2007年11月13日

「ドル本位制」の「終焉」

 かんべえさんが「コンプライアンス不況?」を書いた。失礼ながら、泣き笑いの世界だなと。そう思っていたら、ぐっちーさんが「CDO惨禍・・本当の原因はバーゼルII?」を書いた。究極の「ネガティブ・インディケータ」(by匿名さん)が賞賛すると、碌でもないことが起きるので怖いが、知的刺激に富んでいて、楽しい。前半のCDOの分散に関する説明は、格付けという点からきれいだ。後半の「バーゼルII」の説明にいたっては、私が世間知らずで不勉強なだけかもしれないけれど、クリアカットだ。あまりにクリカットなので、疑ってしまうぐらい。ひねくれ者の私は、きれいすぎる説明を疑ってしまう。ただ、リスクウェートを「適正」にしようとするルールが、かえってリスクマネーの動きを制御不能にするというのは刺激的。世間は、株安円高で騒いでいるようだけれども、これは幸せな気分だ(もう一息で一枚追加したいのが手に入りそうだし、ドルは早々に一部放出済み)。さあ、寝よう。

 というわけで、「闇の組織」が蠢いているようですが、まじめな話は両巨頭(少なくとも、お一人は悪徳商人ですので用心する必要がありますが)にお任せするとして、「時の最果て」ではもっとどうでもいいことを考えましょう。「ドル本位制の崩壊」と書くと、おどろおどろしい感じがするかもしれませんが、 「と」の字が頭に浮かんだ方は、「寝言」に変換して下さい。案外、似たようなものかもしれませんが。というのも、経済学も経済書も無視して、私の「寝言」を書くだけですので。

 ブレトン・ウッズ体制の崩壊によって金ドル本位制と固定為替相場制の組み合わせは崩壊したものの、先進国の協調体制はまだ不備でアメリカのリーダーシップでドルを「基軸通貨」とすることで変動為替相場制への移行のショックを抑制してきたのが、1970年代から2000年代。

 結論を書いてしまうと、アメリカのリーダーシップが後景に退き、国際協調体制が代替するのが、「ドル本位制」の「終焉」です。あるいは、「通貨の通貨」としてのドルが"one of them"になる状態ともいえるでしょう。貨幣の機能である、(1)決済手段、(2)価値尺度、(3)価値の保存を国際的にドルが代表する時代の終わりです。「寝言」らしくちゃらんぽらんなことを書くと、今の混乱で「ドル本位制」が崩壊したわけではなく、アメリカのリーダーシップに国際協調体制が代替しうるのかも不透明です。ただ、私の浅い理解では、バーゼルIIに象徴される金融機関のリスク管理に関するルールづくりの分野では国際協調体制が主になっている印象があります。このことが「通貨としての通貨」というドルの地位を直接、崩すものではないのでしょうが、経済的相互依存の深化とともに、経済レベルでは国際協調体制が中心的役割を果たす可能性が高いと考えます。
 
 他方で、「ドル本位制の崩壊」あるいは似たような表現を用いる方は、ユーロや人民元がそれにとって代わるということを意味することが多いという印象があります。その裏側には、通貨をめぐる大国間のソフトパワーとハードパワーの変化を読む向きもあるようです。私は、もっと素朴に、ドルにとって代わる通貨がない状態でも国際的な資本市場が機能するのかという点に疑問をもっています。大胆なことを書いてしまうと、国際的な決済手段やアメリカ以外の国における外貨準備高に占めるドルの割合が現在よりも低下し、アメリカの通貨政策が国際資本市場に与える影響がはるかに弱まったときに、他の国や地域の通貨ではなく、国際協調体制が成立して、資本市場の不備を支えることができるのかという問題です。

 ブレトン・ウッズ体制もアメリカ主導とはいえ、戦前の金本位制の崩壊から生まれた国際協調体制です。教科書的には、金とドルの交換比率を固定し、各国の通貨当局にのみドルと金との交換を認めた上で、金に裏打ちされたドルと他の為替レートを固定することによって、国際通貨体制を安定させました。他方で、この体制の下では各国の通貨当局は固定レートを維持するために為替介入の義務がありました。このような安定化のためのしかけは、国際的な資本移動が増加するにつれ、投機筋による挑戦を受け、各国の中央銀行の「裏切り」もあって、最終的には崩壊してしまいます。極論すれば、ブレトンウッズ体制というのは、戦前の金本位制から今日の変動為替相場制への移行期であったと思います。

 他方で、ブレトンウッズ体制が崩壊しても、ドルはただちには「通貨の通貨」としての地位を失うことはありませんでした。同時に、1985年のプラザ合意のように、固定為替相場制では実現できなかった形で為替レートに関する国際協調体制が一時的とはいえ、機能しました。ただし、ブレトンウッズ体制に代わる恒常的な国際協調体制は、私が無知なだけかもしれませんが、まだ誕生していないと思います。

 グローバル化には多様な側面がありますが、「カネ」のグローバル化という点から見たときに、特定の国あるいは地域の通貨が資本市場のグローバル化を担保するということはないのかもしれません。「ドルの凋落」を考える際に、米欧中の角逐を議論する向きには「気の抜けたビール」のような話でしょうが、資本市場のグローバル化がありきで、それに各国の通貨当局が後追い的に協調したり、対立したりしながら、混乱が生じるのでしょう。また、「ドルの凋落」がただちに国際関係におけるアメリカの地位の低下を意味するのかは、カネという面からのみ説明するのはあまりに一面的だと思います。歯切れの悪い「寝言」ですが、資本市場のグローバル化とともに顕在化してきた市場の不完備性を特定の国や地域が是正することは難しい時代に入ったと思います。この変化は、少なくとも1970年代から始まっていたのかもしれません。