2007年11月09日

相互依存の深化と反発

 「旬」が過ぎた頃に、他所様で熱く語られた「古戦場」を訪れるのはわび・さびのあるものです。まずは、いかれた「外道」の悪趣味というところでしょうか。ちょっと驚いたのは、今日もふだん政治の話に興味がなさそうな若手から尋ねられて、野党第1党というのはバカにできないなあと実感いたしました。

若い人:なんで、小沢党首は辞めないのか?あそこまで言い切ったんだから、党を割ってほしかった。
:ところで、小沢さんが辞めたら、君のお給料は上がるの?
若い人:……。(ムッとした表情で)関係ないでしょ。
:小沢さんが留任したら、君のお給料が下がるの?
若い人:……。あ、どうでもいいってことですね?
:おお、さすがだ。よくぞ気がついた。君はまだ若いし、前途はある。無駄なことで時間を潰さない方がいいよ。

 一介の給与所得者の給与へ野党第1党の党首の「進退」をかけるのはどうかとは思うのですが、このぐらいの塩加減が妥当かなと。「余震」が続いているようで、野党第1党を侮りすぎていたなと思います。ちなみに今回のことで何が変わったのでしょうという問いもあったのですが、「これでもう一回、辞意を表明したら、撤回できなくなったてなところかな」と答えて、周囲を絶句のち笑わせて楽しみながら、彼らには知られないように実際は溜まった仕事をこなしてゆく日々が続きます。

 徐々に政策協議自体は進んでいるので、「大連立」が幻に終わっても、実務的に与野党でコンセンサスを築いてゆく作業自体は、今回の騒動で加速はしても、進んでゆくと見ております。また、それでよいとも。自民党から見ても、野党との協議で妥協を迫られる局面も多く、今回の一連の騒動で自民党だけが一方的な利益をえたというのはあまりに一面的な見方だと思います。議会制民主主義では妥協とコンセンサス形成によってよりよく統治が機能するという、明治以来の本質が現状では際立っているということだと考えております。

 さて、海外の動きが気になるところですが、こちらを拝見して、「イラン戦争?」という話もあるようでして、さすがに、これは。直近の状況さえ追えていないので、『世界の論調批評』で紹介されているDavid Ignatiusのコラム"Walking Into Iran's Trap"と10月7日の"A Way Out' for Iran"をあわせて読むと、ブッシュ政権の基本政策は、一方で制裁と武力による圧力をかけ、他方で穏健派の力が増大し、イラクを安定化させる方向で進むことを促進することだと理解できます。10月7日のコラムでは、国連(事実上、安保理理事国が主要なプレイヤーですが)による緩やかとはいえコンセンサスが存在し、アメリカの金融制裁や中露(とりわけロシアの影響力が大きいと指摘されています)がイラン問題でアメリカ側にいること、フランスのリーダーシップでEUも共同歩調を崩す可能性が低いことなどが指摘されています。

 問題は、アフマディジャネードがこれらの圧力をどのように評価しているのかという点が大きく、予備的交渉が不首尾に終わっている状態で、強硬派の圧力への評価が不透明な点にあるのでしょう。イランの強硬姿勢自体は虚勢も含んでいますが、アメリカに有効な軍事的オプションがなく、なおかつ軍事的オプションがイランにとって以上にアメリカにとって耐え難いという打算にもとづいているとイグネイシャスは見ているようです。「イランの罠」というのは、『世界の論調批評』にもあるように、アメリカの軍事力が十分に発揮できない状態で戦争へと引きずり込み、西側諸国へ経済的打撃を与えることでしょう。もちろん、戦争による人的被害が最大の問題ですが、イランへの軍事行使が実現したとしても、戦いを支える西側諸国の国内体制と世論に打撃を与えて、戦争を続けることができないという状況に至れば、イランの核武装を阻止することは事実上、不可能になります。いずれにせよ、『世界の論調批評』で指摘されているように、「アメリカが、イランの核開発を容認するか、核施設を攻撃するかの二者択一しかない立場」に追い込まれれば、「不測の事態」であり、なおかつ解が見出せないリスクがあります。

 イスラエルによるシリア空爆や非対称戦争の問題なども挙げられていますが、ここでは割愛します。「生兵法怪我のもと」ですので、表面的な観察にもとづいたものですが、アメリカの対イラン政策では、対北朝鮮政策(アメリカが「混乱」している印象もありますが)よりも、核放棄という点では確実な政策が実行されていると思います。他方で、世界の政治・経済におけるイランの不安定化の「重み」と北朝鮮の「重み」を比較すれば、前者の方がはるかに大きく、日本にとってはアメリカの北朝鮮政策の方に目がゆきがちですが、アメリカの外交上のリソースはイランを中心にアフガニスタンから中東に集中しており、北朝鮮に割くことができるリソースが限られていることを抑えておくべきでしょう。対イランと比べて北朝鮮では腰が引けているという批判自体はまったく的外れではないと思います(ヒルの独断専行は目に余るものがありますが)。

 しかし、アメリカが世界で最も影響力が高い国である同時に、経済的相互依存だけでなく、国連や他の主要国との協調を不要としないほどのパワーを有している国ではなく、多様な相互依存の中で選択肢が限られていることを忘れてしまうと、アメリカの行動を理解することは難しいと思います。イランでは北朝鮮以上に核放棄という点では手厚い「布陣」を敷いているのにも拘らず、ただちに外交的成果を挙げることは難しいでしょう。また、相互依存といっても、基本は互恵的関係であっても、異なる国と国の関係である以上、フリクションも避けることができません。国連という超国家的組織に過大な幻想を抱くのには批判的ですが、その根本には、超長期的な展望はともかく、現実には主権国家の多様なレベルでの相互依存によって各国が利益を追求するとともに、協調をしているというのが今日の世界だという私自身のナイーブな認識があるからです。相互依存の下ではアメリカのような超大国ですら、選択肢が限られてしまうのです。

 ここまでお読みいただいた方には、ないないづくしではないかという感想をもたれたかもしれません。政治や経済の相互依存の深化は、従来よりも主権国家の主体性を制限してゆくでしょう。他方で、そのような現実は、他の諸国にとっても同じです。ありきたりの「寝言」になってしまいますが、外交というのは元来、そのようなものだということをわきまえた上で、少ない選択肢の中でよりマシな選択を行うという作業の積み重ねであるということです。そして、情勢分析が正確であることが望ましいけれども、どれだけ精密に情勢分析を行っても、その時々の情勢認識の的確さには限界があります。こちらで書いたように、事前の情勢分析を徹底して行うと同時に、個々の政策は、必ずしも、ある統一した戦略、もっとくだけた表現をすれば、原理原則から導かれるのではなく、ときどきの状況に応じて関連が薄かったり、場合によっては齟齬をきたすこともあるのでしょう。そのような政策を事後的に評価し、よきものを残してゆくことが、戦略的行動なのかもしれません」という視点をもつことが肝要だと考えます。