって歯向かうことは無理でしょうという程度の話なのですが。日教組の影響とはほど遠い世界にきた感覚で、なんだかネットでされている議論とずいぶん違うという実感をもちました。まあ、私が接した人たちが、「サイレント・マイノリティ」であるだけかもしれません。

 つまらない話では、タウンミーティングの話で、知らないという若い子がほとんどで、知っていると答えた人が1割程度。「不規則発言」を見せて(自分の意見を言う代わりに面倒なときに「こんなことを言っている人もいる」と紹介するには便利なので、あんまり悪く言ってはいけませんね)、「北の核武装を10程度の重要さとすると、この問題はどれぐらいかな?」と尋ねてみました。驚いたことに、知っていると答えた人は、3から4程度と言うので、思わずのけぞってしまいました。この問題に関心があるから、重要度を高く感じているのは当然なのかもしれませんが、思わず考え込んでしまいました。余計ですが、これで民主党は国会審議を拒否しているという話をすると、重要度を高く評価した人が「それはバカげています」と答えるので、ますますわからなくなりました。同世代では民主党への「拒否感」が強まっている印象がありますが、20代ではどうなのかなあ。

 本当にどうでもいいのですが、その場に居合わせた女性のほとんどが安倍総理ファンでした。理由を尋ねてみると、「優しそうだけど、いざというときに頼りがいがある」という声が多くて、なるほどと思いました。彼女たちの評価が的確かどうかは、これからの安倍総理の言動しだいなのですが、異性として総理を見るという感覚は、私自身が男である以上、当たり前ではあるのですが、私には新鮮でありまして、考えさせられてしまいました。もちろん、限られた人数での話ですので、一般化することはできないのですが、彼氏を見るような感覚で総理を見ているようです。

 さらにどうでもいいことを書くと、『溜池通信』を読んでいますという人がいたので、「寝言@時の最果て」の管理人が私であることを伏せて、「こんなひどいことを書いている人もいるけど、どう思う?」と尋ねたら、バカ受けされてしまい、意地の悪い笑いを抑えるのに苦労しました(著作権は私にありますが、送ってきたのは時の賢者様ですので悪しからず)。サンプロも見ているようなので、タクシーでの「不規則発言」よりも、番組での発言でさらに目立ってくださいねと申し上げておきましょう。
posted by Hache at 03:57| Comment(9) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言

2006年11月14日

やじゅんさんの「テロ」

 この記事をどのカテゴリーに入れるのか、迷った挙句、「幸せな?寝言」にしました。なんとも複雑な心境ではあるのですが。まあ、こんな程度のことであれこれ考えていること自体、幸せでしょうね。

 管理画面を見てちょっとびっくり。「さくらのブログ」管理画面には生ログがないので詳しいことはわからないのですが、リファラー(リンク元)でやじゅんさんのところからいらっしゃった方が累計で150(ページビュー数)近くありました。トップページでリンクをはっていただくと、驚くべき効果です。2006年5月25日の「テロ」のようなおっかない事態にはなりませんでしたが(翌日の訪問者数が1,054、ページビュー数は2,172を記録する大惨事になりました)、月曜日はあまりアクセス数が伸びないのですが、月曜日は一気に2,000(ページビュー数)を超え、週のピーク時なみになっておりました。おそらく、こちらにきていただいた方は、やじゅんさんのコメントを期待されていたものと思います。管理画面でも、リンクしていただいたページにアクセスが集中していることがわかります。

 申し訳ないのですが、やじゅんさんにコメントを投稿していただいたにもかかわらず、管理画面にも反映していないようなので、こちらにはコメントを確認するすべがないのです。復旧も不可能な状態です。11月8日の記事にコメントしていただいたときには正常に反映しておりますので、一時的に障害があったのかもしれません。やじゅんさんのファンの皆様、誠に申し訳ありません。

 この記事を書いた後に、やじゅんさんからコメントを投稿していただきました。心より、感謝いたします(コメントをしていると記事になりそうなので、リプライはしばしご猶予を)。やじゅんさんのファンの皆様は、こちらをご覧ください。こんな具合ですので、おわかりでしょうが、仕事をしながら、煮詰まると、ブログの記事を書いているというすちゃらかな生活をしておりまする。続きは、くだらない話ですので、飛ばして頂いて、最後だけ読んでいただければと存じます(この記事をご覧になっていたらですが、とくにかんべえ師匠は途中はどうでもいいので、最後を読んでおくんなまし)。

 「さくらのブログ」に移ってから、3ヶ月目に入っておりますが、ココログで運営していたときよりもページビュー(PV)のカウントが甘いようで、大幅にPVが増えております。ココログのときには一日あたりで1,000を超えることは少なかったのですが、「さくらのブログ」に変えてから、1,000を切
る方が少なくなって明らかにインフレ気味です。訪問者数は、200−500の間をうろうろしているので、こちらはココログと変わらないようです。移転してから、PVの約95%がブックマーク(RSSリーダー等を含む)からになりましたが、ふだんは雪斎先生のところから一日あたり15前後、やじゅんさんのところから10程度、恒常的にアクセスがあります。

 ココログのときの累計アクセス数が73,361、2006年5月18日から2006年8月23日までで訪問者数がのべ27,793でした。「さくらのブログ」では訪問者数は、1ヵ月ごとのネットの数字でしかわからないので(のべではなく、一ヶ月間に同一IPから何度アクセスがあっても、カウントしないようです)、アクセスカウンターでダブルカウントをしない設定にして訪問者数の概数をだしております(現在表示されているアクセス数は訪問者ベースでココログから移転時の27,793で初期設定しております)。











「さくらのブログ」以降後の訪問者とPVの推移
期間 訪問者PV
2006年 8月1,263 7,550
2006年 9月4,19135,859
2006年10月4,28048,805
2006年11月2,03721,732
――113,946

(2006年8月は22−31日、11月は1日から13日までの累計)


 PVは累積ででてきますが、訪問者数は同じ月でも異なる日の訪問者をダブルカウントしない設定になっているようです。10月の場合、一日あたりのPV数が900−2000程度ですので、累積数でしょう。他方で訪問者数は250−500程度ですので(平日が400前後、土日・休日が300前後です)、累積でゆくと控えめに見ても、1ヶ月でのべ10,000程度のはずですが、1ヶ月単位で集計すると、上記の数字になります。なお、ブログ開設以来のPV数は187,307です。自分でも書いていて、くだらない話は以上です。

 ふう。それにしても、やじゅんさんの意図せざる「テロ」もこわいです。かんべえ師匠は、5.25以来、「核保有」を宣言した上に「通常戦力」(まさかと思いますが、マールとルッカがかんべえ師匠(タッチー)の話をしているわけではないのでしょうが)を充実させてきているので「テロ」をしてきたら、死なばもろともでございます。かんべえ師匠に「けち」をつけているのは「テロ」の抑止が主たる目的ですが、経営学や経済学を適切に理解しないまま、中身に踏み込んだ上で「役に立たない」(「不規則発言」2006年8月23日)というのに腹の虫が収まらなかったということも大きいです。競争均衡における生産者余剰をかんべえ師匠に説明していただきたいものだと思ったりしましたね。この記事を読み返すと、精神衛生に極めて悪い。精神衛生に悪いものを読んで、腹を立てるのは読む方が悪い。というわけで、この問題で腹を立てる側の方がおとなげないと気がついたので、この記事で忘れることにいたします。ほかの記事は、拝読して勉強になることが多いので、こんなくだらないことにこだわる私が幼稚なのでしょう。

 ただし、「テロ」は別ですよ、「テロ」はね。「時の最果て」の名にふさわしくないアクセス数は、この言葉は使いたくないのですが、私の「美意識」に反します。

 とまれ、やじゅんさんのファンの方が多いことに脱帽いたします。アクセス数が増えるのはあまり嬉しくないのですが、やじゅんさんのファンの方に貢献できるのなら、やはり幸せなことでしょう。こんな鄙びたサイトに迷い込まれてしまった方に、感謝の念をこめてこのサイトの「お約束」を捧げます。

ここは「時の最果て」、すべては「寝言」。

おやすみなさい。
posted by Hache at 01:11| Comment(2) | TrackBack(1) | 幸せな?寝言

2006年11月13日

ジムで行うピラティス 衝撃のスクープ

 日経CNBCの『三原・生島のマーケット・トーク』を見て、お約束以上の展開にのけぞってしまいました。三原御大に突っ込む隙を与えずに、機関銃のようにしゃべり倒してしまうかんべえ師匠(日経CNBCの番組案内で「米選挙ウォッチャーとして名高い」とあって、笑いが止まらない。こちらが専門というか、正真正銘の「オタク」そのものじゃありませんか。「エコノミスト」は食ってゆくためのおまけのようなものですな)には、もはや怖いものはないのでしょう。もう、あなたを止められるのは、田原総一郎さんだけです。それも、もはや時間の問題か。

 さて、本題。月曜日の「恒例」となってしまったピラティスネタです。女性インストラクターが「極秘情報」を入手し、レッスンの冒頭で公開してくれました。ピラティスでは腹横筋と骨盤底筋群を鍛えるわけですが、女性の場合、おしりの穴を締める(これでも十分恥ずかしいですね)というより、上に引き上げるような感覚だそうです。「衝撃のスクープ」は男性の場合。「とっても恥ずかしいのですが、よーく聞いてください。男性についている二つのタマを、男性の方、わかりますよね。これをきゅっと引き上げる感じで動かすと、骨盤底筋群がぐっと引きあがるそうです。とっても恥ずかしいことをあえて言いましたので今日はとくに男性陣に頑張っていただきます」。ひ弱な男性人はフォローを入れることができずに、まじめに聞いて沈黙。「笑ってごましてくれないと困るんですけど」と赤面しつつもレッスンが始まりました。レッスンの内容は、先週書いたとおりです。

 レッスン後、会話をしていると、以前よりはるかに骨盤がスムーズに動いているとのお褒めにあずかり、恐縮いたしました。インストラクターのちょっとしたてほどき(要は恥骨の動かし方なんですが、頭ではわかっているつもりでも、それまでできませんでした)で、自分一人では思うように動かなかった骨盤が動くようになり、漸く一歩前進。この話をすると、ほんとちょっとしたことなんだけど、実際に教えていただかないと、意外とわからないものですよねえと盛り上がりました。これが、レッスンを受ける価値でありまして、ちょっとしたコツを個人の癖から体に教えてもらえるのが、ありがたいです。「衝撃のスクープ」はピラティスのインストラクターをしている外国人男性から入手されたようで、これもちょっとしたことだけど、助かりましたと申し上げますると、衝撃の発言。「私にはないのでわからないんですよ。つけてやってみたらわかるのかなあ」。

 …。とってもいい方なんですが、どうやら天然の方のようです。しばらく反応ができませんでしたが、「あのー、それは違う話になりかねないのですが」と突っ込むと、しばし赤面して、「この調子で次回も頑張りましょう」と顔を赤くしながら、爽やかに去ってゆかれました。フォローし切れなかった私は、やはりキ○○マがないと言われても仕方がないのでしょうか。世の中、殺伐としているようですが、多忙なわりに日常はどこかのほほんとしているので、ますます世間様からずれてゆきそうです。
posted by Hache at 05:31| Comment(0) | TrackBack(2) | 健康な?寝言

2006年11月12日

はんせい会

(@時の最果て)

ハッシュ:ふわあ。なんじゃ、またおぬしか…。ボッ…。おや気のせいかのお。また、眠くなってきたのお。むにゃむにゃ。

…。

…。

…。

…。

…。

zzz

zzz

zzz

 


 


 










The End








マール:ええーっ! もう、終わっちゃうの……。
ルッカ:この言葉が出たら、たいがい終わりってことらしいわよ。
マール:せっかく、これからだったのに。
ルッカ:じゃあ、このエンドの文字、上げてもらいましょう。
マール:上げろっ、上げろっ! はんせい会いってみましょーっ!
ルッカ:美術さん、おねがーい!

マール:まずは、かすみがせきにズームイン!
ルッカ:よさんカッターしゅけいかんね。
マール:あたし、こーゆうの苦手なんだよ! きれそうだし……。
ルッカ:カットするだけじゃね……。あのプライドは、ハンディキャップなのにね。
マール:また今度ってとこね。バイバーイ!

ルッカ:次はしゅしょうこうてい、あんた家(あんたっち)よ。
マール:へへっ、カッコいいのをそろえたわ!
ルッカ:さすがね。私もうドキドキしちゃう!
マール:彼だけには、ぞうはんぐみふっき使わなかったでしょ。彼の名前はユリコ。でも女なの。
ルッカ:ぐらっ! 私、その気はないわよ!!

マール:きゃーっ!! トッシーよ!
ルッカ:ぜーったいダメ、こーゆータイプ。もっと正しいしょくじのしかたをおぼえるべきよ!!

マール:ほら、コンジョウがないわよね。自分達でなんとかしよう!っていう「やる気」出してよ、「やる気」!!
ルッカ:同じ立場だったら、こーなってるかもよ。「やる気」出せーっ!!
マール:スキル。育つといいね……。

ルッカ:タミーか……。ゆうせいに全てをかける男か……。
マール:ゆうせいだけってのもね……。
ルッカ:なーんだ、よく見るとうんそうやよ! パス、パス!
マール:勝とうなんて! 一万年早いわね。

ルッカ:ちょーカッコいい男っ、ジュン君!
マール:でも事実カッコいいから、まいっちゃうんだな……。
ルッカ:ギャグのセンスがちょっとね。
マール:知ってた? 一人のときにオヤジギャグを言って自分で受けているらしいんだって。
ルッカ:うっそ! げーっ、きもちわりー! でも、勇かんだから許しちゃおっと!

マール:ショウちゃん。あたいのお気に入り!
ルッカ:ただの酒のみよ。
マール:それに、女好きだったりして。
ルッカ:ひょっとしたら男好きだったりして!

マール:あんたどう思う? このタッチーってヤツ……。
ルッカ:ヲタヲタ族ね。ぜんぜんきょうみないわ。
マール:でも、しゃべりだすと止まらない所が、かわいいって感じ。ウソだけど……。
ルッカ:しせんがキモイ! 変だわっ!!

マール:でもわるいやつじゃなかったよね。
ルッカ:はらぐろいやつだったけどね。
クロノ:いったいどのあたりが「はんせい会」なんだよ!?
ルッカ:クロノ!!!
マール:えへへへっ!
ルッカ:ねえ、次はどの時代へ行く!?
マール:楽しいことがいっぱいの時代っ!!
クロノ:今!
ルッカ:今って……? 今、この現代ってこと?
マール:オッケー! 現代ね!
ルッカ:じゃあ、ゲートホルダーはまだいるってことかなあ……? あっ! 待ってよーっ!!


続きを読む

2006年11月11日

「権力のコントロール」へのコメント

 やじゅんさんの記事にコメントを書いていたら、長くなりました。これが怖いので、最近、コメントしないことにしているのですが。久々に土曜日にゆとりがあったので、「誘惑」に負けてしまいました。

 まず、結論から入ると、分権と集権の問題は、程度の問題でしかないと思います。極論すれば、権力とそれを担う人たちへの「信仰」や「不信」は、どちらも正しい。行過ぎなければ、ですが。ただし、国家というものは、歴史的経緯とは別に論理的には集権がなければ、成り立たないので、民主国家といえども、集権を否定するというのは、私にはついてゆけないものを感じます。

 具体的な問題でゆけば、記事で扱っている問題よりもスケールが小さくて申し訳ないのですが、たとえば談合や汚職のような問題の方が、むしろ「政府不信」、「官僚不信」を煽っているように見えます。談合の問題などは、まさに制度設計の問題ですが、理論的に「最適な制度」なるものを考えることができても、実際の制度に落とし込むことができるかどうかということになると、はなはだ、心許ない部分があります。また、理論家が「最適」と考える状態であっても、多くの場合、好ましくない状態が生じる確率がより低くなるだけであって、モデルで考慮されている変数以外の要素が利いてしまうと、脆いものです。この種の議論は、「空理空論」とバカにされがちなのですが、権力を担うのは諸個人であること、彼らが常に全体のために行動するのではなくて利己的でありうること、理論を理解するための面倒な手続きを踏まなくてはならないけれども、それさえ踏めば、真偽判断は可能であることなどから、本当に頭のいい人から見ればバカバカしいでしょうが、控え目に言っても、議論を透明にするぐらいの意義はあると思います。

 権力を担う人が「ハーベイ・ロードの前提」をすべて満たすような状態が好ましいのかもしれませんが、現実的ではないでしょう。権力を担う人が、最悪の場合、腐敗し、それを過度に批判するというのは自然現象のようなものだと思います。とりわけ民主国家、あるいは分権的な社会では、このような無駄が避けられないと思います。他方で、分権的な社会は、権力を担う人たちが利己的であるという前提の下で、ある種のインセンティブの体系をある程度までは自覚的に、ある程度までは無自覚的に「設計」することで、よりマシな国になることが可能であるし、それが分権的な社会の強みなのだろうと思います。ある時期に「正しい制度」(このような制度が存在するのか自体、怪しいのですが)がつくられたとしても、前提が変化すれば、変な制度になることは珍しくないでしょう。常によりマシな制度をつくる潜在力が高いことが分権的な社会の強みだと考えております。だから、「政府不信」そのものは、しばしば行過ぎることもあるけれども、分権的な社会を維持するためには行き過ぎすら、社会を維持するためのやむをえない費用と割り切るのがよいと思います。

 分権的な社会ではすべての人を満足させることはできません。分権的な社会の致命的な「失敗」は、不満をもつ人たちが、分権的な社会そのものを否定するようになり、その「誘惑」に抗することができなくなる事態でしょう。古代ギリシアはこの種の悲劇の典型ですし、第一次世界大戦から第二次世界大戦への道のりは、現代でも同じことが起きうる確率がゼロではないことを示しているのでしょう。現代の分権的な社会は、このような失敗の上につくられたもので、それが転覆されてしまう確率は非常に低いと思います。あるいは、岡崎先生のように「民主政というのは最悪の政体だけれども、他の現存する、あるいは過去に存在した政体のどれよりもマシであるという哲理が国民に浸透している」と言い換えた方がわかりやすいかもしれません。現在の民主国家の様々な「病理」は救い難いように見えますが、分権的な社会そのものを否定する主張が他を圧倒するような状況であるとは思えないです。

 分権的な社会でも、リーダーなしでは存続しえません。歴史に名を残すような人物を育成することは意識的な努力のみでは難しいでしょうが、そのような人物が輩出する確率を少しでも高くしておく努力は不可欠だと思います。雪斎先生が指摘されているように、高等教育機関が「英雄を英雄として尊重しない」風潮を育んでいるとしたら、あやういことでしょう。「時の最果て」だから書けるのですが、学者先生の性癖を考えると、これはやむをえないことだという気もいたします。さらにいえば、分権的な社会は、このような学者の性癖を強める傾向があることも否定しがたいとおもいます。英雄として歴史に名を残す人のほとんどは、分権的社会を絶対視する人から見れば、分権的な社会への敵として映るでしょうから。

 分権的な社会といえども、集権的な要素がなければ成り立たないという、なんでもないことを理解するのは意外と難しいという、つまらない、しかし、いつの時代でも議論されてきた問題に帰ってきます。やじゅんさんが問題にされているのは、分権と集権という両立しないように捉えられがちな要素を政策の実際においてどのように補完的な関係にもってゆくのかという現実的な話ですが、「時の最果て」ですと、こんな「寝言」になってしまいます。

 最後になりましたが、「求められるのは、組織が正しい方向に進むように適切に目標を設定し資源を配分できる、制度の設計なのだと思います」というのは全く同感なのですが、これは、漸進的にしか進まないでしょう。失敗しない「制度設計」などありえない。資源の浪費と言ってしまえばそれまでですが、この失敗に耐えられなくなったときに、社会は衰退し、滅んでしまうことは、歴史が、厳密な意味では「証明」してはいないですが、多くのことを示唆していると思います。

 民主国家も失敗する。初期と成熟期で失敗の内容は変わりますが、本質的には同じことで、成熟期には「自殺」に至る確率が非常に低くなるだけでしょう。この自明のことを頭で理解するだけでなく、わがものにしない限りは、この種の問題は解決がない。つまらないことばかり書いておりますが、自明のことを自明とせずに、ときには突き詰めて考える必要があると思います。もちろん、政治やそれに関する学のプロではないので、この程度の「寝言」が限界で、自分でもちょっと寂しいものがありますが。

「気分」と「気づき」の効用

 なんだかんだとバタバタしておりまして、新聞もまるで読んでいない。ふと『産経』を見ると、「核論議 是か非か」という私には意味不明のタイトルの特集があって平成17年11月9日(15版)の二面に岡崎先生の論稿が掲載されていました。「議論をすべきか否か」(『産経』のスタンスからすると、「すべき」なんでしょうが)というテーマであるにもかかわらず、いきなり日本の核戦略に関して述べられてしまい、あっさり論議自体をやってしまい、論議が終わった気分になります。

 というより、ここで述べられていることは、岡崎先生の私見とはいえ、とっくに論議された内容です。頭の悪い私には、あんまり日本のとりうる選択肢を多めに見積もっても、一つぐらいしかないように見えます。いざというとき、アメリカとともに戦うことがあるかもしれないという明確なコミットメントを海外へ向けて発信することです。頭が悪いせいか、議論はいいから、やることをやってほしいなあという気分になってしまいます。

 岡崎先生の本意ではないのでしょうが、議論をすべきか否かでぎゃあぎゃあ言っている間に、悪いけど、議論を終わらせましたよ。結論もだしました。こんなしょうもない話よりも、もっと大切な話があるんで失礼。そんな印象をもちました。

 かんべえ師匠によると、安倍総理はとっても「人が悪い」そうで。これは国家の最高機密に属すると思うのですが、もうあと数日でのべ500万を超えるアクセス数を誇るサイトに堂々と掲載されてしまう。安倍総理が軽く見られている現状の方が仕事がしやすいのではと思います。あんまり他人の仕事を邪魔しちゃダメなんじゃないかなあ。それにしても、なんと言論の自由が保障されている国よと思いますね。

 今回の「騒ぎ」のおかげで、「日米同盟が大切」と頭ではわかっていても、いざというときにどこかに置き忘れてしまう人が多いことがよくわかりました。「情と理」というのとも違う。だから、私はあえて「気分」という曖昧な表現をしています。うまく表現できないのですが、理屈は理屈として理解することはもちろん大切なのですが、それが自分のものになっていない。だから、ことが起きると、紛れだらけの議論をしてしまう。別に、非難しているわけではないのですよ。それは、ちょっとした「気づき」の問題であり、誰しもすべての問題に関して的確な見解を自分のものとしているわけではないでしょう。誰しも、「生きる」ということは初めてであり、知らないこと、わからないことの方が多いことに、私みたいな出来の悪い人間は寛大です。ただ、国の命運に関わるところで、現状のままではお寒い。この種の問題は、既存の教育でもある程度、解決しているけれども、副次的になっている。普通の教育では、教育される側が気づくのを気長に待つしかない。しかし、エリート教育では不可欠なので「雪斎塾」にお任せとなります。「気づき」の世界も奥が深くて、子供の頃から初めて、40歳前後になって効果がでてくれば、元がとれるという気長な話です。

えらそうなことを書いているあんたはどうなの?

 …。悔しい限りですが、『溜池通信』ごときで清純かつ善良なお坊ちゃまであることを深く自覚させられる程度の人間ですので、棺桶の中に入って蓋が閉まるまで目が開いている方のお話を虚心坦懐に伺うしかないですねえ。いやあ、先週あたりからかんべえ節が全開でいいですねえ(負け犬の遠吠え)。
posted by Hache at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな?寝言

2006年11月10日

極悪が止まらない

 あ〜あ、『溜池通信』、「かんべえの不規則発言」などというものを読み始めてから、静岡の、爽やかな味の山葵が育つ、清らかな水のような心が、穢れてゆくのを感じます。中間選挙の結果自体は、意外感がありませんでした。問題は、やっかいな議会にどう手を打つか。上院でリーバーマンを抱きこむあたりまでは思いつく。ふとネットでラムズフェルドの首がとんだとの情報。これでイラク情勢が変わるわけではないが、なにかが変わったと思いつつも、ブッシュ大統領の意図が読めない。私は、投票直前あたりで首を差し出すと思っておりましたので、選挙後も首はつながると思い込んでおりました。しかるに、このタイミングで"survivor"と2年ぐらい前に嘯いていた方の首がとぶ。これは私には難しすぎる。

 というわけで「不規則発言」を読むと、かんべえ節が炸裂していて読み耽ってしまいました。嗚呼、極悪哉。これじゃあ、まるで、あのブッシュ大統領が極悪に見えてしまう。安部総理まで「後はブッシュのような非情さを真似られるかどうか、ですな」と言われてしまう。ますます、心が穢れてゆきます。まあ、あれだ。自分が坊やだということを思い知らされましたね。

 「魑魅魍魎」といえば、そうなのですが、ブッシュ大統領の決断力と指導力には驚きです。ラムズフェルドの首を飛ばすのは、諸刃の剣で、攻撃の対象がもろに大統領に移るリスクがある。既に、イラクの戦後処理への批判はラムズフェルドに留まらなくなっている。単なる議会対策ならば、長くはもたない。すぐには情勢を好転させることは難しいけれども、変化を演出することが不可欠になる。他方で、「レイムダック」は、弾劾以外にはこれ以上悪くなりようがないので、仕事をするには意外と悪くないとも思ったりします。

 安倍総理は、はるかに余裕がある。ちと足らない野党が外相の首で騒いでいる間に、仕事をしてしまえば、楽な話でしょう。教育基本法改正程度ではもったいないが、集団的自衛権や憲法改正(民主党の党首が変わらないと、コンセンサスをつくるのは難しそうですが)と引き換えに差し出すには、政調会長、外相の首はそれ相応ではあります。この問題ならば、彼らも、「死処」とするか、一回死んで復活するチャンスとするかは、選択の余地が残るでしょう。とくに政調会長は、核議論で発言すればするほど、首の値打ちがあがる。「議論は自由」というのは、現段階ではやや苦しい感じがしますが、いざというときに差し出す首の値打ちを挙げる効果がある。

 別に、お二人に恨みはないのですが、問題の程度によって取引の材料は変わってくる。私が少しだけ危惧しているのは、安倍総理自身が首を差し出してしまうことです。出処進退の潔さでは、安倍総理のpoliticianとしての能力にはまだ信頼できない。60年安保での岸総理(当時)は文句なく、国益を守ったと思いますが、自らの首を差し出す形になったのはまずかった。今は、そんな切迫した状況ではありませんが、出処進退の潔さが評価される土壌では、中長期的には懸念材料だと考えております。

2006年11月09日

職場での政治談議

 かんべえ師匠が米中間選挙モードに入ってしまいました。この手の話は、滅法強い。「戦争と選挙」という他人が「生命」をかけて「戦闘」しているところをネットやテレビを駆使して楽しんで商売にするという、なんという悪徳商法でしょう。とかいいつつ、ついつい読んでしまう私も…ですが。ただ、これだけのドラマなのに、今ひとつ、もりあがれない自分がいます。議会の主導権が来年から民主党に移動しても、中東や極東のみならず、アメリカ中心の国際秩序が、崩壊するリスクは無視できるでしょうが、揺れが収まるという実感が沸かないです。この問題に関しては2006年9月21日の記事で論じておりますので、しばらくは、お手並み拝見というところ。あまり期待できないのが、書く気が起きない理由ですが。

 内政も、あれですね。ビデオライブラリーで党首討論を途中まで見ましたが、小沢党首の「唯一の被爆国」には萎えました。ネットではなく、職場などの周囲では議論はいいんじゃないのという意見が多いのですが、議論そのものにも慎重という人でも、こんな古色蒼然とした理由を挙げる方は、一人としていません。要は、北の事態を受けて核抑止を確実にするための議論(日本独自の核武装は論外というのがほとんどです)はやってもいいし、やった方がいいという議論がほとんどで、世代の差も無視できないのでしょうが、萎えました。

 ちょっと驚いたのが、安倍政権以降、「反民主党」という若手が少数ではありますが、増えていることでした。「どうせ政権をとれないから、非現実的なことばかり言っているんでしょ」という、ふだんは温厚な友だちまでがきついことを言うので、考え込んでしまいました。評判が悪い最大の原因は、年金問題。私は民主党の応援をするつもりはありませんが、年金一元化の議論は止めた方がよいと思います。来夏の参院選では一人区で勝って、都市部で全滅しかねない。農業政策の評判も最悪です。「寝言@時の最果て」のリンク先は、親自民の方が多いと思うのですが、ネットで情報をえずにマスメディアで情報を主としてえている人でも、このありさまです。

 月曜日に10分ほど『タックル』を見ましたが、コメンテーターの方(誰だったかは覚えておりません)が、「持ち込ませず」を外して「非核ニ原則」へ変更すべきだと主張されていて、のけぞってしまいました。沖縄の問題もあるのですが、目先の選挙だけでなく、今後の自治体(沖縄だけでなく、米海軍が寄港する、あるいは寄港する可能性のある自治体)への新しい説得方法を考えているのでしょうか。迂闊にやると、「神戸港方式」が広がりかねず、むちゃくちゃな話です。もちろん、ある種のトークショーでしょうから、私の考えは無粋極まりないでしょうが、feasibilityを全く無視した議論をしているので、正直、呆れてしまいました。あまりにバカバカしくなって、録画していた『功名が辻』を見てしまう。私は政治に関してはずぶの素人ですが、「持ち込ませず」を外すなどと、現時点で政府が言い出したら、政治センスを疑います。たぶん、あの番組は、もう二度と見ないでしょう。当たり前すぎますが、「非核三原則の堅持」を明言した安倍総理は、テレビのコメンテーターよりも、はるかに怜悧だと思います。

【厳重注意】

 続きがありますが、お食事中の方は、クリックなさらないで下さい。気分を悪くされたとしても、当方は一切の責任を負いかねますので、御理解を賜りますよう、お願い申し上げます。

続きを読む

2006年11月08日

『少女A』が流行した時代(続き)

 実を申しますと、月曜日の段階で記事を書き終えていましたが、気がついたら、結構、長いので2日に分けたしだいです。なぜか、仕事の片手間に書いていた文章ほど、コメントをいただけるので不思議なものです。出来心と懐古趣味だけで書いていたのですが、意外な反響です。コメント欄での「高い」評価は的外れでありまして、汗顔の至りであります。基本的には行き当たりばったりのことをやっているだけであります。「裏番」などという、おっかない、もとい「かっこよい」存在だったわけではありませんので、コメントへのリプライの前にお断り申し上げます。さて、続き。

 不良グループのメンバーが一番、役に立ったのは、中二の生徒会選挙のときでした。候補はクラス単位ででてくるのですが、自薦が多い。私は、クラスの総意で推されてやむなく立候補しましたが、やる気はゼロ。当然、落選をするための運動を展開しました。立会演説会では、プラトンを引用して小難しいことばかり言って(自分でも意味不明)、最後に「私は、物質的な豊かさよりも、精神的に豊かな『やせたソクラテス』でいたい」(当時は本当にガリガリでした。現在の体重は機密事項に属しますが、当社比約40%増)とか、わけのかわらない決め台詞で、場を白けさせて、前にいる生徒の反応を見ながら、「しめしめ」。しかるに、不良グループの情報では、当初は、会長に選ばれそうな勢いだったのが、せいぜい副会長になる程度という「票読み」だったので、焦りました。すかさず、ありとあらゆる私に関する悪評(デマ)を流すよう頼んで、投票直前には彼らの読みでは最下位で役員になる確率がほぼゼロになりました。ただし、私の所属していたクラスの票は、○価学○を超える「岩盤」でこれはどうにもなりませんとも。しょうがないわねと思い、選挙の結果が出ると、見事に「ブービー賞」でクラスの票+20票ぐらいが入っていました(まあ、○内閣だって末期でも支持率はゼロになることはなかったですからね)。

 落選してホッとしていたところに、生徒会担当の先生に職員室に呼び出されて、開口一番、「お前、わざとだろ?」と言われて、とぼけ通そうとしましたが、参りました。「(科学部の)実験も楽しいかもしれないけれど、生徒会はもっと楽しいぞ」と半ば「脅迫」されながら、「無任所」の役員に任命されてしまいました。この先生が中3の担任で、3年連続で学級委員長をやらされた上に、学年委員長までやらされました。昨年、同窓会をやったときに、「あの頃が一番、楽しかった」とおっしゃっていて、時代の流れを感じました。

 学年委員長といっても、大したことをした覚えはありません。余計な仕事をばんばん減らしたぐらいかなあ。一つだけ、新企画をやったことがあります。例年、3年生の学年委員長は、一週間ほど始業30分前ぐらいから「あいさつ運動」なるものを先頭に立ってやらなくてはならないのですが、ちょっとだけ工夫しました。私の両脇をそりが入った番長とサブで固めて登校してくる生徒に挨拶をするというもので、肝っ玉が据わった担任も最初はびっくりしていましたが、私よりずっと背が高い二人が私が黙礼をした後に、背筋をまっすぐ伸ばした状態から「おはようございます!」と叫びながら、腰を折って挨拶すると、たいていの生徒は顔を引きつらせながら、小さな声で「おはようございます」と言って逃げ去るように学校に入ってゆきました。最初は、こいつ何を考えているんだという表情をしていた担任も、これには苦笑していたな。ちょっとした工夫ですけど、遅刻が激減、最初は震え上がっていた生徒もきりっと(顔を引きつらせながらも)挨拶するのが当たり前になり、新入生の悪ガキどもも、一発で抑えこんでしまいました。あの頃は、やりたい放題で、楽しかったなあ。

 笑っちゃいけないけど、笑ったのが、中3のマラソン大会。ふだんは、実験ばかりしていたのですが、家に帰ってから、軽くランニングをしていたので中学校のマラソン程度だったら、トップは無理ですが、20番ぐらいには入っていました。「競走」という意識もなく、マイペースで走っていただけでした。ゴールをしてから、グループのサブ(この時期にはこのグループが周辺の中学校までしめていて、浜松市内限定ですが、広域ほにゃらら団みたいな存在になっていたようです)のU君が、「○○さんの精神力には負けました」と一礼して去ってゆきました。正直なところ、どう反応していいのかわからないまま、彼は爽やかに去ってゆきました。

 ふだんは、悪さばかりしている連中ですが、彼らから教えてもらったことも多いです。最近は通じない相手が老若男女を問わず、増える一方ですが、やはり誠実さに勝るものはないのだと。小賢しい知恵や理屈は二の次で、自分の精神をまともに保つことが肝心であることを、教えてもらったように思います(本当か?)。これを書くと、自分がオヤジになったことを実感せざるをえませんが、電車の中でみんな髪を染めて顔の区別のつかない中高生を見ていると、「不良」という言葉自体が死語になったことを実感します。善悪はわかりませんが、廊下が「図書室」になるような暑苦しい時代は過ぎて、さらさらした社会に入りつつあることを実感せざるをえません。U君のように、目標を夢見ながら、負けたときには素直に認めるという中学生が今でもいるのかなあ。そんな時代に適合したふりをしつつも、過ぎた時代に哀愁を感じてしまいます。

 

続きを読む
posted by Hache at 02:44| Comment(8) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言