2008年01月08日

ヒラリーの涙

 ヒラリーが泣いた。『朝日』の記事を読みながら、いかにも日本のインテリらしい文章だなあ(見出しのセンスは最悪)と溜息がでました。こんなときに嘘泣きするバカがいるか。政治家がやってはならないことをやってしまった瞬間に「論理」で物事を考えるこの国のインテリとはまったく肌があわないことをしみじみ感じます。AFPの記事はまともでこのレベルの記者が揃っていれば、日本の新聞も金をだして購読するに値するのでしょう。新聞記者の問題だけでなく、いわゆるインテリ層にはなにも期待していないのですが、生きている者の「論理」で死者に鞭をふるい、死者の「論理」で生きている者を躓かせる。このような風潮はどうにもならないと感じます。右とか左とか関係なく、どうにもならないなあと。アメリカ大統領選挙という世界で最も過酷な「レース」を、この国の生半なインテリなどに論じることなど無理でしょう。

 この件でstolen carさんの記事を拝読して感服しました。いまさら、私が何を書くことが残っているのだろうと。結びがなんともいえない余韻があります。「『負け方』が問われるというの辛いものである」。オタク、ヲタクと連呼して誠に申し訳ありませんが、アメリカ・オタク魂の真髄を感じてしまう。余計なことを付け加える余地がないのですが、『朝日』の第一報で、素人目にはヒラリーが本当に苦しんだなあと感じました。そして、涙は挽回が難しいであろうことも。また、そんなことはヒラリー自身が理解しているであろうことも。余計な感想が浮かばないぐらい、ヒラリーの涙ぐんだようにも見える表情は雄弁でした。どんな悲喜劇でも表現ができない「劇」を見ている、そんな感覚です。そして、この涙も「オタク」の方々の間では語り継がれても、あっという間に「劇」は進行するのでしょう。

 あえて賢しらぶったことを書けば、かんべえさんの「(その辺の)予測不可能性が米大統領選挙の面白さなのです」(「不規則発言」2008年1月3日)という言葉をあらためて実感します。本当は、M.N.生様のコメントにリプライを書こうと思いましたが(言い訳ではなく、私が最も関心をもっている問題の核心部分です。ただ、頭が整理できていないのが悲しいのですが)、このような出来事があっという間に流れを加速する事態にただ絶句するしかないです。素人というのはこの程度です。あまりに意外なことが起きると、絶句するしかありません。元旦以来、疲れがとれない状態ですので(ここ数日、左足がむくんでいるのがちょっと怖いのですが)、今日はそろそろ寝ます。おやすみなさい。