2008年06月30日

国際政治の「分裂」 国際経済の「一体化」

 あれこれ書きたいことがあるのですが、「寝言」とはいえ、まとまりがあまりなく、なんとなく「倦怠期」というところでしょうか。私は食べ物では偏食がまるでないのですが、ネットで毎日読むところは「偏食」が激しい気もいたします。岡崎研究所(最近は『世界の論調批評』がメインですが)に『溜池通信』安達正興さん伊藤洋一さんあたりで、気がつくと、10年近く同じサイトを見ていることに気がつきます。一時期はブログを読む頻度が高かったのですが、コメント欄のない昔ながらのサイトの方が安定している印象があります。もっとも、伊藤洋一さん以外は岡崎研究所つながりということが大きいのかもしれませんが。

 イラク情勢を見ていて、イラク戦争とはなんだったんだろうとぼんやりと考えることがあります。もちろん、現代の戦争というのは単一の原因から説明できるほど単純ではありませんし、今日では戦争の違法化が極限まで進んでいます。イラク戦争が国際法上、どのような位置づけにあたるのかはわかりません。また、この数ヶ月の変化でさえ、リアルタイムで評価することは難しいものだと感じます。それにしても、しみじみ思うのは、中東という地域は本当に難しいというあまりに素朴な感想です。「イラク戦争の『本当の理由』」という「寝言」ではイラク戦争とその後の占領統治についてアメリカの「自衛」をメインにT. Friedmanのコラムを紹介しましたが、戦争のもつ多面的な性格やその後の影響などを考えるのはなかなか洞察力の要する作業だと実感します。露悪的に言えば、民主化など理想はおいてアメリカにとって有利な状況をつくりだすために軍事力を用いていればと思いますが、それがアメリカ外交の伝統にそぐわないことも感じます。

 『世界の論調批評』では「米国外交力の凋落」と題した記事が掲載されていますが、これを読んでから、頭から離れず、今でも整理しきれない状態です。意味もなくベトナム戦争後の状況と比較して考えたりしましたが、今日の状況はそれとは異なった困難があって、私の手には余ります。ない頭をひねりながら考えましたが、まず、中東における米軍のプレゼンスが存在するのにもかかわらず、中東におけるアメリカの外交的な影響力が低下しているという問題です。もちろん、占領統治、そしてイラクの国家再建が遅れているから当然だという見方が自然なのでしょうが1970年代と比較すると、やはり中東という地域はアメリカの影響力がそもそも非常に限定される、アメリカから見れば、「辺境」の地という印象をもちます。

 もちろん、占領統治やその後のイラク再建がスピーディであれば、このような事態を避けえたのかもしれませんが、アメリカの地理的な「帝国」としての影響力の限界はこの地域に象徴されているような印象をもちます。地理的といっても、単に距離の問題だけではなく、複雑な中東の歴史的背景を含む、アメリカの「普遍主義」が、他地域でもそのまま受容されることは珍しいですが、受容される余地がはるかに少なく、現実主義というよりも、より赤裸々に利害で動くプレイヤーが支配的であるという事情も大きいのでしょう。中東の問題を考えるには宗教的な背景が欠かせないのですが、私自身が疎いせいか、宗教的なバックグラウンドにもかからわらず、あるいはそうであるがゆえに、中東における国際関係は力の論理で動いているようにも見えます。アメリカが軍事的プレゼンスでこの地域に秩序をつくろうとするならば、イラクはもとより、イランを牽制し、同時にイスラエルをも牽制する力が不可欠で、これはアメリカの能力を超えた問題ではないのかと感じます。

 気になるのは、アメリカの外交的影響力の低下は中東の問題に限定されない傾向が生じつつあるということでしょうか。朝鮮半島では北朝鮮が米朝関係を重視しているがゆえに、アメリカの影響力が大きいと思いますが、過去の米朝交渉ではアメリカが北朝鮮に振り回されている印象があります。今回もそうならないという実感があまりなく、北朝鮮がアメリカに「恭順の意」を示した結果として事が進んでいるとは思えないです。話が飛躍しますが、EUは以上とは異なった事情からアメリカとの距離(ただし他地域とは比較にならない多面的な関係が存在しますが)が拡がっており、世界的規模でアメリカの「帝国」としての「重石」が利かなくなりつつあるようにも見えます。

 米ソ冷戦の終結から10年はアメリカ抜きの国際政治など考えることができない時期が続きました。あまりにも悲観的な見方かもしれませんが、今後10年はアメリカから見て海を隔てた東西でアメリカの影響力が低下する時期が続くのかもしれません。抽象的で曖昧な印象論に過ぎませんが、そのような傾向が一時的な現象なのか、不可逆的な現象なのかを見定めることは私にはできません。ただ、中東を見ても、イランとイスラエルの対立が深刻になることがアメリカ中心の秩序にとって代わるとは思えないというのが率直な実感です。アメリカという「重石」が軽くなったからといって各地域に新しい国際関係の秩序が生まれる必然性はないと思います。他方で、経済レベルでは、国際的な金融システム不安に続いて各国でインフレーションが、濃淡があるとはいえ、進んでいます。経済的相互依存はアメリカ中心でなくても自発的に進んでゆくのでしょう。経済のレベルではアメリカの意向にかかわらず世界全体の一体化が進む一方で、政治のレベルでは別の意味でアメリカの影響力の低下と一体化して「多極化」というよりも分裂が進んでゆく。あまりに大雑把なイメージですが、今後10年間はそんな世界になると覚悟しておいた方がよいと感じます。

2008年06月26日

悩ましい物価の動き

 うっかりパンを切らしてしまったので、珍しくモーニングなるものを喫茶店でとると、けっこう高いのでびっくりしました。もっとも、ふだん食べているパンも6枚切り(1斤)で330円ぐらいまで価格が上がっていたので、当然なのでしょう。話を聞いていると、前はもっと高級なパンをお出ししていたのだけれど、とてもではないですが、無理とのこと。2斤で980円となっていたので、さすがに元がとれそうにないなと。

 朝でバタバタしていたのであまり話しこめませんでしたが、ケーキは原材料価格の上昇が集中しているそうでなるほどです。小麦粉にバター、クリームなどこれは大変だなと。メタボとはいえ、年に数回程度しかケーキを食べないので、気がつかない話でした。カップめんの小売価格が一斉に上昇したときには話題になりましたが、じわじわと物価上昇の要因が増えていて、一番、影響が大きいのは原油価格でしょうが、事業所の利益率を削ってまで小売価格を据え置くのも限界があるでしょうから、そのうちじわじわと物価があがってくるのだろうなと。名目所得が増えたという実感がない下では、家計には厳しいだろうなと思いました。

 他方、こちらでベトナムの5月のインフレ率が25%という記事を拝読すると、しゃれにならないです。どなたかはジェファーソンやジャクソンの顔がわからないとお嘆きでしたが、今の若い人たちにインフレを説明することはできても、ピンとこない顔をしていることが多いです。子どもの頃に「百均」でたいていのものが揃っていた世代なわけですから(もっとも、私自身がインフレを実感したことはこの10年程度ないわけで、説明している本人も説得力がない。ただ、身近なところで物価上昇が確認できる製品はまだまだ限られているのが現実で、企業物価指数の動向(日銀HPより)と消費者物価指数の動向(総務省HPより)は乖離しています。ただし、消費者物価指数の最新データは4月分ですので、5月の数字では一致してくる可能性もありますが。

 「よい品物やサービスはそれなりの値段がする」というのは、経済に関する深遠な分析をまたずとも当然のことでしょうが、今朝、立ち寄った喫茶店ではやはり高いパンの売れ行きは芳しくないそうです。価格の上昇に需要が敏感に反応する財もあれば、鈍い財もあるわけで、しぱらくは物価上昇といっても、まだら模様が続くのかもしれません。

 また、耐久消費財の中でも、家電製品や情報通信機器などは技術進歩が続いており、消費者物価指数に占めるウェートは1%程度ですが、前月比でも前年同月比でも下落しています。物価指数と金融政策は密接な関係にあるのでしょうが、物価指数が個々の品目の平均であることを考えると、物価の安定に政策目的をしぼっても、金利の操作で物価水準に影響を与える能力にも限界があるのかもしれません。異なる財の市場における競争条件などによって今後も企業物価指数と消費者物価指数の動向がかならずしも一致せず、消費者物価指数を構成する品目間のバラツキが増大するのかもしれないという「寝言」が浮かびました。

2008年06月24日

迷惑電話の撃退法 沈黙編

 まあ、のおのおと「寝言」を書きなぐっているものだと自分でもあきれます。最近は過疎化も進んで、ちょうどよいお湯加減。冷静になると、イラク情勢好転なんて日本語では少ないだけの話を必死になって書く必要もなかったなあと。ただ、「誰かに伝えたい」とか「誰かに知ってもらいたい」とかそんな殊勝なことを考えているわけでもなく、「なまもの」の場合、おもしろいなあと感じている間に「寝言」にしておかないと、サボってしまいます。おかげで週明け早々、ミスを連発してど顰蹙を買って涙しております。

 気分転換に(?) 『世界の論調批評』のこちらの記事を拝読していて、さすがプロだなあと感心しながら、思わず噴いてしまいました。もちろん、真剣な話であって笑うところではないのはわかるのですが、私のいかれた頭では「そろそろお葬式のことも考えなくてはいけませんね」、「突然だと困りますもの」、「畳の上で平穏にお亡くなりになるのがベストなんですが」、「本当の身長がわからないですから、棺の準備も困りますわ」などという不謹慎な「寝言」に変換されてしまい、まじめな話であるにもかかわらず、ふまじめなことばかり考えてしまいました。ライス国務長官やヒル国務次官補の外交が変調気味だというのはわかるのですが、「成果」を追求しようとすると、「最後の手段」が事実上、封じられているだけに無様な外交になるのは必然かなと。「葬式」の話をするのは嫌がらせのようなものでしょうが、これというほど強い手段がないときにはありかもしれないなと思いました。別に、相手を殺すわけでもないですし。

 まったくどうでもいい話なのですが、最近、過疎化が「限界集落」に近い水準まできてはいるものの、なぜか検索エンジン、とりわけグーグルからのアクセスが多く、不思議な感じです。最近は、『らんま1/2』関係がやや減って、『大航海時代IV』がらみのアクセスが多くてへえという感じ。『三國志11』もそこそこあります。過疎地なりに「観光資源」が皆無ではないというところでしょうか。『らんま』関連ではエ○画像を期待されている方が、少数ですがいらっしゃるようです。そのうち、児ポ法が強化されて、『らんま1/2』もダメなんてなったら、麻生閣下にあれは適用除外だと宣言して頂きたいです。ちなみに『大航海時代IV』の改造コードは存じませんので、あしからず。

 『忍者アクセス解析』では「検索フレーズ」でどの検索エンジンからどの単語の組み合わせでアクセスがあったのかを知ることができます。個々のワードならさくらインターネットも解析しているのですが、語の組み合わせはわかりません。忍者ツールの宣伝ではありませんが、最大で4ヶ月間のアクセス動向がわかるので意外とおもしろいです。2008年3月1日から6月23日までの間で、過疎地にお越しいただいたトップがなんと……。

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2008年06月23日

イラクの「内戦」の終わり?(続き)

 土日はイラクも北朝鮮も邪険に払いのけて、ひたすら寝る、寝る、寝るという私の根源的な欲求を追求しました。この二日間で睡眠時間は20時間を越えているでしょう。要は、自堕落な生活をしていたわけで、「寝言」を書くよりも、睡眠をとって正真正銘の寝言を言っている方が楽しいのだと思います。

 そんな自堕落な生活をしているうちに、ニューヨークタイムズ紙にも"Big Gains for Iraq Security, but Questions Linger"という記事が2008年6月21日に掲載されました。日本の報道は絶望的ですが、アメリカの主要紙で濃淡はありますが、イラク情勢が好転しているという認識が共有されていると感じます。土日で眠りすぎたこともあるので、睡眠時間を削ってKagan and Kagan "How Prime Minister Maliki Pacified Iraq"に関する「寝言」を簡潔に書いておきます。なお、以下では、Kagan and Kaganの叙述にしたがって、(1)モスル(Mosul)、(2)バスラ(Basra)、(3)サドルシティ(Sadr City)に関する治安情勢を簡単にまとめておきます。

(1)モスル

 モスルは主としてアルカイダとバース党の反乱分子を抑えることが問題となっています。Kagan and Kaganは、これらの残党がイラク中央から追い出されて北部のモスルに拠点を見出したと指摘しています。モスルは、反乱分子を援助する金融ネットワークが存在するとともに、シリアから外国の戦士が浸透する中継点であると指摘されています。また、アルカイダが利用した民族分離の断層線が存在すると指摘しています。

 2008年のはじめ、イラク政府は、"Ninewah Operations Command"を作成して、モスル周辺に軍を集中し、主要な掃討作戦を準備しました。2月にはアルカイダの安全な「避難所」であったパレスチナとシュメール(Sumer)近郊を掃討しました。アメリカ軍はテロリストのネットワークを攻撃しました。5月10日にはイラク治安部隊(Iraq Security Force: ISF)は"Lion's Roar"作戦に着手し、14日のマリキ首相がモスル訪問後、"Mother of Two Springs"作戦を始めました。その結果、モスルにおいて5月の最初の週には一日あたり平均で40件程度だった攻撃が2週間で4件から6件までに減少しました。

 モスルに関する描写で興味深いのは、マリキ首相が1億ドルの再興資金を提供したということ以上に、脱バース党政策の改正の一環として旧イラク軍の兵士の登録によって安全の確保の前進が可能になったという指摘です。イラクの「民主化」とバース党の解体が同義であると捉える傾向がイラク占領を困難にした要因の一つだったと考えております。フセインによるバース党独裁は善悪をおいてみれば、イラクの「近代化」の過程を担ったという指摘もあります。あまりに遅かったとはいえ、イラクの旧体制を新体制に取り込むようになったこと自体、治安情勢以上の進歩だと感じます。

(2)バスラ

 バスラの戦いについては「イラクの新たな『内戦』」という「寝言」で触れましたので、重複する部分については割愛いたします。3月末時点での成果のみを確認すると、"Knight's Charge"作戦の結果、イラク軍は港を制圧し、AL Qudsとの交渉によって30日に休戦が成立しました。なお、この作戦では1000人のISFの兵士が任務放棄や戦闘を拒否するなど困難を極めました。このこともあって、バスラの戦いについては悲観的な見方が3月時点では強かったのでしょう。

 Kagan and Kaganによると、作戦はこの後も続行され、この約2週間後の4月12日には米軍の助言と航空支援はあったものの、米軍の(陸上)戦闘部隊の助けを借りることなく、ISFはバスラ近郊における掃討作戦を遂行しました。5月中旬にはISFがバスラ近郊を制圧し、マフディ軍や特殊戦闘集団はバスラの南北に逃れたため、追撃しているとのことです。

 Kagan and Kaganは2500人の当地の志願兵募集を認め、部族のリーダーとの交渉を始めたと指摘しています。著者がイラク政府のバスラ制圧の象徴として挙げている成果よりも、英軍の撤退により情勢が複雑化したイラク南部でイラク政府による治安の組織が始まっていることが注目に値するでしょう。以前の「寝言」では民生の安定を治安の確保と切り離してしまうように読めることを書いておりましたが、イラク南部でISFに現地の志願兵を吸収できれば、イラクが国家としての統一性を高めることになるでしょう。この動きは注目に値すると思います。

(3)サドルシティ

 2008年1月に特殊戦闘部隊は武器の備蓄や兵力をたくわえて攻勢に出ようとしていました。マリキ首相がバスラに移動したために、彼らは時期尚早の攻勢に出ました。特殊戦闘部隊は、重火器や迫撃砲などによって"Green Zone"を攻撃しました。バスラに兵力が集中している間に攻撃を行ったわけですが、米軍とイラク軍の首脳部にサドルシティを掃討する必要をあらためて痛感させる結果になりました。5月20日には、ISFは、米軍の航空戦力と助言者の協力をえながら、攻撃を行いました。5月の終わりには、ISFは敵の「司令部」を破壊し、サドル派の強硬な兵士を殺し、また捕虜としたり、追い払いました。

 Kagan and Kaganは以上の3方面の分析から、現時点で、次の指摘を行っています(1)アルカイダはニナワ県やスンニ派の反乱分子の残党が残っている地域にわずかに残っている。(2)イランの支援を受けた特殊武装集団はイランに逃走した。(3)筋金入りのサドル派の残党はマイサーン県(県都アマーラ)に逃げ落ちた。Kagan and Kaganは、"All of Iraq's other major population centers are controlled by the ISF, which can now move freely throughout the country as never before."と宣言しています。

 ただし、このパラグラフに続けて、はっきりと"The War is not ended."と述べています。現状ではISFが独り立ちできない現実を指摘しています。「連合軍」が今後も決定的な役割を担うと断定しています。それは掃討された地域の安定と安全を維持する役割であるとともに、イラクの諸集団が和解に向けって取り組む際の誠実なブローカーとしての役割です。アメリカにとってあまりに重い負担でしたが、このプロセスでイラクが中東におけるアメリカの新しい同盟国として再建される可能性もあるのでしょう。結論では、"But success is in sight."と述べていますが、成果を成果として認めつつ、イラクが新しい国家として力をもつための道のりは長く、現時点での状況を将来への楽観を込めつつも、冷静に叙述した記事だと感じました。


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2008年06月19日

イラクの「内戦」の終わり?

 6月に入ってから、『世界の論調批評』では「イラク情勢好転」と題した論説の紹介が2件ほどあります。2008年6月1日づけの記事と6月6日付けの記事です。6月6日付けの記事では、「too good to be trueという気もしますが」という留保があり、思わず頷いてしまいます。4月には『世界の論調批評』で紹介されていた記事を参考にしながら、「イラクの新たな『内戦』」という「寝言」を書きましたが、当時は他の記事も読んで続きを書こうとしましたが、あまりに気が重く断念しました。K. Kagan and F. W. Kagan "How Prime Minister Maliki Pacified Iraq"(Wall Street Journal, June 10)という記事を読むと、冒頭から"America is very close to succeeding in Iraq."とあり、あまりにも楽観的な印象がしてしまうのですが、少なくとも3月末のイラクにおける戦闘から前進があったのかもしれません。

 ちなみに、Frederick W. Kaganは、Robert Kaganの弟で日本ではいわゆる「ネオコン」の「総本山」とされているPNAC(Project for the New American Century)にも共同の文書を寄せています。意味もなく慎重になっているのは、ひょっとしたら楽観的に事態を見ているバイアスがかかるかもしれないという懸念を感じるからですが。しかし、全文を読んでみると、4月の時点での観察にはない進展が含まれており、事態を三つの方面、(1)モスル、(2)バスラ、(3)サドル・シティから捉えており、レトリックを取り除くと、イラクが安定化に向かって進展しているのかもしれないという希望を感じます。

 Kagan and kaganによると、5月にワシントン・ポスト紙がマイケル・ヘイデンCIA長官がイラクにおける「アルカイダ」が戦略的に敗れつつあると述べたのに続き、イラクの治安部隊が非合法のシーア武装勢力に勝利したとあります。このシーア派武装勢力にはイランの支援を受けた特殊部隊を含むとあります。これは私の想像にすぎませんが、"Iranian-backed Special Groups"は、こちらで書いた"Al Quads"そのもの、あるいは、それに類似する組織なのでしょう。Kagan and Kaganは"The enemies of Iraq and America now cling desperately to their last bastions, while the political process builds momentum."と描写しています。

 Kagan and kaganは、今年の2月までにそれまで不可能だと考えられてきたことを成し遂げたと指摘して、アンバール県やディヤーラ県、バグダッド県においてスンニー派武装勢力と「アルカイダ」が敗れたと述べています。外務省の海外安全HPのイラク情勢に関する記載によると、アンバール県やディヤーラ県、バグダッド近郊ではいまだにテロが続いているようですが、この記事は治安権限がイラクにおける多国籍軍からイラク政府に委譲されていない県においてスンニー派武装勢力などが敗れたことを重視しているようです。その後、残存したスンニー派武装勢力やイラクにおける「アルカイダ」は最後の都市部における「前哨地」であるモスルにしがみついたと述べています。英語版のWikipedeiaの記述によると、モスルはイラクの北部ニナワ県の県都です。ちなみに、モスルは古代アッシリアのニネヴェの遺跡とチグリス川をはさむ位置関係にあります。また、ニナワ県はシリアと国境を接する位置にあります。

 大雑把ですが、今年の3月以前のモスルにおける情勢は、シーア派内部の「内戦」ではなく、スンニー派武装勢力との関係で抑えておくのがよいのでしょう。他方で、イラク政府は唯一の例外はあるが法を成立させ、草の根の政治統合を図ってきたと指摘しています。以上の情勢認識を踏まえて、Kagan and Kaganは、"The sectarian civil war had ended."と高らかに宣言しています。

 「イラクの新たな『内戦』」においてはシーア派内部の抗争について述べましたが、その背景にはシーア派優位の状況が確立していることが前提ですが、あらためてKagan and Kaganでその前提を確認することができました。散発的にテロや軽度の攻撃があるとはいえ、イラク政府に統治権限が委譲されていない地域でも、宗派間の対立は2007年に大幅に増強されたイラクの治安部隊によって抑制されていると考えます。

 Kagan and Kaganでは、この後、最初でとりあげたモスル、バスラ、サドルシティにおける軍事行動について外観を示しています。少し疲れましたので、また時間があるときに「寝言」を書く予定でおります。


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2008年06月18日

「老い」と集中力

 松尾文夫さんのHPには最新のシーガル氏へのインタビューである『米朝和解 もはや北と交渉するしか日本の道はない』(『中央公論』2008年6月号)の記事が掲載されています。当初は直接リンクを示してもよいのだろうかと思いましたが、「図書館」のコーナーの紹介で直接リンクできるようにと記されておりましたので、勝手ながら、直接リンクを示すことにいたします。日曜日の「寝言」は実は土曜日から書き始めてできるだけこのインタビューを忘れて「力学」の立場から日米、日朝、米朝、米中の関係を見ようと努めましたが、肝心の拉致問題にいたるまでに疲れてしまって日曜日にのばしました。対北朝鮮政策に関して歯切れが悪いのは、私自身が「力学」に徹して物事を見るには力量が不足しているからです。それ以上でも、それ以下でもありません。もちろん、このような見方は物事の一面しか捉えていないことを忘れてはならないとは思いますが。

 そんなこともあって書き終えたら現実の問題には興味がなくなって、仕事が終わってから将棋の名人戦を見ておりました。実況中継がないので、「名人戦棋譜速報」で見ている程度ですが。なにぶん素人なので相振飛車などはわざわざお互いに飛車の位置を変えて居飛車のように指すというのはわかりにくく、相掛かりという子どものときに何度も指した形ですと、こんな素朴な戦型でもいろんな可能性があるのだとびっくりさせられます。41手目の6七角などは素人が指したら、悪い手になりそうですが、2三の地点をよく睨んでいて、その後の指し回ししだいの部分が大きいのでしょうが、57手目の4七銀で主戦場に玉をひきつける形になっていて、主導権を握っているのが大きいなあと思いました。それにしても右銀が出たり引っ込んだりと忙しい感じでしたが、気がついたら先手玉が固くなって攻めの形が自然にできているのが不思議な感じでした。

 第5局は森内名人が終始、主導権を握り、第6局は羽生二冠が主導権を握るという素人にも大雑把には流れがわかりやすい将棋でした。森内名人は若干、地味な印象があって、終局直後も落ち着いた雰囲気で、羽生二冠が勝ってもまるで負けたかのようになにかから解放されたかのような雰囲気がないのが不思議な感じです。それにしても、毎度のこととはいえ、ほぼ勝ちが決まった局面になると羽生二冠の手が震えるのは相手をする側からすると、怖いだろうなあと。動画配信やNHKで見ることができるのは終局直前と直後ぐらいですが、羽生さんの集中力は素人にもおそろしいものがあって、森内名人が表情や挙措に出ないタイプだけに、素人目にはわかりやすいです。第6戦後の記者会見では冒頭で十九世名人になっていかがですかという趣旨の質問ばかりが出て途中で心が折れたので、暇なときに気が向いたら見ようかなと。失礼かもしれませんが、スポーツに限らず、囲碁・将棋でもジャーナリズムのレベルが低いのではないかと感じました。

 それにしても、一つだけ年下だというのにこの集中力の差はなんだろうと思いました。年を重ねるたびに、集中力が落ちていることを実感します。プロである以上、タイトルという重みも大事なのでしょうが、結局のところ、集中力というのは仕事への情熱を維持する日々の積み重ねなのだろうかという平凡な「寝言」が浮かびます。将棋そのものはまるでわかりませんが、私ももう一度、なにかに集中するにはやはり長い旅をするための日々のしかけが必要なのだと痛感いたしました。自堕落な日々を振り返ると、「寝言」そのもの、あるいは世迷言のような気もいたしますが。
posted by Hache at 02:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言

2008年06月15日

「拉致敗戦」と現在

 ありきたりな話になりますが、こうもいっぺんにいろいろことが起きると頭が混乱しそうです。地震が来るかもとは感じておりましたが、岩手・宮城内陸地震とは……。この国にいる限り地震から逃れるのは非常に難しいことをあらためて感じます。既にお亡くなりになられた方にお悔やみ申し上げます。

 よど号犯人の引渡しが報じられて、対北朝鮮関係が最も厳しい局面に入ってしまいました。もちろん、そう感じるのは私ですが。この問題に関する報道に接して真っ先に読み返したのが、レオン・V・シーガル氏への松尾文夫さんのインタビューである「拉致敗戦――日本は北朝鮮で致命的な孤立に追い込まれる」(『中央公論』2007年8月号 こちらから読めます)でした。雪斎先生が既に2007年7月9日の記事で詳しく分析されていますが、あらためて2000年の"Patterns of Global Terrorism"を読めば、よど号ハイジャック事件を起こした連合赤軍メンバーをかくまっていることやテロリスト集団に武器を売却している疑惑などが北朝鮮がテロ支援国に指定されている理由であることが明白です。2004年のアーミテイジの発言が気になりますが、確認できる範囲では2000年の報告だけであって、この記述が変わっていなければ、よど号犯の引渡しが行われれば、アメリカが北朝鮮をテロ支援国として指定する理由は薄弱になるでしょう。

 顰蹙を買いそうな表現をすれば、北朝鮮の行動は「合理的」だというのが率直な実感です。私自身が性格的に猜疑心が強いからなのでしょうが、2002年の小泉訪朝に北朝鮮が応じたのは日本との交渉そのもの以上にアメリカとの接点を欲していたのではないかと疑いの目で見ておりました。この場で安倍前総理(当時官房副長官)が驚くほど毅然とした態度をとったために拉致問題で北朝鮮ははじめて譲歩した。このこと自体は今でも評価すべきことだと考えております。一時期は食糧支援を行えば拉致被害者の方々が帰ってくるという楽観的な見通しができるほど、日本側の立場は強かったと思います。ただし、北朝鮮側からすれば、おそらくは米朝の直接の接触という目的を果たそうとしたところで、思わぬ障害ができてしまって、必死に日本を経由せずにアメリカとの接触を図ろうとしていたのでしょう。

 2006年7月ミサイル実験のときにこんな「寝言」を書きましたが、ひねりのない替え歌でしか表現できない部分がありました。10月の核実験のときにも同じことを書いておりますが、どうも楽観的すぎたような。核実験でレジームチェンジを期待していたわけではなく、徹底的に北朝鮮の核の無力化に向けて合意ができるだろうという期待がありました。私は全般的に北朝鮮の驚くべき「合理性」を軽視していたのでしょう。正直なところ、38度線で米軍を抑止する能力をもっている北朝鮮が核開発までするのは彼らのどのような利害計算にもとづいているのかがわからなかったということです。乱暴に結果からすれば、厳しい制裁が実施されたものの、北朝鮮の核開発を断念させるのには軍事的な手段がなく(核がなくても通常戦力で北朝鮮は米軍の軍事行動を抑止できますから)、北朝鮮の核の無力化をめぐって各国と接触する機会を北朝鮮がえたということになるのでしょう。軍事的手段がなければ交渉しかないわけで、アメリカが北朝鮮との交渉に応じたのはほぼ必然だといってよいのでしょう。

 対北朝鮮政策に限定すれば、アメリカ側からみれば北朝鮮が核開発を断念させることが主であって、拉致問題の解決は従たる問題という位置づけだというのは、日本への「背信行為」でもなんでもなく当然のことだと思います。シーガル氏の2007年と2008年の発言を読めば、冷徹なようにも響きますが、拉致問題にまったく無配慮な状態で米朝間の協議を推し進めたというわけではないことは自明だと思います。日本政府へのシグナルは安倍総理をはじめ送られていたわけですから。また、拉致問題が多国間協議で主たる議題となるのも、それが日本にとって好ましいとはいえ、露骨に利害関係からいえば、ほとんど現実味のある話とは思えません。拉致問題は基本的に日朝間の問題だと考えるのが当然だと思います。

 ただし、アメリカが北東アジアにおけるパートナーとして最も頼れるパートナーが日本ではなく中国とみなす傾向があるとすれば危険でしょう。アメリカは日本と韓国と同盟を結んでいる以上、両者との関係が対北東アジア政策の根幹であるのが基本だと思いますが、日韓よりも中国の影響力を頼りにする方が地域の安定につながるという情勢判断が基礎にあるとするならば、同盟関係により上位に位置するものとしていわゆる「六カ国協議」に代表される多国間協議に徐々に重点を移してゆくかもしれません。その可能性自体は私自身は低いと思いますが、米中関係が日米関係に優越するという政策が定着してくれば、事実上、同じ効果をもつ可能性があると思います。完全に本題からそれますが、中台関係で中国が穏健な態度をとっていること自体は現時点では好ましいことなのでしょうが、より長期的な視野からすれば、現時点で中国側にアメリカを刺激するような行動をとるインセンティブはなく、さらにいえば、米中関係がアメリカの対北東アジア外交での幹であることが定着すれば、台湾を併合するという極端な行動をとることなく、北東アジアにおける秩序は米中共同という形式であっても、事実上、中国中心の秩序へと徐々に変化してゆく可能性は無視できないでしょう。もちろん、これはアメリカの「気分しだい」ではありますが。その意味でも、米朝関係を重視する北朝鮮は中国に対してある程度の独立性を保つための保険という点でそれなりの合理性をみいだすこともできるかもしれません。

 露骨に言えば、アメリカと北朝鮮は利害を完全に共有していないとはいえ、アメリカの対北朝鮮外交における主たる目的は核の無能力化にあり、北朝鮮の対米外交の主たる目的はアメリカの「敵視政策」を180度転換させて自国の体制を保持することにあるのでしょう。くどいですが、両者の利害が一致しているのかは微妙な部分がありますが、拉致問題は二義的な問題であることは利害の面から見れば自明でしょう。もちろん、アメリカは同盟国である日本への配慮がまったくないわけではないですが、それはあくまで配慮であって、彼らの交渉にとって有利な材料となるかどうかという点から見たほうが間違えないと思います。私自身は、この間のアメリカの対北朝鮮外交は変調気味だと見ておりますが、それは拉致問題という点からではなく、核の無能力化という点で徹底したものになるのだろうかという漠然とした疑念です。アメリカの能力を疑っているというよりも、北朝鮮は以前の核開発疑惑でもほとんど一方的といってよいほど利得を稼ぎました。小国といえども、超大国の軍事行動を抑止できる場合、外交上、意外と有利な立場になれることは珍しくないからでしょう。「寝言」らしくとりとめがありませんが、サダムは自国の能力では米軍の行動を抑止できないことを忘れてしまったのでしょう。この点から見れば、北朝鮮の核開発はアメリカを外交交渉の場に引き出すための手段だと見るのが自然なのでしょう。

 拉致問題そのものというより、外交上の位置づけを確認するために、頭が悪いおかげで寄り道だらけになりました。簡潔にいえば、拉致問題というのは日本外交におけるプライオリティが高いというだけで、「六カ国協議」の他のプレイヤーにとってはそうではないということです。拉致問題を根本的に解決するということは、北朝鮮を国家たらしめている治安機関と金正日総書記という国家元首の正統性にかかわる問題でしょう。「根本的な解決」を求めてゆけば、北朝鮮を解体することと同義になりかねない問題になります。自白剤を飲まされなくても、感情レベルではあんな国など地上から消えてしまえばよいのにと思っているのが率直なところですが。しかし、それでは「部分的な解決」すら難しいでしょう。現に北朝鮮は「合理的」に拉致問題が大事にならないように、用心深く米朝のパイプを太くしてきました。金正日総書記の外交はたぶんに素人的で気分しだいの部分も無きにしも非ずと思いますが、現状からすれば、自国の生存をかけて米朝関係が主で日朝関係は従という一貫した戦略にもとづいて手を打ってきたように見えます。不幸にも、日本側にはそのような一貫した戦略が欠如していたと思わざるをえません。

 今回の経済制裁の「一部解除」には批判がつきまとうのでしょう。他方で、素人目には心理を無視した粗い力学から見れば、北朝鮮に日本が致される状態を改善しようとしなかった不作為の積み重ねの結果のように映ります。小泉政権は、拉致問題を初めて外交上の問題としたという点で大きな貢献を残しました。安倍政権は小泉政権の悩ましい問題であった歴史認識問題を事実上、過去の問題にするという成果を残しました。福田政権は日中共同宣言でこの状態をほぼ確定したといってよいでしょう。他方で、小泉政権時代の日米関係は、すべてではないでしょうが、あまりに首脳間の信頼関係に依存しましたし、日米で戦略を共有するメカニズムをつくったものの、政権の終わり頃には、アメリカ側の対応にも問題があると思いますが、機能しない状態になっていました。安倍政権ははっきりと日米の首脳間の信頼関係というものは一代限りであることを示してしまいました。福田政権では日米関係が同盟というより日米安保の枠まで後退しつつあるように感じます。よけいなお世話でしょうが「補給活動支援特別措置法」の期限が切れるときには大変だなあと思います。日米関係が弱くなれば、日本外交の影響力も極東に限定しても非常に弱くなるのは自明でしょう。「寝言」というより愚痴になりますが、拉致問題に関して最も国民に対して説得力をもっているとみなせる安倍政権のときに、六カ国協議は北朝鮮の核の無能力化を図る場として位置づけた上で、日朝において拉致問題に関する主導権を握る機会を逸したことは悔やまれます。

 拉致問題に関しては、もはや一方的に譲歩することを防ぐのが精一杯というのが現状なのではないかと悲観的に見ております。私は素人ですので外交交渉での損得というのは評価しかねますが、対北朝鮮外交の政策のレベルで核開発の問題よりも拉致問題に高いプライオリティを置いたままであればどうなるかというのは「拉致敗戦」がよく示していると思います。あるいは核開発の問題と拉致問題をリンケージさせるのが得策なのかどうか。事実上、両者を切り離す方向で米朝が動き出せば、日本が動かせる変数はほとんどないでしょう。ここまで来てしまうと、北朝鮮に致された形になりますが、対北朝鮮政策におけるプライオリティを明確にする必要があるでしょう。それは拉致問題を引っ込めるということではなく、拉致問題は日朝間で解決する問題だという現実にもとづくものにならざるをえないと思います。そのような政策は目に見える成果が短期間でえられる見通しがないがゆえに、幅広い支持をえることは難しいのでしょうが。


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2008年06月13日

小泉改革はお好き?

 深い意味はないのですが、木曜日にふと『毎日』を開いて、いつもは読まないようにしている政治面をうっかり開いてしまいました。「犠牲者は私ですよ」という発言を読んで心が折れそうになりました。辞職せよとか無粋なことは申しませんので、せめて口を開かないようにしていただきたいものだと思いました。もう投げようかなと思ったら、こんな記事があって、ちょっとびっくりしました。携帯電話で接続できる掲示板というのに縁がないせいかもしれませんが、犯行予告を読んでちゃんと運営会社に連絡した人が数十人というのはかなり多い印象をもちました。私がおかしいかもしれませんが、読んだとしても、「ネタ」として無視していただろうと思うだけに、携帯でネットを見ている人たちにはまじめな方が多いのだなあとびっくり。不幸にも、土日だったために運営会社がしかるべき対応をとらずに惨劇を防止するには至らなかったことが本当に惜しまれます。

 アクセス数が多いサイトを拝見していると、日本人は「民度」が低いそうですが、たぶん、見ている世界が私とは違うのだろうと。今回の事件がなかったら、いわゆる「事なかれ主義」でもなく、私自身の怠惰さを擁護するなら、「時の最果て」に犯行予告を書き込む人がでたら、なにごともなかったように削除して無視するだけしょう。この記事を読んで、自分の無神経さに恥じ入りました。私のようなものを指して「民度」が低いといわれれば納得しますが、どうも世間は違うのではと思ったりします。

 水曜日は公式の会合の後、与太話に。「悪しきことは小泉改革に始まる」という主張が多いので、びっくりしました。経済畑にいるとあまり聞こえてこない話で、私とは感覚が異なりましたし、共感できない部分も少なくないのですが、興味深く反論せずに聞いていました。具体的にやり玉にあがったのは司法制度改革ですが、違和感はあります。法科大学院(うっかりすると放火大学院と変換してしまうのが不吉ではありますが)や裁判員制度の導入などは、実現したのは小泉政権ですが、ざっとした流れでゆけば、1997年9月に自民党政務調査会司法制度特別調査会が発足しているわけでして、単純に小泉改革の結果とはいえないのではないかと思います。首相官邸HPをざっと見たぐらいで、ちゃんと調べたわけではないのですが、司法制度改革に至る流れを年表風に並べると、こんな感じではと。

1997年 9月 自民党政務調査会司法制度特別調査会発足
1998年 6月 司法制度特別調査会報告「21世紀の司法の確かな指針」提出
1999年 6月 司法制度改革審議会設置法成立(同年7月施行 2年間の時限立法)
1999年 7月 司法制度改革審議会発足
2001年 6月 司法制度審議会最終意見提出
2001年11月 司法制度改革推進法成立(同年12月施行)
2001年12月 司法制度改革推進本部設置

 1997年発足の司法制度特別調査会と司法制度審議会で佐藤幸治先生が共通していることに注意がゆきます。一連の司法制度改革の「成果」に関する評価は私の手に余りますが、小泉改革の源流の少なくない部分は橋本行革に由来することは様々なところで指摘されています。もっといえば、小泉政権が自民党内の基盤が弱かったのにもかかわらず、強いリーダーシップが発揮できた要因の一つとして橋本行革による内閣官房の強化が挙げられています。小泉政権に対して相対的に肯定的な立場からは信田智人『官邸外交』(朝日新聞社 2004年)が、相対的に否定的な立場からは御厨貴『ニヒリズムの宰相 小泉純一郎論』(PHP研究所 2006年)が、後者は指摘に留まっていますが、叙述しています。お約束どおり、話にとりとめがなくなりますが、「福島瑞穂さんのように同じレベルで勝負しようとワアワアいう人が出れば、議論はミクロにはならずに終わりになってしまいます」(御厨[2006]、92頁)のあたりを読んだときに御厨先生は本当に小泉さんが本当に嫌いなんだなあと変なところで感心したことを思い出します。何気にひどいことを書いておりますが、某旧社会党の末裔の支持者の方におかれましてはスルーしていただくことを願います。

 与太話ででた話題は、小泉内閣という国民的人気の高い政権の下で役人が「改革」の名で「悪しきこと」をいろいろと仕込んだのではという程度の話でした。これは具体的に検証しないとなんともいえないなあと。ちょっと意外だったのは、左右に分類するのが難しい小泉政権に批判的なスタンスをとっている方が多いのに、御厨先生の小泉純一郎論を読まれていない方ばかりで、専門家というのは新書を軽視するのだろうかと考え込んでしまいました。また、「構造改革」が小泉政権になって突如として出現したのではないということは、『溜池通信』113号(2001年6月20日)で粗いながらもまとまっていて、このあたりの分析もされていないようです。

 小泉改革の点検を行うのに適切な時期にきているのかは私の理解を超えますが、小泉改革への建設的な批判を聞きたいという気分はあります。現在の政治状況が「ニヒリズムの宰相」の所産かなどという関心よりも、小泉政権の5年間は、諸外国と比較してはるかに短い期間でありながら、郵政民営化だけではなく、いわゆる「三位一体改革」や司法制度改革、個人的には遅すぎた感がありますが、不良債権処理など多方面にわたって改革が行われた時期でした。日本人の「民度」が低いという意見にはまったく共感がありませんが、強いて英米と比較して弱点があるとすれば、それは改革のスピード以上になされたことへの執拗なまでの評価ではないかと感じたりします。


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2008年06月12日

人間は性悪か?

 先週、聞いた話なのですが、日曜日に惨劇があったおかげで書きにくくなってしまいました。思ったより早く帰宅できたので、NHKのニュースでも見ましょうかと思ったら、犯人像がどうたらこうたらで疲れているときに聞きたくないなという感じ。それにしても、この種の事件は事件が発生してから2、3日程度はマスメディアがどんちゃん騒ぎをしてあまり掘り下げられないまま、次の事件に移行するというパターンが定着しているようで、この種のどんちゃん騒ぎにお付き合いするには年を食ってしまったのでしょうか。討論番組はもちろん、政治ヴァラエティ(?)番組は15分で精神衛生に悪いのがわかったおかげで、十数年ぶりにドラマを見るという経験をしたという点では貴重でした。今回の事件で感じるのは、メディアが速報性を重視するほど情報が断片的に入ってくるので、私の感度の悪い脳では受け付けなくなってしまうことを確認したという程度の感覚です。

 今回の事件から離れて、先週は私にとっておもしろい話を伺う機会があったので、記憶の範囲でメモを残すだけです。講演で治安について話のはとってもデリケートなことのようで、CBDから同心円を描いてどのあたりで犯罪が起きる確率が高いのかということを、あくまでアメリカのデータですが、説明すると、「ここが治安が悪いということですか?」というあまりに鋭い質問がでて肯定するわけにもゆかず、かといって否定できなかったりするので大変だなあと。エコノミストなどというのはお気楽なもので、安直に需要曲線や供給曲線が描けると思っていて、その安直さが羨ましかったりします。「独自の視点」だからいいのか。Wikipedeiaの独自研究みたいなものだし。嫌味はこれぐらいにしておいて、うっかり善意でピッキングの手法を紹介してしまうと、防犯というより手口を教えて犯罪を誘発する可能性もあるそうで、善意や親切心というのが碌でもないことを実感させられます。

 凶悪事件が生じると、犯人のパーソナリティなどから、いわゆる「アニオタ」「ゲーマー」が受難の日々を送るわけですが、映画などでも過激な暴力シーンを含む作品が槍玉にあがったりします。やはりアメリカというのは怖い国だと思うのですが、寮生活を送っている高校生を二つのグループにわけて実験を行っているそうです。「寝言」にするのが遅くなってしまったので実験の詳細は忘れてしまいましたが、暴力シーンを含む映画を見ることと問題行動を起こすということの間に相関があるという結果もあれば、ないという結果もあるそうで、なるほどという感じです。

 素人目には性格上、反社会的な攻撃性(これも適切な表現ではないと思いますが)をもつ人物が好んでバイオレンス映画や性犯罪ならば過度の性的表現を含む映画などを見る可能性はありそうですが、逆は微妙な感じです。こちらでは「三菱猟銃強盗殺人事件」の犯人が大藪春彦氏の著作に描かれている人物に犯人が自画像を重ねていったという記述があります。この記述を信頼するならば、映像メディアやゲームなどに関する規制などは限界があるのかもしれません。率直に言えば、凶悪犯罪の犯人が好んでいた多様な媒体をすべて規制するというのはあまりにムダが多いように思います。もっとも、「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」の強化にはあまり違和感はなく、むしろ積極的に強化すべきだと考えております。児童の保護という崇高な理念に共感するのではなく、単に黒木瞳さんや深津絵里さんのような方に萌えずに、「ロ○、氏○」という個人的な嗜好によるところが大なのですが。

 さらに興味深い実験を紹介していただきました。グループAとグループBで話の筋書きが似ているのですが、結末だけを変えたビデオを見せて比較対照するという実験です。基本的な筋は、ある人物が暴力で相手の所有物を奪いとるということです。グループAには、プロセスは忘れてしまいましたが、そのまま加害した人物が反撃を抑えて所有物をせしめてしまうというストーリーのビデオを見せたそうです。グループBに見せたビデオは、被害者が暴力で報復し、所有物を奪い返すというストーリーです。

 どちらのグループがより攻撃的になりますかねと尋ねられて、これは難しいなと思いました。素人的にはまず攻撃によって利得がえられるという価値観をもってしまうと、やはり他人への攻撃的な傾向を強めるのかなという気がします。他方で、攻撃された側が反撃するというのは物質的な欲求以外の部分でより本来的な傾向という気もいたします。結論からすれば、どちらの傾向がより攻撃的なのかについては有意な結果はえられていないそうです。暗黙に凶悪犯罪の犯人のパーソナリティを安直に論じるのは居酒屋で管を巻くのと変わりませんよと教えていただいたように思います。

 ちなみにかなり曖昧な記憶にもとづいているので実験の設定やコントロールすべき変数などについては勘違いをしているのかもしれません。ちょっと気になったのは、アメリカでの実験とはいえ、被験者の人権への配慮を欠いているのではということでした。最近は倫理基準をつくっているとのことで「昔は無茶苦茶してましたからね」と苦笑いをされていました。私はとても乱暴な人間なので、凶悪犯罪を犯す人の心理をあれこれと忖度する(?)よりも、ある確率で起きるという前提で見ていた方がよいのかもしれないと感じました。

 実際、研究はそのような方向で進んでいるようで、ディズニーランドなどは入園者が逸脱行為を起こすことを前提に、そのような行為が起きる確率を下げるように設計段階から設計上の不備には障害物などを配置して工夫しているそうです。ちょっとしたことですが、家族連れで騒ぎの元になりやすいのが子どもたちで、子どもが並んでいる間に騒ぎ出さないようにわざと一直線に並ばせるのではなく、障害物をおいて蛇行させた上で入り口がどの角度からも見えるようにしているそうです。入り口で嬉しそうに入ってゆく人たちを見て自分の番になったときの期待を上昇させると同時に、その他の光景も気分が荒れないように工夫がされているようです。このあたりは余計なインセンティブを与えないという点でなるほどと思いました。

 人間が善なる存在なのか、そうではないのかは哲学者にお任せするとして、現実に悪いことばかりするわけではないけれども、時としてとんでもない悪いことをしてしまうのが人間なのかもしれません。哲学者が問題を解くのを待つわけにはゆかないわけでして、現実には人間は時として悪事をはたらく。不特定多数を相手にする場合、個別の人を善か悪かと判断するのはバカらしいほどコストがかかりますから、現実には余計なインセンティブを与えないことが大切なのかもしれないという「寝言」が浮かびます。
posted by Hache at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな?寝言

2008年06月10日

CHANGE

 ふわあ。今週は完全に「気抜け」状態で欝というわけでもなく、先週、気合を入れすぎたので、肩の力を抜きましょという感じですね。「月9」なんて十何年ぶりに見ました。『CHANGE』という番組でしたが、日米構造協議というのがずいぶん古くて意外な感じ。ドラマを見てこれというほどの感想もないのですが、日曜の討論番組や『CHANGE』の裏番組も少しだけ見ましたが、こちらの方がマシかなと。そういえば、金曜日に名人戦ダイジェストの予約をしようとテレビをつけたら、大田なんとかという人の番組を最後の15分ぐらいだけ見ましたが、こんな番組に出ている国会議員は全員落選してくれないかなあと思いました。将棋の方は森内名人の快勝でやはり強いなあという感じ。

 キムタクこと木村拓哉さん主役のドラマを見るのは初めてですが、元々、好印象で見ている生もあるのでしょうが、裏番組に出ている方たちと比較すると、なるほどこちらの方が精神衛生にはよいなあと思いました。ドラマの脚本自体は、政治ドラマという面から見ると、まあ、テレビだったらこんなものかなという感じ。木村さんのキャラにあわせて脚本をつくっているのかはわかりませんが、主役の雰囲気にあわせれば、あまり外さないだろうなと思いました。韮沢の娘がやってくるあたりで、ベタな演出ではありますが、ビンガムが途中で何度も話の腰を折られるあたりで不覚にも笑ってしまいました。"Dr. Strangelove"でないと笑えない精神状態よりも今週ははるかに健全なのかも。

 それにしても、木村拓哉と深津絵里の組み合わせは反則だよなと思いました。失礼ながら、年齢だけは高いものの、幼稚なジジ臭さを感じない政治にうんざりしているので、ドラマとはいえ、私より少し下の世代が生き生きとしている政治の方が楽しいのだろうなと。もちろん、政治というのは若ければよいというものでもなく、わかりやすければよいというものでもないのでしょう。ただ、消費税を上げるという勇気がないからタバコ税を上げる、そして学者がそれをオーソライズするというけち臭い政治に飽き飽きしているので、こんなドラマを見ている方が楽しいなと。

 10年後ぐらいに現実政治で現在の30代が「若さ」と「変化」を演出できるのかどうかとなると、悲観的ですが。現実政治では新奇なことを言ったり、「真情」なるものを吐露する必要はないと思います。統治なるものは、地道で泥臭い作業の積み重ねである以上、そのわかりにくさを被統治者に理解してもらうことは難しい。ドラマでは言葉の力ということが強調されていましたが、政治という作業が理解されがたい以上、ドラマで使われている文脈と異なりますが、政治における言葉の力というのは大きいという「寝言」が浮かびました。
posted by Hache at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | ふまじめな寝言