2007年04月18日

ユニバーサルサービス制度(3)

 アクセスカウンターが回らなくなって、「引締め」の効果がでているようです。こんな感じで体脂肪も減ってくれるとありがたいのですが、他方でさくらインターネットの管理画面を見ると、訪問者数が463、ページビューが1971となっていてわけがわかりません。だんだんどうでもよくなってきて、「勝手にしやがれ!」という気分になってしまいます。それにしても、ユニバーサルサービスなどというマイナーな話題で連載し続ける私も自分でもちょっと変かもと不安にならないわけではないのですが。今回で話を終了したいのですが、読者無視の「寝言」ですので、「つまみ食い」や「寄り道」が楽しく、どうなりますやら。

 さて、ユニバーサルサービスを考える際に前提となるのが、いわゆる「内部相互補助」です。これは1970年代から1980年代に多様な考察がされているのですが、全部、カットします。ざっくり言ってしまえば、昔の加入電話で言えば、高収益部門である長距離通信部門から低収益部門である市内通信、あるいは域内通信部門に収益を移転することによって、必需性が高い市内通信の料金を低廉な水準に抑えるということです。高収益部門から低収益部門への収益の移転ならば、通常の民間企業でも、ちょっと古い話ですが、事業部内で行っていたようです。たとえば、家電メーカーが新製品を市場に供給する際に、価格を抑えるために収益の上がっている製品ラインから収益をプールしておいてそのお金を回すといった類です。

 なぜ電話、あるいは情報通信(電力やガス、鉄道などでもよいのですが)で「内部相互補助」が問題となるのか。規制緩和が実施される前には、主として「社会的配慮」、あるいは「生活水準の向上」という点から内部相互補助は政策的に容認、あるいは推進されてきました。林・田川[1994]では、「積滞解消」という表現がでてきます。1970年代ぐらいまでは「すぐつながる電話」とならんで「すぐつく電話」(加入電話の申し込みに迅速に対応して電話の普及率をスピーディに高める)が電電公社の至上命題の一つ(輻輳や混線の解消など品質・信頼性改善の問題も大きいのですが)だったことが触れられています。今では移動体電話の契約数が1億を超え、固定電話は減少傾向ですが、30年前は固定電話の加入増にいかに対応するのかが課題でした。内部相互補助は、市内電話の利用者にとっては低廉なサービスを享受することができるという点で意義がありました。また、電電公社からすれば、民間企業ではないけれども独立採算を制約としている公社であり、市内・市外ともに独占状態であるため、恣意的な料金を設定することが可能でした。ただし、この点は要注意で、電話料金をはじめとする公共料金は、強い政府規制の下にあったことを忘れてはならないと思います。

 例によって話が脱線しますが、合衆国でAT&Tが分割された後、連邦通信委員会(FCC)は内部相互補助を排除すべく、加入者アクセスチャージと事業者アクセスチャージを導入しようとしました。FCCのねらいは、粗っぽく言えば、徐々に「費用」に見合わない水準になっている市内料金の事実上の「値上げ」を行うために、徐々に加入者アクセスチャージの部分を高めてゆこう(事業者アクセスチャージは長距離通信事業者が地域電話会社に支払う料金です)というものです。これに反発したのが、連邦議会や地方政府で、FCCの案は「骨抜き」にされました。

 実は私自身は、日本のケースに疎いのですが、合衆国の場合、FCCが独立行政委員会という特殊な行政主体であることも大きいのでしょうが、「改革」の「抵抗勢力」は、官僚機構ではなくて議会であることが少なくありません。「利益誘導」というのは、なにも日本の「専売特許」ではなく、合衆国でも、たとえばハイウェイ建設路線の選定とそれに関連する道路予算を決定する議会内部の委員会の構成員が相関をもっていることが示されています。話がそれますが、天下りの問題などで官僚機構がバッシングされていますが、予算に対する影響力はアメリカほどではないでしょうけれども、国会議員の問題が大きいのかもしれません。公共選択論では、官僚機構の「腐敗」の問題も扱うようですが、私が目にしている限りでは主として研究されているのは、議会と政府予算の「歪み」との関係です。主として合衆国を対象とした研究ですので、日本の場合は異なることも多いのでしょうが、日本では議会の役割が軽視されている印象があります(例外もありますが、自民党の一党独裁が続いてきたという戦後政治の異質性(戦前でも政権交代がありましたから)が単に大きいのかもしれませんが)。

 さて、電話の話に戻ります。1980年代以前、長距離通信料金は極めて高い水準でした。旧電電公社が民営化された直後で東京−大阪間の通話料金は3分で400円程度と今では考えられない水準にありました。日本ではドラステッィクな形で新規参入は生じませんでしたが、合衆国では規制が緩和される以前から、MCIが1970年代に事実上、都市間通信サービスを一般顧客向けに提供しました。AT&TはこれをFCCに提訴し、FCCの指示によって、AT&TはMCIとの相互接続を拒否してしまいました。このことが、司法省が提訴していたAT&T分割に関する訴訟でAT&Tを不利な立場に追い込むのですが、とりとめがなさすぎるので、ここは割愛します。

 極度に単純化をしますと、内部相互補助は料金体系の歪みを生みます。高収益部門の料金は費用に比して割高になり、低収益部門の料金は割安になります。これを維持するためには、政府が徹底的に高収益部門での競争を排除しなければなりません。MCIの事例はその典型です。当時、FCCはAT&Tの独占的地位を弱めるべく、無線通信の規制を徐々に緩和していました。他方で、電話事業のコアである長距離通信では競争を認めない政策をとっていました。料金体系に歪みがあり、なおかつ、新規参入を妨げる要因がなければ、より効率的な事業者が高収益部門に参入して料金が低下し、内部相互補助を維持することは困難になります。

 合衆国の場合、電話事業でAT&Tが私企業でありながら、政府規制によって事実上の独占(反トラスト法の適用除外)を認められてきました(合衆国のケースは先進国でもむしろ例外に属します)。プロセスは複雑ですが、AT&Tが内部相互補助を受け入れてきた背景には、自社の独占的地位を維持することが最大の要因だと考えますが、FCCなどの行政機関や議会などの政治的圧力なども無視できない要因でしょう。なお、AT&T分割に最後まで反対したのは国防省筋であることは興味深いです。Peter Teminの古典、Fall of the Bell Systemによると、国防総省はAT&T分割によって通信の統合性、ネットワーク性が損なわれることによって、緊急時における通信の確保に懸念を抱いていたようです(この懸念が妥当だったのかどうかはわかりませんし、現状ではどうなのかもわからないのですが)。

 本当にとりとめがなくなってしまいましたので、強引にまとめに入ります。ユニバーサルサービスを維持するためには、内部相互補助によって「不採算」部門を維持するか、「外部補助」すなわち補助金など公的資金を投入する必要があります。ユニバーサルサービスの維持は、効率という点では正当化することは困難です。簡潔に私の考えをまとめます。

(1)内部相互補助による非効率

 既に述べましたが、内部相互補助によって料金体系に歪みが生じます。「歪み」という場合、主として内部相互補助によって消費者の厚生が低下することを指します。この点に関しては、1970年代から80年代の研究で明らかです。また、内部相互補助が行われるためには事業者が市場において独占的地位、あるいは強い市場支配力をもっていることが不可欠です。家電メーカーが事業部内で「内部相互補助」を行って非効率が生じても、他のメーカーの製品との競争によって、そのような非効率が排除されるでしょう。通信の場合、政府規制によって独占的地位を認められてきたために、このような市場機構の作用は著しく制限されています。このため、通常の市場よりもはるかに長期間にわたって非効率が温存されてしまいます。他方で、料金体系に歪みが存在すれば、潜在的な参入者が実際に参入する余地が高まります。内部相互補助を徹底して維持しようとすれば、効率的な事業者の参入を認めない、あるいは排除しなければなりません。

 既存事業者に独占的地位の維持を認めることは内部非効率(X非効率)を高めることも注意が必要です。1970年代はスタグフレーションの時期ということもありますが、人件費の高騰などによって合衆国では大幅に通信料金が上昇しました(労組の問題が大きいのですが、割愛します)。市場機構が機能しないことによって配分上の非効率が生じるだけでなく、組織の内部非効率も高まります。

(2)効率と公正

 内部相互補助には、(1)長距離通信(主として都市間通信)から市内通信への補助、(2)「採算地域」から「不採算地域」への補助、(3)医療機関や教育機関など公的性格をもつ組織への補助などがあります。これらは、政策上の目的としては社会的公正という観点から議論されているようです。(1)は、ユニバーサルサービスを維持するための伝統的な手段であり、(2)や(3)は、ユニバーサルサービス制度の対象を示しています。もし、これらの施策を実施することが市場において効率的であるならば、通信事業者が自発的にユニバーサルサービスを提供するでしょう。現実には、先ほどもとりとめもなく書きましたが、結果論に過ぎない可能性もありますが、市場での独占的地位を保持するためにユニバーサルサービスを維持してきたというのが現実だと思います。ユニバーサルサービスを維持する前提が内部相互補助の存在である以上、効率とは異なった問題として割り切ってしまった方が(もちろん、事業者にユニバーサルサービスを供給する効率的なインセンティブの与え方を検討すること自体は否定しませんが)話が明確になると思います。

 効率と公正の問題は、古くて新しい議論であり、現在でも議論が続いています。そもそも、「公正」とはいかなる状態を指すのかを定義することは、経済学だけでなく、倫理学や論理学をはじめ、様々な分野で検討されています。また、効率的な資源配分が公正であるとはかならずしもいえないことは、やはり過去にも検討されていますし、今後も続くのでしょう。逆の関係も難しい問題です。概ね公正だとみなされる資源配分が効率的であるという確実な保証は、私の貧しい知識ではないと思います(効率的な資源配分の集合から衡平な資源配分を定義する場合は別ですが)。

 身も蓋もないことを書いてしまうと、ユニバーサルサービスの維持が効率という点では否定されるにしても、はたして公正という点からすら正当化されるのか疑わしい点はあります。とくに、日本では全国均一料金が合衆国よりも重視されますが、その根拠はかならずしも自明ではありません。また、都市部で基本料金が高く設定され、農村部では低く設定されてきたことは、ネットワーク外部性、あるいは発信可能性と受信可能性の点から正当化されてきましたが、結果的には支払能力のあるところから料金を高めに徴収するという状態になっています(「負担力主義」、「応能負担」というのは実際に適用すると、「とりやすいところからとる」という結果になることが多いでしょう)。このような制度が効率的ではないとしても、公正であるといえるのかどうかは疑問が残ります。

 ただ、この議論をするにはあまりに面倒なので、ユニバーサルサービス制度の是非を「棚上げ」して、与件として考えてみましょう。いかれた「外道」の目からすると、ユニバーサルサービス制度に効率的かつ公正な制度という理想像が存在するかどうかすら疑わしく、そのような理想像が存在するとしても、それが明示的に設計されるには途方もない時間がかかるでしょう。夢も希望もありませんが、ユニバーサルサービス制度というのは本質的に非効率であるという前提の上で、その非効率をいかに抑えるのかという点が最も肝要だと考えます。この種の問題は、ユニバーサルサービス制度だけではありません。医療行政や年金、少子化対策などの社会福祉、雇用政策など幅広い分野で問題になってきます。

 「格差是正」に関する議論には疎いのですが、私が目にしたり、耳にした範囲では、多くの場合、悲惨な現実へのシンパシーと正義感という「善意」が、ときにあからさまに、ときに暗黙に前提になっているように感じます。他方で、市場というのは、「善意」も「悪意」もすべて飲み込んで、例外も少なくありませんが、長期的には市場に参加している経済主体がそこそこ満足するという意味で効率的なものです。「『国家の品格』と『格差社会』の間」で書いたことは、『国家の品格』を読み、「格差社会」論に関する雑誌などの記事を読んでいて感じた違和感です。率直にいえば、『国家の品格』には嫌悪感を覚えました。実はあの記事を書くために1時間ちょっとで全部を読みましたが、市場経済への拒絶と市場経済が構成する分権的社会への無理解を感じたからです。「格差社会」論は、私にはより身近に感じます。市場経済は、社会に存在するヒト・モノ・カネなどを効率的に配分するメカニズムとしては最悪の部分も含みますが、これまで実施されてきた他のメカニズムよりもマシなものです。「格差社会」論が指摘する問題は、市場の欠落、あるいは市場の不完全性と結びついている部分もあり、国家の品格よりもはるかに真剣に考えてゆかなければならない問題を含んでいると思います。

 私は、「格差是正」の必要性を否定しません。問題は、それがどの程度まで必要なのかという的確な現状認識とディスインセンティブを取り除いてゆく小骨をとってゆく地道な作業がどうも弱いということです。同時に、それが特定の悲惨な状況を改善するためには他の良好な状況を悪化させてしまう虞を軽視していることにも違和感があります。それにもかかわらず、「格差是正」が本質的には非効率であること、その非効率をできうるかぎり抑制しようと努力をされている方には敬意を払います。ユニバーサルサービス制度に関する議論は、今日では非常に複雑になっておりますが、このような真剣な努力には敬意をもちます。

 それにしても、ユニバーサルサービス制度そのものからあまりに遠ざかったしまいました。次回はユニバーサルサービス制度の将来像に関する研究会(第1回)の資料「ユニバーサルサービス制度の現状と課題」から興味深いデータをとりあげて論じる予定です(ちょっと間をおくかもしれません)。

爆裂!ハイパーツヅミ

【今日の『らんま1/2』】

 いやあ、よい湯加減でアクセスカウンターが回らなくなりました。雪斎先生のブログを御覧になっている方は、「今朝の一枚」のパクリだとお気づきかもしれません。私の「ちゃらんぽらんさ」をあえて隠す必要もないので、今日も『らんま1/2』のTVアニメ(OVAのこともありますが)を見たことを紹介します。

 今回は、TVアニメオリジナル(原作にはない)の作品です。実を申しますと、この作品が『らんま1/2』をテレビではじめてみたという、ちょっと思い出深い作品です。内容そのものはナンセンス度だけが高いという感じですが、最初見たときにバカ受けしてしまいました。「気分しだいの必殺技」は、ほぼ原作どおりの脚本で原作のキャラがほぼ再現されていますが、アニメでは微妙にキャラ作りが変わっていて、ちょっと興ざめになることもあります。今回の作品は、オリジナルながら、登場キャラの雰囲気が原作とあまり変わらないという点で高く評価できます。日高のり子さんが『キッズステーション』で天道あかね役で一番好きなセリフだと告白した「○○○の○○」がマイクで登場するあたりもポイントが高いでしょうか(苦手なセリフはまた後日)。天道あかね(日高のり子)の「魂の叫び」が地球を救う!?

 それにしても、こんなものを職場で見てはダメですよ。というわけで、こんな碌でもないブログにアクセスしないよう、お願い申し上げます(もうお願いする必要もないかも)。


爆裂!ハイパーツヅミ 『らんま1/2』熱闘編139話

(1) http://www.youtube.com/watch?v=jSkeh4op3Tk(9分00秒)
(2) http://www.youtube.com/watch?v=9j4Zgfk0_BI(9分13秒)
(3) http://www.youtube.com/watch?v=cUI6tETDdj8(5分14秒)