2007年11月05日

空気を読むな!

 珍しく相手の調子が悪く、持ち味を引き出すのに時間がかかりました。落合監督の采配、テロなどなど1時間ぐらい、「陰謀論」のような話が連続するので困惑してしまいました。「個性豊かな人材の育成」で現在の日本の教育を嘆き、西洋の美術や音楽の話を持ち出すので、10年ぶりぐらいに一喝。模倣のないところに独創はなく、無から有は生まれない。10年前後前には世界一のメガバンク誕生で規模の経済性とか経済学者ぶったことを言うので、「10兆だか、20兆だか知らないけれど、その程度のはした金を碌に使えない銀行が3つもくっついてなにができる」と一喝して、乱暴なものです。この友人の面白いところは、暫く沈思黙考して静かに「そうですね」と納得してから、なにか憑き物が落ちたように話がすっきりしてくることです。別に私の意見に同意する必要はないのですが、こういうときは仕事のことですっきりとしないことがひっかかっていることが多く、目の前にある現実を見よというところでしょうか。もっとも、私がセッティングした店が今ひとつで単に機嫌が悪かっただけかもしれませんが。こればかりは、ごめんなさい。

 私は営業畑の人間ではないので、やり手の営業マンの話を聞くのが好きで、それも、失礼ながら間違ってもメディアに露出したりしそうにない、無名の方たちの話が楽しい。商売そのものは互恵的な関係ですが、買い手・売り手で譲れない線がある。このあたりの呼吸を聞いていると、さすがだなあと思います。細かい話を書き出すと、あまりに長くなるので、彼の商売の秘訣は誠実に語ることや機が熟して商談をまとめるときに、機を逸さずに決断するなど、抽象的に表現すると、当たり前のことばかり。バカにしているわけではなく、当たり前のことをやるためには、実現するための細かいノウハウが必要で自分はある程度、蓄積したけれど、それを社内で共有することが難しく、苦労している様子でした。組織というのは難しく、取引先が微妙なラインの条件を提示してきたときに、「社内に帰って検討します」と答えて、気がつくと案件を流してしまう同僚にイライラしてしまう様子でした。

 合いの手を入れながら、相手の気分を乗せているうちに、だんだん口が滑らかになってきて、「それを言っちゃあ、おしまいよ」と前置きをした上で、「プライオリティを明確にできない人が多すぎる」と言ってました。私が平たくしてしまうと、「自らの優先順位を明確にした上で人を動かすことができない」というところでしょうか。「空気を読め」という表現は生理的に嫌いで、こちらで書きましたが、個の「気分」軽視ということ以上に、政治家に向かって「空気を読め」というのはバカげている。彼らに必要なのは、自分のプライオリティを、あからさまに表明するかどうかは別として、明確にした上で、他人を説得し、誘導し、やむをえない場合は恫喝して自分の言い分を通すことにあるのでしょう。「空気」なる物をもちだせば、「空気」にしたがっておればよく、統治など不要でしょう。極論すれば、取引先や社内の「抵抗勢力」を動かす「術」と統治の「術」など本質においては大差がないと思います。


 そんな話をしながら、小沢党首はダメだね、連立するんだったら、福田総理と合意した上で、協議ではなく、結論ありきで分裂も辞さない覚悟で決断を行うしかないなあという話をしておりました。帰宅すると、小沢民主党党首が辞任とのことで、もちろん予想がつかない展開でしたが、驚くほどでもない。安倍前総理の辞任と大差がないように、いかれた「外道」の目には映ります。安倍氏と小沢氏は、言辞において「ブレない」政治家であると私は認識しておりますが、「ブレない」というのは、プライオリティ、あるいは優先順位が実は不明確な状態なのだと考えております。「資源」、この場合なら「政治的資源」が限られている中で、すべてのことを実現するのは不可能であることは自明です。他方で、実現すべき政策は多岐にわたるのも現実でしょう。政治的リソースが限られている以上、個々の政策は代替的ではなくても、実行となれば、ある政策を実現しようとすれば、他の政策はいったん先延ばしするか、捨てざるをえない。そして、優先順位が高い政策の実現可能性が厳しいほど、政党政治ならば、(1)党内での説得と妥協、(2)他党との折衝と妥協、(3)国民への説得と理解の確保(あるいは諦めてもらうための論理)が不可欠になります。現実政治において指導者に要請されるのは、「人を致して致されず」であって、プライオリティを明確にするというのは行動において体現するより他ならないと考えます。


 「空気を読む(あるいは「空気読めない(KY)」などというのは現実政治においてなんら行動の指針を示さないだけでなく、ときによっては問題の本質を曇らせてしまうという点で有害ですらあるでしょう。本質的なことは、プライオリティを明確にし、政治的リソースが有限であることを理解しようとしない人から「空気読めない」とバカにされつつ(こういうおめでたい言葉を無神経に使う人は指導者を侮っているという点で意外と致しやすいことが少なくない)、無理解な人たちには「次善の策」、政治家を名乗りながら、なんの政治的影響もない人から「邪道」とバカにされる政策を実現することだと思います。

 安倍晋三氏の失敗は、政治的資源を超えてありとあらゆることをメニューに載せてしまったことでしょう。小沢一郎氏の失敗は、自らのプライオリティの高い政策が現在の政治的資源では実現不可能であることを理解していたがゆえに、政治的資源を拡大しようとしたものの、それ自体が目的ではないという演出ができなかったことでしょう。この二人の失敗を嘲笑するのはたやすいですが、私は「空気読めない」という問題ではないと思います。分権化社会では、特定の個人のプライオリティが、全体のプライオリティと合致する保証はどこにもありません。議会制民主主義、政党政治というのは、決して万能ではない分権的社会の政治的破滅を防ぐ知恵でしょう。今回のドタバタ劇で福田総理が「利得」をえたという見方が多いようですが、互恵的な取引そのものは成立せず、相変わらず、細く険しい道を歩まざるをえないようにもみえます。衆議院で3分の2以上の議席をもっているとはいえ、野党もそれに対抗する力はもっています。福田総理は、このような取引で一方的に利益を得ることは難しいことを理解されていたようにもみえますが、党内を説得することができない党首と取引を目指すしかなかったというのは、選択肢が多くないということでしょう。もちろん、小沢党首が辞任した後に選択肢が広がるかもしれませんが、あらためて、制約が厳しいことを実感します。