2007年04月05日

考える楽しさ

 年度の始まりはなかなか大変でありまして、三日連続の飲酒。飲めないわけではないので楽しいのですが、三十路半ばをすぎると、厳しいものがあります。平常モードも、煎じ詰めれば、体力勝負。早く週末を迎えて、散歩とジムに通いたいとそれだけを願っております。

 珈琲様からコメントを賜って思わぬ展開になり、M.N.生様のコメントを拝読してちとしゃべりすぎたかなと思いますが、「善意の怖さ」を書くきっかけが小林秀雄の「様々なる意匠」の最後の一節がふと頭に浮かんだことでした。たまたま新潮文庫が見当たらなかったので、『全集』を図書館から借りてきて確認をしていたという、われながら、計画性に乏しい話です。なにかの拍子に、いろんな先達の方々の言葉が思い浮かぶのですが、小林秀雄はときに鋭い刃物でえぐるような感覚があって、2006年6月2日には「匹夫不可奪志」というエッセーを「寝言」モード全開でとりあげております(なにでスイッチが入ったのかは、すっかり忘れてしまったのですが)。こんな話ばかりしておりますと、やじゅんさんを「年齢詐称疑惑」でからかえなくなるので、今回で小林秀雄の周辺を散歩するのは終了です。ブログの記事のネタから離れて『全集』を読みたいということもありますが。

 実生活では小林秀雄が好きだなどということは、口に出さないことにしております。碌な目にあったことがないんですね。月曜日に「…小林秀雄はなんとか読める。そして、鼻につく。しかし、小林秀雄には失礼ですが、どこかウマが合う」などと傲慢なことを思わず口走ってしまいましたが、これはさすがに思い上がりだなあと。「自分に甘い」「頭のいかれた『外道』」には、後で引用する「文科の学生諸君へ」などを読んでいると、昔の方が若いときに済ませていた「バカ」をしていなかったツケを払っているのだなと思えばよいのかなと思ったりします。同じ『全集』第5巻に収録されている「『日本的なもの』の問題 I」(初出「月刊文章」、昭和十二年四月(昭和53−54年刊の第四次小林秀雄全集(「新訂小林秀雄全集」)には収録されていない)、「『日本的なもの』の問題II」(初出「東京朝日新聞」、昭和十二年四月)なども、古くなっていないことに驚かされます。自分でも「ジジ臭い」かなと思いますが、目の開いている人はいつの時代でも少数で、ゆえに古くならないというどこかでふと感じることが、頭をよぎります。自分が「目が開いていること」を主張するものではなく、ハッとさせられるというのが正直な感覚です。

 コメント欄では同世代と一つ上ぐらいの世代に関してボロクソに書いておりますが、ちょっとだけフォローしておきます。といっても、この方のことをネットで書くのは「勇気」がいるんですね。ファンサイト(旧サイトは閉鎖に追い込まれました)、某巨大掲示板群でも荒れているところしか見たことがないので、著書からの引用だけしておきます。

 ヴァイオリンがとても好きだったという文芸評論家の小林秀雄氏の『音楽談義』のカセット・テープを聞かせていただいたことがあるが、その中で小林氏は、飄々とした口調で、「世の中には、ストラディヴァリウスを上手く鳴らすヴァイオリニストと、グァルネリ・デル・ジェスを上手く鳴らすヴァイオリニストと、二通りのヴァイオリニストがいるということですよ。ヴァイオリニストというのは、要するに、この二つの楽器が本来もっている音を、どうやって完全に引き出すかという仕事をする人のことを言うんです」
と語っていらした。
 勿論、小林秀雄氏は音楽の専門家ではない。音楽について、どれだけの造詣をもっていらっしゃった方か、名著『モオツァルト』の存在を知るのみで、私には窺う由もないのだけれど、大家とは、一言で物事の真髄を衝く表現をするものである。今、演奏している楽器について言えば、私は、この大切な人類の文化遺産をお預かりして、音楽を演奏させていただいている、ということになるのだろうか(諏訪内晶子『ヴァイオリンと翔る』NHK出版 1995年 72−73頁)。

 過疎地とはいえ、よけいなことを書くと、「炎上」となる可能性が高いので「燃料」はナシですよ。私とほぼ同世代でも、ヴァイオリンという楽器に限定されていますが、小林秀雄の言葉が印象的に響くように感じる方がいらっしゃるようです。

 さて、思わぬ「連載」となった「小林秀雄シリーズ」の〆は「文科の学生諸君へ」(恥ずかしいのですが、「文」の字の旧字体の出し方が解らないので新字体でまいります(涙))の冒頭部分です。引用ばかりで恐縮ですが、意外と手間をとる作業ではあります。「戰爭について」と同じく『全集』第5巻に収録されています。初出は『文学界』(先述の理由でこちらも新字体でごめんなさい)です。約70年前の文章ですが、まるで古臭く感じないことに驚かされます。『全集』には、いろいろ考えさせられることが多い文章が収録されていますが、この評論を読んで一生、勉強して楽しんでゆけばよいのだなあと、幸せな「寝言」が浮かんでしまいました。しつこい私は、棺桶の蓋が閉まっても、考え続けているのかもしれません。

 それにしても、小林秀雄の文章を読んだときに、ちょっとナルシストかなと思い、「近親憎悪」を覚えた気がいたしますが、ご本人が飄々と語っているので、愉快です。もし、私が今、「文科の学生諸君へ」を書いたなら、「もっとスケールの大きいバカになれ。太ることも学ぶことだ。『せごどん』はきついが目標ぐらいにはしろ」なんてわけわかめのことを口走ったりして。
 

文科の学生諸君へ


 僕はかつて文科の学生であったし、今も文科の学生諸君へ接する機会が一番多いので、そういうつもりで書こうと思う。自分のことばかりしゃべるようになりはしないかとも思うが。
 現代の学生の心は非常に不安であり、性格が分裂し、懐疑的であり云々のことがよく言われるが、僕は自分がまさしくそういう学生であったから、別にそういうことを深く感じないのである。僕の学生時代から見ると、今日の時代の方が、確信を抱いて生きがたい時代になっているということは、まさにそうだろうと思うが、どんな時代にしたって人間としての真の確信というものをつかまえるのは、生やさしい仕事ではないし、ほんと言えば青年の手に合う仕事ではない。時代の反映であろうが、生理的反映であろうが、精神の不安は青年の特権である、という考えを僕は自分の青年時代の経験から信じている。
 高等学校の一年生のとき、はじめて志賀直哉氏に会ったとき、聞いた話のうちでまだよく覚えている言葉がある。言われたとおり僕が実行し、言われたとおりになったからよく覚えているのだろう。「君らの年頃では、いくらうぬぼれてもうぬぼれすぎるということはない。うぬぼれすぎていてちょうどいいのだ。やがてそうはいかないときはからなず来るのだから」。以来僕はうぬぼれることにかけては人後に落ちまいと心がけた。何が何やら解らなくなっても、このくらい物事がわからなくなるのは大したことだとうぬぼれることにしていた。「改造」に初めて懸賞論文を出したときも、一等だと信じて少しも疑わず、一等賞金だけ前借して呑んでしまい、発表になって二等だったのでおおいに弱った。僕は不幸にして抜群の資質などというものをもって生まれなかったから、学ばずしてえるという天才的快楽をかつて経験した覚えはない。だからなんでも学んでうべしという主義である。うぬぼれだって手をつかねて生ずるものではない。うぬぼれだって学んでえるのだ。絶望するのにも才能を要し、その才能も学んでえなくてはならぬとさえ考えている。

初出「文学界」(昭和十二年四月)、『小林秀雄全集第五卷』(平成十五年 新潮社 101−102頁)所収。
posted by Hache at 01:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 幸せな?寝言