2006年11月07日

『少女A』が流行した時代

 日曜日の記事を書きながら、ふと思い出したのですが、私の子供の頃の「不良」は少しだけ変わっておりました。本題に入る前に、ちょっとだけ懐古趣味モードです。

 中森明菜の『少女A』が流行したのが中学生の頃でした。私は団塊の世代ジュニアのちょっと上で、彼らほどではありませんが、同世代の人数が多い。当時は、大勢の中に埋没せずに個性をだそうという意欲が強くて暑苦しい次代に、『少女A』はちょいワルっぽい中森明菜が哀愁と不思議な可憐さをだしていた時代でした。ちなみに、当時は、少年犯罪の容疑者を「少年A」などと報道するのが、通例でした。

 当時は「校内暴力」などという言葉が巷でよく使われていて、私の母校も、入学前の2年ぐらいまで、かなり荒れていたようです。今、考えると、60年安保を中学生のときに済ませていたようなものでしょうかね。まじめに、「安保反対!」を叫んでいた方々には申し訳ないのですが、いかれた外道には、校内暴力みたいなもんだなと映ってしまいます。私が入学した当時は一学年が500人近い「マンモス校」で若くて体力がある先生が、体罰をするのは当たり前(10年ぐらい前に体罰をすると親がクレームをつけたり、子供が教育委員会に携帯で連絡するなど、時代も変わったなあと思いましたね)。不良といえば、髪にそりが入っていてボタンがなんか変。見たら、「不良」とわかる格好をしていて、ものめずらしく見ておりました。入学して早々のホームルームで担任にいきなり学級委員をやれと言われて、ちとびっくり。小学校でも2回ほど経験していたので、たいした役目ではないことはわかっていましたが、「いきなりですか」と思いました。今、中学校の教諭をしている友人に尋ねてみると、小学校から中学校へ上がるときに、いろんな資料が送られていて、学級別に偏らないよう、割り振っているようです。

 「不良さん」との「出会い」は、1年生の秋頃でしょうか。カバンを廊下におきっ放しにして、図書「廊下」(図書室をつくる空間的な余裕がなかったので廊下が図書室がわりになっていました)で本を探して帰ってくると、カバンがない。財布の紐がかたい母上が珍しく大枚をはたいて買ってくれたので、なくしたなどとはいえません。必死になって探しました。そこら中をうろうろしていると、カバンを隠している男女の不良さんが教室でたむろしているのを発見しました。私は、ふだん、声がか細いほどにお小さいのですが、いざというときには声が大きいのでありまして、「なにをしている!!」と叫ぶと、不良連中がびっくりして一人の男がカバンをもって逃走しました。当然、追っかけます。

 どうも、教師から受けがいいので前から目をつけられていたらしく、計画犯だったようですが、幸い、「処分」される前に犯行者を見つけたので、さっさと取り返すべく、必死に追いかけました。私は勉強ができるだけで足はとろいと思われていたようです。小学生のときは陸上クラブに所属して、それなりのトレーニングはしていたので、あっさり追いつく。冷静に振り返ると、結構怖いシチュエーションなのですが、無我夢中で相手と取っ組み合いになってもぎとっていました。相手を殴ったのかは覚えていないのですが、悪罵の限りをつくして立ち去りました。なぜか、それ以来、この不良グループが私になついてしまって、困惑した覚えがあります。

 不良グループにも、「派閥」があって、私が喧嘩した相手は「大手」の一つだったようです。あまりお近づきにはなりたくないのですが、彼らの「ネットワーク」には驚きでありまして、誰と誰ができているとか、どの教師が破廉恥行為をしたとか、いろんな情報が入ってきます。これで、学校の大体の状況はわかります。いじめのときには、さすがに彼らに頭を下げました。だって、私の言うことを聞いたところで、彼らの利益にも、評判にもつながらないのに、私の言うとおり、あるいは考えていた以上のことをしてくれて、本当に助かりました。彼らなりに「仁義」があって行動しているので、感心した覚えがあります。まあ、普通の生徒には公開されていない情報を彼らに示唆してグループの「拡張」にそ知らぬ顔をして手を貸したことも大きいのでしょうけれど。

 書き出したら、長くなったので、続きの「寝言」は明日にいたします。
posted by Hache at 00:56| Comment(4) | TrackBack(1) | 気分しだいの寝言