2007年02月28日

2007年2月完走の御礼

 なんとか2月は毎日、記事を書くことができました。なぜ、このようなあまり意味がないことをやり始めたかといえば、実は自分でもわかりません。陸上、それも長距離をやっていたせいでしょうか、自分で一度こうと決めると、融通がきかなくなって、最後までやらないと気が済まないようです。

え゛っ、それはあんたの性分だろうって!

陸上とかそういう問題じゃない!?

 ……失礼しました。高橋尚子さんを初めてテレビで見たときに衝撃を受けました。とうとう女子マラソンもここまで来てしまったのかと。負けず嫌いさが美しく表出していて、強烈なまでの意志の強さを感じました。どのスポーツでも「負けず嫌い」や競争心は当然ではあるのですが、個人競技は妥協」すれば簡単なので、個人の克己心がストレートに反映します。私ごときが申し上げるのは憚られますが、女性の社会的地位を高めているのは女権論者ではなくて、高橋さんのように知名度が高くなくても、実際に活躍している方たちなのだろうと思います。

 話がそれましたが、とりあえず、カレンダーを埋めるというどうでもいい目標を達成して、本当にどうでもいいのですが、妙に充実感があります。ふと思うに、基本的に自己実現という高尚なレベルで生活しているのではなくて、単に自己満足で生きているようなものだなあと思います。1年間、書き綴ってみて、しみじみ実感するのは、もう本当に進歩しないなあという嘆きです。社会の進歩には懐疑的ではあるのですが、自分が進歩しないことにはやはり鈍感ではいられません。別にブログなど書かなくてもわかりきったことではありますが、自分がたいした人間ではないことを再確認するぐらいの意味はありました。3月からどうするのかは実はなにも考えていないのですが、こんな調子になると思います。まあ、人生自体が「寝言」のような悪い冗談でありまして、「時の最果て」もそのおまけと申しますか、副産物。「汚染物質」を垂れ流しているような気もしますが、見なければ済む話しだしと開き直る自分がいてちょっと鈍感になりすぎですね。

 人生を旅に喩えることが少なくありませんが、いつ、どこが出発点で、いつ、どこで目的地に来るのかさえ、見当がつきません。下品かもしれませんが、そんなことを考えたところで、お金になるわけでもなく、人間性が高まるわけでもなく、あまりご利益はなさそうです。露骨にいってしまえば、「病気自慢」みたいなものでありまして、まあ、その程度の効能は書いている本人はあるのだろうと。ただ、病気自慢も、ある水準に来ると、「詩」のようになるわけで、そのような境地はほど遠いと思いつつ、彼方を見ている、そんな感覚です。まあ、そんな業病にとり憑かれた人間であることを自覚させてくれた一文をご紹介して、今月最後の記事とさせていただきます。

 われわれが以前の自然科学よりもより多く知っているのは,認識可能なもののすべての領域に通じる通路の確実な出発点は何もないということ,むしろかえって,すべての認識は,いわば,底なき深淵にただよわなくてはならない,ということであり,そうして,われわれは,いつも,その中間のどこかで,適用することによってはじめて一層明確な意味を次第にもちうるようになる概念を用いて実在を語ることにとりかからなくてはならないということ,そうして,論理的,かつ数学的な正確さについての要請をことごとく満足する最も明確な概念体系でさえ,限られた実在領域内でわれわれに行くべき道がわかるようにしようとする暗中模索的な試みであるにすぎない,ということである(ハイゼンベルグ(田村松平訳)『自然科学的世界像』 みすず書房 1979年 124頁).
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2007年02月27日

泣く

 本を読んで泣くということがめっきりなくなりました。もっとも、昔から本を読んでなくことが少なかったのですが。このブログを始めてから、「書くこととは恥をさらすことなり」と気がついたのですが、たちの悪い冗談は思いついても、思わず落涙するような文章を書く感性が欠如していることを感じます。

 例によって昔話で恐縮ですが、「読んで一番、泣けた本を言え」と尋ねられて、考え込んでしまいました。漱石、鴎外で落涙した覚えはなく、芥川、谷崎では泣けない。三島由紀夫は美しいけれど、どこか人為的な部分があって陶酔させる部分があることは感じてもなけない。ドストエフスキーやトルストイは深刻だけれども、大真面目すぎて泣けない。スタンダールは、えっちな部分が好きだけども、泣くのとはまた違う。モーパッサンは、頭がよすぎてこれまた泣けない。モームは、ちょっぴり一重まぶたの瞳に涙が浮かぶけれど、泣けない。「まだ?」という声に催促されて、ハッと思い出したのがソフォクレスの『オイディプス』。これは、泣いた。『オイディプス』だけにおいおい泣いて本を閉じたのを思い出します。

 「普通、あれで泣くか?」と真顔で問い詰められて、これは困ってしまう。お互い、酔っ払っていたわけではないのですが、事実、それぐらいしか思いつかない。読書の範囲が貧困なのかもしれませんが、『竜馬がゆく』とか『坂の上の雲』を挙げれば、話が続いたのかもしれませんが、あれでは泣いていない。もちろん、感動はあるのですけれど。ただ、冷静になってみると、文学作品で泣きながら読んだのが『オイディプス』というのは、ちと変ではある(「ちと」という意識しかないことが世間からずれているかもしれませんが)。当時のギリシアの地理や風俗、習慣などわからないことだらけなのに、あれは泣いてしまう。数式とにらめっこしていると、自分の頭の悪さに泣きたい気分にはなるのですが、これでさすがに泣くことはないですし。なんで泣けたのかを説明するとなると難しい。

 他方で、本を読んで泣いてはいかんという人もいて、実に難しい。泣く瞬間が一番、危ないそうで、まあ、これはこれでわからないでもない。小説でも戯曲でのよいのですが、感情移入が激しいというのは理性が弱いということかもしれません。しかし、その程度でダメになる理性など、理性とはいえないとも思います。文学作品を読んで泣くというのは、作品に心を委ねるのかもしれませんが、委ねた心が作家の心と一致しているかなど、誰にもわからない。しかし、なにがしかは共有しているわけで本を読んで泣くというのは貴重な体験だと思います。私がそういうタイプではないから、このように感じるのかもしれませんが、本を読んでたくさん泣いた人はえがたい経験をしていると思います。

 現代の知識人は「わかる」ということからどんどん遠ざかっていっているように思います。「こころ」と「あたま」は別だという風潮になんと染まってしまったことか。心が狭く、薄情な私でも、ある程度は理解できないでのないのです。感動はしてもなんかついてゆけない部分があったり、学校の勉強のようにわかっても感動がなかったり。しかし、「わかる」ということは「こころ」と「あたま」をわけては難しいのであるということが、仮に「わかる」ということがらのプロセスでわけることが不可欠であっても、あまりに軽視されている時代になんとなく距離を感じてしまいます。
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2007年02月26日

「おとなしい」40代後半の方の「鈍感力」

 はあ。日曜日に珍しく早起きをしてテレビをつけたら、見ているうちに極度の睡魔に襲われて眠ってしまいました。気がつくと、2時間ぐらいして『サンプロ』のお時間。「教育再生」と「成長力底上げ」が「お題」でつまらなさそうと思ったら、意外とおもしろい。気がつくと、あの方が出演されているではありませんか。『1985年』の著者近影でオタク視線全開のご尊顔を拝んだ方が、「あれが動くところが見たい」とのこと。とりあえず、「CS見ろ」が無難なんですが、地上波がやはり便利なのでこちらに期待している方もいらっしゃいます。しかるに、コメンテーターがどこで突っ込むかはまったく視聴者には予想ができないために、動くかんべえさん、しゃべるかんべえさんを拝めずに欲求不満になるそうです。見てもいいことはまったくないとおもうのですが、ファンがいるというのは羨ましい限りです。

 「教育再生」は思ったより話が進んでいて舞台裏はわかりませんが、思ったより現実的な話だなあと思いました。それにしても、どう落とし込んでゆくのかというまっとうなコメントを入れるとともに、「教育再生」関連法案が通らなかった場合、山谷えり子補佐官の責任なのか安倍総理の責任なのかというツッコミを入れるコメンテーターの方には参りました。「極悪」を超える称号が必要な気が。

 職業訓練の話は、大切な話が多かった印象があります。丹羽宇一郎さんが落ち着いた感じで話を整理されて興味深く感じました。新卒者は給料をもらって研修させてもらっているというのは大学関係者でも共有認識で、現実問題としてインターンシップなどを導入して少しでも在学中に社会にでる準備をしている御様子。ただ、お金をもらってサービスを提供している側とお金を払って雇っている側ではシビアさが違います。企業や官公庁などがどのような人材をどのように育ててゆくのかをある程度、明確にしないと、大学教育で社会人への橋渡しを行う教育も難しいのではと思います。30前後で労働市場が成立するのは、裏を返せば、このあたりで漸くそれなりに使える人材に育つということを象徴していると思います。このあたりは私にはわからないことだらけですが、1990年代のはじめ頃から組織への忠誠心が極端に低下したことは各種の調査で示されています。雇用慣行の変化が最大の要因だと思いますが、それだけでは説明が難しい部分も感じます。ちなみにあるコメンテーターの方が、所属するグループ内の会社で定着率が悪いことを嘆いておられましたが、会社によって濃淡があるようで、「愚痴」に聞こえました。昔は、会社内部でのキャリアアップが暗黙に、あるいはなりゆきで示されていたのが、今の状況では明示的に示さざるをえなくなってきているのかもしれません。

 というわけで、某HPではおとなしくされていたと書かれていたように拝見したのですが、私の感性がおかしいのでしょうか、ずいぶん突っ込まれていたように思いましたが。やはり、あと数年で50の大台に乗る方の「鈍感力」は30代のおこちゃまにはうかがい知れぬ深いものがあることを教えていただきました。

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posted by Hache at 05:28| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな?寝言

2007年02月25日

理念なき「寝言」

(@時の最果て)

ハッシュ:zzz
ボッシュ:……。なぜか日曜日になると、ここに来てしまう。習慣というのはつくづく恐ろしい。
ハッシュ:ふわあ。なんじゃ、また、おぬしか。
ボッシュ:いつも通りじゃな。気が抜けるが、同時に安心するのお。ところで今週のお題はなんじゃ?
ハッシュ:「おだい」?
ボッシュ:……。ほれ、先週はあのデブのおかげでひどい目にあったから、今日は覚悟して来たぞ。どこからでもかかってきなさい。
ハッシュ:はて?あのデブからはなにも注文はないなあ。
ボッシュ:……。ワシはその程度の扱いかね?
ハッシュ:……。私にも言われても……。ここはひとつ気を取り直して、おぬしの好きにしゃべってよいんじゃないかな?
ボッシュ:うーむ、拍子抜けするのお。どんな話題をふられてもよいように、景気、金利から教育、おまけにあのデブが適当な言い訳をして誤魔化しておる「CSISレポート」まで準備してきたというのに。
ハッシュ:……。そうか……。私にできる事があれば、力になってあげたいのだが……。そういえば、あのデブがずいぶんむかっ腹を立てておった「金儲け」はどうかな?
ボッシュ:金儲けといわれてもなあ……。ワシの店も繁盛しておるが、大きな会社からすれば、芥子粒みたいな金額にすぎん。それにしても、あのデブはなんで金儲けだけじゃダメだという主張に反発するんじゃ?それ自体は、まっとうな話ではないのかな?
ハッシュ:それはな、(ごにょごにょ)。
ボッシュ:なるほど。あのデブなりに後ろめたい部分はあるんじゃな。他人のあがりのおかげで好きなことをやらしてもらっているというわけか。
ハッシュ:まあ思えば、ジールの頃は似たようなものじゃ。
ッシュ:まあ、人間、一つぐらい後ろめたいことがあった方が、まともかもしれぬ。まあ、あのデブの場合、ひとつでは済まぬところが悲しいところではあるが。とりあえず、くじけずに生きることじゃな。たまには平和に終わるのもよかろう。ワシはそろそろお暇する。
ハッシュ:また、おいで。

 まあ、柄の悪い私には「倫理」だの「理念」だのはまるで似合わなくて、この種の議論に先週は付き合わされて、うんざりしてしまいました。本業に関することは書かないことをポリシーにしておりますが、やはりブログをやっていると、ついつい抑制が難しくなります。先週の記事は、本業で感じたことを無理にデフォルメして書きました。どうも、以前のように、仕事は仕事、ブログはブログと割り切った方がよいなと思いました。ただ、どこか喉元がつかえるような感覚があります。「天皇を筆頭に、みんながひたすら忠実に憲法を守るとき、明治憲法は作動しなくなってしまったのである」てな具合にならないことを祈るばかりです。

 理念や価値について論じること自体を否定するものではないのですが、それが実態からかけ離れていると、省みる人が減るだけでしょう。真剣にやっている「ふり」ならば、なんの問題もないのですが。余計なルールをつくると、肝心のルールが守られなくなる。そんなことはわかりきっているように思うのですが、なぜだか、わかりきったことを人は繰り返すらしい。それを嘲笑するのはたやすいのですが、こうも馬鹿げたことが繰り返されると、あまりこの言葉は使いたくないのですが、「人間の性」というものを感じずにはいられません。

私みたいに理念もない、クラシックも聴いて心地よいかだけで判断してしまう、「品格」からかけ離れた生活を送っている者は、そうでない方からすると、汚らわしいことこの上ないでしょう。失礼ながらお互い様と思って暮らしてゆくしかないのかなと思ったりします。

2007年02月24日

K.551

【注意】

 以下の記事は、性的な描写や反社会的な表現を含んでおります。お読みになってご不快になられても、当方は一切の責任を負いませんので続きをお読みになりたい方のみ、お読みください。


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posted by Hache at 17:42| Comment(8) | TrackBack(0) | 幸せな?寝言

2007年02月23日

鈍感な人

 「完走」するというのは、意識すると、厳しいものがあります。書くことが自然とあって、気がついたら1ヶ月間、書くことがたまっていたという状態が理想なのかもしれないと思います。あんまり深い意味はなく、とりあえず1ヶ月毎日書いてみようと思っただけなのですが、意外とつらいことに気がつきました。そんなこんなで今月もどこかで休む日が出るかもしれません。

 まったくどうでもいい話なんですが、ピザ屋からハガキが届いたのでなんだろうと思ったら、1ヶ月前に「ご注文頂いた際、不手際があり、お客様には不快な思いをさせてしまった事を、謹んでお詫び申し上げます」とあって、「そんなことあったけ?」と考え込んでしまいました。向こうの手違いなのか、私が鈍いのか、10分ぐらい考え込んでしまう。おまけに次回の注文は700円引きになるようで、さらに考え込んでしまう。これって注文してくれということなのかしらんと本当にくだらないことで考え込んでしまいます。

 「鈍感力」というのは意識的な営みだと思うのですが、ふと自分が単に鈍感なのかもしれないと思ってしまいます。「昔は『石橋を叩いて壊す』と評され、神経質と言われたこの俺様が……」みたいな感覚ですね。おまけに大御所に「『コンプレックスがないでしょ?』とお尋ねの方には、このブログをお読みいただくのが最善かと(笑・冗)」と指摘されて、mitsu様に「業」を指摘されて、書いている本人がどうも自覚がないというまずい状態だということがわかりました。自分でもなにかが抜けているという感覚はあるのですが、わかったようでわからない。

……。

……。

……。

はっ!
気がつきました。
「間」が抜けてるんだ……。

 蛇足ですが、かんべえ師匠、民主党をそこまでいじめてしまうと、「極悪」というより、単なる「弱いものいじめ」に見えてしまいまする。都知事選で「○○きしょい」(だって「謎のミイラ猿の干物」みたいだもの)と言ったら、みなさん下を向くのでどうしたんだろうと思ったら、「オヤジギャグもここまでくると、限りなく『神』の領域です」と言われて、赤っ恥をかきました。困ったことに、こう書きながら、自分ではけっこうできたギャグだと思っているので、極めてまずい。実を申しますと、まずいとすら思っていない自分がいて、「鈍感力」どころか、単に鈍感な人になりつつあることを自覚いたします。 
posted by Hache at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言

2007年02月22日

野蛮人

 「鈍感力」についてはこちらを。失礼ながら、小泉前総理は本当に鈍感だったのではないかと思うフシがありましたが、少なくとも半ばは意識的な努力であられたようで、脱帽であります。文明が進むと、人々が神経質になるのはやむをえないところがあって、言葉を上品にすれば、自体も上品になるという「病気」が増えたりします。養老先生は、死体を隠すと表現されました。「言葉狩り」というのも、臭いものに蓋をすれば、臭くなくなるという発想で、いかにもわかりやすい。別にこの国ばかりがひどいわけではなく、多かれ少なかれ先進国では同じような風潮があるので、「文明」といっても、所詮、「中世」からさほど進歩するわけではないようです。

 ときには「馬は馬、鹿は鹿」という人がいなくなると、文明も滅びる。それをリアリストと呼ぶのか、破壊者と呼ぶのかは、個人の自由に属する問題でしょう。ふと、このブログを始めた頃から頭を悩ませているのは、知的な「野蛮人」を意識的に育てることができるのかということなのですが、答えがあるのかどうかもわからない。たぶん、どうでもいい話なのでしょうが、「野蛮人」の方が頭に余計なことがないだけに、物事をストレートに見ることができることもあるのでしょう。「古い欧州」は「新しい欧州」を取り込んで少しは寿命が延びそうな様子。アメリカは、「野蛮人」が内部で育ち、外部からもくる。この国は…。なかなか厳しいものを感じます。「極悪」、「非道」さんはぬけているけれども、ある程度層の厚みがないと、厳しいなあと思います。失礼ながら、上手な「ムダづかい」が苦手なお国柄かなとふと思ったりします。
posted by Hache at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言

2007年02月21日

「へなぎ」大臣と「失言を産む機械」

 さすがにアイディア・ブローカーを本業とされている方の文章には勝てませぬ。大変失礼ではありますが、雪斎先生、活字メディアでも十分、「非道」ですがな(最近、かんべえさんが上品すぎて、「絶不調」ではないかと心配してしまいます)。とりあえず、アカデミズムとシンクタンクの関係ですが、「極悪」、「非道」と言ってはなんだが、参謀の匿名性が失われたとなると、「極悪」、「非道」と言っては申し訳ないが、「極悪」、「非道」と言ってごめんなさいね、あとは知恵を生む役目の人がバッシング覚悟で頑張ってもらうしかない。

 ……失礼しました。いかれた「外道」なので、日常生活でも「失言を産む機械」なんですが、「時の最果て」で書いておくと、少しはセーブできるので、ちょっとだけマシになります。まあ、今日はついついやっちゃったんですが、その話は後ほど。

 土曜日あたりに久々に某巨大掲示板群を見ていたら、やたらと「へなぎ大臣」という言葉がでてきて、面食らいました。文脈から柳澤厚労相のことだとわかるのですが、「なぜ『へなぎ』?」という疑問が頭の中を占めてしまって、ピラティスをやっても、頭がもやもや。周りの若い人にきいてみましたが、「なんだろう」となってしまって手がかりがありません。どうでもいいことほど気になってしまいます。とりあえず、「失言」の中身がわからないので、『参議院インターネット審議中継』で「ホワイトカラー・エグゼンプション」について質問しそうな野党の方を探して調べたら、うまい具合にヒット。

 「そういうことを実現しなければ、いつまでも、いつまでも、まあ、あの工場労働というか、ベルトコンベアの仕事、もう労働時間だけがうりものですというような、そういうところでなく働いているいらっしゃる方々の現実に着目した労働法制をつくることががわれわれに課された課題だと私は思うのであります」(平成19年2月19日参議院厚生労働委員会 小池晃委員(共産)への答弁 『参議院インターネット審議中継』ビデオライブラリーより)。

 うーむ、微妙なラインですな。私だったら、全然セーフなんですが、質問者の所属が所属だけについついアドリブをきかせようとして着地失敗という感じですね。それにしても、この答弁の時には野次がなくて、衆院予算委員会で問題になるというあたりは臭います。質問者もなにげなくスルーしてましたし。まあ、共産党の支持層は○○党と重なる層といわゆる「インテリ層」の二極化が激しいので、ちと微妙ではありますが。まさかとは思いますが、厚労省が「爆弾」を?それにしても、この発言前の答弁が筋が通っていたように思いますので、もったいない感じがします。

 実は昨日の記事を書き終えてから、サッカー関係のネット記事を読んでいて、ハッとしました。「へたれ」+「柳沢」と閃いて、「ユーレカ!」と叫んでしまいました。ググれば一発なのはわかっているのですが、それはすごく悔しい。頭の中がむずむずしていましたが、すっきりして非常に快感でした。ただ、さすがは大臣。GFAは一選手とは比較になりません。越中ではなくて、遠州出身というのが利いているのかも。ただ、OGなのが…。総裁選のときに安倍総理の選対部長だったことも「集中砲火」の原因かなあと勘ぐってしまいます。中学時代でしょうか、柳澤大臣のポスターをよく見ていただけに、今の状況はちと悲しい。

 ……。気を取り直して本題へ。さて、「時の最果て」の「失言を産む機械」ですが、こちらは本当にいっちゃってますよ。「金儲け、自己利益ばかり求める人間ではなく、社会に役立つ人物をつくるべき」と主張する方に面と向かって「それはあなたの『自己利益』でしょ?」と言い放ってしまう。さすがに、「『社会のため』というあなたの主張もあなた自身の私利私欲じゃありませんか?それとも、あなたは神様、仏様ですか?」と「とどめ」を刺すのはやめましたが。 「あ〜あ、わかっている方が黙らなくちゃいけないなんて、なんてひどい格差社会なのかしら」というのが今日の「寝言」、もとい、いかれた外道の「独り言」。さすがに匿名のブログとはいえ、「お国のため」と言って国を滅ぼした方たちと「社会のため」と現在言っている方たちが重なって見えるなどという「幻覚症状」を覚えるとは書けませんが。

もちろん、な〜んちゃってですけど(←このあたり、ちょっとだけ自己保身)。
posted by Hache at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | ふまじめな寝言

2007年02月20日

雪斎先生の異名

 手抜きをするには、他人の褌が「王道」であります。やじゅんさんカワセミさんが相次いで更新され、お二人とも違った意味で読み応えがあるのですが、雪斎先生記事を拝読していてシンクタンクとアカデミズムの関係について考えさせられました。なぜ、こちらを取り上げるのかといえば、思わず最後で「ありゃま」となったからです。雪斎先生の記事は、最初からほとんど終わりまで安心して読めます。しかるに、「ブロガーの世界でも、『非道』という称号を頂いている」というあたりを拝読しながら、ああ、なんということをしでかしてしまったのだろうと嘆息いたしました。「極悪かんべえ」、「非道雪斎」は、もちろん、前者を強調するためのレトリックでありまして、由来は2002年2月6日「ちょんまげ占い」(失礼ながら、まだ残っているとは思いませんでした)でかんべえさんが「悪代官」と診断されたことであります。御本人は「悪徳商人」の方がよかったそうなのですが、なにしろ岡崎久彦先生も「悪代官」(あくまでお遊びですので、御容赦のほどを)でありまして、「悪代官」が「悪徳商人」を手下にするという絵に描いたような時代劇になってしまうのであまりにまずいです(はっ!これで虎ノ門に出入りできない場所ができた?)。

 ……自分でもなにを書いているのかわからなくなりましたが、雪斎先生は「江戸町奉行」でありまして、「岡っ引き」の私からすると、「悪代官」と同じぐらい遠い存在であります。時代劇でゆけば、主役でありまして、こういう方なら「非道」も人のため。ちなみに、この占いは、「権力−反権力」と「人のため−自分のため」の二次元でタイプ分けをしているそうなんですが、生年月日からどのようにタイプを割り振っているのかは、私にはよくわからないです。ちなみに、私の場合(「岡っ引き」)は次のようになっていて、添削すべきところが多いのですが。

・常に流行に通じておりを無視しており、ダサいと思われるのをても極端に嫌う鈍感
→CSISレポートがやたらとメディアで報道されていて、訳をつくる気力がなくなりました(かんべえ師匠が「テロ」をしないという言質をくださらない。弱小ブログはつらいものなのです)。

・権力に弱く、長いものに巻かれる傾向あり(遺憾ながら修正点なし)
→まあ、権力にある方はシビアなものだという実感があります。私?暇ではないですけど、お気楽ですね。

・相手の気持ちを汲んで踏みにじって行動する事が多い
→わざとではないのですが、ふと気がつくと、他人の善意を無視していることが多いので、これは反省点ですね。

・勘が良い悪いので理屈抜きで正解誤解にたどりつく
→「理屈抜き」というか「理屈軽視」で「勘が悪い」ので誤解していることが多いです。自分でも不思議なんですが、なぜか結果的にはうまく言ってしまうことが多いのですが。

 シンクタンクとアカデミズムの関係について考えるはずだったのが、どうしてこうなるの?明日に続く……。かもしれない。とりあえず、投稿日時は「ロンダリング」しております。今月は、とりあえず「完走」してみたいのですが、どうなりますやら。
posted by Hache at 23:59| Comment(3) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言

2007年02月19日

現場主義と知識

 ふだん読まない『毎日』ですが、ネットで文部科学省の記事を配信していて思わずため息が漏れてしまう。これと中川幹事長の発言のおかげでブログの更新などせずに本業に専念しましょうという気分になります(安倍政権への「告別演説」に聞こえてしまいました)。

 『毎日』が配信した記事(2007年2月15日18時7分)によると、文部科学省が4月から教員免許をもっている若手キャリアを公立学校に派遣するとのこと。教育行政に携わっていながら、「学校現場の実態」を知らないことが主たる原因のようです。文科省内でも学校教育の現場へ出向を望む声があったそうで、ご熱心なこと。それにしても、たった1年、それもベテラン教諭の指導の下で現場体験などするぐらいだったら、もっと他にやるべきことがあるような気もしますが。不適切なたとえでしょうが、防衛省なら背広組が自衛隊に1年入隊するようなものでしょうか。不適切なたとえに、さらにひどいことを書いてしまうと、こちらの方(防衛省)がまだしも試してみる価値がありそうな気もしますが。

 この「寝言」を書くかどうか、かなり迷いました。反発する方が多いでしょうから。文部科学省を批判することが目的ではありません。どうも、この国では「経験すること」、すなわち「わかること」という風潮からエリートすら免れることが難しいようです。「寝言」というより「ぼやき」ですが、高度に分権化が進んだ社会では個人が体験できることなど一握りです。経験しなければ、わからないというのでは、わかる範囲など極めて狭くなってしまいます。体験する範囲が非常に限定されている中で、どうやって知識を体系化してゆくのかということにこの国の人はあまりに不得手な気がします。この国に限らず、先進国ならどこでも同じ問題を抱えているとは思うのですが、この国はなんともいえない脱力感を感じさせてくれて、凄いなあと思います。まあ、きっと気のせいでしょうけれどね。
posted by Hache at 23:59| Comment(7) | TrackBack(0) | 不幸せな寝言