2007年01月09日

法科大学院と社会人

 ある方から頂いた西郷隆盛に関する本を読みながら、西郷論を書こうなどと無謀なことを考えているうちに正月がすぎ、連休も終わってしまいました。気合を入れると、碌なことがないことを実感いたします。連休中、法科大学院がらみでおもしろい話を聞いたので、こちらを記事にいたします。

 教える側からも教えられる側からも「悪評」が絶えないようですが、複数の難関大学で教鞭をとっておられる先生のお話によると、社会人の方に適性がある確率が相対的に高いとのことでした。理由がふるっていて、「世の中、理屈じゃない」という教えようにも教えようがない部分を覚えているからだという話を伺ったのですが、私が書くと「寝言」になってしまいます。このあたりは妙に納得してしまいました。昼からアルコールが入っていたこともあるのでしょうが、この手の「寝言」「本音」はなかなか伺う機会が少ないので貴重な経験でしょうか。実は、この問題、法学に限らないような気がします。自然や人間、社会が論理的にできていないところを無理やり論理の枠にはめてゆくわけで、あくまで「寝言」ですが、科学というのは、ある種の含羞と野蛮さを秘めた真剣にやる「ごっこ」です。

 今、私はなんということを書いてしまったのでしょう。"pseudo science"はどうなるのとか、「外野席」から変な「野次」(あくまで「寝言」ですが)をとばすなとか、お叱りを受けそうです。まあ、アクセス数も低落傾向なので大丈夫かな。社会科学の分野でも数理を用いるようになってきましたが、あれも気が狂わず、考えを適切に組み立てるための方便だろうと。ここまでくると、「寝言」というより、「不規則発言」すら超越して「問題発言」ですな。数理を使うのは、基本的には対象を描写するのに欠かせないからでしょうが、いかれた「外道」にかかると、気が狂わずに考えを整理するための「約束事」となります。あれがかっこよい、あるいは「ええかっこしい」と考えている方は甘くて、キ○○○と紙一重のところを安全に渡るには不可欠じゃないかなと思います。

 それにしても、今西錦司が湯川秀樹や朝永振一郎のちょい上というのは恥ずかしながら、知りませんでした。やっぱり人材の集積というのはあるんだなあと思いました。

 …。

 え゛っ!?法科大学院の話はどうなったのって?


 …。申し訳ありません。最近、アルコールに弱くなってワインを少し頂いただけで元々ゼロに近い知能指数がほぼゼロになってしまいます。入学した院生のすさまじい努力や大学が司法試験の予備校化しただけだとかいろいろ話がありましたが。余計ですが、法科大学院に入学すると、事実上、予備校に通うのは不可能だそうです。大学院のカリキュラムをきちんと消化するだけで十分すぎるぐらいだそうです。大学側が一番、頭を痛めているのが「出口政策」。「三振アウト」と合格率の上昇が小幅だったことから、難関大学でも修了者が全員、法曹の世界に進めるわけではなく、頭を悩められているようです。「これだけのリスクと費用を負担してリターンがあるんですか?」と素の世界でも、何気なく言って周囲を凍らせてしまう私は…。

 回線切って、もう寝ます。 「鈍感力」はありがたや。ありがたや(ブログのように「不規則発言」の一日ごとにアドレスをふっていただけると、もっとありがたいのですが)。しかし、神経がただでさえ鈍い人間がこれ以上、鈍くなったら…。考え出すと、眠れなくなるので、「シャットダウン」ですね。

 本当にシャットするダウンする前にちょっとだけお断りを付け加えます。ご覧のとおり、レイアウトを編集したら、コメント欄やトラックバック欄を10件ずつ表示できるようになりました。トラックバックに関してですが、とくにお断りなく削除させていただく場合があります。記事に関連する場合でも、削除させて頂くことがございます。根本的に救いようがないぐらい心が狭いので、「精神世界」などというのは肉体すなわち精神という私には理解を超えるので(こういう表現自体に「カネ」の匂いがして「食わず嫌い」なだけでしょうが)、容赦なく削除させて頂きます。
posted by Hache at 01:23| Comment(0) | TrackBack(1) | まじめな?寝言

2007年01月07日

意識の最果て

(@時の最果て)

ハッシュ:zzz
ボッシュ:…ここには、大晦日も正月もないなあ。
ハッシュ:ふわあ。なんじゃ、また、おぬしか。
ボッシュ:・・・。年末から新年早々、すさまじい体験をしてしまった。あれ以来、再起不能になりかけたわ。この世とあの世の区別がつかなくなりそうになった。
ハッシュ:ちと刺激が強すぎたかの?
ボッシュ:刺激というより、幻覚でも見たようじゃ。ワシがきつく言ったせいか、あのデブめ、バカ正直にそのまま載せてさすがに気の毒じゃな。
ハッシュ:あのデブは喜んでおったぞ。なんでも、こんな記事を読まされれば、うんざりするからアクセス数が減るだろうとな。
ボッシュ:…。信じられぬセンスじゃな。アクセス数を増やそうと努力するのがまともだぞ。さらにワシが現実が現実として信じられなくなるような体験をして、それをアクセス数減らしに利用されるとは…。もう、言葉がない。
ハッシュ:見えたことが即現実とは限らないことぐらいおぬしも承知しておるだろうに。あと、あの件は早く忘れることじゃな。まあ、ワシもやりすぎたのかもしれぬ。
ボッシュ:忘れたいのはやまやまじゃ。しかし、あまりに強烈すぎたな。一気に老け込んだ気分じゃ。
ハッシュ:まあ、思い込みすぎないことじゃ。
ボッシュ:それにしても、ガッシュの時代はワシたちの時代の先なのか?
ハッシュ:…。実は、時が連続していないとすると、断言はできない。ワシ自身がそうじゃ。ジールの頃と時の最果てにきてからの自分が同一であるという保証は、どこにもないんじゃ。
ボッシュ:…。ということは、ワシもジールの頃と同一人物であるという保証はないのか?
ハッシュ:…。そういうことになる。
ボッシュ:しかし、ワシの記憶は連続しておるぞ。ジールの頃からガルディア、ジパングと記憶がとんでおらぬ。これでワシがワシでなかったら、訳がわからぬ。
ハッシュ:それでよいのじゃ。普通に生きてゆく分にはな。ただ、おぬしがボッシュであることを保証するのはなんじゃ?
ボッシュ:…。なんだか、嫌な展開じゃな。先週の問答を思い出すわい。ワシは独り者だし、仮に連れ添いがおったとしても、一人の時間がある。だから、ワシがワシであることを保証するのは、ワシの記憶以外にはありえぬ。
ハッシュ:まあ、ここまでは当然じゃな。そこでじゃ。誰か、あるいは何かがおぬしにそう思い込ませるようにしているとしたら、どうなる?
ボッシュ:…。ワシがあのデブである可能性があるとでも言うのか?これは、断言させてもらうが、ワシは、あのデブのように、ピザをむしゃむしゃと食べた覚えはない。
ハッシュ:そうじゃな。さて、その記憶自体が正しいことを保証するのはなんじゃろ?
ボッシュ:…。まるで先週のようじゃ。ワシがワシであってはならんのか?
ハッシュ:ここにいると、それすらあやうく感じるのじゃ。もちろん、おぬしの体験を夢で見ていると、おぬしはボッシュであってハッシュではない。おぬしが、客人と会話をしているときに、ワシはその会話に干渉することはできぬ。あくまで仮定の話じゃが、ワシが心の中でおぬしに会話の中身をこうせよと念じたところで、おぬしはおぬしの話をしている。したがって、感覚の上ではおぬしはボッシュであってハッシュではない。
ボッシュ:…。わかりきったことを、よくもまあ、こねくり回せるのお。ワシはワシじゃ。以上じゃ。
ハッシュ:しかし、それはあくまで感覚の上の話じゃ。その感覚が真であるという保証はどこにもない。
ボッシュ:…。なんだか、頭の中に虫でもいるようじゃ。なんというのか、ワシの感覚と脳みそのはたらきを自分で見ているような変な感覚じゃな。
ハッシュ:問題はそこじゃ。おぬしの感覚と感覚を処理するプロセスを見ている「自分」とは何者じゃ?
ボッシュ:…。なんだか、これ以上話をしていると、ワシがどうかなりそうなんじゃが。
ハッシュ:よい答えじゃ。そのおかしくなりそうな自分はなんじゃ?
ボッシュ:…。これは正直に言おう。自分でもよくわからぬ。
ハッシュ:あのデブの国では「客観」という言葉が安直に使われているようじゃ。ある主張が真であるかどうかを判断するのは、その人の話そのものではなく、他人の判断に依存する。これ自体は、決しておかしな話ではない。しかし、それ以前に自分で自分を客観として見ることができなくては、他人の話を判断することはできぬ。
ボッシュ:…。なんだか当たり前のようじゃが、考えたこともないな。しかし、おぬしの話を考えてみると、客人に料理をだすときに味見をするのお。まずは、自分がうまいと思えない料理は話にならぬ。そして、次に客人の好みに合っているかどうかじゃな。おぬしの話と同じではないだろうが、料理一つをとってみても、そんなものかもしれぬ。
ハッシュ:今回は、この辺で話を止めるが、要は、私は私であって私ではない。その状態を一瞬一瞬、立ち止まることなく紡いでゆくことが、生きるということじゃ。普通は、当たり前すぎて意識しないだけなんじゃが。
ボッシュ:ふと思うのじゃが、そんなことを考えて、いったいなにの役に立つんじゃ?
ハッシュ:まあ、時の最果てにいると、そんな寝言の一つも思い浮かぶんじゃ。役に立つかどうかは別として。
ボッシュ:ワシは、おぬしの寝言の聞き手というわけか。先週みたいな経験は御免被りたいが、そう悪い話でもないのかもしれぬ。そろそろ店の片づけを見にゆかなくてはならぬ。そろそろ、お暇じゃな。
ハッシュ:おぬしも忙しいのお。また、おいで。

 またまたコメント不能な話が時の最果てから届きました。時の賢者様の寝言につきあわなくてはならない命の賢者様がちょっと気の毒な気がいたします。私にはさっぱりわからない話ですが、強引に解釈すると、自我というのは「内なる自然」ということでしょうか。

 あんたの「寝言」はどうなのかって?まあ、「寝言」ですから。答えがあるのかどうかも怪しい話をぶつぶつ綴っているだけです。正直なところ、年を越えてブログを続けているとは思いませんでした。時の賢者様の言葉は寝言、私の文章は「寝言」ということで、ご理解を頂いているとは思うのですが、念のため、書いておきます。

 日曜日はとある集まりで、苦難を乗り越えて生きていらっしゃる方は美しいと思いました。時の賢者様の寝言を強引に「寝言」にすると、一度きりの人生である以上、やめることは続けるよりもたやすく、歩けば、そこに道があるということでしょうか。ありきたりですが、いろんな方に接すると、恥ずべき人生も愛すべきものであり、他人の人生を尊重するというのは、自分の人生をダメな人間なりに必死に努力することがなくてはありえないことを感じます。

2007年01月06日

「構造改革」と経済的相互依存

 かんべえさん(師匠と仰ぐことをやめたわけではないのですが、弟子はあくまで自称なので、オープンなところではかんべえ師匠という表記を控えます。不出来な「弟子」ほど迷惑なものはないので)の話が役立つことも、もとい常に役立つのですが、日経CNBCの番組『三原・生島のマーケットトークトーク』を見ながら、腑に落ちないことが一つ腑に落ちました。「構造改革」というときに、「構造」の中身がわからない。私自身、えらそうなことは言えないのです。小泉政権の最初の2年間は、デフレ環境の下で「構造改革」というのはなにか変だと主張していましたし、必要なのは「構造改革」ではなく、「構造変化」への適応だと主張しておりました。しかるに、私自身が「構造変化」というときに「構造」が何を指しているのかが不明確でした。

 90年代の前半ぐらいから、日本経済の問題点(あまりに漠然としていますが)を尋ねられると、お金を稼ぐのは上手だけれども、稼いだお金を回すのが下手だとバカの一つ覚えのように答えておりました。不良債権問題は入口であって資本市場のルール整備が最も肝要だと考えておりました。どのようなルールが望ましいのかを示したり、他の文献をあたって明示するほど理解が深まっておりませんが、試行錯誤の結果、小泉政権下では概ね「構造変化」に抵抗するのではなく、適応する方向で政策が展開され来たと思います。

 かんべえさんの話を聞きながら、ずっと気になっていたことが実感として理解できました。番組の内容は、私みたいな大雑把な人間に言わせてしまうと、景気の現況は単なる「外需依存の経済成長」ではなく、東アジアでの国際分業で日本企業が成功を収めている成果だということになります(ちゃんとかんべえさんの話を知りたい方は番組そのものを見てください)。これを受けてパッと思ったのが、ブレトンウッズ体制の崩壊後、モノ・カネの国際的な移動がより活発化する中で、日本企業が達成した成果が現在の緩やかな経済成長の原動力の一つになっているのだろうと。「グローバル化」という表現は、冷戦での西側陣営の勝利に基点を置く場合が多いのですが、私自身はブレトンウッズ体制の崩壊が原点だと考えております。

 資本移動が自由な環境では経済的相互依存の深化は、外生的ショックによって一時的に停滞したり、場合によっては後退することがあっても、長期的には不可避だと考えます。「構造改革」を国際経済から見ると、経済的相互依存の深化への適応だというのが、今日の「寝言」です。1980年代の政権は、様々なアプローチでこの問題に取り組んできたと思います。今日の記事ではフォローできませんが、小泉政権の経済政策は、橋本政権と類似する部分が少なくないように思います。「寝言」の極みですが、橋本政権と比較すると、小泉政権の特徴は、「劇的」に演出しながら漸進的であり、世界、とくにアジアの成長期と合致したという点が大きいのだろうと思います。つまらない話ですが、時間がとれたら、また、この問題に戻ってみたいと思います。

2007年01月05日

小泉政権と安倍政権 安全と食

 新年早々へたばってしまいました。冷静に考えると、年末からかなり自分を酷使してきたので、疲れがどっとでてしまった感覚です。「なまもの」には深入りする気はないのですが、少しだけ思うところを述べてみます。ブログでは外交や安全保障が中心になっていますが、珍しく経済政策を中心に論じます。

 つまらない記事にありがちですが、まずは言い訳から申し上げておきます。ネットでは盛んな構造改革対リフレ政策のような議論は大切だとは思いますが、個人的に興味がわかないので無視して議論を進めます。一国の産出量やその増加率(成長率)、物価、利子率、失業率などを代表的指標とする財政政策や金融政策の重要性が失われたわけではないと考えます。他方、私は、小泉改革の最大の成果は、経済政策、とりわけマクロ経済政策への「期待値」を下げたことだと周囲には主張してきました。共感してくださる方がほとんどいないのはちょっと残念ではありますが。簡単に述べておきますと、景気が下降局面に入ったときに、政府が拡張的財政政策を、中央銀行が金融緩和を行うことが繰り返し行われると、各経済主体が政府や中央銀行の行動を織り込んで意思決定を行い、資源配分の歪みを是正するインセンティブを損なう可能性があるというあまりあてにならない仮説が前提になっています。もちろん、程度問題であって、たとえば財政の三機能のうち、景気安定化を完全に否定することは経済学というよりも、政治的に非常に難しいだろうと思います。景気循環を「市場の失敗」としてどこまで捉えられるかは、私自身、確信はありませんが、「どんぶり勘定」で景気対策をやっていた頃よりは、分析が進み、より効率に配慮した政策が実施される程度の効果はあるのだろうと思います。

 もう少し経済政策そのものに関する議論を整理しておきたいのですが、「なまもの」から離れすぎてしまうので、この程度に抑えて、あらためて小泉改革を見てみると、あまり意見が変わらないことに驚いてしまいます。「改革」の具体的内容は、道路公団民営化や郵政三事業の公社化、さらに民営化など実施の必要性が疑わしかったり、あのタイミングで行う必要性があったのか疑わしいものが少なくありません。さらにいえば、不良債権処理問題についても、事態に追われてようやく実施したという感覚があります。個々の政策について見てゆくと、経済畑から見て必要かどうかも疑わしいものが小泉改革には含まれていたと思います。「寝言」をこいている人間が「ずいぶんえらそうだな」と言われてしまいそうですが、個別の政策は、どうでもいいものがかなり含まれているというのが率直な実感です。また、小泉政権の当初3年間は、各種世論調査でも、有権者のニーズと実際の政策には乖離がありました。そうであるにもかかわらず、私自身は総体として小泉改革を肯定的に評価します。周囲ではあまり共感を呼ばない「マクロ経済政策への過度の期待値を下げた」という理由につきます。あるいは、雪斎先生の「独立自尊」の精神を鼓舞する政策だ(こちらはちとかっこよすぎる感じがするので、私は使いませんが。「時の最果て」というよくわからないところで「寝言」を書いている人間にはきれいすぎるかな)という評価も可能でしょう。

 私自身は、安倍政権に期待するところが大です。昨日の記事では安倍政権に批判的な意見を紹介しましたが、突き詰めて憲法改正などに突っ込んでやりとりをすると、意外と改正そのものに反対という方はほとんど皆無といってよい状態です。自衛隊が「違憲」というのは明らかに変、自衛権の行使に変な枠をはめるのもおかしいという方がほとんどです。他方で、安倍政権への共感は広がっていないというのが、率直な実感です。露骨にいってしまえば、権力に求めるものが食(職でもいいかもしれませんが)よりも安全という発想は少数派だということです。安倍総理のやりたいことは安全に関することが主になっていて、私自身はそれに共感しますが、そんな人は少数だということです。

 小泉政権全体が安全よりも食を重視したのかという評価は私にはちょっと手に負いかねます。おそらく二流よりも上の政治家ならば、安全と食のうち、安全を重視するでしょう。安倍政権では小泉政権よりも安全に高い優先順位をおく傾向が鮮明です。表現が悪いかもしれませんが、食べることに関しては小泉政権を踏襲するのが無難だと思います。食べることよりも安全を重視すること自体はまともだと思います。ただ、残念ながら、共感は広がりにくいというのが率直な実感です。ならば、事実上、後継のレールをひいてくれた前任者の路線を継承することを言葉だけでなく、実行で示すことが重要であろうと。細かいことでいえば、復党問題で年明けまで引っ張るのはどうかしていると思います。前任者の路線を引き継ぐのか、変えるのか。このあたりに明確なメッセージがないため、どうでもいい問題で有権者の関心がじわじわと離れている(ただし、小泉政権を支持した層がただちに民主党支持には回らないでしょうが)原因だと思います。個人的には、食に関することは前任者を引き継ぎこと(所得再分配については前任者よりも、少なくとも心を砕いていると有権者に映ることが肝心だと思いますが)が、安倍総理が最も関心と懸念を抱いている安全の問題(私自身はこの姿勢に共感しますが)に専念するための不可欠の前提であると考えます。 

2007年01月04日

ジムで行うピラティス 初級編動作集

 元旦はついついサボって運動らしい運動をしていませんでしたが、1月2日に1万歩強、3日に約2万2,000歩ほど歩きました。2日あたりから軽くピラティスをこなしていました。今日は、錆をとるためにストレッチをメインにジムへゆく予定です。暮れにかけてのピラティスは、初級編の集大成という感じだったので、自分のメモ用に記録しておきます。自宅で行う場合には「Cカーブ」をやって時間しだいでもう一動作をジムよりも長めにやっております。どの動作も、腹直筋などの筋肉を使うと意味がないので自宅では動作を絞って基本に忠実に「復習」をしているというところでしょうか。なお、この記事はお断りなく、細くしてゆきます。ジムで呼吸の部分を「復習」しながら、自宅でやるためのマテリアルですので、御理解ください。

(Cカーブ)

 マットの端に上半身は垂直に膝を立てた状態にします。このとき、背中が丸くならないよう、ピンとさせます。腕は膝のあたりに伸ばしておきます。まず、ゆっくりと骨盤を後方へ倒して、ゆっくりと戻します。骨盤がが動いていることを意識するまで2、3回、繰り返します。次に、上体がたった状態から骨盤を倒しながら、ウェストラインまで骨盤を倒してゆきます。背中は丸いCの字を描くように意識。背骨の間が自然に広がります。ウェストラインまで骨盤を下ろしたら、10秒程度、その状態をキープ。ゆっくりと状態を立てます。時間があれば、この動作を3回程度繰り返します。次にウェストラインまで骨盤を倒したら、背骨を一本一本、下ろしていることを意識しながら肩甲骨まで下ろしてゆきます。肩甲骨まで下ろしたら、ゆっくりとウェストラインまで戻します。この動作を繰り返したら、ウェストラインから肩甲骨まで下げて、上体を完全にマットに倒します。腕を万歳の状態にします。このとき、腹横筋や骨盤底筋群が緩まないように注意。次に両腕を天井方向に揃えてあげて、ゆっくりと首から肩甲骨を上げて、背骨を一本一本、マットからはがすように起こしてゆきます。このとき、一気にあがろうとせずに、腹横筋を意識して骨盤底筋群を引締めながら起こしてきます。背骨がマットから離れたら、骨盤を起こして背中が垂直の状態まで戻します。この動作を3回程度繰り返します。足が浮きそうになりますが、その状態では腹直筋に力が入っているので、へそ下10cmあたりをマットに押し付ける感覚で体幹を固定して腹横筋のみの運動に近づけるよう、注意します。

(ハンドレッド)

 仰向けに寝て膝を立てます。腕は体の真横に伸ばした状態。まず、ニュートラルポジション。骨盤の位置を確認したら、インプリントして体幹を固定します。首を軽く上げ、膝を90°に曲げた状態にします。腕をマットから軽く浮かせて「吸って2、3、4、5」、「吐いて2、3、4、5」のリズムにあわせて腕を軽く上下に動かします。これを「吸って」と「吐いて」を1セットで10セット繰り返します。体幹が揺れないように注意。

(ハンドレッド2)

 ハンドレッドの動作に「吐いて」のタイミングで膝を斜め上方にビンと伸ばします。体幹が揺れると意味がないので注意。「吸って」のタイミングで膝を90°の状態に戻します。ハンドレッド同様に10セット繰り返します。

(ショルダーブリッジ)

 仰向けに寝てリラックスします。膝を立ててニュートラルポジション。息を吸って吐きながら、インプリント。準備ができたら、ゆっくりと息を吸って吐きながら骨盤をマットからはがすように腹横筋を意識して背骨を一つ一つ浮かせてゆきます。このとき、腰がそらないように注意。また、足に力が入らないように腹横筋の運動を意識して行います。肩甲骨まで浮いた状態でゆっくり息を吸って吐きながらゆっくり戻してきます。骨盤がインプリンの状態に戻ったら、1セットです。これを5セット程度行います。

(スパインツイスト)

 上体を起こして座り、膝を立ててニュートラルポジションをつくります。骨盤を後方にマットとの角度が60°前後になるように倒して体幹を固定した状態にします。インプリントの状態で体幹を固定する方が少し楽です。次に、両腕を太い幹を抱えるように肘を曲げて両手を組みます。このまま息を吸って吐きながら、右へゆっくりと上体を回転させます。息を吸いながら、ゆっくりと正面に戻します。腕が正面に戻ったら、手を組んだまま、ゆっくりと量うえでを上方に上げてゆきます。このとき、足が浮かないように注意。足が浮くのは腹直筋を使っている状態なので、慣れるまでは難しいのですが、腹横筋で体幹を固定します。つまり、「Cカーブ」と同じく腹直筋に力をいれないようにへそ下10cmを意識して行います。ゆっくりと腕を目の前に下ろします。同じく、息を吸って準備したら、吐きながら今度は左に上体を回転させて右と同じく吸いながらゆっくりと戻して両腕をあげます。これを5−10セット行います。

(アームプッシュ)
 まず、うつぶせに寝ます。次に、腸骨がマットにつくようにお腹を引き上げます(これは私のような「贅肉マン」には厳しいのですが)。両腕は、腕立て伏せをするように左右の手が方の真下にくるように調整します。息を吸って準備。吐いてポンと腕をもちあげます。あごはひきます。このとき、お腹が垂れないように注意。腹横筋と骨盤底筋群を意識します。この状態からゆっくりと肘を曲げてできるだけマットに近づけます。「ハイ、ストップ」。この状態で20−30秒ぐらいキープ。ゆっくりと肘を下ろします。これを3セット程度です。

(動作1(名称不明))

 仰向けの状態でニュートラルポジション。インプリントをして体幹を固定して膝を90°に立てます。次に膝を伸ばして両足を斜め上方にピンと伸ばします。右足の踵を左足の指先の上にのせて両足をクロスさせます。ここから、足の付け根から右足が上の上体から「右足が上に1、2、3」のリズムに合わせて右足と左足の位置をいれかえます。次に「右足が下に1、2、3」でクロスさせます。これを10セット繰り返します。

(動作2(名称不明))

 うつぶせの状態でまず全身をリラックスさせます。まず、腸骨が床につくようにお腹をくぼませます(腹直筋に力が入らないように注意)両手両足を肩幅程度に広げてまっすぐ伸ばします。腸骨のみがマットに接するように体幹を固定して手足を軽く浮かせます。このとき腸骨で体を支える状態になっているかをチェック。次に手足を両手は肩甲骨の辺りから、両足は足の付け根から上下数p程度、バタバタさせます。肘や膝が曲がらないように注意。体幹がぐらついては意味がないので、しっかりお腹をくぼませて腸骨で体幹を固定して手足をバタバタさせます。30秒程度バタバタさせたら、いったん動作を止めて両手両足をまっすぐ伸ばしてしばらく止めて、ゆっくりとマットに下ろします。これを3セット程度行います。

(動作3(名称不明))

 仰向けの状態で膝を軽く曲げます。両膝はこぶし一つ分が入る程度に開いておきます。ニュートラルポジションからインプリント。体幹部分を固定します。そのまま、両足を上げて、膝を90°に曲げます。頭を起こして肩甲骨が離れるかどうかぐらいまで上体を浮かせます。両腕は前に伸ばして肩に力が入らないように両手を膝のあたりに添えます。そこから息を吸って吐きながら、両手両足を万歳の状態にします。息を吸って吐きながら、両腕をのばしたまま、回転させて膝の辺りまで戻します。骨盤がぐらぐらしないように注意。ニュートラルポジションのままでやる方が効果的ですが、意外と厳しいのでインプリントして体幹がぐらつかないように意識することが第一です。

 他にも動作があったと思いますので、この記事は随時、補足してゆきます。なお、私の記事を見てピラティスをやっている方はいないとは思いますが、呼吸はすべて胸郭呼吸が基本です。あと、普通の腹筋運動でも胸郭呼吸でインプリンの状態で行うと同時に腹横筋も鍛えられるようです。

 3日は、歩き回った後で話し好きな方たちと飲んでいましたが、肝心の部分になると、口が堅い方ばかり。「○○○はホンマにアホやなあ」の一言を関西人の先生から引き出すために、ウィスキーのボトルを空けてしまう勢いの私は、自分でも不思議になります。まあ、段々、いろんな刺激を受けてゆくうちに、「正面攻撃」を続けざまにして、相手がそれはしゃべれないなあという反応をすると、ふっと退却して側面をくすぐると、「愛人の管理もできん奴に税制は無理やなあ」の一言で終わってしまう。まあ、これ以上は書けない(そんなにディープな話でもないのですが)のでやめますが、「即詰」で討ち取ってしまうあたりは、真似ができないなあと変なところで感心してしまいました。

 「それにしても、安倍はあかんな。あの程度のことは税調でトップにつける前に調べておかなあかんだろ。あの調子だと長続きせえへんで」。「放言」ついでに、小泉政権の話に振ると、「飯島ちゅうのはできるやっちゃなあ。あれを使いこなした小泉が偉いってことや。安倍政権は長くはもたんのお」となります。「まあ、ワシにもあんなできる奴が一人でもいれば、違う人生だったなあ」というあたりで「直弟子」が凍ってしまうあたりは、笑いをこらえておりましたが。飯島さんについてはこちらをどうぞ。

 私自身は、安倍政権が長期政権になることを願っておりますが、周囲では厳しい意見が多いです。「なまもの」には手を触れないのが基本ですので、「なまもの」関係は以上です。ノロウィルスも怖いですしね。正月気分もぬけてきたので、そろそろ試運転と参りたいのですが、年末年始に読むように準備していた資料を勤務先に忘れてしまって、自分の愚かさに嘆息するばかりです。
posted by Hache at 12:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康な?寝言

2007年01月03日

記憶と創造性

 1月2日にもう一本、記事が書けたので更新しちゃいます。元旦の記事では私には理解不能な議論が時の最果てではされていたようですが、「時の最果て」ではもう少しレベルの低い話になります。2日もテレビを見ていたのですが、『新春お好み囲碁対局』のみです。囲碁を打つ人からすると、評判がよろしくないのですが(2chの囲碁・オセロ板で見た程度ですけれど)、ど素人からすると、なるほどと思うところが多くて(意味がわからないことの方が多いのですが)、ためになりました。泥酔状態でも、七手詰めぐらいなら、なんとか解けるのですが、死活問題は絶望的で、というよりも、ほとんど解いたことがないというレベルなので、的外れなことが多いのはお許しのほどを。

 囲碁のど素人からすると、置碁はこうやって始まるんだということから新鮮でありまして、最初からついつい見てしまいました。対局者は喜多川拓郎さん・きたろうさん対稲葉禄子アマ六段。解説が小林覚九段、聞き手が青葉かおり四段。某掲示板では「もっと真剣にやれ」という声が多かったのですが、ど素人には、指導対局のようでむしろありがたいです。きたろうさんがテレビ出演にも囲碁にも慣れていることもあるのでしょうけど稲葉アマ六段からいろんなリアクションを引き出していて、非常に面白い。ただ、どこがどうまずいのかは聞いてもわからないのですが。将棋だと手順さえ示してもらえば、なるほどと思うことが多いのですが、囲碁はさっぱりです。ただ、テレビで対局者の表情が豊かだと、なんとなく引き込まれてしまう。地をとりあうことぐらいはわかるのですが、駆け引きの意味がわからない。テレビを見ると、駆け引きの呼吸(くどいようですが、意味はわかっていません)がなんとなく伝わってきます。

 なにに驚いたかと言えば、勝負が終わって大盤解説に移ると、青葉四段と稲葉アマ六段がすらすらと初手から並べてゆくのでびっくりしてしまう。プロやアマというよりセミプロの方には失礼ではありますが、ど素人には驚異的です。この光景は、将棋だとなんの違和感もないのですが、囲碁はわからないだけにびっくりしてしまう。こんなことに感心するのは、感心される方からすれば迷惑千万でしょうが、やはりすごいとなります。とてもじゃないですが、最初の形など全く覚えることができず、布石にこんなに意味があるというのは本当に驚いてしまいました。プロどうしの対局だったら、ここまで真剣に見なかったかもしれません。

 ふと感じたのは、囲碁の場合、19×19の場所に黒か白かの可能性があるがあるのが打つたびに可能性が狭まってゆく。駆け引きも面白いのですが、この流れがどのようにできてゆくのかが素人にはわからないだけに面白いです。将棋も本質的には同じなのかもしれませんが、可能性をどのように狭めてゆくかに碁の打ち手の妙味がある。黒が打ち白が打ち、また黒が打ち白が打つうちに確実に可能性は現実性になってしまう。もちろん、勝負が問題なのですが、押したり継いだり、はねたりの意味はわからないけれども、可能性を狭めながら、どうやって自分の主張を通してゆくのかが見えて興味深いです。

 もう一つは、囲碁であろうが、将棋であろうが、記憶という基本的にはよほどの才能がない限り嚼蝋とした反復作業と創造性とは相反するものではないということです。古めかしく言えば、記憶は「質料」であり、創造性は「形相」というところでしょうか。思考それ自体を考える場合に記憶、あるいは「真なるもの」を叩き込むことと、創造性を区別することは無意味だとは思いませんが、実際の作業となると、切り離すことはできない。露骨に言えば、このような区別は後知恵だと思えます。私の数学のレベルがあまりに低いからかもしれませんが、高校時代に行列の対角化を散々、練習させられて辟易しましたが、違うレベルで教えていただくと、違う世界が広がる(まあ、実際にはあまりわかっていませんが)。囲碁や将棋の手筋は無数といってよいほどあるのでしょうが、アマチュア、それも私みたいなセンスのない人間が使う手筋など数えるほどでしょう。まず、元々、覚えている手筋が少なすぎる。そして、それらを組み合わせて自分の主張を組み立てる能力に欠ける。私程度の人間ですと、記憶している量で能力のほとんどが決まってしまう。意味がわかるのは覚えてからです。

 凡人の「寝言」として読んで頂きたいのですが、記憶に意味をつけるのは後の話だという簡単なことが現代日本ではどこか置き去りにされているように感じます。覚える前に、意味を説明しろという人が多すぎる。走る前に意味を教えろ、泳ぐ前に泳ぐ意味を教えろという人の声ばかりが多い。さらに、走る前に走り方を教えろ、泳ぐ前に泳ぎ方を教えろという人はもっと多い。これでは、意味を教えて走り方を教えて問答をしているうちに日が暮れて実際に走る人がいなくなってしまう。「寝言」ついでに言ってしまえば、陽明学など文明のある極致でしょう。実際には区別のしようがない考えることと行うことを区別して「知行合一」。文明の本質の一つは、考えることと行うことを峻別することにあるのかもしれません。しかし、東西の古典は、行うことすなわち考えること、考えることすなわち行うことであることを行動と言論の双方で示した例がほとんどです。真の創造とはこのような状況で生まれることを東西の古典は示していると思います。

 「古代に戻れ」と主張しているわけではありません。「行うこと」と「考えること」の分業は、どちらかに力が偏っている方にも才能を発揮する場を与えたという点でも、多くのご利益があるのでしょう。分権的な社会は、両者を分けた上で全体としてある統一された傾向を生みだすという、驚くべき機構です。しかし、「考えること」に特化した側に記憶を創造性から切り離して軽視する傾向が少なからず存在することには危惧を覚えます。無から有は生まれない。この当たり前のことが、あまりに軽視されているように見えます。古代は叡知と行動力を兼ね備えた英雄を生み出しました。現代では、両者ともに特定の個人ではなく社会全体がそれを共有する方向へと変化したある高い段階なのでしょう。私自身は、このような営みに終わりがないという、まあ、証明はおろか、それなりに理屈付けすらできない、ある種の「公理」にもとづいて自然現象のように現代の先進国を見てしまう癖(へき)があります。「考えること」だけに限定しても、考える前に意味を考えずに知りたいという「病理」が生まれる。このような「病理」がある種の「風土病」で終わることを願っております。

 それにしても、囲碁もいいなあと思ったお正月でした。今年は、ピラティスに加えて囲碁の勉強でもしましょうか。

 え゛っ!あんた単に稲葉禄子さんみたいな人に指導してもらえるなら将棋より囲碁の方へ乗り換えたいというだけじゃないのって?どうせ凡人どころかその程度の単細胞でしょって?

 ・・・。訴追の虞はありませんが、黙秘いたします。自分の欲求を正当化するために、よくもまあ、どうでもいい「寝言」を書くものだとつくづく自分の「業」の深さに感動しました。私みたいにできの悪い人間だと動機が不純であっても結果がよければノープロブレムと他人に寛大になれるのですよ(自分でも説得力ゼロ)。
posted by Hache at 02:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言

2007年01月02日

ニューイヤーコンサートその他

 ニューイヤーコンサートの準備で、「飛露喜」という日本酒(無濾過生原酒)を飲みながら、すき焼き(年に一回ぐらいしかつくりませんが)をつくっていたら、すっかり出来上がってしまいました。気がつくと、卵を買い忘れておりましたので、慌てて砂糖とお醤油を控え目に。菊菜を入れて、少しだけ煮立ったら、出来上がり。私がつくる料理で最も楽な料理です。しかるに酔っ払ってつくったせいか、隠し味のニンニクが牛肉に浸透しすぎて新年早々、なんとも辛い料理に。おまけに菊菜を入れるまでに煮すぎたのか、これまた隠し味の「飛露喜」がとんでいました。とどめに肉が固まっていました。まあ、これでもかと「飛露喜」を注ぎ込んだので不幸中の幸いで柔らかさは残っておりましたが。

 どうでもいい話ですが、元旦早々にテレビの視聴時間がなんと8時間を越えてしまいました。昼の12時から夜の10時までつけたままというのは実に珍しい。「新春お好み将棋対局」を見ながら、51手目(A組対B組決勝戦)は、あんまりだろうと突っ込んでしまいました。桂成で玉砕覚悟で叩き込んでほしかったなあ(桂成だったら自信はないけれど、あそこまで紛れが少ない順にはならなかったのでは)。余計ですが、B組が優勝するようにつくられているとしか思えない(ど素人の偏見と独断ですのでお許しを)組み合わせで、ふとメンバーを見ると、見事に世代差ができているのに気がつきました。

(A組)
斎田晴子倉敷藤花   1966年12月 4日
清水一代女流王位   1969年 1月 9日
中井広恵女流六段   1969年 6月24日

(参考)
佐藤康光棋聖     1969年10月 1日
羽生善治三冠     1970年 9月27日
森内俊之名人(棋聖) 1970年10月10日

(B組)
石橋幸緒女流四段   1980年11月25日
千葉涼子女流王将   1980年 4月21日
矢内理絵子女流名人  1980年 1月10日

(参考)
山崎隆之七段     1981年 2月14日
渡辺明竜王      1984年 4月23日

(日本将棋連盟HPより作成)


 うーん、なにか思いついたのですが、「飛露喜」のおかげで忘れてしまいましたあ(個人的には「泉川」の方がさらにうまいんですけど)。なんだったかなあ。間違いないのは、上の方の中で誕生日(誕生年は違いますが)が全く同じ方がいることぐらいですね。あとは、中井女流六段に「いくらなんでも目に余る」とツッコミを入れた千葉女流王将は素晴らしい(終盤で矢内女流名人があれだったので引き分けのような。秒読み内に指し手をフリップに書けって無茶な企画をしたNHKが悪い。アイディア自体は面白いとは思いますけど)。その後、囲碁・将棋チャンネルを見ていて囲碁の時間に依田紀基九段が農心杯で世界チャンピオンを破った碁の解説を聞きながら気持ちよく寝てしまいました…。囲碁は難しいんであります。目が覚めると、『ヒカルの碁』のアニメ版をやっていて主人公が中国で叩きのめされるシーンをやっていて、思わず考えさせられましたね。中国が真の脅威となるのは、中国が政治・経済の分権化を進めたときであろうと。付随してありとあらゆる才能が花開く可能性が高いと思います。中共の独裁体制を批判しつつも、こっそりちゃっかり手を握るのが中国の「帝国化」のテンポが日本にとって脅威ではないスピードで進行するためには不可欠であろうと。台湾併合はダメよと怒りながら(こちらは本気で集団的自衛権の問題をクリアーして防衛費を増やして間違いのないメッセージを送るに限ると思いますが)、「格差是正」に手を貸して(絆創膏にもなるかどうか程度だとは思いますが)中共の支配が崩れるスピードを落としたほうがよいだろうと思いますね。

 そんなこんなでニューイヤーコンサート。これをテレビで見ることができるようになって、学生時代に一番、嬉しかったような気がします。実家に帰ると、ど演歌とバラエティしか選択肢がなくて正月は…なわけです。元旦からクラシックなどというものを聴いていると、そりゃあ、もう、江戸時代の切支丹弾圧より厳しい。テレビをNHK教育に変えようものなら、秒殺はおろか、瞬殺されるでしょう(まあ、高校時代には年代もののテレビしかなかったのでリモコンがありませんでしたから、秒殺が限界でしょうが)。一人で部屋に閉じこもって、イヤホンでFMで聴くのが限界です。これをすき焼きを頂きながら、一人で見るのが最高の贅沢でありまして、漸く新年を迎えたという実感が沸きまする。これがどれほど嬉しいことかといえば、つい10年前までニューイヤーコンサートを見た後で眠りにつくと、蛮社の獄の高野長英になぜか自分がなって幕府の目付連中に追い詰められる夢を見るぐらい、嬉しいことであります。

 それにしても、今年のニューイヤーコンサートは…。メータさんの演出ではないのでしょうが、最初のバレエの衣装が妙に安っぽくて(妙にパステル調で屋外を意識したのか渋めの色)、『美しく青きドナウ』の衣装が妙に映えていて、これはなんの風刺だろうと頭をひねりましたが、ピンときませんでした。まあ、考え過ぎかも。ラデツキー行進曲まで来て、ようやく暦が変わったのだという実感が沸きました(これで蛮社の獄の夢を見たら怖すぎますが)。赤ワインにミモレットというベタな組み合わせはさすがに一人とはいえ、濃すぎるのでやめました。それにしても、バレリーナのなんと優雅なこと。あの動作の一つ一つに、どの筋肉がどのように動いているのかを3Dで想像すると、すさまじいです。なんといっても、普通じゃない柔軟性。氷の上でイナバウアーをやってのける荒川静香さん(某HP(2006年2月22日を参照されたし)で「肉屋の娘」とかなんとか書いておられる御仁(直でも耳にしたような気が)がいらっしゃったと思いますが、泣いてわびをいれるのが当然だろうと。あんな技、凡人が語るにふさわしくありませぬ。ついでに、「キャバクラのヘルプ」の意味がわからなくて、「『ヘルプ』ってなに?『お助けマン』?」と周囲に尋ねたら、呆れられて、「よっぽど欲求不満のようだな。今度、暇なときに連れて行ってやるから、変なことをするなよ」と素晴らしいアドバイスを頂いた(しかし、いまだに誰も連れて行ってくれない)方々に感謝いたします。誰も信用してくれないのですが、本当に行ったことがないのです)もすさまじい筋肉ですが、ウィーン・フィルをバックに踊るバレリーナもすさまじいなあと思います。文字通りに読んで頂きたいのですが、あんなしなやかでやわらかく優雅な肉体(余計なところはでなくてよい)がほしいなあと思いました。

 ふわあ。年末には気合が入っていたのに、正月になったら、休みをいいことに食っちゃ寝でまずいです。ふと気がついたのですが、私は、同世代の中では、自分でも意外でしたが、体が柔らかい方に入るらしい。年末に入ったストレッチのレッスンで、バレエをやっている女性がいなければ、前屈から股関節、上体そらしのすべてで他の参加者よりも柔らかいのでちと呆れてしまいました。高校時代は、体が硬いとバカにされていたので。あと、まさかいないとは思いますが、このブログを見てピラティスを始めた方が万が一、いらっしゃったら、お気をつけ下さい。スリムながらも、筋肉逞しい若いインストラクターが、一参加者としてレッスン中に足をつらせてしまうという「悲劇」を目撃しました。慣れるまでは腹横筋以外のところにどうしても力が入るので、やばいです。「Cカーブ」なんて体育座りから骨盤をゆっくりと後方へ倒して背中を丸くするだけの動作だけに見えるのですが、「筋肉マン」がまともにやりすぎて足をつらせていましたからね。腹横筋が動かないと、一見、単純な動作でも、ふくらはぎあたりに負担がかかりすぎて、あっさりつってしまうのだ。

 まあ、こんな鄙びたブログを見ていないと思いますが、念のため、伏字にしておきますが、年末最後のレッスンで○○さんと××さんがコンビで登場。以前、××さんに「○○さんは、鬼モードに入ると本当に怖い。でも、○○さんにしゃべっちゃダメよ」と念をおしたのにもかかわらず、○○さんが、「ここから○○の鬼モードです。さあ、地獄を味わっていただきましょう」と私の方を(殺意を秘めながら)笑顔で睨みつけたので背筋が凍りつきました。と思いきや、ぬるい。ぬるすぎる。参加者のレベルを見切っていたのね。「君たちには、このレベルで十分、ハァハァひいひいするでしょ」という怖いメッセージ。ふと、週末のレッスンに入るのが怖くなってしまった私は、年始早々にして弱気の「寝言」であります。
posted by Hache at 00:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 幸せな?寝言

2007年01月01日

くる年(2007年(平成19年))

(@時の最果て)

ボッシュ:・・・だいたいじゃな。あのデブ程度の見識で「日の下には新しいものは一つもない」などと平気でいう神経が気に食わん・・・。ふわあ。おや、ここは?
:zzz
ボッシュ:…。こら、いい加減に目を覚まさん…。はあ?
ハッシュ:驚いたかの。
ボッシュ:なんと!これはヌゥではないか!?
ハッシュ:まあ、そうじゃが、話しかけてみることじゃ。
ボッシュ:おぬし、話が通じるのか?
:久しぶりじゃな。命の賢者よ。
ボッシュ:ガ、ガッシュ?
ハッシュ:お察しの通り、理の賢者ガッシュじゃ。ただし、ガッシュは自分の脳をヌゥに移植して朽ち果てた。
ボッシュ:…。脳を移植する?
ハッシュ:正確にいえば、自分の脳をヌゥに再現したわけじゃ。人格・知識・記憶のすべてをな。
ガッシュ:さすがは時の賢者じゃ。すべてお見通しというわけだ。
ボッシュ:・・・信じられん。この生き物にガッシュが再現されているというのか?
ハッシュ:信じるもなにも、目の前で語りかけてくるではないか?
ガッシュ:いや、信じられなければ、見なければよい。
ボッシュ:…。やはり、ガッシュか。
ハッシュ:ただし、問題がある。これは、おぬしから語ってもらおう。
ガッシュ:実は、自分の創造性の源だけはわからなかった。よって、ワシが朽ち果てるまでの知識から発達することがない。ワシはガッシュであるが、そうではない。
ボッシュ:…。進歩を止めたガッシュか…。ところで、ガッシュを呼んだのには訳があるじゃろ?
ハッシュ:話題を元に戻そう。おぬしがこだわっていた「日の下には新しいものは一つもない」じゃ。あのデブは、この会話には参加できぬゆえ、ワシがあのデブの代理をしよう。おぬしが好きなことを述べて、ガッシュに判定してもらおうというわけじゃ。
ボッシュ:うーむ、なんだかついてゆけない部分があるが、気にせずにゆくか。まず、なんであのデブはあの年であんなに保守的なんじゃ?
ハッシュ:保守的?
ボッシュ:間違っても、右とか左とかそういうことではないぞ。要は、あのデブの知恵などたかがしれておる。ココだから言えるが、人類の知識ですら、たかがしれておる。ワシたちの目に入る光景など、世界のごく一部じゃ。その視野の外に沃野がある。そこへ足を踏みだすことそのものが進歩じゃ。新しい世界への道に二の足を踏む。これが保守的だということの意味じゃな。
ハッシュ:そうすると、「日の下には新しくないものは一つもない」というわけじゃな?
ボッシュ:いや、ことはそれほど単純ではないんじゃ。自然に関する学は進歩したが、自らのこととなると、まだまだじゃ。いまだに対立したら、最後の手段は戦争じゃ。敵対する相手を抹殺するしかない。ジールの頃は、戦争はなかった。まあ、ワシらの頃は、ジール以外の国はない。これは例外じゃ。古今東西の歴史は戦争に彩られておる。これらの表面を眺めれば、「日の下には新しいものは一つもない」。しかし、そこから新しい一歩を踏みだすことが肝心じゃ。おぬしは、以前、考えることをやめたら、なんにもならじゃないかと言っておった。考えるだけでは物事は解決せぬ。しかし、考えもしなければ、いつまでも同じことの繰り返しじゃ。だいたい、おぬしがそう言っておったではないか?
ハッシュ:それはそれ、これはこれ。今日は、あのデブの代わりをしよう。ここにひなげしの花がある。何色じゃ。
ボッシュ:・・・。暗くてよく見えないが。黄色かな?
ハッシュ:このひなげしの花は黄色い。そうじゃ。なぜ、そう言える?
ガッシュ:…。
ボッシュ:おぬし、なにを尋ねているのか?
ハッシュ:このひなげしの花は黄色い。なぜ、そう言えるのかと聞いている。
ボッシュ:・・・。意味がわからぬ。赤いということか?
ハッシュ:赤なら赤。白なら白。どれでもよい。なぜ、この花は黄色だ、あの花は赤色だと言えるんじゃ?
ボッシュ:・・・。そういう色を決める「約束事」があるからか?
ハッシュ:ほお。おぬしもできるの。もうちょっと、考えてみよう。その「約束事」を決めるのは誰じゃ?
ボッシュ:国によって色彩の表現も微妙にあるいは大いに異なるが、基本的には人間じゃな。それ以外にはありえぬ。
ハッシュ:ここまでくれば、あと一歩で出発点じゃ。あのデブは出発点にすらたどりついておらぬがな。人間がそのような「約束事」を決めることができるようにしたのは、誰じゃ?あるいは、何じゃ?
ボッシュ:・・・。
ガッシュ:もういいだろう。このゲームはやってはならぬ。命の賢者よ、降りるのが賢明じゃ。うっかりやると、気が狂う。
ボッシュ:時の賢者よ。ガッシュは…。
ハッシュ:正常じゃ。この問答の彼方にある問題を考えている最中におかしくなりかけたがな。もっとも、あの環境下で精神が正常であること自体、異常なことではあるんじゃが。
ガッシュ:・・・。おぬし、そこまで見えていたのか・・・。創造性の源を考えているうちに、不覚をとりかけた。あの環境だったからかも知れぬ。なにかワシには足りないものがあるように思ったが、ヌゥに創造性以外の要素はすべて取り入れた。
ハッシュ:あのデブの立場は、ヌゥに再現されたガッシュは、ガッシュそのものじゃ。
ボッシュ:・・・。創造性はどこへ行ったんじゃ?
ハッシュ:すべては私のうちにある。それが「日の下には新しいものは一つもない」ということじゃ。すなわち、真なるものは私のうちにあり、真理とはそれを自覚したにすぎぬということじゃ。あのデブでは、この程度ですら、まともに表現できんのじゃから、使わないほうがよい。
ボッシュ:ガッシュは、創造的なのか?
ガッシュ:私自身もわからぬ。以前と同じ私なのかさえ。
ハッシュ:言っておくが、これからのガッシュしだいなのじゃ。人類が極限下でも知的存在でありうるのかは…。
ボッシュ:これは答えがある問いなのか?
ガッシュ:ワシにもわからぬ。創造性の秘密はまだまだ先にある。ワシが知っておる範囲では、ワシ以外にも生き残ったものが集落を作っておるが、生きるので精一杯じゃ。ワシだけが答えを知りうる。
ボッシュ:時の賢者よ。おぬしは、答えを知っておるのではないのか?
ハッシュ:・・・。正直に言おう。ワシが知りうる限り、ガッシュの後の時代から客人はない。残酷な話じゃが。無言の連中が来たが、まったく反応がない。よって、ガッシュの時代より前なのか後なのかすらわからぬ。したがって、ワシもわからぬ。
ガッシュ:気遣いは無用じゃ。ワシの最後の賭けだな。「あのデブ」とはちと変わった名前のお方じゃが、どなたじゃ?
ボッシュ:・・・。
ハッシュ:ワシの客人の一人じゃ。
ガッシュ:そうか。少しだけ希望がでてきたのかもしれぬ。これも、元を質せば、あの日の悔恨かもしれぬ。ハッシュよ、おぬしには内緒で女王にすべてを告げたのじゃ。ジール最後の日の1ヶ月前じゃ。大地が太陽の周りを回っているかもしれぬことやそこからくる暦のずれ、海底神殿の危険、すべてをな。最後に女王は笑っただけじゃった。ワシは自信を失くして、それ以来、このことに触れず、一週間前におぬしたちにすべてを明かしたのじゃ。ワシはすべてを知っていながら、なにもできなかった。「理の賢者」などというのは、名ばかりだということも、よくわかった。ジール最後の日から1万年以上あとにとばされたら、また、この始末じゃ。知恵や知識が何の役に立つのだ。ワシの一生は、別の生命体にワシ自身を移植することで終わりだったとは・・・。
ボッシュ:・・・。
ハッシュ:・・・。
ガッシュ:わしからのメッセージは、これで全てじゃ。最後にお願いしてもよいかな?この物体のプログラムもこれで終わりじゃ。コイツを休ませてやってくれ。
ハッシュ:・・・。すまぬが、命の賢者よ。ワシはココを離れることはできぬ。
ボッシュ:・・・。わかった。それでは、いったん失礼する。


(@時の最果て)
ボッシュ:あれでよかったのか・・・。
ハッシュ:まあ、あまり考えないことじゃ。
ボッシュ:あのデブの話からこんなことになるとは・・・。
ハッシュ:そういえば、暦の話は・・・。
ボッシュ:・・・。はっ!もう、2007年、平成19年じゃ。
ハッシュ:そうかえ。
ボッシュ:・・・。なんだか気が抜けるのお。おぬしも、ワシと一緒に大声を出すんじゃ。
ハッシュ:ほお。いったい何を・・・。
ボッシュ:ぼそぼそ。いいな?
ハッシュ:了解。
ハッシュ&ボッシュあけましておめでとうございます。今年も、時の最果てへようこそ!!
ボッシュ:・・・。何のために、お誘いを断ったのやら。はあ。疲れきったわい。ワシは、帰るぞ。
ハッシュ:今回は長かったのお。また、おいで。

 ・・・。こんな話を送ってこられても困るんですが。11月に2回、12月に1回、時の最果ての話をボツにしたら、命の賢者様がお怒りで今度、勝手にボツにしたら、二度とやらないぞとまでおっしゃっていた御様子でしたので、やむなく、2回にわたってお届けいたしました。新年早々、こんな話で誠に申し訳ありませぬ。はぁ、この状態が続いたら、『霊界通信』とでも改名いたしましょうか。東方より博士たちが来る。よもや三賢者様がこんな形で揃うとは…。

 驚いたことに、管理画面を開けたら、びっくり。2006年12月31日の訪問者数が600を超える数になっていて、平日だったら、「5.25同時テロ」を抜く勢いでした。「犯行声明」はカワセミ様finalvent様のところでだされております。人様の「ブログ炎上」を楽しそうに語った後で「テロ」をしこむかんべえ師匠とは異なって見事なまでの「テロ」。やられた側としては、「標的」になったことをもって冥すべしというところでしょうか。「日の下には新しいものは一つもない」なんてほざいていた矢先にこの事態。私程度の人間にとっては、「日の下には新しいものは一つもない」と「一寸先は闇」は同じことなのであります。

 というわけで2007年が始まりました。率直にいって、あまり感慨もないのですが。カウントダウンみたいな行事に行くのは初めてでありまして、初詣はもう疲れたのでキャンセル。人混みが苦手で、2時間が限界であります。とりあえず、騒いだおかげで頭の中が空っぽになって、リセットされたというところでしょうか。説得力がありませぬが、本年最初の記事は定番で締めとさせて頂きます。

 謹んで新年のお慶びを申し上げます。本年も御愛顧いただきますよう、お願い申し上げます。