2007年10月01日

この国に自衛権は存在するのか?

 軽い風邪なのか、単に日中の気温と夜の気温差に体がついてゆかないのか、体調がすぐれません。頭の働きが悪いのはいつも通りですが、佐藤空将のブログの記事を拝読してから、『産経』の記事を読みましたが、寒気がしました。ブログでは「総合安全保障」を経済官庁が軍事力抜きの「安全保障」と曲解して、自分たちの官庁の仕事を正当化している点が指摘されています。「総合安全保障」の内容そのものには詳しくないのですが、名前とは裏腹に軍事力という安全保障の要を強化せずに、石油や食糧の確保が前面に出ていたようで、驚きです。あえて「憲法違反の表現を用いますが、まず、自国の安全を守るのが、最終的に軍事力であり、「食糧安全保障」などはそれを補完する政策ではないのかという点に疑問が生じます。「総合安全保障」そのものの詳細や内容には疎いので評価はいたしませんが、軍事的な側面のみだけではなく、多角的に安全保障政策を考えるということ自体は、有益でしょうが、軍事的な抑止力(他国に対して自らの意思を強制するというよりも、他国が意思を強制することを押しとどめて、最悪の場合には抵抗する)が抜けていては、「丸腰」で周辺の武力を背景とした圧力や武力行使に至らないまでも、低レベル紛争にすら対応することは、軍事の素人が見てもまず不可能でしょう。

 さらに、寒気を覚えるのが、経済官庁がソ連の軍事的脅威を「脅威」として認識していなかったという点です。佐藤空将の回顧を疑うわけでは決してありませんが、あまりの認識の不足に驚きました。時期が不明ですが,通産省の方がマスメディアにもソ連の脅威について触れていた時期と推測いたしますが、本当にナイーブなのか、省庁の立場からわざとこのような認識を示したのかわかりませんが、あまりにお粗末だなあと。ざっくばらんな会合とのことですから、敢えてこのような穿った見方を防衛関係者にぶつけたのかなとも思いましたが、「あれほど強力な軍事力を誇った陸海軍でも勝てなかったではないか。ましてや今や核の時代、国の安全は軍事力では保たれない」というのはあまりに一面的で、軍事力に裏づけされない安全保障政策というのは、素人には空理空論に映ります。

 『産経』では南西航空混成団司令(空将)時代の領空警備の緊迫した状況が再現されていますが、詳細を省くと、佐藤空将の記事とあわせて読むと、この国に集団的自衛権はおろか、個別的自衛権の行使ができるのかさえ疑問に感じます。感覚的には、集団的自衛権の行使ができないという現行の憲法解釈の源は、自国の安全を守るという基本が据わっていないからではないかという、「寝言」が浮かんでしまいます。この点が抜けていては、海自の補給活動もリスク対効果、あるいは費用対効果から評価すべきだという主張もむなしく感じます。それが、この国の安全という根幹を据えなければ、言葉遊び、あるいは数字合わせでしかないでしょう。「国際貢献」というレトリックは、説得のためにはある程度、効果もあるのでしょうが、自国の安全という点から切り離して議論したところで生産的な議論にはならないと思います。

 大戦で敗れた国の再軍備は、非常にデリケートな問題です。第2次世界大戦以前は、敗戦国の再軍備は、国内ではナショナリズムに流されやすく、対外的にはバランス・オブ・パワーへの挑戦と認識され、現実にそのような結果を生んだことが多いと思います。そのような愚を繰り返さなかったという点では戦後政治がすべて「悪」であったとは思いません。ただし、それが自国の安全を守るという根幹を明確にした上での「自制」であったかといえば、とてもそのような「高度」な話ではないというのが実感です。この国の安全保障をとりまく環境を考えると、自国の安全を守る能力と意思を明確にすることと、日米同盟によって抑止することは、切り離すことができない、補完的な関係だと思います。抽象的ですが、領土・領海・領空の安全を守る義務はまずこの国にあり、その点を明確にしなければ、日米同盟があるといっても、アメリカに一方的にこの国の防衛を任すことになり、アメリカからすれば、そのような一方的な義務を負うことに耐えることができないと思います。

 今日の日米同盟は、古典的な同盟とは異なる側面も無視はできません。しかしながら、自国を守る意思と能力を持たない国との同盟などは無価値でしょう。この点が据わっていない現状では、イラクでの海上自衛隊による給油活動も、「無料のガソリンスタンド」などという無責任極まりない表現を平気で使うのもむべなるかなと思います。集団的自衛権の行使に関する現行の政府解釈は、単に個別的自衛権は行使できるが集団的自衛権は行使できないということだけではなく、事実上、憲法との整合性を保とう(露骨に言えば、国会での辻褄あわせ)という思惑だけが一人歩きして、自衛権そのものの行使を否定しかねない危うさを感じます。このあたりは、私自身、整理しきれていない部分がありますが、単に先の大戦の戦禍があまりに大きく、その反動からくる平和主義、あるいはパシフィズム、さらには「反軍感情」からのみ説明ができない部分も感じます。生煮えの「寝言」になりましたが、このあたりを考える材料ができたら、立ち戻りたい問題です。