2007年01月09日

法科大学院と社会人

 ある方から頂いた西郷隆盛に関する本を読みながら、西郷論を書こうなどと無謀なことを考えているうちに正月がすぎ、連休も終わってしまいました。気合を入れると、碌なことがないことを実感いたします。連休中、法科大学院がらみでおもしろい話を聞いたので、こちらを記事にいたします。

 教える側からも教えられる側からも「悪評」が絶えないようですが、複数の難関大学で教鞭をとっておられる先生のお話によると、社会人の方に適性がある確率が相対的に高いとのことでした。理由がふるっていて、「世の中、理屈じゃない」という教えようにも教えようがない部分を覚えているからだという話を伺ったのですが、私が書くと「寝言」になってしまいます。このあたりは妙に納得してしまいました。昼からアルコールが入っていたこともあるのでしょうが、この手の「寝言」「本音」はなかなか伺う機会が少ないので貴重な経験でしょうか。実は、この問題、法学に限らないような気がします。自然や人間、社会が論理的にできていないところを無理やり論理の枠にはめてゆくわけで、あくまで「寝言」ですが、科学というのは、ある種の含羞と野蛮さを秘めた真剣にやる「ごっこ」です。

 今、私はなんということを書いてしまったのでしょう。"pseudo science"はどうなるのとか、「外野席」から変な「野次」(あくまで「寝言」ですが)をとばすなとか、お叱りを受けそうです。まあ、アクセス数も低落傾向なので大丈夫かな。社会科学の分野でも数理を用いるようになってきましたが、あれも気が狂わず、考えを適切に組み立てるための方便だろうと。ここまでくると、「寝言」というより、「不規則発言」すら超越して「問題発言」ですな。数理を使うのは、基本的には対象を描写するのに欠かせないからでしょうが、いかれた「外道」にかかると、気が狂わずに考えを整理するための「約束事」となります。あれがかっこよい、あるいは「ええかっこしい」と考えている方は甘くて、キ○○○と紙一重のところを安全に渡るには不可欠じゃないかなと思います。

 それにしても、今西錦司が湯川秀樹や朝永振一郎のちょい上というのは恥ずかしながら、知りませんでした。やっぱり人材の集積というのはあるんだなあと思いました。

 …。

 え゛っ!?法科大学院の話はどうなったのって?


 …。申し訳ありません。最近、アルコールに弱くなってワインを少し頂いただけで元々ゼロに近い知能指数がほぼゼロになってしまいます。入学した院生のすさまじい努力や大学が司法試験の予備校化しただけだとかいろいろ話がありましたが。余計ですが、法科大学院に入学すると、事実上、予備校に通うのは不可能だそうです。大学院のカリキュラムをきちんと消化するだけで十分すぎるぐらいだそうです。大学側が一番、頭を痛めているのが「出口政策」。「三振アウト」と合格率の上昇が小幅だったことから、難関大学でも修了者が全員、法曹の世界に進めるわけではなく、頭を悩められているようです。「これだけのリスクと費用を負担してリターンがあるんですか?」と素の世界でも、何気なく言って周囲を凍らせてしまう私は…。

 回線切って、もう寝ます。 「鈍感力」はありがたや。ありがたや(ブログのように「不規則発言」の一日ごとにアドレスをふっていただけると、もっとありがたいのですが)。しかし、神経がただでさえ鈍い人間がこれ以上、鈍くなったら…。考え出すと、眠れなくなるので、「シャットダウン」ですね。

 本当にシャットするダウンする前にちょっとだけお断りを付け加えます。ご覧のとおり、レイアウトを編集したら、コメント欄やトラックバック欄を10件ずつ表示できるようになりました。トラックバックに関してですが、とくにお断りなく削除させていただく場合があります。記事に関連する場合でも、削除させて頂くことがございます。根本的に救いようがないぐらい心が狭いので、「精神世界」などというのは肉体すなわち精神という私には理解を超えるので(こういう表現自体に「カネ」の匂いがして「食わず嫌い」なだけでしょうが)、容赦なく削除させて頂きます。
posted by Hache at 01:23| Comment(0) | TrackBack(1) | まじめな?寝言