2007年04月18日

爆裂!ハイパーツヅミ

【今日の『らんま1/2』】

 いやあ、よい湯加減でアクセスカウンターが回らなくなりました。雪斎先生のブログを御覧になっている方は、「今朝の一枚」のパクリだとお気づきかもしれません。私の「ちゃらんぽらんさ」をあえて隠す必要もないので、今日も『らんま1/2』のTVアニメ(OVAのこともありますが)を見たことを紹介します。

 今回は、TVアニメオリジナル(原作にはない)の作品です。実を申しますと、この作品が『らんま1/2』をテレビではじめてみたという、ちょっと思い出深い作品です。内容そのものはナンセンス度だけが高いという感じですが、最初見たときにバカ受けしてしまいました。「気分しだいの必殺技」は、ほぼ原作どおりの脚本で原作のキャラがほぼ再現されていますが、アニメでは微妙にキャラ作りが変わっていて、ちょっと興ざめになることもあります。今回の作品は、オリジナルながら、登場キャラの雰囲気が原作とあまり変わらないという点で高く評価できます。日高のり子さんが『キッズステーション』で天道あかね役で一番好きなセリフだと告白した「○○○の○○」がマイクで登場するあたりもポイントが高いでしょうか(苦手なセリフはまた後日)。天道あかね(日高のり子)の「魂の叫び」が地球を救う!?

 それにしても、こんなものを職場で見てはダメですよ。というわけで、こんな碌でもないブログにアクセスしないよう、お願い申し上げます(もうお願いする必要もないかも)。


爆裂!ハイパーツヅミ 『らんま1/2』熱闘編139話

(1) http://www.youtube.com/watch?v=jSkeh4op3Tk(9分00秒)
(2) http://www.youtube.com/watch?v=9j4Zgfk0_BI(9分13秒)
(3) http://www.youtube.com/watch?v=cUI6tETDdj8(5分14秒)
 

2007年04月17日

ユニバーサルサービス制度(2)

 林紘一郎・田川義博『ユニバーサル・サービス』(中央公論社(中公新書) 1994年)は、今回の「寝言」のお題になる「古典」です。アル・ゴアの「情報ハイウェイ構想」が、1990年にNTTが発表した「VI&P(Visual, Intelligent and Personal)構想」への対抗意識ではないかという当時の最先端の話から「物語」が始まります。ユニバーサルサービスの定義は英米系の辞書にも載っておらず、日本語に強いて訳せば、「あまねく公平原則」。そこから、話は電話の「祖国」アメリカの電話史に移ります。なお、最近ではユニバーサルサービスという表記が多いようですので、この「寝言」でもそれにしたがいます。

 1900年代初頭、AT&Tの社長に就任したセオドア・ヴェイルは、電信会社ウェスタン・ユニオンの買収を代表とする買収を強引なまでに進めました。林・田川[1994]の64頁に1908年にだされた広告の写真が掲載されています。そこには"One Policy One System Universal Service"というタイトルが掲げられています。林・田川は、「ユニバーサル・サービス」とは、AT&Tによる独占を美化する「イデオロギー」という側面を認めた上で、このスローガンには技術標準が存在することが望ましいという現実的な背景があることも指摘されています。この後、アメリカの通信の歴史が現代にわたるまで概観された上で最終章でジョン・リー『電信と電話の経済学』の紹介され、経営環境の変化にもかかわらず、電話をめぐる論点が当時で90年以上変わらないことが指摘されています。この本について語りだすときりがないのでやめますが、本書の154頁で示されているOECDレポートによる、ユニバーサルサービスの定義を記しておきます。

(1) 全国どこに住んでいても電話を利用できること(Universal Geographical Access)
(2) 誰でも経済的に電話を利用できること(Universal Affordable Access)
(3) 均質サービスが受けられること(Universal Service Quality)
(4) 料金について差別的取扱いがないこと(Universal Tariff)

 ユニバーサルサービスの話から離れて電気通信事業者は、英語で"common carrier"(最近は、単に"carrier"、日本語でも「キャリア」あるいは事業者と呼ぶことが多いようです)ですが、元は鉄道や汽船などで顧客を「差別」せずに広く公衆に運輸サービスを提供する事業者を指していました。うろ覚えなのですが、19世紀末には使われていた用語のようです。現代と比して、交通インフラがはるかに整備されていなかった頃には、一般に妥当な代価で役務を提供させることが大切だったのでしょう。今日では様々な割引などによって、価格差別が行われていますが、妥当な金額を支払いさえすれば、事業者がサービスを提供するのは当然であるという原則は変わっていないように思います。実を申しますと、ユニバーサルサービスというのはこの国ではあまりに狭く捉えられていると考えておりますが、現代の問題は、"common carrier"を現代の情報通信技術の進歩や市場競争の激化に対応してどのように定義するのかが基本の問題と考えております。

 例によって、とりとめがなくなってきますが、J. Church and R. Ware, 2000, Industrial Organization: A Strategic Approach(McGraw-Hill)には次のような記述があります。

 おそらく,反トラスト歴史の中で最も有名な事件は,スタンダード・オイルと典型的な石油王であったJ.D.ロックフェラーの指導の下で石油の精製で独占を形成したことである.スタンダード・オイルが支配的地位に上りつめていったのはまさに目覚しいものであった.1870年にはスタンダード・オイルは合衆国の精製能力のたった約4%しか占めていなかった.攻撃的な買収によって1879年にはスタンダード・オイルは合衆国の生成能力の90パーセント以上を支配した.
 従来のスタンダード・オイル事件の扱いは,精製市場それ自体の買収やその行為が「略奪的」でと定義できるかどうかに焦点を当ててきた.Granitz and Kleinの最近の再調査はスタンダード・オイルの市場支配力が精製市場ではなく,鉄道を経由する石油の輸送に関する市場から生じたことを示した.輸送におけるRRC戦略(競争相手の費用を引き上げる戦略)によってスタンダード・オイルは石油精製への新規参入を妨げることができた.
 鉄道は固定費用が大きく可変費用が低い産業である.また,カルテルを企てようとするということでも知られている.鉄道は共謀的な運賃協定を維持するためにクリーブランドのスタンダード・オイルを含めた精製所に協力を求めた.合意は石油貨物についてそれぞれの鉄道のシェアを固定することによって欺く別の強いインセンティブをカルテルに与えた.合意の一部はメンバーの精製所の貨物運賃を引き下げ,メンバーでない精製所から高い運賃を要求することであった.これは事実上ライバルの石油精製会社に部分的に所得を移転していた.これはライバルの製油所のコストを増やしていたことである.
 この合意とそれに付随する運賃の増加の結果,独立系の製油所の多くは赤字を余儀なくされた.独立系の製油所はカルテルに参加していた製油所の魅力的で無力なターゲットとなった.スタンダード・オイルは独立系の窮状に大いに乗じた.その期間はカルテルの合意後であったが,実行以前であった.スタンダードはクリーブランドの独立系製油所をすべて買収し,合衆国の製油能力の25%を手中に収めた.

 有名なスタンダードオイル事件の解説です。現代ではこのようなあからさまな反競争的行為は非常に例外的でしょう。他方で、鉄道のように公益性の高い事業では、カルテルの企図が核心ではありますが、価格差別が競争制限的な効果をもつことを反トラスト政策、日本ならば独占禁止政策が未発達な状態において赤裸々に示しているでしょう。「コモン・キャリア」を定義し、行動にある程度、制約を課すことは、今日でも反競争的な行動を抑制する上で意義を失っていないでしょう。ユニバーサルサービス制度は、いってみれば、収益性が低い、あるいは不採算である地域でも事業者にコモンキャリアとして振舞うよう、制約するある種の規制であると考えます。ただし、コモンキャリアといえども、採算無視で経営を行うことはできません。「格差是正」から遠い地点に来てしまいましたが、ユニバーサルサービス制度というのは、事業者に不採算地域でコモンキャリアとして行動するよう制約するとともに、その代償をいかに補うのかという、ある種の「方便」であるというのが、今日の「寝言」です。

気分しだいの必殺技(後編)

【今日の『らんま1/2』】

 「気分まかせ」、「すちゃらか」、「ちゃらんぽらん」という本性を剥き出しにした効果がでてくるのはこれからです。今後も、いっそうアクセス数を激減させるよう、「寝言」以上の破壊力をもつ「おまけ」の充実に力を入れてまいります。昨日に続いて、「気分しだいの必殺技」後編です。どうでもいいのですが、仕事が終わってから、勤務先を後にして戻って当ブログにアクセスしてついつい自分が見てしまいました。なんとバカなことをやっているのでしょう。

気が重い。気が重い。気が重い。気が重い。気が重い気。重い気。

……。続きは下記からどうぞ。

気分しだいの必殺技(後編) 『らんま1/2』熱闘編123話

(1) http://www.youtube.com/watch?v=FJd8gNo2RkQ(9分43秒)
(2) http://www.youtube.com/watch?v=OL7uML9THbA(8分50秒)
(3) http://www.youtube.com/watch?v=xvnPQ4sHySo(3分21秒)

2007年04月16日

ユニバーサルサービス制度(1)

 例によって賢者様たちにバカにされましたが、新聞を読んでいないわけではありません。『日本経済新聞』(2007年(平成19年)4月14日 14版)の一面に「固定電話の全国網維持費 利用者負担引き下げ 総務省方針 来年、月4円前後に」という記事が掲載されておりました。ちなみに、この日のトップは「金融商品取引法 9月完全施行」で、その下に「国民投票法案 衆院を通過」が掲載されています(どうでもよいのですが、当日の社説にあわせるように保険金未払いに関する記事も)。温家宝首相の訪日や国民投票法案の衆院通過などの方がはるかに重要でしょうが、マジョリティが関心をもつことには無関心な私は、「固定電話の全国網維持費」、あるいは「ユニバーサルサービス制度」に興味がいってしまいます。いかれた「外道」の本領発揮というところでしょうか(『日経』が一面にもってくるような話題を記事、もとい「寝言」にしようということ自体、好調なときがないのですが、「絶不調」ではないかと気になってしまいます。それはさておき、「ユニバーサルサービス制度」のお話。

 先月か先々月ぐらいに、ふと電話(固定電話)の料金明細を見ていて、「ようやく導入したのか」と気がつきました。「ご利用料金内訳書」のNTT地域電話会社利用分の消費税相当額の上に「ユニバーサルサービス料」として7円が記録されています。携帯電話の明細書も同様です。ユニバーサルサービス利用料として7円が計上されています。私の場合、携帯はNTTドコモですが、他の携帯電話会社の利用明細にも同様の項目が記録されているでしょう。この料金は2007年1月利用分(したがって2月請求分の利用明細)から徴収されています。民間の事業者も、この件に関して昨年からプレスリリースをだしています。たとえば、NTTドコモはこちら、KDDIはこちらです。ユニバーサルサービス料に関する概略の説明としては、次の記事で紹介する「ユニバーサルサービス制度の将来像に関する研究会」第1回の「ユニバーサルサービス制度の現状と課題」(PDFファイルが開きますので、ご注意ください)よりも、はるかに見通しがよいと思います。ユニバーサルサービスといわれてもピンとこない方や知ってはいても興味がわかない方はNTTドコモやKDDIなど事業者のプレスリリースに目を通していただければ幸いです。

 『日経』の記事では月額7円という現行のユニバーサルサービス料が2010年ごろには1回線あたり10円程度になるとの見通しがあり、これはさすがに利用者が反発するだろうと。総務省は算定基準を厳格にして月額4円程度に抑制する「方針を固めた」とのこと。省庁のプレスリリースにない記事のときの書き方としてはありがちな表現ではありますが、ちと微妙な記事ですね。ユニバーサルサービス制度に関しては冷淡ですので、『日経』の記事が総務省の「観測気球」なのかどうかとか、記事に無関係なことに関心が向いてしまいます。

 どのぐらいユニバーサルサービス制度に「冷淡」かと申しますと、とある会合で私が信頼している経済学者が「ユニバーサルサービスを効率の観点から正当化する理論が必要だ」とおっしゃっていました。よい方だなあと思いつつ、いかれた「外道」の私は、平然と概ね次のようなことを申し上げました。「ユニバーサルサービスというのは効率の観点からではなく、地域間格差の是正など政治的・社会的要請から問題となっています。経済学者の方には、もともと非効率な施策を非効率なりにマシにする方策を考えていただきたいと思います」。私が発言すると、失笑ともあまりの身も蓋もなさに苦笑いなのか見当がつかない笑いが生じました。場の雰囲気を読むのが苦手な私には私の発言が受けたのか、失笑されたのか、まるでわかりませんでしたが。

 以前、「『国家の品格』と『格差社会』の間」という「寝言」を書きました。この「寝言」ではこんな生意気なことを書いております。「まず、お断りしておきますが、『国家の品格』で述べられていることを全否定する意図はありません。『格差是正』についても同様です。どちらの主張も、まともな部分は、所詮は、程度と具体的な手段の問題でしかありません」。今でも、この考えを改める必要は感じておりません。ただ、「程度と具体的な手段」についてあまりに触れていないので、月額わずか7円(回線あたり)という「ユニバーサル交付金」とユニバーサルサービスを題材にこの問題を考えて見ましょうというのが今回の「寝言」です。

 本来は、ユニバーサルサービスの語源から説明して、「ユニバーサルサービス制度の将来像に関する研究会」第1回の配布資料を元に論点を整理する予定でしたが、土日にジムで久々に「フルコース」をこなしたら、筋肉痛にのた打ち回る一方で、「本業」のことを整理していたら、「寝言」どころではなくなってしまいました。土日に体を思う存分動かしたせいでしょうか、この記事を書きながら、睡魔が襲ってまいります。じらしているわけではありませんが、続きは次回以降ということでお許しください。

 それにしても、小沢民主党は解せませぬ。憲法改正というよりも国民投票なんて「合意争点化」してしまえば、安部政権の得意領域である「国家の品格」は参院選で霞んで、政権の苦手な「格差社会」で攻めまくるチャンスだと思うのですが。郵政解散で与党がシングル・イッシューで攻めてくると、厄介だというのは学習済みだと思うのですが。これは、「小さな親切 大きなお世話」の「寝言」。

気分しだいの必殺技(前編)

【今日の『らんま1/2』】
 このブログは、職場からアクセスされている方が多いようです。先週は、前週比2割弱のアクセス減を達成しました。絶好調です。さらに、徹底した過疎化を進めるべく、職場でアクセスすることが憚られる『らんま1/2』の英語版のアドレスを貼っておきます(単に自分が見たいときに見るためという噂もあり)。平日のPVが1,500を切るまで、アクセス数撲滅キャンペーンを行います(本音は出張先で手持ち無沙汰なときに『寝言@時の最果て』にアクセスすれば、『らんま1/2』を見ることができるようにしておきたいだけなのですが。それにしても、ビジネスホテルの有料チャンネルがアダルトor洋画というのはなんとかならんのですかね)。最初はやはり「あれ」しかありませんな。

気分しだいの必殺技(前編) 『らんま1/2』熱闘編123話

(1) http://www.youtube.com/watch?v=AvNJgNgwIrk(9分30秒)
(2) http://www.youtube.com/watch?v=y1i18sOFOCI(9分00秒)
(3) http://www.youtube.com/watch?v=bYSD953FJnk(4分50秒)


 『らんま』ファンサイトでは原作・アニメともにあまり評価されていない作品ですが、「気分」のおもしろさ、バカバカしさ、深み、恐ろしさ、愚劣さを「ラブコメ+格闘もの」なかで見事に描き出した作品だと評価しております。勝つためには手段を選ばない乱馬を描いているという点では、「貧力虚脱灸」変よりやや劣りますが、ナンセンス度ではなかなか逸品。原作ではラブコメという点ではちと物足らない方も少なくないでしょうが、作品の完成度は、『らんま1/2』らしく「気分しだい」のように見えて、構成の完成度はかなり高い作品だと思います。後編がおもしろいのですが、前編を見ていないと、「深み」がわからないので、まずは前編をどうぞ。

2007年04月15日

不眠症と稚気

(@時の最果て)

ハッシュ:zzz
ボッシュ:先週は思わず熟睡してしまった。ここは本当に恐ろしいところじゃ。
ハッシュ:ふうわあ。なんじゃ、また、おぬしか。
ボッシュ:今日は、あくびがすごいのお。よっぽど熟睡しておったのか?
ハッシュ:最近は平和でなによりじゃ。ここに来るのも、おぬしぐらいじゃ。よほど暇とみえる。
ボッシュ:……。ワシは忙しいんじゃ。ジールの生き残りがおぬしぐらいゆえ、来ておるだけじゃ。
ハッシュ:おぬしの場合は、忙しいに限る。ワシが忙しいというのは、この星が騒がしいということゆえ、よいことじゃ。
ボッシュ:そういえば、あのデブ、今週は中国の首相の訪日に国民投票法の衆議院での成立など書くことが一杯あるのに、全部飛ばしておる。いったい、なにをしているんじゃ?
ハッシュ:ワシにはさっぱりなんじゃが……。どれどれ、記憶をたどるとするか。
ボッシュ:ま、また熟睡するのか?な、なにもそこまでしてもらう必要は……。
ハッシュ:おぬしの話は、あのデブの記憶にはほとんどないぞ。「とにかく寝たい!!」。心の奥底からの叫びのようじゃ。
ボッシュ:……。ワシには似合わないが、先週、ここに呼んでやればよかったのお。不眠治療には最適じゃ。おまけに寝言を言いながら熟睡できる。ブログの記事もかけるというわけじゃ。それにしても、あのデブが不眠症とはちょっと信じられぬな。ストレスなどほとんどなさそうだし、頭が悪い上にデブじゃから、神経はぬけているだろうし。それにしても、電車で女の人にもたれかかるのは迷惑千万じゃ。一つ間違えると、セクハラじゃな。
ハッシュ:……。「せくはら」の意味がわからぬが、お隣のお嬢さんも眠っていたようじゃな。で、あのデブが目を覚ましてよく見たら、好みだったらしくて「超ラッキー!」と内心、叫んでいたようじゃ。もう一回、寝たふりをしてもたれようとしたかったようじゃが、周りの目が気になってやめたようじゃ。
ボッシュ:あのデブの好み?
ハッシュ:ほれ。こんな感じじゃ。
ボッシュ:……。意外とまともじゃな。つまらぬ。「本業」はどうじゃ?
ハッシュ:ほれ、こんなところじゃ。
ボッシュ:……。意外と難しい話をしておるのお。「時の最果て」で書いているときとは別人のようじゃ。
ハッシュ:それにしてもけしからん。「ある敗戦国の幸福な衰退史」はお休みするし、アメリカのことも書かぬ。あのデブの歳なら「本業」ができて当たり前じゃが、それで四苦八苦しているようではたいしたことがないのお。
ボッシュ:おぬしに人を見る目がないということじゃ。
ハッシュ:……。
ボッシュ:……。言い過ぎたかもしれぬ。ふうわあ。もうワシも限界じゃ。そろそろ、お暇するぞ。
ハッシュ:……。また、おいで。

 とにかく眠気と戦う一週間でした。命の賢者様のおっしゃるとおり、本家時の最果てにおしかけたいですな。温家宝の来日についても、国民投票法案の衆院通過も卓見を書かれている方もいらっしゃいますし、どうでもいいかなと。正直、なにかが変わったという実感がまるでありませんでしたので。

 「ある敗戦国の幸福な衰退史」はやめてしまったわけではないのですが、文献が思ったように集まらず、ちと沈滞気味です。世に問う気概もないので、私がもたもたしている間に安倍政権が過去形にして下さるのがベストですが、どうなりますやら。安倍政権が2期6年続いて、同じことを書き続けていたら、失望するでしょう。

 「本業」で実りが多かったかな。やっぱり、いい仕事をされている方とお話しするのが一番ですね。「肩書き」が変わって家族などは喜んでくれていますが、どうでもいい話。そんなことより、自分で納得のゆく仕事がしたいです。「成果主義」のおかげでせちがらいのですが、なんとか自分を満足させる仕事がしたい。どうせ「成果」を問うなら、日本人相手ではなくて、世界を相手にしたい。そんな日がくるとは、さすがの私も思いませんが、「形式」の世界は万国共通なので、勝負するなら、島国ではなくて、陸も海も関係なく、世界を相手にしたいです。まあ、このあたりの稚気は、昔からどうにもならんなと思います。基本的に幼稚な人間ですので。 

2007年04月14日

リスクをとる

 加齢とともに他人の話が耳には響いているのですが、聞こえていないことが増えてまいりました。最近、出不精になっておりまして、わざわざ他人の話を聞きにでる機会がめっきり減りました。そんな私でも、この方の話は聞きたいということもありまして、久々に往復3時間をかけて話を伺いにまいりました。これが「お約束」なのは自分でも極めてまずいのですが、方向音痴なのでたちまち遅刻。慌てて駆け込むと、つかみの部分を聞き逃してもったいない。「本体」の説明からでしたが、なるほどの連続。「本体」の「核心部分」はまさに形式そのものですが、形式がそのまま意味になっていて非常に刺激を受けました。筋のよい話は途中から伺っても、すっとわかるものです(ちと下手くそな言い訳ですが)。

 実際は、超寝不足で往復の電車で爆睡。お隣が妙齢の女性ですと、遠慮が働くのですが、この日は本当に眠くて目が覚めると、女性の肩にもたれかかっていて思わず赤面してしまいました。幸い、目的地では一切、眠気がせずに精神が研ぎ澄まされる感覚で、終わってから、再び、眠気。5時間ぐらいは寝たはずなのですが、帰りも爆睡。今度は、お隣がかんべえさんぐらいの方で、こちらは遠慮仮借なく肩を払いのけるので、しょっちゅう目が覚めてしまって熟睡できませんでした。言いにくいですが、オヤジの肩で好きで寝たいわけではないので、邪険に払われるとちと腹が立ちます(逆の立場だったら、もたれかかった瞬間にすっと席を立ってびっくりさせるのが特技)。もっとも、行きの女性のおかげでけっこう寝させていただいたはずなのですが。

 現場の知識というのは侮れなくて、数字の内訳から実に丹念な検討が加えられていました。ただ、「ああでもない、こうでもない」で煎じ詰めると、「よくわからない」。他方で、話のネタを提供していた方は、実に丹念に形式で意味を表現されていて、とても刺激になりました。言いにくいのですが、私よりも年配の方ばかりだったので、お尋ねしたいこともありましたが、終わってから直接、伺おうと思っていたところ、司会の方が私に振っていただいたので、形式のエッセンスの部分についてだけお尋ねすると、プレゼン資料や説明の間にしゃべりきれなかったことがどんどんでてきて、とても勉強になりました。要は、最初に出てくる「模型」が実際のデータの描写と対応していない部分があって、そこが繋がるととっても面白いんじゃないかなという話。私よりも10歳年上の方に申し上げるのはちと自分でもどうかなと思うのですが、形式のみを論じる場合にも、微妙な部分がありますが、とても面白い結果になっているのですが、これを形式で論じようとすると、結構難しい。「ブレイクスルー」とまではゆきませんが、ヒントにはなりそうな感じ。かなり生意気なことを申し上げましたが、「なるほど、そこは詰めてませんね。これはおもしろいかも」というリプライを頂いて、こちらも楽しかったです。

 ある某有名サイトで「形式」を論じることを散々にバカにされたおかげで、どんどん鈍感になってゆきますが、ふと気がつくと、「現場主義」の方ほど、自分の「形式」をおもちで、それが透明ではないので、議論してもあまり話が深まらない。「形式」、あるいはある種の「虚構」に徹することでしか語れないということに気がつかない方がご同業でも少なくないのでびっくりすることがあります。まず、誰しも意識しているか否かは別として、なんらかの「形式」を自分でお持ちのことがほとんどですが、私が扱っている「形式」は、手順さえ面倒がらずに踏みさえすれば、原理的にはわかる「形式」です。次に、理解されないのは、形式から意味を切り離すことは無理だということ。もちろん、無意味な「形式」がないとは思いませんが、みんなにとって透明な「形式」はそれ自体が意味だということです。私が扱っている「形式」には本音と建前のような区別はなく、「形式」すなわち意味です。さらに、「厳密」という言葉ほど誤解されているものはなく、要は、手順さえ踏まえれば、誰でも理解可能ですし、手順がおかしければ、こちらはかなり面倒ですけれど、やはり「透明なプロセス」で訂正が可能です。言ってみれば、無数の人たちが試行錯誤の上でつくりあげ、進化してゆくのが「形式」です。「形式」をバカにする方は、他方でご自身の、失礼ながら、主観的な「形式」を押し付けているわけで、「俺様」ぶりに傲慢不遜な私もさすがにひいてしまいます。

 ぐだぐだ書いておりますが、10歳近く上の方がリスクをとっているのを拝見すると、私自身がちょっとどうかなという仕事をしていて、いい歳してバカなことをしているなあと思っておりましたが、本当に励まされた気分になります。ネットや書籍を拝見していると、外交や安全保障、政治、経済で優秀な方がたくさんいらっしゃって私などが割り込む余地がないことに気がつきました。なんとかなさるでしょう。利巧な方が多いので、のほほんと私は好きなことでもやっていればよいのかなと。いろいろ回り道をして参りましたが、「形式」の世界で楽しむことに専念しようと考えたしだいです。

 まず、無理でしょうけれど、本業は世界共通の「形式」なので、世界で勝負したいという野心は持ち続けたいものです。
posted by Hache at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 幸せな?寝言

2007年04月13日

生活保守主義宣言

 mitsuさんのコメントを拝見しながら、そういえば、月曜日から火曜日は心身ともにボロボロだったなあと思います。大昔に『日経』で読んだのか、NHKの番組で見たのか忘れましたが、フランスで睡眠導入剤を服用している人が人口のかなりの数を占めているという話を読んだのか、見たのかは忘れましたが、大変だなあと思いました。ところが、30近くになって、睡眠のリズムが異常になり、かつ睡眠が浅いので、仕事にも支障がでるようになりました。「これはまずい」と思って、診断していただいたのが10年ぐらい前でしょうか。それ以来、睡眠導入剤を服用しないと、眠ることが難しくなってしまいました。月・火と薬が手元になかったので、「自力」で寝たのですが、3時間ぐらいしか眠れない上に、夢ばかり見るので、本当に厳しい状態でした。

 体と頭を区別すること自体にどこか違和感があるのですが、強いて両者をわけて、どちらが大切かと尋ねられれば、体のプライオリティを高く評価します。例外も少なからずありますので、一般的な問題として「寝言」にするのは難しいのですが、周囲を見ていても、体の衰えが気力の衰えに繋がるケースが多いように見受けます。例外の代表は、思わず涙しそうになるのですが、年配の男性が先立たれて気力が萎えてしまうケースでしょうか(夫婦の絆というのは外部からははかりしれないものがあることを実感いたします)。心と体、精神と肉体、気力と体力の問題は、「気分」の問題が大きく、両者を切り離すことが難しいと思うのですが、それでも、どちらが優先するかという問いをあえて立てるなら、やはり体だと思います。

 私の場合、いわゆる「デスクワーク」が仕事の大半を占めるので、頭が先にいかれて、もとい疲れて(まあ、元々「いかれて」いるので、自分でも区別がつかないのですが)、体が眠りを欲しなくなると、睡眠不足になります。ジムへ行けば、体をいじめることができるのですが、頭まですっきりして寝付けなくなってしまうこともあって、難しいものです。調子がよいときには、睡眠導入剤も不要なぐらい、ぐっすりと眠ってしまうのですが。

 元々、寝つきが悪く、寝覚めが悪いのですが(修学旅行で寝起きの顔を同級生に見られてしまい、「こ、怖すぎる」と言われてショックでした。普通のときは「死人」のような顔に見えるようです)、最近はひどくて夜の2時に寝れればよい方で、平日は平均睡眠時間が4時間程度ということも珍しくありません。長生きは無理だなと昔から思っていましたが、40歳近くまで生きているとは思いませんでした。それにしても、睡眠リズムが乱れたまま、長生きするのはちとつらいなあと思います。

 ビタミンB12の服用とか早朝の日光浴(早朝に目を覚ますこと自体が厳しかったのですが)など睡眠リズム障害の対処療法を一通り試してみたのですが、ちょっとしたことですぐに元に戻ってしまいます。「納期」の厳しい仕事があると、どうしても無理をしてしまって、余裕がなくなってしまいます。ただ、不思議なことに、海外に行くと、睡眠導入剤が不要なぐらい眠ってしまいます。時差ぼけをするせいでしょうか、イギリスやヨーロッパだと本当に不思議なぐらい眠れます。

 あるとき、ふと気がついたのですが、ロンドンあたりでも、歩くスピードがとってもゆったりしているんですね。だから、歩いていても人とぶつかることもまったくといってよいほどなくて、ストレスが皆無に近いです(唯一の例外は、スーツを着たアジア系のビジネスマンでした。会話から日本人と判明)。あと、人口密度が高いところでも、他人との距離感が遠いので私には本当に過ごしやすいです。縦に比べて横が育ってしまいましたが、部屋も大きめであれが苦手だという方も少なくないのですが、無駄な空間がありがたくて、ちょっとした観葉植物をおいておくと、仮住まいとはいえ、とても安らぎます。さらに、英語の番組しかやっていないので、英語力がひどい私には理解不能な番組が多く、BBCが流していたガンジーの物語以外は意味がわからなくて、晩御飯を食べた後にテレビを見ると、自然に眠たくなってぐっすりという「すちゃらか」というよりもむしろ「ぐうたら」そのものです。

 他方で、ヨーロッパでも不眠症や睡眠リズム障害、睡眠時無呼吸症候群などが問題になっていたようなので、「根無し草」の「たわごと」かもしれないのですが。なんとなく、この国は「効率的」で、それはそれとして評価すべきことなのかもしれませんが、生活まで効率重視となると、うるおいがなくなってしまいます。経済活動は効率的であることが望ましいのですが、生活は別かななんて、どうでもよい「寝言」が浮かんでしまいます。もっとも、生活も市場から逃れることは難しく、やむをえない変化かなと思ったりもします。それでも、あえて生活ではムダを確保して睡眠リズム障害をなんとかしたいというのが本音であります。

 生活まで「グローバル化」や「ハゲタカ」、「市場原理主義」に「食い物」にされるなど、真っ平御免。「グローバリスト」の「陰謀」が「日本的生活様式」を破壊するのを断固阻止!ムダのないところに余裕など生じません。「ムリ」、「ムラ」、「ムダ」を排除しようなどというトヨタ生産方式に代表される日本企業の品質管理を生活から追放せよ。日本資本主義は人民の生活の敵だ!万国の生活保守主義者よ、団結せよ!!

……。ちと狙いすぎて、思いっきり外してしまいした。
気を取り直して……。

真「生活保守主義」(別名「ぐうたら」)宣言!!


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posted by Hache at 00:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言

2007年04月12日

業務連絡:トラックバックスパムの「絶滅」

 さくらインターネットから、こんな「おしらせ」がきました。ほぼ、完全に動作しております。私がほめると、ひどい目にあう方を繰り返し目にしてきたので、ちと怖いのですが、「頑張ってますな。お疲れさま」というところでしょうか。TBスパムはこなくなりましたが、まともなTBもこなくなって少しだけ寂しかったりします。それにしても、一時期は、TBスパムがすさまじくて、承認制にしたのは正解だったとしみじみ思います。さくらインターネットも頑張っている様子で、この1週間ほど、皆無です。もし、送信しても反映されていないようでしたら、御連絡いただければ幸いです。

 これで終わるのが本来の「業務連絡」ですが、こんな「迷惑メール」が届いて思わず、楽しんでしまいました。もちろん、「多忙な」(日本語が苦手なので誤った表現かもしれません)私は迷惑メールなど一括削除するのが日常なのですが、題名によってはついつい読んでしまいます。件名に「あなたの神経は太すぎる」とあったので、「太いんじゃなくて、抜けてるの」と突っ込みながら、ついつい読み込んでしまいました。みんな忘れつつある「過去」をほじくりかえすのは無粋ではありますが、「永田メールの自爆編変」を思い出してしまうような、黒塗りの状態にできると面白いのですが、わざわざ自分のブログで「個人情報」をさらすのも「アレ」ですので、「ヤバイ」部分は削除しております。

【警告】
 メールの中にあるリンク先にアクセスする方は、自己責任でお願い申し上げます。私自身は、アクセスしておりません。この「業者(?)」の「回し者」ではありませんので、悪しからず。


Wed, 11 Apr 2007 21:16:06 +0900
Received : from
for ; Wed, 11 Apr 2007 21:15:44 +0900
Date : Wed, 11 Apr 2007 21:15:41 +0900
Message-Id :
To :
From : ユリカ
Subject : あなたの神経は太すぎる
MIME-Version : 1.0
Reply-To :
Content-Type : text/plain; charset="iso-2022-jp"
Content-Transfer-Encoding : 7bit

あなたの神経の太さには、ほんとうに毎日驚かされます。
こちらの善意で、全額免除手続きをとっているのに、どうして返事しないのですか?このままですと、このチャンスはこれで放棄と認定され、他の人に譲ります。

放棄したくない場合 tp://nzxg.com/?num=suica
からアクセスし、きちんと処理をしてください。ニックネームの最後に『要る』とつけすべて終えるだけで完了いたします。
一生一回のチャンスを逃がさないために今すぐ処理しましょう。


 最近、メアドも訳のわからない文字列に"unknown"とか芸がない迷惑メールが多いのですが、久々に読ませるメールでした。まあ、こういう「餌」なら、釣られてみるのも一興かなと。「釣りあげらる」のはしゃれにならないので、御免被りたく候。「開封確認要求」がついていたようですが、webメールで読んだので、どう処理されたことやら。「通知する」という確認メッセージがでなかったので大丈夫なんでしょうが。

 本当にどうでもよいのですが、「迷惑メール」のレスポンス率ってどの程度なんでしょう。ご存知の方がいらっしゃったら、こっそりでかまいませんので、ご教示ください。

【お知らせ】

水曜の晩に、私の自宅用のメールアドレスから私宛に「迷惑メール」と思しきメールが届きました。こちらをご覧頂いている方にも届いているかもしれません。送信者名が私の名前ではなく、英米系と思しき名前が英語で記されているので、大丈夫かと存じますが、御連絡申し上げます。技術的なことはまるで疎いので「なりすまし」でしょうか。念のため、私の自宅用アドレスから「迷惑メール」が届いた場合、速攻、削除でお願い申し上げます。なお、迷惑メールフィルターに私のメアドが登録されておりますと、私からのメールが受信できないので、解除していただければ幸いです。

……そうじゃなくても、あんたのメールが「迷惑」だよって!

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zzz
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2007年04月11日

なにかを選ぶ なにかを捨てる

 小林秀雄を読んでいると、いろいろ考えさせられます。とはいうものの、1日に1時間程度しか読む時間をとらないようにしております。同じ料理でも、なぜかつまみ食いの方がおいしいもので、ついついそちらに時間を割いて、本業がおざなりということになりかねません。それにしても、小林秀雄だからでしょうか、文学者というのは言語道断なところがあって、人間をありのままに見るという特権にめぐまれているようです。その特権をどのように活用するのかは、その人しだいという気もしまが。「ヒットラアの『我が『闘争』」を体制批判と読むのは、間違いではないのでしょうが、あまりおもしろくない。「舞台裏」を書くと、火曜日に掲載した文章が全文ですが、彼が愛そうとしても愛せない対象に出くわしてしまったときの反応がおもしろくて読んでいたということになります。

 文学者に限らず、学者さんというのは、対象に愛情をもって接するのものだと思います。私は、「時の最果て」でよく量子力学、それもハイゼンベルグの文章を持ち出しますが、他の物理学者だって、対象を愛していたし、現在でもそうでしょう。別に、対象を愛するのは学者さんだけの特権ではないでしょう。私の父もそうですが、それぞれの仕事で仕事に愛着をもっている方は、そうでない方よりもはるかに多いと想像しております。ここで私はなにか、職業に卑賤なしとか、そういうことを論じたいわけではありません。昨日は、激しい勢いで書きましたが、戦争を美化したか批判したか、職業の卑賤とか、そういうものの見方は、人間の思考のあり方の一つだけれども、そのような思考のあり方を離れると、私を見れば一目瞭然ですが利巧にはならないけれども、ちょっと違った景色が見えてきますよということです。せっかくの人生、楽しんで生きなくては、おもしろくもなんともないじゃないですか。

 たとえば、小林秀雄の評論家人生の最初は、プロレタリア文学の批評に多くを割いています。マルキシズムの批判というのはいろいろあります。私の能力が乏しいために、ごく一部しか読んでおりません。一例として、「唯物史観というのはキリスト教的世界観の亜流だ」という趣旨の批判のしかたがあります。実は、これはなにかを言っているようでなにも言っていない話だと思います。たとえば、西欧文明を理解するときにキリスト教を信仰はしなくても、少しぐらいは理解しておく必要があるでしょう(宗教については幼少時の経験でどこかで嫌悪感をもっていることを率直に記しておきます)。西欧文明におけるキリスト教の影響は、日本人の想像を絶するものがあるでしょう。それでは、そのような文明の中で近代において「キリスト教的世界観の亜流」であるマルキシズムというイデオロギーがなぜ他のイデオロギーよりも強い影響力をもったのかという問題をたてることもできます。あるいは、20世紀の前半においても西欧の科学者たちがキリスト教から多くの影響を受けていたようです。そこを踏まえて、キリスト教的世界観がなぜ2000年近くも西欧において受容され続けてきたのかという問いを立てることもできるでしょう。もちろん、キリスト教的世界観の「普遍性」に目を向けるのか、「特殊性」に目を向けるのかでも問題は変わるでしょう。学業を本業とされている方が、このようなナイーブな問題の立て方をするとは思いません。ただ、考えるということの始原というのは、案外、こんなところじゃないのかなと思ったりします。

 お約束のようにとりとめがなくなりましたが、対象を愛し続けるのにも情熱が必要です。小林秀雄は亡くなるまで「業」が深かったようで亡くなるまで考え続けていたようです。他方で、すべてを愛することは誰しもできない。「ヒットラアの『我が闘争』」から完全に離れてしまいますが、ある水準を超えると、なにを拒絶するのかが難しくなってきます。それ以前の問題として、一個の人間がなすことは有限であり、それと比すれば、やれることは無限に等しいといってよいほどあるということです。前者の問題は、私のような凡夫には縁が薄いのですが、後者の問題は非常に悩ましい。あれもやりたいな、これもやりたいなと考えることは簡単なのですが(実はそうでもないのですが、今回はそういうことにしておきます)、やれることは限られている。そうすると、上手に対象を「捨てる」しかなくなります。実は、対象を愛し続けることと、少なくとも同じ程度に、上手に「捨てる」ことは難しい。「捨てた」話の中に本筋が入っていたなどというのは、私みたいな凡夫にはよくあることで、泣きたい気分になることはよくあります。

 若い人たちを見ていると、「可能性の世界」というのは大変だなと思います。捨てざるをえないものが多すぎる。そこでたじろぐ人、深く考えずに上手に捨ててしまう人、考えすぎて捨ててはいけないものを捨ててしまう人、本当に多種多様です。私もいつまで生きられるのかわかりませんが、若い人たちから学ぶことが増えてきていることを感じます。もういい歳なので若い人にお説教を垂れるぐらいのことはしてあげなくてはならないのですが、彼らから教えてもらうことが多くて、いつまでたっても子供なんだなあと幸せなのか、不幸せなのか、自分でもわかりませんが、そんな「寝言」が浮かんでしまいます。 
posted by Hache at 13:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 幸せな?寝言