2008年07月22日

大戦がない不幸と幸福

 カワセミさんのコメントについて考えているうちに、とりとめがなくなってしまいました。単に考えすぎという気もいたしますが。自分でも滑稽な感じがしますが、現在の国際政治・国際経済の「危機」が拡大したとしても、大枠としてアメリカの覇権が揺らぐという事態は考えにくい。データでつめてゆくのが「正道」でしょうが、政治学者の感覚というのはなかなかおもしろいです。

 われわれにとって一番不幸なのは、誤解を恐れずに思い切ったことをいいますと、あの戦争がじつは帝国主義時代の最後の戦争であって、あれ以後、帝国主義の戦争がなくなったということです。従来は、戦争が一つ終わってだいたい十五年か二十年たつと次の戦争があり、前の戦争で生じた貸借関係は、そこでもう一度リシャッフルされていました。ところが、今回は六十年にわたってリシャッフルがない(御厨貴『ニヒリズムの宰相 小泉純一郎論』PHP新書 2006年 17頁)。

 まあ、「寝言」だとぐだぐだと長くなりますが、感覚が優れた方だと、ちゃっちゃっと話が整理されるので感心してしまいます(本題の「宰相論」には同意できない部分もありますが)。「帝国主義の戦争」というのはわかりにくい部分もありますので、もっと単純に大国間戦争と書き換えたい気分はありますが。それはさておき(深入りすると脱線がひどくなりますので)、歴史認識問題から切り離すと、当面はアメリカの覇権、日本人の感覚でわかりやすくいえば、アメリカの「天下」が覆るような事態はほとんど想定する必要がないということでしょう。これを覆そうと思えば、アメリカに軍事的に正面から挑戦しなければならず、そのような利害対立を潜在的に含んでいるのは中国ぐらいでしょう。問題が顕在化するか否かは中国しだいではありますが。

 他方で、当面アメリカの国際政治・国際経済におけるプレゼンスは低下してゆくのでしょう。経済の面で違和感を感じるのは米中関係が米欧関係を代替してゆくというBergstenの情勢判断です。根拠がまるでないので「寝言」そのものですが、ユーロはドルを代替するのではなく、補完するのでしょう。FTあたりを見ていると、SWFの資金はドルからユーロにシフトしているようですが、ただちにユーロがドルを代替するのではなく、為替リスクの分散などからドル単独では「通貨の通貨」の役割を果たすのが難しくなっているということだろうとみております。経済の面でアメリカにとってプライオリティが高いのはイギリスを含むヨーロッパ諸国であって、中国がその役割を代替することは現在では蓋然性が低く、仮に、そのような時期がきたとしても、50年ぐらいの時間を要するのではと思います。イギリスのようにユーロ圏に属さない有力な通貨が存在するので表現が難しいのですが、中国の経済成長が著しいのは事実でしょうが、GDPではユーロ圏はアメリカにほぼ匹敵する規模で、中国がユーロ圏を経済の面で代替する可能性はかなり狭いという感覚があります。ドルの機能をユーロで補完するという現状に即した政策を採用しないまま、中国との「G2」というのは非現実的な印象があります。また、中国経済を考える際には、最近はあまり見かけなくなりましたが、"China gets old before rich."という視点も忘れてはならないと思います。

 安全保障の分野では「ジャイアンは昔ほど喧嘩が強くありません」と考える方もいらっしゃるようですが、軍事力という点ではアメリカのパワーは経済よりもはるかに「一極集中」ではないかと思います。問題はイラク情勢が明るくなる一方でアフガン情勢が厳しいという、表現が悪いかもしれませんが、「もぐら叩き」のような状態になっていて、アメリカの軍事力がイランを挟む東西で伸びきっていることでしょう。このような状態では、米軍の紛争抑止能力が低下するのは物理的現象と同じでしょう。イスラエルによるイラン攻撃が実行されれば、おそらくは一時的(とはいえ10年単位で考えるべき問題でしょうが)にせよ、紛争抑止能力の低下が明白になるでしょう。私は、米軍の存在意義は紛争が起きてから対応する能力と同等に抑止する能力にあると考えております。中東という「火薬庫」に火がつけば、アメリカの軍事力をもってしても、後手後手の対応にならざるをえず、アメリカの威信は大きく傷つくでしょう。これまた表現が悪いのですが、安全保障の面ではアメリカを補完することができるのはイギリスぐらいで、経済よりも問題は厳しいようにも感じます。

 そんなわけで、アフガニスタン本土への自衛隊の派遣を見送ったのは想定どおりですが、なんともいえない虚脱感を感じます。北朝鮮の核開発に限らず、アメリカの様々な「限界」が見えているなかで、アメリカとの「一体化」を進めるのは国内世論の説得に限定しても困難なことでしょう。他方で、アメリカの国際政治や国際経済での地位の低下にもかかわらず、その役割を代替する主体は見当たりません。米英主導の国際秩序から日本が利益をえているのにもかかわらず、それにみあう費用を負担していないという問題は1980年前後には顕在化していました。当時の「経済大国」というこの国の国際的なプレゼンスの向上という背景に対し、現在では「ジャパン・ナッシング」という低下という懸念と悲観が主流のようですが。この国の戦後における外交政策は高坂正堯先生が的確に表現されたように、平和的ではあるが、積極的に平和をつくりだす努力をしないという、この国の脆弱なパワーベースをある程度まで反映した政策であったがゆえに戦後の相当の期間において維持できたのでしょう。また、それは冷戦の正面がユーラシア大陸の西側であったという、この国にとって外生的な条件によるものであったことも、厳密な意味での論証は難しいのでしょうが、「平和的な政策」がそれなりに効果的であったと思います。

 しかし、冒頭で引用した御厨先生の大戦による「リシャッフル」がないもとでは、「平和的な政策」だけではこの国の安全と繁栄を長期にわたって維持することは困難だとも感じます。いささか自虐的な表現になりますが、極東に限定しても、この国が自ら秩序をつくりだすことは、中国の台頭がなくとも困難でしょう。長期的に見れば、米英中心の国際秩序の、主要ではないにしても、無視はできない補完勢力として生き残りを図るのがベストであろうと。ただし、アメリカの「迷走」が、単に政策の失敗だけにとどまらず、アメリカの経済的地位の低下や地域情勢の複雑化などの要因によって生じているならば、アメリカの補完勢力として生き残りを図るための努力は多くのリスクや犠牲をともなうでしょう。現状では、そのようなリスクや犠牲は国益に合致しないかのように日本人には映る状況が続くと見ております。私のようにペシミスティックに国際情勢を眺めている者でも、日米安保体制の崩壊というリスクは無視してもよいと考えております。しかしながら、抽象論にすぎませんが、困難な時期に努力を怠っていれば、日米同盟の信頼性は低下する一方になりかねないという危惧を抱いております。それは大戦というあまりに犠牲の大きい「リセットボタン」がなくても、「ある敗戦国の幸福な衰退史」を変える「好機」でもあり、「好機」を現実の成果とするためにはより長期的なコンセンサスの形成とそのための政治的リーダーシップがが不可欠であるという、いつもの「寝言」です。


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