2007年05月18日

対決! 乱馬VS影乱馬

 木曜の朝、目覚めると、寝ている間に腰を打ったのか、立ち上がるのが困難な状態になりました。やむをえず、微妙に遅刻をして、顔をしかめながら歩く私を見ながら、周囲が「大丈夫ですかあ?」。「ちょっと腰をきつくてねえ」と苦笑いをすると、若い人の視線が途端になんともいえない「疑惑」に満ちていたので、動揺してしまいました。「あのお、変なこと想像していない?」とうっかり対応を間違えると、「確信」を深めたらしく、「いいですよ、わかってますから」。ちょっと待て。そのニヤニヤはなに?

 帰り際に「お疲れ様です」というのがわが職場の通常の光景ですが、ある一人が「腰、大丈夫ですか?」と尋ねるので、気遣いが嬉しくありがたいとおもっておりました。その直後に背後から「青春っていいですね」との一言が。気がつくと、髪はボサボサだし、スーツもシャツもは昨日のまま。「疑惑」だけが残って、悲しい一日でした。

えっ、「疑惑」じゃないでしょって!?

……水曜の未明から一人で眠っていたかどうかについては申し上げません。


【今日の『らんま1/2」】

 中国三千年の「秘薬」の怖さは、『らんま1/2』で実感できます。今回、登場するのは「影分身香」。原作にはない、アニメオリジナルですが、自らの影を独立した実体にしてトレーニングをするという設定ですが、「素直で純粋な」、「影」が乱馬のあかねへの思いを代弁するという筋立て。この作品自体は、さほどまとまりが悪いわけではないのですが、書きたいのは原作の35巻いわゆる「二人の乱馬」(「コピーらんま」編とも呼称する)です。

 昔、さる華族の麗しい令嬢がはかなくも若くして亡くなりました。彼女は死ぬ間際に「ちいっ、彼氏をつくっとくんだった…」と涙を誘う言葉を残します。以来、彼女の残した鏡に映った女性の姿をコピーして男性を誘惑するようになります。道に迷って雨に濡れた早乙女親子はこの令嬢の洋館で雨宿りをするのですが、女らんま(雨に濡れているので)が不用意にバナナの皮で足をすべらせて勢いあまって正面カーテンに激突し、鏡の中を覗き込んでしまいます。鏡の中からでてきたのは、女らんまそっくりのコピーでした。

 コピーらんまは、ナンパ(正確には逆ナン)をすべく、あかねの部屋で服を探すのですが、これという服がなく、「色っぽい服がなーい。ブラも小さーい」と乱馬そっくりで「影乱馬」など影が薄いぐらいストレートに本音を漏らしてしまいます。

 乱馬の変身体質に気がついたコピーらんまは、乱馬にぞっこん。二人きりで寝ようとするコピーをあかねは妨害しようとします。コピーを追いかけるあかねにコピーが思わず「なんなのよ、このずん胴女は」と漏らし、あかねの怒りは頂点に。あかねは乱馬の部屋まで乗り込んで「変態(変身体質→変体→変態:引用者)どうし」が○なことをしないように見張ります。

 夜が明けて「二等辺三角形」へ。天道早雲が健康的でさわやかな朝を迎えているところに、露出度の高いコピーらんまが登場します。「お金の味方」こと常にクールな天道なびきすら驚きの視線で「私はよく知らないけれど、悩殺ファッションベストテンのかなり上位にランクされる、裸にエ○○ン!!」と叫びます。

なびき:でも、その子、鏡の中から出てきた乱馬くんのコピーでしょ。乱馬くんの好みを知っていて当然!
かすみ:まあ、意外な趣味があったのね。
乱馬:お、おれはこんなお下劣趣味じゃねーっ。

天道なびきの厳しいツッコミ、天道かすみのフォロー(しつつ、意図と反して傷口に塩を塗る)で乱馬もきれます。それ以上にきれたのが、コピーらんま。「黄金のプロポーション」に動じない乱馬に決定的な言葉を投げかけます。

コピーらんま:あなたの好みは…。ズバリ、ずん胴な女でしょ!
(図星をつかれ上気して)
乱馬:だっ、誰があかねのことなんか…
(乱馬の後頭部を殴りながら)
あかね:誰がずん胴だ――っ。

この後、乱馬とコピー、乱馬とあかねの「二等辺三角関係」がもつれてゆきますが、長くなるので続きはまんが喫茶あたりでどうぞ。それにしても、原作ではナルシズムとあかねへの想いがパラレルに描かれています。アニメでは描かれない、恋愛の複雑な側面が戯画的に(つーか、漫画じゃねーかというツッコミはなしね)描かれていて、自己愛と恋愛の複雑でいかがわしい、もつれた関係について洞察を与えてくれます?

 それにしても、アニメではこのような「立体感」のある作品がほとんどなく、ずん胴、もとい平面的なストーリーになっていることが残念です。


対決! 乱馬VS影乱馬 『らんま1/2』熱闘編94話

(1) http://www.youtube.com/watch?v=RygcBIvBPm0(9分33秒)
(2) http://www.youtube.com/watch?v=neUL1ma6Pms(9分24秒)
(3) http://www.youtube.com/watch?v=3qGDsptdAlY(4分21秒)

2007年05月17日

東アジアの「冷戦」と日米同盟(2)

(@「時の最果て」)

○あなた、かんべえさんが師匠でしょう?

→か、かんべえさん?ど、どなたでしょうねえ。私こと、Hacheは、時の賢者様の名代として「時の最果て」で夜な夜な「寝言」を綴っている、「生まれも悪いが育ちも悪い」いかれた「外道」でこざいます。

成仏してほしい戦前生まれの政治家って誰でしょう?

→…。し、知りません。わ、私は、政治家に限らず、ご、ご年配の方々に置かれましては、長生きしていただくことを心より願っております。

○あんたが「極道」なんて書くから、ここまで書いたらどうせ気が小さいからついてこれねえだろうとカマをかけたんじゃないの?

→あ、あのー、「さくらのブログ」管理画面ではどなたが見たかを確認することはできません。こ、このようなですね、「過疎地」がそのような影響力をもつとはとても、とても…。

それにしても、こえー。越中は怖いよお(上海馬券王先生は、ティー・オー・ケー・ユー・ビー・イー・ティー・ユー(TOKUBETU)と・く・べ・つ(はあと)。カワセミプリンセスとの「玉砕」、お見事でございます)。太平洋岸でのほほんと生きてきた者としては、「成仏」などというおっかないことは頭もよぎらないのであります。やっぱり、「党○○論」がトリガー?あんなもの逃げておけばよいのに。安倍総理相手に勝ち目がないのはミエミエですね。「成仏」しなくても、終わってますがな。なにも「強制終了」しなくても…。

…。失礼しました。取り乱してしまいましたが、「平常心」(やっぱり、こちらが「本命」?)でまいります。本題に戻りますが、長島昭久さんの『翔ぶが如く』「訪米報告 その1」(2007年5月7日)を「寝言」風味で読んだだけですので、こちらを読まれた方が理解しやすいと思います。なにしろ、「ABLってAirborne Laserの略でよかったっけ?」というレベルなので、いたるところで勘違いをしている可能性が高く、私が無断で勝手に「感想」を書いているだけですので、間違いはすべて私の責任です。

 まず、北朝鮮が核を手放すことはないという情勢判断は、それ自体は意外性はないのですが、北朝鮮の対米外交のみならず、対中外交にも影響するというのは、素人的にはうっかりするところ。邪推ですが、やはりミサイル発射は「狙い撃ち」というところでしょうか。

 驚いたのは、それを踏まえたマイケル・グリーンの「対策」です。何が驚くかというと、これが実現してしまうと、書くべきではない気もいたしますが、対北朝鮮だけでなく、対中国についても日米同盟の軍事面での抑止力はこれ以上ないほど高くなってしまうことです。BMDで発射前のミサイルだけでなく、発射後のミサイルをABLで「迎撃」するというのは、北朝鮮が核のコンパクト化にも成功することを視野に入れたものでしょうけれども(すでにできているという「有力な情報」というのは本当に驚きですが、北朝鮮が独力でできるはなしなのかどうかに、いかれた「外道」の関心はいってしまいます)、場合によっては南西の防御にも使えるでしょう。よけいな話ですが、嘉手納に配備されているF22は「期間限定」できており、暗黙の北朝鮮へのプレッシャーとして解釈されているようですが、北西に飛べる戦闘機が能力的に南西に飛べないということはないんじゃないかな。まあ、軍事音痴なので、「寝言」以外のなにものでもありませんが。

 さらに驚くのは、戦術核の「復活」。北東アジアや西太平洋への配備となると、事実上の「冷戦」といってよい状態でしょう。もちろん、マイケル・グリーンの私見であって、直接、アメリカ政府がこのような政策をとるわけではないでしょうが、このような見解があること自体、驚きです。日米共同管理となると、日米同盟の双務性どころの話じゃないですね。策源地攻撃能力を日米で共有となると、もうこれは完全に本来の同盟そのもので、事実上、安全保障に限定しても、「戦後」は名実ともに死語となります。これらのことが完全に実現したとしても、日本の安全が完全に守られるというわけではないでしょうが、望みうる選択肢の中で最も望ましいものであると思います。もちろん、以上のことは、あくまで北朝鮮の核武装を受けての話であり、通常の同盟では「名指し」しない仮想敵国が北朝鮮であることは明白ですが、事態の推移によっては、中国も日米同盟の抑止の対象となりうるほど、強力な関係になると、いかれた「外道」の目には映ります。誤読をしていただかないよう、念を押しますが、以上のことは、長島先生の記事を「寝言」風味に私が勝手に解釈したものであって、無断で引用させていただいているものであって、端的に言えば私の「深読み」にすぎません。インドの評価など他にも興味深いことが多いのですが、本題からそれますので、省かせていただきます。

 寄り道ですが、前回の記事が、岡崎久彦「台湾の戦略的価値」で論じられている対象をシーレーンに限定したかのような印象を与えたならば、責任はすべて私にあります。あるコメントを拝見して、趣旨はそこではないと断られながら、シーレーンのことばかり問題にされるので誤解を生んでいるのではないかという懸念をもっております。全文を英語でお読み頂ければ、原文の趣旨は、シーレーンの問題を説明した上で、中国による台湾併合は英米の覇権への挑戦となる意義をもつことだと岡崎先生が主張されていることが理解できると思います。当該記事その他を再検討して、私の国語力や英語力のなさによって誤解を生む可能性があると私自身が判断した場合、該当する記事および訳文、その他関連する記事すべてを、一切の予告なく、全て削除いたします。

 本題に戻ります。もちろん、日米同盟の強化にもリスクがあります。北朝鮮と事実上の「冷戦」に入ること自体はやむをえないとしても、中国が日米同盟への「敵視」を強める可能性があるでしょう。同盟そのものは当事者どうしが「共通の利益」というやむをえない事情があることが前提ですが、他方で、それ以外の国との関係を硬直化させてしまうリスクもともないます。北朝鮮の核開発とミサイル発射を受けての話でしょうが、中国、場合によってはロシアにとっても脅威でしょう。だから、よろしくないということではありません。結局、中国とロシアにとって「脅威」となるのは、半ばよりも多くは彼らの行動にかかっているからです。

 それにしても、この記事を拝読して感じたことは、北朝鮮という「虫歯」に対応するにしても、日本が自分の国は自分で守るという延長線上に日米同盟の強化という戦略を明確に位置づけることが、最も筋がよいということです。率直なところ、上記のことはあまりに日本にとって有利なので本当に実現可能なんだろうかと思う部分があるぐらいです。そして、あらためて複雑な気分になるのは、日米同盟の現状はあまりにアメリカの「善意」に依存しているということです。基地を「提供」していること自体は、もちろん、双務性の重要な要素でしょう。また、日米同盟によって日本外交の選択肢も狭まる部分があるのでしょう。同盟の運用しだいでは、最悪の場合、極東、あるいは東アジアで新たな「冷戦」に生むこともあるのでしょう。

 厳密な意味での日米同盟の「費用対効果」は、素人の私には手に余ります。ただ、この国を守ることを基本に考えた場合、この国独自でできることには限界があることは、もっといえば限界があまりに多いことは自明だと思います。それをこの国単独で限界がありつつも、選択肢を拡大するのが望ましいのか、日米同盟を本来の同盟として機能させるのかが望ましいのかという問いに厳密な意味で「解」を与えることは私の能力を超えます。日米同盟の強化は、日本の選択肢を狭める側面があり、同盟の強化を図るならば、現在以上に国際協調を図ることによって、日米同盟によってこの国がえる利益と他国の利益を調整してゆく、用心深い、不断の努力が要求されます。しかし、このことは、この国がアメリカとの同盟なしでも同じことであり、なおかつアメリカとの同盟がない以上、アメリカが敵となる事態も想定しなければなりません。日米同盟によってこの国が選択肢が狭まることによって、アメリカの選択肢も、アメリカの広い意味での「パワー」によってこの国よりもはるかに広いでしょうが、ある範囲内に限定されてくるでしょう。

 繰り返しになりますが、日米同盟の強化を脅威と感じる国は北朝鮮だけでなく、けっして少なくないでしょう。日米同盟の双務性を高めることは、安保改定時に論点がぼやけてしまった(あるいは反対派が論点をぼかしてしまった)印象もありますが、アメリカのためにするものではなく、この国の安全と繁栄を守ることが基本でしょう。そのような利己的な目的から発した同盟がアジア、あるいは極東に限定しても、安定をもたらす保障はどこにもありません。同盟の強化と近隣諸国との積極的な外交は、矛盾するものではなく、むしろ、同盟を強化しようとするならば、近隣諸国との外交を活発にする必要があるでしょう。これは、現政権が既に着手し、実行していることの後追いにすぎないのかもしれませんが。

 日米同盟が極東の平和と安全の礎になるか否かは運用しだいです。しかし、素人にもほとんど自明のことと映ることがあります。自国の安全を守れない国が、地域の平和と安定の礎などなることなどありえないということです。このようなナイーブなことは、専門家ならば、恥ずかしくて書けないでしょう。この国を守るために、日米同盟をさらに双務的にし、自国の平和と安全を確実にすることが、地域を極東に限定しても、国際的に貢献を行う、不可欠の基礎であると考えます。

2007年05月16日

「極道」への誘惑

 寝不足でヨレヨレになってしまいました。とにかく寝たい。「東アジアの『冷戦』と日米同盟」を書き始めて、いろいろ考えてゆくと、勉強不足だということを痛感いたします(寝不足だというのにキッシンジャーやナイの本を読み返してしまう私は「病気」以外の何物でもないですな)。慌てて記事にすることもないので、いろいろ「補助線」を引きながら、「寝言」風かつ素人的に考えてまいりたいところです。それにしても、すべてを放り出してとにかく熟睡したいというのが正直なところ。月・火は寝不足状態でなんとか乗り切って、水曜日に「充電」して木曜日にすべて「放電」し、金曜日は廃人状態ながらも、なんとか「本体業務」をこなすというのが基本的な「リズム」なのですが、年々、「顧客」の水準が低下してこちらの負担が増える一方でなかなか厳しいものがあります。

 中年の愚痴はこれぐらいにして、今日も引用からですが、「本丸」へ行く途中の「寄り道」です。「テロ」への恐怖はあるのですが、『溜池通信』の「不規則発言」(2007年3月20日)からです。

<3月20日>(火)

〇東京財団の若手安保研、とうとう今宵が最終回である。思えば2003年夏、坂本正弘先生の呼びかけで第1回の会合を開き、座長を押し付けられてしまってから幾星霜。2004年春から東京財団の研究プロジェクトに昇格して予算がつき、丸3年にわたって毎月第3火曜日の夜には研究会を開催してきた。参加者はじょじょに増え、講師ものべ30人を数え、提言も2本まとめた。ホント、よく続いたものだと思います。

〇今日の講師は伊藤貫さん。「日本は核武装せよ」という論者である。ワシントン在住の人なれど、たまたま日本に出張中のところを来ていただきました。この会が始まった当初には、まさか日本の核武装論議を真面目にする日が来るとは思わなかったけれども、それだけでもこの間の安全保障環境の変化が大きかったことが良く分かる。で、伊藤さんの議論は概ねこういう経路をたどる。

(1)日本人はリアリスト外交を知らない。親米保守派は真のリアリストにあらず。

(2)今後アメリカの国力は低下し、世界は多極化に向かう。

(3)核の傘に頼れない日本は自主防衛するしかない。ちなみに核武装のコストはGDPの0.1〜0.2%で良い。

〇たくさんの論点があるところですが、かんべえ(世間的な評価では親米保守派になるのでしょう)が妙に納得したのは、伊藤氏が「日本が自前の核戦力を開発するまでには10年程度かかる。それまではNuclear Sharingでいくしかない」と言ったところです。前にも書いたと思いますが、日本が自前の核を持つことは容易ではありません。NPT脱退なんて論外ですし、そもそも黒鉛炉を作るところから始めなければなりません。そんなもん、日本国内で立地できるわけありませんわな。その辺のことを知らずに、勇ましく「日本よ核を持て!」と主張する論者は、観念的リアリストと呼んでさしあげるべきでしょう。

〇ところが今後、中国の軍事力が今の調子で拡大を続けた場合、アメリカが日本に対して「核を持っていいぞ」と言い出す可能性はけっして低くはなく、それでNuclear Sharingができるのであればとりあえずは安心である。伊藤氏の場合、その間に自主防衛の努力をして、自前の核を持ってはじめて日本は一人前になる、という議論になる。ただし、アメリカの核を借りて、アメリカの目を盗んで自前の核を持つというのは、限りなく不可能に近いですわな。というか、日本の場合はNuclear Sharingができた時点で安心してしまい、その先には進まなくなるでしょう。

〇かんべえのように没道義的(極悪?)な人間としては、「それでいいじゃん」と思ってしまうのですが、自主防衛論者としてはそういう無定見なところが許せない、だから親米保守派はケシカラン、ということになるのでありましょう。結局、リアリストだ、アイデアリストだ、何とか主義だといった無数の流派は、最後は個々人の人生観とか好き嫌いに帰着するものなのであろうなあ、というのが今宵の生暖かい結論であります。

〇会合が終わったあとは、アメリカ大使館前の「キングズアーム」へ。ここでポテトとナッツをつまみにビールを飲むのが吉例の二次会となっておりまして、今まで何十回来たかわからない。ホントはお洒落な料理と一緒に各種ウイスキーを楽しむべき店なのですが、なぜかそういうストイックな路線になっている。しかも今宵などは、ウーロン茶とジンジャエールが多数派を形成しておりましたぞ。通算4年の月日の結果、もう「若手」ではなくなったメンバーが増えたのかもしれません。

〇何はともあれ、終わってホッとした。来たる3月29日(木)午後6時半から、この会合の最終報告会を開きます。Open to Public、無料の会合でありますので、ご関心のある方は下記URLから参加登録をどうぞ。不肖かんべえも報告をいたします。ついでに立食パーティーもついておりますので、安全保障関係のネットワーキングにも最適ですぞ。


 まず、引用文中、明らかな事実誤認がありますので指摘しておきます。「極悪?」という表現がでてきますが、クエスチョンマークは不要です。おそらくはツッコミをいれろという御指示ではないかと憶測いたしますが、「非道」先生と「グル」ですと、「極悪非道」、略すと「極道」です(あ、ネタにマジレスしちゃった)。読者の皆様、このあたりの煙の巻き方は、かんべえ師匠もといかんべえさんの得意技ですので、お間違いのなきよう。

 ちなみに最終報告会への参加希望を出しましたが、「ドタキャン」してしまいました。かんべえさんのテロにはある法則性があって、(1)その日に出会った人がブログを所有していると「テロ」への誘惑に駆られる。(2)なかには奇特な方もいらっしゃって、「テロ」をして下さいといわんばかりに、自分のブログを教えてしまう。(3)「不規則発言」のネタが不足しているときに、やや「ぬるめ」だけれど、かんべえさんから見るとおもしろいネタが書いてあるブログを見つけると、「テロ」をしたくなる。(4)やじゅんさんのように親切に知人のブログを紹介して「テロ」でブログに勢いをつける。当然、「ドタキャン」した理由は、(1)を回避するためでありまして、「テロ」攻撃を受けるという確信があったわけではありませんが、いかれた「外道」とはいえ、「君子あやうきに近寄らず」が原則であります。

 …。いきなり本題からそれてしまいました。"nuclear sharing"自体は、「極悪」でもなんでもなく、自前の「核武装」よりもはるかに現実的だと感じる方が普通でしょう(と素で感じる私も「あれ」な人なのかもしれませんが)。あまりに素人的な発想で恥ずかしいのですが、自前の核でも、いわゆるアメリカの「核の傘」のどちらでもよいのですが、私の関心は、日本に対して核攻撃も辞さない態度を示している国に核を含めた軍事的オプションを準備することで、潜在的な敵国の軍事行動を抑止できるかどうかということです。この「計算」をきっちりやるのは私の手に余ります。他方で、自前の核というと、威勢はよいのですが、米軍基地でも揉めるのに、国内で地下核実験をやるとなったときに、「候補地」の選定で揉めるとなると、目も当てられない話ではあります(北朝鮮の核開発を受けた核武装論議のときには「外交上、どうかな?」という疑問があって批判的なことも書きましたが、現実問題としてはもっとお寒い話になりそうな気がして、あのときには書かずにおきました)。「核武装」や「核の共有」それ自体は手段であって、核抑止という目標が達成できるかどうかが、素人が知りたいところということです。ちなみに、この「不規則発言」を拝読したときには日米で核を「共有」するという話自体は魅力的だけれども、アメリカがそこまで言うのかなという疑問はありました。

 寄り道ついでに、素人的にはやはり自前の核武装自体に疑問があります。国際的な制約は全て無視したとしても、現代の核兵器といえば、弾道ミサイルに搭載された水爆(?)が基本でしょうが、日本が核武装をしたところで、プルトニウム爆弾がいいところでしょう。仮に、水爆レベルまで開発するとしても、実験データを確保するとなると、途方もない積み重ねが必要になりますが、どうやって実験場を確保するのかがわからない。さらに、第二撃能力は潜水艦から発射するミサイルでしょうけれど、そんな技術を自前で開発できるのかなど疑問だらけになります。まあ、自分でもナイーブすぎる疑問なので専門家に尋ねたり、しっかりと調べたわけではないのですが、どうも現実味がない。

 他方で、核抑止は中長期では対中露で考えておく必要があると思います。とくに、ロシアは、一時的とはいえ、核戦力に関してはアメリカとほぼ対等な立場までいった実績があり、ソ連崩壊で核拡散の方に関心が向かいましたが、ロシアと中国が手を結ぶのは非常に危険だと素人目には映ります。両者の事実上の同盟は核にとどまらず、通常兵器でも日米に対抗しうる、対応を誤れば凌駕しかねない危険すら感じます。

 というわけで、首領様には申し訳ないのですが、北朝鮮自体は「撃つわ」などスルーに近い状態だったのですが、まさか核開発が核のシェアのきっかけになる可能性があるとは思いもしませんでした。とにかく眠たいのですが、書かずにはいられない衝動があります。

 男は顔じゃないというものの、安倍総理におかれましては比べること自体、非礼かとは存じますが、安倍総理と首領様のご尊顔を並べると、勝負は(以下略)。   
posted by Hache at 01:18| Comment(0) | TrackBack(0) | ふまじめな寝言

2007年05月15日

東アジアの「冷戦」と日米同盟(1)

 まず、2006年5月4日の麻生太郎外務大臣の北大西洋理事会における演説「新たな安全保障環境における日本とNATO」からの引用です。


 2001年9月11日は新たな時代の幕開けでした。冷戦中は、我々が直面している脅威の種類は既知のものでした。しかし、9.11後の世界で、いつ、どこで新たな脅威が現れるかを予見することの困難さに我々は気づいています。
 その一方、我々の地域で根底にある安全保障上の構造は、欧州のそれとは大きく異なっていることにふれなければなりません。アジアでは、過去の時期の残滓、冷戦型の構造がまだ存在するといわれます。例えば北朝鮮は核能力開発を認めています。台湾海峡をめぐる問題も、未だに残っています。
 この地域の新たな動きは、中国の台頭です。我々は、地域及び世界において中国が責任ある役割を果たすことを歓迎していますが、軍備増強の透明性については、東アジアの安全保障環境に与えうる影響に鑑み、我々はよく注視しなければなりません。

 以前にも触れたように、公式の外交ルートでこれだけ踏み込んだ表現は珍しいと思います。もちろん、公式の外交では「馬は馬、鹿は鹿」というのは得策ではないことがほとんどです。ここでも、「馬は馬、鹿は鹿」と言っている人がいるという表現です。英語ではより論理が明確です。

 I often hear that in the Asian region, remains of the former era, a Cold-War-type structure still exists. For example, North Korea admits developing nuclear capabilities. Taiwan Strait matters still remain as issues.

 「自由と繁栄の弧」演説は広く読まれているようですが、こちらの演説についてはあまり省みられていないようです。「冷戦構造」が残っているという明言は避けられていますが、北朝鮮の核開発は事実の問題として、あくまで北朝鮮自身が述べている形で触れられてはいますが、扱われています。以前、こちらでも書いたように、驚くべきことに、台湾海峡が問題が問題として残っていることを婉曲表現すらなく、述べた上で、さらに、中国の「台頭」について述べられています。繰り返しになりますが、公式の外交ルートでここまで発言すれば、意味するところ明白です。アジアではヨーロッパと異なり冷戦構造が残っている。「冷戦構造」の対極にあるのは中国と北朝鮮である。

 この演説は、小泉政権下のものです。安部政権ではこの演説の認識は変化したのでしょうか。2007年1月12日、同じく北大西洋理事会で安部晋三総理大臣は、「日本とNATO:更なる協力に向けて」という演説をされました。麻生演説ほど明確ではありませんが、中国との「対話」の継続という形でNATO諸国に日本のおかれている状況を説明しています。

 東アジア地域において、中国は国際社会全体に素晴らしい機会を提供しています。私達は中国が地域において果たすべき責任ある役割を十分に認識しています。私は10月に訪中した際、中国側首脳との間で、共通の戦略的利益に基づく相互互恵関係の構築に合意しました。
 同時に、私達は、急速な国防費の増大、透明性の欠如等のいくつかの不確実性が中国を取り巻いていることも理解する必要があります。中国の行く先を引き続き注意深く見守る必要があります。また、中国がこの地域の安全保障環境改善のため、一層多くの責任を分かち合うよう、中国政府との間で対話を継続する必要があります。このため、価値を共有するパートナーたちは、協力を強化していくべきです。

 気をつけなければならないのは、日中関係、米中関係にはまだ「鉄のカーテン」以前の状態だということです。米ソ冷戦のような、通商上の利益がほとんどといってよいほど、イデオロギーと勢力圏争いが一体となった超大国同士の対立の方が珍しいのかもしれません。また、現実にはソ連がアメリカと対抗しうる十分な軍事力を維持することができたのは、ごくわずかな時期でした。冷戦の末期しか知らないせいでしょうが、アメリカが突出した覇権国家であり、1980年代の前半には当時、中学生だった私にも社会主義国の退潮は明らかでした。結果論になってしまいますが、ソ連は右の全体主義に打ち勝ったあと、英米の覇権に挑戦して敗れたという身も蓋もない実感があります。他方、中国はソ連という前例を見ているからなのか、国内体制の相違なのか、わかりませんが、共産党の一党独裁という政治体制を維持しつつも、経済的相互依存関係に積極的に関与し、日本はともかくアメリカを決定的に敵に追いやるような行為は自重しているように見えます。もちろん、台湾の独立を脅かすような愚を犯せば、話は別です。その可能性はかならずしも少なくありません。他方で、本省人が総統であれば、中国が台湾を「のみ込む」のは難しいという観測もあります。その場合も、中国は台湾に対して「文攻武嚇」を続ける可能性が高いでしょう。アメリカはアジアでの外交が苦手な印象もあり、ある程度まで中国が成果を収める可能性も十分にあるでしょう。

 他方で見込みとしてはあまり期待できませんが、中国が台湾に深入りしすぎたと感じ、退路を探るときには日本が退路を断つような真似をする必要はないと思います。「いい子ぶった」議論のように聞こえるのかもしれませんが、この国は現状を維持することで十分、利益をえている以上、現状を変えようとする勢力が事を起こす前に手を引くのが理想的だと考えます。ただし、中国がアメリカの武力介入を招くような事態を惹き起こした場合、遠慮なくアメリカの側にたって中国の野心を挫折させるのが望ましいとも思います。中国が台湾を併合する事態にいたった場合、それは単にシーレーンの問題に留まらないことは、岡崎久彦「台湾の戦略的価値」が示していると思います。もちろん、事前に起こりうる事態を予測することがかえって予期せぬ事態への対応を鈍らせてしまうこともありえるでしょう。他方で、岡崎先生の見通しは、軍事に留まらず、経済や政治はもちろん、国際秩序に与える影響と広範な視点で検討されており、その見通しどおりになるかどうかということ以上に、視野を広げるという点で私にとって非常に刺激的です。最悪の場合、英米の覇権への挑戦を挫く側につくことは、様々な意味でこの国の利益にかなうことを実感いたします。さらにいえば、「戦後」はこれで名実ともに終了するでしょう。

 これは蛇足ですが、敗戦国の再軍備は、負けた側が望んでも非常に難しいものですが、この国の場合、戦勝国、それも戦後も国際秩序を担保するアメリカが望んだのにもかかわらず、遅々として進みませんでした。それでも1980年代には正面装備は整い、現在では、世界で有数の軍隊をもっていながら、「自衛隊」と呼び、「憲法上の制約」によって実力部隊を「実力」として使わないと公言している奇妙な国です。しかも、外務大臣は、露骨な表現は避けているとはいえ、普通に読めばヨーロッパと異なってこの国をとりまく環境は危険ですよと述べいるわけです。総理大臣はもっと穏やかな表現ですが、同工異曲でしょう。軍隊を使わずに済ませるのが最上ですが、最悪の場合、使う覚悟があってこそ、そのような外交が成立するのが普通だと思います。いかれた「外道」には、自衛隊を軍として認め、最悪の場合、使う覚悟があることを示すことが平和を維持するための最低限の前提であろうと思います。その場合、わざわざ同盟国であるアメリカと共同で対処する選択肢を排除する必要はなかろうと。集団的自衛権の問題は、それだけではないのでしょうが、この国の安全というこれだけは国が担保してもらわないと困る問題ではそのように考えております。

 話がそれました。本題に戻ります。そのような意味で中国が台湾に深入りしないよう、抑止を確実にする一方で中国との対話を行う。それを「冷戦」と呼ぶのか、「日中友好」と呼ぶのかは個人の好みに属する問題でしょう。ただ、東アジアで「冷戦構造」の残滓が存在するという場合、私は台湾海峡の問題に過度に目がゆきすぎていて、普通の方がより切実な脅威に感じる北朝鮮を軽視しておりました。「虫歯」などという失礼な表現をしたこともあります。冷静に見れば、北朝鮮の政治体制は冷戦後もまったく同じで、経済面での開放は遅れています。もちろん、核開発やミサイル開発、拉致問題など直接の軍事的脅威をこの国に加えています。その中でも、核開発がどのような戦略環境の変化をもたらすのかには非常に鈍感でした。この点を気がつかせてくれたのが、長島昭久さんのブログの記事でした。前ふりが長くなってしまって恐縮ですが、次回はこの問題について論じます。

2007年05月14日

北朝鮮の新型ミサイルと東アジアの安保環境

 日曜日にお昼を外で食べながら、『朝日』を手にしたら、北朝鮮の弾道ミサイルの記事が一面にでていて「へえ」と思いました。雪斎先生や長島昭久先生(失礼ながら、ご職業が異なってもどちらも先生と呼ばれる方々ですなあ)の「物騒な」ブログを拝読しながら、どうも北朝鮮の脅威を過小評価していたことに気がつき、核論議についても考え直しておく必要を感じました。そこへ『朝日』の一面の記事がでていたので、思わず目に留まりました。ネットでも配信されておりました。記事の見出しは、「北朝鮮が新型弾道ミサイルか 先月の軍事パレードで公開」です。

 『朝日』の記事によると、新型弾道ミサイルは、旧ソ連が開発した潜水艦発射型ミサイルSS6Nを改良したもので、射程距離は最大で約5,000?qとのこと。グアムが射程内に入ります。4月25日の軍事パレードで12基前後が公開されたとのことですが、発射実験などは確認されておらず、核弾頭搭載能力など具体的な能力は未知のようです。ムスダンリのミサイル基地に配備されていることから、アメリカは「ムスダン」と呼んでいるそうです。さらに、気になるのは固体燃料を用いた弾道ミサイルの開発が進んでいる(日本政府関係筋)とのことで、首領様を侮っていたのはまずいと思いました。私が見落としているだけで、他のメディアによる報道が見当たらないのですが、この件は引き続き確認してゆこうと思います。

 ところで他のブログを読みながら考えていたのは、冷戦後の現在でも、冷戦期のような言論が多いのはなぜだろうということです。安部政権に批判的なことを書いたのは、もう少し安全という「実利」にもとづいて国民を説得してほしいということにつきるのですが、実は、冷戦期のような言説に食傷気味でした。ただ、このような言説がかなりの数にのぼっているのはなぜだろうと。冷静に考えると、安保環境の問題が基本にあるのではないかという当たり前のことに気がついたしだいです。

 ただ、麻生外相の「自由と繁栄の弧」に台湾が含まれていないのはけしからん(かなり単純化しておりますが)という類の批判を見ると、絶望的な気分になります。外務省のHPに掲載されている麻生外相の演説(「新たな安全保障環境における日本とNATO」(平成18年5月4日 ベルギー王国ブリュッセルでの北大西洋理事会(NAC)))で台湾海峡についても言及されています。この件に関しては、こちらの記事で触れました。また、報道でも部分的に取り上げられていましたが、安部総理の演説「日本とNATO:更なる協力に向けて」では中国との「共通の戦略的相互互恵関係」について言及された上で、中国の「急速な国防費の増大、透明性の欠如等のいくつかの不確実性」についても指摘がされています。安部総理の演説では台湾海峡問題への言及はありませんが、麻生外相の演説の内容を否定する話もなく、台湾海峡問題で中国の言い分を飲むようなメッセージは発せられていないということで十分だと思います。

 私自身の問題でゆけば、台湾海峡問題を重視するあまり、北朝鮮の軍事的脅威に関してあまりに軽視する傾向がありました。「時の最果て」の基本は「寝言」であり、「なまもの」は苦手(食べるほうは平気なのですが)なので、まとまりのある記事になるのかわかりませんが、次回は北朝鮮の軍事的脅威がもつ日米同盟へのインパクトについて考えてみます。

2007年05月13日

賢者様たちの「忠告」

(@時の最果て)

ハッシュ:zzz
ボッシュ:まあ、いつもの光景じゃな。ワシじゃ。
ハッシュ:ふわあ、なんじゃ、また、おぬしか。
ボッシュ:「また」と言っても、先週はお休みしたからのお。ちょっと間が開いておる。
ハッシュ:そうだったかね。
ボッシュ:連休中が思ったより忙しかったからのお。久々にガルディアへも行ってきた。それにしても、あのデブは相変わらずじゃな。雪斎さんというお方は、重度の障害を抱えていながら、海外でも活躍しているではないか。あのデブも飛行機の底がぬけないようにダイエットしてからではあるが、海外へでて視野を広げることが大切じゃな。くどいようじゃが、他の乗客に迷惑がかからないように、減量してからの話じゃが。
ハッシュ:ワシにはよくわからないんじゃが、あのデブ一人で飛行機というのは落ちてしまうぐらい、もろいのかね?
ボッシュ:…。まじめに突っ込まれると、困るんじゃが。それにしても、あのデブはよほど世間に疎いようじゃな。テレビを見たり、新聞を読むぐらいはした方がよいと思うぞ。
ハッシュ:ワシにいわれても…。あのデブの、本当に碌でもないことしか覚えておらぬが、記憶のおかげでテレビや新聞なるものも想像はできる。新聞は読んでおるようじゃな。テレビはりもこんだったかな。それが壊れてから、わざわざ電源をつけるのが面倒になったようじゃ。いずれにせよ、ワシにはちんぷんかんぷんじゃ。
ボッシュ:…。同じ名を名乗るだけあって似た者どうしというわけか。しかし、クラシックが好きなくせに、ヒラリー・ハーンを知らぬとはもぐりだぞ。ワシはCDはもっておらぬが、演奏会には何度かつれていってもらった。出不精はよくないのお。デブ性がひどくなるばかりじゃ。
ハッシュ:あのデブは人ごみが嫌いらしい。連休中も人が少ないところばかりを選んで外出しておったな。まあ、人が一杯集まっているところへ、あのデブのように三人分ぐらいのスペースが必要になる人間がただでさえ込んでいるところにでかけると迷惑じゃろ。名前を貸しているものとしては、その程度の遠慮ぐらいはしてもらいたいものじゃ。
ボッシュ:…。おぬしは、いつもきついのお。まあ、『寝言@時の最果て』などいつ見ても閑古鳥が鳴いておる。これも、あのデブにはふさわしいというわけか。
ハッシュ:その件に関しては、これまでも何度も言ってきたが、現在でも人が多すぎるぐらいじゃ。ワシとしては、ぺーじびゅーだったかのお、あれが1,000を切る状態にしてもらいたいものじゃ。今度、2,000を超える日があったら、きつく申し聞かせねばならぬ。
ボッシュ:…。なんというのか、目が点になるようなセンスじゃ。ワシにはついてゆけぬ。とりあえず、デブをなんとかすることじゃな。ただ、本当に痩せてしまうと、呼び方に苦労するゆえ、ほどほどでよい。…はあ、どうでもいい気分じゃ。ワシは帰るね。
ハッシュ:おやまあ。また、おいで。

 はいはい。ありがたいご忠告を賜り、恐悦至極でございます。オムロンの体組成計を利用しているのですが、データを歩数計で取り込めなくなっていて、修理にだしていました。この体組成計はすぐれものでして、体組成計のデータを歩数計で取り込んで、歩数系をパソコンに接続すると、毎日の歩数計のデータだけでなく、体組成計のデータもパソコンに保存され、変化が理解できます。対ソ生計の保証書を紛失してしまったので有償かと思いましたが、オムロンさんに丁寧な対応をして頂いて助かりました。久々に乗ってみたのですが、体脂肪率が23.4%と「危険水準」でした。この体組成計は便利でして、筋肉率も出て、こちらは31.7%。幸い、骨格筋量は維持しているので、動いて脂肪を燃やすという「王道」でダイエットに励んでゆく所存です。

 それにしても、「三人分」はひどいなあ。横の幅は人並みより一回り程度大きいぐらいだと思うのですが。内臓脂肪が多いせいで縦の幅は二人分ぐらいでしょうか。学生時代は高校のときに長距離をやっていたおかげでお尻が「きゅっ」という感じでしまっていたそうで(友人談)、アルバイトの帰りの電車で痴○の被害にあったこともあります。びっくりしておそるおそる振り返ると、いきなり触らずに一声かけていただければ(以下略)。

 久々にやじゅんさんのところで長いコメントを書いたら、果てました。言いにくいのですが、URLを入れると、アクセスが増えるので、コメント欄にメアドをいれなければならないブログではコメントを控えております(おかげでネットでも、デブ性もとい出無精になっております)。メアドだけ記入すればよいのですが、迷惑メールが山ほど来ていて、わざわざ増やすのもというのが正直なところ。それにしてもトラックバックスパムがこの10日ほど皆無で、びっくりしております。トラックバックに関しては受付後、私の判断で承認するかどうかを決めております。コメント欄については原則、無条件で承認としておりますが、累積アクセス数の多い記事に関しては例外的に、ごく一部ですが、受付後、私の判断で承認する設定にしております。コメントスパムの「被害」にはあっておりませんが、「無差別攻撃」を食らう前に一応、対策をしておりますので、申し上げておきます。過疎ブログなので大丈夫だとは思うのですが。

 本当にどうでもいいのですが、リファラでグーグルのトップページからのアクセスが結構な数であるのですが、ちと気味が悪いです。通常ですと、グーグルのURLに検索ワードが文字列で並んでいるのですが、いきなりグーグルのトップページがリンク元になっていて不思議です(管理画面ではこのURLがリンク元になっています)。ブログをはじめて1年を越えましたが、相も変わらず、わからないことのほうが多く、恥ばかりが増える一方ですね。

2007年05月12日

連休明けの一週間

 今週は、私自身がよく知らないネタをふられて困ることが多かったです。まずは、「日中友好」とディズニーランドのパクリ。私はテレビをまったく見ない人なので、未だにブツを見ておりません。あとは見る気もしないなあというの正直なところ。こういう報道がされること自体が、首脳同士が相手国を互いに訪問し、会談できるようになったからかなあという程度の感想。小泉政権下で日中関係が冷え込んだといっても、天安門事件の直後に比べれば…などと書いている時点でおじさんだということを自覚しますね。あの頃は、民主化に賛成する中国人留学生がまるで隠れるようにしていたことを思い出します。「日中友好」といっても、正常な外交関係に戻ったというだけで、あまり「親中」、「反中」と騒ぐ必要はないだろうというのが素朴な実感ですが。もっといえば、台湾海峡で大人しくしていてくれさえすれば、とくに中国人の方々に悪い印象ないです。知財の問題は、ディズニーランドのパクリのようにわかりやすい話はともかく、著作権あたりは「迷いの森」という印象で、私自身がわからないことが多すぎるというところ。

 これとならんで若い人たちによく尋ねられて、なにが問題なのかさっぱりわからなかったのが、安倍総理が靖国神社へ榊を奉納していたという話でした。「なにがどう問題なのか、まったくわからないから教えて?」と底意があるわけでもなく、素で尋ねると、まともに説明できる人がいない。「正当化」しようとか、「批判」しようとか、面倒なことを考えるゆとりもないので、尋ねてくる若い人に逆に教えてもらおうとしましたが、説明をさせると、本人がどうでもよくなるので、その程度の話なんだろうと。それにしても、小泉前総理の参拝のときには若い人から尋ねられた覚えがほとんどないので(時期の問題はありますが)、若い世代とひとくくりにしても、マスメディアで話題になっていることに関心をもつ人もいれば、もたない人もいて、申し上げにくいのですが、同世代や上の世代の方たちと同じく、「人生いろいろ」というところでしょうか。

 靖国がらみの話では、「富田メモ」がでてきたタイミングがタイミングだったので、こちらが過剰反応してしまいましたが、『卜部日記』は雪斎先生が書かれているぐらいで、あまり話題になっていない様子。『昭和天皇独白録』と比較すると、いわゆる「A級戦犯」への昭和天皇の評価が異なっている印象もありますが、御厨先生の検討が正しいのであれば、専門家の見解にしたがうだけです。正直なところ、宮中というのは私には遠い存在ですので。

 それにしても、あっという間に一週間がすぎてしまいました。中途半端に連休があるので、連休明けは疲れてしまいます。プライベートで最大の「成果」は、ヒラリー・ハーンの演奏をCDでではありますが、聴けたことでしょうか。カワセミさんのお勧めだから外れということはないだろうと思いましたが、正直、驚きました。18歳前後でバッハ、それも『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ』を十八番にしてしまうというのが信じられない。オイストラフは途中で自分の奏でたい音を奏でることができずに投げてしまったという伝説があるぐらいなので、録音しようというだけでも、かなり勇気がいるのではと思います。若い才能に触れて、とても気持ちよくなりました。本業で、ようやく「フリーハンド」の1年をえたのでとにかく成果をださなくてはと気がはやっておりましたが、こういう演奏に触れると、創造しようとする意欲のないところに創造はないけれども、創造を過度に意識するとなにも生まれないことを実感します。私の場合は、もう少し他人の意見を聞いたほうがよいと自分でも思うのですが。これは直りそうにないのかな。なんとかは死ななきゃ直らない、いや死んでも直らないとも言いますので。
posted by Hache at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言

2007年05月11日

天道家 消えたたこ焼の謎

 まずは、『日本経済新聞』賛歌から。書き漏らしておりましたが、「外交フォーラム イン 京都―麻生大臣と語る120分―」で「進行役」を務めていたのが、谷口外務副報道官。とある有名商社系エコノミストの方がある時期、二人ともグループでは「干されていて」と愚痴をこぼされていた幻聴を聴いたような記憶が。記憶が曖昧なので、きっと幻聴でしょう。もし、日本経済新聞社が谷口参事官のような人材をグループ内で使い潰してしまうのではなく、お国のために活用すべきと戦略的に社外へと追いやったのなら、本当に愛国的な新聞社だと手放しで賛歌を贈りたくなります。優秀な人材へお国のために涙をしのんで社外で活躍の場を与える日本経済新聞社、万歳!

【今日の『らんま1/2』】


 このシリーズが終わってしまったのではないかとクレームを頂きましたので、久々に「復活」です。それにしても、今の20代前半でも『めぞん一刻』は絶大な支持をえていて、驚きました。いかれた「外道」には正統派は苦手中の苦手でありまして、『らんま1/2』に話題をふると、驚くべきことに、このシリーズを全巻保有している若手が数名いて、ちとびっくり。「『らんま1/2』第38巻であかねを救うシーンが感動もんですよ」と話をふってくるので、うっかり、「あの飛竜仰天破(飛竜昇天破の応用技)は、すごいねえ」とか「まあ、最後はお約束の男溺泉(ナンニーチュアン)なんだけどね」と漏らしてしまいました。「○○さん、異常に詳しいすっよ」と「疑惑」が生じましたが、ひとり暮らしでは全巻保有は厳しいのおと煙に巻いて、事なきをえました。

 今回、ご紹介するのは天道家4名+居候3名に久能家のお庭番こと「佐助」(原作では五寸釘光がほとんど同じ役目をしています)なるTVアニメオリジナルキャラが登場する一本。最初の10分程度で「結末」はほとんど見えてしまうのですが、全体としてはサスペンスモノとして仕上がっていて、出来自体は中程度でしょうか。もちろん、原作にはない、TVアニメオリジナルです。かすみさんの雰囲気が微妙に原作とは異なりますが、この作品では天然だけでなく、ちゃっかりした側面が協調されています。

 以前から書きたかったのは、アイキャッチについてです。(2)の2分15秒あたりでアイキャッチが入りますが、この時期は、CM前がらんま×あかね(+Pちゃん)でCM後にはらんま×あかね(+Pちゃん)+玄馬というシリーズのほとんどを占める由緒正しい「作品」が使われています。私はこれがお気に入りで、このアイキャッチがTVアニメでは「最高傑作」という最高の評価をしております。

 それにしても、美人は得ですな。わたしなんてたこ焼きをおまけしてもらったことなど、この三十数年で一度もありませぬ。かすみさんなら、おまけも当然かな。それにしても、私の子ども時代の名古屋周辺のたこ焼きはひどいもので二個に一個程度たこが入っているという、貧困な「たこ焼き生活」を送っていました。昔、大阪で食べたたこ焼きには比較的、大きめのたこが一個一個入っていて、これが本当のたこ焼きだと目が潤んだ感動がよみがえります。


天道家 消えたたこ焼の謎 『らんま1/2』熱闘編第93話

(1) http://www.youtube.com/watch?v=vgNgc9OnfIw(9分30秒)
(2) http://www.youtube.com/watch?v=ZWm04A3cqpY(9分55秒)
(3) http://www.youtube.com/watch?v=NbdtGiUt11g(4分10秒)

2007年05月10日

ヒラリー・ハーンの奏でる無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ(J.S.バッハ)

 お世辞にも日常生活が規則正しい人間ではないのですが、最近は、ある快楽を覚えてしまい、夜9時からその快楽に溺れて、夜10時には寝てしまいます。こんなことを書くと、こちらから「格差社会」は本当にひどいと「爆弾」を飛ばされるのではとハラハラします。ぐうたららしく朝は6時ぐらいまでぐっすり眠ってしまうのですが。本題に入る前に、安達正興さんの「女王陛下のアメリカ征服」を拝読していたら、最初の1行で思わず参ったなあ、これじゃあ話が続かないじゃないと思ってしまいました。言いにくいのですが、「英米関係、アングロ-アメリカンの絆にくらべると日米関係などはママゴトだな〜」ですべて終わってしまう。「戦後レジーム」から脱却しようがしまいがどうでもいいから、とっとと、バカげた憲法解釈などくだらん議論など適当に済ませて、まともにせよとうっかり口走りそうになります。5月3日の『産経』で「解釈改憲」の四文字熟語を見てから、『産経』を読まなくなりました。あんたたちがいつもバカにしている左の人たちの用語じゃないのと思いつつ。「戦後レジーム」からの脱却に賛同し、主張しているうちに、20−30年前の議論、あるいは「戦後レジーム」まんまの議論に戻っていて、斜め読みしながら、この程度ですかね、国内の「マスメディア」はなんていう「寝言」未満のバカバカしさで、だんだんスルーしたくなってきました。

 というつまらない話は、月曜日以来、どうでもよくなって、ヒラリー・ハーンのメンデルスゾーン『ヴァイオリン協奏曲』から始まって、J.S.バッハ『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ』(私のもっているCDではパルティータ第3番→パルティータ第2番→ソナタ第3番)を1度目は真面目に、2度目は幸せな気分になって、寝る準備をした上で聴いていると、いつの間にかうとうとして、午後10時を回った記憶はあるのですが、そのまま寝てしまうという、いかにもちゃらんぽらんそのものの生活をしております。ひどいときは、朝5時頃に目が覚めてもう一回、パルティータを聴いていると、幸せになってニ度寝をしてしまいました。

 本来は、ヒラリー・ハーンを紹介していただいたカワセミさんの「宿題」、すなわち感想を書かなくてはならないのですが、感想とか面倒なことが思い浮かばず、聴いていて気もちがよくなって、寝てしまうという、「時の最果て」の「中の人」としては最上の「音楽鑑賞」をしております。子守唄になるようなクラシックが私みたいなすちゃらかな聴き手にはベストであります。これでおしまいとしたいのですが、カワセミさんが怒りかねないので、簡単に感想をば。かなり「辛い評価」もあると思いますが、カワセミさんを「釣る」意図はありませんので、誤解のないように申し上げておきます。

 ショスタコーヴィチは苦手なのですが、ショタコンはもっと苦手です。しょこたんは…。じゃなくって、ヒラリー・ハーンのおかげでショスタコーヴィチまで聴いてしまいました。迷惑だわね、こういう演奏家は。メンコン(「通」ぶるわけではなく、メンデルスゾーン『ヴァイオリン協奏曲』と打つのが面倒なだけですが)を聴けば、たいていわかる。CDの「おまけ」でも絶賛されているので、「賛歌」を書く必要もないでしょう。メンコンをらしく弾くのはあるレベルを超えた演奏家なら、誰でもというのは言い過ぎかもしれないですが、まあ、誰でもできる。奏でるのは少し敷居が高い。まさに「自然に鳴っている」いる感じ。テクニック的にどのレベルかというのは素人でもメンコンでわかるので、このあたりはコンセンサスでいいんじゃないのと思います。

 問題は、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ。とくに、第2番の「シャコンヌ」は異様。録音データを見ると、1996年から1997年の録音ですが、ちょっと信じられない。まず、メンコンのCDを見ると、美しいけれど、どこか幼さやあどけなさが残っているヒラリー・ハーンの写真が載っていて、いくつのときの録音だというのが気になります。解説には正確な生年月日が載っていないのですが、「1990年に10歳でフィラデルフィアのカーティス音楽院に入学したハーンは…(後略)」とあるので、1979年もしくは1980年生まれでしょうか。ということはパルティータを録音したときには18歳前後ということになる。ちょっと異様な感じがします。なんというのか、当時のティーン・エージャーには失礼千万な評価ですが、なんとも「ジジ臭い」演奏で安心して聴けてしまう。どこで、こんな演奏を覚えたのと、私が親だったら、小一時間は問い詰めたいところ。

 切れ切れそうになりそうな音を紡ぎながら、音が途切れるのではないかというぐらいたおやかで、しかも多くの演奏家が静かに演奏を始めながら熱してゆくところでも、冷ややかなまでに落ち着いていて、それでいて熱した演奏よりもはるかにしっかりと音が鳴っている。小憎たらしいぐらい。ちょっと信じがたいですな。こんなジジ臭いシャコンヌは聴いた覚えがない。

 さらに困惑したのは、メンコンを聴いていてもわからなかったのですが、パルティータとソナタを聴いても、低音を聞けばデル・ジェスではないのはわかるのですが、高音でストラディヴァリウスのようななんともいえない輝きはなく、それでいて、ストラディヴァリウスによる演奏でありがちな音が微妙に割れるような感覚がない。ソニーのヒラリー・ハーンのプロフィールには使用楽器が明記されていないので、確信がもてないのですが、どちらでもないんじゃないですかね。それにしても、曲への想いが先走りそうになるところをとことん抑制した上で、しっかり音が自然と鳴っている。なんだかいけないものを紹介していただいたカワセミさんに感謝いたします。

え゛っ!? これが「お礼」かよって!?

ま、「ここは時の最果て、すべては寝言」がお約束の糞ブログということでお許しのほどを。 
posted by Hache at 00:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 幸せな?寝言

2007年05月09日

日米同盟の双務性を高めるために

 今日は簡潔に。今の若い世代を見ていると、もちろん例外もあるのでしょうし屈折がないとはいえないのでしょうが、多くはこの国に生まれて育ってよかったと感じているように見えます。「焼け野原」から出発した世代から見れば、現在の30代でも少なくとも経済的には豊かな状態で育ったように映るでしょう。学生時代の話ですが、左翼の先生が東アジア(中国や韓国など)や東南アジアを旅行した学生が、昔と異なって旅行して帰国すると、みんな「ナショナリスト」になってしまうとこぼしておりました。ナショナリストといっても、通常の意味、すなわち排外的な傾向はなく、要は日本がベストということです。アメリカやイギリスでも、飯がまずいなどという贅沢を言う世代です。現在の20代はそれ以上に豊かな状態で育ってきているので、この傾向が変わる可能性は非常に低いでしょう。「愛国心」と言われると、ピンとこないでしょうが、自然とこの国がよいと思っているので、そこにもう少し国全体のことも考える視点が加われば、十分すぎるぐらいだと思います。

 現在、20代、30代の人たちが、あと20−30年もすると、民間部門でも公的部門でも日本社会の中心になるのでしょう。学力以外にも上の世代と比べて能力的に劣ると不安視する方も年配の方には少なくないようです。私自身が、この世代の、歳を食っている部類に入りますが、そのような懸念は否定できないとは思います。他方で、昔のようにイデオロギーや観念的な議論には惑わされにくいという側面もあって、上の世代の方たちが心配するほどではないという気もあります。暴論の極みでしょうが、昔の人が20年かけて勉強したことを今の若い人たちは30年かけて勉強していると思えば、遅いと言う批判はあるでしょうが、社会の維持が困難になるということはないのだろうと思います。

 私自身は、安倍内閣が進めている集団的自衛権の憲法解釈の正常化と日米同盟をより双務的にすること、さらに憲法改正にも賛成です。しかし、次に引用する安倍総理の談話は、観念的すぎて、次の20−30年を担ってゆくであろう20−30代の人たちを説得し、「教育」してゆくという意味では問題が多いと思います。

 このような状勢の中で、現行憲法の基本原則を不変の価値として継承しつつ、戦後レジームを原点にさかのぼって大胆に見直し、新しい日本の姿の実現に向けて憲法について議論を深めることは、新しい時代を切り拓いていく精神へとつながるものであります(「日本国憲法施行60周年に当たっての内閣総理大臣談話 平成19年5月3日)。

 とりわけ20代の人たちは、冷戦そのものを知らないので(「ベルリンの壁」といってもピンとこない方が多数)、観念的な議論にはなじみにくい印象があります。周囲の若い人たちにこの談話を読んでもらいましたが、何を言いたいのかがわからないという感想がほとんどです。要は、憲法改正をして自分たちにとってどのようなメリットがあるのか、まるで実感できないということにつきるのでしょう。安倍総理の談話の批判をしたいのではなく、日米同盟が、歴代内閣は国際協調を加えて外交政策の二本柱としてきましたが、専門的な知識がなくても、当たり前だというレベルになるようにしていただきたいということです。これはすこし要求水準が高すぎるのかもしれませんが、少なくとも、現在の経済的繁栄の基盤の主要な要素は日米同盟が支えてきたことを説得的に説明すれば、それなりに納得する問題だと思います。現在、安倍政権が進めようとしている施策が安倍政権一代限りのものであれば、現状のままでよいと思います。そうではないからこそ、これから20−30年にわたって受け継いでゆくべき外交政策の根幹をわかりやすく語っていただきたいと思います。

 集団的自衛権に関しては、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が設置され、「結論ありき」との批判もあります。いまさら「批判派」を加えて一から議論するという段階はとうに終わっていると私は考えますので、このような批判はあまり意味がないと思います。また、懇談会での議論そのものは専門的になることも当然だと思います。問題は、それがこれから日本社会で様々なレベルで影響力をもつであろう人たちが理解し継承してゆくかどうかということだと思います。この点で、現内閣からだされるメッセージはわかりにくいと思います。戦争後、イラクに大量破壊兵器がなかったため、小泉総理の記者会見(平成15年3月20日)はあまり評価されなくなったようですが、次の一節は、若い人たちにもわかる明快なメッセージだと思います。

 アメリカは、日本への攻撃はアメリカへの攻撃とはっきり明言しています。日本への攻撃はアメリカへの攻撃とみなすということをはっきり言っているただ一つの国であります。いかなる日本への攻撃も、アメリカへの攻撃とみなすということ自体、日本を攻撃しようと思ういかなる国に対しても、大きな抑止力になっているということを日本国民は忘れてはならないと思っております。

 2008年前後に「危機」が集中する可能性が高いのでしょうが、日米同盟は今後20−30年のスパンで考えてマネージすべき話だと思います。安倍政権が着手しようとしている課題は、まさにそのような問題であり、今後、この課題がクリアされた後も、持続的に国民的な理解(ある範囲に限定されるでしょうが)をえるためには、より明快なメッセージが必要だと思います。「戦略的広報外交」の対象は、外国だけではなく、国内世論でコンセンサスを築くということが除外できないと考えております。冷戦下で、失礼ながら「神学論争」をやっていた時期ならば、いざ知らず、現在は、ちゃんとした説得が行われれば、コンセンサスを築くこと自体は、やり方しだいではありますが、以前ほど困難だとは思わないのですが。

 自分の国は自分たちで守る。これが基本ではありますが、実際の能力を考えると、単独で自国を守ることができる国は、アメリカを除くとほとんどないといってよい状況です。そのアメリカとの同盟関係が、実際に戦争が生じること自体を抑止し、最悪の場合、現状を打破しようとする勢力が武力を行使した際には、ともに抵抗するのが自国の利益にかなうでしょう。あまりに雑な話ですが、自国を守るのは自分たちではありますが、その延長線上に自然と日米同盟が位置づけば、問題はないと思います。観念的な話自体が悪いのではなく、説得のためには、理念だけでなく実利をもってする必要があるだろうという程度の話です。

 もっとも、よけいなお世話なんでしょうが。市井の人には似合わない話題なので、このぐらいにしておきます。