2008年01月17日

形式の世界 現実の世界

 最近は、作業の生産性が極限まで低下する一方で、年賀状の「やり直し」までやらなければならず、なかなか厳しい状態が続いております。なにしろ、年賀状に「平成元年 元旦」と書いてしまうほど、ひどい状態でして、お詫びの寒中見舞いを準備している状況です。どうも、昨年の12月から今年にかけて見えない疲労がたまっていたのか、この時期のミスの後片付けに終われる日々が続いております。体調もすぐれないことが多く、連休以来、風邪気味でしたが、この数日で少しはマシになったようです。なんとなく、気象の変化が不規則で心身ともに疲れているのかなと思います。

 水曜日もパッとしない状態でしたが、記号の世界に浸っていたら、昨年、読んだときにはまるでチンプンカンプンだったところがなんなく読めてしまうので、少し驚きました。もっと驚いたのは、こんな簡単な話が昨年は理解できなかったのかということでしたが。普通の方なら落ち込むところですが、そんなことが日常茶飯事になっている私は、わかったからいいのかなとあくまですちゃらかな感覚でおります。

 形式の世界というのは役に立たないという批判が少なくありません。私みたいなのが熱中してしまうのだから、そういう批判も当たっているのかもしれないとも感じます。しかし、ごくまれに形式が本質を表すこともあって、不思議な感覚もあります。形式や記号の世界は、生身の現実とは無関係だと考える方が、形式の世界でも実務の世界でも少なくないという印象がありますが、私自身はもっと微妙な感覚を抱いております。これを表現するのは非常に難しいのですが、私も形式と内容を別物と考える思考に囚われている部分があります。形式と内容を区別して内容にふさわしい形式が必要であるとか、形式に内容が従うべきである、云々。このような物事への処し方が間違っているわけではないのでしょうが、違和感があります。他方で、一見、現実と切り離された形式の世界はありがたい面もあって、私のように頭の悪い人間でも、時間をかけて手順を踏めば、すべてではないにしても、ある程度までは理解ができます。逆に言えば、形式の世界は厳しい約束があるのでそれを無視すれば、まるで理解ができなくなる怖さもあります。

 しかし、形式の世界のよいところは、そのような厳しい約束があるからこそ自由なのであって、現実を無視しているからそうなのだという陰口も可能でしょうが、あえて現実には生じないであろう世界すら想定することによって「虚構」でしか描くことができない世界を示すこともあります。論理的な厳密さは自由と同義なのかもしれないとも。「世の中、理屈じゃない」という方の「理屈」はその程度とも言えるわけでして(もちろん、形式化することが難しい知恵を否定するものではありませんが)、形式の世界を発展させてきた西洋人には畏敬の念をもちます。彼らの貢献は、なにより荒涼とした形式の世界を手ぶらであるくフロンティア精神であり、同時に後から来る人に確実な道標を築いてきたことなのでしょう。新しい世界を切り拓くほどの野心はないのですが、老いてからも楽しめるという点では、そう悪くないのかしらんとも思ったりします。形式の世界は現実世界と異なるように思いがちですが、ある方のHPを読みながら、本人が楽しんでいるという点ではあまり大差がないのかもしれないなんて勝手に思ってしまいました。また、本当の意味で楽しめない人たちがつまらないことでくさしてくるという点では、あちらの方がやはり大物かもとも。幸か不幸か、私のような小物は唾をかける物好きな方もおりませんので。
posted by Hache at 07:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言