2007年02月18日

逃げる命の賢者 追う時の賢者

(@時の最果て)

ハッシュ:zzz
ボッシュ:……はっ?なぜか、今週もここに来てしまった。この忙しいのに……。あるじが寝ているうちに……。
ハッシュ:ふわあ。なんじゃ、また、おぬしか。
ボッシュ:……。おぬし、わざとか?
ハッシュ:わざと?
ボッシュ:……。不覚じゃ。ワシはもう帰る。
ハッシュ:おやおや、なにやら、せわしないなあ。あのデブからリクエストがあるぞ。
ボッシュ:……。なんでこういうときに限ってこんな展開になるんじゃ。
ハッシュ:おぬしがワシたちの会話をボツにして怒ったから、ブログに載せやすいようにお題をだしているようじゃ。
ボッシュ:……。余計なことばかり覚えているのお。もう、忘れてもらってもいいんじゃが。ところで、あのデブのリクエストとはいったいなんじゃ?さっさと済ませて帰るぞ。
ハッシュ:ええとじゃな。そうじゃ、なんでも「じつりょくしゅぎ」、「せいかしゅぎ」が望ましいかどうかだったかな。
ボッシュ:先にお題を聞いておけばよかったな。簡単な話ではないか。要するに、実力主義、成果主義が徹底すれば、あのデブは食えなくなる。言い換えるなら、実力主義や成果主義が徹底していない、ぬるい競争状態だからあのデブは食えるというわけじゃ。したがって、あのデブの立場からすると、徹底して競争に反対するべきじゃな。あのデブが自分の分際をわきまえているなら、競争の促進を目的とした改革には断固として「抵抗勢力」になるべきじゃ。以上で終わり。
ハッシュ:と命の賢者様がお答えになるでしょうから、そこで質問です。なぜ放っておいても、競争が浸透しないのでしょうか。あるいは、政府がよけいなことをせずに放っておけば浸透するのでしょうか。以上があのデブからのメッセージじゃ。
ボッシュ:……。おぬし、あのデブからなにかもらっておらぬだろうな?
ハッシュ:言いにくいが、おぬしが来る前にあのデブの記憶をたどっておったら、なにやらこんなことを考えていたようじゃ。どうせ、命の賢者様はこう答えるでしょ、とな。……言いにくいが、おぬし、あのデブに見切られているようだな。
ボッシュ:……。ショ、ショックじゃ。あのデブごときがワシの思考を先読みするとは。ただでさえ、忙しくてたまらんのに、こんな目にあうとは……。なんだか気が遠くなりそうじゃ。そろそろ……。
ハッシュ:ちょい待ち!さっきの話はどうなるんじゃ?ワシにはさっぱりなんじゃが。
ボッシュ:おぬしまでワシを殺す気か?競争などなるようになるから、どうでもいいわ!ワシ自身が競争の只中におるんじゃ!ワシは帰って寝る!!真面目な話、明日も忙しいんじゃ。はあ。
ハッシュ:おやまあ、気が荒れておるようじゃな。なんだか気の毒じゃが。また、おいで。あのデブにとりあえず伝言するしかないのお。

 ……ありゃま、冗談で考えておりましたが、まさかの展開。私が先読みをしたわけではなく、時の賢者様が上手に私の思考を利用したら、変な話になってしまいました。まいったなあ。ずばり格差の話をしていただいた方がよかったですね。それにしても、こんな話を「伝言」されても……。

 それにしても、こんな記事を書いた本人としては現在まで格差論が引っ張られるとは思いませんでした。もっと困惑するのは、傲慢な表現との非難を覚悟の上で申し上げるならば、格差論は半年では消えませんでしたが、当時書いた内容を修正する必要を感じないことです。当時と比較すると、統計データによる所得格差の拡大など当時のような抽象的な議論よりは前進したように見えますが、けっきょく誰と誰の格差なのかがわからない。しかも出てくる「処方箋」の多くが、市場における競争を無視したものばかりで、絶句します。まあ、命の賢者様のおっしゃるように「競争などなるようにはなる」んでしょうけど。

 「人間の欲望は無限だが、欲望の対象は有限である」というと、中高年は欲しいモノはひとそろいもっているから買いたいものがないとか突っ込まれるのですが、競争が生じる前提が崩れていないのは、競争が存在すること自体でほとんど自明だと思います。別に「市場」や「競争」は経済学者の占有物ではないと思うのですが、なぜか歴史で手を変え品を変え繰り返し問題になってくることが基本的には同じことだということがわからないのか不思議だったりします。切支丹でもないのに、「日の下には新しいものは一つもない」と思わず「寝言」を呟く自分に茫然としますね。