2007年10月31日

国際石油市場データに見る経済的相互依存の深化(前編)

 雪斎先生の「石油の一滴は血の一滴」という記事は、情理をつくしており、論旨には概ね共感を覚えます。他方で、コメント欄で紹介されているデータは、私の迂闊さをあえて記しておりますが、原データを見るのは初めてでして、参考になりました。BPのデータを見ていると、エクセルで簡単な計算をしながら、様々なことを思います。例によって、「時の最果て」らしくとりとめがありませんが、データを見た感想をあれこれ書いてみます。なお、思ったより長くなってしまったので、2回にわけて掲載いたします。なにか特定の政策的インプリケーションを導こうという意図もなく、単に雪斎先生の記事で紹介されていたデータを眺めながら、楽しんでいた感想文ですので、お世辞にもまとまっているわけではなく、「寝言」にお付き合いくださる、お暇な方(失礼!)のみ、クリックしてください。なお、今週末から来週にかけて予定が立て込んでいるため、更新を行わない日が増えると思います。


続きを読む

2007年10月29日

鈍感な人の「幸せ」

 件の事務次官経験者ですが、これはさすがに「○証でしょ?」と思ったことがあります。賭けマージャンで「1000点50円」はありえないだろうと。事務次官経験者クラスともなると、テンゴでも満足なのか、半荘3回で勝った人が焼肉をどうたらとか、聞いていてなんともシュールな感じ。言いにくいのですが、テンピンが「適正レート」じゃないのかな、しかし、役人のトップともなると、賭けマージャンのレートも控えめなのかしらんとか、くだらないことばかり気になりました。しかし、やはり制服組のトップご自身がストレスがたまるというのはよろしくないので、「天下り」先で広い個室で最高スペックのPCで3Dの格闘アクションゲームをやるとか、『シヴィライゼーション』シリーズで脳内世界征服でもやっていただく方が、脱力感も強く、ネタとしてはおいしいかなと。ゴルフ、マージャンというのはあまりにベタで上手に脱力させるあたりは、なまなかな者には真似ができぬのおと不謹慎な「寝言」ばかり浮かんでしまいました。それにしても、証人喚問自体は質問者側の準備不足感が拭えず、なんとなくバカバカしくもあり、自民党と民主党が「手打ち」をするための準備かしらんなどと変な「寝言」も。証人喚問の中身というより、証人喚問すること自体に意味があったのかなという感じ。

 まあ、こちらはしゃれにならない問題がありそうですが、賞味期限がどうたらこうたらとか地鶏とかとなると身近ではあるのですが、あまり食にこだわらないせいか、神経質な方が増えているんだなあと思います。と書いておきながら、やはりスーパーなどで豆腐を買うときに、ついつい奥の方から賞味期限が新しいものを選んでしまうわけでして、業者を擁護するわけではありませんが、なかなか難しい。もっとも素朴な発想は、古くなればなるほど消費者の評価が下がるのなら、それに合わせて値段を下げればよいわけですが、ブランドイメージを維持する必要がある場合には、そう簡単でもなく、大変ですなあという感じ。イメージを維持するのも一苦労と思います。

 そんなわけで世間は大変だなあと思う反面、帰り道で少し大きめの公園に「道草」をして、余計なことを考えずに木々をぼんやりと眺めていると、不思議と幸せな気分に。もちろん、公園というのは自然ではなく、人間の作為そのものですが、そんな中にも自然があり、事前の設計のロジックからはみ出てしまう部分があります。そんな垢抜けない公園の中で、呆然としていると、不思議なもので木々が会話しているようでもあり、やわらかい土を踏みしめていると、土がなにかを語りかけてくるようでもある。もちろん、「言葉」そのものではないのですが。効率を追い求める社会で上手にムダをつくるのが難しくなっているのかなと他人事のような「寝言」が浮かんでしまい、帰って夕食を食べたら、眠くなってしまい、なんとも大事を自分でもなす人間ではないなあと思いつつ、ダメ人間にありがちな、まあ、これでいいじゃないと眠気の中で「寝言」が浮かんでしまいます。
posted by Hache at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 幸せな?寝言

2007年10月28日

「生きること」と価値

(@時の最果て)

ハッシュ:zzz
ボッシュ:それにしても、いつ来ても、ここまでかわらぬとは…。
ハッシュ:ふわあ。なんじゃ、また、おぬしか。
ボッシュ:ワシもとしかのお。おぬしの言葉を聞くとホッとするようになってしまった。なんだか、ここに来ると、すべてが夢のようじゃな。
ハッシュ:まあ、生きていること自体が夢のようなものじゃ。たいていは、終わる頃になっても夢を見たままじゃな。ワシもおぬしもな。
ボッシュ:ワシの一生も、夢か寝言のようなものというわけか。
ハッシュ:そう達観することもあるまい?一瞬、一瞬を真剣に紡いでおるだけで、それ自体が価値じゃ。
ボッシュ:そうすると、生きておること自体が価値ということか?
ハッシュ:…。言いにくいが、おぬしらしくないぞ。生きておること自体が価値だということにしなければ、無価値でも実は同じじゃが、いちいち生きておることの意味を考えねばならぬ。生きる前に意味を問うなど無意味じゃ。生きながら問うたところで、生きているということ以外になにも残らぬ。なにかあったのかね?
ボッシュ:ジパングの老人や若者と話をしていると、ワシにもわからなくなることがある。老いた者も若い者もよその国と比べれば、たいそうよい生活じゃ。にもかかわらず、不平不満が絶えぬ。もちろん、うまくいっていないところを手直しするのはいつの時代であれ、どこであれ必要なことだろう。しかるに、何を不満に思っているかさえ、ワシには皆目見当が付かぬ。ワシはよそ者ゆえ、年金などには縁がない。幸いじゃが、店長がへまさえしなければ、食うに困ることがないゆえ、薄情なだけかも知れぬ。老いた者はもらえる額が少ないとこぼし、若い者はもらえるかどうか不安だらけじゃ。そして不平不満の解決策なるものを聞いていると、あれこれ理屈はこねるが、「ワシは困っている。お前にはカネがある。だから、よこせ」といっているようにしか聞こえぬ。老いた者がもらえるカネが少なければ困るのはまだわかる。働く機会も少ないし、カネをえるのが難しいからのお。若い者は論外じゃな。いずれにせよ、人様からお金をいただくのに、とても説得できる相談ではない。
ハッシュ:おぬしも、店で苦労しておるようじゃのお。
ボッシュ:店でこんな話をされたら、お断りじゃな。こういう御仁はどんな料理を出しても、どんな酒を出しても楽しむということを知らぬ。食事を楽しむというのは、生きる上で最も大切な話の一つじゃ。
ハッシュ:武器から料理へ作るものは変わっても、相変わらず命の賢者様らしいのお。
ボッシュ:ところで、おぬしは食事をするようには見えぬ。いつも、ここで居眠りをしているだけじゃ。楽しみがあるようには思えぬのじゃが?
ハッシュ:ここにいると、「とき」と対話をすることができる。もちろん、意地悪な神様がワシにそのような夢を見させているのかも知れぬ。夢であれなんであれ、楽しみが尽きることはない。
ボッシュ:ふと、思うのじゃが、ガルディアではジパングの人たちは勤勉さで有名でもあり、悪名も高かった。働くこと自体が苦しくとも楽しいと感じるのは、外から見れば奇妙ではあるが、どこかで尊敬に値する感覚があったのだ。ただ、町の集まりに出てみると、そのような人たちは思ったほど多いわけではないようじゃ。他方で、店に来る客人の話を聞いていると、ワシにはとうていできそうもないが実に忙しい様子なのに、そんな雰囲気もない。不思議な話じゃ。
ハッシュ:おぬしの観察が正しいのかは別として、あのデブに話してもらおうかのお。
ボッシュ:あのデブは極楽トンボゆえ、まともな話は期待できそうにないが、ちょっとはまじめなことを考えるのにはちょうどよい話じゃな。まあ、好きにしたらよい。ワシは、海外に用があるから、しばらくお休みじゃ。そろそろ、お暇じゃな。
ハッシュ:それは、それは。また、おいで。

 ……。上海馬券王先生をからかっていた祟りでしょうか、私の苦手な話を振られてしまいました。賢者様たちには申し訳ありませんが、身近な話でまいりましょうか。

 この数ヶ月、慌しいあまり、床屋にも行かない状態でしたが、あまりの不精さにただでさえひどい顔がいっそうひどいので、閉店間際にギリギリセーフ。床屋のお兄ちゃんが「最近は、(理髪関係の)専門学校に大学生が来るんですよ」と言うので、さもありなんという感じ。私の知り合いの営業マンなどは逆FA宣言をして「君の仕事は10億単位だからもっと若い人もつけようか?」と上司に「援軍」を送るありがたいお達しに、「役立たずを送られても、能率が落ちるだけですから、真っ平御免です」と答えたとのこと。格差がどうたらこうたらという話が絶えませんが、高等教育への進学率が52.3%と高い水準で(文部科学省「教育指標の国際比較」)、理科系のように専門性が高い分野は別として余計なことばかりできる期間が長くなり、あまり生産的ではない印象もあります。生きる前に価値を問うような人が増えれば、国もおしまい。もっとも、韓国のように90%を超えるとなると、余計なお世話でしょうが、人を育てる私的・社会的な費用が非常に重くなり、大変だろうなと思いますね。

 年金の話はわかりませんが、高齢者の方々が「第二の人生」にどのような意義を見出されてゆくのかは、私の想像のおよぶところではありませんが、生きていることそのものが価値であるという発想が難しくなっている時代なのかもしれません。両親を見ていると、とても自明のこととは言えそうにありません。そういうことにしておくというのが日本人の知恵ではあるのですが、なかなか難しい時代です。

 仕事柄、「事実」から「価値」を峻別することに注意を払わざるをえませんが、言われてみれば、実際の人間では渾然一体となっているのが自然で、両者をいちいち区別していては、生きること自体が苦痛になるのでしょう。話が飛躍しますが、分権的社会というのは人の数だけ「価値」を認めるようなもので、私自身はこのような社会のありように満足しておりますが、「思い通りにならない現実」そのものを否定したい衝動に駆られる方が無視できない程度にもいるようです。分権化が進めば進むほど、個人が全体に及ぼす力は小さくなり、「理想」でもって社会を改造しようとすることは困難になるのでしょう。もっと言えば、理想そのものが卑小になってゆく。「思い通りならない現実」というのは他者性から生まれると考えがちですが、実は、相互作用の中でしか生きてゆくことができない現代人のありようそのものだというのが、「時の最果て」のスタンスです。

2007年10月27日

いかがわしい「三角関係」

 「速っ!」というのが率直な感想。『ヘルシング』がこちらでとうとうでたのを見た瞬間に中日が完敗したのねと思う私も「穴党」ですかね。だから、言わんこっちゃない。「敢えて言おう、カスであると!!」がすべてを象徴している感があります。というわけで、日本シリーズなんて見もしませんよ。結果は見えているんだから。野球は「筋書きのないドラマ」というのも一興ですが、戦力的に厳しいのは明らかですからね。(やけくその)フフン(こちらを拝見すると、2回ぐらいは勝てるんでしょうか。本当だといいのですけれど。信用していないわけではないのですが、「戦前」から弱気なので、慰めていただいているような気分です)。

 「師匠」と仰いだ方を罵倒するのが「弟子」たるものの心得と作法いうのがいかれた「外道」なのですが、「米中融合の舞台裏」はさすがに驚きました。米中融合自体は断片的にも報道されていますし、同時進行で日中融合が進み、日米融合に至っては、お互い切りたくても切れないぐらいに抜き差しならない関係。そこへ一気に米中が幹、日米・日中は枝と言い切ってしまうあたりが、なんでもないようでひそかにかなわないなあと思うあたりです。悔しいのですが、これはさすがに参った。言われてみれば、当たり前なのですが、こういう読み筋が出てこない。もちろん、この読みが正しいかどうかは疑問の余地がありますが、このように見ておけば、取り返しの付かないミスはしそうにない、肩の力をごく自然に抜いた概観で、こういう常識的な議論には参ります。

 ある失礼しちゃう人が証人喚問を静止画像でやる方とかんべえさんが似ているなどとおっしゃるので、慌てて、写真を探していたら、あるサムネイルが目に留まりました。「うげっ!かんべえさん、まさか?」と思ったら、石破防衛相でした。画像がぼけていると本当に似ている。違うところといえば、スペック厨かどうかという点ぐらいで、あとは、しゃべっているときの重圧感の有無ぐらいでしょうか。というわけで件の事務次官経験者は、疑惑の真偽いかんにかかわらず、イシバ系ではないと断言しておきます。

 ……。どうも癖が抜けないようですな。話を元に戻しましょう。米中は幹と割り切ってしまえば、きついようで実際には日本側に選択肢があまりないわけですから、米中を中心に情勢をしっかりと見極めた上で数少ない変数を操作してゆくほかなく、ぐだぐだな政策論は不要という感じでしょうか。日米・日中が米中の従属変数と割り切ってしまえば、中国との関係ではごく普通の国と国との外交関係を維持すればよく、既に安倍政権で通常の関係に戻っているわけですから、よけいなことを考える必要はないと思います。日米関係は、日中関係よりも深いだけに難しい部分も多いでしょうが、小泉政権下の日米同盟の蜜月時代に覆い隠されていた米軍再編によってさらに複雑化している基地問題など小骨をとる作業に専念するのがベストでしょう。もちろん、集団的自衛権という問題はあるけれども、それ以前の問題があまりに多く、これを放っておくわけにはゆかない。しかも、日米間の懸案というよりも、国内問題であって、消極的に響くかもしれませんが、こちらも積極的に仕掛けるというよりも、発火している部分は丁寧に消火し、くすぶっている部分は用心深く火を煽るようなことをしないという姿勢で細やかな対応が肝要であって、「大技」をかける必要はないでしょう。日本が被動者の立場にあること、日米関係が日中関係に優越するということなどを抑えて、地味なことを積み重ねてゆくにはちょうどよい時期だということでしょう。

 そんなのんきなことを考えていて、米中が日本の頭越しに接近したら困るじゃないかという考え方もできるのでしょうが、実を言えば、米中が衝突のコースに入る方がおっかないというのが素朴な感覚です。かんべえさんは、日中関係において胡錦濤政権への不信感を漏らしていますが、彼らがアメリカの扱いを間違える可能性も低くなく、アメリカの側にも同様の不確実性があります。率直に言って、足元で火がくすぶっている状態で米中衝突となると、耐えられるかどうか。かなりお寒い状態でしょう。厄介なことに、カネの面では中国と利害を共有する点も多く、安全の面で米中が衝突に至れば、アメリカ側に立つのが当然とはいえ、経済面での犠牲に耐えられるかどうか、危うい部分があると思います。。米中が生ぬるく「友好」関係にあるときには地道に、とくに日米関係にある棘を抜く作業に専念すればよいのですが、衝突となると、それに見合う準備が日本にはない。どちらに米中関係が転んでも大丈夫なようにしておくのがベストですが、実際には事が起きてからでなくては対応することは難しく、おきてからでは遅いという厄介な問題です。事が起きる前に備えておくのが現実的だとは思いますが、この種の「現実論」はしばしば事前の対応策の実現可能性を考慮していないという点で理想論になってしまうことが少なくなりません。

 ここで強引な「寝言」ですが、日米中の「三角関係」で日本の影響力が低下する事態にカリカリするのはムダですから、余計なことを考えそうになったら、寝てしまえというのが、いかれた「外道」の見立てです。下手の考え休むに似たり。口角に泡して議論をするよりも、情勢を冷徹に見ながら、日米同盟の「空洞化」を止める地道な作業が必要だと考えます。もう少し、スピードを上げていただけると、一国民としてはありがたいのですが。

2007年10月26日

客観と私心

 不精な私は日記など書かないのですが、ブログなるものを書いていると、自分が書いたものが積み重なってきて、「まあ、この程度ですね」と自分で自分をからかいたくなる気分があります。以下は、他人が読むことを前提にした体裁にしておりますが、自分の内面に関する「寝言」です。読者の方々に私の内面を知っていただきたいというより、読者という他者を設定することで自分自身を見てゆきたいという利己的極まりないことですので、読者の方に読んでいただきたいという欲はないので、ご容赦ください。


続きを読む
posted by Hache at 04:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言

2007年10月25日

無責任に財政を考える

 そういえば、久しぶりに会った友人の表情が政治の話になると暗くなって、なんだか投げやり。私とまるで異なるタイプなので、補給活動などやめてしまえと言い出すので、おそるおそる民主党のほうがいいのと尋ねると、国際貢献自体やめてしまえ、ODAなんか出している場合じゃないと言い出すので、ちとびっくり。どうしたんだろうと思ったら「日本は詰んでません」と尋ねてくるので、念のために「将棋の詰みのこと?」と尋ねるとそうですとの返事。私は諸事迂闊なので、おそるおそる何の話かと思ってそんなにやばいのと迂闊なことを言ったために、「財政が危機的状況で外国に金をくれてやる必要はないでしょう」と怒らせてしまいました。

 それでも性格が曲がっている私は、まともに財政再建なんてやると碌なことがないよと諭すしかない。政党や役所の回し者でもなんでもなく、彼は消費税増税をすべしとのことでしたが、これはさすがに。税収の弾性値の計算など最近のデータを見ていないので細かい議論は避けましたが、税金を増やして喜ぶ人はいないよ、あなたがよくても他の人がいいって言わないと話にならないからと言うと、少しは冷静になりました。現金なもので、世界的な信用不安が広がるほど、ありがたいと思っている様子。年明けあたりに銀行セクターは買いどきかなあとあっけらかんとしているので、こちらがあっけにとられました(あくまで彼の判断で利益が出るのか含み損を抱えて「塩漬け」になるのか、私の財布には影響がないので薄情ではありますが)途中で気がついたのですが、民間部門は信頼しているけれども、公共部門は信用できないという感覚があるようで、それを指摘したら、そりゃそうですよとあっさり認められてしまいました。もちろん、財政問題は深刻ではありますが、財務省の広報が効きすぎているのか、少数だとは思いますが、「詰んでいる」と感じている人もいるようですね。あんまりこういう人が増えてしまうと、増税以外の手段は、「詰んでいるのに穴熊!」という状態になってしまうので、匙加減は考えた方が良いのかも。

 自民党内の消費税をめぐる議論はさすがにウォッチする気力が起きないのですが、ネットで経済関係のサイトを見ても、どうもなあという感じ。政策を主張するタイプのサイトよりも、丁寧にG7の声明などを分析しているサイトを見ている方が、楽観できない状態であることが伝わってきて、政策の選択の余地などそれほどないことを感じます。延長戦15回裏二死満塁でサヨナラ満塁ホームランみたいな話を読むと、別の意味で切迫しているんだなとは思うのですが。勝海舟が財政困難から空論が生じるという発言は、日清戦争の批判としては、世論は別として伊藤内閣批判としては二流だとおもいますが、世相を捉えているなあと思います。選択の余地が狭まると、みんな息苦しいのでえてして妙なロマンを求めたり、主張しているご本人はご無体な話だと確信犯であったりしても、煽りにマジレスする方が増えるものだなあと思います。結局、選択肢が限られている中で、それじゃあ嫌だという程度の話でしょう。

 話を財政に戻しましょう。もちろん、長期では選択肢を増やす努力をすることが必要ですが、そんなことを急にできるわけもなく、短期の努力の積み重ねとしてでてくるもので、実は歳出削減が与野党で事実上コンセンサスとなっている状態ですから、まずはこちらを実のあるものにすることが大切だろうと。今は不毛な与野党対決でコンセンサスがないように見えますが、歳出削減が必要だという大枠では全くコンセンサスがないという状況ではない。政府も民間議員の試算として基礎年金を全額税負担にする場合、消費税率を5−7%程度をあげる必要があるとの指摘をされるそうですが、こういうジャブをかましながら、まずは歳出削減で実を挙げてゆくのが筋だろうと。それだけやっていると、息が詰まりますから、上手に無駄遣いをする必要もあるのかもしれませんが。

 余計なお世話だと思いますが、こちらで紹介されているデータを見ましたが、少なくとも少子化対策への公的支出と出生率との相関があるようには見えませんでした。まあ、同一サイト内で同一年度の少子化対策の公的支出と合計特殊出生率の相関も計算されていて、Rスクエアが0.2794となっており、作成された方自身が高くない(はっきり言ってしまえば、公的支出の多寡では合計特殊出生率を説明できる水準ではないでしょう)と書かれているので引用されているサイト自体はやや良心的だとは思いますが(高齢化との相対比はちょっと意味不明ですが。このあたり、やはり結論ありきかなと懐疑的になります)。このデータを見れば、むしろ、「少子化対策」に公的支出を増やすことがどれほどの効果があるのかは疑問でしょう。このあたりはデータを丁寧に見る必要があると思います。強いていえば、この状況下で子育てをされる方の負担を軽減するという目的にした方がよさそうです。また、教育への支出水準が低いというのも、具体的な政策的効果と対応しているのかが明確ではなく、あまり意味がないと思います。記事を書かれた方、コメントされている方はとってもよい方たちだと思いますが、数字を出されると騙されそうなタイプですね(実際は、自分の主張に耳障りのよい良いデータにのみ反応しちゃうんでしょうけれど)。

 私自身が現在進行している歳出削減の実態に疎いので「べき論」になってしまいますが、まずは余計な仕事を増やさないということが基本だと思います。上手に役人にこの事業は不要です、あるいは縮小してもかまいませんということを正直に申告する方法を考えたいところですが、難しいところです。正直に申告して予算が削減されるとなると、バカ正直に言うわけがないわけでして、かくして政治のトップダウンで無理やり予算を削って、おそらくはかなりの期間、不必要な事業がある程度、温存されてしまう一方で、必要な事業もある程度、削られてしまうのでしょう。もっと露骨に言えば、歳出削減にメリハリをつけたところで官邸をはじめ、政府、議員と近い事業が生き残る可能性も無視できないでしょう。それじゃあ、余計に悲観的になるじゃないかと思われるかもしれませんが、よほど目利きがいなければ、そんなものです。

 要は、財政というのは、様々なインセンティブとディスインセンティブが混在している行政の姿を金額で現しているということです。選択肢が限られている中では、インセンティブを与える政策は歳出の増加を伴い、その効果が必要な経費よりも大きく上回らない限り、実行可能性が薄いでしょう。ディスインセンティブを取り除くには、役人との関係を密にする必要があります。正直に申告した人が報われるメカニズムが必要なのですが、これはなかなか難しい。あれこれ書いておりますが、財政の現状を私は「危機」というより「硬直化」と見ておりますが、まずは、硬直化するディスインセンティブを取り除いてゆく地道な作業を行うことが、効果が目に見えるまでには時間がかかりますが、不可欠だと考えております。それにしても、最近のネットでの経済関係のサイト(ごく一部を除くと、ほとんど見ませんが)を見ていると、インセンティブの問題にまるで配慮がなく、自分の見解と異なる方たちを罵倒するだけの「保守論壇」と似た雰囲気を感じます。まあ、選択肢が限られているということを認めない人たちというのは、似たような行動をとるというだけなのでしょう。言いにくいですが、自分の主張が通らない日本は滅ぶかのような「憂国の士」が多く、失礼ながら、平和に暮らしている私には理解不能だったりします。

 歳出削減を行った上で消費税率を引上げを争点にし、引上げを主張した政党が衆院選で勝利しても、実際に消費税率を引き上げると、有権者が事後的に「裏切る」可能性も無視できないでしょう。橋本内閣はまさによい実例です。かといって、事前には消費税の「し」の字も出さずに、引き上げても、恨み骨髄になるだけでしょう。いずれにせよ、私は現状では否定的ですが、消費税率を引き上げる場合、景気の減退は避けられないわけですから、第1にタイミング、第2に景気へのショックを和らげる財政政策と金融政策のミックスが不可欠になります。現状では消費税率の引上げに日本経済が耐えられるかどうか懐疑的ですが、仮にショックを吸収できる状況がやってきたとき、結局ものをいうのは政府の日銀への説得力というところでしょうか。「デフレの原因は日銀の『バカの壁』」説は、失礼ながら影響力がない方がいくらでも叫ぶのはなんの問題もないのですが、政府や財務省が間違っても言わない方がよろしいんじゃないですかと思いますね。フフン。 
posted by Hache at 01:22| Comment(0) | TrackBack(0) | ふまじめな寝言

2007年10月24日

命をカネで代替できるのか?

 この方がけれんのない文章を載せるときは、拝聴しておけばよく、特別、感想も浮かばないです。まあ、「寝言」を書くのは蛇足というものですが、「時の最果て」らしく、よけいなことをしておきましょう。私の備忘録以外の何者でもなく、なにかを主張しようという面倒な欲もないのですが。

 冒頭の話題からかけ離れて恐縮ですが、故佐藤誠三郎氏との対談を岡崎久彦氏がまとめた『日本の失敗と教訓 近代160年の教訓』(扶桑社 2000年)という本があります。ずいぶん、昔に伺った話ですが、佐藤氏が岡崎氏の日米同盟論を厳しく問い質すというやりとりがあったそうです。どのようなやりとりであったのかは詳しくは知らないのですが、岡崎久彦『日本は希望の新世紀を迎えられるか』(廣済堂出版 2000年)には5人の方たちが論考を寄せていて、佐藤誠三郎氏は「現代世界における平和と文化」という論考を寄せていて、単行本で8頁強ほどですが、視野が広く、普通はその分、内容が薄くなるものですが、個々の論点について簡潔ながら、深い洞察を示されていて、驚いた覚えがあります。このような議論に私が関与するにはほど遠いのでしょう。

 これは、5年以上前のことですが、私よりも一つ上の方が、この問題にどのように答えますかと尋ねられて、困ってしまいました。正確に言えば、困ったわけではないのですが、こういう一瞬はある意味で怖いものでして、私自身の姿が鏡に映ってしまう。正確に言えば、このやりとりがあってから、あらためて佐藤氏が岡崎氏に投げかけた問いを読み返したのですが。このときは、十分に議論のバックグラウンドを理解していない状態でした。実際に考えたのは1、2秒でしょうが、「考えに考え抜いて、疑いに疑いぬいてこれだけは理屈ぬきで前提とせざるをえないものは公理として話が始まりません。それがなければ、考えること自体をやめることがありません」とお答えした記憶があります。喫茶店での気軽な会話の後で非常にリラックスしておりましたが、このときはポーンと公案を投げ出された若造のような気分でした。

 「日米同盟は日本の安全にとって自明の公理である」と私自身が断言できるほど、考え抜いたわけではありません。しかしながら、「虚構」を置かなければ、見えない現実というものもある。もっと言えば、「虚構」なしで現実を見ることができないように、人間の認識というものはできているらしいと感じることがあります。始原を「無」におくなど、作為的な「虚構」の最たるものでしょう。「仮想現実」という言葉を聞くと、どことなく違和感があります。テクノロジーが発達する前から、人間は仮想現実であがき、もがいている。そんなありように等しく敬意を払いたいと思う一方、私も「私」である以上、濃淡が生じてしまうことを感じます。

 冒頭の話に戻りますと、あまり付け加えることがありませんが、日英同盟が切れた後、先の大戦で敵味方に分かれたとはいえ、イギリスという旧同盟国というのは、よくものが見えていて、現在の日本政治の混迷に手厳しいながらも、ありがたいものだと思います。こちらを見ると、日本を肯定的に見ているイギリス人が多いのだろうと思います。いわゆる「好感度」調査に過ぎないでしょうし、だからイギリスのインテリの話をきけということでもなく、彼の国には野蛮さと同時にあらためて高貴さを感じます。他方で、この国では命の問題をカネで代替できるかのような発想の方が少なくないご様子で、彼我の違いを感じてしまいます。冒頭で引用させて頂いた記事で救われた気分になりました。救いようがないように見える状況下で、カネで代替しようと言われると、絶望的な気分になりますが、人間味に触れると、厳しいながらも現実を見てゆこうという気分になります。

2007年10月23日

学を絶すれば憂い無し 論を絶すれば・・・

 ふとした拍子に思い出しましたが、『ニュースステーション』でよかったかな、夜の10時ちょっと前ぐらいから始まるテレ朝系列の報道番組で久米宏氏が愛知万博の2年ぐらい前に愛知県は調子に乗っていて東京は大丈夫ですかねという趣旨の発言をしていたのを聞いてギョッとしました。オリンピック誘致で東京都と福岡県が争っていたときに、たまたまNHKを見ていたら、たぶん全国で流しているのでしょうけれど、やっぱ東京しかありえないでしょみたいな発言をして、もっとギョッとしました。メディアの方たちのほうが、洗練されていて都会的であるのは間違いないと思いますが、発言自体は田舎もの臭くて、しかも全国に向けて発信しているという自覚がなく、うーんという感じ。まず、首都圏と中京圏では経済規模だけをとっても、2倍以上の差があり、人口規模でも未来永劫とは申しませんが、両者が肩を並べることはまずないでしょう。文化的影響力となると、数字では表せませんが、経済規模どころではない差があるでしょう。まして九州を全国の公共放送でくさすなど論外。失礼ながら、私よりもコスモポリタン的な世界に生きている方々から、とてつもなく田舎臭い発言が出ると、やはり、この国はどこに行っても田舎なんだなと感じてしまいます。この状態では、政権がコロコロ変わっても、やむをえないかなという感じ。地域間格差なんてどうにもならないと思いつつも、宥めようとする雰囲気ぐらいつくらないと、いつまでも絶望的な「反乱」が続くだけ。メディアという「嘘」をつくことを仕事にされている方が、本音を仕事で言うというのは、愚劣以外の何者でもないなあと。政治家が言ったら、おしまいよですから、まだ救いがあるのかなと。

 偽善ではあっても、首都圏は一地方であると同時に、日本の中枢であり、中央であるわけですから、愛知がどうだ、福岡がどうだぐらいでは微動だにしないぐらいの面構えが必要でしょう。私の知りうる限り、メディアに露出していて、今後、期待できそうなコスモポリタンの香りがする「若手」の方(超高齢化社会では、かんべえさんでも折り返し地点を少し回ったぐらいですから、年齢を感じるなどと書いてほしくないなあ。あたしゃ、薄情だから、さっさとくたばりますけれど)は、伊藤洋一さんが抜けていて、少し落ちるがかんべえさんぐらい。活字の世界では、雪斎先生が抜けている感じが致しますが、あとはよくわからない。知識はあるが、見識はなさそうな方なら吐いて捨てるほど、いそうですが。経験だけではどうにもならない部分があることを感じます。資質といってしまうと、おもしろくはないのですが。

あんたは何様って?

言うまでもないでしょ、「寝言」ですから。検討にすら値しない。

 話が変わりますが、悪友と飲んでいると、人間というのはemotinalな存在だということを実感します。お互いにお世辞にも組織人ではない。職業柄、人間は合理的であるという前提で話を進めますが、そんなわけがないだろうとまあ誠心誠意、嘘をつくという感じ。組織というのは、全然、合理的ではない。日本的風土とかもあるんでしょうが、それはよろしい。どこでも、なにがしらかの風土はある。日本人にわかりやすく書けば、建前は論理だけれども、本音は感情だろうと。ただ、論理というタガを外してしまうと、むきだしの感情で収拾がつかなくなるので、論理というタガでやりくりをしている。そんな「寝言」を語り合うという、ありがちな中年の会話ですな。だから、論理というタガで感情を抑えている人たちを動かすには、こちらが感情的になってはダメである。己を空しくするということをはきちがえている人が多い。私の感情は私のものであってあなたのものではない。あなたの感情はあなたのものであって私のものではない。それをぶつけたところで動かないから、論理という虚構の世界で人との感情をやりくりするのであって、虚構である以上、すべてを解決することは不可能でしかない。そこでじっと自分を見れば、感情の動物でしかないことがわかる。感情が先にあるのであって、論理は後からついてくる。そのような自覚がない人たちが、無形のゴミをはき散らかす。理屈っぽくてそんなのは嘘だというのなら、自分が欲望の動物であることを認めることから始まる。論理などというのは、自分の欲望を正当化するための虚構でしかない。文明というのは、嘘で成り立っているのだけれど、嘘をつかなくなれば、文明は終わる。文明の衰退というのは嘘を上手に言えなくなることから始まる。

 『老子』は、嘘の吐き合いが活発だった中国古代の末期に成立したのでしょう。とても、上等な「寝言」もとい嘘がそこら中にある。一番、洒落た嘘、あるいは「ほほお、さすがですなあ」と思わせたのは、次の一句。

 学を絶すれば憂無し。

 「時の最果て」ならば、次のようにリライトしたくなりますね。『老子』のように洗練されてはいないので、ひねりにひねった文章を元に戻すのは、あまり楽しくはないのですが。

 論を絶すれば絶句するより他無し。 
posted by Hache at 01:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言

2007年10月22日

中日4連敗!? 上海馬券王先生の「大預言」

 「上海馬券王のページ」を読みながら、馬券を買わずに上海馬券王先生の文章を楽しむいかれた「外道」ではありますが、菊花賞の予想にはひれ伏しました。あんまりわかっていない気がしますが、三連複で買っていたら、よい小遣い稼ぎになったかも。予想に関しては、「当たらんものだ。私が保証する」などとおっしゃっていますが、素人目にはびっくりするぐらいの精度で、かんべえ師匠も「冴えている」との評。実に素晴らしいです。

 話がうってかわりますが、2004年の10月3日の先生の予測に下記の文章があります。

「管理職」としての落合の仕事振りの特徴は大体以下の2点に要約できます。

@斬新な政策
 短所である攻撃力の底上げなんてあっさり放棄して、長所である投手力をとことん活かすため普通なら守備固め専用の選手をスタメン起用。こんなチーム編成考えたのは多分この人が最初ではなかろうか。大抵は「守備には目をつぶって」って形で打力増強を図るものなんだ。この割り切り方は凄い。

A強い意志
 一度決めたら頑として変えないし、意思決定に揺らぎが無い。先発投手って世間で思われてるほど豊富じゃないのに中6日のローテーションを絶対崩さないし。負けが込んだときは変えたくなるもんなんですが、ましてや新人監督だし。


まぁ、「人を見る目がある」とか「選手にやる気を出させるのがうまい」とか探せば他にも色々あるんですが、勝つときは何やってもうまくいくもので、それって「後付」で美点化される類のものですな。でも上記2点はちょっと違う。

@はリフレ派が主張するインフレターゲットみたいなもんで、「良識ある」エコノミストじゃないやプロ野球解説者が見れば目をむく様なぶっ飛んだ政策なんだ。これまで取られてきた政策って「構造改革」と題して弱点の徹底清算を図るか、「財政出動(FA)」と題して高額年俸選手を外部調達するかあるいはそれを両方やるかのどちらかだったでしょ。それを金を使わないどころか、弱点を更に増大させるやり方でチームを浮揚させようなんてスキームはかつてありません。これは凄いことです。

Aこのスキームは理屈の上では間違ってはいないんだけど実際これをやりぬくには勇気と強い意思が必要なわけです。(それが証拠に経済政策としてのインタゲは経済学者がピーチク騒ぐだけで誰もこれを実地でやろうなんてしないじゃないですか。)で、落合は机上で終わらせることなく結局それをやり抜いちゃった。これも凄いのです。こんなことは、失敗して首になっても別にかまわないという腹の据わった人にしか出来ないわけで、球団生え抜きのサラリーマン監督には到底望めないことなのです。

よって「優勝と言う結果が伴う伴わないは別にして落合はやはり非凡な監督である」と言うのが結論としてもたらされるのであります。


思えば、落合が監督就任時の記者会見で「補強をしなくても現状戦力を10%上積みすれば優勝は十分可能」と発言した時、世間の反応は大変冷ややかなものでありました。

それも無理はありません。何せそのときは、悪魔的としか言いようの無い強さで勝ちまくる阪神タイガースの印象が超強烈だったし、巨人が相変わらず金に飽かせてとんでもない補強をしまくっていたし、来年のペナントをこの1チーム以外を軸にして語ることは考えようも無かったわけだ。そんな状況下で12球団随一の貧打ぶりを誇る中日が優勝を口にすることは、例えてみれば、サッカー日本代表がワールドカップでの優勝を、亀井静香が小泉相手に政権奪取を宣言するに等しい狂気の沙汰と言わねばならず、この時の世間の反応の冷たさは今考えてもまったく正当なものであったのです。

しかし、結果は。。。。

告白しますが、実はこのとき最も冷たい反応をしていたのが他ならぬ私でした。落合は打撃に関しては長島以上の天才であることは疑いようも無いのだが、そんな天才だからこそチームの管理監督なんかできるわけが無い。きっと自分を物差しにして凡庸な選手に無理難題吹っかけてぼろぼろにしてしまうに違いない。今年は下手すりゃ最下位もありうるのではとまで思いました。まさか、3度の三冠王を初め打撃タイトルを総なめにした一方でゴールデングローブ賞には全然縁のない現役時代を過ごした人があのようなディフェンシヴなチームを構想するとは夢想だにしませんでした。

落合様。私は懺悔します。

 この「懺悔発言」を引き出したのは、どうも他ならぬ私めだったようでして、9月26日の「どうせ中日のマジックよりはイチローのマジックのほうが世間の関心事なんだしさ」発言に2003年の10月12日の発言を示してかんべえ師匠にメールを差し上げたところ、憶測ですが、かんべえ師匠が上海馬券王先生にメールを転送して先生の「逆鱗」に触れてしまい、エコノミストや経済学者がとばっちりを食らうという事態を招いてしまったようです(ちなみに、いわゆる「リフレ政策」と通常の「インフレ目標」とは区別しておくべきだと考えます。後者は、主として"time consistency"の点でミクロ的基礎が少なくとも理論的には確立しております)。あらためて、上海馬券王先生の偉大さに触れ、天に唾する行為をしでかしたことを恥じるばかりです。

 しかるに、2007年10月21日の文中、「うん、確かに、私も2週間前までは仮に日本シリーズに出られても、日ハム相手じゃ辛いなとは思っていたのです。でもねえ、考えて見れば去年ひどい目にあわされた小笠原や岡崎、新庄が今年はいないわけ。かかる日ハムに如何ほどの戦力が残されていようとも、それは既に形骸である。敢えて言おう、カスであると!!」を拝読いたしますと、非常に危険な香りがいたします。日ハムファンを敵に回すとか、そのような低次元の話ではなく、強調部分が極めて危険なのです。

 2003年9月21日では、長編を除くと、最も楽しい「上海馬券王の人生相談」が掲載されています。このコーナーは本当に楽しいのですが、文中、「私は今、次の言葉を必死に押さえているのです。『敢えて言おう。カスであると!』(C)ぎれん・ざび」という文章が出てきて、ローズSでは「カス」の可能性があると指摘されたアドマイヤグルーヴが1着という結果になっております。もう、お読みの方はお分かりかと存じますが、上海馬券王先生に「カス」の可能性を指摘されただけで奮起してしまう結果ですので、今回の留保なしの「カス」認定は、日ハムの連覇をほぼ保証したとも言えるわけでして、イクスクラメーションマークがダブルになっているのを拝見いたしますると、どうやら日ハムがドラゴンズを4タテにする可能性が極めて高くなったのではないかと危惧いたします。上海馬券王先生の鋭い勘は、敢えてあてようという「我欲」を捨てたときに、最も優れたはたらきをされるのではとひそかに感じております。

 しかしながら、元ファンとはいえ、このような、負け犬根性丸出しのヘタレな記事を書くなとの叱咤と受け止め、元ファンといえども、先生の「立てよ、国民!ジーク・ジオン!」の檄に感涙し、ファン復帰を果たして、落合中日をささやかながら応援してゆく所存です。それにしても、小学生時代に浜松時代にガンダムの初回から3回ぐらいまで見て、『宇宙戦艦ヤマト』を超えるものではないと判断し、『トムとジェリー』に流れるという安逸な生活を送っていたことが悔やまれます。ガンダムネタはからっきしなのであります。

 収拾がつかなくなりましたので、〆はこれですな。

 燃えよドラゴンズ!

 4タテを食らっても、日ハム相手なら許す(やっぱり弱気)。


続きを読む
posted by Hache at 03:48| Comment(0) | TrackBack(0) | ふまじめな寝言

2007年10月21日

ご無体な民主党の「対案」

 小沢論文はスルーでいいのかなと思うのですが、民主党の対案がいつでるのだろう、「振り込め詐欺」じゃあないでしょうねと思っていたら、こんな記事を見て、びっくり仰天。これは言葉がでないというか、どう突っ込めというご指示なのか、『産経』だから意地悪く書いているのかと疑ってしまう始末。補給活動を補完する形での民生分野での協力強化はありうるのかなと考えておりましたが、この「対案」を読むと、補完的活動としてすら、非現実的に思えてしまいます。イラクでは復興支援活動のために陸自を派遣したが、アフガンではできないというのは筋が通らないというご趣旨の批判が民主党の方からあったと記憶しておりますが、イラクとアフガニスタンの治安状況の差を無視した議論であることが、「対案」のおかげでクリアーになった印象です。イラクの復興支援活動は、現地の情勢、自衛隊の能力、各国との強調などを勘案した上で、国内的制約のギリギリのところまでなんとか引っ張って実現したものだということを実感します。それにしても、アフガン人に「文民」の命を守る義理はなく、カネで命を買えるとでも思っているのでしょうか。

 なんでこんな変な議論になるかといえば、結局、補給活動を止めるべしという話がありきというところからおかしくなっている印象です。この点で妥協して民主党がなにを失うのか、私のソロバン勘定が変なのかもしれませんが、統治能力を示すことにはなっても、失点になることはないだろうと。「寄り合い所帯」なのは自民党自体がそういう政党ですし、自公連立ですから、現政権は、民主党が「寄り合い所帯」なら、いったい何なんだろうと。それでも、軍事の素人が見ても賞味期限の切れた赤福の方がマシとしか思えない(今は違うかもしれませんが、父上なら、カビが生えていても、平気で食べてしまい、腹を壊したことがなかったりします)「対案」がでてくるというのは論理的に説明すること自体、苦痛を覚えます。

 この記事にある「対案」が幻に終わるのかはわからないですが、ちょうど都合の良いタイミングで守屋氏の話が出てきて、よくできているなあと。私が悩むことではないのでしょうけれど、「テロとの戦い」から日本が離脱したときのダメージコントロールまで考えておかざるをえず、妙案がまるで浮かばないです。民主党の党内事情で外交・安全保障政策が振り回されるというのは寒気のする状態。コンセンサス形成が始まる前の混乱なのか、コンセンサス形成が不可能な状態であることを示しているのか、どちらなのかはわかりませんが、犠牲にすることがあまりに大きすぎる印象もあります。

 さらに苦痛なのは、解散・総選挙をやっても、参院は変わらず、仮に与党が勝利しても、訳のわからないことを言い出す野党の力が強すぎること。安倍政権以前どころか、小泉政権で実現した外交的成果が白紙に戻りかねず、それでもこの先10年やりくりする算段を考えざるをえず、あまりに厳しいという「不幸せな寝言」というより「悲しい寝言」が浮かんでしまいます。「善意の怖さ」という半分、ふざけたような「寝言」を書きましたが、現実無視という行動の代償ははるかに大きいでしょう。ただ、このように民主党の批判を書いても、ここまでひどいとは気がつかなかった自分の迂闊さの方が現実を知らなさすぎたという感覚です。
posted by Hache at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 不幸せな寝言