2007年01月06日

「構造改革」と経済的相互依存

 かんべえさん(師匠と仰ぐことをやめたわけではないのですが、弟子はあくまで自称なので、オープンなところではかんべえ師匠という表記を控えます。不出来な「弟子」ほど迷惑なものはないので)の話が役立つことも、もとい常に役立つのですが、日経CNBCの番組『三原・生島のマーケットトークトーク』を見ながら、腑に落ちないことが一つ腑に落ちました。「構造改革」というときに、「構造」の中身がわからない。私自身、えらそうなことは言えないのです。小泉政権の最初の2年間は、デフレ環境の下で「構造改革」というのはなにか変だと主張していましたし、必要なのは「構造改革」ではなく、「構造変化」への適応だと主張しておりました。しかるに、私自身が「構造変化」というときに「構造」が何を指しているのかが不明確でした。

 90年代の前半ぐらいから、日本経済の問題点(あまりに漠然としていますが)を尋ねられると、お金を稼ぐのは上手だけれども、稼いだお金を回すのが下手だとバカの一つ覚えのように答えておりました。不良債権問題は入口であって資本市場のルール整備が最も肝要だと考えておりました。どのようなルールが望ましいのかを示したり、他の文献をあたって明示するほど理解が深まっておりませんが、試行錯誤の結果、小泉政権下では概ね「構造変化」に抵抗するのではなく、適応する方向で政策が展開され来たと思います。

 かんべえさんの話を聞きながら、ずっと気になっていたことが実感として理解できました。番組の内容は、私みたいな大雑把な人間に言わせてしまうと、景気の現況は単なる「外需依存の経済成長」ではなく、東アジアでの国際分業で日本企業が成功を収めている成果だということになります(ちゃんとかんべえさんの話を知りたい方は番組そのものを見てください)。これを受けてパッと思ったのが、ブレトンウッズ体制の崩壊後、モノ・カネの国際的な移動がより活発化する中で、日本企業が達成した成果が現在の緩やかな経済成長の原動力の一つになっているのだろうと。「グローバル化」という表現は、冷戦での西側陣営の勝利に基点を置く場合が多いのですが、私自身はブレトンウッズ体制の崩壊が原点だと考えております。

 資本移動が自由な環境では経済的相互依存の深化は、外生的ショックによって一時的に停滞したり、場合によっては後退することがあっても、長期的には不可避だと考えます。「構造改革」を国際経済から見ると、経済的相互依存の深化への適応だというのが、今日の「寝言」です。1980年代の政権は、様々なアプローチでこの問題に取り組んできたと思います。今日の記事ではフォローできませんが、小泉政権の経済政策は、橋本政権と類似する部分が少なくないように思います。「寝言」の極みですが、橋本政権と比較すると、小泉政権の特徴は、「劇的」に演出しながら漸進的であり、世界、とくにアジアの成長期と合致したという点が大きいのだろうと思います。つまらない話ですが、時間がとれたら、また、この問題に戻ってみたいと思います。