2007年10月08日

祝! 上海馬券王先生の「戦線復帰」

 ううむ。自意識過剰なのでしょうか、上海馬券王先生の最新の予測の文中、「(インティライミという馬は)俺が買うと来ない、買わないと来るという極悪非道な行為を繰り返す外道だし」で思わず、ドキッとしました。おそらく自意識過剰なのでしょうが、この一文は「俺が買うと来ない、買わないと来るという極悪非道」でも完結するわけでして、ひょっとして、「あんた読んでる?」とのお告げではないかと。私めは、競馬をやらずに「上海馬券王のページ」を愛読する「外道」でありまして、上海馬券王先生の懐を傷めるような外道ではありませんので、お断りする必要もないのですが、万が一ということもありますので、やはり念のため。

 本来ならば、ご快癒を願う言葉が先に来るのですが、この一文に過剰反応してしまったために、変な展開になっていました。ちなみに、風邪とはいえ、冒頭の対話編の冴えていること。自慢げに雪斎先生のところで自作の「対話編」へのリンクを張ってしまう「極悪」さんとの格の違いを感じてしまいます(言いにくいですけど、「参謀論編」はあそこだったら読んだことがある人がほとんどじゃないかなあ)。上海馬券王先生のファンは「片手で数えられる範疇」ではないと断言いたしましょう。『溜池通信』を読ませても、「不規則発言」を読ませても、「フフン」じゃなかった「フーン」となる最近の若者に「上海馬券王のページ」を見せると、「この人、すごい、すごすぎる!」(言いにくいのですが、いまどきの20代で私の周辺では日曜の朝から『サンプロ』を見るというのは奇特な方たちですね)「戦意喪失気分はもう安倍普三!」というのも、ドキッとしますが、ポルトフィーノの「出馬回避」と微妙に重なっていて、風邪とは思えないできですねえ。

 てなわけで、最後の「燃えよドラゴンズ!」にお応えしたいのですが、1994年10月8日の悲劇以来、燃え尽きて「元ファン」になってしまった私には「一番田尾が塁に出て、二番平野が送りバント、三番谷沢がタイムリー、四番大島ホームラン。いいぞ、いいぞドラゴンズ、燃えよドラゴンズ!」(うろ覚えで書いているので、スタメンの時期が変かもしれませんが)という中学時代から進歩がなく、『中日新聞』(ローカル紙が『東京新聞』なんて恥ずかしいネーミングの新聞を発行しているのは勘弁してほしいのですが)のスポーツ欄(論調に難癖をつけるかたもいらっしゃいますが、私が子供の頃には実体は『中日(スポーツ)新聞』でしたね。ドラゴンズを参加にしている地方紙みたいなもんでしょう)に「火事場(鹿島)で火達磨(平沼)を見やした(宮下)」などという見出しがお約束のように踊っていた「暗黒時代」を思い起こせば、いまのドラゴンズの現状は天国ではないかと。おまけに今年度から実施されるクライマックスシリーズなどというバカげた「祭り」は、リーグ優勝はできても、短期決戦に極度に弱いドラゴンズを日本シリーズに出してファイターズあたりにボコボコにされる醜態を避けるための制度ではないかと勘ぐってしまうのであります。星野監督ではなくても、巨人戦で燃え尽きてエラーを連発する阪神相手にボロ負け(20年以上前)してがっくりという時代からずいぶん代わったものだと思います。それにしても、優勝しても観客動員で阪神を越えられない壁にぶち当たっている巨人を見ると、アンチ巨人とはいえ、悲しいものがあります。言いにくいのですが、かんべえさんのように、対ドラゴンズ戦で闘志を燃やす阪神ファンを見ていると、ありがたいやら、気恥ずかしいやら。バカにしているわけではなく、強くなっても、いまだに対阪神戦で燃えるかといえば、やはりなにか空しさがあり、往時のように憎々しいほど強い巨人の復活を期待するという屈折した「元ファン」であります。

 1980年代前半の東海ラジオの「実況:犬飼俊久 解説:権藤博」は「黄金時代」でした。小松がストレートで決めて、犬飼アナの「空振り三振!」でしびれました。もちろん、力が入っているのですが、切れ味がよく、他球団には失礼ですが、巨人打線相手に決まると、もうたまらんという感じ。権藤さんの解説は基本的に淡々としているのですが、試合の流れが決まる、あるいは変わるところにくると、微妙に口調が高揚して渋いながらもいい味でした(「究極のええかっこしい」は本当にかっこよかった)。5月頃に少しだけ阪神対巨人の試合を見ましたが、実況・解説を味わう感じはなくて、もう野球中継を見ることもないのでしょうね。

 ……失礼しました。たぶん、ごく少数の方しかわからないローカルな話題になってしまったので、全国ネットの話にしますと、見ているどころじゃないとはいえ、『サンプロ』を録画しておけばよかったと後悔しきり。「オタク 石破」という検索フレーズで異様にアクセスがあるので確かめたところ、約62,200件中9件目あたりでヒットするので、目を疑いました。「ゲル長官 石破」(確か、「ゲル長官」の「語源」は「石破」という姓がIMEには登録されていなくて、防衛庁時代に「石破長官」と返還しようとすると、「石橋ゲル長官」となった人がいたというのが発端だったかな。都市伝説ぽいですけど)でもヒットするようなのですが、こちらは690件中27件目でヒット。やはり、「軍事道」は厳しい。最近は某巨大掲示板群をほとんど見なくなりましたが、軍板(ここしか定期的に見ておりませんでしたが)で入門者向けに江畑謙介さんの著書が紹介されていて、このあたりが私にはよさげだけど、どうかなあと思って、不躾にも故小川彰岡崎研究所主任研究員にメールでお尋ねしたところ、「良書ですよ」とアドバイスを受けたことを思い出します。御面識を頂けなかったことが、つくづく悔やまれますが。しみじみと終わりにしたいところですが、巷間で江畑さんが民放に出演しない「本当の理由」と噂されている事情をネタにしてしまうかんべえ師匠は、極悪かつ非道かつ外道であります。インティライミなんて比じゃありません。『サンプロ』でコメントしているかんべえ師匠を見て、「いい人」と思っている方は、「円天商法」にご用心。

 というわけで、「テロ対策」はほぼ完了ですかね。ちと過剰防衛かなと思うのですが、安倍総理辞任、福田総理誕生でアクセス数を荒稼ぎし、なおかつアクセス数が落ち込みそうな日曜日には上海馬券王先生が登場する「お化けサイト」からのテロを防ぐのは弱小ブログとしては本当に大変なのです。

(追記)下線部を修正いたしました(10月22日)。
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2007年10月07日

私の「意匠」

 まずは、ほのぼのする話から。ちゃみ様のおかげで、「マッコンキー」(正式名称:麦肯基)の「正体」は、偽マックとのこと。「本家」マックの中国版のHPもご紹介頂き、重ね重ね、御礼申し上げます。これまでドラえもんとキティちゃん人形の「パクリ」を見たことがなく、知人の「いじめ」に遭いましたが、NHK(BS)の番組のおかげで、なんとか半人前になりました("made in China"というより"made by Akane Tendo"かいなと。しかるに原作17巻の雑巾代わりにされたスポーツタオルの「刺繍」(天道あかね作)を見ると、「パクリ」に失礼か)。偽マックで一気に「キャッチアップ!」てな感じでしょうか。

 台湾海峡「危機」の本筋はやはり"The Strategic Value of Taiwan"(英語が面倒な方はこちらをどうぞとあからさまに誘導してみるテスト)と考えております。上記で引用させていただいた門脇先生のシナリオは、ほとんど起きないであろうと。もちろん、「一寸先は闇」ですから、一旦、有事となった場合を考えないというのはおかしな話です。ただし、やはり確率は非常に低いだろうと。

 それでは、なぜ、この佐藤空将のブログから引用させていただいたかといえば、昨今の防衛に関する議論でなんともいえない違和感があり、書き手の意図を離れて、その理由のありかがわかったという感覚です。端的に言えば、台湾海峡で米兵が命を失っている状況の下で、米軍基地の使用を国会承認にするかどうかで揉めかねない(このあたりは寒気がするほどリアリティを感じてしまいます)お寒いこの国の現状です。率直に言えば、台湾でアメリカ人が血を流しているときに、日本が基地を貸しました、同盟国として責務を果たしましたなどと言えば、同盟破棄はきついでしょうが、戦後、中国をパートナーとする道を私なら選択します。アメリカを支援した国を見捨てて、台湾を攻めた国とくっつくというのは変じゃないかと思われるかもしれませんが、台湾に武力行使するなど乱暴なことさえしなければよく、有事に基地を貸すのがやっとの同盟国などお荷物そのもの。そんなものは仮定に仮定を重ねた話で、得手勝手な空理空論だと思われるなら、それでいいと思います。

 「時の最果て」みたいなちゃらちゃらしたところで書くのが憚られるのですが、「テロ対策特別措置法」をめぐる議論を見聞きしても、なんともいえない嫌悪感があります。それは、自衛隊をだすということの重さに関する感性の欠如です。「寝言」なんぞ書いている奴に言われるまでもない、そんなことはとっくに承知しているというのなら、結構な話です。それなら、この国も将来にわたって安泰でしょう。私のおかしな感性ではまるでそんな気がしないです。自衛隊を「派遣」(この時点で不吉な感じですが)するべきである。よろしい。それでは、なんのために自衛隊を海外へ送り、リスクを負うのですか?

 そんなの決まってるじゃないか、テロリズムの撲滅、あるいはテロ組織の解体だ。給油活動の方が同盟国であるアメリカだけでなく、国際的にも評価されている。いや、ISAFに参加した方が、本来のテロ対策に近い話だ云々。別に、この種の議論をバカにしているわけじゃあ、ありません。じゃあ、なんのために自衛官の方々の命をリスクにさらすことをするのですかと重ねてお尋ねしたいのです。

 あるいは、台湾海峡で中国が台湾を攻めた。これに反発して米軍が台湾防衛で血を流している。この想定自体、極論ですが、さらに極論を重ねましょう。アメリカから自衛隊の支援の要求が来た。さらにありえない仮定を重ねましょう。この場合、武力行使と「一体化」する行為も憲法違反ではない。「戦闘地域」へ自衛隊を出せますよと。そのとき、自衛官の方々は何のために命を危険にさらすのでしょう?

 そんな非現実的な仮定に仮定を重ねた話などどうでもよいというのが正常でしょう。それも、一つの「処生術」でしょう。いかれた「外道」である私にはそうは思えない。インド洋で給油をする、イラクで復興支援を行う。今のところ、幸い、死者が出ておりません。しかし、給油もまかり間違えば自爆テロをくらわないとも限らず、空自の活動もミサイルをくらうかもしれない。自衛官の方々を海外へ送り出しているのはなんのためですかという根本の部分で私にはなんともいえない違和感があります。

 私みたいな突拍子もないことを平気で言ってしまう人間からすると、テロ対策のためといい、イラクの復興支援のためといい、畢竟、「お国のため」でしょう。「あんた、バカあ?」と思う方はそれでけっこう。他にもっとためになるサイトや書物は世にたくさんあります。「寝言@時の最果て」のようないかれたブログなど捨ててしまえばよい。この国の、すべてとは思いませんが、防衛論議はどうかしているところがあるように思います。自衛隊を国として送り出す以上、活動自体が直接はそれが利他的な目的に奉仕するものであっても、けっきょく、日本人のためだというのが当たり前じゃありませんか。今日の国際関係は複雑になり、単独で自国の安全を守ることなど難しく、アメリカですら、他国との連携を図る時代です。古典的なリアリズムでは解決できない問題も多いのでしょう。しかし、国として自衛隊を送り出すのなら、それは、日本人のためであって、活動の成果が他国への貢献であっても、それが日本人あるいは日本国のためであるということを忘れてしまっては、なんのために国として送り出すのか、まったくわからなくなってしまいます。

 「国際貢献」ならば別に自衛隊でなくても、民間人でもできるわけで、崇高な理念に奉仕される方に等しく敬意を払います。ただ、自衛官の方々を特定の理念のために犠牲にするわけにはゆかぬ。国というのは曖昧とした、実体のあるようなないような微妙な「なにか」ですが、その「なにか」が武装しているとはいえ、生身の日本人へ命を賭すよう、命じることができる。そのとき、国という「なにか」が特定の理念であっては困る。国という「なにか」は、ありとあらゆる理念や考え、大多数の人が愚劣だと感じるもの(「寝言」もそう)さえ排除せず、それらを含んで「公」をなしているのでしょう。そして、自衛官の方々は、その国に命を捧げている。私みたいな愚劣な凡人は、ただ、その姿に敬意を捧げるだけです。

 それにしても、「麦肯基」ですっかり和んでしまいました。私は連休ではないのですが(けっして僻んでいるわけではありませんよ。文字通り読んでいただければ、幸いです)、様々な方々のコメントを拝読して、刺激を頂戴しました。お礼としては粗末なもので恐縮ですが、「時の最果て」のお約束と参りましょう。


ここは「時の最果て」。すべては「寝言」。

よい連休を!

2007年10月06日

台湾海峡をめぐる「意匠」

 ちゃみ様のおかげで「マッコンキー」が「麦肯基」とわかりました。御礼申し上げます。土日月とフル稼働ですので、コメントはのちほどということでお許しください。

 話題があちこちにとびますが、今日は、「他人の褌」をそのまま、お借りします。佐藤空将のブログから引用させて頂きます。私自身は、以下の「シナリオ」が生じる確率は無視できる程度に小さいと思いますが、台湾海峡で米中が軍事的に衝突するという、最も極端なケースをシンプルに整理されているように思います。

 話は変わるが、門脇翁が発行しておられる小冊子「あけぼの」8月号に「米国側のある想定」というこんな記事がある。

●2008年北京オリンピックの終了を待って、中国は台湾に対し積極的行動に出る。翌9年1月中国海軍は、中国沿岸を航行中の台湾籍貨物船に対し、臨検を行い武器の有無を調べ、同時に台湾に対する経済封鎖を宣言する。

●これに対しアメリカは、空母と長距離爆撃機と海陸遠征部隊を派遣して、西太平洋地区を防衛する。

●中国はこれを中国への内政干渉であると抗議し、日本政府に対して中立を要求する。

●中国は台湾に対し、200基を越すミサイルを発射して、台湾の空軍基地、指揮センターと主要都市を攻撃する。

●30分後250機の爆撃機により台湾の軍事基地を爆撃。

●アメリカ大統領は、中国の台湾侵攻に対し武力で阻止する決心をする。

●これに対し日本政府は、国会の承認を経なくては、国内の米軍基地使用を承認することは出来ないと、アメリカに通告する。

 これに私の見解を付け加えるとすれば、◎時の米国大統領は誰になっているか?◎彼(彼女?)は台湾防衛を決心するか?◎イラクを中心とした中東情勢はどうなっているか?◎ロシアはどう出る?◎中国バブルははじけていないか?◎日本の首相は誰?福田?麻生?それとも小沢??◎その時沖縄では「11万人大集会」が開かれ「中立宣言」する?

 いやはや、何と無く現実味を帯びた「想定」で、2009年も、想像を超える事態がおきるような気がする・・・

(『佐藤守のブログ日記』2007年10月5日より引用)

 まず、このシナリオでは中国が台湾に対し、臨検や経済封鎖を行うタイミングと手段に関して完全にフリーハンドを有していることが前提のように読めます。現実的な問題として、「台湾籍貨物船」に対してのみ、臨検を行うことが可能なのかどうかは、素人なので疑問が残ります。また、臨検や経済封鎖を行うとなると、中台の往来だけでなく、台湾との通商のある国すべてが影響を受けるわけですから、中国が国際的に孤立する可能性が高い危険な行動でしょう。このような行動を起こした時点で、最後の部分である日本政府が米軍基地使用を事実上、認めないという選択肢はほとんどありえないと思います。

 このシナリオ自体が生じる確率そのものは低いと評価しておりますが、一つ一つの項目は、興味深い点もあるので、素人的に考えてみましょう。まず、台湾の政治日程ですが、立法院選挙が2008年1月、総統選挙が2008年3月に実施される予定です。現実的な問題としては、国民党が両者を制したときに、台湾の政権が中国への圧力に屈し、「一国二制度」をのんでしまえば、中国による台湾併合は完了してしまいます。その場合、アメリカの介入を排除するように、台湾を威嚇しながら、内部的に台湾の政権やメディアなどに侵入し、「一国二制度」をのませてしまうというのが、最も「安価」で確実な方法のように思います。ただし、この場合にも、武力による威嚇という点で経済封鎖は有力な手段ですが、これを中国の「国内問題」であるかのように演出できるかが鍵になるのでしょう。その演出に、仮に成功したとしても、国際的な非難を浴び、場合によってはアメリカの介入を招くリスクは決して無視できないでしょう。台湾の国連加盟に関する国民投票が中国を刺激するのは間違いないのでしょうが、仮に実施されて、加盟すべきだという結果になったとして、中国が介入する理由となりうるのかは、やや疑問ですが、中国が「現状維持」以上のものを望んでいる場合、この程度のことでも介入の口実にはなるのでしょう。

 以上のことを考慮すると、なんの背景もなく、いきなり臨検や経済封鎖が可能かどうかはやはり疑問ですが、無視はできないのでしょう。それでも、このような事態が生じる確率は低いでしょうが、万が一、中国が強硬な手段に出た場合、アメリカはどのように動くのかという点になると、これが非常に難しい。現在の「米中接近」からアメリカの対台湾政策を危ぶむ意見も多いのですが、これは予想がつかないです。シナリオでは臨検と経済封鎖のタイミングが2009年1月となっておりますが、大統領の交代時期を想定していると読めます。また、中国の挑発に対して具体的な措置を講じるのは行政府ではありますが、その長が誰になるかということ以上に、アメリカの世論、もっと限定すれば、そのときのアメリカ議会に中国の行為が悪玉としてプリゼントされるのか、台湾が中国の挑発を招いたとして台湾が悪玉としてプリゼントされるのかが、はるかに利いてくると思います。この点が、次期米大統領が誰であるかという以上に私は重要であろうと。大統領選挙と同時に実施される上下院の結果もわからないので、仮定に仮定を重ねるしかありませんが、中国に宥和的な大統領でも、議会で強硬論が支配的になれば、台湾海峡「危機」に無策であるというのは無理でしょう。逆に、対中強硬の大統領でも議会が宥和的であれば、説得が難しい。次期大統領が誰なのかという点が重要なのは当然ですが、それ以上に議会の動きが要注意だと思います。

 次に、中国の臨検・経済封鎖にアメリカが軍事的にプレッシャーをかけた場合の日本の対応ですが、中国が日本に対して「中立」を要求してきたとして、「中立」の中身が微妙です。空母機動部隊を派遣する場合、日本がこれを拒否するのは事実上、不可能ではないかと思います。なにもしない以上に、リスクが高く、拒否した場合、事実上、日米同盟というより日米安全保障条約は死文化するでしょう。むしろ、その後、「アメリカ大統領は、中国の台湾侵攻に対し武力で阻止する決心をする」という事態に至ったときに、海自や空自へのなんらかの支援を求めてくる可能性があって、これですら、協力しない場合、事態が収まったときに日米同盟が危機に瀕する可能性が高いと思います。ここで問題になるのは日本国内の世論と政権の「決断力」でしょうが、ぶっちゃっけ、政権の決断は混迷する可能性が高いでしょうね。周辺事態法の適用に踏み切れるのか、どうか。いずれにせよ、中国から圧力がかかるのでしょうが、ここでいきなり中立を宣言するのはあまりにリスクが高く、日本らしく曖昧にする可能性が高いと思います。

 次の中国の軍事行動ですが、これは越えてはならない一線でしょう。素人なので自信はありませんが、その前段階でアメリカが介入を躊躇った場合に、そのハードルを取り除く愚考としか言いようがありません。簡単に言えば、その時の状況に依存するとはいえ、宥和の背景にある、中国の言い分をある程度、認めることによって、事態の沈静化を図るという「幻想」を打ち砕く可能性がきわめて高いと思います。簡単に言えば、この段階まできてしまうと、中国がいかなる外交的言辞をもってしても、中国が台湾を攻撃しているという事態が明白になるので、アメリカを中心に先進国の態度は、仮にこの段階以前で宥和的な雰囲気が支配的だったとしても、それを打ち砕いてはるかに強い対応にでるでしょう。国連安保理決議はでないでしょうが、そういう問題ではなくなる可能性が高いと思います。「これに対し日本政府は、国会の承認を経なくては、国内の米軍基地使用を承認することは出来ないと、アメリカに通告する」というのは民主主義国の「ブレ」を無視した話だと思います。ただ、仮に、ここまでバカげたことをした場合、「戦後」、アメリカから一方的に日米安全保障条約の更新を認めない事態が生じる可能性が高いでしょう。

 現実に日本が対応に苦慮するとすれば、こちらのようなケースでしょう。この場合、台湾関係法が機能するかどうか、かなり微妙な問題が生じると思います。また、日本政府の長が誰であれ、対応が非常に困難だと思います。露骨に言えば、台湾海峡で中国が無神経に剥き出しの暴力を行使すれば、話は透明になるのでしょう。そうではない場合の方が中台統一の可能性が高いというのが、今日の「寝言」です。
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2007年10月05日

日本の近代化 中国の近代化

 中国ネタを書いていると、面白い話が聞けたりします。私は中国の土地勘がまるでなく、NHKの番組のおかげで無知であることをあらためて思い知らされたのですが、なんでも「マッコンキー」なるファーストフード店が中国国内にあるというネタが日本のテレビ(別の局)で流れたとか。聞いて、唖然としましたが、名前の通り「マクドナルド」と「ケンタッキー(KFC)」を組み合わせた店の名前で、HPまであるそうで、探したのですが、私のつたないネット探索技術では見ることができませんでした。お店の外観は、KFCのように赤と白を基調としていて、トレーに乗せてある紙には五輪のマークがバッチリ。まるで、オフィシャル・スポンサーに見えるとのことでした。日本のテレビ局が、「マッコンキー」のHPを見つけて、そこにはアメリカで1950年代(あるいは60年代)創立とあって、「本社」に問い合わせたところ、「いやあ、そんなことありませんよ。この、6、7年で販売を始めたところです」とか五輪のオフィシャル・スポンサーかとの問いにも「そんな事実はないですね」と悪びれることもなく、答えていたとか。罪悪感を感じることもなく、日本企業のように「不祥事」を隠そうとする雰囲気すらなく、すごい応答だったそうです。なんていうのか、中国のWTO関係者が中国製品の質の問題について「消費者の問題」と言ってしまう感覚と共通するものを感じました。まあ、このあたりは伝聞情報でまるで裏がとれていないので香ばしい「ネタ」(馬糞臭いと書いてしまうと、馬に失礼か。奈良でも鹿の糞はそんなに臭わないですし。あ、「馬は馬。鹿は鹿」とあの国では言ってはならないんでしたっけ。権力者が鹿をもってきて「これは馬だな」と言ったら、「左様でございます」と言わなくては)として楽しんでおります。

 「新BSディベート:日中国交正常化35年 新たな関係をどう築くか」(NHK BS)ではいろいろ示唆に富む発言がありましたが、伊藤洋一さんが中国のGDPに個人消費が占める割合が約4割という数字が印象に残りました。通常、高度経済成長の基点とされる1955年度の実質GDPの総額が、約48兆1,073億円で民間最終消費が31兆3,499億円ですから、GDPに占める民間消費の割合は約65.4%。なお、2006年度ですと、この割合は約55.2%です。中国のGDPの内訳を調べたわけではないので迂闊なことは書けませんが、政治体制の違いを無視しても、中国が民間部門が中心の市場経済の国であるかどうかは少し留保が必要かもしれないと思います。日中戦争以来、戦時統制経済のおかげで戦前の日本経済が市場経済ではなかったかのようなイメージが強いのですが、中村隆英先生は1930年代を戦局の悪化とともに戦時統制の色が強くなる時期であると同時に市場経済が発展する可能性があったことも指摘されています。

 同番組ではしきりに現在の中国が、明治維新と戦後復興と高度成長を同時にやっていると主張されている方がいらっしゃいましたが、なんとなく違和感がありました。先進国へのキャッチアップという点に関しては、戦後の高度経済成長を思い浮かべるのが普通なのでしょうが、戦前の立憲政体の確立に集約される明治の近代化は多くの犠牲を払いながらも、政治体制や法の支配の確立という点で成果を残したと思います。民法や刑法などは戦前の条文を時代の変遷とともに手直ししながら使っているわけですし。さらに、明治期には条約改正が外交上、最大の懸案の一つでしたが、政治体制や法の支配の確立などの近代化と同時に対外戦争などで日本の実力を示すことで一歩一歩、達成してゆきます。まあ、こんなことをあらためて書くのが憚られるのでよしますが、日本の近代化というのは、10年や20年という底の浅いものではなく、100年以上の歳月をかけて成熟してきた「果実」であって、現代の日本人はその「果実」を謳歌しているに過ぎないというところでしょうか。

 他方で、中国の場合、1937年の盧溝橋事件以後の戦争が強調されますが、百年単位でみれば、日清戦争で伊藤博文・陸奥宗光のド迫力の「極悪」コンビが清王朝を叩きのめして以来、自力での近代化を図るチャンスがほとんどなく、欧米列強に蚕食されてしまいます。そのあたりは「惻隠の情」をもたずにはいられませんが、自力で政治体制や近代的な法の整備を行ったという期間があまりなく、歴史的背景があまりに違う印象があります。現在の中国の「異質性」を政治体制の相違に求めるのは説得的に見えますが、私には「民主化」が進んだとしても、近代化の底が浅い中国が本当に変わるのだろうかという疑問があります。ありきたりな「寝言」ですが、中国には過大な期待値も過小な期待値ももたないという意味で、「幻想」をもたずにそういう国だとわきまえた上で適切にお付き合いすれば十分だろうと思います。

 昨日は、めまいがひどく、部屋をでることすらできない状態でしたが、今日はなんとかふらつく程度まで回復しました。季節の変わり目に、気温や気圧、湿度の変化などにより、突然、めまいがくるのでやっかいです。そんなふらついた状態ですので、「論旨」もふらついているのはお許しを。

【追記】

 さすがに中国のGDPデータを見ずに、民間部門中心の市場経済かどうか疑わしいというのは乱暴なので、ネットで入手できるデータを探してみましたが、実に読みづらい。日本語のHPだからというわけでもなさそうですが、産業別GDPが先にきて国内総支出が後回しというのも、見慣れない感覚です。BEAのHPでアメリカのGDPデータを見れば、細かいところで日本とは異なる支出項目がありますが、構成はほぼ同様です。しかるに、中国のGDP統計では最終消費ではさすがに民間部門と公的部門の区別があるのに、固定資本形成ではこの区別がない。こんなGDP統計ははじめて見ました。ちょっとびっくりですね。

 さらに、金額が「当年価格」で成長率は「実質」というのも、ちょっと絶句します。見たことがないなあ、こんなGDPデータの示し方。一つの表で「名目」と「実質」をごちゃごちゃに示すというのも、初めてです。そんなわけでちょっとおっかないのですが、『21世紀中国総研』HPで見たデータは出典が明確なのでとりあえず、「信用」して、2004年のデータを見てみましょう。なお、いろいろ「ケチ」をつけておりますが、『21世紀中国総研』のデータにいちゃもんをつけているのではなく、おそらくですが、原データの問題だと思いますので、念のため、付記します。

 まず、2004年(余計なお世話でしょうが年度(fiscal year)なのか暦年(calendar year)なのかも注すらもないのでわからないのですが)のGDPの総額は、約14兆775億8千万元です。同年の個人消費が約5兆9048億3千万元ですので、GDPに占める割合は約41.9%になります。他方、「政府消費」は約1兆6381億8千万元で約11.6%。理解に苦しむのが総資本形成で、固定資本形成と在庫増減に区分されているだけで、固定資本形成の内訳を民間と政府に区分されていない。これでは訳がわからんのですが、固定資本形成の金額は、約6兆1358億6千万元で個人消費を上回り、GDPに占める割合は約43.6%。純輸出が約3517億6千万元ですので、同割合は、約2.5%。ちなみに2006年(暦年)の日本の場合、純輸出(財貨・サービスの輸出−財貨・サービスの輸入)はGDPの約3.6%。あくまで財市場に限定しての話ですが、海外への「依存度」は日本よりも低いといえましょう。他方で固定資本形成が民間部門と政府部門に区分されていないので、市場経済とはいっても、民間部門が中心なのか、そうでないのかはこの統計ではやはり留保をつけざるをえないでしょう。少なくとも、このデータを信用すると、中国の成長は民間部門と公的部門の区別がつかないにせよ、投資を中心とした要素投入型の成長という印象でしょうか。TFPを計算しないと印象にすぎませんが、こんな粗いデータでTFPというこれまた粗い計算すらする気が起きないです。

 ちなみに、中国のGDPデータはまるで信頼できないという「ジャーナリスティックな批判」はあたらないそうですが、説明にある「社会総生産額」と「GDP」の関係を示した図は非常にわかりづらいです。「物的生産の純生産額」というのは、サービスなど第三次産業を除いた付加価値を意味するのか何なのか。とにかく全体の印象は、非常に不透明で、それが「ジャーナリスティックな批判」を招くのではと思いました。余談ついでに、省レベル地方統計と国家統計で前者が過大に金額を計上する傾向があるのは、相変わらず、「中央」が「地方」を統制下におく困難さをよく示しているなあというところでしょうか。

 とりあえず、「ゲテモノ」のデータを見ていると、めまいが再発しそうなので、この辺で打ち切るのがよいのかなと。先進国のデータは、英語でも非常に見やすいので、相対的に心理的な不安(GDPデータは基本的に推計ですので誤差を免れることはできない)が少ないですから。推計結果の「信頼性」の言い訳が真っ先にくるデータとはあまりお付き合いしたくないというのが本音ですね。


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2007年10月04日

映画を観たい!

 水曜日は会議が集中しておりましたが、どの会議もスムーズに終わって快適。たいていは発言を求められないと、発言しないタイプなのですが(職場で見られていると非常にまずいのですが、余計な発言をして会議が長引くのがおそろしい)、発言するときは、時計とにらめっこ。2分を超えたら、自分でも「ダメだこりゃ」となります。1分で説明できない話は、たいてい頭の整理ができていない。もちろん、複雑な要因分析やデータの話は1分では無理ですが、結論とざっと論拠を述べて終わり。関心があったら、じっくり説明することもありますが、こちらから説明しにゆくほどマメではないので、尋ねられない限り、こちらからぎゃあぎゃあ言うこともないだろうというところでしょうか。若い人に「難しくてわからないのですが」と説明を求められたときに、「40秒で一回だけ説明するから」と言って、「すまん。15秒ほどオーバーした」と言ったら、苦笑されたこともあります。酒を飲んで漫談というのも悪くないのですが、最近は体力的に疲れてしまうことも多く、ごく親しい人だけに限ってしまいます。基本的に付き合いが悪いだけですが、私が声をかけたときには面倒だなという顔をしていたのが、いざ飲みだすと、5時間近く相手がしゃべり続けることもあって、聞き役に回るほうが多いかも。「寝言」は長いんですけれどね。


 こういう習慣はよろしくなくて、最近、他人の話、とくに講演を聞くのが苦痛になって、有名な方の講演などでも30分が限界ですかね。集中できるのが最初の10分程度。そこで面白い話がないと、話し手が売れている方でも聞く気がまるで起きない。無料で呼んでやったのに、あいつ寝てやがったなんてしゃれにならないこともあるので、こちらから出向くことはほとんどありません。そんなにせわしない性格ではないつもりなのですが、案外、自覚がないだけかもしれません。

 おかげでテレビを見るのが苦痛になり、映画も見なくなりました。中学時代あたりには映画マニアの友だちがいて、『地獄の黙示録』はとりあえず見ろといわれて、親に頼んだら、全然わからない。父上は『ウルトラマン』シリーズがお気に入りで、小学生のときに連れて行ってくれましたが、「ガキ向けの映画を観る気はない」と言って以来、連れて行ってくれなくなりました。言いにくいですが、一回見れば、どのあたりでピンチになってどう盛り返すか、だいたい予想がつくので安心といえば安心ですが、眠たくなる。まあ、『水戸黄門』シリーズみたいなもんですかね。今でもやっているのやら。『地獄の黙示録』は知らんといわれてしまったので、どの局だったか忘れましたが、テレビで家族の反対を押し切って見ました。途中で茶の間に誰もいなくなって快適でした。

 それ以来、洋画にはまりましたが、映画館で観たものでは『地中海殺人事件』と「抱き合わせ」になっていた『ランボー』あたりは印象に残りました。実際は、中学時代に翻訳ででていたアガサ・クリスティの原作をほとんど読んでいたので、『地中海殺人事件』が見たかっただけなのですが、その後の経過を見ていると、『ランボー』の方が興行的には成功したんでしょうね。それ以来、『地獄の黙示録』といい、『ランボー』といい、ベトナム戦争ってなんだろうというのがあって、大学時代にハルバースタムの『ベスト・アンド・ブライテスト』を読んで、衝撃を受けた覚えがあります。

 邦画は苦手でまるで観ていなかったのですが、映画の同人サークルで『東京物語』を観たときに、感動とも違う不思議な感覚で、なんと時間の感覚がゆったりしていることよと思った覚えがあります。ただ、一回見ただけでは、現代とあまりに違うところが多くて、ストーリーを忘れてただただ、没入して時間の感覚の違いだけが印象に残りました。恥ずかしいことに検索したら、小津安二郎監督の「最高峰」という評価もあって、なるほど、「おいしいもの」を見てしまったんだなと思いました。まあ、このあたりは主観に依存するところが大なので、人によりけりでしょうけど。他にも、1950年代から60年代の映画をいくつも観ましたが、印象に残ったのが、『東京物語』だったというわけです。映画をそんなに観るタイプではないので、薀蓄はまるでわからないのですけれど。時間の流れがゆったりしているのと、調度などが古いのを除くと、妙なリアリティがあって、ストーリーを完全に忘れても、もう一度観てみたいなあと。あと、あの映画の原節子さんがお目当てでしょうか(ほとんどそれだけかもしれない)。

 週末はDVDでも借りるか、買ってこようかなと。世間は連休のようですが、連休じゃないんでね。日曜日あたりでしょうかね。それにしても、一時期、お見合いをしきりに勧めてくれる方がいて、失礼ながら、鬱陶しかったのですが、「まあ、顔も無視はできないからね」と好みを尋ねられて、「原節子さんみたいな方だったら、お会いするだけで十分ですよ」と半分、冗談、半分は本気で答えたら、その方の目が点になっていて「君の年齢、嘘じゃないよね?」と真顔で言われて、参りました(まあ、分不相応にもホドがあるとは自分でも思いますが)。だって、総理辞任や総裁選のおかげでテレビを何週間かぶりに見て、タレントと呼ばれる人たちがでているコマーシャルも見ましたが、「きれいだね、フフン」どまり。「きれいだな……」とはまるで異なります。 

 ……。だんだん、私も「フフン」に汚染されてきているようです。
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2007年10月03日

「新BSディベート:日中国交正常化35年」を視聴して

 こちらを拝見していたら、伊藤洋一『スピードの経済』(日本経済新聞社 1997年)を文庫化しようという計画があったのに、ご自身が潰してしまったとのことで、ちとがっくり。今日では「ドッグイヤー」とか陳腐化した用語が多数、含まれているとはいえ、市場経済のダイナミクスをあれほど専門知識が乏しい人にもわかるように書いてある本はまれなので、これは嫌味やお世辞ではなく、本当にもったいない。『日本力。』もよい本だと思いますが、やはり若い人に読ませたい経済書としては、『スピードの経済』が勝るように思います。もったいないなあ。

 思えば、「四酔人シリーズオフ会」に参加させていただいたときに、伊藤師匠に私が不躾な質問をしてしまい、伊藤師匠が一瞬、リアクション不能に陥り、それを見ていたかんべえ師匠が「プッ」という笑みを浮かべておりましたなあ。あのあたりで「極悪」のネーミングが頭の片隅にあったのかもしれません。

 前置きはこれぐらいにして、「新BSディベート:日中国交正常化35年 新たな関係をどう築くか」(NHK BS)を見ました。日曜にゆっくり時間がとれないので録画ですが。HDDレコーダーはあるのですが、CATVのチューナーといったいのものでDVDに落とす機能がないので、『風林火山』は怖くて録画できないんですね(約24時間が録画限界)。雪斎先生の記事を拝見していて「しまった」という感じ。「日中国交正常化35年」は、NHKの番組にしてはずいぶん踏み込んでいて、ちょっと驚きました。もっと、まどろこっしい番組かなと勝手に先入観を抱いておりましたので。ちなみに、こんな記事を書きましたが、仕事とその他でお付き合いする中国人のイメージは全くといってよいほど違うので、世間じゃこんなに「嫌中感情」があるのか、私があまりに牧歌的なのかと落差を、この1ヶ月ぐらいで感じたしだいです(シイタケだけは許せないのですが)。年上だったり、同世代ぐらいですと、完全に「堕落」して民主主義+市場経済にどっぷりとつかって私みたいな最悪の俗人ともワイワイガヤガヤ。間違っても、道で痰を吐いたりしませんね。若い人など下手な日本人より礼儀も正しいし、頭もはるかによいので、(私を「先生」扱いするのでこれは止めさせようと思っておりますが。「知的荒廃」を他者に広めるほど厚顔無恥ではないので)こういう「頭脳」をどうやって日本に取り込んでゆくのか、とてつもなく悪い頭で「悪知恵」を働かそうとしております(『らんま1/2』で精神的に堕落させるのは完了。怖いんですが、下手な日本人より麻生太郎ファンになってしまい、今、「フフン語」の特訓中。やっぱりだめか…)。

 ……失礼しました。番組の話に戻ります。外交関係などの話もおもしろいのですが、NHKのBSだからなのでしょうか、NHKにしては率直な意見がでていたように思います。もっとも、これは地上波・CSに限らず、テレビの討論番組をめったに見ないせいでしょうか。中国の経済成長が「脅威」であるかについては、番組内では「脅威ではない」という一致があったように思います。経済という次元に限れば、私もほぼ同意見です。番組ではGDPの金額ではなく、1人あたりのGDPでは中国が日本にキャッチアップするのは困難だという点を議論されておりましたが、現実的な見通しは別として、仮に中国が1人あたりのGDPで日本を上回ったとしても、「驚異」ではあっても、「脅威」ではないでしょう。日本が「経済大国」であるということに、この国の誇りを見いだす方は別として、他国の経済成長がこの国の経済を停滞させるというわけではなく、感情的な意見が生じるのはやむをえないにしても、経済レベルで中国が裕福になることがこの国の「貧困」を意味するわけではないでしょう。他方で、中国経済が世界経済で占める割合が増大するにつれて、中国経済の混乱が世界経済に打撃を与える程度は、徐々にですが、増大してゆくでしょう。後半で問題になった中国製品の品質・安全性は、確かに世界中にごく短時間で情報が流れるという状況で過度に警戒されている側面があるのでしょうが、むしろ、それだけ中国経済の問題が世界に与える影響を増していることを示しているのでしょう。

 ちょっと驚いたのは、長期では中国企業が日本企業を凌駕し、日本企業の競争力が失われると言う指摘をされている方でした。あのような発言は、中国人から発するべきではないでしょう。その見通しが正しいかどうかという問題以前に、いずれにせよ、日本企業は中国企業だけではなく、先進国の企業やその他の諸国の企業と競争をしているわけで、MAでの遅れなど問題はあるのでしょうが、これは日本企業が努力する問題にすぎない。このような発言は、単に中国が世界を制するかのような印象を与え、「中国脅威論」を煽る、拙劣な発言のように思いました。この無神経さは、私にはわからない。「釣り」かなと思いましたが、それにしても下手くそな「釣り」だなというイメージ。

 問題は、中国の経済成長そのものというより、経済成長の果実が軍備に回り、軍拡競争(この国は防衛費を抑制どころか削減し、間違ったシグナルを発信していると思いますが)へと回ることです。1960年代後半から日本の軍事費の増加を指摘しているパネリストの方がいらっしゃいましたが、あれは冷戦期の話で現在の中国の軍拡と比較するのはあまりに時代背景を無視しており、現在の中国と事情が異なることは明白で、むしろ、冷戦期の日本をもちださざるをえないことが論拠の苦しさを示しているという印象です。討論番組はたいていつまらないのですが、多様な立場の方の発言を聞いていると、説明が苦しいということが示されることがあるという点では、それなりに意味があるのかもしれません。

 伊藤洋一さんが、政治体制としての社会主義が経済活動における個人・組織の自由な創造性を妨げているという指摘をされていました。この点は興味深い。私自身が、中国経済に関しては全く無知なので、実例(難しいでしょうけれど)があるとこの点は議論が深まるでしょう。ただ、政治体制の相違は、後半の、とりわけ環境問題では深刻だと思います。露骨に言えば、たとえ中国共産党の一党独裁体制が経済活動にとって制約になっていたとしても、それは中国の成長を制約するのであって、その他の国にとってそれほど問題かといえば、それ自体は中国の問題であって、他の国にとってそれほどの問題ではないでしょう。中国で事業を行っている企業や中国内の事業所と取引がある場合には、中国の政治体制というよりは、法制度の問題は深刻でしょうが、少し区別をした方がよいのかなと思います。

 最も違和感を感じたのは環境問題に関する話ですが、品質や安全性に関する中国当局者の発言。なんとなく途上国だからという言い訳が目立って、これでは中国製品にたいする不安感を煽るだけではないかという印象を受けました。知り合いで中国繊維を扱っている人に聞いた話では、中国製の生地もランクがあって、あるランクを超えると、質はかなり高い。しかるに、中国のWTO関係者だったかな、中国製品にも上・中・下があって、最終的には消費者の問題だという発言をしていたのには、スタジオと同じくひいてしまいました。こちらでは、あくまでネタですが、「無責任なことを書いてしまうと、支払い余力のない方にはリスクをとってコストが低い製品を選択する余地を残すためには、中国製品も必要ではないかと」などと書いておりますが、中国当局がこのようなメッセージを発してしまうと、品質も高く安全性も高い製品まで忌避されてしまう。やはり、政治体制と自国への過大な「忠誠心」が中国の信用を損ねている印象をもちました。

 中国の環境問題は疎いのですが、五島列島で光化学スモッグが発生しているというのは、恥ずかしながら、あの番組で知ったので、無知そのものです。石川好さんだったかな、この点では中国への国際協力が必要だという点で一致しましたねとまとめておられましたが、私はまるでそんな感じがしませんでした。番組では、スタジオでの参加者に加えて、北京の学生さん、上海のビジネスマンの方などが参加されていましたが、みな口をそろえたように国際協力が必要だと主張していて、それは理解できないではない。しかるに、中国ではこれだけの努力をしています。近隣諸国にも影響が出ていて、これにも中国に責任がある。ただ、それを中国だけでは解決することはできない。だから、具体的な分野を指定して、この分野では中国へ協力してほしいという、普通だったらそういうロジックを立てるだろうと思うのですが、とにかく技術を移転してほしい、協力してくれでは、問題が解決しそうにない。中嶋嶺雄さんが「もう手遅れ」と発言していたのに、伊藤洋一さんが猛烈に反発していて、そんなことを言ったらなにも進まないじゃないかというのは理解できるのですが、中嶋さんとは異なる立場から、これは無理だろうと。中国の大気汚染、水質汚濁などは中国国内の人たちがまず苦しんでいて、それをまず自ら解決しようとするのが筋だろうと。そのような努力に関する言及がなく、やれ国際協力だ、やれ技術移転だというのでは、仮に実行したとしても、中国がそれを国内で真剣に解決しようとするために利用するのか、信用ができませんね。

 極論すれば、資金とノウハウだけ受け入れて他国に製品やサービスを売りかねない。まず、中国国内で環境破壊を抑制するための仕組みをつくり、中国自身が支出し、努力をした上での国際協力であって、そのような意欲を感じない状態では空理空論ではないかと。国際協力をするというのなら、中国にある程度、プレッシャーをかけた上で独自に対策を打つしくみを明確につくり、実際に活動を行った上で、足りない部分を協力するのが筋で、そのようなしくみをつくるために国際協力をしたところで、それが本当に環境対策に回るのか、確証がまるでもてませんでした。露骨に言えば、あの番組内での中国人の発言は、自国の環境破壊に他人事のようで、各国が協力するのが当たり前だととられてしかたがないものが目立っていました。国際協力を受けるのなら、当然、内政干渉という問題ではなく、中国自身が環境破壊に対して目に見える取り組みを行うことが前提でしょう。そのような「外圧」ぬきで協力などありえない。

 岡崎久彦さんは、日本人と中国人の違いとして、日本人は腹を割って真情を吐露するのと対照的に中国人は自分にとっていかに有利になるかということを踏まえて相手に耳障りのよいことだけを述べるという対比をされていたことがあったと記憶しています。これは、中国人を貶めようと言う意図ではなく、中国人が大人だということでしょう。中国人を相手にするときには、こちらも自らの利益を明確にして主張することが肝要だということです。ただし、あの番組を見る限り、中国共産党の一党独裁体制の下で一方的に自己利益のみを主張し、他国と互恵的な関係を築こうとする人材が十分に育っていないという印象を受けました。番組のサブタイトルである「新たな関係をどう築くか」という点に関しては、日本単独でやるべきこともあるのでしょうが、利害を共通する国と中国に対して「外圧」をかけ、中国が一方的に利益をえさせるような関係ではなく、通常の互恵的関係を築くことが必要だと思います。日中でも互恵的な関係を築く基盤が欠けている以上、「アジア共同体」というのは現状では「幻」でしかないないと思います。あえて、アジアという枠にとらわれることなく、アジア以外の国々とも協力して中国を自由で民主主義的な世界に包摂して行くことが肝要であるということが、今日の「寝言」です。

 この番組の底流にある中国の国内体制と経済の関係は非常に刺激が大きいのですが、この点は、機会があれば、また考えたい問題です。

2007年10月02日

「フフン語」が日本を覆う?

 久々の「かんべえ節」にしびれました。「極悪」たるものこうあらねばならぬ。しかるに、2002年の6月7日(金)の「不規則発言」でこのようなつつましいことをおっしゃっている方に、欲を説かれても、説得力に欠けますね。まあ、「マジレス」すると、日本の資本市場は「発展途上」で、確かにチャンスかもしれないが、現状で荒稼ぎするほどのスキルがあるのかなあと。バカにしているわけではなく、馬鹿げた失敗を乗り越えながら、市場は成長してゆくものですが、まだ、火事場で稼ぐほどのところまで成熟していないというのが、現状なのでしょうか。

 それにしても、どこかの島国の内閣総理大臣所信表明演説というのは、退屈なものでして、聞いていて眠たくなるものですが、活字で読むと、違った味わいがありますね。「昔はいけていたのに、党首になってから小沢さんの顔に似てきて、なんかむかつくのよ」などと周囲でため息混じりに評される、ある女性党首の評によると、「優等生の作文」だそうで。以下、「多重人格」風に「フフン語」、あるいは「フフン節」を味わってみましょう。

(なんちゃって「優等生」モード)

 さて、「第166回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説」「第168回国会における福田内閣総理大臣所信表明演説」を読み比べると、両政権での「レトリック」の違いはあるものの、個々の論点について共通する部分が多いことにも驚かされます。「改革の継続と安定した成長」は小泉・安倍路線の継承であり、「消費税を含む税体系の抜本的改革」などは「火種」になる部分もありますが、両演説でまったく同様の表現が用いられています。また、「教育の再生」という点では、安倍総理ほど多くを割かれておりませんが、基本的な方向をより穏健な形で継承することも明言されております。細かい点ですが、道州制の導入という点ではほとんど安倍政権の方向性を継承しているともいえましょう。これからの福田内閣の「統治」の成り行きを見てゆかなければ、これらがお題目にすぎないのかを見極めることはできませんが、「安倍カラー」の一掃という見方はあまりに一面的でしょう。

(なんちゃって「国士様」モード)

 しかるに、福田総理の所信表明演説は、わが国の社会の根幹を歪め、安倍前総理が目指した、「美しい国」、「戦後レジーム」からの脱却など「安倍カラー」を脱色し、「フフン語」福田総理のカラーに染め上げようとする悪意に満ちている。例えば、「教育の再生」の直後に「男女共同参画社会」が登場しているが、「子育てを支える社会の実現」というスローガンの下、安倍政権の教育再生を換骨奪胎しようとする危険な発言だ。「日米同盟の堅持」という表現は、「世界とアジアのための日米同盟」、とりわけ集団的自衛権の行使に踏み込んだ安倍政権からの後退にほかならない。

 さらに、許しがたいことに、「すべての拉致被害者の一刻も早い帰国を実現し」という表現に続く、「『不幸な過去』を清算して日朝国交正常化を図るべく、最大限の努力を行います」というのは、拉致問題の真相究明、責任者の明確化と処分などを曖昧にし、「日朝国交正常化」ありきの対北朝鮮政策を明確に表明したといわざるをえない。このような姿勢は、単に拉致問題で譲歩を意味するだけでなく、現在の北朝鮮政府の正統性とは無関係な過去の植民地支配というレトリックによってソ連の指導の下、朝鮮戦争で戦禍を巻き起こし、拉致という国家的犯罪を免罪しかねない危険な態度だ。

 安倍総理は、「拉致問題の(全面的)解決なくして、日朝国交正常化はありえません」と毅然とした態度を示した。この点に関しては、断固たる圧力の下、近年まで犯してきた北朝鮮の国家的犯罪の全面解明を迫り、拉致問題に関して北朝鮮が対話に応じることが筋であって、「不幸な過去」は拉致という国家的犯罪を正当化するものではない。さらに、そのような行為を犯した上にその事実を認めようとしない北朝鮮政府に「不幸な過去」の清算を主張する正統性はまるでないことを明確にすべきだ。

(いかれた「外道」モード)

 「『不幸な過去』の清算」という表現を読むと、底意なく笑えます。まるで、お互い打算づくの愛人関係の清算のときに用いるフレーズのよう。

:あのときは済まなかった。あのときは本気だった。今でも嘘はない。
:言葉だけでは信用できないわ。誠意を見せて。
:心から悪かったと思っている。この通りだ(土下座)。
:もう言葉はいいのよ。あなたの誠意を見せてほしいの。2兆円で手を打つわ。
:…。悪いが、それは払えない。
:やっぱり、誠意がないのね。1兆円でどう?
:5,000億。俺にも立場があるんだ。
:やっぱり誠意がないわね。
:……コメ支援じゃダメ?
:あ〜あ、なんでこんな甲斐性のない男に騙されたのかしら。

 日韓併合だけでなく、それ以前の戦前の蛮行や併合後の朝鮮半島の人々へ与えた様々な民族の誇りを傷つけた、その傷跡が今でも残っていることは理解できても、現代で「『不幸な過去』の清算」と言われると、どこか白けた気分になりますね。

 まあ、こんな妄想をするのもありでしょうか。

フフン:「不幸な過去」を清算して日朝国交正常化を図るべく、最大限の努力を行います。
ダメポ:……私の中にこないで!
フフン:「不幸な過去」を清算して日朝国交正常化を図るべく、最大限の努力を行います。
ダメポ:私の心の中に入ってこないで!!
中継者:ジミンにシャミンの心がわかるというの!?
ダメポ:(う、嘘よ!)優等生的発言だわ(……汚された)。

 元ネタがわからない方は、勝手に探してください(かなり薄味に仕上げております。濃いのを書いてしまうと、「ヲタ」のレッテルが怖いのお)。まあ、くだらない妄想ですんで、読み流していただくのが幸いかと。もちろん、福田総理が精神攻撃をしていたというつもりは毛頭なく、大真面目な話だということぐらいは承知いたしております。ただ、靖国参拝をしてしまうと、この効力が失われてしまうので、しばらく凍結しても「かまわん!」というところですね。「外道」というより「キ○ガイ」の妄想ということで。

(むすび)

 日朝国交正常化に偏りましたが、野党との「対話」、「国民の皆様の目線」以上にさりげなく冒頭で公明党との連立に腐心する姿勢は福田総理らしい感覚でしょうか。小泉改革の継承、安倍政権の成果をより確実にするなど、全体として福田政権は従来の政権の路線を急激に転換させるのではなく、時間をかけて、よきものを定着させることを通して独自色を発揮させてゆこうという姿勢が見えます。具体的な施策は抽象的な部分もありますが、想定していた以上に堅実な印象も。問題は、そのような時間が福田総理に与えられるかどうか。「政治とカネ」という自民党のお約束の自滅パターンがくすぶっている状況では、公明党の離反もありうる、厳しい状況のように思います。他方で、福田政権の意外な「したたかさ」を民主党をはじめ、野党が過小評価すれば、ずるずると福田政権の地味ながらも、穏健なリーダーシップに屈するのでしょう。


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2007年10月01日

この国に自衛権は存在するのか?

 軽い風邪なのか、単に日中の気温と夜の気温差に体がついてゆかないのか、体調がすぐれません。頭の働きが悪いのはいつも通りですが、佐藤空将のブログの記事を拝読してから、『産経』の記事を読みましたが、寒気がしました。ブログでは「総合安全保障」を経済官庁が軍事力抜きの「安全保障」と曲解して、自分たちの官庁の仕事を正当化している点が指摘されています。「総合安全保障」の内容そのものには詳しくないのですが、名前とは裏腹に軍事力という安全保障の要を強化せずに、石油や食糧の確保が前面に出ていたようで、驚きです。あえて「憲法違反の表現を用いますが、まず、自国の安全を守るのが、最終的に軍事力であり、「食糧安全保障」などはそれを補完する政策ではないのかという点に疑問が生じます。「総合安全保障」そのものの詳細や内容には疎いので評価はいたしませんが、軍事的な側面のみだけではなく、多角的に安全保障政策を考えるということ自体は、有益でしょうが、軍事的な抑止力(他国に対して自らの意思を強制するというよりも、他国が意思を強制することを押しとどめて、最悪の場合には抵抗する)が抜けていては、「丸腰」で周辺の武力を背景とした圧力や武力行使に至らないまでも、低レベル紛争にすら対応することは、軍事の素人が見てもまず不可能でしょう。

 さらに、寒気を覚えるのが、経済官庁がソ連の軍事的脅威を「脅威」として認識していなかったという点です。佐藤空将の回顧を疑うわけでは決してありませんが、あまりの認識の不足に驚きました。時期が不明ですが,通産省の方がマスメディアにもソ連の脅威について触れていた時期と推測いたしますが、本当にナイーブなのか、省庁の立場からわざとこのような認識を示したのかわかりませんが、あまりにお粗末だなあと。ざっくばらんな会合とのことですから、敢えてこのような穿った見方を防衛関係者にぶつけたのかなとも思いましたが、「あれほど強力な軍事力を誇った陸海軍でも勝てなかったではないか。ましてや今や核の時代、国の安全は軍事力では保たれない」というのはあまりに一面的で、軍事力に裏づけされない安全保障政策というのは、素人には空理空論に映ります。

 『産経』では南西航空混成団司令(空将)時代の領空警備の緊迫した状況が再現されていますが、詳細を省くと、佐藤空将の記事とあわせて読むと、この国に集団的自衛権はおろか、個別的自衛権の行使ができるのかさえ疑問に感じます。感覚的には、集団的自衛権の行使ができないという現行の憲法解釈の源は、自国の安全を守るという基本が据わっていないからではないかという、「寝言」が浮かんでしまいます。この点が抜けていては、海自の補給活動もリスク対効果、あるいは費用対効果から評価すべきだという主張もむなしく感じます。それが、この国の安全という根幹を据えなければ、言葉遊び、あるいは数字合わせでしかないでしょう。「国際貢献」というレトリックは、説得のためにはある程度、効果もあるのでしょうが、自国の安全という点から切り離して議論したところで生産的な議論にはならないと思います。

 大戦で敗れた国の再軍備は、非常にデリケートな問題です。第2次世界大戦以前は、敗戦国の再軍備は、国内ではナショナリズムに流されやすく、対外的にはバランス・オブ・パワーへの挑戦と認識され、現実にそのような結果を生んだことが多いと思います。そのような愚を繰り返さなかったという点では戦後政治がすべて「悪」であったとは思いません。ただし、それが自国の安全を守るという根幹を明確にした上での「自制」であったかといえば、とてもそのような「高度」な話ではないというのが実感です。この国の安全保障をとりまく環境を考えると、自国の安全を守る能力と意思を明確にすることと、日米同盟によって抑止することは、切り離すことができない、補完的な関係だと思います。抽象的ですが、領土・領海・領空の安全を守る義務はまずこの国にあり、その点を明確にしなければ、日米同盟があるといっても、アメリカに一方的にこの国の防衛を任すことになり、アメリカからすれば、そのような一方的な義務を負うことに耐えることができないと思います。

 今日の日米同盟は、古典的な同盟とは異なる側面も無視はできません。しかしながら、自国を守る意思と能力を持たない国との同盟などは無価値でしょう。この点が据わっていない現状では、イラクでの海上自衛隊による給油活動も、「無料のガソリンスタンド」などという無責任極まりない表現を平気で使うのもむべなるかなと思います。集団的自衛権の行使に関する現行の政府解釈は、単に個別的自衛権は行使できるが集団的自衛権は行使できないということだけではなく、事実上、憲法との整合性を保とう(露骨に言えば、国会での辻褄あわせ)という思惑だけが一人歩きして、自衛権そのものの行使を否定しかねない危うさを感じます。このあたりは、私自身、整理しきれていない部分がありますが、単に先の大戦の戦禍があまりに大きく、その反動からくる平和主義、あるいはパシフィズム、さらには「反軍感情」からのみ説明ができない部分も感じます。生煮えの「寝言」になりましたが、このあたりを考える材料ができたら、立ち戻りたい問題です。