2007年05月06日

やっぱり「衰退史」?

 平間洋一『第二次世界大戦と日独伊三国同盟』(錦正社 2007年)を手にとりましたが、第1章から、おそらく著者の意図とは逆に絶望的な気分にさせてくれる、叙述が連続して、なんともいえない気分になりました。満州事変、それも、日満、日独、独満の貿易が両国を接近させたというあたりで嫌気がさしますが、1941年のヒトラーやリッベントロップと松岡洋右の会談でシンガポール攻撃が議論されていたあたりは常識なのでしょうが、本当に絶望的な気分にさせてくれます。幸い、この際には海軍が消極的だったので、ヒトラーの「戦略」に乗って「自爆」したわけではなく、救いがないわけではないのですが、結果としてみれば、同じことをやってしまうわけで、どうにもならんなあと。さらに絶望的な気分にさせていただいたのが、第12章「海軍・外務省の戦争責任と東京裁判史観」で、戦時に戦争への政治的リーダーシップがまったくといってよいほど欠如していたことを、著者の意図と反してここまで抉った著作も珍しいのではないかと思いました。外務省だけが戦後、いい子ぶってというのはわからないでもないのですが、ここまでセクショナリズムが引っ張られていたということを示されると、つくづく、帝国は滅亡するべくして滅亡したという気分になってしまいます。

 まだ、全部を読んだわけではないのですが、コミンテルンの暗躍がゾルゲ事件で劇的に示されたように、政治的リーダーシップを妨げた側面はあるのでしょうが、防諜という観点から、このような暗躍を許した脇の甘さが理解できない。「防共協定」を結んでいながら、「防諜」はできなかったようで。政党からも軍からも官僚からも政治的リーダーシップが発揮されなかった悲劇が、通説とは異なった観点から示されていて、非礼ではありますが、通説以上に、絶望的な気分になります。ヒトラーの「戦略」でも、ルーズベルトの「罠」でも、コミンテルンの暗躍でもなんでもよいのですが、要は、通説から離れると、さらにこの国の運命がこの国自身から離れていたことを感じてしまいます。戦前の政治的指導者が絶望的に無能に見えてしまう。

 「反共」にしても、ゆきすぎれば、右の全体主義となるだけで、「敵」とたいして変わらなくなってしまう。さらにいえば、ヒトラーは単に右の全体主義というだけでなく、事実上、大英帝国を解体しようとし、英米の覇権へ挑戦していた事態の評価が抜けてしまっている。戦時中の米兵の意識が「人種差別的」と言われても、直接、アメリカ本土へ攻撃した国とそうでない国とで差があるのは当然だと見えてしまう。結果的に真珠湾攻撃が戦略的に日本の選択肢を消してしまったということがまるで見えなくなってしまう。「東京裁判史観」の見直しは、やりたい方はどうぞというのが正直な気分ですが、こうも政治的リーダーシップの欠如が浮き彫りなるというのは、想像を絶します。ナチスを裁く流儀を日本に持ち込んだのはどうかねえとは思いますが、それを「見直す」話になると、よけいに絶望的な気分に。

 戦前の失敗というのは、ナチスが英米の覇権に挑戦し、それに加担することがどのような意味をもつのかということに関して、当時の政治的指導者がどのように認識していたのかという点に尽きてくると私は思います。しかも、真珠湾攻撃はアメリカ本土への攻撃であり、ルーズベルトの仕事を容易にしてしまった。このあたりは、平間先生は百も承知で、通説では描かない部分を描くことで異なった「絵」を描かれようとされたのでしょう。ただ、あまりに赤裸々に戦前の意思決定に整合性がなかったことが通説以上に目立ってしまい、ナチスと異なって、沖縄を犠牲にし、原爆が投下され、ソ連の参戦後という、「最後の最後」とはいえ、「損切り」ができたあたりがわからなくなってしまう印象があります。このあたりの機微は、私にはいまだによくわからない。

 ただ、あの戦争を善悪是非の観点から離れないと、どうにも見えてこない部分があることを感じます。また、それが限りなく「神の視点」に近いことも。時代がたてば、個人の毀誉褒貶から離れて、もう少し違った視点から見ることができるかもしれないと考えておりましたが、容易ではないことを感じます。「時の最果て」では、フランス革命以降、フランス、ドイツ、ロシアの興隆と衰退に似たようなプロセスがあるのではないかという強引な前提に立って、この国の戦前史を見たらどうなるのでしょうという、非常にちゃらんぽらんなアプローチですが、まだ、あの戦争について語ることが難しいことを平間先生の著作を拝読しながら、しみじみ実感いたします。もっと憂鬱なのは、経済的な繁栄とは区別される、この国の「衰退」に私たちの世代が中心となったときに歯止めがかかる自信がもてないことではありますが。集団的自衛権の問題にせよ、憲法改正にせよ、ある範囲内で党派性をもつのはやむをえない気がいたしますが、過度に党派的な文脈で論じられているのを見ると、私どもの世代でこのような「壁」を乗り越えてゆけるのだろうかと不安になってしまいます。
posted by Hache at 17:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 不幸せな寝言