2006年11月01日

私の個人主義(前編)

 「寝言診断士」なんて書くんじゃなかったですね。mitsu様、雪斎様の一句は、拝読しながら、いろいろなことが頭を駆け巡り、ジーンときました。「返歌」になっておりませんが、御両人とも、私ごときが「器」を云々する方ではございません。ブログを始めてよかったと思う瞬間がこれまでにも何度かありましたが、御両人には新たな時を刻んで頂き、感謝の念で一杯です。

 ピラティスをやりながら、ふと思ったのですが、インストラクターとは妙にうまが合う部分があって、不思議だったのですが、陸上をやっていたという点でなんとなく腑に落ちてしまいました。陸上といっても短距離と中・長距離でまるで風景が異なりますし、跳躍や投擲となると、ジャンルが違うという感じです。現役のときにも、「ただ走っているだけじゃないか」(実際はもっとひどいことも言われました)などと言われて、そういってしまえばそうなんですが、ただ走ればいいってもんじゃない。走るだけなら、苦痛でしかないわけで、他の競技なら動作の一つにすぎないわけです。走ることが楽しいと感じないとどうにもならない。きれいごとではありますが、きれいごと、あるいはある種の「嘘」がないと陸上はできない。もっとも、これは他の競技でも似たようなものでありまして、好きだからやる、やるから好きになるという「きれいごと」が必要なのでしょう。

 短距離と長距離の違いは、距離というよりも、時間です(障害のような競技は、難しいので省きます)。屁理屈のように聞こえるかもしれませんが、100m走を考えてみてください。「あ・い・う・え・お・か・き・く・け・こ・さ・し・す…」とゆっくり頭の中で唱えている間にレースが終わってしまいます。すなわち、全身の筋肉の状態、グラウンドとの相性、風の向きや速度などを瞬時に計算して体に命令を送っている間にレースが終わってしまいます。もっといえば、計算は走る前に終わっていて体に覚えこませておかないと話になりません。状況の変化も脳が計算しているのでしょうが、それを意識している余裕はないわけです。大会となれば、予選、準決勝、決勝でどうペース配分をするかということが問題にもなります。このあたりまでは他の競技とそれほど変わらないのでしょう。

 長距離の場合、距離の幅が広いのですが、私がやった中で最も長いハーフマラソンの場合、1時間から1時間半程度はあります。私の場合、ベストで高校2年のときの1時間18分。まあ、大した記録ではありません。問題は考えているということを意識できるぐらい、十分な時間があります。コースの傾斜など頭に入っていても、やってみるとまるで違う感覚になることは、無名のアスリートにはざらです。瞬時、瞬時で脳と体が一体になっているのは短距離と同じなのですが、体と相談していることを意識する余裕があります。単純化のために、折り返しまでが上り坂、帰りが下り坂のコースを考えると、私ぐらいのレベルの場合、下り坂がやっかいです。ここでオーバーペースになりやすい。まさに「行きはよいよい、帰りは怖い」です。優秀なアスリートなら、オーバーペースの幅を極力抑えることが上手ですが、平均以下の私のような場合には、このブレを抑えることがなかなか難しい。下りは楽そうに見えますが、上り以上に腹部への振動がきつく、運が悪いと…てなことになります。

 ざっくり「戦略」を述べると、上りで消耗を抑え、下りは最初の8qで抜かれるのを甘受して最後の2qちょっとで一気に差すという話になります。もっと単純に言えば、最後の2qでなにも考えずにとにかく走りきるという準備を18qの間に整えるということです。勝負は最後の2qで決まるわけですが、実際にはその前の18qで準備ができているかどうかで事実上、勝負がほぼ決まってしまいます。これが実に厳しい。トップ・アスリートは私の理解の範囲を超えますが、私の場合、レースをイメージして体に叩き込んでゆくのですが、まあ、体は頭の言うことを聞きませんし、頭は頭で余計なことを考えてしまいます。ベストの走りは、両者の違いを意識しないで体が実際に動くことなのですが、レベルが低いと頭と体がちぐはぐになります。

 ここまで書いて眠気に勝てなくなったので、寝ます。おやすみなさい。
posted by Hache at 04:07| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな?寝言