2008年04月24日

「寝言」は「寝言」

 昨年、愛読していたブログが2箇所、停止になりました。このときはいろんな人が事情を含めて語っておりましたが、私は沈黙しておりました。自分でも、こういうときに気の利かないことを書いてしまうことがあるという自覚がありましたので。今回も同様です。

 ふと思うのは岡崎久彦さんが20年前後前の著作で日本人には情報にカネを払うという感覚が希薄だと嘆かれていたことです。20年たった今、情報は氾濫するぐらいありますが、志の高い方はいらっしゃるものの、ネットで「市場」が成立するには参加者の厚みが足りないような気がいたします。私は論外ですけれども。

 さて、なんでブログなるものを続けているのかと問われれば、とくに理由もなく、あることがらについて掘り下げて情報を発信しようとか、政治に限らず、なにか主張したいこともなく、どちらかといえば、私怨・私憤の類を本業で巻き散らかさないよう、私怨・私憤の類を「寝言」、あるいは悪い冗談としてネットで吐き出しているという感じでしょうか。失礼な話ですが、この方とちょっとだけ共通する部分があるのかもしれません(「きょうの人間力」の履歴を残していただけるとありがたいのですが。とくに、塩野七生さんの話しあたり)。まあ、20代にそれなりに辛酸をなめて30代になってちょっとは安定してきたかなという感じで、最近は堕落する一方です。

 というわけで、書き続ける理由はなく、明日、やめてもいいなと思っております。他方、やめるべき理由も見当たらず、なんか書きたいなと思ったら、適当に書き散らしている、そんな感じです。気がつくと、なんと7日間も連続で更新していますが、これも目標があってそうなったのではなくて、なんとなく書きたいからというのが正直なところ。次の週あたりに更新がなかったら、「寝言」が浮かばないか、単に体調が悪いか、普通の人からすれば簡単なことでしょうが私にとっては「激務」に追われているか、もっと簡単に面倒なだけでしょう。出発点がもともと低いと、そんなものだ。

 ただ、そんな私でも自分の「心が折れる瞬間」を想像することはできます。ブログのアクセス解析でPVが10,000万の大台を超えるとか、忍者ツールのアクセス解析で訪問者数が1,000の大台を超えるというのが目安です。たとえば、この「寝言」などは、読んだ途端に読者の方の心が折れてアクセス数が減るだろうという下心があったりします。遺憾ながらバカ丸出しの「寝言」を書いたら、こいつは次はどんなバカなことを書くんだろうという、心温かい読者の方が多数だという簡単なことを見落としておりましたが。

 finalventさんのところなどは私とは感性がまるで異なるがゆえに刺激がありますが、コメント欄を見ると、アクセス数が大きいところは大変だなと(後進組にははてなのシステム自体が「?」なのでよけいにわけがわからないのですが)。私だったら、コミュニケーションがとれない方のお相手をすること自体が苦痛になります。たぶん、そうなれば、ブログ自体面倒になるでしょう。先ほど、「感性がまるで異なるがゆえに刺激があります」などと偉そうなことを書きましたが、一回読んで、まるで受け付けないところの方が大多数ですね。基本的に私は心が狭く、意図していない形で引用されると(そうならないように本人は配慮していると思い込んでいるわけですが)、他者から見れば嫌になるぐらいしつこく「そんなことを書いた覚えはねえんだよ」ということを遠まわしに書いたりします。

 「寝言」は「寝言」。「時の最果て」は「時の最果て」。私は私。そんな地点からまるで進歩がない私というのは相変わらずだなあという「寝言」が浮かびました。


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posted by Hache at 01:33| Comment(0) | TrackBack(0) | ごあいさつ