2007年08月04日

究極の再チャレンジ

 7月29日に安倍総理があっさり続投表明をするのを見ながら、想定どおりだなあと思いつつ、ふと浮かんだ安倍総理の「再チャレンジ作戦」がありました。名づけて、"I shall return:安倍の180日間の戦い"というちゃらんぽらんな「再チャレンジ作戦」です。政治オタクではないので、ディテールが粗い、というより出鱈目なのはお許しを。それにしても、なんだ、『溜池通信』とかいう、白癬菌が残っていそうなところ(お顔を拝見したときに水虫をもってそうだなと思いましたが、まさか本当に罹患されていたとは……。治ってよかったですね)を除いて、まともすぎる安倍擁護論が多すぎて萎えますなあ。あまりにお下劣なので控えておりましたが、まともすぎる議論を聞いていると、白けてしまいます。露骨に言ってしまうと、やってきたこと、やっていること、やろうとしていることはいいのだから民意が云々というのは政治的に極めてまずいでしょう。勝てば賢い民、負ければ愚民というのはありえねえ。ああいうことは、安倍続投を支持した私には書けない。そんなサイレント・マイノリティ(というより私一人?)にお読みいただければ、幸いです。

【2007年7月29日 夜 東京】

 自民党本部に二回目の衝撃が走った。「二人の姫」の一人に「虎」が刺されたことに象徴されるように、予想はしていたとはいえ、開票結果はあまりに無残であった。「惨敗」という言葉さえ生ぬるく感じる結果。熱く戦った者ほど、安倍総理への逆風を強く感じたものはいない。やり場のない怒り。立場上、辞めろとはいえない。そんな感情を押し殺すのに何人が苦労しただろう。そこへ、総理の第一声が入り、党本部は想定外の事態に文字通り「パニック」に陥った。

 「今回の選挙で、多くの方の方から厚いご支持、ご支援を頂いたことに感謝いたします。自由民主党は私を先頭に『美しい国』づくりに邁進してまいりました。今回の選挙結果は極めて厳しい結果でした。国民の厳しい審判、国民の声を厳格に真摯に受け止める所存です。まず、ただちに総理の職を辞し、次の臨時国会における首班指名では国民の、多くのみなさまの信任を受けられた小沢一郎党首に一票を投じる所存です。無責任とのご批判は甘んじて受ける覚悟でおります」。

 普通ならば、声が上ずったり、間があきそうな声明である。これを安倍はあっさりとしゃべった。聞き手の公営放送のアナウンサーも、この声明には一瞬、反応が凍った。「内閣総辞職」。この五文字は聞き手もまったく予想していたわけではない。しかし、小沢を後継に指名するというのはいったいなんだ。慌てて、仕事の場であることを思い出して、言葉を、反芻するかのように、ゆっくりと吐き出した。

 「総理・総裁をお辞めになるということでよろしいのでしょうか?」

 安倍は奇妙なほど落ち着き払って、第二段の声明を口にした。驚くほど澄んだ表情である。

 「総理として不適格との結果を受け、甘んじて職を辞します。しかし、自由民主党の総裁としての責務は任期まで果たす所存です」。

 言っていることは短く、わかりやすい。意味もはっきりしている。だが、総理を辞して総裁にとどまるとはどういうことだ?自民党本部では聞き手の声すら聴こえないほどの怒号が飛びかう。「総理は、選挙結果でどうかしたのか?」「参院では敗れたとはいえ、衆院ではわが党が単独でも圧倒的多数ではないか?」

 「総理を辞めて総裁にとどまる」という安倍の声明が「無条件降伏」ではなく、第二の開戦への準備であることに気がついた者は、ある一人の人物を除くと、皆無であった。「早く首相官邸の回線を確保しろ!」と叫んだのは、森元総理であった。周囲が目をそむけたくなるほど、森は周章狼狽していた。なんと、この声明は首相官邸から発せられたのであった。総理として再度足を運ぶために。その場に居合わせた小泉前総理が珍しく自ら言葉を発した。安倍と同じく小泉の目も澄んでいた。

 「小沢さんを後継にするというのが総理のお話でしょう。われわれはそれに従えばよい」。

【7月30日 未明 東京】

 小沢が、これほど心血を注いだ仕事は、1993年を除くと、あるいは含めてもなかった。宮澤内閣の不信任決議案を造反して可決させたときは若さもあり、稚気もあった。1994年には腸が煮えくり返る思いもした。後藤田の『情と理』を読んで腹を立てたのは小沢よりも腹を立てたものはいないだろう。解散・総選挙を封じ込めた影の軍師はお前だろうと。まるで俺が阿呆のような言い回しじゃないか。一時期は「壊し屋」と言われるほど、方向感を見失った時期もある。二度目に、小沢に煮え湯を飲ませたのは、野中広務であった。「悪魔にひれふしてでも」と言いながら、公明を引きこんだ途端に吐き出した。悪魔呼ばわりした上に、使い捨て。「豪腕」だの、「悪魔」だの、世評というものは身勝手なものであることを小沢ほど身にしみていた政治家はもはや少ない。

 小沢は自己認識を側近にすらもらしたことがない。俺はトロッコ列車のようなものだ。目的地を選び、路線を決めるまでにはあれこれ迷う。しかし、目的地が見え、路線が決まれば、歩みこそ遅いが、確実に目的地に進んでゆく。そんな小沢には小泉は奇術師のような存在であった。(算盤のつくりが違う)。小沢は小泉が総理の座にいる間は雌伏していた。小泉の後を安倍が襲うと、小沢はようやく目的地を決めることができた。来夏の参院選。小沢は目的地が決まると、どんなに地面の凹凸がひどく、トロッコが揺れようとも動じない。選挙というのは勝ったり負けたりして強くなるものだ。ここぞという一戦には他の細かい戦術的敗北などどうでもいい。しかも、参院選は目的地であると同時に通過地点でしかない。「自公連合」を追い詰め、政権交代を果たした瞬間に党代表を辞任する。(俺の役目は政権交代まで若造どもを引き連れてゆくことだ。まだ不甲斐ないが、とどめを刺す頃には一人前になるだろう)。

 参院選では手ごたえがあった。予想通り、小泉が「空中戦」に熱中するあまり、地上の城塞は寂れ、小沢が通るだけで次々となびいた。小沢は、安倍が自分のことを過小評価していることにも気がついていた。(勝てる)。だが、小沢の算盤は辛い。手綱をゆるめることなく、投票日を迎え、結果が判明するにつれ、小沢の顔も紅潮した。

 そこへ安倍の辞任声明を慌てふためきながら側近が伝えてきた。小沢の顔が硬直する。安倍の真意に気がついたのは、小泉と小沢だけであった。一人がおそるおそる繰り返すと、「あの小僧が……」とわずかに言葉をもらしてその場に倒れこんだ。珍しい光景ではないが、発作は発作である。安倍の声明を聴いて泡を食らった一人が、落ち着きを取り戻してただちに手馴れた様子で事務的に病院へと連絡した。

【7月30日 未明 東京】

 公明党の太田昭宏代表が安倍の顔を見るなり、怒気を抑えながら、一気にまくしたてた。

 「安倍さん、事前に私にすら相談しなかったのはなぜですか?わが党と自民党のお付き合いは、私とあなたの関係よりもはるかに古い。しかも、総辞職をしたのにもかかわらず、あなたは自民党総裁だ。その上、報道の前で小沢一郎に入れるとあなたは言った。わが党が小沢一郎の手法に嫌気して独立したのは、あなたもご存知でしょう。首班指名で小沢に入れるなどということはわが党では今でも難しいのです。もう自公連立もこれまでということですか?」

 安倍は、太田の顔を覗き込んだ。怒っているようでもあり、寂しそうでもあった。なにより、今、太田は安部以上に針の筵の上にいる。選挙区で公明党は3議席を失った。埼玉・神奈川・愛知の3選挙区である。候補者を絞り込み、選挙に使う資源を集中投入して組織票で手堅く勝つ。公明党の「勝利の方程式」が崩れた。太田自身も党内の動揺を抑え、まとめることができるのかどうか微妙な状況であった。やや間をおいて、安倍がようやく話し始めた。

 「太田さん、今回の選挙の逆風は私の不徳のいたすところです。わが党だけでなく公明党も、その逆風をまともに受けてしまった。このことに関してお詫びのしようがありませんが。なお、自公の統一会派は維持しましょう。そして、なんとか党内を説得して首班指名では小沢民主党に入れてください。お詫びも含め、私が参りましょう」。

 太田の頭の中は混乱した。自公、いや自民党単独でも安倍続投は可能だ。にもかかわらず降板の決意は固い。さらに下野しながら自公の「連立」とはいったいなんだ?あれこれ考えをめぐらして再び、話をしようとする太田に安倍は遮るように言葉を投げかけた。

 「現況で申し訳ありませんが、私が参ります日程を決めておいていただけませんか。これから各国の首脳とも連絡をしなければなりません」。

 太田は蚊帳の中にいて外にいるような不思議な感覚で官邸を後にした。安倍に残っている作業は、形式的なものであった。各国の首脳に事務的に連絡を行った。各国の首脳は安倍が去ることを惜しんでくれたが、たいていは社交辞令の域をでるものではなかった。ブッシュ米大統領だけは別だった。クロフォードでの思い出など他の首脳とは異なって個人的な心情も大きい。安倍はブッシュにだけ真意を示した。

 I shall return.

受話器の向こうで一瞬の沈黙があった。その後、次の言葉が響いてきた。

 God bless you!

 二人の会談は終わった。

【7月30日 早朝 東京】

 前日、安倍の声明を聴いたものの多くは、驚いた。民主党の勝利があまりに見事だった。安倍の進退に冷ややかなもの、安倍の意欲が挫けたことを残念がるもの、無関心なもの。反応はバラバラだ。翌朝の新聞の見出しは、各紙「安倍総理、総辞職へ」とあるものの、記事の中身は戸惑いすら感じられた。なにしろ、総辞職を決意した総理が他党の党首を後継者として名指しするのは前代未聞だ。朝の民放各社の報道という名のバラエティ番組も慌てて政治評論家を集めてつまらない政治談議を行った。総辞職はやむなしという結論は簡単に一致するものの、安倍が小沢を後継「指名」した点に関しては散漫な議論しかできなかった。そのとき、とあるエコノミストがこんな発言をした。

 「これはね、将棋で言う『手渡し』ですよ。絶体絶命の局面で『首を刎ねておくんなまし』と差し出す。突然、手を渡された相手に好きな手を指させると、間違えるんですよ。私は参院選で負けたからといって総理が辞任するというのは中選挙区時代の遺物だと思いますが、これは要注意です。小沢さんは用心しないと」。

 この発言が終わると、そそくさと司会者は別のコメンテーターに話を振った。

 「総理が辞職するのはともかく、後継に小沢党首というのは危険でしょう。これで衆議院解散の主導権が民主党に移りますよ。この勢いで衆院解散では自民党はもたないでしょう。私は『自爆テロ』総辞職だと思いますね」。

 多くのコメンテーターはこの説明に賛同した。

【7月30日 早朝 大阪】

 本町に本社を置くある大手企業の営業部でも、安倍内閣総辞職で話題がもちきりだ。ある30台前半の社員が40台の部長に尋ねる。

 「総理は辞めるけれど、総裁は辞めないってありえますかねえ?」

 営業でも敏腕だが、政治通で知られる部長が淡々と答える。

 「君ら、『三角大福』なんて言葉は知らへんよな。『四十日間抗争』なんて頃に種があったかどうかってところだなあ。自民党内の派閥で権力闘争がひどくなると、自民党総裁が自民党の議員というのは当然として、党内で宥和を図るために総理は同じ自民党内でも別の人物を選ぶというアイディアがあったんや。実際には、アイディアだけで実現したことはないんやけどな。ただ、今回は異常や。安倍さんが自民党総裁のままで、他党の党首を後継指名するなど聞いたことがない。ワシもようわからんけれど、自民党が民主党と連立を組む下準備かもしれんなあ」。

 「自民党と民主党の連立ですか。これだと、与党のやりたい放題になりませんか?」

 「それはありうるんやけど、自民と民主で折り合いがつくかどうかもわからないし、意外と大変やで。それにな、民主党で閣僚が務まる議員がいるかどうかが問題や。今度は与党案を追及するわけにはいかんからなあ」。

 「ということは、総理は民主党で閣僚は自民党もいれるということですか?」

 「難しいところや。安倍総理は小沢さんを後継にと言っただけや。連立とも閣外協力とも言っていない。これはワシにもさっぱりわからん」。

 部長は大阪で「東京弁」で質問をぶつける部下を苦々しく思いながら話を打ち切り、急いで指示を各所にとばした。

【8月2日 日中 東京】

 自民党参院選総括委員会の初会合が開かれた。本来ならば、参院選の結果と敗戦の理由などが話し合われるが、安倍総理の決断に議論が集中していた。ある中堅議員が繰言のように同じ発言を繰り返していた。

 「今回の参院選の結果はあまりに厳しい。自民党にお灸をすえるというもんじゃなくて、殺意すら感じる。そうであるからこそ、総裁は総理の座にとどまって粘り強く国民の信頼を回復していただきたかった。自民党は民主党とは異なる責任政党ですよ。参院選に負けたからといって総辞職というのはあまりに無責任だ」。

 会合の冒頭、中川秀直幹事長が開会の挨拶を簡潔に述べただけで、あとは険しい表情で無言で会議の成り行きを見守っていた。このことも参加者たちを苛立たせた。総辞職をしたものの、安倍は総裁にとどまり、なんの説明もない。この発言を受けて中川が立ち上がって、この会合で2度目の発言をした。

 「安倍総裁がおみえになりました。総裁ご自身からご説明いただきましょう」。

 安倍が颯爽と姿を現した。参加者たちは一瞬、息をのんだ。この種の会合に総裁が顔を出すのは極めて異例だ。自民党の総裁といえば、すなわち総理であった。もちろん、例外もある。自民党が野党であった時期の河野洋平総裁であった。しかし、安倍は河野とは異なる。太田が考えたように、衆院での議席数を考えれば、総理は安倍以外にありえない。もちろん、参院選の後、大敗を喫して総辞職に追い込まれた総理は宇野宗佑と橋本龍太郎の二人がいる。しかし、両者のケースは異なる。宇野の場合、本人のスキャンダルも大きいが、総理就任以前のリクルート疑獄、消費税導入による自民党への猛反発で結党以来、初めて参議院で過半数を割った。宇野内閣の下での第15回参議院選挙以来、自民党は参議院で単独過半数を確保したことがない。この選挙で、少なくとも都市部では自民党以外の政党に投票することに躊躇いのあった有権者に心理的な障壁を取り除いたともいえよう。結果的に見れば、この敗戦以来、常に自民党は政権交代の圧力にさらされてきたといえる。現にこの4年後に自民党は分裂し、結党以来、初めて野党になった。また、やや強引ではあるが、衆院自民と参院自民のカルチャーの違いは、この時期に生まれたとも見れなくはない。参院では融和と妥協が優先する。自民党以外の会派との協力がなければ、参院自体の審議がすべて止まってしまいかねない。ちなみに、1989年の参院選の自民党幹事長は橋本であった。18年後に橋本は総理・総裁として再び苦杯をなめた。

 他方で、橋本の場合、いわゆる自社さの連立政権の下での選挙での大敗であった。橋本は「六大改革」を掲げ、公共事業に依存した景気対策からの脱却を目指した。消費税率の引上げは村山内閣で決定された地方消費税の導入にあわせて行われるものであり、1996年の第41回衆議院選挙で橋本の掲げた改革と並んで消費税率の引上げの是非が争点となり、自社さの連立与党が過半数をえたことで信任されたものと橋本は考えていたのだろう。しかし、1997年4月に消費税率を引き上げると、反発は予想以上のものがあり、経済へのダメージ以上に橋本への支持を低下させた。事前に消費税率の引上げ直前の「駆け込み需要」とその後の冷え込みが指摘されていたが、現在ではSNAを見ると、消費税率引上げによる消費の減退は比較的、短期間で調整されていたと思われる。消費税率の引上げ以上に経済へのインパクトが大きかったのはアジア通貨危機であった。1997年5月にヘッジファンドがタイ・バーツを売り浴びせたことを皮切りに、インドネシア、香港、フィリピン、マレーシアなどアジア諸国はドル・ペグ制から変動為替レートへの移行を余儀なくされた(マレーシアは独自路線を歩んだが)。通貨価値の下落は単なる混乱ではなく、海外からの資本流入が激減し、アジア諸国の成長率を大幅に低下させた。さらに、これらの諸国とのつながりが深かった日本の金融機関のダメージが大きく、北海道拓殖銀行や山一證券など大手金融機関が破綻する事態に至った。結果的に橋本の行財政改革はデフレ環境下でデフレを悪化させる政策となり「経済失政」の声が高まった。1997年7月の第18回参議院選挙はこのような上記の下で実施されたが、橋本は自身の政策を転換するか否かで逡巡を見せたこともあり、大敗した。この場合の大敗は、単独過半数に達しないということではなく、仮に自社さの枠組みを維持していたとしても、参議院での過半数を維持することは困難な点にあった。結果的には橋本は自身の政権を維持して自ら路線転換を行うことを拒否して、後継者に託したといえる。現実に、後継となった小渕恵三は野党案の「丸呑み」という奇策を連発し、「自自公連立」成立まで泥田を這いずり回るような政権運営を強いられた。

 上記の経緯を考えれば、今回の参議院の惨敗の意味は単に大負けしたということに留まらない。自公で過半数すら維持できない上に、参議院議長、議運委員長などのポストを野党が占めれば、安倍政権は参議院でなぶり殺しにされるであろう。口にしたものは衆議院議員ではほとんどいないが、誰しも安倍が総理・総裁を辞するのはやむをえないという考えた。他方で、安倍のパーソナリティからすれば、この局面でも続投するのは必定であり、前途の多難さを考えると、暗澹たる気持ちになるものだ。参議院で法案審議が長期化し、国政の停滞が国民に印象付けられれば、民主党への批判も高まるだろうが、やはり参院で過半数を確保できなかった自民党は批判以上に侮られ、次の衆議院選挙で敗れれば、政権交代が実現する。

 しかし、内閣総辞職を口にしながら、総裁の地位に留まるというのはどういうことなのか?しかも、小沢を後継に指名するというのはわれわれにも小沢に入れろということだ。不謹慎な議員は、あまりの負け方に安倍が狂ったのではないかと考えるものさえいた。しかし、眼前に現れた安部は落ち着き払っているものの、選挙戦ですら見せなかったほどの闘志を全身から発している。高齢の議員ですら、やや圧倒される中、安倍が口を開いた。

 「参院選は本来、政権選択の選挙ではありません。しかし、私自身が政権選択を争点としたことは紛れもない事実であります。私は、小沢一郎民主党党首に敗れました。その結果を認め、総理を辞しました」。

 一同は静まり返っている。ふだん、「挙動不審」とからかわれる議員ですら直立不動で安倍の言葉に耳を傾けていた。

 「しかし、私にはみなさんや自民党を支援してくださった皆様への責務があります。よって、同時に総裁としての責務を果たす決意をいたしました。私が自由民主党の総裁である限り、小泉改革と『美しい国』という日本のあり方を変えてゆく進むべき方向に変わりはありません。われわれは野党としてこの課題にチャレンジする所存です。困難から逃げるのは戦う政治家ではありません。挑戦者という困難な状況から逃げずに戦うことことが私の本懐です。挑戦者の立場から、日本のありようを変えてゆく。これが総裁としての決意であります」。

 拍手はなかった。安倍の言葉に反発したわけではない。小沢を首班指名するということにも異論はでなかった。野党としての挑戦。誰しも不安がないわけではなかったが、やるべきことははっきりしたからである。 

【8月3日 日中 東京】

 小沢の体調は回復した。小沢は直ちに安倍総理との接触を図った。信じがたいことであるが、安倍は首班指名で小沢に投票することを表明したのにもかかわらず、小沢との接触を図ろうとしなかった。このまま、7日から開催される臨時国会で首班指名を行えば、衆院は自・公・民の圧倒的多数で小沢が総理大臣に選出される。小沢としては、当然ではあるが、想定外の事態であった。小沢の「目的地」は民主党を政権可能な政党に育てることであって、今回の参院選によって政権交代を図ることではなかった。それが一足飛びに政権交代となった。小沢は安倍の声明自体を疑うことはなかった。問題は、突然、政権を「禅譲」されたために、具体的な内閣の布陣が白紙であったことである。小沢の脳裡には一抹の不安があった。今回、政権を担当することで民主党が政権政党としての未熟さを露呈することである。また、それが安倍のねらいであることも明白であった。組閣そのものは、形式的には8月7日の指名を受けて行われる。しかし、事前に準備しておかなくてはならないことがあまりに多い。小沢は辞を低くして安倍に自民党からの入閣を懇請した。当然、裏では一本釣りも含めての話だ。しかし、安倍はにべもなく、断った。さらに、閣外協力を要請したが、「是々非々でまいります」の一言ではねつけられてしまった。ここまでは小沢も予想していたが、前日の参院総括委員会における安倍の発言によって、秋波をおくっていた自民党議員とも連絡がつかない状態ことは想定外だった。小沢の手元には、自身が指示して作成した閣僚候補リストがある。それを見ながら、小沢は愚痴ともつかない言葉を発した。

 「あの小僧、俺を名指しして総理に他のやつを立てる手まで封じやがった。それにしても、どうしてこうも使えねえやつばっかりなんだ。この連中の面倒を見ると思うと、俺の心臓が先に壊れちまうな。あの小僧、わが党に恥を欠かせようというだけじゃなくて、俺の命まで狙っているようだ」。

 側近たちは慌てて聴こえないふりをした。リストをつくりながら、人材難からくる政権運営の困難さをしみじみ実感した。ただ、側近たちにとって意外だったのは候補として小沢が長妻昭衆議院議員を含めていたことだった。民主党内でも「与党追及型」議員は、実際に仕事をやらせるとうまくゆかないことは常識であった。

 「長妻を入れておかないと、菅(直人衆議院議員)がすねるからな。それにしてもいつ降板させるかが難しいな。自民党にはとことんやられるだろう。他の連中も似たようなもんだ。心臓がもつか晋三がもつかの勝負だな」。

 愚痴とも戯言ともつかない言葉を吐くと、小沢は苦しそうな表情になり胸を手で押さえた。側近たちがいつものように病院へ連絡をしようとすると、小沢が制止して諭すように語りかけた。

 「政権ちゅうのは、これからなにをやるかではなくてそれまでやってきたことで7、8割は決まるちゅうことだ。細川・羽田を担いだときに身にしみるほど感じたなあ。来年の3月、予算の年度内成立の期限までに俺はくたばるだろう。そのときに、菅や鳩山に政権に色目があったら、俺の死を最大限、利用して解散すればいい。そうでなかったら、もう5年は辛抱しないといかん。年の功を侮ってはいかん。あとな、俺がくたばるまでに自民党と連立するパイプをつくらなくてはならん。民・自連立になるか、自・民連立になるのかは俺にもわからん。突貫工事でもかまわん。とにかく体面を捨てて実務能力をつけなくては政権はとれても、維持はできん」。

 まるで遺言のように小沢は語っていた。小沢の身辺にいるものにとっても、初めての光景であった。

【8月7日 日中 東京】

 衆参両院の圧倒的多数で第91代内閣総理大臣に小沢一郎が選出された。閉会後、小沢と安倍はがっちりと握手した。両者とも笑顔はない。小沢は早速、記者会見を行い、国民生活の再生を掲げて組閣することを宣言した。中身は、(1)年金は国が責任をもって安心できるしくみに変える、(2)「子ども手当て」を充実させ将来に希望の持てる社会をつくる、(3)農業再生を軸に地方を再生させるというマニフェストの内容そのものであり、内政面に偏っているとはいえ、報道の反応も良好であった。後の緊急世論調査では、小沢内閣の支持率はほとんどの調査で7割を超え、安倍政権発足当初とほぼ同水準であった。内政、とりわけ国民のくらしを重視する小沢の姿勢は多くから支持されたのであった。

 閉会後、安倍は政界引退が決まっている小泉と落ち合った。

 「総理、あなたが賛同してくれたおかげで思い切ったことができました」。

 「総理はやめてくれないか。私の後、あなたがなって、今は小沢さんだ。それに投票日の前日に総辞職して総裁に留まると聞いて私も驚いたよ。9.17の訪朝であなたが私よりも思い切ったことができると思っていたけれど、失礼だが、これほどまでとは思わなかったな」。

 「いいえ、私は小泉さんには及ばないでしょう。再び、私が総理になって美しい国への道が進んだとしても、小泉さんには遠く及ばないでしょう」。

 「美しい国か……。私が引退後、オペラを楽しんで芸術三昧というのは美しい国なのかね?」

 「フフ。もちろんですよ」

 小泉は悪戯っぽい微笑を浮かべながら、部屋を去った。小泉が部屋を後にするとき、安倍は無言で一礼した。顔を上げたときに、再び闘志に満ち溢れた表情に戻っていた。安倍の再チャレンジは始まったばかりだ。湿度が高い日が続いた東京も、今日はからりとした夏空であった。

(完)


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posted by Hache at 23:48| Comment(2) | TrackBack(1) | 気分しだいの寝言