2007年11月12日

私は心が狭い

 自分でも心が狭く、幼いときから、母上に「なんて心が狭い子なの!」と叱られ続けてきました。申し訳ないようですが、「三つ子の魂百まで」というのを実感します。2007年10月18日に「フフンの逆襲」という「寝言」を書きました。元々は雪斎先生の記事で引用されている報道(『毎日』の記事)を確かめるべく、『参議院インターネット審議中継』から2007年10月16日の予算委員会における小池晃委員(共産)の発言を見たのがきっかけです。そこで当該質問における2回目の福田総理の答弁を書き起こしたのが以下の文章です。

 あのお、先ほどらいから聞いておりましてね。なんで、そのお、理解をするような努力をしてくださんないのかあと(高村外務大臣、苦笑から爆笑。鳩山法務大臣は退屈そうに耳をなでる。質問者側から野次)。見解の相違じゃないですか?これはいくら議論をしたってね。あのお、賛成とは言わないんでしょ?(質問者側も爆笑)結局。そうなんでしょ?まあ、私から申し上げればですね、米軍のね、アフガン空爆を加担しているというわけではありません。これはね。そして、テロリスト掃討に関わる国際社会の協調行動を支援しているんだということで、これはもう、あのお、外務大臣、防衛大臣が答弁していることでございます。


 この程度の長さの発言を「テープ起こし」をするのに1時間以上もかかるのは私の能力のなさですが、地味なところで手間がかかっていたりします。『寝言@時の最果て』では著作権がどうたらこうたらとかふれる気もありませんでしたが、そのままコピペしたとしか思えない、よその記事を見ると、がっかりします。見たところ内容も私の記事を知らん顔をして要約したとしか思えず(言いにくいですが、簡潔さとしては記事としての出来は向こうが上ですが)、率直なところ、不愉快です。私の記事では雪斎先生のところで引用されていた新聞で書かれている発言を読んだ後、時間をつぶしてネットライブラリーから再現しましたので、この部分を無断で写されるのは正直なところ、胸がむかむかします。もっと書きにくいですが、こちらのようにちゃらんぽらんなブログの記事の一部とはいえ、コピペする方がいることを想定していなかったというのが正直なところですが。引用に関しては、私自身は、引用元を明確にする方針でおります(書籍などで「行方不明」になってしまって、うろ覚えになっている場合は、お断りを入れた上で、記しております)。他人に関してはご自身でご判断くださいねというところでしょうか。失礼ながら、『赤福』や『吉兆』は騒ぎすぎという気もしますが、こういうことを平然とやる方は、他にもやってるんじゃないのと根拠もなく、他の記事も見る気がせず、偏見の目で見てしまう心の狭い人間です(こういうときには、ブログのサブタイトルを思い出して平常に戻らなければならないほど心が狭いのです)。騒ぐほどのことでもないので、この件は以上です。

 つまらない話が長引いたので、ちょっとだけ別のことを書きましょうか。かんべえさんが「不規則発言」(2007年11月11日)で「コンプライアンス不況?」と嘆いています。「つくづく日本人は、ルールに慣れるのは得意だけど、ルールを作るのは下手」と書かれていて、なんとなくうなずきそうになりましたが、「日本人」だけがそうかといえば、案外、欧米も似たり寄ったりではないかと。無闇にルールをつくる弊害は、日本だけではなく、欧米でも分野によって濃淡の差がありますが、意外と起きている。ルールづくりの難しさは、規制してもしなくてもよいところまでルール化しようとすると、肝心のルールが守られなくなってしまうことにあると思います。清朝時代の中国も似たようなもので、文明の「進歩」とともに、「繁文縟礼」が生じるのは、まともな検証がなく感覚的な「寝言」にすぎませんが、古今東西で変わらないような気も致します。まあ、日本人が「ルールに慣れるのは得意」なら、出来の悪い(この評価自体は留保をつけますが)ルールにも適応してゆくのだろうと。ただ、世界的な信用収縮を見ていると、どのタイミングで収まるのかは皆目見当がつきませんが、落ち着いた頃にはさらに余計なルールが増えるんだろうなあと思ってしまいます。

 明治以降、日本は近代化のプロセスで、法律をはじめ諸制度を輸入しましたが、単純に「コピペ」したわけではなく、戦前は特に受容にあたって日本の従来の慣習や制度と整合させるのに苦労したように思います。戦後も同様の時期があったと思うのですが、自信をなくすと、「コピペ」に走るものなのでしょうか。企業の内部統制とは話がかけ離れるのですが、教育制度などは、戦後の「諸改革」でとうとう江戸時代以来の蓄積を吐き出しつつあるように見えます。1990年代前半ぐらいまで日本の教育の国際的な評価が高かったのにもかかわらず、わざわざ壊しているようにも映ります。ルールづくりにあたっては、最初から万全を期することはできず、失敗がつきものだと思います。問題は、ルールの不完全さが明らかになったときの対応で、日本人が下手だとするなら、事後的によいものを残すという作業ではないかと。悪しきことをを改める以上に、良きことを残すというのは難しいのかもしれません。どちらも容易ではないのですが、惰性ではなく、意識的にうまくいっていることを変えないというのは、悪しきことばかりに関する報道が氾濫している社会では難しいという感覚があります。

 大上段に構えすぎて気恥ずかしいのでわが身に戻りますと、悪しき習慣をやめることができないという悩みが凡人のレベルですな。ブログを深夜に更新するなんて止めたほうがよい習慣なのですが。


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posted by Hache at 03:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 不幸せな寝言