2007年05月31日

更新の休止

 私自身が身内の者を失ったわけでは在りませんが、突然のことでお慰めの言葉もでてまいりません。私が喪に服するということではないのですが、日曜日まで更新を休止いたします。この種のことに疎いので、的外れなことをしているのかもしれませんが。なお、私もまったく偶然に悲報に接しましたので、事情は一切、申し上げません。

 衷心より哀悼の意を捧げます。
posted by Hache at 23:59| ごあいさつ

マニュアルづくり

 迂闊にも5月30日がサーバメンテナンスの日だということを忘れておりました。記事ができていなかったので、助かりましたが。やすゆき様のコメントを拝読しながら、ほとんど同感なのですが、それじゃあなんだか「時の最果て」らしくないな、こんなことも考えられるんじゃないかなとあれこれ考えていたら、コメントを書こうとして自分のブログを開いたら、なんと「メンテナンス中」。自分でも嫌になりますが、BSEでもないのに脳に穴が開いている状態はなんとかならんのかと心中で怒号が鳴り響きます。

 今年度に入ってから疲労がすさまじくて、火曜日などは機械的なミスを連発するので、若い人に「大丈夫ですか?」と呆れられてしまいました。ちょっとずつルーティンの仕事の「マニュアル」(職場限定)を変えているのですが、今年はある分野だけ大幅に改訂する作業をしております。5年以上前に使っていたマニュアルを改善しながら使っていたのですが、さすがに時代の変化のスピードが激しく、どうも「作業」をしていると、不都合なことが目立っておりました。今年度に思い切って改訂作業をしているのですが、実際に使ってみると、予想以上に「バグ」が多くて、私も周囲も疲れてしまいました。元々、粗くてもよいから大筋を書いて実際の作業をしながら改善してゆくつもりでしたが、用語の定義や基本的な用い方などにミスはないものの、実際に作業をしてゆくと、細かい筋が整理できていなかったということが続出しました。その場、その場でフォローしているので、「作業」には致命的な支障はないのですが、必要なマニュアルの「パーツ」が抜けているので、その場しのぎのことが多く、疲れてしまいました。私の周囲という、この国全体からみれば無視できる範囲でしかありませんが、「改革」というのは、特別なケースを除いて、漸進的な改善の積み重ねということを実感します。

 さらに難しいのが「フィードバック」。マニュアルの不具合は使っている最中にわかるのですが、それがどの程度、使っている人の「スキル」向上に繋がっているのかを短期ではなく、長期でつかみたいのですが、本当に難しいです。まあ、これは自分でも欲張りかなと思うのですが。目覚しい「進歩」まではゆかないにしても、マニュアルの存在自体を忘れて発想が身についてくれればと思うのですが、「作業」直後はともかく、追跡調査が困難なので、短期の「試験」で評価するしかないのですが。ひょっとしたら、私と一緒に「作業」した中身など忘れた方がよいのかもしれないという弱気な考えも頭をよぎります。

 それにしても、マニュアルには書けないことが多いことに気がつきます。通常のお仕事の場合、例外が多すぎてかけないというケースが多いのでしょうが、私の場合、あまりにマニュアルに細かいことまで盛り込みすぎると、「作業」をするときに読まなかったり、読んだとしても、読んだだけでわかったつもりになってしまう人がでて、常にマニュアルを活用する人が自分で考える余地を残すようにしております。ただ、考えずに(本当は考えた上で習得してほしいのですが)、とにかくあらすじを説明した上で「理屈はいいから覚えてね」とせざるをえない部分も多いです。このあたりのバランスは難しく、もうあと数年で40代、もはや若手ではなく中堅になってしまうのですが、まだ、このバランス感覚が自分でも劣っている自覚あります。まあ、焦らずに、今の40代の方が30代で習得していたであろうことを40代になってもやらざるをえないのかなという、言い訳じみた「寝言」が浮かんでしまいます。

 もっとも、マニュアルを書き換えながら、自分が習得してきたことを整理し、最近の事例を加えてゆくのは思ったよりも楽しいことでした。私自身は、マニュアルのような型にはまった「作業」はくだらないと思っていましたが、自分がつくる側になると、地味ですが意外と大切な作業だなと思います。もっとも、月曜日は熱中しすぎて夜中まで作業したのはまずかったです。おかげで火曜日は、「作業」でボロボロ。どこからともなく、「相変わらずですね」とからかう声が空耳でしょうが、聞こえてまいります。

【おしらせ】

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posted by Hache at 00:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言

2007年05月28日

奇妙な「弔辞」

 あたふたと一日が終わって帰ってくると、ふだん見出ししか見ない夕刊に松岡利勝農林水産大臣の自殺が報じられていて珍しく読んでしまいました。よほど気が動転したのか、3週間ぶりぐらいにテレビの電源を入れました。自殺の背景(スキャンダルと党内の圧力)や参院選、そして政権へのダメージをコメンテーターなる方たちが解説するのをボーっと見ていました。メディアが報じない、あるいは誰にもわからない部分もあるのでしょうが、こんなものでしょうなという感じ。ついでに年金の問題も見ましたが、いまだによくわからない。生活に直接かかわるだけに、「被害」にあった方々にとっては切実な問題でしょうが、記録が完全になくなってしまっている場合はともかく、そうではない方も少なくないようなので、社会保険庁の過去の「悪行」も含めて実態を把握してほしいというところでしょうか。ことがことだけに、短期的に話を済ませたくなるところですが、あまりにずさんな話なので、ここで膿をだしつつ、BSE騒動のときのように騒ぎを収拾することだけに追われて、別の「傷」をつくるのはまずいだろうなと思ってしまいます。

 話がそれましたが、松岡大臣の自殺。首相官邸HPを見たら、若林正俊環境大臣が既に「臨時代理」となっていて、不測の事態とはいえ、政権は機能しているんだなあと素人的に思いました。ちょっと気になったのが、副大臣が臨時代理というのはないのかなということです。ちゃんと根拠となる法律を読んでいないので、たぶん無理なんだろうなあとは思うのですが、内閣法10条の規定を読むと、国務大臣の(臨時の)代理は総理または他の国務大臣に限定されるのでしょうか。今回の事件とは性格がおおいに異なりますが、リクルート事件がらみで宮澤喜一大蔵大臣(当時)が辞職した後、竹下登総理大臣(当時)が兼職したことを思い出しました。自分でも本題から逃げていますね。

 正直な感想を書いてしまうと、今回の事件で大臣というのはずいぶん値打ちが下がってしまったなあということです。スキャンダルやその他の事由(今回はスキャンダルのみが焦点のようですが)で閣僚というよりも、総理大臣が交代すること自体は、散々見てきたので、スキャンダル自体に、一時期はうんざりしましたが、なんとなく鈍感になってしまう。ただ、国務大臣が自殺するというのは、ひどい話だと思います。ここまで国務大臣の値打ちが下がったのは初めてでしょう。死者に鞭を打つつもりはないのですが、「責任」のとり方として最悪の方法を選ばれてしまったようにしか見えないです。こんなことで国務大臣が「首」ではなく(それですらどうかと思うのですが)、「命」を捨てるようでは国務大臣の値打ちがゾッとするほど下がってしまったという印象をもちます。私自身が、キリスト教その他の宗教の価値観の影響を受けているわけではなく、自殺を美化しかねない風潮には子供のときから違和感があったので、まして公人が自殺するとなると、もう「評価」する気にもならないぐらい、やるせない気分になってしまいます。例外は、戦時ぐらいで、戦時ですら、自死による「解決」というのは美化できない部分があります。先の大戦のような場合は、選択の余地が少なかったのでしょうが、公人たるもの、死ではなく、生きて責任を全うしていただきたいと思うのです。

 困ったことに安部総理が「任命権者」としての「責任」をあっさりと認めてしまった。おそらくは、松岡大臣をかばいすぎて、結果的に「退路」がなくなってしまったことへの率直な感情の発露ということなのでしょう。世評は私よりもはるかに複雑に安部総理を批判したり評価しているようですが、私自身は、安部総理は「善意」の方だと考えておりました。それとなく懸念をもっていましたが、このような形ででるとは思いませんでした。今回の事件そのものは、安部総理と松岡大臣という個性の組み合わせによるところが大だと思うのですが、「統治」の中枢でこのような事態が生じることは、非常にまずい。メディアでは政権へのダメージばかりが取り上げられるようですが、今回の事件が突発的な、一過性のことで終わるのを心から願っております。職に一命を捧げること自体は美しいのですが、今回の事件は、「善意」をもつ側と受ける側のきわどい部分がもろにでてしまったように感じます。この事件そのものは、安部政権のもつ独特のあやうさがわかりにくい形(というより報道を見聞きしてあらためて解説部分がいらないことを感じます。高いところからものを申すようで気がひけるのですが、深読みばかりしていると、当たり前のことが見えなくなる印象があります)で表出しただけの話だと思いますが、国務大臣の「値打ち」の低下となると、一政権の問題にとどまらないでしょう。深刻に考えすぎているのかもしれませんが、この種の悪しき「前例」は、二度と起こさないことによってしか、根絶することが難しい。今回の事件が、安部政権特有の問題で終わることを願わずにはいられません。神経質すぎるのかもしれませんが、悪しき前例というのは、ことが起きたときにはわからないことが多いような気がいたしますので。
posted by Hache at 23:57| Comment(0) | TrackBack(1) | 不幸せな寝言

2007年05月27日

約1800年前の「兵どもが夢の跡」

(@時の最果て)

ハッシュ:zzz
ボッシュ:・・・ここは相変わらずじゃな。
ハッシュ:ふわあ。なんじゃ、また、おぬしか。
ボッシュ:あのデブのブログが更新されてないゆえ、なにかあったのかと思ったんじゃが、ここは相変わらずじゃな。ということは、この記事が日曜日に掲載されなかったら、あのデブが単にサボっておるということじゃ。
ハッシュ:・・・。あのデブの弁護などしたくもないが、あのデブも忙しいという可能性を排除するのは、ワシですらどうかと思う。
ボッシュ:…。なんだか一人だけよい子のふりをされるのは心外じゃな。おぬしはワシが思っていたよりも薄情ゆえ、どうせあのデブのことなど知らないというところじゃろ。
ハッシュ:…。ワシもおぬしに見切られるようになったか。しかたがない。あのデブの記憶でもたどるとするか。zzz
ボッシュ:なんだか居眠りをする口実を与えた気分じゃ。
ハッシュ:うーむ。
ボッシュ:どうかしたのか?
ハッシュ:ワシには忙しそうに見えるんだが、ふだんとは違う。ワシの見たこともないような画面じゃ。おぬしに念を送るぞ。
ボッシュ:ほお。これは仕事ではないな。なになに。「チュートリアルでは曹操はないのかよ!」「劉備、本当にあんたは中途半端だよ」。…。「関羽、駆けつけるのが遅いんだよ」。…。こ、これは!よもや三国志のゲームではないか?
ハッシュ:ワシにはさっぱりだが、おぬしがそう考えるのだったら、それが正しいんだろうな。ワシにはどうでもよい。
ボッシュ:ところでこれはいつの記憶じゃ?
ハッシュ:木曜から土曜までの晩はほとんど同じことをしていたようじゃな。あのデブはパソコンなるものを四六時中使っておるが、ぶろぐなるものをいじるのは晩が多い。晩の記憶をみれば、十分じゃ。朝とか昼とか見てもつまらないし、夜は独り者に加えてあのデブはまるでもてないゆえ、記憶をたどっても、こちらが赤面するようなことをしていないから、案外、安心なんじゃ。
ボッシュ:…。おぬし、今、涼しい顔をしてさらっと、ひどいことを言わなかったか?しかし、ジパングというのは不思議な国じゃ。他国の歴史に興味をもつのはともかく、ゲームにして楽しんでしまうというのは、珍しいような気がする。このあたりは、よそ者ゆえ、わからぬところがあるが、ジパングの人たちの珍しいところじゃ。うちのシェフなどは、あのデブがやっていたのとそっくりのゲームが好きなようだが、家でやっていると怒られるらしい。そんなゲームをやっている暇があったら、洗濯ぐらいしてくださいなと嫁さんや子供たちに怒られるそうじゃ。あのデブは、ひとり者ゆえ、怒る人もなく、夜中にゲーム三昧というわけだな。
ハッシュ:ところで、あのデブのやっていたゲームは、いったい、何が目標なんじゃ?
ボッシュ:まあまあ。こんなところでボーっとしている御仁にはどうでもよいことじゃ。ゲームばかりしていたら、激怒の一つもしてくれる、奇特な方を見つける方がよほど重要じゃ。あのデブの最大の課題は、ゲームなどで「人材探索」などしていないで、自分の伴侶を探すことじゃな。ふわあ。あのデブの悪口を言ったら、なんだかすっきりして、どうでもよくなって眠たくなってきたわ。そろそろ、お暇じゃ。
ハッシュ:…。ワシ一人が置いてけぼりか。しょうがない。また、おいで。

 言いにくいんですが、最近、賢者様たちが読まれることを意識しているのでは。別に話に「オチ」がなくても、賢者様たちの会話を写すだけの「書記係」としては、「ノープロブレム」(時の賢者様のお気に入り)なんですが。

 それにしても、他人の「私生活」をばらすのはやめてほしいなあ。まるでゲームばかりやっているように聞こえるじゃありませんか。ただ、「納期」の厳しい仕事から解放されているので、気が緩んでいますね。そろそろネジをしめないと。

 上海馬券王先生(2007年の5月27日分は、何をおっしゃりたいかということがよくわかります。かんべえさんとの違いは、「無知は力なり」と無理押しをされないことでしょうか。ある国の経済が「衰退」すると、経済学者やエコノミストへの需要が増えるという「軽口」もあるので、現状のようにぬるい状態はまだまだ大丈夫?)との対話のおかげで、眠っていた「三国志」魂が目覚めてしまいました。董卓の顔が8ビット機時代から変わらないとのことで、『三國志』11の体験版をダウンロードしてみましたが、グラフィックそのものはずいぶんきれいになったなあと感心しました。お目当ての董卓の顔は拝めなかったのですが、グラフィックが、バッファローからラプターにいきなりバージョンアップしたぐらいの感動がありました。

 高校時代は、『三國志』シリーズの初回作では最小で何ターンでクリアーしたかを競っておりました。とんでもない猛者がいて、私の半分以下でクリアーするので、ちとびっくり。私は内政重視派なので早クリにはあまり興味がもてなかったのですが、「ふん、やればできるさ」と思ってやってみたら、非常に難しい。ついつい、遅○の傾向がでて、早くフィニッシュと思っても、できない悲しさを味わったものです(○な話じゃありませんよ)。それにしても、たかがチュートリアルの成都攻略であんなに苦戦するとは…。おかげで、土曜の晩から半分、徹夜状態になりました。金曜は、疲れていたので更新しないつもりでしたが、土曜の晩はひたすら成都攻略。何度もあと一歩までゆくのですが、ダメ。チュートリアルにしては難しすぎるなと思いましたが、日曜の朝にようやくクリアー。感想はといえば、「これは買わないねえ」というところでしょうか。ゲームの途中で火計が成功した瞬間に表示がおかしくなって、ありゃまと思いました。ビデオカードはオンボードの「ウィキペディア」で「三國志11」で検索してなるほど。それにしても、諸葛亮の計略成功率が事実上、100%なのはいかがなものかと。技術進歩が加味されているのは面白いのですが、内政がらみの技術進歩が皆無なのも、不満。ネットで見ると、「クソ○ー」扱いされている様子なので、チュートリアルで済ませてよかったと思います。とにかく開発の要素が『信長の野望』に比べると、時代の違いも大きいのでしょうが、あまりに弱くてつまらないと思いました。

そんなに内政が好きだったら、『三國志』11の悪口をぐだぐだ書かずに、シムシティでもやってろって!?

…。(強引に)オチがつきましたので、今日はこの辺で。おやすみなさい。

2007年05月24日

いかれた「外道」の同盟「論」

 水曜の晩から「寝言」も浮かばないぐらい眠たくなってしまい、眠りこけてしまいました。夜10時すぎに、薬を使う必要もなく、ヒラリー・ハーンの演奏を聴いたわけでもなく、久々にぐったりして眠ってしまいました。まあ、とにかく寝不足だったことに気がついたしだいです。『三國志』シリーズ最新作で董卓の顔がどうなっているのだろうと、体験版をダウンロードしたところ、チュートリアルだけが試せるというので途中までやってしまい、ハッと気がついたら、全武将の情報を見ることができるウィンドウが現れたので、見ていたら、董卓の名前がなく、茫然。気がついたら、呂布が董卓を屠った後のシナリオらしく、董卓のデータ自体が存在しない状態でした。

 そんなこんなでがっくりきたせいもあって、寝てしまいました。基本的に内政をやりつくしてから出陣するタイプで、なおかつ相手をとことん弱らせて、戦闘は形のみというのが理想です。巧緻な戦法を考えるようなタイプではなく、敵の3−5倍の兵力を準備するか、敵の兵力を自軍の5分の1程度まで削ってから、すり潰すというのが基本。『信長の野望』ですと、鉄砲ぐらいでしょうか、好んで使うのは。ほとんど野戦にならずに攻城戦になるので、槍兵あるいは長槍隊が主力。火力も使いますが、ひどいときには大名だけが一部隊を動員できる状態になってから「戦争」をしかけるので、「戦争」といっても名ばかりだったりします。

 実際は慣れるまで、負け続けることが多く、『天下創世』の合戦シナリオなどは手も足もでずにやられてしまったことが多々あります。とくに、徳川家康の最後が大坂城攻めなのですが、真田幸村が以上に強くて参りました。こういう野蛮人は苦手だわねと捨て台詞だけ吐いて逃げたい気分になります。秀忠が役立たずで、なおかつ規模ばかりでかいので、苦戦の末、「銀」。後は全部、「金」だったので、なんとか「天下人」の称号を手に入れましたが、これより難易度が高いはずの武田信玄ですら、全部、「金」だったので、不覚。織田信長シナリオの最後が「本能寺」でこれはどうかなと。信長、信忠親子が「雨鉄砲」(名前の通り雨でも使える)なので、明智光秀の部隊をひたすら鉄砲で狙って混乱させると、あっという間に全滅してしまう。これはいかがなものかと思いました。

 『信長の野望』シリーズで笑えるのが、「支配」−「従属」。弱小大名の場合、強い大名に「従属」して安全を保障してもらうのが戦略の一つだそうです。私の場合、「支配」しかしたことがないのですが、ここまでやると、もう、相当すごいなと。弱小大名の生き残りは真剣なものがあります。支配すると、従属した大名に「戦争協力」を強要できるのですが、たいてい役に立ちそうにないので、スルー。プレイヤー大名以外の大名をすべて「従属」させてしまうと、「天下統一」とあいなります。

 唐突ですが、佐瀬昌盛『集団的自衛権』(PHP新書 2001年)次のような政府解釈が引用されています。 

 「国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」(125頁)。

 この「八一年『答弁書』」がいかにひどい話であるかを佐瀬先生は前半で集団的自衛権という権利が生まれた経緯から、集団安全保障と個別的・集団的自衛権の関係、集団的自衛件の発動の要件などを詰め、論理的に憲法上、集団的自衛権を有しているのか、内閣法制局は明確にせよと法理の核心の部分にいたり、最終的にこのような憲法解釈では日米同盟は維持できないであろうという現実的な利害の核心部分にいたるという構成。この著書が出版された頃には、政府答弁が70年安保を乗り切るために、「七二年『資料』」で政府答弁が曲げられたこと、さらに、「八一年『答弁書』」で法理としてもひどいものになったという指摘がされていて、ずいぶん話題になりました。「八一年『答弁書』」がでたのが鈴木善幸内閣で、正確な時期は忘れましたが、訪米直後に鈴木総理(当時)が、日米安保に軍事的側面はないかのごとき発言をされて、新聞にも載っていたので、とりあえず嫌がる教師に日米安全保障条約の全文の「ありか」を教えさせて、読んでみてびっくりしました。これが軍事同盟でなくてなんなのか。当時は、中学生ぐらいでしょうから、ど素人の目でしたが、「わけのわからないことをいう総理だなあ」という実感だけが残っていました。当時は、日米安保の是非というより、なにが問題なのかがわからなくて興味本位でしたが、ありゃまという感じ。

 それにしても、政府解釈の変更になぜ内閣法制局が「抵抗」するのかがわからないという感じ。個人的にはこの答弁書を「文字通り」読むと、「わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまる」のであれば、個別的自衛権の範囲でなんでもありという可能性もあって、個別的自衛権と集団的自衛権を区別して集団的自衛権はダメというのは、実は自衛隊を個別的自衛権の行使のために極限まで増強せよということかという「寝言」が浮かんでしまいます。まあ、そんな覚悟もなく、国会対策上、論理を弄んでいるうちに、新ガイドライン、周辺事態安全確保法ときて、軍事的にも、素人が見ても、わけのわからない話になってしまったという印象でしょうか。集団的自衛権の行使に関する憲法解釈の「変更」というのは、結局、内閣法制局問題というのが、正直な実感です。有識者懇で内閣法制局に「退路」を与えるのか、「白旗」を掲げさせるのか、「力攻め」にするのかはわかりませんが、佐瀬先生に怒られる(こんな「時の最果て」というより、「最果て」の地を御覧になっているとは思えませんが)のを覚悟で、私なりに「逃げ道」をつくってみると、安倍総理が示した四類型に関しては、集団的自衛権は行使できないという解釈はとりあえずそのままにしておいて、「わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまる」から例外として認めるというぐらいでしょうか。これも、個人的には納得がゆかない部分が多いのですが、これすらできないとなると、「無条件降伏」をどうやって内閣法制局に迫ってゆくのかという話になって、これはこれで大変だなあと思います。

 ゲームのやりすぎでしょうか(とはいっても、最近はプレイをしたわけではないのですが)、バカげた同盟だなあとちょっと突き放してみてしまいます。私が、アメリカ大統領だったら、朝鮮半島有事で真っ先に「攻撃」するのは平壌じゃなくて内閣法制局だったりして。 
posted by Hache at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ふまじめな寝言

2007年05月23日

とりとめのない「歴史談義」

 政府レベルの「日中友好」のおかげか、民放が「呪縛」から解放されたように、中国の「ヤバイ話」を報道しているようです。佐藤空将のブログに書いていることあたりが、リアルタイムで耳に入ってくるので、「八・一五」の呪縛が解けたのだなあと思います。周囲で「反中厨」が増えているのですが、「へえ」でスルー。海外で親日家ばかり会っていますし、国内では親日的な中国人、韓国人ばかり相手にしているので、「反中」、「反韓」というのはついてゆけない部分があります。もちろん、国と国との関係は別で、こちらは厳しいことも当然書きますし、本人を目の前にしていうこともあります。それで去る程度なら、その程度の関係と割り切ってつきあわないと、彼らとつきあうのは難しいです。

 そうはいっても、政治ぬきで語り合うのは楽しいもので、10年ぐらい前でしょうか、四川省出身の女子留学生の家にみんなでお呼ばれして鍋をつついたときは、楽しかったです。「気分しだいの『らんま1/2』」カテゴリーがなぜか三国志ネタで盛り上がっておりますが、「四川省なら諸葛孔明でしょ?」とばかりに話をしたら、「孔明を日本の人が知っているんですか?」ととても嬉しそうにしていたので、こちらがびっくりしてしまいました。「出師の表」の冒頭部分をそらで読み上げると、今度は彼女が目が点になって、「どこで読んだんですか?」と尋ねられて、小説や正史の日本語訳を教えてあげると、びっくりしていた様子でした。中国といっても、滅茶苦茶広いので一括りにするのは無理がありますが、やはり三国志の時代は『演義』が主流になっているようで、正史を日本人が知っていること自体が驚きだったようです。さすがに「董卓プレイ」(別名「鬼○プレイ」の話はしませんが。

 私が困ったのが、関西の方に名古屋出身だということを言った途端に「なぜ、織田信長や豊臣秀吉は名古屋を首都にしなかったんだ?」と聞かれて今度はこちらが目が点に。まともに当時は京都が政治・文化の中心で、堺は商業都市じゃないですかとついつい「ネタにマジレス」をしたら、そういう問題じゃないとのこと。司馬遼太郎さんの影響のおかげで当時の尾張が先進的だったというイメージが過度に広がっている印象がありました。ただ、信長が本能寺でやられなかったら、統治の中心をどこにおいたのかを想像するのは、楽しいことに気がつきました。いずれにせよ、清洲や岐阜はないとは思うのですが。

 一番、閉口したのは学生時代に韓国人留学生に「日本が近代化に成功して李氏朝鮮は失敗したのはなぜでしょう?」という問い。これは話が大きすぎるなあと思いつつ、苦し紛れに江戸時代の幕藩体制下の武士と両班の違いと李氏朝鮮がいったんは「攘夷」に成功したのに対し、幕府は開港を強制されたことなどを挙げると、考え込んでいました。今でも、この問いに答える力はないのですが、旧支配層に柔軟性がないと体制移行がそもそも進まないですし、進んだとしても混乱して急進化しやすいことがひとつ。西洋文明の受容は、東洋思想で凝り固まっているところでは難しく、日本の場合、黒船のおかげで、開港を余儀なくされ、そのことが政治的な反発や物価騰貴など経済的混乱を招いた側面もありますが、西洋文明の強力さを知ってその先進性に学ぶ人たちを生むきっかけになった側面もあるのだろうと。もちろん、素人的な話で本気でそれで説明がつくとは思わないのですし、暇を見つけてはいろんな角度で考えてみたい問題です。

 最近は、昔よりも中国や韓国の留学生と接する機会が以前よりも少なくなったので、古臭い感覚でしょうが、彼らは日本が好きで留学しているのですが、当然のごとく、そのほとんどが同時に愛国者でした。塩野七生さんは、海外で日本の悪口を言う日本人の「識者」に嫌悪感を書いていたことがありますが、私が接した中国人や韓国人はまったく対照的でした。とくに、中国人のナショナリズム(ただし、からなずしも排外主義的ではない)はやはり日本人の比ではない。ただし、共産党の一党独裁には天安門事件後は表立って批判する人は皆無といってよい状態になりましたが。中国人が中国を愛することは当然であって、それ自体は批判するのは筋違いというもの。また、「民主化」に過度に幻想をもつのは危険だと思います。ヨーロッパや日本を見れば、失敗を経ない限り、排外主義的なナショナリズムと民主主義はかならずしも共存不可能ではないように見えます。もちろん、中国は私が考えているより進歩しているのかもしれません。しかし、中国が経済的に成長し、その果実を軍事に注いでいる現状を考えると、ナショナリズムがもつ排外主義的な傾向を抑止すると同時に緩和する用心深い対応が不可欠だと思います。中国の「後進性」を嘲笑するのはたやすいことですが、肝心なことは中国のナショナリズムを日米が緩和し、排外主義的な側面が前面にでないよう誘導し、抑制し、最悪の場合には抵抗する手段を確保する細心の注意と具体的な措置を講じることをおさおさ怠りなく実行することだと考えます。
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2007年05月22日

愛の格闘チアガール 後編

 週の初めからボロボロです。疲れる「相談」が3件も入り、すべてがデリケートな話でくたくたになってしまいました。日曜日に暇つぶしに書いていた記事をすぐに使い果たしてしまうとは…。それにしても、渡仏後の雪斎先生切れ味たるや、おそるべしです。これぞ、「馬は馬、鹿は鹿」とばっさり袈裟懸けにしてしまう「非道」そのもの。恐れ入りまする。

 ヨレヨレなのであまり言葉が出てこないのですが、集団的自衛権の行使に関する政府の憲法解釈を変えたところで、アメリカ本土の「防衛義務」(除くBMDなど)が生じるわけでもなく、どうしてそのような発想がでてくるのか、素人にはわからないです。日米(広い枠組みでは日米豪)の絆をベースに抑止を確実にし、中国や韓国はもちろん、北朝鮮とも「対話」を行い、その上に地域的な集団安全保障で局地的な紛争をできうる限り抑制し、アジア太平洋地域の安定を図るというのが、図式的ではありますが、基本的な絵です。その際、日米同盟が堅固でなければ、自国の安全や繁栄を守ることができず、アジア太平洋地域の安定など守ることなど不可能でしょう。露骨に言えば、この国は現状維持から多くの利益を享受しているので、国際秩序を破壊する勢力に対して日米同盟で抑止を図り、自国にとって有利なバランス・オブ・パワーを維持するために同盟強化を図り、その基礎の上に、利害関係を異にする国々との不断の調整を行って、同盟を補完するというのが基本だと思います。私が現在、関心があるのは、考えているのは、日米同盟の双務性が高まったとして、それをいかにアジア太平洋地域の安定に活用してゆくのかということです。同盟は、当事国以外の国々との関係を硬直化させてしまう危険もあります。集団的自衛権が行使できるということが前提にはなりますが、同盟が現状不満勢力との関係を硬直化させないように同盟強化と同時に現状不満勢力との信頼醸成を図ることが不可欠だと思います。


【今日の『らんま1/2』】


 アニメ版を最初に見たときに気になったのは、この作品では風林館高校の生徒は、「おさげの女」が乱馬の変身した姿(女らんま、あるいは単に「らんま」と表記)だと知らない設定になっていることです。「大好き! 私のうっちゃん」(熱闘編23話)では原作どおり、紅つばさ(原作でも第10巻のみの登場ですが、ファンでの人気はなぜか高いらしい)とらんまがお昼にお好み焼きの販売合戦をするのですが、このとき、らんまはボロ負け。理由は、簡単でありまして、紅つばさ(実際は変装と女装が好きな女好きの、ホ○が大嫌いな男)の正体を知らない男子学生が、紅つばさに殺到し、らんまが乱馬の変身姿であることを知っているがために一枚も売れず、バニーに変装して売り切るという話が出てまいります。この回に限らず、「おさげの女」=「らんま」というのが熱闘編以前から周知のはずですが、突如としてらんまの正体が「愛の格闘チアガール」で明らかになるかのようなシナリオになっていて、違和感がありまくりです。原作では九能帯刀以外の生徒は乱馬と「おさげの女(らんま)」が同一人物であることが当然の前提になっています。

 もっと、根源的な「矛盾」があって、バトンを回すことすらできないあかねが(高校時代に文化祭のクラスの出し物で女子生徒に強制されてやむなくバトンを回したことがありますが、そんなに難しいとは思えないです)バレーで活躍できるのか、疑問。この点は原作でもアニメでもスルーされていますが、運動神経はよくても料理ができないという設定なら理解はできます。しかし、格闘新体操でも不器用さは運動神経が鈍いといっても差し支えのないレベルで、他方でバレーやソフト(原作では野球にも見えますが)などもこなしているので、キャラの設定に疑問を感じます。

 しかし、それはそれ、これはこれ。今日も、失礼ながら、原作から技の名前を抜き出してみました。なかにはアニメで完全に無視されているもの(原作21巻PART.10「互角の愛」では九能ちゃんの性格を知り尽くしたらんまがス○ベ心を煽るものの、今条マリ子のより高度な心理的テクニックによって互角にもちこまれます。このあたりはTVアニメではすべて省略)や名前が微妙に変わっているもの、アニメにしか出てこない技などもあります。なお、驚くべきサイトを発見しました。TVアニメのセリフが、一部の作品だけではありますが、おそらく完全に収録されていて、「愛の格闘チアガール」は前編、後編ともにしっかり収録されています。このブログ程度で私を『らんま1/2』オタクと思っている方は甘いのであります。私程度で漸く初級の上というぐらい『らんま1/2』の世界は奥が深いのであります。

【『らんま1/2』21巻】

PART.9 愛は勝つ

○愛のバスケットトス(今条マリ子)
→今条マリ子のジャンプを他の応援団員が弾みをつけるだけの話。
○恋のライバル撲滅キ――ック(今条マリ子)
→要するにキック。嫉妬の分だけ強烈か。

PART.10 互角の愛(アニメではほぼ省略)

○乙女心ラブレターシャワー(今条マリ子)
→ポンポンからラブレターが乱れ飛ぶ。日付は不明。
○必勝 メモリーアルバムアタック(女らんま)
→乙女心ラブレターシャワーへの対抗技。「おさげの女の豪華生写真」(「飛竜昇天破」編よりも後の作品であるため、ラン○ェリー姿の写真あり)が乱舞する。
○愛のブーメランアタック(今条マリ子)
→身を引くと見せかけて、九能にひきとめさせる心理的な技。会って間もないのに九能の性格を的確に把握するとは、今条マリ子、バカバカしいながらも、おそるべし。

PART.11 愛の激突!!

○必殺バトンカッター(今条マリ子)
→今条マリ子の基本技。バトンが回転しながら、敵に向かう。
○バトンランデブーなだれ落ちアタック(女らんま)
→「必殺バトンカッター」で「白面の剣士」へと回転しながら襲いかかるバトンをバトンを投げて叩き落す。

○バトンカッターアゲイン(今条マリ子)
→「必殺バトンカッター」と同じ技。

○格闘チアリーディング秘技 如意棒バトンクラッシュ(今条マリ子)
→「秘技」だそうですが、単に文字通りバトンが如意棒のごとく伸びてらんまの喉元を直撃するだけ。
○団体秘技・雲上蟻地獄(今条マリ子&青春学園応援団員)
→応援団員の集団の上に敵を乗せて身の自由を奪う技。「技」と呼ぶべきかどうか、まして「秘技」と呼べるのかどうか。
○愛のファンファーレ金管痛撃破(女らんま)
→「白面の剣士」を拘束している応援団員にトランペットを痛烈に鳴らす「技」。コメント不能。
○愛のとりこ蜘蛛の糸フライングテープ(今条マリ子)
→敵から武器(この場合、竹刀)を奪う「技」。
○愛の助太刀両断キック(女らんま)
→「愛のとりこ蜘蛛の糸フライングテープ」への返し技。キックで応援用のテープを一刀両断。おそらく、物理的には不可能。

○「おめー、不器用だなー」。(女らんま)
→変身しようとしまいと、言ってはならない一言。OMAKE(オー エム エー ケー イー)おまけ。
○愛のウエーブポンポンサーフィン(今条マリ子&青春学園応援団員)
→チアリーディングらしい唯一といってよい技。ポンポンの上を今条マリ子がサーフィンのように翔る。
○飛天ポンポンウニボンバー(今条マリ子)
→「ボンバー」ではないがウニのように鋭くとがったポンポンが竹刀をもささら崩しにしてしまう。

【『らんま1/2』22巻】

PART.1 それでも愛は勝つ!!

○愛の応援直下型キューピッドアロー(今条マリ子)
→要するに落下時の加速を利用してバトンでらんまの頭上を直撃。
○愛の羽交絞めツープラトンアタック(今条マリ子&九能帯刀)
→単にス○ベな九能があかねを後ろから羽交絞めにしただけだが、そこへ今条マリ子がバトンで襲う。
○愛の裏切りキ――ック(天道あかね)
→要するにキックですが、珍しくあかねが「九能せんぱーい」とらんまのように甘えるシーンの後だけに、あかねの怖さがよくでていますね。アニメでは日高のり子のセリフの切れ味が実に冴えています。
○団体秘技・よみがえる愛の亡霊(九能帯刀&青春学園応援団)
→気絶している九能を無理やり立たせて、空中へ「発射」。
○愛の空中一心同体(今条マリ子&九能帯刀)
→気絶したまま空中をとぶ九能の背後に今条マリ子が隠れる。
○愛の影法師バトン流星弾(今条マリ子)
→九能の背後に隠れることによってバトンの軌道を見えにくくする。
○格闘チアリーディング最大奥義 愛の背後霊アトミックボンバー(今条マリ子&九能帯刀)
→そりゃあ、九能の下敷きになるのはつらいですわね。
○最終応援・背後霊軌道修正両脚除霊クラッシュ(女らんま)
→九能ちゃん、死んだことにされてます。この技、『らんま』ファンサイトでも、軽く流されていますが、あかねを抱きかかえながら、両脚で落下で加速しているアトミック・ボンバーこと九能&マリ子ペアを吹き飛ばす、意外と難易度の高い(?)技です。名前が大袈裟なのはナンセンス度をあげるためでしょうが、冷静に考えると、落下のスピードや二人の体重を考慮すると、これをはねのける脚力やタイミングの勘などはとてもバカにはできません。話自体はバカバカしい限りではありますが。

 それにしても、今回の山場はなんといっても、(2)です。らんま(林原めぐみ:綾波レイとのギャップがすさまじい)の「おめー、不器用だなー」が、実に素晴らしく冷静で呆れた感じで、ふだんよりもむしろ厳しいのがお見事。あかね(日高のり子)の「愛の裏切りキ――ック」は実に切れ味がよく、シナリオやキャラ設定の「矛盾」などを忘れさせる名「演技」です。


愛の格闘チアガール 後編 『らんま1/2』熱闘編137話

(1)  http://www.youtube.com/watch?v=_RdEpNkuRQE(9分39秒)
(2) http://www.youtube.com/watch?v=PdfVkFb-VCw(8分04秒)
(3) http://www.youtube.com/watch?v=QW4gnAcENGY(5分34秒)


(追記&お詫び)いくつか「技」が抜けておりました。お詫び申し上げます。下線部を加筆・修正いたしました(2007年5月23日)。

2007年05月21日

愛の格闘チアガール 前編

 私の応援は、やはり究極のネガティブキャンペーンではないかと不安になる今日この頃です。昨年はドラゴンズが強すぎてかんべえさんの「逆鱗」に触れてしまい、阪神の試合を見ておりますると、ことごとく負けており、本当に「ひょっとして俺のせい?」という、自分でも迷信とは思いつつも、「疑念」を払拭することができません。日曜日は見なかったら、勝ってるし。

 たわいのない例外は、高校3年生の夏。当時の母校は、静岡県内でも優勝候補の筆頭に上がる、前評判が高い状態でした。事前の評価が高いほど傍目には不安になりますが、赤堀、望月と二枚看板を擁し、二試合目から決勝までほとんど負ける気がしない試合を開始から終わりまで堪能した覚えがあります。お約束といっては何ですが、甲子園では一回戦で敗退。財布の中身に関することにはシビアな母上も、甲子園に応援に行くことにはしぶしぶながら同意してくれましたが、悪友が河合塾のしょうもない京大対策講座(私は他の大学が本命)なるものに「付き添ってほしい」と頼まれ、しょうがなく引き受けたら、一回戦敗退。負けてもいいから、甲子園に行きたかったです。

 公立高校ですので、一時期話題になった特待生制度なるものもなく、野球部の補欠をつかまえては、「お前ら、別枠だろう?」などとからかう者もいる始末。実は、同級生に地方大会優勝時の主将がおりましたが、現役で一橋に受かって、一同、悔い改めた覚えがあります。男女共学ではありますが、文系はまだしも、理系は男子クラスが2クラス(全学年で8クラス程度だったと思います)が生じてしまう、女子の少ない学校でした。良くも悪くも歴史だけは古くて、京大程度の帝大ですと、もっと古いという珍しい高校でした(言いにくいのですが、その割りに有名人が少ないのが不思議ではあります)。そんなこともあって、甲子園に出場する野球部の応援ですら、男子が主体。もちろん、今では当たり前のチアガールなど「ちゃらちゃら」したものとは無縁です。試合相手のチアガールを見ながら、「あの子、いいなあ」、「うげっ、お前はそういう趣味だったの?」などと言いつつ、「あんなちゃらちゃらした高校などノーヒットノーランだ!」などと屈折した応援をしておりました。ちなみに、女子の制服は静岡市内では「ドブネズミ」とあだ名されるほどひどくて、男子生徒の間ですら不評で、かわいそうでした。

 見え透いた前置きが長くなりましたが、チアガールと言えば、これしかないでしょうという今条マリ子さんの登場です。「らんま+あかね」ペアに敗れたとはいえ、最強の「応援」を繰り広げるチアガール。しかし、うちの高校だったら、浮きまくって中途退学でしょうねえ(遠い目)。


【今日の『らんま1/2』】

 今日ご紹介するのは、「本格的な格闘」編です。それにしても、格闘新体操だの、格闘スケートだの、本当に素晴らしい「格闘」ばかりですな。おまけに、「裸にエプ○ン」とうっかり伏字にするのを忘れたら、エ○グ様に「友好サイト」と認められたのか、リンクをはって頂いた上に、トラックバックまで頂く始末。涙がでるほど嬉しいです。

 ところで、5月17日の「寝言」で、「ティー・オー・ケー・ユー・ビー・イー・ティー・ユー(TOKUBETU)と・く・べ・つ(はあと)」という表現が唐突にでてまいります。この表現の解説のために今回の作品をとりあげました。ちなみに、最近は『溜池通信』本誌や「不規則発言」よりも「上海馬券王(先生)のページ」を読む時間の方が長いんですね。しかも、いかれた「外道」らしく競馬をやらずに、上海馬券王先生の職人芸を楽しんでしまう。ところで、三好氏はともかく、斯波氏がでてくるあたり、相当の『信長の野望』ファンとお見受けいたしました(ただ、マイナーというのはちとどうでしょう。三好家は一時期とはいえ、畿内で相当の勢力でしたし、斯波家は尾張の守護大名です)。ちなみに、私はかんべえさんが馬鹿にしている神保氏で全国制覇を成し遂げました。エ○グからリンクされては困るので伏字が増えますが、これは、通称「M(マ○)プ○イ」でありまして、困難が大きいほど、プレイヤー心理をくすぐるものです。ちなみに、神保氏はまだマシな方でありまして、一時期やりこんだ私でも投げてしまった大名がいくつかあります。

 「かかる状況下、馬券を当てているのはコーエーの歴史シミュレーションゲームで斯波氏とか三好氏とかマイナー武将を選択しているマニアックなイカレポンチしかいないのではありますまいか」というのは以上の理由で賛同しかねますが、越中の神保長職(『天下創世』の「家督相続(1551年春スタート)」シナリオ)は、本願寺と同盟関係にあるので、その点だけが救いですが、大名の能力は今一つな上に、配下の能力も中途半端で、東に上杉家、南東に武田家の脅威があり、通称「Mプ○イ」としてはほどよい難易度であります。ちなみに、織田家でプレイするのを「ミーハー」とバカにするプレイヤーもいるようですが、シナリオによってはコツを知らないとけっこう難しいのです。畿内のみの『信長の野望』第一作など、最初に三河の徳川家を滅亡させておかないと、おそろしいことになります。当時はPCでしかプレイができず、データ保存にハードディスクなる便利なものもなく、今では知っている人が少数派になってしまった5インチのフロッピーディスクを使っておりました。

 …。本題に戻ります。『らんま1/2』をご存じない方が大多数であることを忘れておりました。今回は、先の表現の「出典」となる作品です。原作のテイストはほとんど損なわれていないのですが、いかんせん、活字のよさというのを感じますねえ。本当にどうでもよいのですが、原作ではセリフがローマ字で表記されて、たとえば普通なら「応援」となるところを「OHEN」と表記し、「オー エッチ イー エヌ」とルビを振るという具合です。この作品は、アニメで見る前にある程度の予備知識が必要ですので、今回は読者のみなさまの理解の一助になりますよう、今条マリ子のセリフに関して整理をしておきましょう(単なる個人的趣味という噂もありますが)。なお、原作でルビになっている部分はカッコ内で示しておきます。なお、根性もとい今条マリ子のセリフがほとんどですが、例外については注記しております。

【『らんま1/2』21巻】

PART.7 HATUKOI(はつこい)チアガール

「O・H・E・N(オー・エッチ・イー・エヌ)、応援!」(108頁)
「青春 応援 勝利 それがマリ子のSADAME(エス エー ディー エー エム イー)運命(さだめ)」(111頁)。
「HATUKOI(エッチ エー ティー ユー ケー オー アイ)初恋…」(113頁)
「九能様を応援するのはMARIKO(エム エー アール アイ ケー オー)私!」(116頁)
「V・I・C・T・O・R・Y(ヴイ アイ シー ティ オー アール ワイ)!」(118頁)
「T・I・G・A・U(ティー アイ ジー エー ユー)違うっ!」(おさげの女(女らんま))(118頁)※アニメでは「CHIGAU」。細かいですが、アニメではヘボン式で統一している模様。ただし、「OHEN」は例外か(パスポート申請時の氏名表記における例外が認められたのは平成12年4月1日ですのでと書きましたが、あんまり関係ないか。完全にヘボン式ローマ字つづりで統一されているわけではないようです)。

PART.8 愛の応援勝負

「倒れちゃだめよ、KUNO(ケー ユー エヌ オー)九能さま!」(121頁)
「OHEN(オー エッチ イー エヌ)応援とは、愛!」(122頁)
「SUKI(エス ユー ケー アイ)好き好き九能さまっ!!」(126頁)
「KUNO(ケー ユー エヌ オー)九能さまっ!!」(128頁)
「OYASUMI(オー ワイ エー エス ユー エム アイ)おやすみなさい九能さま…」(134頁)

PART.9 愛は勝つ

「愛する人のためには笑って泥まみれになれる!!それがOHEN(オー エッチ イー エヌ)応援よ!!」(146頁)※よけいですが、こういう人が政界でも絶滅気味ですね。
「KUNO(ケー ユー エヌ オー)九能さま!」(148頁)

PART.10 互角の愛

「MARIKO(エム エー アール アイ ケー オー)マリ子の応援に敗北はないわ!!KUNO(ケー ユー エヌ オー)九能さまっ!」(153頁)
「マリ子の愛は九能さまにはOMONI(オー エム オー エヌ アイ)重荷!?」(157頁)
「KUNO(ケー ユー エヌ オー)九能さま、素敵な思い出ありがとう」。(157頁)
「HONTO(エッチ オー エヌ ティー オー)本当?」(158頁)

PART.11 愛の激突!!

「TODOME(ティー オー ディー オー エム イー)とどめ!!」(173頁)

【『らんま1/2』22巻】

PART.1 それでも愛は勝つ!!

「女心をもてあそぶTUMI(ティー ユー エム アイ)な男(ヒト)」(13頁)。
「OHEN(オー エッチ イー エヌ)応援は愛…」(19頁)
「OHEN(オー エッチ イー エヌ)それは愛♪」(19頁)
「DEMO(ディー イー エム オー)くじけるなマリ子」(20頁)

 あんた、暇だねえって?うーむ、確かに何の役にも立ちそうにないのですが、このナンセンスさがたまらなくて。ストーリー的には『らんま1/2』としては原作からわりと紛れが少ないのですが、細かいところでいろいろ楽しみがいのある「一品」です。

愛の格闘チアガール 前編 『らんま1/2』熱闘編136話

(1) http://www.youtube.com/watch?v=vawg9pv_UOs(9分02秒)
(2) http://www.youtube.com/watch?v=iFblHBl4qm0(9分07秒)
(3) http://www.youtube.com/watch?v=MiU5uLec2QE(5分17秒)


(追記)下線部を加筆・修正いたしました(5月23日)。

2007年05月20日

命の賢者様の「ご不満」

(@時の最果て)

ハッシュ:zzz
ボッシュ:こんなところに来ると、立てこもり事件など夢のようじゃ。
ハッシュ:ふわあ。なんじゃ、また、おぬしか。
ボッシュ:もう聞き飽きたが、そのセリフまで心地よい。ジパングという国は実に物騒じゃ。
ハッシュ:ほお。あのデブは平和そうだったぞ。おぬしも平和そうじゃなかったかね。
ボッシュ:しかしだな、立てこもりだけでなく、首をちょんぎったりとか、赤ちゃんの死体を捨てたとか、物騒な話が多すぎるんじゃ。しかるに、あのデブたるや、まあ、あちらの方が物騒ではあるが、台湾海峡だの、北朝鮮だの、しかも、なにを言っているのかワシにはよくわからぬことばかり書いていて実にけしからん。ジパングに来て一年が過ぎたが、変な国じゃ。だいたい、場合によっては犯人を射殺することもありうる隊員が狙撃されて反撃もできんのか?新聞やテレビでは痛ましいだの、お悔やみ申し上げますだの、あのデブの「寝言」程度の御託を並べておるが、毅然とした対応ができなくては、あたら命を失うばかりじゃ。
ハッシュ:おぬしは、「武器はな……。生命をうばうための物ではないぞ。生かすための物であるべきじゃ」と言っておったではないか。考えが変わったのか?
ボッシュ:…。おぬし、そのセリフは、ジパングのゲーム(『クロノ・トリガー:書記係)そのままではないか。まあ、ワシの考えとそう異なるわけではない。ただ、実際に武器を振り回すとんでもない者がいる。これを取り押さえるのには、丸腰では危うい。場合によっては相手を殺すことも考えておかねばならぬ。あのデブは、自分の国のことすら知らない阿呆ゆえ、ワシが代わりに言っておくとだな、ジパングに260年もの安定した体制をつくった徳川家康なる人物がおる。この人物に関する逸話は嘘も多いようじゃが、素手で乱暴者を取り押さえた家来を阿呆者として叱責したという逸話が残っておる。素手で刃物を獲る馬鹿という奴じゃ。刀を振り回している乱暴者に丸腰で対応するとは何事だというわけじゃ。もちろん、いろいろと含蓄のある逸話じゃが、刃物や銃を振り回している乱暴者に丸腰での対応は無理じゃ。ワシが、武器を使う勇気よりも使わずに済ませる臆病の方が勝るというのは現実にはこのような話じゃ。今回の場合、犯人に射殺された警察官は、特殊部隊の一員ではないか。このような部隊が反撃できぬようでは、けしからぬ者どもを取り締まることなどできぬ。安全保障も結構じゃが、治安を守れないようでは話にならぬぞ。こんな重大な問題にまったく触れぬとは、あのデブは、よほどの阿呆ではないのか?
ハッシュ:…。ワシにはさっぱりじゃが、最後の一言だけはわかる。確かにあのデブは阿呆じゃ。
ボッシュ:…。そうじゃなくって。はあ。ワシの話がまずかったかのお。疲れてしまった。ところで、あのデブが書いておったが、成仏してほしい戦前生まれの政治家とは誰じゃ?
ハッシュ:…。ワシにはついてゆけない話の流れじゃが。あのデブの記憶でもたどるとするか。zzz
ボッシュ:…。
ハッシュ:あのデブは、そんなことを考えたこともないようじゃな。かんべえさんとやらが書いておって、思いっきりひいてしまったようじゃ。意外と気が小さいのお。
ボッシュ:おお、そのかんべえさんとやらが成仏を願っている政治家の名前じゃ。ワシの店に来る年配のお客さんが知りたがっておる。あのデブなら、名前がわかるじゃろ?
ハッシュ:なんでも、そのネタはやめてほしいとあのデブが念を送ってきた。「テロ」が怖いそうじゃ。だんだん「過疎地」ともいえない状態になって困惑しておるようじゃな。そこへ「テロ」が生じると、目も当てられないようじゃ。
ボッシュ:あのデブは、つくづく気が小さいのお。あのデブのブログが炎上したところで、なんの影響もないと思うが。だいたい、他人に読まれるのが怖いのなら、ブログなどやめてしまえばよいのじゃ。そもそもじゃな、「寝言」など他人に聞かれた恥ずかしいに決まっておる。つくづく阿呆なデブじゃ。
ハッシュ:まあ、そうなんじゃが。あのデブの人生自体が「寝言」みたいなものじゃ。その辺は、大目に見てやってくだされ。
ボッシュ:…。珍しく、おぬしが優しいのお。立てこもり事件よりも不気味じゃ。なにか禍々しいことの前触れでなければよいが…。背筋が寒くなったゆえ、そろそろ帰るね。
ハッシュ:…?さっぱりわからぬが、また、おいで。

 うーむ、どこから手をつけましょうか。まず、愛知県の立てこもり事件ですが、この種の事件での警察の指揮・命令のあり方に疎いので、コメントが難しいです。最初に打たれた警官を救おうとする際に、射殺が可能かどうか、救出する部隊にどこまで指示が出ていたのか、現場の裁量がどこまで許されるのか、わからないことが多すぎるので、歯切れが悪いのですが、コメントが難しいです。いわゆる「瀬戸内シージャック事件」(1970年)で犯人を狙撃した大阪府警の巡査部長が殺人罪で告訴されそうになったことが警察の対応を慎重にしているという指摘もあるようですが、地検、地裁ともに、「門前払い」(ウィキペディアやboroさんの『無限回廊』などを参考にしました)。その後も、1970年代には、長崎バスジャック事件(1977年)や三菱銀行人質事件(1979年)など犯人を射殺して「解決」した事件がありますが、1970年代に集中しています。他方で、1970年代はあさま山荘事件(1972年)、クアラルンプール事件(1975年)、ダッカ事件(1977年)などがあり、後者二つは「超法規的措置」なるもので、「ぬるい対応」が目立った時期でもあります。調べないとわかりませんが、警察側の対応が同じ時期でもバラバラで素人目にはよくわからないなあ。警察庁の統計を見ると、一時期に比べればマシになったとはいえ、まだ高水準。治安の回復には時間がかかるでしょう。実際は、どんどん鈍感になっている私が怖いのですが。

 「成仏」はお許しを。具体的な人名など、聞いたこともないし、伺う気もありませんので。それにしても、「集団的自衛権」(2007年5月18−19日)はかんべえ節(別名、「極悪」(クエスチョンマークをつけてはいけない。エクスクラメーションマークはOKです(例:「ご、極悪!!」)全開で、体調が悪いときでも、さすがだなあと感心してしまいます。ちょっとだけ悔しいのですが、こういう記事が載るから、『溜池通信』をつい毎日見てしまうのですよ。実に見事に安倍総理の「戦略」を整理されて、なおかつ「反対派」に攻め口を示唆しているように見えるでしょ?それは甘いです。騙されてはいけません。あの記事を読むと、関心はあるけれど、よくわからないなあという方にしょうがないなという気分にさせるのが「極悪」の真髄(刺された人が刺されたと気がつかないうちに息絶える)でありまして、確信犯的に「馬は馬、鹿は鹿」とおっしゃる「非道」先生との「コンビ」は、市井でのほほんとしている私みたいな者には、本当に怖い。ちなみに、なぜか私も風邪気味です。熱しては冷やされ、冷やされては「加熱」され、たまらないです(「成仏」発言は、まさかと思いますが、悪性の風邪を「おたかさん」にうつしますよという「犯行予告」?)。

 bewaadさんのおかげで内閣法制局が辞職も辞さない態度だということで、なぜ歴代内閣、というより、小泉政権ですら、集団的自衛権の行使に関する憲法解釈に手をつけなかったが、理解できます。bewaadさんには申し訳ありませんが、憲法学者はどうでもよく(こんな「血なまぐさい」話は学者さんには酷でしょう。国際法なんて実務家はともかく、純粋なアカデミズムは見事にスルーされてますし)、内閣法制局の動向の方が大切で、露骨に言えば、ベストは彼らに「退路」を与える議論がベストですが、どうにもならない場合、安倍総理がどのようなリーダーシップ(要は返り血を浴びる可能性を覚悟で「寄り切る」しかないのですが)を発揮されるのかが注目点です。法解釈というのは迂闊に素人が手を出すと、頭が混乱するだけですので、深入りはいたしません。

 有識者懇のメンバー構成については、既に書いたので繰り返す必要はないと思いますが、要は安倍総理は本気だということでしょう。この問題が党派的になっていること自体は不幸なことだと思いますが、ことがことだけにやむをないという気もいたします。実際には、二枚腰、三枚腰の対応をされるものと拝察いたしますが、最後はど真ん中にストレートをブーイングも覚悟して放るしかない。内閣法制局にとっての「統治の継続性」が総理の政治的リーダーシップを超越している事態はやはり異常だと素人には映ります。個別の案件については、官邸よりも各省庁、あるいは省庁間の連携の方がよりよい解をだす場合があることも否定はしませんし、「統治の継続性」を担保することも否定できない部分があると思いますが、集団的自衛権の行使に関する解釈(形式上、法理上、憲法の解釈・運用の問題ですが、内閣法制局が純粋に法理を詰めた上なのか、政治的な「配慮」なのかわからない点も多いです)の変更への内閣法制局の抵抗は、そのような省庁による官邸では処理できない「統治の継続性」という点でもまともだとは思えないです。まだ、未整理の点が多いので、記事、もとい「寝言」にできるようになったら、メモ程度でしょうが、あらためて整理したいと思います。

 「続き」は事務連絡です。継続的に本ブログを御覧になっている方は、目を通していただければ、幸いです。


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2007年05月19日

対外政策と国内コンセンサスに関する雑感

 ふと、行政府の意思決定というものの複雑さに驚いてしまいました。「縦割り行政」の弊害が盛んに報道された時期がありましたが、たとえば外圧がくると、省庁横断で「国士」の「有志連合」ができたりする。また、官邸にあげてしまうと、デリケートな問題の場合には、役所の若手・中堅で官邸にあげないように微妙な調整が行われている。現在では、そのような時代ではないのかもしれませんが、少なくとも小泉政権以前は、行政府といっても、「官邸主導」という意味でトップダウンで決まるものではなく、個々の案件については各省庁の裁量の余地が大きかったという印象を受けました。

 1990年代のクリントン政権時代における日米構造協議は、ある特定の世代に「爪痕」を残してしまったようです。当時のUSTRの要求があまりにも理不尽だったことによって、アメリカに対して「筋」を通すことが、「国士」として扱われる風潮を残したようです。個々の案件では、交渉を担当した方々の主張に共感する部分もあり、ご尽力されたことには頭が下がります。他方で、この時期を担当された方々のお話を伺っていると、アメリカに「物申す」ときにも、実にアメリカ人の機微を上手に理解して利用して説得し、誘導していたことがわかります。現地でありとあらゆるルートから情報を入手し、省庁間の垣根を越えて様々なネットワークがつくられていたようです。

 少し気になったのは、論壇の一部に残っている「反米」とは異なる、実際の経験からくる「反米意識」をもっている方々でした。私がタフな交渉などしたこともなく、海外経験が少ないがゆえに、不愉快な思いをしたことがほとんどない、あるいは嫌なことはわりと早く忘れてしまうという性癖のせいか、違和感を覚えました。私の場合、イギリスがほとんどなので、向こうで日本の歴史や伝統について尋ねられ、ドギマギしてしまったことは覚えているのですが、不快感を覚えることはありませんでした。オックスフォードの教授に、「日本の教育水準が高いことは知っています。その歴史的なバックグラウンドを教えてもらえませんか?」と尋ねられたときは、正直なところ、緊張してしまいました。たぶん、下手くそな英語で必死に江戸時代からの寺子屋と藩校の歴史から明治期の教育制度を高校程度の日本史の教科書レベルで説明した覚えがありますが、向こうが私の拙い語学力にもかかわらず、話の腰を折ることもなく、説明に耳を傾けていただいた後で、「あなたの国では300年以上も前から私たちイギリス人が大学と呼んでいるのと同じような存在があったと考えてよいのですか」というような、こちらがハッとするような質問をされて、私の方が勉強になってしまいました。私自身の経験が浅い(あるいは「修羅場」をくぐっていない)せいでしょうか、英米の違いでしょうか、ギャップが感じることも多かったです。もちろん、イギリス人やアメリカ人と一括りにしても、個性が当然ありますし、アメリカ人相手の交渉でも、結論を明確に述べてから、3つ程度理由を挙げてゆくというのは、交渉で相手を説得する際には得策ではないようです。

 お約束どおり、「寝言」らしくとりとめがなくなってきましたが、対外関係のプロは、実に交渉のノウハウを実務から蓄積されていることを実感しました。ただ、私が「世論の反応は、外交交渉の、それも特定の部分に偏りがちで、外交政策については関心が低いように思います。このままでは、的確な外交政策に基づいて対外関係を展開しても国内的に理解をえることが難しくなることも多いのではないでしょうか?」と尋ねてみましたが、あまり明確なお答えはいただけませんでした。私の質問のしかたが下手だったからかもしれませんが、「英仏のODAが増加傾向にあると御説明いただきましたが、同じ民主主義国である英仏が財政事情の違いもあるのでしょうが、ODAに関する政策の国内コンセンサス形成に成功しているのに対して、日本ではうまくいっていないのはなぜでしょう?」と尋ねてみました。「そりゃあ、英仏は旧植民地を中心にうまくやれるからですよ」というお答えを頂いたのですが、話がかみあわなかったようです。

 今週は、「東アジアの『冷戦』と日米同盟」というテーマを考えてみましたが、なにか外交政策や安全保障政策について「啓蒙」しようとか、「物申す」という気概などまるでなく、メモの感覚でかいております。少し気になるのは、このような「時の最果て」でのメモなどなにひとつ影響力がないでしょうが、これらの政策に関して実務や様々なレベルで社会的影響力をもつ方々が、外交政策や安全保障政策へ関心が相対的に低い国民へ、おそらくほとんどの民主主義国では同じ状況だと思うのですが、説得的な議論ができているのだろうかと思います。あるいは、相対的に関心が薄い層に訴えるよりも、高い層でコンセンサスができればよいということなのかもしれません。対外政策に関して広く理解をえることは国内的にも難しいことです。

 他方で、個別の案件で交渉で「得をしたか損をしたか?」という点から、「損をした」ように見える結果について報道の関心は集まりやすい印象があります。もっとも、コンセンサスというのは、ある政策を主張したときに、反対だという人の声が小さく、中間的な態度をとっている人たちが反対だといわなければ、それはもはやコンセンサスだといってよいという解釈もあるそうです。同盟強化と憲法改正が安倍総理にとっての、小泉総理の「郵政民営化」にあたる、あるいはそれ以上の価値を見出されている政策であると思いますが、「それで大丈夫かなあ?」と思って見ていたら、いつの間にか国民投票法が成立していました。まだ、安倍総理の政治的リーダーシップのあり方が理解できていない部分がありますが、事前の評価の通り、ブレずに、事を進めてゆくというあたりまではわかりました。小泉政権から政治的リーダーシップのあり方が変わってきましたが、安倍政権はその変化を安倍流に受け継いでいる、そんな印象です。
posted by Hache at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな?寝言