2007年11月30日

アナーキー

 最近、なぜ、こんなに疲れるのだろうと不思議でしたが、疑問がちょっとだけ解けました。電車やさまざまなお店で他人が勝手にぶつかってくる。「勝手に」というのは、例えば、コンビニのレジで並んでいるときに、後ろを通り過ぎるときに堂々と体をぶつけて通ってゆくというパターンです。最初は、柄の悪い人だろうと勝手に想像していましたが、びっくりすることに今日一日で7回ほどぶつかられましたが、なんと老若男女は関係がなく、私より若く、小奇麗にしている女性がぶつかってゆくのは唖然としました。最初は仕事が原因かと思っていましたが、職場にいるとストレスがほとんどなく、通勤にすべてが集中しているようです。それにしても、海外へ出てしまうと、帰りたくなくなって、理由は道で歩いていて唯一ぶつかってくるのが、(上等そうな)スーツを着た日本人サラリーマンだったりするので、帰りの飛行機は憂鬱です。まあ、まず無理でしょうが、こんな狭苦しい島国から脱出するのが、人生の「夢」でしょうか。理想は、アメリカではなく、ヨーロッパですが。もっとも、浜松あたりはこの種のストレスがまずなく安心できますが。

 このような「嫌日ムード」になっておりますので、判断力が曇っているかもしれませんが(「晴れていること」があるのかは黙秘いたします)、驚いた記事はこちら。善悪は抜きにして、所帯は小さいとはいえ、「ブレない」共産党までがブレるというのはちと、びっくり。守屋容疑者、額賀財務大臣の証人喚問自体はどうでもいいといっては失礼ですが、どうでもよく、与党が取り乱すのは当然として、野党までがややこしい。共産党といえば、1993年から1996年の連立政権時代にも野党の立場でしたが、良くも悪くも、「原理主義政党」という印象です。その政党が「賛成したのは間違いで棄権すべきだった」と無謬性を否定するような話がポロッと出てくるあたり、かなり混乱しているんだなあとあらためてびっくりしました。安倍前総理辞任以来、びっくりすることがあまりないのですが、この記事を読みながら、ようやく今の政治の一端がわかったような気分に。要するに、アナーキーですね。もちろん、文字通りの無政府状態ではないのですが、既に福田総理の存在感はとても薄くなっていて、地味なリーダーシップというより、指導力を感じない状態。途上国だったら、クーデターが起きてもおかしくないなという感じ。それでも、(少なくとも現時点では)日常に支障を感じさせないのは、実は散々バッシングの対象になっている官僚機構が機能している(一部省庁は大変なんでしょうけれど)からだというのが、今日の「寝言」です。

 こんな変なブログが始まったきっかけは、「民主主義政体は非民主主義的な要素がなくては成り立たない」という悪い冗談と申しますか、変な疑問があってあれこれ寄り道をしながら考えてみましょという軽い話でした。そんな先入観があるのであまり自信はないのですが、司馬遼太郎氏の表現を拝借すると、「太政官政府」がつくりあげた非民主主義的な統治機構は惨害をもたらした側面があったのかもしれませんが、民主主義が自壊して再生する間に統治が完全に麻痺するのはあまりにダメージが大きいでしょう。言ってみれば、「選挙」という手続きを経ずに選ばれる官僚機構が統治の継続性を担保している状態だともいえると思います。年金記録問題で厚生労働省が叩かれ、調達問題で防衛省が叩かれている状態では、「寝言」というより、狂人の「たわごと」なのでしょうが。

 これはこれまで書かずにおきましたが、官僚機構でさえ担保できない統治の正統性をこの国で究極的に支えているのが皇室であるというのが、仮説というより、「悪い冗談」あるいは「寝言」という感覚がどこかであります。戦後に限定すれば、この国の存続に致命的な要素は日米同盟でしょう。この3つの正統性がそうではないと認識されるようになると、この国の民主主義的な政体というより、この国の存続自体が危ういのではないかという感覚があります。すべて感覚であって、なんの実証もないので、あくまで「寝言」。現時点で自分の主張を正当化しようという気もありません。ただ、「ねじれ国会」というよりも、「アナーキー」の一種が続いていても、滅びることはないのでしょうが、先に挙げた、(1)皇室の存続、(2)日米同盟、(3)官僚機構のうち、(3)以外の要素まで動揺すると、本来の意味での政治的危機になるのかもしれません。そうでなければ、民主主義が自壊しながら復元するという民主主義的な政体自身が内包しているメカニズムが作用してゆくのでしょうと他人事のように見ております。だって、私が、こんな鄙びたところで騒いだところで、現実にはなんの影響もありませんから。

 年の瀬も近くなって、慌しいですね。喪中欠礼もポツポツ届いて、ああ、年賀状かという感じです。他方で、仕事が楽しくなってきて、年末年始の恒例行事も、「寝言」も手抜き状態になりそうです。2週間前ぐらいはできていたつもり、わかっていたつもりになっていたことがそうではないことがわかって、ちょっとした抑鬱状態でしたが、現金なものでして、やるべきことがはっきりして、楽しんでしまいます。「空気読めない(KY)」、「恥知らず」(いちいち「廉恥」とか言っていたら切腹もののことばかりやっておりますので、命がいくつあっても足りませぬ)、「無神経」(知らない人にぶつかられるのは本当に苦痛ですが。親しい人でも肌に触れられるのは苦痛なときがあります。ひどいときには二人きりのときにヤル気がないと、向こうがヤル気満々でも○。ラさえお断り)など重度の欠陥を抱えておりますので、当分、仕事を楽しんでしまいそうで、自分でもちょっとだけ後ろめたいのですが、日本社会にとってはどうでもよくないけれど私にはどうでもいい世の中のことは忘れてしまいましょという気分です。戦略的意思決定というのは実は主体間の相互依存関係であることはわかっていたつもりでしたが、実はわかっていなかったことに気がつきました。これを気が狂わずに描写するには形式に徹する他なく、役に立ちそうにないことほど萌えてしまう私に呆れつつ、でも楽しいからいいよねと厚顔無恥(無知?)で押し通そうというささやかな「悪」に没頭したいというところです。

(追記)あまりに不謹慎な誤記がありましたので、下線部を修正いたしました(2007年12月3日)。
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2007年11月29日

こわーい「接待」 武官の「矜持」 文官の「意地」

 連休中に疲労がたまって、ヨレヨレでした。なんとか、平日に通勤途中や病院の待合などでひたすら寝て少しずつ回復しております。今週、来週と週末が半端じゃなく忙しいので不定期更新(とっくにそんな状態ですが)になりそうです。

 かんべえさんの「執念」で中国ネタに行きそうになりましたが、伊藤師匠の記事で紹介されている「ラウンドアップ」の柯隆さんの話が知的な意味で刺激的でして、『中国の不良債権問題』を読む時間ができたら、経済の方にしぼったことを考えようと思います。あれだけ伊藤師匠が推薦されるわけですから、買っておくのが当然ではありますが、忙しさにかまけておりました。なにしろ、高校から大学の教養程度の確率論を勉強しなおしていて、どうもわかっていないことが多すぎることに気がつく日々です。

 あ、そういえば、気がついたら、守屋容疑者になっていましたね。深い理由はないのですが、こちらはあんまり興味がわかないです。ロッキード事件やダグラス・グラマン事件での証人喚問をリアルタイムで経験してしまったので、なんともうらびれた感じ。証人喚問の際に手が震えた海部八郎というのは記憶にないのですが、ダグラス・グラマンといえば、わかりやすいです。当時は、一つの事案で5億とか動いていたわけですから、役人を買収するのも手軽なったなあという程度の感覚でしょうか。そんな話に食指が動かないので、かんべえさんも『佐藤空将のブログ』と書かれているのを見て、ある追憶が蘇りました。中国問題から離れて、ちょっとした「ときめ○アルバム」です。

 佐藤空将の文章を拝読すると、お会いしたときの印象とずいぶん異なります。文章ではときに激しく、全体として「硬派」な感じですが、お会いしてお話しすると、なんとも私がくだらない冗談を申し上げたときの笑顔が爽やかで、目が笑っているときにはこちらもとても幸せな気分です。ですが、ブログで目つきが悪いと何度か書かれていると記憶しておりますが、確かに怖い視線は一度だけ拝見したことがあります。数年前の岡崎研究所のシンポジウムの後、某外務省OBの方と某航空自衛隊OBの方となぜか私で少しだけお酒をいただきました。ブログではかけないようなお話も伺ったような気がいたしますが、私のザルの脳にはもったいないことでして、本当に忘れました(いわゆる「記憶にございません」ではないのですが)。アルコールが入ると、ただでさえ悪い記憶力がゼロに近くなるので、かなりいい加減な記憶ですが。

 外務省OBの方が怖い話をしてあげようというので、びくびくしながら、待ち受けておりました。ドイツでレオパルドに乗る機会があったそうで、う、うらやましいと思ってしまいました。なあんだ、不届きなことに、怖いんじゃなくて「萌え」な話じゃないですかと思ってしまいました。ディテールは忘れてしまいましたが、向こうの将校がドイツ軍人らしく霊前とはしているものの言葉が丁寧で最初は速度もゆっくりしていて比較的、快適だったそうです。しかるに、5分ぐらいしてから、スピードが急に上昇する上に異常にガタガタしはじめて、なにか故障かと思ったら、わざと凹凸が極端な走路にいったようで、揺れるというものではなかったそうです。体験してみないとわかりませんが、半端じゃないそうです。車酔いとかそんなレベルではなく、とにかく振動に耐えるのが大変。ドイツの将校が「大丈夫かね」と尋ねてきたので、ここで弱音を吐いては日本男児の面子にかかわるとの意気で、平気な顔をされて「演習」が終わったそうです。ハニートラップならぬ、「タンクトラップ」というところでしょうか。私だったら、車酔いですらもどしてしまいますので、とても無理だなというところ。佐藤空将は、「さすがですなあ」と合いの手を入れておられて、この段階では目が温和でした。

 続きはもっとこわーい話でした。外務省OBの方が防衛庁へ出向していた直後に、舞鶴基地だったかな、正確な基地名は忘れてしまいましたが、「招待」されたそうです。そこで待っていたのが、練習機への「陪乗」。間違っても、「軍オタ」ではありませんが(ある種の尊敬の念をもっておりますので)、またも「萌え」ですな。私も一回ぐらい航空自衛隊のお邪魔にならない程度に乗せていただきたいとひそかに「夢」をもっていましたが、このお話を伺って、それは「幻想」にすぎないことがわかりました。浜松基地でやっていたようなアクロバット飛行を一通り体験されたそうで、「Gがすごいんだよ」と軽くおっしゃっていましたが、あれを経験するのは…。体がなまっていて、精神的にもたるみきっている私なら、速攻で気絶しそうです。佐藤空将が、「意識を保てましか?」と尋ねると、「気を失った方が楽なんだろうけれど、神経は正常だったねえ」とおっしゃるので、「もうその時点で『合格』ですなあ」というやりとり。あのお、私は震えているんですけれど。

 これで終わりかと思ったら、最初に手洗い「歓迎」の後、通常の飛行に戻ってホッとしたところ、今度は、私の貧弱な軍事知識では正確にはどのように表現するのかはわかりませんが、機体を180度回転させて飛行が続いたとのこと。これが、「名所案内」でして、「上に見えるのが天橋立でございます」とか「上に見えるのが富士山でございます」という、想像を絶する「観光」をされたそうです。通常の状態でしたら、眼下に地上の風景が映るのでしょうが、機体が180度回転していますので、機体からすればあくまで地上は下にあるわけですが、頭の上に地上の風景が来るわけで、想像を絶する状態です。OBの方は、もちろん当時は現役でして、戦車のときと同じく平然とされていたそうですが、もちろん内心は怖かったとのことでした。私もこれにはお歴々を前に口あんぐりでした。

 佐藤空将の目が「怖かった」のはこのあとでした。「私も閣僚やそれに準じるクラス、文官を何人も乗せましたが、たいてい小○をちびってしまって、それ以来、防衛問題でバカなことを言わなくなりますな。机上のデータだけで、しかも不勉強で経験不足。話になりません」。遺憾ではありますが、現状を見ていると、もっと徹底的に「訓練」しておいていただいていたらと思います。守屋容疑者やその他、メディアで名前が出ている政治家は、ヤキもとい「訓練」が足りなかったのでしょうか。調達の問題を論じるには不足していることが多すぎるので与太話で申し訳ありませんが、自衛隊への信頼がようやく高まってきたところへこの事件。しかも、ケチ臭く、腐臭ばかりが強い話で、接待の内容は萎えるほどありがちで、論じる気がしません。武官の「矜持」と文官の「意地」がぶつかる「接待」は、門外漢には怖いながらも、胸が躍る中身でした。こんな接待は是非とも続けていただきたいものだと思います。
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2007年11月26日

ヨレヨレの「中国論」

 かんべえ先生(教壇に立たれているようなので)の「不規則発言」を11月19日から25日まで読み通すと、面白いのですが、いかんせん、ヨレヨレ。休日にパソコンの再セットアップなんてやるんじゃなかったと思います。完全に生活のリズムが狂ってしまって、今日は2時間しか寝ていない状態。オーストラリアに関しては、雪斎先生安達正興さんの記事を読んでおいて、疲れがとれて、なにか思いついたら、書きましょう。不思議なもので、これが仕事だったらうんざりですが、ついついなにかを書きたくなってしまう。休むほうが無難かなとは思うのですが。

 まず、感じるのは北京と上海でこうも雰囲気が異なるのかという点。政治というより、安全保障が前面に出ると、やはり対立の側面が強く出て日中の落としどころが見当たりづらい感じです。他方で経済がメインになってくると、コンセンサスが形成できないわけではないなあと。中国経済の「バブル」崩壊を中国の弱みと見るのはやや早計だと思います。日本は対中貿易では出超が続いていて、まったくの他人事ではなく、調整のスピードにもよりますが、日本経済にも安泰というわけではないでしょう。問題は、どの程度の影響があるのかという点ですが、業種によって濃淡もあって、率直に言えば、計算そのものは私の手に余ります。起きてみないとわからない(既にそうなっているのでしょうが)部分が大きく、ただ、過度に悲観的にも楽観的にもならないというありきたりな表現ではありますが、対中貿易では、あくまで総計にすぎませんが、買い手というよりも売り手としての立場にあることを忘れなければよいだろうと思います。重商主義的な発想には賛同しかねますが、企業内分業など特殊な要因を無視してざっと見てしまえば、中国経済が日本経済の内需に依存する以上に、日本経済は中国経済の内需に依存しているということを抑えておけばよいのだろうと。他方で、中国政府の経済政策に影響力はほとんどないでしょう。端的にいえば、日中は経済的に融合する部分が大きい一方で、政治的にはその利益を活用する(あるいは不利益を回避する)ことは困難であろうという見通しになります。

 こんなことを書いておいてまるっきり正反対のことを書いてしまうと(まさか上海からこちらを見てこんなに善人なんだぞと「不規則発言」を書かれたわけではないのでしょうが)、かんべえさんもずいぶん丸くなったなあと。「お馬鹿な質問」と一刀両断にされていますが、バブルの経験が初めてなら、頼りにされるのもやむなしというところでしょうか。陳先生はしっかりされているなあと感心してしまいます。ただ、このように自由な雰囲気は北京では例外のようで、首都と経済的に繁栄している都市との違いでしょうか。「対日デモ」の終着点が上海であり、その時点では反政府運動へと発展しかねないと勢いであったことを思い起こすと、中国が一つの国としてまとまってゆくのは容易ではないように思います。

 台湾海峡で強硬姿勢を崩すのはやはり難しいのでしょう。私は今でも、中国が台湾の併合を実現するならば、中国が音頭をとって台湾の国連加盟を支援して実現するという岡崎先生の「上策」がベストであろうと考えております。台湾の世論が親中に流れれば、日米が泡を食ったところで、打つ手なし。これがなぜできないのかをうんうんとない頭をひねって考えておりましたが、著者ご自身とお話した機会に不思議そうにされていました。「どうしてだろう」。PCの再セットアップで干からびた、なけなしの脳みそを酷使すると、まず、中国共産党指導部には民主主義というものが感覚的にわからない部分と国内的制約でしょうか。台湾の「独立」を認めた上で「併合」しようというのは、トリッキーなようにも思えますが、意外と民主主義国をなびかせるには脅迫よりも強力でしょう。台湾海峡の軍事バランスは、中国側の努力にもかかわらず、武力行使に及べば、日米の干渉がなくとも、台湾が独立を保つ可能性が高いのでしょう。他方で、「一つの中国」という虚構は、対米外交ではある程度まで成功を収めているようにも見えますが、いざとなればアメリカはどう出るかわからない部分があると思います(アメリカの行動を制約できる国など他にもないでしょう)。こうなると根競べみたいなもので、中国は言い続けるしかないのかもしれません。言わなくなれば、中国のナショナリズムの正統な代表者としての地位を中国共産党が失うのかもしれません。そんなことをしなくても、中国がアイデンティティを保つことに苦労しないのが望ましいわけですが、まだ時期尚早なのでしょう。

 日本人が中国の政治体制を論じるときに暗黙に民主化した中国が望ましいという価値判断が、濃淡の差はありますが、混ざっていることがあります。果たしてそうなのかは、私にはわかりません。中国人自身が決めるべきことと書くと、優等生的に響くのかもしれませんが、私自身は突き放した見方として、そのように見ております。大陸に深入りすると碌なことがないという感覚があることは否定しませんが、中国が民主化した後に台湾併合を断念するという保障はどこにもありません。露骨に言えば、中国共産党の独裁体制下であろうが、民主化された体制であろうが、中国との外交は必要なのであって、それをいちいち面倒がっていては筋違いであろうと。強いて両者を比較すれば、民主化された政権の方がより中国の発言力は国内のコンセンサスを透明に反映したものとして、より強くプリゼントされる可能性が高いでしょう。打算だけでゆけば、案外、一党独裁体制の方が付き合いやすかったということもありうるでしょう。

 現状では、経済では相互依存が優勢であり、安全保障では対立する側面が強く、「ねじれ」が生じています。ありきたりではありますが、国内の「ねじれ」とともに、対中関係における「ねじれ」と辛抱強くお付き合いしてゆく粘り強さが肝要だと考えます。まあ、いかれた「外道」の「常識」からすると、「ねじれ」の一つや二つで参っていては、私のひずみだらけの人生などどうなるのよというところでしょうか。
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2007年11月24日

進歩する世の中 進歩しない私

 USBメモリーにデータがない。それがすべての始まりでした。これでは仕事にならないので、久々に『三国志11』でもと思ってディスクに入れてプレイを始めたのが失敗でした。1分程度で画面がブラックアウトしてどうにもならなくなってしまいます。しかたがないので電源を切って再度チャレンジするも、またも落ちてしまう。ここで寝てしまえばよかったのですが、ついつい頭にきてグラフィックボード(ATI RADEON X1300pro)のドライバ(Catalyst)をダウンロードしたら、エラーの嵐。既に夜中。頭にきて削除をしたら、今度は普通に動いていたものが動かなくなり、デルのサポートセンターへ。これが第2のミスでした。マニュアルにはない話にデルのサポートセンターが対応できるはずもなく、あれこれ動作確認をして、結局、ゴーストを使って出荷時の状態の戻すことを勧められました。

 正常なときなら、こんな馬鹿な話は蹴るのですが、ついつい疲れていると試したくなります。というわけでやっちゃいました。データのバックアップを取ったはずですが、うっかりIEのリンクを取り忘れて、気がついたときには既に時遅し。おまけに「Microsoft Update」で50以上の修正とウィルスバスターの入れ替えからオフィス製品の入れ替えと正常に動作していた部分まで大変でした。もうくたくた。このPCは計算などには強くてありがたいのですが(思ったより「Athlon64 x2 5200+」は速いです)、設定当初から音が出なかったりと不吉な状態でして、スリムなボディにありとあらゆるものを詰め込んでいるだけに無理があるのかなと。それにしても、『三国志』程度のゲームでも3Dを使っていて、これがネックになるとは思いませんでした。それ以上に、休日がまったく無駄に終わって、土曜日も後始末で手一杯。疲れました。

 気がつくと、Officeも2007ばかりになってきているようで、2003が生き残っているうちに確保せねばならず、OSもVistaばかりになると思うとゾッとします。XP搭載型のPCが生き残っているうちにと慌てて買ったのですが、どうも不具合が多く、無難にインテル系にしておけばよかったと思いますね。ノートンはあまりに重いので止めてしまいましたが、ウィルスバスターでも十分重くて頭が痛い。ノートは起動までが異常なまでに遅く、あと1、2年かなという感じです。セキュリティ重視は仕方がないのでしょうが、だんだん、世の中の進歩についてゆけない感覚ですね。見た目がきれいになればなるほど、使い勝手が悪くなってゆく感じがします。『信長の野望』シリーズや『三國志』シリーズなんて見た目が悪くてもいいじゃないのと思うのですけれど。そんなことを書きながら、「決戦制覇モード」で張飛になった気分で強敵を一騎打ちで蹴散らすのが楽しかったりします。まあ、「猛将」タイプには程遠いので、なんとなくあこがれる部分があったりして。とまあ、3Dを使わないとできない部分が楽しかったりするので、あまり大きなことが言えないあたりが、いつまでたっても変わらない、自分らしさであることに気がつきます。
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2007年11月22日

嗚呼、極悪哉。

曰く、中国側からすると、日米関係はどう見ても同盟で集団的自衛権の行使が可能ですね。

子曰く、中国側からすると、日本の安保理常任理事国入りは無理なんですけれどね。

子曰く、中国側からすると、台湾の独立阻止をやればやるほど、逆効果なんですね。

嗚呼、極悪哉、極悪哉。

大道廃れて「極悪」有り。知恵出でて「非道」有り。六親和せずして、「外道」有り。
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2007年11月21日

あるどうでもいい家族の肖像

 父上の誕生日に電話をするのを忘れていたので、時期外れもいいところながら、実家へ電話してみました。相変わらず、嫌な親でして、「ああ、そういえば、お前も、もうすぐ40に手が届くのお」とむかつく反応。ガチャ切りしそうになりましたが、まあ、70まで働くぞと意気軒昂でしたので、お疲れさんですねというところでしょうか。父上曰くは「三流会社」とのことで、まあ、あなたがお勤めする先だからという言ってはならない一言を飲み込むのが大変です。私が中学生の頃に現在の親会社のことを「中古(ちゅうぶる)電力」などと不謹慎なことをのたまわっていて、これにはいつもオヤジギャグで萎える一方の家族が、「バカバカしい」、「くっだらねえ」とか言いつつ、珍しく笑える一発ギャグでした(親会社で今ひとつな人が来てしまうというグループ会社の悲哀がこもってはいるのですが。)。それにしても、平均年収を見ると、信じられないぐらい低い。こんな安い月給で○千万も貯蓄できた母上はやはりすごいなと感心してしまいます。『らんま1/2』になぜはまったかといえば、父上と早乙女玄馬が重なって見えてしかたがなかったというのが正直なところです。パンダに変身するぐらいの芸があったら、一族の総意でサーカスにでも売り飛ばしているのかもしれませんが。

 それはさておき、愛知県の景気ですが、「地元民」からすると、こんなもんだろうと。新規採用も平成21年度4月採用予定がピークで全国的な傾向と変わらないようです。一時期、かんべえさんがしきりに愛知県の求人倍率が高いことをメディアで強調されていましたが、ネットで入手可能なデータを見る限り、1990年代後半から2000年代の初めを除くと、全国平均を常に上回っていて、慢性的に人手不足だったことがうかがえます。1967年8月から1968年の2月の期間と1968年10月から1971年4月の期間で全国平均も1倍を超える高い水準ですが、途切れることなく有効求人倍率が5倍を超えていて、1970年1月には7.05倍という記録的な水準になっていました。流動人口のデータなどを丁寧に見ないと、おっかないのですが、どうも構造的な問題と申しましょうか、高度成長の後半期には周辺の静岡県、岐阜県(この2県と比べて三重県の有効求人倍率が低いのが以外でした)も恒常的に全国平均を上回っている状態が続いていました。ざっくり表現してしまえば、かんべえさんが指摘しているように、他の都道府県から見ると、住む魅力が薄いということでしょうか(かんべえさんの表現を拝借しただけで私のオリジナルではありませんよ)。要するに、景気のよい変な「田舎」ということなのでしょう。

 母上には「懸念」があって、おそるおそる「熟年離婚」の可能性がないかを探ると、やはりこちらが想像したとおりで、現状では「青信号」でした。なにしろ、年金の「分割」が可能になって、父上と一緒に過ごしてきたストレスを一気に「プッツン」(by小沢一郎民主党党首)されると、おそろしい。なんと申しましょうか、父上は家では落ち着きがなくて、一緒にいると、疲れます。なんかやましいことがあるんじゃないのかというぐらい口が動いているか、手が動いているかで、仕事をしているみたい。「一家団欒」などという状態にほど遠く、まったりとしたところがまるでない。二人きりでいるところを想像すると、ゾッとすると言ったら、「なんだ私一人じゃないんだ。安心した」と言っておりました。不平不満を一通り聞いてリラックスしたところで、年金の分割の話をそれとなく持ち出して、別れても大したことがないよねと肝心のところを持ち出すと、「計算したんだけど、とてもじゃない、やってゆけない」とのことで、やはりちゃんと計算していたのだと感心するとともに、妥当な評価をしていたのでホッとしました。まあ、人間ですから100%はありえないのですが、私も年を食ってきて、両親が別れるだの面倒なことは勘弁してくれという気分もある一方で、生活重視で合理的な母上なら、感情的になっても、最後の一線まで来て、生活が成り立たないことを理解するだろうという安心感もあり、しかし、人間というのはやはり間違えることもあるという、どうでもよいところで深読みをする頭の悪い人の典型ですが、微妙な感覚は完全に払拭はできませんが、とりあえずは大丈夫だろうと。家族のことでひどいことばかり書いておりますが、父上・母上の教えざる「家庭教育」のおかげで、人間関係を子供の頃から感情と打算の二重構造で理解する癖が抜けません。こんなことを書いてしまうと、実際は打算ずくだろうといわれる方もいそうですが、打算抜きの関係など、お互いがよほど恵まれた境遇で、なおかつ価値観が完全ではなくても、概ね一致していないと難しいと思います。

 既に壊滅寸前のアクセス数をさらに減らすことを書いてしまうと、感情のない人間は信頼できないし、打算のない人間は信用できない。打算をオブラートに包む術を知らない人間は信頼できないし、感情を抑制する術を知らない人間は信用できない。雪斎先生のおかげで『朝日』の小沢代表インタビューを最後まで読みましたが(あまりにつまらないので途中で読むのをやめましたが)、「ブッシュ大統領なんて米国民に支持されていないんだから、何で気兼ねするんだ」というあたりで目が点に。無礼さではチャベスの方がぶっ飛んでいますが、ダメだこりゃとがっくり。周囲では、参院選で民主党に入れたという「団塊の世代」の方々が、「なんでもかんでも反対で、まるで昔の社会党みたいだ」とじわじわと民主党離れが生じている感覚がありますが、なんとなく終わっている感覚で、民主党の方にアドバイスするとしたら、次の代表をどうやって育てておくかということでしょうか。ひどいことを書いてしまうと、50代前半から40代なら、自民党も民主党もどんぐりの背比べであんまり変わらない印象もあって、この世代が中心になる10年後あたりが本格的な二大政党の時代ではと考えております。まあ、「寝言」なんでまじめな話じゃないんですが。

 家族の話に戻しましょう。年齢を考えると、なにか大病の一つをしても不思議はないのですが、幸い、両親とも大過なく健在なのはありがたいことだなあと。ただ、違和感があるのは、父上に給与所得があるおかげで、年金が「減額」されているようなのですが、これでは高齢者に働くディスインセンティブを与えているような気がします。税や年金のことはよくわからないのですが、学生時代に「応能主義」や「負担力主義」の説明を聞きながら、なんだかんだ理屈をこねているけれど、要はとりやすいところ(政府が「所得」や「支払意思額」を把握できる世帯・企業などの組織)から頂いて、とりにくいところ(怖いので書きません)からはとらないってことでしょと。いかれた「外道」の足りない頭では現行の税制や年金制度などというのはそんなもんだろうと。雪斎先生のこちらの記事に共感するのですが、あえて消費税率の引上げを弁護するなら、直間比率を見直して「応益主義」への転換を図るという消費税導入の際の基本に帰ることも方便の一つかなと。財政健全化の関する議論そのものはごもっともだと思いますが、このロジックで消費税率の引上げを行うと、内閣がいくつあっても足りない感じです。ただ、消費税率の引上げに関する母上の反応を見ていると、政治的な説得は至難の業だなあと思いました。
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2007年11月20日

高いスプーン 安いスプーン

 ブログでは書けない、というよりも言葉として表現できないことで頭が一杯で、「寝言」にすらならない思考以前の「考え」が頭をめぐり、どうもよろしくないようです。気が狂わないように、「現実」なるものに必死にしがみついている。そんな感覚です。

 ずいぶん、大袈裟な書き出しになってしまいましたが、最近、参っているのがスプーン。ちゃらんぽらんな私は、コーヒーにミルクを入れたときに混ぜるときにも、アイスクリーム(1年に1回ぐらいしか食べませんが)を食べるときにも、この20年近く同じスプーンを使っていました。いつの間にやら、「行方不明」。既に、自宅が「樹海」状態でして、探しても出てこない自信があるのは、女性の○毛ぐらいのものです。これだけは、まず間違いがなく、自信をもって書けることです。あまり、自信に満ち溢れて書くことではないのですが。

 しかたがないので、「二軍」のスプーンを使うも、すこし小さめで使いにくく、ちょうどよい大きさのスプーンはないものかと、いろいろ探したのですが、入ったお店が悪いのか、150円未満の使いにくそうなスプーンかやたらと高いスプーンばかり。昔なら、迷わず高いスプーンを買うところですが、最近の騒ぎのせいで価格が品質のシグナルであるとは限らず、たかがスプーン一つを買うのに躊躇ってしまいます。他方で、安いスプーンを買うのも気が進まず、悩ましいです。変な消費の習慣があって、ふだん、よく使うものは高いものを買い、あまり使わないものは安く済ませるというちょっと変な感覚があります。風変わりなところでは、家電製品は安いもので十分。使わない機能が多すぎるものですから。

 それにしても、スプーン一つとっても、中間ぐらいの実用的かつちょっとだけ柄のところに装飾がある、こんなもんでしょというのを探すのに苦労するというのはなぜと思ったりします。最も単純な理由は、年齢とともにもともと決断力に乏しかったのが、ひどくなっているという話でしょうか。気がつくと、来年のリフィル(能率手帳タイプ)を買っていない状態で、まずいなあという感じ。なんとなく、中の下あたりの私みたいな層が暮らしにくくなっているという「寝言」を囲うと思いましたが、加齢とともにずぼらになっているだけだと気がつきました。それにしても、いまだに分厚いシステム手帳を持ち歩くのが面倒になっていて、買い換えたいと思いつつ、思い切って買い換えることができずにおります。持ち運びは不便なのですが、リフィルをとっておくと、記録代わりになりますし、毎年、手帳を買い換えると、住所録の保存は別のものが必要になり、意外と不便。さらに、大きめであるがために、メールできた会合の詳細などを挟んでおくのに便利など、この種の無駄も必要なのかなと。

 以上、「不惑」を前に迷ってばかりいる中年男の「寝言」ならぬ「世迷言」でした。
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2007年11月19日

日米首脳会談雑感その他

 無事、日米首脳会談が終了しました。報道で見聞きしているだけですが、概ね、安達正興さんがこちらで書かれている予想通りに終わったという感じでしょうか。タイトな日程で派手さはまるでありませんでしたが、「日米交流強化のためのイニシアチブ」などさりげなくフフン、もとい福田色もでていて、興味深いです。日米の人的交流を立て直すには金額がささやかな気もいたしますが、取り組み自体は評価できると思います。「親日派」というよりも、「知日派」を増やそうというのは、ブレやすい民主主義国の世論を考えれば、地道とはいえ、日本の国情を正確に知っている専門家を増やすことは、ただちに世論のブレへのブレーキにはならないにしても、悪いほうに振れたときに、冷静な判断の材料を政策決定者に与える可能性を高めるでしょう。中国専門家が増えること自体は避けられないでしょうが、日本が何もしなくても良いというわけでもないと思います。この種の取り組みは、比較的コンセンサス形成に党派性が薄いでしょうから、福田政権に限らずに継続的な活動となることを望みます。

 表面的な観察ですが、テロ国家支援解除問題でも、被害にあわれた方たちからすれば不十分でしょうが、他国の元首が拉致問題を忘れないという発言をすること自体、十分だと思います。もっと露骨に言えば、拉致問題は日朝間の問題であって、米朝間協議とリンケージさせるには日本の外交資源は不足している。それ以上に懸念しているのは、核開発をめぐって実効性のある廃棄に向かって枠組みができるかどうかです。この点では米朝協議の中身が十分に伝わっていないだけに、米朝交渉自体、私には危なっかしく見えます。なんとなく国内の議論で違和感があるのは、拉致問題が主で核廃棄の問題が従であるかのような雰囲気があることです。どうも、このあたりは情が先にはしっている感があり、私みたいに政治的影響力がない方たちがそのような議論をするのは特に関心がないのですが、六カ国協議なり日朝独自の交渉でもよいのですが、与野党問わず、政治家の発言から核廃棄で日本外交がどのような役割を果たすのかが、まるで見えてこない。そのような外交的影響力がないというのなら、限界があるなりにどのように影響力を行使するのかを明確にしていただきたいと思います。素人的な発想にすぎませんが、核廃棄と核不拡散という他国も利害を共有する問題で日本が積極的な役割を果たさずに、拉致問題が解決できるとは思えないです。

 ゲーツ長官の発言は、先に引用したコラムとは異なる受け止め方をしております。現在は、海自の補給活動に過度に焦点が当たっていますが、米軍再編の中で日本が果たす役割が変わってきているのにもかかわらず、相変わらず、基地問題でも収拾がつかない。私自身は、海自の補給活動の継続が望ましいと思いますが、もはや日米安全保障体制という狭い枠組みでは日米関係をマネージすることは難しく、同盟国としてまず、費用、そしてリスク、最終的に戦略と価値観を共有する関係にもってゆかざるをえないでしょう。海自の補給活動の継続に関しては悲観的に見ているので、あまり期待値は高くありません。この問題に上手に対応できなければ、福田政権が危機に陥るのかもしれない。ただ、この問題に仮にうまく対応できなくても、日米同盟が軍事的に同盟として機能する胴体部分がしっかりしていれば、国会の機能不全によるショックを最小限に食いとどめることができるでしょう。この問題は、完全に手抜きになっていたので、的外れなことばかり書いているかもしれませんが、ゆとりができたら(いつになったら楽になるんでしょうね(遠い目))、あらためて考えようと思います。

 補給活動が継続できればベストだと考えておりますが、9.11後、小泉・安倍政権の下での陸・海・空の自衛隊の活動は、日本外交にとって代替できるものがない貴重な資産だと思います。今、「ねじれ国会」は、この活動を「遺産」にしようとしているように見えますが、仮に「遺産」になったとしても、テロ対策で、イラクの復興支援でアメリカをはじめ各国の軍との協力関係を実際に行ったことは、日米を中心として各国との安全保障や外交などの実務家との貴重な経験を共有したということでしょう。「日米同盟強化」とか「国連中心主義」などのお題目よりも、実際の資産は、この特異な経験を共有した各国の実務家とのつながりだと思います。日米同盟にせよ、国際協調にせよ、お題目よりも実際の経験の共有が今後、10年間という、この国の国際的地位の低下が続くであろう期間において活用してゆくべき「資産」だと考えます。

 それにしても、日曜日の朝からテレビとか新聞を見たり読んだりするもんじゃありませんね。消費税増税をぶち上げる議員さんがいらっしゃる自民党と「高速道路無料化」とのたまう党首を擁する民主党の経済政策はため息が出ます。かたや「緊縮」、もう一方は「バラマキ」。『朝日』によると、大阪市長選の投票率が前回33.92%から9.69ポイント上昇して43.61%に上昇したとのことですが、大阪の方は立派だなあと思います。言いにくいのですが、経済では政治は最低限、余計なことさえしなければよく、現状を見ていると、政治的関心を保つこと自体が困難に思えます。

2007年11月16日

金と恩は天下のまわりもの

 周囲を見ていると、疲れています。私も、とてつもなく疲れております。「最近、疲れるなあ」と口に出す方はまだ精神を正常に保つことが可能な状態。なんとなく「コンプライアンス不況」ならぬ「コンプライアンス地獄」。そのうち、自殺者が出るだろうなあと傍観者のように見てしまいます。なんとか、このスピードぐらい落とせないのか、せめて余計な仕事を増やさないようになんとかできないのかとない知恵を絞る日々です。

 かんべえさんが小川彰さんのことを書くと、しみじみしてしまいます。メールをやりとりさせていただきましたが、かんべえさんの書かれている文章を拝読すると、御面識をいただけなかったことが悔やまれます。なんと申しましょうか、不義理な私は、どんなにご恩を頂いても、ご恩返しをしようとか殊勝な気分にはならず、自分の好きなことをやってしまうのですが、まだ、このような方を残していたのだと日本の会社も捨てたものではないと思ったりします。悲しいのですが、このような方を残す余地がどんどんと減少している印象もあります。

 疲れているときには昔のことをついつい思い出してしまいます。現在の職と無縁ではないのですが、以前、勤めていたときに、研修中は厳しいことばかり言われて必死に自分なりに工夫をして鍛えられましたが、終わった後に、あるとき、「あなたは、いい○○者になりますよ」と誉めていただいて、びっくりした覚えがあります。自分には不向きな仕事ですし、いまでもそのような自覚があります。あとで考えると、よく我慢して使ってくれたなあと感謝の気持ちが沸いてきます。知り合いが、昔話である会社の「看板」の一角だったというのはすごいですなというので、そうではなく、失敗だらけの人間を一人前にする胆の座った方がいたからだよと話をしていて、合点はしていなかったようですが、私が使う立場だったら、投げていたかもしれないと思います。実際、他の人が切られるのを見ておりましたから、私をなぜいつまでも使ってくれていたのか、私自身、いまだにわからない部分があります。

 その方が胃癌で入院されていたときに、はっきりと干されているのを感じました。当時は事情がわからなかったのですが、言ってみれば「コンプライアンス派」が強くなり、私みたいに減点主義で採点されるとひどい点数になってしまう者には使い道がなくなります。そういうときは、あれこれ考えずに、「捨てる神あれば拾う神あり」と開き直るだけです。

 その後、回復されてから、「酷使」されましたが、「休養期間」をいただいたおかげで「全力投球」できました。20代の終わりから30代前半は、そんな時期でした。なにか仕事をしようとか、なにごとかをなそうという感覚がまるでなく、比喩を使えば、タクトを振るうと、一瞬、オケの団員が緊張したところで、すかさず緊張をほぐし、お互いにコミュニケーションをとりながら、楽しんでやっておりました。じわじわとテンションが上がり、最も難解で美しいところで、透明な音感が出るのが快感でした。バックも完全に私のペースに合わせてくれて、本当にわずかな時間ですが、こんなひとときを味わうために7、8年を費やしたのかなと思いました。本当に仕事らしい仕事(やり始めると、楽しんでいるだけですが)ができたのは最後の2年ぐらいでしたが、このあたりが潮と思い、一気に手を引きました。その頃に、胃癌を再発されたとのお話を伺い、ショックでした。あとは書くまでもないです。

 私自身は世渡りに興味が薄く(もちろん、生活がかかっている以上、最低限の部分はありますが)、「生」すなわち「死」すなわち「生」という異常な事態にいかに処するのかという「処生術」には大いに興味があります。死が一度きりしかない体験であることによって、生が一度きりしかない体験であることを担保される。輪廻転生を認めてもよいのでしょうけれど、私の想像力では、死が一度きりであることが生を生たらしめているという程度のことしか考えることができません。くだらない話ですが、このようなどうでもよいことに「神」を持ち出さずに(東洋風に「天」でもかまわないのですが)勝負しようというのが私の「生」であり、「死」でもあります。

 そんなちゃらんぽらんな私の、文字通りの「処世術」は、「金と恩は天下のまわりもの」ということぐらいでしょうか。さすがに金はちょっと違いますが、恩なんて借りるだけ借りたらよい。借りた人に返すとは限らず、あえて言えば、恩の貸し借りなど帳簿をつけず、帳尻を合わせようともしないのが私の流儀です。かくして、この国では「借金王」を増やすことが私の「仲間づくり」(こう見えても、義理人情に薄いことにちょっとだけうしろめたさはあるのですよ)というのは、「寝言」というより、「言い訳」ですかね。
posted by Hache at 02:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言

2007年11月15日

制度改革と「保守的な」私

 私は、断じてよき「組織人」ではないのですが、歳をくってきたのか、「組織人」として振舞ってねというプレッシャーがかかってきて、正直なところ、どう逃げの手を打つのかでない頭をしぼっています。会議が増えてきて、疲れがたまっておりますが、組織全体のことを考える場で、周囲を見ながら、自分のタイプを考えてしまうあたりは、いかれた「外道」というところでしょうか。あまりブログで自分の職場のことを書くこと自体、含羞もあるのですが、それ以上に自分が、政治ポジションとは無関係に「保守的」であることに気がつきます。

 制度を見直す際に、いろいろと個性がでて、会議自体をサボっているわけではないのですが、なんとなく発言する方の個性を見てしまう。私と対照的なタイプは、明確な理念と将来のビジョンをもち、制度改革に情熱を燃やす方です。実は、20代半ばぐらいまで自分ではそういうタイプだと思っておりましたが、40まで700日+αになってから漸く、そのような資質がないことに気がつく。とくに、理念で引っ張ってゆくリーダータイプではない、俗人だなあと実感します。理念やビジョンをもたず、現状を用心深く見渡して、動かしてはまずい制度を見極めることに専念するタイプかなと。頭の中で逆の作業をすることもあります。ある制度を変えると、どこで支障が出てまずいのかとか、私も含めて実際に作業を行うサイドでコンセンサスができるのかどうかとか、オヤジ臭いことばかり考えてしまいます。このあたりは、上層部でチェックが入るから大丈夫だろうとは見ているのですが、制度改革を考える場で、ついつい逆のことばかり考えてしまいます。簡単に言えば、変えない方がよい制度を見極めることと余計な仕事を増やさないための方策(正直なところ、自分も「被害」を受けますからね)に足りない頭の9割方が集中してしまいます。

 「革命」よりも漸進的な「改革」、「改革」よりも「改善」、「改善」よりも「現状維持」を好むタイプなんだなと。もちろん、現状維持だけでは現状も維持できないことはわかるのですが、改革とともに余計な仕事が増えるという感覚も強く、経験が浅いせいか、制度変更による費用対効果の分析がパッとできないというだけのことかもしれません。ただ、周囲があれこれ騒いでいるときに、私一人はボーと「寝ている」状態のうちに、落ち着く先が見えてきて、このあたりでしょというのを考えるタイプなのかなと。ただ、このやり方では変化に追いつけない可能性が高いわけでして、欠点も多いなあと思います。

 「お仕事」を遊びにしてはいけないのですが、考える対象自体は変化しないのに、考えてゆくうちに変えてないほうがよいと考えていた要因そのものは変わってゆく思考のプロセスを楽しんでしまいます。変えてもよいかなという要因が見えたと思ったはなから、ダメだということがわかる。気がつくと、普通に考えればわかることだったりします。なんと私の思考の迂遠なことよと嘆きつつも、そのような思考のプロセス自体を省みるのが楽しい。考えるばかりでことをなす人間ではないことを自覚しますね。しみじみ、よき組織人にはなれそうにないことを痛感する日々が続きます。
posted by Hache at 01:33| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな?寝言