2007年09月30日

気分しだいの日中関係「点描」

 伊藤洋一さんのHPで日中国交正常化35年に関する番組の紹介がありました。安倍前総理の訪中以来、日中間で首脳の往来が行われるようになって「雪解け」が演出されました。他方で、私が中国との接点がほとんどないせいでしょうか、ここまで「嫌中」感情が高まっているというのは、記憶にありません。日曜日ですので、ミャンマー情勢だとか、政治体制の違いとか重たい話は抜きで軽く考えてみましょう。

 まずは、身近な話から参りますと、7、8年前の苦い「思い出」です。大晦日の晩にすき焼きを食べようと、お肉からネギ(国産)や豆腐、などの基本的な材料に、ふだんはまったく飲まない清酒など「隠し味」」も含めて準備万端と思ったら、シイタケを買い忘れていて、慌てて買出しに。「中国産」と表示されたシイタケが残っていて、値段の割りに量が多いなあと思いながらも、他に代替するものもなく、「まあ、いいか」という程度で買ってきました。帰ってきてさっそく「調理」。まずは、ネギを炒めて、ざっと火が通ったところでネギを寄せて牛肉の出番。気合を入れて、この年は100gあたり2,000円弱の、私にしては「高級な」神戸牛を奮発して買っておきました。これがネギと混ざっていい香りがして、ざっと火が通ったところで清酒を注ぐと、なんともいえないよい香り。春菊は最後ですが、キノコ類(椎茸以外にはエノキやマイタケあたりでしょうか)を入れる段階になって、私の鼻が反応しました。シイタケを入れた途端に香りが一変して、なんともいえない薬臭い、嫌な臭い。少し吐き気がしましたが、なんとか我慢して春菊を入れるところまでやりましたが、出来上がった状態で食そうとすると、シイタケの猛烈な臭いで、肉を一切れ食べた段階で、耐えられなくなって、生まれて初めてですが、食べ物をすべて破棄しました。

 この後、セーフガードが発動されて、経済論壇でも話題になった記憶がありますが、それよりこんなシイタケを輸入するなというのが素朴な実感(別の意味で「安全を保護してくれ」てな感じ)。さらに、1、2年後に「毒菜」などという表現が週刊誌か月刊誌で見た覚えがありますが、なんでそれまでに気がつかないのか、不思議でした。あの強烈な体験以来、まったく受け付けなくなりましたから。

 最近の中国製品への「不信感」は強烈ですが、中国へ出張する人などに冗談ですが、「お土産いらないって言われるでしょ?」と尋ねると、嫁にも母親にも断られたとか、哀感をそそります。無責任なことを書いてしまうと、支払い余力のない方にはリスクをとってコストが低い製品を選択する余地を残すためには、中国製品も必要ではないかと。私自身は、支払能力が高くはないのですが、いい香りのした牛肉とネギを台無しにした中国産シイタケへの恨みが強く、二度と買いません。太っているので、食べる量が多いと勘違いされますが、この一週間でサンマばかり食べてしまう程度で、グルメでもないのですが、あのシイタケだけは許しがたい。食い物の恨みはつくづく怖いものです。

 「中国は脅威だ」という話が保守系・右派系雑誌ではなく、ごく普通の人からここまで明確な表現ででてくるのは少し驚きの経験です。ここで「普通」というのは、靖国参拝「問題」や歴史認識「問題」に関心が薄いという程度だととっていただければ、よろしいかと。中国製品への不信も当然あるのですが、それ以上に、接客を主たる業務とする人たちの間では中国人のお客さんが増えており、商売上、お断りするわけにも行かないようですが、マナーの悪さに辟易している方が増えているご様子。一例を挙げると、又聞きですが、観光バスの運転手さんあたりが、漏らしていた愚痴。中国人様ご一行をを貸切のバス(あまり乗らないですし、シャンデリアがついていて、絨毯にもこだわった上等なバスらしい)に乗せると、そこらじゅうに痰を吐いて後始末が大変だとか。ひどいときには、酔っ払ってシャンデリアも汚されたり、内装がひどい状態になってもうボロボロ。かといって「中国人お断り」とするわけにもゆかず、日本人の利用は減少する一方で、このままでは中国人に「侵略」されるという感覚があるようです。このあたりは、全く抜けていた感覚ですが、ホテルなどでも困っている様子で、お金を落としてくれるのは拒みようがないですし、ありがたいのですが、マナーの悪さに相当、フラストレーションが溜まっていて、なおかつ日本人の利用が増えない状態で中国が脅威だという話になるようです。

 中国は既に単なる生産拠点ではなく市場として見ないとダメだとか、政治体制の違いを認識する必要があるという、高尚な話とはほど遠いのですが、日中間のモノ・カネ・ヒトの移動はこれからも増してゆくでしょうが、私が思うに、日中間での人的「交流」(単純な旅行も含む)が進めば進むほど、相互理解が深まる側面もあるのでしょうが、文化や習慣の違いから齟齬をきたす側面を無視することはできないと思います。中国人旅行客のマナーの悪さ、以前なら中国人留学生の犯罪などを反中感情や中国脅威論を煽る道具として利用してきた(現在でもあるんでしょうね。雑誌の類をまるで読んでいないからわかりませんが)人たちもいるようですが、あまり賢明ではないだろうと。

 仕事や生活レベルでの「嫌中」感情というのは、歴史認識「問題」よりもはるかに切実であり、インテリ好みの意識化された文化や伝統の違いよりも、意識化されない「差異」は一般にははるかに根深く印象付けられます。モノ・カネ・ヒトの「グローバル化」自体は、交易の利益から逃れようがないと思いますが、人的交流という次元での「グローバル化」は、文化的な摩擦を生みやすく、マネージが難しい話です。中国人のマナーが悪いんですがというのも、政府レベルの外交の、それこそ「儀礼」に反する話で政府がどうこうできる問題でもなく、無理に解決しようとしても、適切な手段がないでしょう。また、生活感覚レベルの「嫌中」感情がただちに外交政策上の「対中強硬」に結びつくかといえば、重ならない部分も大きいでしょう。ただ、日本人全体かどうかは定かではありませんが、「嫌中」感情が強まる傾向が避けられないのなら、世論の歩留まりを見切って中国と接することが大切でしょうというのが今日の「寝言」。

 「日中友好」といっても空々しいですし、「中国脅威論」を煽っても、それ以前にどうも中国人が嫌だという「気分」が無視できない程度にあるときに、関係が硬直するだけであまり意味がないでしょう。経済的な相互依存は互恵的な関係ではありますが、その「副産物」の処理は、政治レベルでは非常に難しい。別に、日中に限ることではないのですが、おとなしいけれどマナーなど「かたち」を壊されると表情にはでないけれども根深く不信感をもつ日本人と「郷に入っては郷に従え」とは対極の"When in Rome, don't as the Romans do."ともいうべき中国人の相性はあまりよろしくないということを踏まえて日中関係を考えた方がよろしいのではという、お気楽な「寝言」です。


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posted by Hache at 12:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言