2008年04月06日

なんちゃって枯れてみました

 日記みたいで自分では嫌なのですが、まずは今週、感心した話です。「お前、明日死ぬのか、10年後死ぬのか、わかるか?わかんねえだろう。だったら、ややこしいことを考えずにうまい酒をのんで、おいしいものを食べて、楽しめる範囲で仕事をすればいい」。俗人こそ信頼に値しますね。私の価値観では。老いは誰にもやってくる。遅かれ早かれ。楽しむことこそ一番だなと感じます。

 映画『靖国』の話自体にはまったく興味がないのですが、官邸が力んでいるのを見ると萎えます。イデオロギーがらみの話では国民の大半は動かないことは前任者が示しているのに、まるで学習能力がない。いつの時代も生活に直結する問題で国民の側にあるよと演出して大なる問題を片付けるのが普通だと思うのですが、逆をゆく政権が2代も続くと、うんざりです。他方で、「対案」がないと感じている人も少なくないようで、この閉塞感は少なくとも数年は続きそうですね。

 買い物をしながら、身の回りの商品の値上がりを実感します。他方で、名目賃金はさほどには上昇しない。これでは、政策の舵取りが難しいでしょう。ただ、逆に考えると、こういう時期は余計なことをしない方が難しい。ただ、なにもしていないと思われることは、統治の無能そのものですから、避けていただきたいものです。これはないものねだりか。

 下の世代の人たちと話をしていて、珍しく仕事のことで違和感を覚えました。頭のよさや、テクニックでは向こうが上ではないかなと。ただ、どんな分析でも物事の一面を捉えるのがやっと。一側面でさえ、明らかにするのは難しい。忘れてはならないと私が思うのは、合理的ではないヒトの行動を合理的に解釈する際にも、そのような前提が一面的だということではなく、ヒトそのものを愛していないと、せっかく捉えた一面の意味がわからなくなってしまう。教養は、そのような感覚を啓発しますが、読書やその他の手段には限界がある。これは「教える−教えられる」関係ではえることのできない感覚なのでしょうが、他人を愛するということは自らを愛するということと切り離すことはできない。利己的個人とか利他主義(altruism)というのは現代人の洒落だけれども、真剣にやる洒落。ただ、その真剣さの根源にヒトに対する愛情がなくては続かない。

 若い人たちに失望したというわけではなく、そんな時期もあったなあと思います。今の20代の方が老けているのかもしれない。学生の頃なんて理性による無限の進歩を真剣に夢見ておりましたから。今の若い人たちには、理解しがたい挫折経験も。挫折があったほうがよいのか、自由にのびのびやってきたほうがよいのか。楽しみでもあり、彼らが成功するのなら、次の時代を彼らに任せようという気分になりました。いろいろ面倒な時期ですが、楽しみはつきないものです。
posted by Hache at 00:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言