2007年11月30日

アナーキー

 最近、なぜ、こんなに疲れるのだろうと不思議でしたが、疑問がちょっとだけ解けました。電車やさまざまなお店で他人が勝手にぶつかってくる。「勝手に」というのは、例えば、コンビニのレジで並んでいるときに、後ろを通り過ぎるときに堂々と体をぶつけて通ってゆくというパターンです。最初は、柄の悪い人だろうと勝手に想像していましたが、びっくりすることに今日一日で7回ほどぶつかられましたが、なんと老若男女は関係がなく、私より若く、小奇麗にしている女性がぶつかってゆくのは唖然としました。最初は仕事が原因かと思っていましたが、職場にいるとストレスがほとんどなく、通勤にすべてが集中しているようです。それにしても、海外へ出てしまうと、帰りたくなくなって、理由は道で歩いていて唯一ぶつかってくるのが、(上等そうな)スーツを着た日本人サラリーマンだったりするので、帰りの飛行機は憂鬱です。まあ、まず無理でしょうが、こんな狭苦しい島国から脱出するのが、人生の「夢」でしょうか。理想は、アメリカではなく、ヨーロッパですが。もっとも、浜松あたりはこの種のストレスがまずなく安心できますが。

 このような「嫌日ムード」になっておりますので、判断力が曇っているかもしれませんが(「晴れていること」があるのかは黙秘いたします)、驚いた記事はこちら。善悪は抜きにして、所帯は小さいとはいえ、「ブレない」共産党までがブレるというのはちと、びっくり。守屋容疑者、額賀財務大臣の証人喚問自体はどうでもいいといっては失礼ですが、どうでもよく、与党が取り乱すのは当然として、野党までがややこしい。共産党といえば、1993年から1996年の連立政権時代にも野党の立場でしたが、良くも悪くも、「原理主義政党」という印象です。その政党が「賛成したのは間違いで棄権すべきだった」と無謬性を否定するような話がポロッと出てくるあたり、かなり混乱しているんだなあとあらためてびっくりしました。安倍前総理辞任以来、びっくりすることがあまりないのですが、この記事を読みながら、ようやく今の政治の一端がわかったような気分に。要するに、アナーキーですね。もちろん、文字通りの無政府状態ではないのですが、既に福田総理の存在感はとても薄くなっていて、地味なリーダーシップというより、指導力を感じない状態。途上国だったら、クーデターが起きてもおかしくないなという感じ。それでも、(少なくとも現時点では)日常に支障を感じさせないのは、実は散々バッシングの対象になっている官僚機構が機能している(一部省庁は大変なんでしょうけれど)からだというのが、今日の「寝言」です。

 こんな変なブログが始まったきっかけは、「民主主義政体は非民主主義的な要素がなくては成り立たない」という悪い冗談と申しますか、変な疑問があってあれこれ寄り道をしながら考えてみましょという軽い話でした。そんな先入観があるのであまり自信はないのですが、司馬遼太郎氏の表現を拝借すると、「太政官政府」がつくりあげた非民主主義的な統治機構は惨害をもたらした側面があったのかもしれませんが、民主主義が自壊して再生する間に統治が完全に麻痺するのはあまりにダメージが大きいでしょう。言ってみれば、「選挙」という手続きを経ずに選ばれる官僚機構が統治の継続性を担保している状態だともいえると思います。年金記録問題で厚生労働省が叩かれ、調達問題で防衛省が叩かれている状態では、「寝言」というより、狂人の「たわごと」なのでしょうが。

 これはこれまで書かずにおきましたが、官僚機構でさえ担保できない統治の正統性をこの国で究極的に支えているのが皇室であるというのが、仮説というより、「悪い冗談」あるいは「寝言」という感覚がどこかであります。戦後に限定すれば、この国の存続に致命的な要素は日米同盟でしょう。この3つの正統性がそうではないと認識されるようになると、この国の民主主義的な政体というより、この国の存続自体が危ういのではないかという感覚があります。すべて感覚であって、なんの実証もないので、あくまで「寝言」。現時点で自分の主張を正当化しようという気もありません。ただ、「ねじれ国会」というよりも、「アナーキー」の一種が続いていても、滅びることはないのでしょうが、先に挙げた、(1)皇室の存続、(2)日米同盟、(3)官僚機構のうち、(3)以外の要素まで動揺すると、本来の意味での政治的危機になるのかもしれません。そうでなければ、民主主義が自壊しながら復元するという民主主義的な政体自身が内包しているメカニズムが作用してゆくのでしょうと他人事のように見ております。だって、私が、こんな鄙びたところで騒いだところで、現実にはなんの影響もありませんから。

 年の瀬も近くなって、慌しいですね。喪中欠礼もポツポツ届いて、ああ、年賀状かという感じです。他方で、仕事が楽しくなってきて、年末年始の恒例行事も、「寝言」も手抜き状態になりそうです。2週間前ぐらいはできていたつもり、わかっていたつもりになっていたことがそうではないことがわかって、ちょっとした抑鬱状態でしたが、現金なものでして、やるべきことがはっきりして、楽しんでしまいます。「空気読めない(KY)」、「恥知らず」(いちいち「廉恥」とか言っていたら切腹もののことばかりやっておりますので、命がいくつあっても足りませぬ)、「無神経」(知らない人にぶつかられるのは本当に苦痛ですが。親しい人でも肌に触れられるのは苦痛なときがあります。ひどいときには二人きりのときにヤル気がないと、向こうがヤル気満々でも○。ラさえお断り)など重度の欠陥を抱えておりますので、当分、仕事を楽しんでしまいそうで、自分でもちょっとだけ後ろめたいのですが、日本社会にとってはどうでもよくないけれど私にはどうでもいい世の中のことは忘れてしまいましょという気分です。戦略的意思決定というのは実は主体間の相互依存関係であることはわかっていたつもりでしたが、実はわかっていなかったことに気がつきました。これを気が狂わずに描写するには形式に徹する他なく、役に立ちそうにないことほど萌えてしまう私に呆れつつ、でも楽しいからいいよねと厚顔無恥(無知?)で押し通そうというささやかな「悪」に没頭したいというところです。

(追記)あまりに不謹慎な誤記がありましたので、下線部を修正いたしました(2007年12月3日)。
posted by Hache at 01:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言