2007年05月02日

『第一次世界大戦と日本海軍』メモ(8) 第3章(A)

【さくらインターネットからのお知らせ】

 本題の前にお知らせです。以前、管理画面へのアクセスが不安定だと書きましたが、4月28日から5月1日に障害が発生していたとの連絡がさくらインターネットからありました。

[障害]さくらのブログ

 なお、この障害を受けて、データベースのメンテナンスが下記の通り、実施されました。5月1日の午後5時から午後5時5分までコメントとトラックバックは受け付けない状態になっていました。ご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。ただ、記事を投稿しようとしたら、メンテ以前の状態になっていて、参りました。コメントへのリプライを書き込もうとすると、"502 Proxy Error"と表示される始末。いったい、どうなってるんだか…。5分で直さなくてかまわないので、ちゃんと対応していただきたいものです。

【重要】[ さくらのブログ 緊急メンテナンスのお知らせ ]

 ちなみにさくらインターネットから連絡がありました。原因については調査中とのことです。とりあえず、管理画面に接続できたので、記事を掲載します。しばらく不安定な状態が続くかもしれません。

[障害] さくらのブログ


【平間洋一『第一次世界大戦と日本海軍』(慶應義塾大学出版会 1998年)】

 今回は、第三章「太平洋における軍事行動と日米関係」に関するメモの一回目です。第3章(表記が漢数字になったり、通常の数字になったりしますが、原著からの引用、あるいは原著に忠実に記述する場合のみ漢数字を用いるものとします)は、第2章とならんで、注を含めて50頁ほどの分量になります。最も長いのが最終章の第6章で60頁弱です。本書の副題「外交と軍事の連接」からすれば、南洋諸島占領と対英豪関係(第2章)、対米関係(第3章)が重視されるのはもっともだと思います。

 やや形式的ですが、第3章の各節のタイトルを引用いたします。

第一節 巡洋艦浅間のマグダレナ湾座礁事故と日米メキシコ関係
第二節 日本海軍のハワイ警備と石井・ランシング協定
第三節 南洋群島の領有と日米関係

個々の対象は具体的で明確ですが、分析は本書全体を貫く特徴ですが、軍事だけでなく、外交政策と交渉、当時の国内世論や相手国の世論の検討など多面的に行われています。第二節をとりあげる際に触れますが、岡崎久彦『幣原喜重郎とその時代』では、石井・ランシング協定の背後には日米の関係改善に熱意をもつイギリス外交のサポートがあったことが指摘されています。この時期の日米関係は、対立と同時に協調の側面があり、結果から見れば、この時期に南洋群島の領有によって日米の緊張が高まる種の一つが蒔かれていたことになりますが、平間先生は冷徹に日米関係の「明」と「暗」を分析して、日米戦争必然論とは一線を画しています。

 他方で、日米が、ドイツという共通の敵から「解放」されれば、太平洋をめぐって角逐する可能性が高まることも指摘されています。話が飛躍しますが、本章を読みながら、ウィルソン主義が「帝国の時代」にとって代わることはなく、結果的に、日英同盟という安全弁を日本だけでなく、アメリカからも奪ったことの重大さを感じます。日本の世論は、本書では省かれておりますが、アメリカの排日運動にナイーブな状態だったこと(現在でも戦前から日本人のアメリカへの認識が本当に進歩したのかは怪しい部分がありますが)や、本章で示されるアメリカの世論のナイーブさ、外交の稚拙さなどを痛感します。

 第1節では、メキシコ内乱から書き始められていますが、ここを無理に説明すると冗長になりますので、後で簡単に紹介しております。この節の主題は、1914年12月31日、北米西岸においてドイツ東洋艦隊の追跡作戦に参加していた巡洋艦浅間がマグダレナ湾に入泊中、座礁した事故が日米の緊張を煽るよう、利用された事態を分析することです。1913年11月以降、巡洋艦出雲がメキシコ内乱によってメキシコ西岸で在留邦人保護にあたっていました。その後、出雲は、第一次世界大戦の勃発とともに、イギリスの要請で北米西岸の哨戒を行っていました。ドイツ東洋艦隊が北米方面に出現する可能性が高まると、1914年10月1日に出雲艦長指揮下に遣米支隊が編成され、旧式戦艦肥前(日露戦争の戦利艦)が10月8日に、巡洋艦浅間が11月10日に参加しました。肥前と浅間は、イギリス巡洋艦ニューカッスル、オーストラリア巡洋艦オーストラリア、カナダ軽巡洋艦レインボーと協同でドイツ東洋艦隊の追跡作戦に参加することとなりました。浅間の座礁は、この作戦中に起きた純粋な事故(「水路中央の海図未記載の暗礁に座礁」(108頁))でした。

 なお、マグダレナ湾は、カリフォルニアの南西に位置するメキシコのバハカリフォルニアの太平洋岸に位置します。これという地図が見当たらないので、こちら(直リンを避けるためにアドレスの一部のみ記載しておきます。ttp://www.lextours.com/baja/whale.html)をご覧下さい。

 事故当初は、アメリカ政府・海軍の対応も好意的でした。本書での描写は微妙な部分がありますが、アメリカの参戦が1917年4月(対独宣戦布告)であることを考えると、「中立」という建前に反しない範囲で情報漏洩の防止や浅間の修理に協力的だったと評価できます。なお、浅間の座礁後、アメリカ海軍は、1915年1月5日に砲艦ラリーを、6日には巡洋艦カリフォルニア(太平洋戦隊司令官ハワード少将乗艦)を派遣し、状況を調査するとともに、救助を行いました。

 ところが、驚くべきことに、1915年4月14日にロサンゼルス・タイムズ紙が一面トップで悪意に満ちた記事を掲載しました。同紙は、特派員ネイサンを派遣して5枚の写真ともに、タートル湾内で日本海軍が機雷を敷設してアメリカ艦艇の入港を拒否する可能性を示唆するばかりでなく、「日本政府は数時間で引き降ろせる軟土に浅間を座礁させ、それを口実に艦艇を集め基地を確保しようとしていると私は確信する」(110頁)との記事を載せてしまいました。長くなりましたが、浅間座礁事故そのものというよりも、この虚報に集約される日米墨の関係が分析の対象です。

(1)メキシコの「思惑」

 1911年のメキシコ革命を主導したのは、アメリカの支援を受けたマデロでした。マデロの急進的な改革が国内の混乱を招くと、アメリカ駐メキシコ大使ウィルソン(Henry Lane Wilson 第28代アメリカ合衆国大統領Thomas Woodrow Wilsonとは異なる)は勝手にウエルタを支援して1913年2月にクーデタを惹起して、マデロを失脚させてしまいました。英仏独日はウエルタ政権を承認しましたが、アメリカはタフト政権からウィルソン政権へ交代すると、ウエルタ政権を承認せずにマデローの流れである立憲派の北部コアウイラ州知事のカランサを支持しました。1914年7月には、ウエルタは大統領の職を辞任してカランサが暫定大統領となりました。しかし、メキシコ国内は、アメリカの強引な干渉と国内の有力者ヴィヤ将軍がカランサ政権を支持しないなど内乱状態にありました。

 日本は、1913年11月に出雲をメキシコのマンサニョに派遣するにあたって、日本駐在の英米独仏の各大使に派遣の目的は邦人保護であって、「ヴィジット・オブ・コーテシーではないことを通告」(111頁)しました。しかし、安達峯一郎駐メキシコ公使は、出雲の派遣を要請する際に「特別ノ御詮議ヲ以テ『ヴィジット・オブ・コーテシィ〔Visit of Courtesy―公式な親善訪問〕トシテ帝国軍艦派遣ノ件至急御決定相成様致度、切望ニ堪ヘス」という要請を行っていました。露悪的に平間先生の叙述を表現してしまうと、当時の政府は、公式には親善訪問であることを否定して、内実では公使の言い分をのんでいたということになります。

 メキシコ側は、当然のごとく、「出雲の派遣を邦人保護としてではなく、日・メキシコ友好親善を強化する『ヴィジット・オブ・コーテシー』と大々的に報じ」(111頁)ました。ニューヨーク・タイムズがこれを批判するなど話がこじれました。さらに、困ったことに「安達公使は渋る森山艦長を押し切り、艦長など士官一五名を首都に呼び国威発揚に利用し」(111頁)てしまいました。このあたりは、「デフォルトするぞ」と脅してリスケを迫るメキシコの弱者の「狡猾さ」に軽薄な公使が自ら音頭をとっているようで実は乗せられているように見えてしまいます。

 平間先生の分析から外れてしまうのですが、アメリカのウィルソン大使、日本の安達公使、いずれも「困ったちゃん」です(まあ、陸軍以前に、この時点で公使が「暴走」しているわけですが)。他方で、日本の「本音」と「建前」、アメリカの政権交代による180度といってもよい方向転換とナイーブさの方向は異なりますが、日米双方の外交の稚拙さが垣間見れます。さらにいえば、アメリカのナイーブさは、少なくとも、この問題に限定する限り、結果としてカランサ政権が1917年に現行憲法を制定する結果になったという点で救われているのにたいし、日本のナイーブさはアメリカの反日感情を煽っただけに終わったという点に興味がゆきます。完全に「紹介」から離れますが、端的にいえば、アメリカの国力を考えれば、二手間違えても、自滅の危険がないのに対し、日本は二手間違えると、危ういという程度に差があったのでしょう。私自身は、この虚報事件自体は小さな出来事だと思うのですが、いろいろな意味で日米の「ナイーブさ」が集約されていて、平間先生の緻密な分析を外れて「寝言」をぶつぶつ呟きたくなります。

(2)日米関係

 人種問題は、当時の日米関係を著しく損ねていました。カリフォルニアの移民問題が有名ですが、浅間座礁事件も、最大限、排日のために利用されました。ロッジ上院議員は、メキシコに海軍基地を日本が獲得する危険を喚起し、大統領に調査を要望する決議案を通過させました。当然ではありますが、「第六二議会で大統領は、直接又は間接に日本がメキシコで土地を取得しようとしている証拠はないとの調査結果を発表した」(113頁)。しかるに、以下に引用する事態になりました。

 しかし、ロッジ議員はこの説明に満足せず、モンロー主義の太平洋への最初の適用ともいわれた次の決議案を提出し、八月ニ日に五一対四で上院を通過させた。

「合衆国の交通若しくは安全を脅威するが如き位置にある港又はその他の場所を、米国以外の外国政府、会社あるいは個人が海軍若しくは陸軍用の目的を以て所有することを重大視せざるを得ない」(113頁)。
 

ニューヨークの日本協会は、「日米開戦不可能の理由十一項目」を新聞広告に掲載するほど、「日米開戦」の噂が広がっていたことも指摘されています。よけいな感想ですが、日米同盟、あるいは日米安保体制のおかげでこのようなアメリカの「ブレ」が抑制されていることを、当時と現在では時代背景が異なるとはいえ、しみじみ実感いたします。この恵まれた環境で外交が難しいなどといってはならないとしみじみ思います。

(3)アメリカ海軍の対応

 ロサンゼルス・タイムズ紙の報道にアメリカ海軍も反応しました。まず、1915年4月17日にニューオーリンズを派遣し、艦長ヘンドリクソン大佐が報道を示して「暗ニ状況視察ノ意ヲ漏ラシ」(114頁)たものの、「滞在時間も短く極めて形式的」(114頁)な派遣に終わりました。さらに、太平洋予備戦隊司令官ポンド(Charles F. Pond)少将が、 4月15日のサンディエゴ・ユニオン紙で、ロサンゼルス・タイムズ紙の報道を痛烈なまでに批判しました。ヘンドリクソン大佐もサンディエゴ・ユニオン紙でロサンゼルス・タイムズ紙の報道を明確に虚報であることを示す報告(一例として、浅間が座礁したのは軟土ではなく岩礁であるなど)を行いました。サンディエゴ・ユニオン紙は、当時の「責任ある新聞」というところでしょうか。

 注目すべきは、アメリカ海軍の対応に関する平間先生の叙述で引用されている駐米イギリス大使スプリング・ライス(Sir Cecil A. Spring-Rice)の報告です。
 
「…(前略)日本が対華二十一ヶ条の要求を完遂し、東洋における覇権を確立することにアメリカが干渉するならば、対米戦争も辞さないとの意志を示すため、故意に浅間を座礁させ、救助を名目に艦艇を集め、アメリカに圧力を加えているとの『うわさ』(原文では縦書き引用になっているが、文字化けするため、二重かぎかっこに転換した:引用者)を流布している。アメリカ海軍当局は単なる反日キャンペーンに過ぎないと確信しているが、最も危険なのはカリフォルニアにおける世論の動向である」(115頁)。

 簡潔ですが、実に的確な観察だと思います。情勢判断の基礎は正確な情勢観察であることを実感させられる報告です。もちろん、イギリス外交がすべて正しい情報の基礎の上にあったわけではないのでしょう。死んだ子の齢を数えるようなものですが、日英同盟が情報という点に限定したとしても、各地の大使館など公的機関から集まってくる情報を共有するだけで、帝国が「頓死」する確率は格段に下がったであろうと思わずにはいられません。第2節では、日米海軍協定にもとづく日本海軍のハワイ警備行動が対象となるために石井・ランシング協定もとりあげられていますが、残念ながら、石井・ランシング協定の背景にイギリスの仲介があったことは触れられておりません。第2章ではイギリスの錯誤が強調されていましたが、平間先生の叙述を丹念におってゆくと、浅間座礁事故のように細かい話といっては失礼かもしれませんが、このような問題でも、イギリスの情勢分析の正確さには驚きます。もちろん、ニコルソンが古典的著作で描いたような理想的な外交官像がすべてのイギリス外交官にあてはまるわけではないでしょう。場合によっては、日米の外交官よりも野卑な例外もあるでしょう。他方で、クロー覚書に代表されるイギリス外交の情勢分析は、イギリスの覇権からアメリカへの派遣の移行期にあると見られている時期においても、むしろ他国から抜きんでた高い価値をもっていました。日英同盟は、日露戦争の勝利とその後の三国協商によって日英両国にとって戦略的価値を減じたと理解している場合が多いようですが、少なくとも日本側に限定すれば、当時の世界で最上の情報がえられるというだけでも、同盟存続の意義は大きかったと思います。

 なお、115頁の末尾から119頁まで「虚報の原因」の分析が行われていますが、安達公使の「暴走」、三井物産など民間業者の関与など日墨の利害関係に加えて、「黄禍論」を広げて日本と同盟したイギリスとアメリカの離反を図ったドイツの「陰謀の影」などが実証的に示唆されていることを記すに留めます。ドイツの「黄禍論」は、当時の日米関係を悪化させるのにある程度まで貢献したのでしょうが、そうでなくても、アメリカ国内、とりわけカリフォルニアの排日運動は、観念的な問題ではなく、日本からの移民に経済的競争に敗れるかもしれないという、カリフォルニアのアメリカ人からすれば、はるかに切実な現実に起因するところが大きいでしょう。また、メキシコ問題に関していえば、「黄禍論」よりも現場の公使の「暴走」の方が、赤裸々なまでに機会主義的で、こちらの方が、日本外交にとってより大きなダメージとなったように平間先生の叙述からは感じました。

 『第一次世界大戦と日本海軍』から完全に離れてしまいますが、平間先生が叙述されていることと叙述していないことを考えてゆくと、あらためて日英同盟が日本にとって戦略的意義を失っていなかったことを実感いたします。第5章で、地中海への特務艦隊派遣と陸軍の派兵問題がとりあげられるのですが、特務艦隊の派遣は成功裡に終わったものの、陸軍の派兵への世論の反応はあまりにもナイーブでした。当時の日本人を批判することが目的なのではなく、欧州への派兵の戦略的価値を理解することは非常に困難でした。同盟の戦略的価値を自覚的に追求することの難しさを感じます。欧州への派兵は目に見える同盟の「コスト」ですが、情報という見えない「効果」あるいは「ベネフィット」というのは、今日でも評価が難しいでしょう。完全に飛躍しますが、このような同盟の総合的な「マネジメント」を確立してゆく意識的な努力を欠いては、集団的自衛権の行使に関する解釈をまともにしただけでは、形だけになるでしょう。現状では、解釈を正常化することが最大の課題ですが、より長期的に同盟を「マネジメント」してゆくしかけをつくってゆく、不断の意識的な努力が不可欠だと考えます。

 最後に、日米双方の「ナイーブさ」をとりあげましたが、アメリカのナイーブさは、徹底した三権分立に象徴されるチェック・アンド・バランスの下での逸脱行為であることも少なくなく、さらに、カリフォルニアの排日運動に関していえば、州と連邦というアメリカ独特の問題も絡む、問題です。徹底した分権的社会では、ある局部のみをとりだせば、一時的には極論が世論を支配しているかのように見えることもあるでしょう。しかし、浅間座礁事故への対処と「虚報」へのアメリカ海軍や政府の対応は、中立という国際法上の立場からゆけば、穏健であり、概ね妥当であると思います。また、逆に行政府の「誤り」は、様々な立場から是正する圧力がかかります。

 今回の記事で述べたことは、現代とは時代背景が大きく異なります。しかし、アメリカが徹底した分権的社会であることを忘れて、アメリカの一部の大きく見える声を過大評価してしまうのは、アメリカとのおつきあいで最も危険だと思います。アメリカを美化するのが目的ではありません。アメリカとの関係は、すべてにおいて互恵的であるとは限らないでしょう。利害が一致しないことも少なくないでしょう。この国が、長期的に生存を考えるときに、アメリカという巨大な変数をどのように評価してゆくのかは、単にアメリカの軍事力だけでなく、彼らが世界中から頭脳を集め、様々な地域で利害を調整し、そのために情報を収集している現状を考えると、過小評価ほど危険なことはないと考えます。

 第1節だけでずいぶん長くなってしまいました。このシリーズを再開して実感したことをとりとめもなく、あるいは「寝言」を長々と書いてしまいました。最後までスクロールしていただいた、忍耐強い読者の皆様に心より感謝の念を申し上げます。