2007年02月22日

野蛮人

 「鈍感力」についてはこちらを。失礼ながら、小泉前総理は本当に鈍感だったのではないかと思うフシがありましたが、少なくとも半ばは意識的な努力であられたようで、脱帽であります。文明が進むと、人々が神経質になるのはやむをえないところがあって、言葉を上品にすれば、自体も上品になるという「病気」が増えたりします。養老先生は、死体を隠すと表現されました。「言葉狩り」というのも、臭いものに蓋をすれば、臭くなくなるという発想で、いかにもわかりやすい。別にこの国ばかりがひどいわけではなく、多かれ少なかれ先進国では同じような風潮があるので、「文明」といっても、所詮、「中世」からさほど進歩するわけではないようです。

 ときには「馬は馬、鹿は鹿」という人がいなくなると、文明も滅びる。それをリアリストと呼ぶのか、破壊者と呼ぶのかは、個人の自由に属する問題でしょう。ふと、このブログを始めた頃から頭を悩ませているのは、知的な「野蛮人」を意識的に育てることができるのかということなのですが、答えがあるのかどうかもわからない。たぶん、どうでもいい話なのでしょうが、「野蛮人」の方が頭に余計なことがないだけに、物事をストレートに見ることができることもあるのでしょう。「古い欧州」は「新しい欧州」を取り込んで少しは寿命が延びそうな様子。アメリカは、「野蛮人」が内部で育ち、外部からもくる。この国は…。なかなか厳しいものを感じます。「極悪」、「非道」さんはぬけているけれども、ある程度層の厚みがないと、厳しいなあと思います。失礼ながら、上手な「ムダづかい」が苦手なお国柄かなとふと思ったりします。
posted by Hache at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言