2007年09月13日

迷走する「敗戦国」

 ふわあ。昨晩は地上波なるものを何週間かぶりに見ました。一番、安倍総理にきつそうな『報道ステーション』をメインに見ましたが、なんかつまんないなあ。「無責任」、「辞めるなら参院選直後」という決まり文句の合間に、「辞任の背景」、「自民党内の反応」、「野党党首のコメント」、「ポスト安倍」、「テロ特の行方」が「定食」のように並んでいて、眠たくなりました。それでも、30分も見た自分を誉めてあげたい感じ。ワーキングプアだの騒ぐ割に、報道する側の賃金について触れないのもなんだかなあ、メディアっていいご身分だなあなどと思っておりますので、この「テンプレ状態」を見ると、キャスターの年収なんて、300万円未満とは申しませんが、1000万円をちょっときる程度でいいんじゃないかと。規制業種のわりに、年収が高すぎる気がしますね。とひどいことを書いておいて、ゲル長官もとい石破茂元防衛庁長官がちょっとだけインタビューに答えていて、萌えてしまいました。このあたりはさすがにありがたいですね。もう寝ようかなというときだったので、正確な発言を覚えていないのですが、文民統制上問題がないと総理には申し上げたというあたりしか記憶にないのですが、かなり濃い話だったので、案外、難しすぎる話を総理が聞かされすぎて、ダウンしたんじゃないの、「刺したの石破さんでしょ?」などと不謹慎な「寝言」が浮かんでしまいます。真相は、こちらを読まれて辞任を決意されたんでしょうけどね(もちろん、悪い冗談ですよ)。

 職場でも、さすがにこの話題がでて、みなさん、いろいろ意見をおっしゃっていて、それぞれなるほどと思いながら、何も口にしない私をみんなが怪訝そうに見ていて、話をふられてしまいましたので、やむなく口にしたのがこれ。「こうしてみると、がたいだけじゃなくて森さんは大物でしたなあ。加藤の乱、直後の野中発言、なにがあっても降りなかった。次は森元総理には失礼ですが、神経が一本どころか二、三本抜けている方がいいんじゃないですか」。みなさん、「お仕事、お仕事!」となりまして、平穏無事な一日です。本当は、「だったら、お前あたりが向いてるんじゃないの?」というツッコミを期待していたのですが。もちろん、私の神経が抜けている、間が抜けているという皮肉ですけれど。あの当時の政権支持率ときたら…。今の小・中学校では人数が少ないからダメでしょうけれど、私たちの頃ですと、ぎりぎり50人を切る程度でしたから、クラスで「森さんが好きな人、手を挙げて!」なんてやろうものなら、5人ぐらいが目を伏せてちょっと手を挙げるかどうかぐらい。昔にさかのぼらなくても、今回は、一夜明けると楽な作業だなと思います。ただ、安倍総理が職を賭するとのご趣旨の発言をされたときに、パッと頭に浮かんだのが吉川経家の逸話(実話かどうかはわかりませんが)だったというのは、なんとも不吉でしたが。「落城」まで粘らない方がひょっとしてよかったのかもと思ったりして、安倍総理を責める論調を腐るほど読んだせいか、ちょっと「判官贔屓」に。

 これから、それなりにポスト安倍で盛り上がるんでしょうけれど、その手のお話はお好きな方たちにお任せ。「時の最果て」ではもっとどうでもいいことを考えます。参議院では、民主党が第1党で、解散ができないだけに、国民神道を抱き込んで云々という話もあるんでしょうけれど、民主党の安全保障政策はお寒い限り。期待値がマイナス(ちょっと乱暴すぎますが)ですから、独断と偏見の塊ですが、「テロ特措法」への反対の理由を煎じ詰めると、「国連決議のない、アメリカの戦争だから」と聴こえてしまいます。国際法の入門書を学生時代に読みましたが、正直なところ、頭の悪い私には、とくに戦時国際法はまったくわからなかったので、ひたすら暗記して試験が終わったら忘れてしまう劣等生(民法は別の意味で絶望的でしたけれど。養老先生の表現を拝借すると、民法は私のバカの壁に敗れたのであった)だったので、国際法にはまるで自信がありません。そんな状態であまりに乱暴ですが、そんな私が次の国連憲章51条を読むと、民主党が何をしたいのかがまったくわかりません。

国連憲章

第51条

 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

 佐瀬昌盛『集団的自衛権』(PHP研究所 2001年)では個別的自衛権と集団的自衛権の区別、憲法との関係など集団的自衛権をめぐる諸論点を、露骨に言えば、現行の政府解釈(簡単に言えば、「国際法上、わが国は集団的自衛権を有するが、憲法上の制約により、行使はできない」)を批判し、なおかつ解釈変更を迫る立場から整理されていますが、てぶらで憲章を読んでみましょう。私の「無謀、愚劣、不遜(+無知)」をさらすのにも好都合ですし。「バルデス軍」が来ませんように(本当は異論を聞きたいんですけれどね。勉強になることが多いので)。

 さて、てぶらですと、第3文はどのような解釈ができるのかがわかりません。…いきなりダメじゃん。というわけで、『大航海時代IV』ですと、「Game Over」ですが、素人なりに強引に解釈しますと、「自衛権の行使に当たって加盟国がとった措置」に国連安全保障理事会が制約されないと読めます。でたらめな解釈ですが、第一文で「個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」という表現で、消極的に自衛権を認めた上で、「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間」という制約を課しています。強引ですけれど、安保理が直ちに対応するという意味での集団安全保障が機能することがベストだけれども、手続きの問題などから困難な場合など、加盟国の「個別的又は集団的自衛の固有の権利」にもとづく「措置」を否定していないと読めます。学生時代には田畑茂二郎先生の本が教科書で、手元にないので不確かな記憶しかありませんが、51条は米ソの関係が悪化する中で盛り込まれた条項だとご自身が講義で力説されていた記憶があります。佐瀬先生はこの見解に否定的ですが、私の「イデオロギー」を主張するには寄り道になるので省略します。第2文は、素人的には平明ですが、こういう文章の方が法律の世界では怖いのでちょっとおっかなびっくりですが、最低限、自衛権の行使するプロセスでとった措置を安保理に報告しなさいよというところでしょうか。以上のことを踏まえて第3文では、安保理が自衛権の行使に当たって加盟国がとった措置と安保理がとる行動は異なることがありえますよと解釈します。ド素人ですから、乱暴な表現をすれば、自衛権の範囲を逸脱すると安保理が判断した場合、それに対する警告や制裁、場合によっては軍事的措置まで明記していないので、事後的な形ではあれ、自衛権の行使に当って加盟国がとった措置を場合によっては覆すこともありますよと読めます。素人的に全体を解釈すると、国連の基本は集団安全保障ですよ、ただし、自衛権は否定しませんが、集団安全保障の枠内でのみ容認しますよということでしょう。

 いかれた「外道」の解釈からすると、アフガニスタンでの「有志連合」の活動を批判するならば、それがまず、集団安全保障の枠を超えた、国連憲章上でも消極的とはいえ容認されている、自衛権の行使を逸脱しているか否かがまず問題でしょう(あんまりつまらないことを書きたくないのですが、安保理や国連総会でアフガンでの「有志連合」の活動が自衛権の行使だけでなく、他の諸活動も含めて明確に集団安全保障の枠を越えるという決議がない以上、憲章の範囲内の活動であることは自明だと思うのですが)。さらに、「テロ特措法」では安保理決議1267、1269、1333が挙げられていますが、安保理決議1368では「安全保障理事会は、国際連合憲章の原則及び目的を再確認し、テロ活動によって引き起こされた国際の平和及び安全に対する脅威に対してあらゆる手段を用いて闘うことを決意し、憲章に従って、個別的又は集団的自衛の固有の権利を認識し」とあって、安保理がアフガニスタンでの活動は、自衛権の行使として容認していることを明確に示しています。これが「テロ特措法」に盛り込まれていないのは、邪推ですが、集団的自衛権の行使に関する政府(ぶっちゃけ内閣法制局)の解釈を変更する準備がなかったからでしょう。野党もうっとおしいしね。要は、「テロ特措法」というのは、国連安保理が認めた自衛権の行使という肝要な点を避けた、その時期の事情を鑑みるとやむをえないとはいえ、自衛権の行使を行使じゃないとするための法律でしょう。

 それじゃあ、民主党の主張が正論で、あんたの方がおかしいじゃないかと思われるかもしれませんが、頭の悪い私には民主党の主張が理解できません。もし、「テロ特措法」を非難するならば、法律には盛り込まれていないとはいえ、安保理決議1368ではアフガニスタンでのアメリカを中心とする「有志連合」の軍事活動が自衛権の行使であり、現行の政府解釈からして、海自がそのような地域で活動を行うこと自体が憲法違反であるという点に絞られてくると思います。これを「アメリカの戦争」と呼ぶのはまったくの間違いではないでしょうが(「戦争」という用語もややこしいので微妙ですが)、国連決議がないのが問題というのは無意味でしょう。集団的自衛権に関する現行の政府解釈を容認するか、変更すべきかを捨象しても、海自のアフガニスタンでの活動は国連安保理決議の枠内での要請に応える範囲内のものであれば、現行の活動は、国際法上、自衛権の行使で、国内的には憲法違反すれすれというグレーゾーンであることが問題だと思います。もちろん、将来の見直しを考慮してこの点を問題にしないというのは「大人」なのかもしれませんが、今後、国際協力に関する新法を制定する際に、この点を整理しなければ、かえって変な制約が加わるという点では逃げてはダメだと思います。言いにくいですが、「小沢原理主義」の間は難しいでしょうけれど。

 ここで話が急展開するのですが、集団的自衛権の問題に踏み込まないという点では、自民・民主の新法はどの道、出来が悪いという点では程度の差でしかないでしょうから、騒ぐだけバカバカしい。いっそ、民主党案を丸呑みして、自民党と民主党が事実上、連立する準備をした方がよいというのが、今日の「寝言」です。もう、うんざりするぐらい書いていますが、自民党が民主党と「統治能力」をわかちあって、「民意」がどう転んでも、外交・安全保障政策が揺るぐことのない体制を築かないと、冗談抜きでこの国の存続に関わる危機に対応できないでしょう。とにかく、現在の外交・安全保障に関する議論の大半は目先の問題への対処に追われている印象があります。他方で、安全保障という、言ってみれば、消火活動と似た分野ではそういった問題への、「場当たり的な」対応の積み重ねが、イギリスの「バランス・オブ・パワー」のような事後的に戦略性をもった政策になることも、また否定できないでしょう。また、民主主義国家では公開された討論の場で外交・安全保障政策が決定されてゆきます。この国も例外ではありません。ただし、意味のない「タブー」があってはまともな議論はできないでしょう。「タブー」を破ることがそんなに難しいのなら、与野党で腹蔵なく国会で議論していただくことを望むばかりです。

 最後に「寝言」ならぬ「感情論」ですが、安倍総理の辞意表明を受けて、戦後生まれのひ弱さを指摘する方が多いです。ならば、戦前生まれの政治家たちが解決できなかった問題を戦後生まれの政治家が解決してやろうというぐらいの気概をもって頂きたい。その際、一時的に戦前生まれの政治家の知恵と力をお借りするのも、当然でしょう。敗戦以来、「自分の国は自分で守る」、「自国の能力を越える危機には他国との協力をえて守る」という当たり前のことができずに現在に至っています。自国の運命を自らの手で握るという自由で独立した国の基本を取り戻す。そんな「寝言」を綴る日々がまだまだ続くのでしょうか。