2007年01月31日

自己責任?

 「自己責任」という言葉を見ると、胸がむかついてしかたがありません。なんで胸がむかつくのかは説明が難しいのですが。この言葉は、小泉政権あたりから節操もなく、使われるようになった印象があります。ほお、散々、ほめちぎったくせに、小泉批判ですか。無節操というのは楽ですなあと思った、あなた。そういうあなたが「自己責任」という言葉を独り歩きさせてしまったと断言させていただきます。

 自己責任というのは、あなたの人生はあなたの人生であって私の人生ではない。あなたの人生の苦楽をいくばくかは共有できるけれども、私の人生そのものではない。私の人生でない以上、あなた自身で決めてくださいね。それが自己責任。そんなの当たり前じゃないかと思う方は、幸せな人生を送っている方でしょう。それが当たり前じゃなくなったから、「自己責任」と言わざるをえなくなってしまった。当たり前のことを当たり前のこととして言わざるをえなくなったことが「戦後レジーム」の構成要素なら、「戦後レジーム」など根本的に地上から消え去ってほしいというのが正直な感覚です。

 自己責任などという言葉は死語にしてほしいというのが本音であります。あなたの人生はあなたのものであって私のものではない。よって政府という名の「他人」が幸福を最大化するにしても、不幸を最小化するにしても限度というものがある。そんなことはわかりきっているというなら、あえてこんな「寝言」を書くのは無粋の極みでしょう。言いにくいが、日本人というのはそれほどさとい人ばかりとは思えないというのが本音であります。あえて問題を面倒にすると、さとい方も無視できないほどにいるのが話を複雑にしてしまう印象があります。

 露骨に言えば、「自己責任」というのが政府の「無責任」というのはバカバカしすぎるのだ。当たり前すぎて。でも、それがあまりにバカバカしいことだと気がついている方が少ないことが怖いんであります。さらに露骨に言えば、バカバカしいことほど、カネに(場合によっては票に)なるということも否定できないんです。このバカバカしいことにどれだけ耐えられるかということが分権的社会を生きるための「知恵」であり、「ヴァイタリー」であることもわからんではない。しかし、ときにはバカバカしいことをバカバカしいと断言してほしくなる「短気」もあるわけで難しい問題です。あなたの人生はあなたのものであって私のものではない。だから、他人の「善意」による改善にも限度がある。このように描写してしまうと、バカバカしい限りです。しかし、くどいようですが、バカバカしいことをバカバカしいことと自覚している人の少なさに慄然としてしまう。「馬」を「馬」、「鹿」を「鹿」と明言するのは「文明社会」では野蛮すぎるけれども、その野蛮さを失った途端に「文明」なるものは崩壊してしまう。こんな簡単なことがわからない、自称あるいは他称の「インテリ」にむかついて仕方がないという野蛮人の「寝言」。

 
 彼は、何一つ成功したことがなく、結果として見れば、彼が天地の間に存在したと存在しなかったとで、一つの増減もない(陸奥宗光「後藤伯」(岡崎久彦『陸奥宗光』下巻 PHP出版 1990年 472頁)。 

 これが最高の誉め言葉だという感性を失ったインテリなど、この世から消えてほしいのですが、すべては変わって、何一つ変わらない。 このバカバカしさに嘆息するのか、笑い事として楽しむのかで、その人の「奥行き」がはかれるような気がします。
posted by Hache at 01:51| Comment(0) | TrackBack(1) | 不幸せな寝言