2007年10月16日

天籟

 若い人がナゴヤドームから帰ってきて、阪神−中日戦の話を聞きました。あんまり興味がないクライマックスシリーズですが、阪神ファンの若人が首をうなだれながら、「完敗です」とつぶやくのが印象的でした。名古屋まで行ってお疲れのところ、話を聞いていると、「福留抜きであそこまでやられるとは」とか「先発、高園は考えられない」などなど。シーズン当初、阪神戦を2、3試合見て、かんべえさんの激怒を招いた昨年の山本(昌)の「禊」をしようとすると、なぜか阪神が負けてしまう。あまりの「ネガティブ・キャンペーン」ぶりにあきれて、放置しておりましたが、正直なところ、関心がなく、うっちゃっておりました。「そんなに差があるの?」と素で聞いてしまいましたが、「監督の采配の差ですよ」と言われて、そうなのかなあと。なんとなくピンとこないのですが、そんなものかなと。今ひとつわからないので、「上海馬券王のページ」を紹介すると、クライマックスシリーズの話を離れて、バカ受けされました。

 はああ、「諦めの果てに灯ったマジックがかき消され蹂躙されるのを見るのはやはり大変大変悲しいものだ。」ですか。。。でもねえ、セリーグ公認安全パイの森野とか微妙外人の李とか、味方が点を取ったら必ず取り返される人間失格の川上とか、四球連発恐怖の暴投王中田とか、チャンスじゃめったに打たないくせにチームの守備力だけはきっちり崩壊させた中村ノリとか、好投しても打線の援護が全然もらえないインケツの小笠原とか、ラストイニングを3人でぴしりと締めたことが殆どないカタルシス欠落クローザーの岩瀬とか、とにかくそういう凄惨なメンバーであそこまでやったんだからよしとしなくちゃ。それに今年は敗者復活のCLシリーズってのがあるわけだし、とにかく気を取り直して明日のレースの検討始めましょうよ。明日はG2とは言え今年のG1を占うのに欠かせないステップレースの2本立てですぜ(「上海馬券王のページ」2007年10月7日)。


 若い人曰く、「阪神ファンでも書けない自虐ネタ」を読ませて読者をさらに増やそうという「陰謀」をチマチマと図ってしまう。「そうはいっても中日恐るべし」とのことでやはり生で見るのとやはり迫力が違うのでしょうか。上海馬券王先生曰くは、中日の日本シリーズ進出可能性は意外とありますぞとのことですが、「現役中」に2度のリーグ優勝を見たにもかかわらず、2度ともあえなく敗退した結果しか知らない「元ファン」からすると、仮に日本シリーズに進出しても期待できず、順当にシーズン成績どおりでいいんじゃないかと。けだるい状態でスポーツ紙の試合結果を見ていて、ちと驚いたのは、観客数で札幌ドームがナゴヤドームを上回っていること。球場の定員数の差もあるのでしょうが、日曜に中日−阪神戦、月曜に日本ハム−ロッテ戦という差を考慮すると、熱気の差を感じますね。札幌ドームで日本ハムの相手は、巨人と中日、どちらでも、勝てそうな感じがしない。予想というより、単なる感じですが。野球自体はよくわからないのですが。

 今、読み返している『氷川清話』は、江藤淳・松浦玲編の講談社学術文庫版ですが、序文では吉本襄による「改竄」を批判して、勝部真長編(角川文庫版)の方は名指ししておりませんが、読めば、まあ、こちらも批判しているのでしょう。他方で、この序文ほど厳しい表現はありませんが、司馬遼太郎あたりは西南戦争時の勝海舟の態度には淡々と描写して暗に批判をしていたと記憶しております。吉本による「リライト」を経ていないとされている勝海舟の談話を読むと、かえって微妙だなあと。薩摩への思い入れとか長州嫌いといった好みというより、日清韓の同盟に勝海舟が何の意味を見出していたのかが、まるでわからない。強いて言えば、日清戦争をやらなければ、多少は清朝の寿命が延びていたかもしれないというぐらいでしょうが、このあたりの損得勘定はわからないなあという感じ。「隣国交兵日 其軍更無名」あたりに、陸奥宗光が「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張」と返したら、どうなるんだろうとか、「寝言」というより、妄想をしてしまいます。編者の意図を離れて人間くさい勝海舟という感じでしょうか。善悪はともかく、陸奥の方がなにをしたかったのかは、はっきりしていて、やはり勝海舟の方が大物なのかなという「寝言」。

 それにしても、気になるのは、313頁の「匹夫匹婦の言も、虚心平気でこれを聞けばみな天籟(てんらい)だ」との発言。勝部編を読んだときもほぼ同様の表現があったと思うのですが、学問をバカにしてたはずの勝海舟にしては『荘子』を読んだのか、その頃の常識だったのか、ちょっと不思議な言い回しだなあとあらためて思いました。ここには注がなく、改竄の可能性はないのかなと。実際には、そんなこと自体はどうでもいいことで、勝海舟の肉声とより近いとされる「断片」を読みながら、「近代的自我」なるものの胡散臭さを感じてしまいます。

 漢籍に強いわけでもなく、てぶらで『荘子』を読んで、哲学めいたことを考えたわけでもなく、ただ楽しかった、読み手の感性がダメだとどんな本でもダメだなあと思いつつ、マンガのように読んでしまった「外道」ですので、あまり深い意味はありません。まともな東洋思想の研究者の顰蹙をかいそうですが、「天籟」を「耳順」としても、別にかまわんというのが、「外道」の「寝言」というだけです。
posted by Hache at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言