2007年10月15日

風邪 軽い憂鬱

 風邪といえば、昔は、39度近くまで熱が出たのに、現在では37.5度どまり。これが一週間近くだらだら続いて、ひたすら手を抜き、睡眠時間を確保してなんとか立ち直るというのがお決まりのパターンになりつつあります。前にも書いたような気がしますが、高熱でフラフラしながら、昔は6時間、「客人」相手に話していても、平気でしたが、最近は、高々、平熱より1度ほど高いだけできつい。老化は避けられないとはいえ、軽く欝になります。風呂に入るのもきついので、シャワーを浴びるだけという、不衛生な状態です。

 そんなわけで、三原御大に「喝」を入れていただくべく、『三原淳雄の言いたい放題』を読んでしまう。うーむ、「時の最果て」と逝っちゃったネーミングをした割には控えめのことを書いてしまっていて、よくないことに気がつきます。「アジアで一番の資産家が26歳の中国女性」というのはなるほどという感じ。腰を抜かすほどではないのですが、まあ、そうだろうなというところでしょうか。問題は、「ねたみ癖」。これは、かならずしも、日本人だけの問題ではなく、アメリカでも1980年代には似たような現象があったという本(例によって自宅内の「樹海」で行方不明。不覚)もあり、"envy-free"などという話が経済学で大真面目に取り上げられたことも考えれば、人間の性なのかもしれないとも年寄りくさい「寝言」が浮かんでしまいます。まあ、それにしても、「一円」からの領収書は萎えますね。そんなことより、さっさと「憲法解釈」でも変えておくんなましという感じ。乱暴なことを書いてしまえば、この程度のことでガタガタする方が変でして、不都合があれば、さっさと変えるのが普通でしょう。解釈を変えた上で、軽々しく自衛隊を派兵するわけにはゆかないわけですから、そこから議論が始まる。現状では、訳のわからない制約があるために、そのような議論さえできず、「密教」としか形容のしようがない状態で、三原御大が危惧する「金持ちいじめ」よりも、生命に直結する問題に目を塞いでいる状態のほうがどうかしていると思います。

 「日本の近代化 中国の近代化」で書き落としましたが、この20年ぐらいの研究で、江戸幕府の創設以来、大雑把に言えば、17世紀は人口の増加、18世紀は人口の停滞、再び19世紀は人口増となっているようです。プロの話は細かいので、私みたいなちゃらんぽらんが「寝言」に直すと、18世紀の人口の停滞の原因は、所得の増加による「晩婚化」で、現代と背景も異なるでしょうから、乱暴な比較はできませんが、「産業革命」による人口動態の非連続性が小学生頃の事典か何かにも出ていたと思いますが、ペースが極端なだけで、案外、同じことを繰り返しているのかもしれません。他方で、19世紀の人口増は衛生の改善による「高齢化」で出生率そのものはそれほど上昇したわけではなく、乳幼児の死亡率の変化などはわからない部分があるようですが、寿命が全体として長くなったとのこと。「人口減少社会」というと、悲観的なイメージですが、元禄文化と化政文化の間は「改革」の時代でして、時代の「閉塞感」というのは「改革」という名の幻を負わせるらしい。政治の混迷というのは、「改革」が濫発されることに象徴されるのかもしれません。

 他方で、17世紀から19世紀までかなり粗い推計のようですが、日本の一人あたりGDPは500ドル台から600ドル台へと上昇し、維新の直前には清を抜いているという、こちらの方で腰を抜かしそうになりました。原資料を見ていないので、どのような推計に基づいているのかは理解していないのですが、当時の税収の記録などに基づいて推計しているようです。19世紀の清朝は、アヘン戦争やアロー戦争で疲弊したイメージがありましたが、むしろ、内政面で都市部・農村部の富裕層を上手に活用することができた幕藩体制とこのような層を政治体制に組み込めなかった清朝の差も重視されているようです。ただし、富裕層といっても、小農経営などであって、冒頭の2兆円もの資産をもつ層ではないようですが。

 風邪で憂鬱なので、これまた「喝」を入れていただくべく、『氷川清話』を読み返していますが、幕末の物価騰貴に関して勝海舟がどんな認識をもっていたのかという些細なことに興味がいってしまいます。高校時代の教科書では、日本では金と銀の交換比率が約1:5であったのに対し、当時の欧米諸国では1:15で交換比率の差を利用して、海外へ金が流出し、結果的に幕府が金貨における金の含有量を低下させ、通貨価値が下がったというお話だったように思います。今では、古臭い話なのかもしれませんが、大学時代に酔っ払った状態で、大学の先生に「幕末にインフレが起きるんだけど、説明できる奴なんておらんだろうね」とのたまうので、さくさく教科書のまま答えたら、「それ、割と新しい研究成果に属するけれど、何で知っているの?」と言われて、一瞬、こちらが絶句。それって教科書レベルの話ですとお答えしたら、今度は先生がリアクションの状態になっておられたので、その後、新たな説が登場しなければ、大筋こんなところでしょう。

 三原御大の『言いたい放題』に話を戻すと、確かに日本人は市場との付き合い方が成熟しているとは言えないのですが、悲観するほどでもないだろうと。「グローバル化」に段階を設定するのは難しい部分がありますが、1970年代のブレトン=ウッズ体制の崩壊の前後で英米も右往左往したのが実態で、イギリスはポンド危機、アメリカは金の海外への流出、先進国全体ではインフレという「危機」を迎えました。半分ぐらいは冗談でしょうが、変動為替相場制への移行期には、日銀内部で「円高っていうが、どういう話なんだ?」という話があった(酒の場ですので本当なのか冗談なのかわかりませんが)とまことしやかに聞かされているので、日本もあまり上手に対応したというわけではないのでしょう。ただ、1980年代の成長率は先進国でも比較的、高かったために、資本移動の本格化への対応が遅れてしまった側面があったと思います。逆に言えば、使っていない筋肉がまだまだあるわけでして、いきなり「筋肉痛」が生じるような「トレーニング」をしている段階では、そう無理をする必要もないだろうと。話があちこちに飛びますが、アメリカではATT分割以前の1960年代あたりでは、孫に「マー・ベル」の株を譲って運用を覚えさせるのが中流から上のお爺ちゃんの役割だった国のようなレベルにいきなりなれるはずもない。もう少し資本市場の「国内開放」を進めてゆく必要があるのでしょうが、30代前半の人たちと話をしていると、定期の利率の低さにうんざりして株で運用している人が増えていて、このような流れが定着するかどうかが鍵という感じでしょうか。

 彼らからすると、私みたいに三河のとある会社ばかり買っているのは「保守的」とバカにされるのでこの手の話題は今回限りですが。恥ずかしながら、名古屋駅前に本社ビルが移るとの話を父上から聞いて、狼狽してしまいました。F1よりも、あの会社は三河の会社なので信用しているのですが、ローカルな動きの方が気になってしまう。銀座に本社がある会社はどこかちゃらちゃらした印象があって、田舎者の偏見でしょうが、ちょっと手を出しにくい感じ。尾張出身者が、尾張にビルを建てるというだけで狼狽するのも、なんですが。それにしても、1枚30万円だったころは楽だったなあと最後は「寝言」ならぬ「ぼやき」で、気分はやっぱり欝ですね。
posted by Hache at 03:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言