2007年11月21日

あるどうでもいい家族の肖像

 父上の誕生日に電話をするのを忘れていたので、時期外れもいいところながら、実家へ電話してみました。相変わらず、嫌な親でして、「ああ、そういえば、お前も、もうすぐ40に手が届くのお」とむかつく反応。ガチャ切りしそうになりましたが、まあ、70まで働くぞと意気軒昂でしたので、お疲れさんですねというところでしょうか。父上曰くは「三流会社」とのことで、まあ、あなたがお勤めする先だからという言ってはならない一言を飲み込むのが大変です。私が中学生の頃に現在の親会社のことを「中古(ちゅうぶる)電力」などと不謹慎なことをのたまわっていて、これにはいつもオヤジギャグで萎える一方の家族が、「バカバカしい」、「くっだらねえ」とか言いつつ、珍しく笑える一発ギャグでした(親会社で今ひとつな人が来てしまうというグループ会社の悲哀がこもってはいるのですが。)。それにしても、平均年収を見ると、信じられないぐらい低い。こんな安い月給で○千万も貯蓄できた母上はやはりすごいなと感心してしまいます。『らんま1/2』になぜはまったかといえば、父上と早乙女玄馬が重なって見えてしかたがなかったというのが正直なところです。パンダに変身するぐらいの芸があったら、一族の総意でサーカスにでも売り飛ばしているのかもしれませんが。

 それはさておき、愛知県の景気ですが、「地元民」からすると、こんなもんだろうと。新規採用も平成21年度4月採用予定がピークで全国的な傾向と変わらないようです。一時期、かんべえさんがしきりに愛知県の求人倍率が高いことをメディアで強調されていましたが、ネットで入手可能なデータを見る限り、1990年代後半から2000年代の初めを除くと、全国平均を常に上回っていて、慢性的に人手不足だったことがうかがえます。1967年8月から1968年の2月の期間と1968年10月から1971年4月の期間で全国平均も1倍を超える高い水準ですが、途切れることなく有効求人倍率が5倍を超えていて、1970年1月には7.05倍という記録的な水準になっていました。流動人口のデータなどを丁寧に見ないと、おっかないのですが、どうも構造的な問題と申しましょうか、高度成長の後半期には周辺の静岡県、岐阜県(この2県と比べて三重県の有効求人倍率が低いのが以外でした)も恒常的に全国平均を上回っている状態が続いていました。ざっくり表現してしまえば、かんべえさんが指摘しているように、他の都道府県から見ると、住む魅力が薄いということでしょうか(かんべえさんの表現を拝借しただけで私のオリジナルではありませんよ)。要するに、景気のよい変な「田舎」ということなのでしょう。

 母上には「懸念」があって、おそるおそる「熟年離婚」の可能性がないかを探ると、やはりこちらが想像したとおりで、現状では「青信号」でした。なにしろ、年金の「分割」が可能になって、父上と一緒に過ごしてきたストレスを一気に「プッツン」(by小沢一郎民主党党首)されると、おそろしい。なんと申しましょうか、父上は家では落ち着きがなくて、一緒にいると、疲れます。なんかやましいことがあるんじゃないのかというぐらい口が動いているか、手が動いているかで、仕事をしているみたい。「一家団欒」などという状態にほど遠く、まったりとしたところがまるでない。二人きりでいるところを想像すると、ゾッとすると言ったら、「なんだ私一人じゃないんだ。安心した」と言っておりました。不平不満を一通り聞いてリラックスしたところで、年金の分割の話をそれとなく持ち出して、別れても大したことがないよねと肝心のところを持ち出すと、「計算したんだけど、とてもじゃない、やってゆけない」とのことで、やはりちゃんと計算していたのだと感心するとともに、妥当な評価をしていたのでホッとしました。まあ、人間ですから100%はありえないのですが、私も年を食ってきて、両親が別れるだの面倒なことは勘弁してくれという気分もある一方で、生活重視で合理的な母上なら、感情的になっても、最後の一線まで来て、生活が成り立たないことを理解するだろうという安心感もあり、しかし、人間というのはやはり間違えることもあるという、どうでもよいところで深読みをする頭の悪い人の典型ですが、微妙な感覚は完全に払拭はできませんが、とりあえずは大丈夫だろうと。家族のことでひどいことばかり書いておりますが、父上・母上の教えざる「家庭教育」のおかげで、人間関係を子供の頃から感情と打算の二重構造で理解する癖が抜けません。こんなことを書いてしまうと、実際は打算ずくだろうといわれる方もいそうですが、打算抜きの関係など、お互いがよほど恵まれた境遇で、なおかつ価値観が完全ではなくても、概ね一致していないと難しいと思います。

 既に壊滅寸前のアクセス数をさらに減らすことを書いてしまうと、感情のない人間は信頼できないし、打算のない人間は信用できない。打算をオブラートに包む術を知らない人間は信頼できないし、感情を抑制する術を知らない人間は信用できない。雪斎先生のおかげで『朝日』の小沢代表インタビューを最後まで読みましたが(あまりにつまらないので途中で読むのをやめましたが)、「ブッシュ大統領なんて米国民に支持されていないんだから、何で気兼ねするんだ」というあたりで目が点に。無礼さではチャベスの方がぶっ飛んでいますが、ダメだこりゃとがっくり。周囲では、参院選で民主党に入れたという「団塊の世代」の方々が、「なんでもかんでも反対で、まるで昔の社会党みたいだ」とじわじわと民主党離れが生じている感覚がありますが、なんとなく終わっている感覚で、民主党の方にアドバイスするとしたら、次の代表をどうやって育てておくかということでしょうか。ひどいことを書いてしまうと、50代前半から40代なら、自民党も民主党もどんぐりの背比べであんまり変わらない印象もあって、この世代が中心になる10年後あたりが本格的な二大政党の時代ではと考えております。まあ、「寝言」なんでまじめな話じゃないんですが。

 家族の話に戻しましょう。年齢を考えると、なにか大病の一つをしても不思議はないのですが、幸い、両親とも大過なく健在なのはありがたいことだなあと。ただ、違和感があるのは、父上に給与所得があるおかげで、年金が「減額」されているようなのですが、これでは高齢者に働くディスインセンティブを与えているような気がします。税や年金のことはよくわからないのですが、学生時代に「応能主義」や「負担力主義」の説明を聞きながら、なんだかんだ理屈をこねているけれど、要はとりやすいところ(政府が「所得」や「支払意思額」を把握できる世帯・企業などの組織)から頂いて、とりにくいところ(怖いので書きません)からはとらないってことでしょと。いかれた「外道」の足りない頭では現行の税制や年金制度などというのはそんなもんだろうと。雪斎先生のこちらの記事に共感するのですが、あえて消費税率の引上げを弁護するなら、直間比率を見直して「応益主義」への転換を図るという消費税導入の際の基本に帰ることも方便の一つかなと。財政健全化の関する議論そのものはごもっともだと思いますが、このロジックで消費税率の引上げを行うと、内閣がいくつあっても足りない感じです。ただ、消費税率の引上げに関する母上の反応を見ていると、政治的な説得は至難の業だなあと思いました。
posted by Hache at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言