2008年07月29日

錯覚いけない よく見るよろし

 日曜日に慌ててパーツを買いに出かけたのが、致命的でした。やはり価格が致命的でビックは却下でソフマップに。P35系のマザーボードが売り切れでがっくり。判断力の低下が災いして、新品のマザーを売却してP5Q-EとP5Q寺の違いがわからずに、店員に尋ねると、「ええと、ヒートシンクの違いぐらいですかね」との返事。つい安いほうを選択して失敗でした。ええ、素人にありがちなミスです。帰ってからチェックすると、DDR3にも非対応。3000円をケチったことを後悔しております。

 組み立ての前に「SP+メーカー」でXPのSP3対応のファイルをつくろうと悪戦苦闘。最新版ではbbieはいらないようでしたが、とりあえず、Hotfixをダウンロードしようとすると、エラーが頻発するので、SP3だけを適用したファイルを作成。しかしながら、出来上がったファイルをDVD-Rに書き込めないという致命的な問題が発生して、ほとんど疲れきってしまいました。どうもデルのパソコンはサウンドと光学式ドライブの書き込みは致命的な欠陥があるんじゃないのと思うぐらい、弱い。ここまでの作業で2時間を使ってしまい、翌日の準備がまるでできていないので、あたふたと諦めて、御仕事です。カワセミさんのアドバイスがなかったら、適当に組み立てて、途方にくれていたでしょう。いつも貴重なアドバイスをありがとうございます。アドバイスを生かしきれない自分にイライラしてしまいますが。

 それにしても、眠れずに、先週から一日あたりの睡眠時間が2−3時間で、正常な判断力を保つのが非常に苦痛にすら感じます。ふだんは若い連中が、「わからん」を連発してもわからせるまでひたすら説得しますが、「わかろうとしないからわからんのだ」と怒鳴ってしまう。どうも、睡眠時間の不足のせいで、根気までが失せている様子。こういうときは、意味もなく、『陸奥宗光』と『氷川清話』を読んでしまいます。市井の人が日々をすごすのにも、それなりの覚悟が必要なものですから。

 ぐったりした状態で天井を眺めながら、ぼんやりしていると、久々に「生きている死体」を体験します。うまく表現できませんが、昔から生きたまま、私を殺したいという願望が強いらしく、「死体」になった気でひたすらよけいなことを忘れようと。どうも、情報過多の社会では「私」ばかりが強くなって、私が「私」を殺しても、次から次へと妄念にとりつかれるようです。生きながら、「私」を殺すのにはまだまだ修行不足ですね。こんな状態ではなにも見えない。

 「自分探しの旅」というのは、私の理解を越える部分があります。人一倍、自意識が強かったせいか、他人と明らかに異なるという「私」があまりにも私自身に明瞭で、苦痛でした。この「私」を殺すことが一生の課題なのかなと思ったりした時期もあり、「死処」を探すというのは、あまりにも生々しい感覚で存在する「私」を殺すところにしかないのだろうと。「近代的自我」というのも今ひとつピンとこない。「前近代的自我」なるものをどのように体験するのだろうと。書物によって再現できるのであれば、古今東西、自我に苦しまなかった時代などあるのだろうかと。此岸と彼岸が一体になれないような人など語るに足らず。

 宗教的世界観が衰退していることは、彼岸の存在、すなわち個の不完全性を自覚する機縁が減ることを意味するのでしょう。しかるに、個の不完全性の自覚は、不完全なる個のうちでしかえられない感覚です。個々の機微は私の手に余りますが、私自身はすべてを見ようとせんと欲すれば、「私」を殺さざるをえず、しかるに「私」が死んでしまえば、ありとあらゆる知覚や認識が崩壊してしまう。そのぎりぎりのところとどう付き合ってゆくのか。あまり「余生」が長いとは思えませんが、答えを見つけようとあがきながら、くたばるのでしょう。


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posted by Hache at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言