2007年10月11日

「極悪」師匠と「非道」先生:「オタク」と気概ある学者の関係に関する一考察、あるいは「寝言」

 雪斎先生のおかげでネットで『読売』の記事が読めてしまう。ありがたい反面、世の中、便利になりすぎて、ものぐさになっている自分に気がつきます。テーマ自体は重たい話ではありますが、記事は軽妙で、読んでいて楽しい。お目の高い記者さんの手にかかると、かんべえさんがとてもかっこよく映るのがすごいなあなどと例によってそこはかとない嫌味を書いておきましょうか。「福田政権、名軍師はいるか」という本題を離れて、「極悪」師匠と「非道」先生の違いがでていて、自分でもまずいのではないかと思うぐらい、くだらないことを考えてしまいます。

 まず、雪斎先生の描写として「単なる評論ではなく、政策提言にまで踏み込んだ文章が売り物」とあって、わかっているようでわかっていなかったことを自覚しますね。もちろん、「単なる評論」と「政策提言」が截然と切り離すことができるのかは疑問がありますが、雪斎先生の場合、政策への提言を行うために、単なる事実関係の整理が生きてくる、そんな印象があります。『読売』の記事がズバッと切り込むあたりは面白いところ。学問上の知見と現実の問題を切り離さないという次元だけでなく、「知識人はより良い政治のため自らの知恵を生かす使命がある。そのためには生々しい政治にかかわることもいとわない」というのはなるほどという感じ。私が知識人(たぶん、そんな立場では「痴職人」になるでしょうが)だったら、もっとのほほんと自分の好きなことだけやろうという感じになりそうで、このあたりが人間としての迫力の違いだなあと思います。なんとなく、自分の考えたことを現実の問題に活かそうというより、使いたかったら自己責任でお願いしますと無責任な態度になりそうです。雪斎先生の気迫が、タイプが違うにもかかわらず、尊敬する理由だとわかりあました。

 他方で、かんべえさんですが、「私は情報を上げるスペシャリストよりそれを生かすジェネラリストのほうが偉いと思っている。官兵衛の生き方が好きなだけで、社会を動かそうなんて気持ちもないし」という発言に「クール」とあって、背が高くやせぎすで眼鏡をかけてとっても渋いオジサマをイメージさせるさりげない描写(地上波じゃわからないでしょうが、直にお会いすれば、オタク視線は強烈なものがあります)。かんべえさんを理解するには『溜池通信』にある「口上」から、こちらを読むのがお手軽ですね。

 戦国時代というのは個性豊かな人々が活躍した時代である。官兵衛の役どころは名脇役といったところだろう。参謀タイプではあったが、諸葛孔明的な人物ではない。失敗もするし、忠誠心もそれほど高くない。それでも天下の情勢を語らせれば、いつでも周囲が「うーん」と唸るような鋭い分析を聞かせてくれただろう。彼が書き残した文書が少ないのは残念なことである。

官兵衛という男は、少し目立ちたがりなところを我慢すれば、つきあって楽しそうな人物である。戦国時代には魅力的な人物が多いが、だれか一人といったら官兵衛がいちばんだろうと、「かんべえ」は思っている。


 かんべえさんの場合、「少し目立ちたがりなところを我慢すれば」というあたりは、それほどでもないかなと。かんべえさんの場合、ジェネラリストを高く評価するというのは、天下の情勢を語らせれば、周囲が注目するというあたりと絡んできますね。ひどいことを書きますると、「オタク」という名の「ジェネラリスト」たる「極悪」の極意と見つけたり。

 「極悪」師匠の文章を勝手に書き換えると、「かんべえという男は、少し目立ちたがりなところを我慢すれば、つきあって楽しそうな人物である」となります。雪斎先生の場合、政策提言を行うためなら、スーツを脱いで泥まみれになるかっこよさがあり、提言が受け入れないからといって、為政者をバカ扱いする方とは明らかに異なる。かんべえさんの場合、あえていひどいことを書いてしまえば、読みが正しいかどうかは別として、読みがおもしろいかどうかに重点があるような感覚でしょうか。どちらが優れているというより、それぞれ個性が明確で、なおかつ共通の問題意識の上に補完関係にあるというのが、なるほどというところです。

 記事のタイトルは、「福田政権、名軍師はいるか」ですが、安倍政権時のことにも触れられています。ここでは「極悪」師匠と「非道」先生のコメントを離れて、考えてみましょう。『日経』の記事(2007年10月9日)、「検証366日 突然の辞任」では「安倍政権で成立した主な法律と置き去りになった政策」が表になっていますが、あらためて眺めていると、ふと、頭に浮かぶのが「手順前後」。年金がらみの法律を除くと、「タカ派」と見られている政権が長期政権となって「総理といえば安倍」という状態になったときに、じっくりコンセンサスを固めて実現を図ってゆくタイプの法律が並んでいて、支持率の低下と直接的な関係はないのでしょうが、あらためて、政策の優先順位が整理できなかったことを実感します。

 それにしても、雪斎先生のこちらの記事にある八木秀次先生の「首相のブレーンの一人だった高崎経済大の八木秀次教授は『保守はしばらく冬の時代を迎える』と話す。『安倍首相は保守のシンボルだった。首相がだめだから保守派もだめだとレッテルを張られるのは困る』」というのは、非礼ではありますが、笑えます。左翼の人たちが冷戦終結後、「ソ連型社会主義は崩壊したが、社会主義・共産主義の理念は正しい」とおっしゃっていて、思わず、それだったら、「ヒトラーの『第三帝国』はおかしかったが、ナチズムの理念は正しいとも言えますよね?」(われながら、屁理屈すら超越した、相手を怒らせるための妄言ですな)と尋ねたら、一気に「知人」が減りました。「右」とか「左」に限らず、似たようなものだなと。雪斎先生のような気概がないのなら、かんべえ師匠のように、「借金取り」に苦しみながらも、楽しんだ方が「極悪」とはいえ、実りが多いのかもしれないと思ったりします。そのうち、「不惑」を迎えますが、40代と一括りにしても、「人生いろいろ」という「寝言」が頭をよぎります。
posted by Hache at 01:43| Comment(3) | TrackBack(0) | ふまじめな寝言