2007年01月14日

とき

(@時の最果て)

ハッシュ:zzz
ボッシュ:…。先週や大晦日のような目にあってはかなわぬゆえ、挨拶だけで帰ろうかのお。
ハッシュ:ふわあ。なんじゃ、また、おぬしか。
ボッシュ:…。なんだか気が抜けるわ。
ハッシュ:おぬし、なんだか早く帰りたいようじゃが、何か用でもあるのか?
ボッシュ:…。おぬし、ワシの記憶をたどっておるな?
ハッシュ:ご明察。
ボッシュ:これで秘密が解けたぞ。ワシが考えても、何を答えるのかを先に読んでおるゆえ、ワシをやりこめることができたのだろう。煎じ詰めて言えば、囲碁や将棋で相手が指す手を読んでゲームをしているようなものじゃな。ある種のイカサマじゃ。
ハッシュ:直に話しているときに相手の心を読む必要はあるまい?聞けば済む話じゃ。
ボッシュ:…。
ハッシュ:それとも、なんじゃ。おぬし、言っていることと考えていることが別かね?
ボッシュ:…。
ハッシュ:なんで黙っておるんじゃ?
ボッシュ:…不覚じゃ。おぬしのペースにはまっておる。
ハッシュ:…。ワシはおぬしをはめた覚えはないぞ?
ボッシュ:なんでこうなるんじゃ!…すべてはあのデブのせいに違いない。
ハッシュ:まあまあ、お互い年ゆえ、カリカリせぬことじゃ。
ボッシュ:…。なんというのか、こんな鄙びたところにおる御仁は、神経が抜けているようじゃ。ワシなど、三日ももつまい。
ハッシュ:…。反論ではないんだが、おぬしのような生活をしていたら、ワシは気が狂いそうじゃ。あんんなに客人と接しておったら、どうかなる。
ボッシュ:まあ、お互いふさわしい生活をしておるのかもしれぬ。ところで、ここはどこじゃ?
ハッシュ:…。おぬし、実はワシみたいな生活がしたくなったのかね?
ボッシュ:そうではなくて、時の最果てとはどこなんじゃ?ときに終わりがあるとして、その終わりなのか、それともぐるぐる回る時の出発点でもあり、終わりでもあるようなトコなのか?
ハッシュ:…。難しいところじゃ。以前にも言ったと思うが、だいたい、時が連続しているかどうかすら、怪しい。
ボッシュ:…。ワシにはついてゆけぬのじゃが。
ハッシュ:時間というときに、普通、まず1時間や2時間といった単位を思い浮かべる。もちろん、分や秒でもかまわん。これが混乱の元じゃ。あるいは、時刻でもよい。何時何分何秒という奴じゃな。
ボッシュ:おぬしが考えているときとは、いったいなんじゃ?ワシにはわけがわらかぬが。
ハッシュ:あのデブの好みに合わせれば、物体の運動を記述するための概念じゃ。あるいは、「時間が経つ」というときの時間そのものじゃ。もちろん、単位で計ることもできるが、それ以前の問題じゃ。
ボッシュ:…。この前とは違う意味でついてゆけぬのお。そんなことを考えて、なにかいいことがあるのか?
ハッシュ:言いにくいんじゃが、まさに時間の無駄かもしれぬ。
ボッシュ:…。よくぞ、こちらからは言いにくいことを言ってくれた。ワシは、その一言で感動したぞ。そろそろ帰ろうかのお。
ハッシュ:また、おいで。

 …。このシリーズ、いつまで続くのでしょう。書き写す方も面倒なのですが。おまけに、ご本人が「時間の無駄」とこられては…。「時の賢者」なのか「時の愚者」なのか、難しい問題であります。まあ、何とかと天才は紙一重とか、何とかとハサミは使いようとも申しますので。

 物体の運動を記述する意味での時間は、私には手に負いかねます。変に「哲学的」な考察をしたところで、下手の考え休むに似たり。因果律をあれほど嫌ったボーアがなぜそれよりもはるかに強い相関を認めたのかはずっと疑問ではあるのですが。「鶏が先か、卵が先か」という話について言えば、「正しい」捉え方はわかりませんが、鶏が先の場合と卵が先の場合で結論が異ならなければ、どちらから始めてもよろしいという、すちゃらかな考えで接しています。ただ、量子力学が描き出す「物質」は、直感からあまりに遠ざかっていて、気味の悪い反面、案外そのようなものかもしれないとも思ったりします。

 …。何を書いているのか、自分でもよくわからなくなってしまいました。ったく、時の最果てから変なものが送られてくると、こんなありさまです。「時は金なり」。ときどき、しみじみ感じ入ることがあります。