2007年04月04日

小林秀雄「戰爭について」

 昨日の記事を書き終えて、そういえば戦争を「美化」した評論はどれだろうと、ネットで検索していると、「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」の「小林秀雄(批評家)」の欄にこんな記述がありました。違和感がありまくりんぐなのですが。

 1937年11月、小林は『改造』誌上で『戦争について』と呼ばれるエッセイを発表し、その中で「天皇の臣民としての義務が何よりも優先する」と主張し、日中戦争に反対する人々を強い調子で批判した。小林によれば、戦争とは自然災害のようなもので、人間によってコントロールできないものである。そのため、台風をやりすごすのと同じように戦争は正しいか正しくないかにかかわらず勝たねばならないというのであった(『ウィキペディア(Wikipedia)』内の記事「小林秀雄(批評家)」より引用)。

 「天皇の臣民としての義務が何よりも優先する」という表現は、私が目を通している範囲では見たことがなく(全集を隅から隅まで読むほどの小林秀雄ファンではない)、「戰爭について」は20年近く前に、小林秀雄というのはこんな悪い奴だといわんばかりの方にとりあえず読めと言われて、読んだ覚えがあったのですが、これのどこが悪いと居直る始末。ふと、全集を手にとる機会に恵まれておりますので、「戰爭について」を読むと、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「小林秀雄(批評家)」の記事を書かれた方、あるいは書かれた方たちが小林秀雄の原文をお読みにならずに書かれたのか、新潮社、あるいは編集者が『小林秀雄全集第五卷』(平成十四年二月)の刊行にあたって戦後民主主義に迎合して『改造』に掲載された「戰爭について」を「改竄」したのか、不思議に思いました。『全集』の「戰爭について」では「天皇の臣民としての義務が何よりも優先する」という表現は見当たらず、その他の評論を読んでも、このような表現が見つかりませんでした。『全集』を隅から隅まで読み込んではいないので、読み落としているだけかもしれませんが。

 ただ、「日中戦争に反対する人々を強い調子で批判した」という「意匠」は、少なくとも「戰爭について」をどこをどう読めば、そうなるのかなと思います。「たゞ一つの意匠をあまり信用し過ぎない爲に、寧ろあらゆる意匠を信用しようと努めたに過ぎない」と世間様に向かって啖呵を切ってしまう小林秀雄はふてぶてしく、こういう意味での「女々しさ」とは無関係じゃなかったのかなと思います。私が女々しい(「差別」用語なので不快と感じる方は、こちらでもどうぞ)と感じるのは、新潮文庫の『モオツァルト・無情という事』(不覚にも自宅の「樹海」に埋もれて「現物」は行方不明)の江藤淳氏の手による「解説」で、青山氏(記憶が誤っている可能性が大)にお前は釣る手つきをするばかりを魚を釣ったことがないじゃないかと言われた小林が、思わず涙をもらしたというあたり。

 江藤氏は文学者らしく解釈されていたと記憶しておりますが、小林秀雄の体質からすると、青山氏の言葉で涙したのではなく、戦争に負けて悔しいのだろうと。英米に復讐するとか、いやドイツの二の舞だというややこしい話を抜きにして、単純に戦争に負けたことが悔しかったのだろうと。ただただ、悔しかったのだろうと。ふと、悔しさがこみ上げてきて泣いてしまったのだろうと。現物が手元にないので、いい加減なことを書いておりますが、そんな感覚です(子供っぽさ全開の小林秀雄の言葉にわざわざ「反語」と付け加える江藤淳氏の自殺を責める気にはなれない部分があります。塩野七生さんは好きではあるのですが、江藤氏の自殺を責める文章を拝読すると、他人の「体質」にどこか鈍感な部分を感じてしまいます。江藤氏の場合、自死か狂死しかなかったのではないかと思えてしまいます)。

 予定では『小林秀雄全集第七卷』(平成十三年十月 新潮社)の「歴史の魂」(初出「新指導者」、昭和十七年七月)と「ゼークトの『一軍人の思想』について」の感想(要は泣いちゃったわけですが)を書く予定でしたが、『ウィキペディア(Wikipedia)』の「小林秀雄(批評家)」の項目の記述に違和感を覚えたので、「続き」では「戰爭について」全文を口語体で書き写しておきます。出典は、『小林秀雄全集第五卷』(平成十五年 新潮社)の248頁から255頁までです。初出は「改造」(昭和十二年十一月)です。文語体は私にはつらいので口語体に直しております。「たゞ一つの意匠をあまり信用し過ぎない爲に、寧ろあらゆる意匠を信用しようと努めたに過ぎない」と世間様に向かって啖呵を切ったふてぶてしい人物は、どのように日中戦争(支那事変)を見ていたのか。私ごときが語るよりも、小林秀雄自身の「肉声」を口語体にしても、損なわれることはないだろうと思うのであります(口語体に書き直してみてはじめてやはり文語体の調子がよいことを実感しました)。まあ、文語体については、こちらを眺めるばかりであまり自信がなく、「変換ミス」がございましたら、御指摘を賜れれば、幸いです。なお、著作権上の問題がありますので、トラブルになる可能性がある場合、「続き」の部分は削除させて頂きます。

 それにしても、「たゞ一つの意匠をあまり信用し過ぎない」というのは理解されないものだとついため息が漏れてしまいます。どうにもならんのかなあと。日本人が日本人について一番、知っているはずなのに、このありさまかと。本居宣長に「そうでしょ?そうでしょ?」と泣きながら甘える小林秀雄を見ながら、女々しいと思いつつ、もらい泣きをしてしまう私です。


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