2007年05月15日

東アジアの「冷戦」と日米同盟(1)

 まず、2006年5月4日の麻生太郎外務大臣の北大西洋理事会における演説「新たな安全保障環境における日本とNATO」からの引用です。


 2001年9月11日は新たな時代の幕開けでした。冷戦中は、我々が直面している脅威の種類は既知のものでした。しかし、9.11後の世界で、いつ、どこで新たな脅威が現れるかを予見することの困難さに我々は気づいています。
 その一方、我々の地域で根底にある安全保障上の構造は、欧州のそれとは大きく異なっていることにふれなければなりません。アジアでは、過去の時期の残滓、冷戦型の構造がまだ存在するといわれます。例えば北朝鮮は核能力開発を認めています。台湾海峡をめぐる問題も、未だに残っています。
 この地域の新たな動きは、中国の台頭です。我々は、地域及び世界において中国が責任ある役割を果たすことを歓迎していますが、軍備増強の透明性については、東アジアの安全保障環境に与えうる影響に鑑み、我々はよく注視しなければなりません。

 以前にも触れたように、公式の外交ルートでこれだけ踏み込んだ表現は珍しいと思います。もちろん、公式の外交では「馬は馬、鹿は鹿」というのは得策ではないことがほとんどです。ここでも、「馬は馬、鹿は鹿」と言っている人がいるという表現です。英語ではより論理が明確です。

 I often hear that in the Asian region, remains of the former era, a Cold-War-type structure still exists. For example, North Korea admits developing nuclear capabilities. Taiwan Strait matters still remain as issues.

 「自由と繁栄の弧」演説は広く読まれているようですが、こちらの演説についてはあまり省みられていないようです。「冷戦構造」が残っているという明言は避けられていますが、北朝鮮の核開発は事実の問題として、あくまで北朝鮮自身が述べている形で触れられてはいますが、扱われています。以前、こちらでも書いたように、驚くべきことに、台湾海峡が問題が問題として残っていることを婉曲表現すらなく、述べた上で、さらに、中国の「台頭」について述べられています。繰り返しになりますが、公式の外交ルートでここまで発言すれば、意味するところ明白です。アジアではヨーロッパと異なり冷戦構造が残っている。「冷戦構造」の対極にあるのは中国と北朝鮮である。

 この演説は、小泉政権下のものです。安部政権ではこの演説の認識は変化したのでしょうか。2007年1月12日、同じく北大西洋理事会で安部晋三総理大臣は、「日本とNATO:更なる協力に向けて」という演説をされました。麻生演説ほど明確ではありませんが、中国との「対話」の継続という形でNATO諸国に日本のおかれている状況を説明しています。

 東アジア地域において、中国は国際社会全体に素晴らしい機会を提供しています。私達は中国が地域において果たすべき責任ある役割を十分に認識しています。私は10月に訪中した際、中国側首脳との間で、共通の戦略的利益に基づく相互互恵関係の構築に合意しました。
 同時に、私達は、急速な国防費の増大、透明性の欠如等のいくつかの不確実性が中国を取り巻いていることも理解する必要があります。中国の行く先を引き続き注意深く見守る必要があります。また、中国がこの地域の安全保障環境改善のため、一層多くの責任を分かち合うよう、中国政府との間で対話を継続する必要があります。このため、価値を共有するパートナーたちは、協力を強化していくべきです。

 気をつけなければならないのは、日中関係、米中関係にはまだ「鉄のカーテン」以前の状態だということです。米ソ冷戦のような、通商上の利益がほとんどといってよいほど、イデオロギーと勢力圏争いが一体となった超大国同士の対立の方が珍しいのかもしれません。また、現実にはソ連がアメリカと対抗しうる十分な軍事力を維持することができたのは、ごくわずかな時期でした。冷戦の末期しか知らないせいでしょうが、アメリカが突出した覇権国家であり、1980年代の前半には当時、中学生だった私にも社会主義国の退潮は明らかでした。結果論になってしまいますが、ソ連は右の全体主義に打ち勝ったあと、英米の覇権に挑戦して敗れたという身も蓋もない実感があります。他方、中国はソ連という前例を見ているからなのか、国内体制の相違なのか、わかりませんが、共産党の一党独裁という政治体制を維持しつつも、経済的相互依存関係に積極的に関与し、日本はともかくアメリカを決定的に敵に追いやるような行為は自重しているように見えます。もちろん、台湾の独立を脅かすような愚を犯せば、話は別です。その可能性はかならずしも少なくありません。他方で、本省人が総統であれば、中国が台湾を「のみ込む」のは難しいという観測もあります。その場合も、中国は台湾に対して「文攻武嚇」を続ける可能性が高いでしょう。アメリカはアジアでの外交が苦手な印象もあり、ある程度まで中国が成果を収める可能性も十分にあるでしょう。

 他方で見込みとしてはあまり期待できませんが、中国が台湾に深入りしすぎたと感じ、退路を探るときには日本が退路を断つような真似をする必要はないと思います。「いい子ぶった」議論のように聞こえるのかもしれませんが、この国は現状を維持することで十分、利益をえている以上、現状を変えようとする勢力が事を起こす前に手を引くのが理想的だと考えます。ただし、中国がアメリカの武力介入を招くような事態を惹き起こした場合、遠慮なくアメリカの側にたって中国の野心を挫折させるのが望ましいとも思います。中国が台湾を併合する事態にいたった場合、それは単にシーレーンの問題に留まらないことは、岡崎久彦「台湾の戦略的価値」が示していると思います。もちろん、事前に起こりうる事態を予測することがかえって予期せぬ事態への対応を鈍らせてしまうこともありえるでしょう。他方で、岡崎先生の見通しは、軍事に留まらず、経済や政治はもちろん、国際秩序に与える影響と広範な視点で検討されており、その見通しどおりになるかどうかということ以上に、視野を広げるという点で私にとって非常に刺激的です。最悪の場合、英米の覇権への挑戦を挫く側につくことは、様々な意味でこの国の利益にかなうことを実感いたします。さらにいえば、「戦後」はこれで名実ともに終了するでしょう。

 これは蛇足ですが、敗戦国の再軍備は、負けた側が望んでも非常に難しいものですが、この国の場合、戦勝国、それも戦後も国際秩序を担保するアメリカが望んだのにもかかわらず、遅々として進みませんでした。それでも1980年代には正面装備は整い、現在では、世界で有数の軍隊をもっていながら、「自衛隊」と呼び、「憲法上の制約」によって実力部隊を「実力」として使わないと公言している奇妙な国です。しかも、外務大臣は、露骨な表現は避けているとはいえ、普通に読めばヨーロッパと異なってこの国をとりまく環境は危険ですよと述べいるわけです。総理大臣はもっと穏やかな表現ですが、同工異曲でしょう。軍隊を使わずに済ませるのが最上ですが、最悪の場合、使う覚悟があってこそ、そのような外交が成立するのが普通だと思います。いかれた「外道」には、自衛隊を軍として認め、最悪の場合、使う覚悟があることを示すことが平和を維持するための最低限の前提であろうと思います。その場合、わざわざ同盟国であるアメリカと共同で対処する選択肢を排除する必要はなかろうと。集団的自衛権の問題は、それだけではないのでしょうが、この国の安全というこれだけは国が担保してもらわないと困る問題ではそのように考えております。

 話がそれました。本題に戻ります。そのような意味で中国が台湾に深入りしないよう、抑止を確実にする一方で中国との対話を行う。それを「冷戦」と呼ぶのか、「日中友好」と呼ぶのかは個人の好みに属する問題でしょう。ただ、東アジアで「冷戦構造」の残滓が存在するという場合、私は台湾海峡の問題に過度に目がゆきすぎていて、普通の方がより切実な脅威に感じる北朝鮮を軽視しておりました。「虫歯」などという失礼な表現をしたこともあります。冷静に見れば、北朝鮮の政治体制は冷戦後もまったく同じで、経済面での開放は遅れています。もちろん、核開発やミサイル開発、拉致問題など直接の軍事的脅威をこの国に加えています。その中でも、核開発がどのような戦略環境の変化をもたらすのかには非常に鈍感でした。この点を気がつかせてくれたのが、長島昭久さんのブログの記事でした。前ふりが長くなってしまって恐縮ですが、次回はこの問題について論じます。