2007年05月24日

いかれた「外道」の同盟「論」

 水曜の晩から「寝言」も浮かばないぐらい眠たくなってしまい、眠りこけてしまいました。夜10時すぎに、薬を使う必要もなく、ヒラリー・ハーンの演奏を聴いたわけでもなく、久々にぐったりして眠ってしまいました。まあ、とにかく寝不足だったことに気がついたしだいです。『三國志』シリーズ最新作で董卓の顔がどうなっているのだろうと、体験版をダウンロードしたところ、チュートリアルだけが試せるというので途中までやってしまい、ハッと気がついたら、全武将の情報を見ることができるウィンドウが現れたので、見ていたら、董卓の名前がなく、茫然。気がついたら、呂布が董卓を屠った後のシナリオらしく、董卓のデータ自体が存在しない状態でした。

 そんなこんなでがっくりきたせいもあって、寝てしまいました。基本的に内政をやりつくしてから出陣するタイプで、なおかつ相手をとことん弱らせて、戦闘は形のみというのが理想です。巧緻な戦法を考えるようなタイプではなく、敵の3−5倍の兵力を準備するか、敵の兵力を自軍の5分の1程度まで削ってから、すり潰すというのが基本。『信長の野望』ですと、鉄砲ぐらいでしょうか、好んで使うのは。ほとんど野戦にならずに攻城戦になるので、槍兵あるいは長槍隊が主力。火力も使いますが、ひどいときには大名だけが一部隊を動員できる状態になってから「戦争」をしかけるので、「戦争」といっても名ばかりだったりします。

 実際は慣れるまで、負け続けることが多く、『天下創世』の合戦シナリオなどは手も足もでずにやられてしまったことが多々あります。とくに、徳川家康の最後が大坂城攻めなのですが、真田幸村が以上に強くて参りました。こういう野蛮人は苦手だわねと捨て台詞だけ吐いて逃げたい気分になります。秀忠が役立たずで、なおかつ規模ばかりでかいので、苦戦の末、「銀」。後は全部、「金」だったので、なんとか「天下人」の称号を手に入れましたが、これより難易度が高いはずの武田信玄ですら、全部、「金」だったので、不覚。織田信長シナリオの最後が「本能寺」でこれはどうかなと。信長、信忠親子が「雨鉄砲」(名前の通り雨でも使える)なので、明智光秀の部隊をひたすら鉄砲で狙って混乱させると、あっという間に全滅してしまう。これはいかがなものかと思いました。

 『信長の野望』シリーズで笑えるのが、「支配」−「従属」。弱小大名の場合、強い大名に「従属」して安全を保障してもらうのが戦略の一つだそうです。私の場合、「支配」しかしたことがないのですが、ここまでやると、もう、相当すごいなと。弱小大名の生き残りは真剣なものがあります。支配すると、従属した大名に「戦争協力」を強要できるのですが、たいてい役に立ちそうにないので、スルー。プレイヤー大名以外の大名をすべて「従属」させてしまうと、「天下統一」とあいなります。

 唐突ですが、佐瀬昌盛『集団的自衛権』(PHP新書 2001年)次のような政府解釈が引用されています。 

 「国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」(125頁)。

 この「八一年『答弁書』」がいかにひどい話であるかを佐瀬先生は前半で集団的自衛権という権利が生まれた経緯から、集団安全保障と個別的・集団的自衛権の関係、集団的自衛件の発動の要件などを詰め、論理的に憲法上、集団的自衛権を有しているのか、内閣法制局は明確にせよと法理の核心の部分にいたり、最終的にこのような憲法解釈では日米同盟は維持できないであろうという現実的な利害の核心部分にいたるという構成。この著書が出版された頃には、政府答弁が70年安保を乗り切るために、「七二年『資料』」で政府答弁が曲げられたこと、さらに、「八一年『答弁書』」で法理としてもひどいものになったという指摘がされていて、ずいぶん話題になりました。「八一年『答弁書』」がでたのが鈴木善幸内閣で、正確な時期は忘れましたが、訪米直後に鈴木総理(当時)が、日米安保に軍事的側面はないかのごとき発言をされて、新聞にも載っていたので、とりあえず嫌がる教師に日米安全保障条約の全文の「ありか」を教えさせて、読んでみてびっくりしました。これが軍事同盟でなくてなんなのか。当時は、中学生ぐらいでしょうから、ど素人の目でしたが、「わけのわからないことをいう総理だなあ」という実感だけが残っていました。当時は、日米安保の是非というより、なにが問題なのかがわからなくて興味本位でしたが、ありゃまという感じ。

 それにしても、政府解釈の変更になぜ内閣法制局が「抵抗」するのかがわからないという感じ。個人的にはこの答弁書を「文字通り」読むと、「わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまる」のであれば、個別的自衛権の範囲でなんでもありという可能性もあって、個別的自衛権と集団的自衛権を区別して集団的自衛権はダメというのは、実は自衛隊を個別的自衛権の行使のために極限まで増強せよということかという「寝言」が浮かんでしまいます。まあ、そんな覚悟もなく、国会対策上、論理を弄んでいるうちに、新ガイドライン、周辺事態安全確保法ときて、軍事的にも、素人が見ても、わけのわからない話になってしまったという印象でしょうか。集団的自衛権の行使に関する憲法解釈の「変更」というのは、結局、内閣法制局問題というのが、正直な実感です。有識者懇で内閣法制局に「退路」を与えるのか、「白旗」を掲げさせるのか、「力攻め」にするのかはわかりませんが、佐瀬先生に怒られる(こんな「時の最果て」というより、「最果て」の地を御覧になっているとは思えませんが)のを覚悟で、私なりに「逃げ道」をつくってみると、安倍総理が示した四類型に関しては、集団的自衛権は行使できないという解釈はとりあえずそのままにしておいて、「わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまる」から例外として認めるというぐらいでしょうか。これも、個人的には納得がゆかない部分が多いのですが、これすらできないとなると、「無条件降伏」をどうやって内閣法制局に迫ってゆくのかという話になって、これはこれで大変だなあと思います。

 ゲームのやりすぎでしょうか(とはいっても、最近はプレイをしたわけではないのですが)、バカげた同盟だなあとちょっと突き放してみてしまいます。私が、アメリカ大統領だったら、朝鮮半島有事で真っ先に「攻撃」するのは平壌じゃなくて内閣法制局だったりして。 
posted by Hache at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ふまじめな寝言